本郷湯島の皆さま。戦争の惨禍と平和の尊さを考えるべき8月です。とてつもない暑さの盛りですが、地元「9条の会」からの訴えに、しばらく耳をお貸しください。
(2024年8月13日)
89年前。1945年の8月まで、軍国日本は戦争に継ぐ戦争を続けてきました。そして、45年8月の敗戦を機に、平和国家に生まれ変わった日本は、今日まで戦争をすることなく、長い平和を謳歌してきました。今後とも、この貴重な平和を続けるべく、改めての決意を確認すべきが、9条を持つこの国の国民の8月のあり方。
明治維新後の10年で、日本の内戦は終わります。それ以降、日本は「富国強兵」を掲げて国外で戦争を続けてきました。「富国強兵」とは、国家が「強兵」を養って侵略戦争を起こし、敗戦国を植民地として富を収奪しようという、とんでもない軍国のスローガンでした。
台湾出兵、朝鮮侵略、日清戦争、日露戦争、日独戦争、シベリア出兵、そして当時は満州事変・北支事変と名付けられた日中戦争の泥沼に陥り、1941年12月8日には、英米蘭に不意打ちを仕掛けて太平洋戦争を開始しました。世界の目には、この上なく危険な好戦国・軍国日本の印象が強かったことと思われます。
もちろん、戦前の戦争に継ぐ戦争は、天皇を頂点とする非民主的な国家が行ったもので、民衆の意思で行われたものではありません。大日本帝国憲法では、宣戦布告も、講和も、天皇の専権事項とされ、国民は臣民としての身分しか与えられていませんでした。だから、戦争は天皇の命令によって天皇の軍隊が行ったものです。あの戦争は天皇が準備し、天皇が開戦し、天皇が爆撃し、天皇が町を焼き、天皇が多くの人を殺傷した戦争でした。
しかし、当時の日本の民衆の多くは、決して戦争を呪ったわけでも嫌ったわけでもありません。多くは徴兵を忌避しませんでした。むしろ、積極消極濃淡はあったにせよ、戦争を支持していました。その理由はいくつも考えられますが、多くの国民にとって戦争は「富国」の源泉と考えられていました。言わば、近隣諸国を食い物にして、日本が繁栄する手段との実感があったと思われます。
それだけでなく、戦場は遠い外国で、国民の身のまわりに戦火の被害はなかったのです。何人かの知り合いの息子は出征して戦地で苦労はしているようだが、自分の住む町に爆弾は落ちてこなかったのです。
この様相は、ガラリと変わりました。79年前の8月、連合国との勝ち目のない戦争を続けていた日本は、絶望的な戦況を迎えていました。沖縄だけでなく、東京も大阪も焼かれていました。誰の目にも、敗戦は必至でした。
この年の2月には、有名な近衛上奏文が早期終戦を求めています。近衛文麿は、太平洋戦争に突っ込んだ東条内閣の前の内閣総理大臣。その人が、敗戦は必至だから今のうちに戦争を止めた方が利口だ、と天皇ヒロヒトに上奏したのです。今のうちの終戦なら、國体の護持は可能だし、戦後の共産主義革命も防止できる、という内容。しかし、ヒロヒトは、これに耳を貸しません。「もう一度戦果を上げてから」と希望を述べただけ。
このときヒロヒトが真摯に考えて近衛の考えを受け入れていれば、3月10日に10万人の東京都民が死ぬことはなかった。東京山手空襲も、大阪空襲も、名古屋空襲も、釜石艦砲射撃もなかった。4月1日から6月23日までの沖縄地上戦の惨劇も避けられたのです。
そして、ポツダム宣言の発付は7月26日。これは受諾するしかなかった。にもかかわらず、グズグズしているうちに、8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が落とされる。さらに9日にはソ連の対日参戦という決定的な新事態も生じる。もちろん、原爆を落としたアメリカの責任を忘れてはなりませんが、「遅すぎた聖断」の天皇ヒロヒトの責任も限りなく大きい。
こうして8月14日、ようやくにして天皇はポツダム宣言を受諾し、15日に「日本が戦争に負けた」ことをラジオ放送します。15年続いた過酷な戦争が終わっただけでなく、繰り返されてきた侵略戦争の歴史も、軍国日本も、妙ちきりんな天皇の御代も、このときようやくにして終わったのです。
戦争の元兇だった天皇は、神でもなく、主権者でもなく、軍の統帥者でもなくなります。が、連合国(≒GHQ)は東条英機以下の戦犯を死刑にしながら、思惑あって天皇を戦犯として訴追せず、天皇は生き延びることになります。
かつての軍国の戦争に国民の責任はありません。何しろ臣民に過ぎなかったのですから。国民は被治者として、すべての情報から遮断され、唯々諾々と為政者に従うべき存在に過ぎませんでした。
今は違います。国民は主権者です。すべての情報にアクセスしなければなりません。そして、戦争につながる一切の国家の動きを不断に監視し、遠慮するところなく批判の言論を行使すべき責務があります。
かつての臣民に戻ることを絶対に拒否しましょう。自分たちの運命が、知らないところで、知らない人に、知らないうちに決められる、などと言う屈辱を拒否しましょう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者にも、権威あるとされる者にも、操られることを拒否しなければなりません。
そして、「平和のために、戦争を準備しよう」などという現政権の倒錯した論理を許さず、「平和を擁護するためには、やっぱり平和を準備するしかない」そう、あらためての決意を固めましょう。
以上、地元9条の会からの、8月の訴えでした。ご静聴、ありがとうございます。