96条改憲批判ーその8 橋下徹はアウト、96条改憲もアウトだ
本日は私的な慶祝の日。5年前の春、肺がんで右肺上葉摘除手術を受け、以後5年にわたって経過観察の通院受診を続けた。本日が、その5年の執行猶予期間満了の日。
通い慣れた「つくばエクスプレス線」で、「柏の葉キャンパス」駅下車。ここからバスで、国立がん研究センター東病院に。血液採取と画像撮影の後2時間近い待ち時間。主治医の永井完治医師から、晴れて「転移、再発はありません」「手術対象の肺がんは治癒したと考えて結構です」との快癒宣言。もう、次回通院の予定はなくなった。お世話になった永井医師にはただただ感謝あるのみ。
5年前に、その永井医師からの「肺がん宣告」だった。「外科的治療ができるから大丈夫」と勇気づけられはしたものの、がんの宣告を受けるのはつらい。当事者の立場になってみないと、その辛さは本当には分からない。私も長年、「弁護士としての最も大切な資質は、他人の悩みへの共感能力だ」と言ってはきた。そのような弁護士たらんと広言もしてきた。しかし‥、実は言ってはみたけれど、実践できたわけではない。
これまで、全て患者側で医療過誤訴訟を数多く手がけてきた。自分自身が、がんの宣告を受けて不安な気持ちで手術を受けて、ようやく少しは依頼者の辛い気持ちを理解することができるようになったかと思う。日の丸・君が代強制に承服できないとして、孤立しながら不起立を貫く教員の心労。会社への批判的言動故の配置転換から解雇に至った労働者の悔しさ。つくづくと、その立場に陥った人の辛さを理解し共感することの難しさを痛感している。いじめられた人の辛さは、いじめた側にも傍観者にもなかなか本当には分からない。
このような弱者への共感能力の欠如は、政治家にとっては致命的な欠陥である。その典型が、石原慎太郎と橋下徹。いずれも、共感能力の不足と言うよりは、共感しようという姿勢そのものが欠如している。
一昨年の東日本大震災の直後、私は石原の「震災は天罰」発言に怒り心頭に発して石原批判のブログを書きつづった。下記のリンクをぜひご覧いただきたい。
http://www.news-pj.net/npj/sawafuji/index.html
そして、今また、「慰安婦は必要」「沖縄の風俗業を活用せよ」と言った橋下徹に同じ批判を浴びせねばならない。
橋下は、自らの品性が下劣なことを売り物にしている稀有な「政治家」である。「本音」を語って、同類から喝采を得ることが彼の支持獲得の手法である。きわどく、あざとい発言を続けることなしには彼の政治的支持基盤を維持しえない。いわば、問題発言の永久運動を強いられている存在なのだ。
しかし、今回は、きわどい球を投げたつもりが、恐るべきビーンボールとなった。これまで橋下に擦り寄った同類も、橋下の近くにいることの危険を覚らざるを得ない。女川で住民の声として聞かされたあの言葉がよみがえる。「これまでは原発に喰わせてもらっているとの思いがあったが、今は原発に殺されるのではないかと心配だ」。原発を橋下に置き換えなければならない。「これまでは橋下人気にあやかれるとの思いがあったが、今は橋下と一緒と思われては自分までも沈没だ」。もっとも、たったひとりの同志がいるようだ。石原慎太郎という同じ穴の生き物。
本音を語って、正体をさらけ出したことによって、橋下は全女性を敵に回した。全沖縄を敵に回した。韓国・朝鮮・中国・台湾・フィリピン、シンガポール・マレーシア・インドネシア・ベトナム・オランダ‥等々の諸国を敵に回した。米欧を中心とする国際外交のすべてを敵に回した。そして、真面目に歴史を考え、真面目に人権と政治を考えるすべての人からの指弾を覚悟しなければならない。
ときあたかも96条改憲論議のさなかである。安倍自民が96条先行改憲を打ち出したのは、明らかに党外勢力としての維新が96条改憲に熱意を有していたからである。そして、その維新が2012年12月総選挙で「躍進」を遂げたからである。公明党に代わる維新という応援団あっての96条先行改憲路線であった。
このような人物が推進する96条改正。それが実現したあとに何が待ち構えているのか。橋下の言動が如実に語っている。戦争への無反省であり、歴史の修正であり、人権の否定であり、外交感覚欠落の非国際協調主義であり、沖縄の現状固定化であり、なによりも不真面目極まりない政治である。
96条先行改憲の推進力であった維新・橋下の品性の下劣さがここまで明らかになり、橋下へのアウト宣告は、96条改憲へのアウト宣告でもある。こんな人物に、大切な憲法をもてあそばれてたまるものか。