澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

昔軍隊、今体育部 ー その野蛮・その人権感覚の欠如

(2022年10月8日)
 毎日新聞「記者の目」が、いつも読み応え十分である。地方支局の記者が、それぞれの目による取材で、渾身の執筆をしている。ローカルな出来事が普遍的な問題を指摘していることがよく分かる。

 一昨日(10月6日)朝刊に、「聖カタリナ学園高野球部集団暴行 根本解決へ調査・説明尽くせ」という、松山支局斉藤朋恵記者の記事。伝えられた事実に驚きもし、さもありなんとも思う。そして、考えさせられる。

 記者はこう伝えている。

 「2021年春の選抜高校野球大会に出場した聖カタリナ学園高(松山市)の野球部の寮で、部員間の集団暴行が繰り返されていたことが今年7月、判明した。「指導」という名で行われた暴力の解決には、学校側が問題を直視して説明を尽くすことが不可欠だが、今の対応では改善に向かう兆しは見えない。

 発覚したのは、21年11月18日夜、1年の部員が部のルールで禁じられているスマートフォンの学校への持ち込みを理由に、寮の自室で複数の1、2年部員から馬乗りになって殴られるなどした事案(学年は当時)▽22年5月18日夕、1年の部員が寮内で1、2年部員計9人から呼び出され、バットやスパイクで殴られた事案――の2件。被害者はいずれも転校した。

 『痛すぎて抵抗もできなかった』。自宅で取材に応じた5月事案の被害者はこう絞り出した。殴る回数はスマートフォンのルーレットアプリで決められたという。延々と続く暴力は『サーキット』と称され、命の危険を感じた。すねには傷痕が残り、今も夜に突然目が覚めることがある。」

 「他の元部員らにも取材を重ねる度、暴行が常態化していた実態を突きつけられ、言葉を失った。ある元部員は、寮内で殴られた痕が残る部員を日常的に目にしたと話した。5月事案では「やらないとお前もやる」と先輩から言われた1年生や、暴行を指導者に報告しようとしたことがばれて殴られた元部員もいた。」

 記者は、こう驚いている。

 「私は『高校生がすることか』と驚いた。わずか1年半前、私は甲子園初出場が決まった同部に取材で通い、当時の部員たちのはつらつとした姿が印象に残っていただけに、信じがたい思いだった。」

 記者の驚きは、高校生の暴力行為の酷さだけにについてのものではない。表舞台での礼儀正しくはつらつとした球児たちの印象と、人目につかないところでの陰湿な傷害事件との落差への驚きである。だがこれは、甲子園出場水準の高校球児についての稀有な事例ではない。おそらくは野球に限らず、高校スホーツに蔓延する病弊である。

 彼らは、表舞台での「高校生らしさ」「爽やかなスポーツマンのあり方」の作法を教えられる。それは、メディアに向かっての演技であって、ホンモノではない。部活の中では新入生としていじめられ、上級生になれば新入生をいじめる文化のなかにどっぷり浸かっている。若くして、ダブルスタンダードの振る舞いを身につけるのだ。

 昔軍隊、今体育部である。旧軍に、新兵イジメの伝統があり、陸海軍共に独特のイジメの文化も発達した。これは、上意下達の規律の維持のためとして半ば公然と行われた。兵の人権が顧みられることはなく、兵には「上官の命令は天皇の命令」と思い込むことが強要され、命令一つで死地にも飛び込むことが求められた。その上官の命令の絶対性は暴力による恐怖をもって叩き込まれたのだ。

 軍事的合目的性からは、兵の自発性は不要、上官の意のままに手足となって動く兵が求められ、そのための訓練が積み重ねられ、見えないところでは暴力も重要な役割を担わされた。軍隊ほど、表と裏の落差激しい社会はない。

 日本の学校教育における体育は、兵士の育成を意識して導入され、軍隊のあり方を模したものとなった。その伝統は今なお脈々と生き続けている。教育の場に人権教育がなく、とりわけ体育関係に人権意識が希薄なのだ。

 記者は問題の背景を識者の指摘を引用して、こう考えている。

 「スポーツ倫理に詳しい友添秀則・日本学校体育研究連合会会長は『少子化で生徒募集に苦労する中、高校野球の宣伝効果は大きく、甲子園出場による学校の増収は億単位とも言われる。短期間で成果を求められる指導者側のプレッシャーも大きい。スポーツを学校の経営に生かす手段とすることを常態化させると、今回のような問題が起きかねない』と指摘する。」

 かつて強い軍隊を作るためには、上官の意のままに動く兵が必要と考えられた。いま、強いスポーツチームを作るには、監督の意のままに動く選手が必要と考えられているの。そのためには、体罰も必要、チーム内秩序の維持のためのイジメも黙認とされているのではないか。実は、企業もこの原理で動いている。

 そして記者は、こう怒っている。

 「学校の過度な期待を背負う野球部員たちは被害、加害の立場に関わらず被害者と言えるだろう。夢を抱いて親元を離れた高校生が身の危険にさらされ、問題発覚後も大人の都合で根本的な解決が図られていない現実に、強い憤りを感じる。学校は第三者委の委員を明らかにせず、調査結果の公表方針も明言していない。適切に調査し、批判を覚悟で結果を公表できなければ、野球部の再建はない。」

 この人権侵害の不正義に記者の批判は鋭い。ペンは剣よりも強い。がんばれ、毎日新聞松山支局・斉藤記者。

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Published in 土曜日, 10月 8th, 2022, at 22:55, and filed under 教育.

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