澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

トランプは、アメリカの民主主義の健全さを示すリトマス試験紙となった。彼が、有罪の宣告を受け、さらに受刑者として収監されることが、アメリカの民主主義の成熟性の証しとなる。それが「トランプ有罪評決」の爽やかさの理由である。

(2024年6月1日)
 昨日の朝は、久々に爽快だった。言うまでもなく、「トランプ有罪」の報が飛び込んできたからである。この上なく耳に心地よい、市民による正義実現のニュース。法廷には、「ギルティ」の言葉が34回繰り返されて響いたという。12人の陪審員が、34件の業務文書偽造の各訴因について、全員一致で「有罪」と認定したのだ。

 伝えられるところでは、検察はこの公判で、犯罪の動機を「2016年大統領選に不利な影響が生じないための被告人(トランプ)の工作」と強調したという。単なる「ポルノ女優との不倫の〈口止め料隠し〉」ではなく、民主主義の根幹を揺るがす「公正な選挙を冒涜する犯罪」と構成してのことである。アメリカ合衆国大統領候補者が、大統領選挙に不利と見て自らのスキャンダルを隠蔽するために金を積み、そのカネの使途を隠すために文書を偽造したのだ。12名の市民は、厖大な証拠に基づいてこの大統領候補の犯罪の成立を認め、前大統領に「ギルティ」を宣告した。

 有罪の評決は、トランプにも意外だったのだろう。夕刊各紙に掲載された判決言い渡し直後のトランプの形相が凄まじい。血走った目が、衝撃の深さを物語っている。それでも彼は、型のとおり「恥ずべき不正な裁判だ」「民主党による政治的迫害だ」「バイデンが裏で糸を引いている」とコメントしている。いや、恥ずべきはトランプ自身ではないか。カネとウソと居丈高。みっともないこと、この上ない。共和党は、こんなのをまだ大統領候補にしておくのか。

 一方、バイデンは落ちついて、「法を超越する存在はないという米国の原則が再確認された」「他の裁判と同じように選ばれた12人の陪審が、5週間証拠を調べ、慎重に検討した後、全会一致で評決に至った」「トランプは弁護の機会を与えられたし、上訴の機会もある。それが米国の司法制度のあり方だ」と述べたという。余裕綽々、この点はそのとおりである。バイデンも決して立派な政治家とは言えないが、トランプとの比較の限りでは、月とスッポン、提灯に釣り鐘である。

 バイデンの言のとおり、いかなる権力者も服さざるを得ないのが、民主主義社会における「法」である。王も、皇帝も、大統領も、党も、主席も、総統も領袖も、金持ちも、人気者も、一人として例外はあり得ない。前大統領であり次期有力大統領候補であるトランプの「有罪」は、米国の民主主義いまだ地に落ちずという図柄である。これが、このニュースの心地よさの所以である。

 私は、アメリカ帝国主義こそ人類最大の害悪だと思い続けてきた。が、同時にアメリカ市民の民主主義の良き伝統には敬意を払ってきた。中国共産党は大嫌いだが、中国の風土と文物、人々には畏敬の思いを拭いがたい如くに、である。

 この度の「トランプ有罪」は、アメリカの市民社会に根差した民主主義の伝統の発露として敬意を評したい。さらに、トランプが起訴されているその余の3件のいずれにも、有罪の評決と厳しい科刑を期待したい。トランプとは、今やアメリカの民主主義の健全さ如何を示すリトマス試験紙である。彼が、受刑者として収監されることによって、アメリカの民主主義の成熟性を示すことになる。中国やロシアでは考えられない、権力を抑制してこその法の存在であり、民主主義なのだ。そのような目で、今後のトランプの刑事裁判に注目したい。

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2024. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.