澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

79回目の原爆忌に、夥しい無惨な死を思って合掌する。合掌するだけでは足りないのだとは思いつつ。

(2024年8月6日)
8月6日である。毎年、厳粛な気持ちでこの日を迎える。今年は、厳粛なだけでなく焦慮の気持ちも抱かざるを得ない。併せて、少なからぬ恐れの気持ちも。

当然のことながら、人は過つ。時には、大きく過つ。が、人は過ちから学ぶ。大きな過ちからは、深く学ぶ。この、過ちを省み、過ちを繰り返すまいとする習性と能力によって、人は生き延びてきた。個人としても、国家や民族としても、そして人類としても。

戦争は国家の大きな過ちである。しかし、国家は戦争の惨禍から深く学んだだろうか。戦争を繰り返さぬよう、十分な反省をしたであろうか。残念ながら、今なお戦争は繰り返されて絶えることがない。

核戦争は、さらに大きな人類の過ちである。徹底した自省なければ、人類の滅亡を招きかねない。だから私たちは、死者に向かって、語り続け、誓い続けなければならない。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と。

本日の平和公園での平和記念式典。事前に幾つかの問題が語られていた。公園へのデモ隊の入場規制、手荷物検査、そしてウクライナの参加は認めず、イスラエルには認めるというちぐはぐさ。それでも、式典には被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田文雄首相や、109か国の大使などを含むおよそ5万人が参列した。

広島市の松井一実市長は、主催者としての平和宣言で核抑止論の危険を訴えた。
「国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっている」「心を一つにして行動すれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずだ」と呼びかけた。

また、岸田首相を前に、日本政府に対しては、来年3月の核兵器禁止条約の締約国会議にまずはオブザーバーとして参加することを求め、さらに一刻も早く締約国になるよう求めている。まずまずの内容。

注目を集めたのは、湯崎英彦広島県知事のあいさつ。

「現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、…男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。

いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。

 私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。」「現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう。」

そして、最後を「『過ちは繰り返しませぬから』という誓いを、私たちはいま一度思い起こすべきではないでしょうか。」と締めくくっている。

愚かな核戦争の過ちは、繰り返すことができない。過ちを予防するには核廃絶以外の途はなく、そのためには核抑止論を克服して、核禁条約を締結する大道を歩むしかない。

本日は、原爆の犠牲者に合掌するだけの日ではない。核抑止論を克服して、我が国に核禁条約を批准させることを誓う日でもあるのだ。

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