朝日バッシングに悪乗りした石原慎太郎の暴論
朝日バッシングの動きは、傍観しておられない。バッシングされているのは、「朝日」が象徴する戦後民主々義だからである。
朝日が戦後民主々義の正統な継承者であるかの議論は措く。虚像にもせよ攻撃する側の認識においては、「朝日=唾棄すべき戦後民主々義」なのだ。朝日叩きを通じて、「戦後」と「民主々義」とが叩かれている。叩かれっぱなしとするわけにはいかない。
時代の空気が、安倍のいう「戦後レジームからの脱却」や「(戦後レジーム以前の)日本を取り戻す」に染まりつつある。むしろ、そのような時代の空気が安倍を押し上げたのだろう。
朝日へのバッシングにおいて、戦前から断絶したはずの戦後が意識的に否定されている。具体的に攻撃されているものは、朝日が体現する歴史認識であり、その歴史認識が結実した日本国憲法であり、平和・民主々義・人権という理念にほかならない。だから、「従軍慰安婦問題」がメインテーマとなっているのだ。テーマだけではなく、その主張の乱暴さに驚かざるをえない。とうてい、放置してはおられない。
本日の朝日社会面の「メディアタイムズ」が、朝日バッシングのすさまじさをよく伝えている。
「慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者が勤める大学へ脅迫文が届き、警察が捜査を進めている。インターネット上では、元記者の実名を挙げ、「国賊」「反日」などと憎悪をあおる言葉で個人攻撃が繰り返され、その矛先は家族にも向かう。暴力で言論を封じることは許せないと市民の動きが始まった。」
標的とされた北星学園大学(札幌)は、「9月30日、学生と保護者に向けた説明文書の中で初めて、U氏の退職を求める悪質な脅迫状が5月と7月に届き、北海道警に被害届を出したことを明らかにした。3月以降、電話やメール、ファクス、手紙が大学や教職員あてに数多く届き、大学周辺では政治団体などによるビラまきや街宣活動もあった」という。
「ネット上で、大学へ抗議電話やメールを集中させる呼びかけが始まった。3月、大学側が『採用予定だったU氏との雇用契約は解消されました』とホームページで公表すると、ネットには『吉報』『ざまぁ』の書き込みが相次いだ」とのこと。記事中にあるとおり、「もはやUさんだけの問題ではない。大学教育、学問の自由が脅かされている」
また、「帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)にも9月13日、慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の人間科学部教授の退職を要求する脅迫文が届き、府警が威力業務妨害容疑で調べている。元記者は同日付で退職した」とのこと。
さらに、ネットの書き込み自体も大きな問題だ。「ネットに公開していない自宅の電話番号が掲載されていた。高校生の長女の写真も実名入りでネット上にさらされた。『自殺するまで追い込むしかない』『日本から、出ていってほしい』と書き込まれた。長男の同級生が『同姓』という理由で長男と間違われ、ネット上で『売国奴のガキ』と中傷された」ともいう。これにも、適切な法的措置が必要だ。
北星学園事件と帝塚山学院事件、そしてネットでの中傷。いずれもまことに卑劣な行為。あきらかに、威力業務妨害、脅迫、強要、名誉毀損、侮辱などの犯罪に該当する。徹底した刑事事件としての訴追が必要であり、再発防止には処罰が有効だろう。
五野井郁夫・高千穂大准教授のコメントが適切である。
「民主主義の要である言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為と等しく、大変危険だ」「言論を暴力で抑圧してきた過去を日本社会は克服したはずなのに、時代が逆戻りしたかのようだ。私たちはこうした脅しに屈してはいけない」
まったく同感である。一連のバッシングを「言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為に等しい」との認識が定着しつつある。産経新聞ですら、「報道に抗議の意味を込めた脅迫文であれば、これは言論封じのテロ」「言論にはあくまで言論で対峙すべきだ」と社説で主張している。
ところが、比喩としての「言論によるテロ」ではなく、本物のテロの実行を煽る言動まで表れている。石原慎太郎「国を貶めて新聞を売った『朝日』の罪と罰」(『週刊新潮』10月9日号)がそれである。何とも驚くべき暴論。
「私と親しかった右翼活動家の野村秋介さんが、朝日新聞東京本社に乗り込んだ事件がありました。九十三年十月のことで、当時の中江利忠社長らに説教して謝罪させたあと、社長の目の前で自分のわき腹に向けて拳銃を放ち、自殺してしまいました。
私は通夜に行って、『野村なんでこんな死に方をしたんだ、なんで相手と刺し違わなかったんだ』と言いました。彼は朝日新聞に対して、命がけで決着をつけるべきだったのです。そうすれば、彼らはもう少しまともな会社になっていたのではないか。朝日が国を売った慰安婦報道をひっくり返した今、なおさらそう思います。
朝日新聞は、これだけ国家と民族を辱めました。彼らがやったことは国家を殺すのと同じことで、国家を殺すというのは、同胞民族を殺すことと同じです。彼らはいつもああいうマゾヒズム的な姿勢をとることで、エクスタシーを感じているのかもしれませんが、朝日の木村伊量社長は、世が世なら腹を切って死ななければならないはずだ。彼らの責任はそれくらい重いと思います。
三島由紀夫は生前、『健全なテロがないかぎり、健全な民主主義は育たない』と言いました。私は、これにはパラドックスとして正しい面があると思います。
野村秋介は六十三年に、当時建設大臣だった河野一郎邸に火をつけました。河野は代議士になる前は朝日新聞の記者で、典型的な売国奴のような男でしたが、那須の御用邸に隣接する上地を持っていて、御用邸との境界線争いが起きたとき、境界をうやむやにするために雑木林に火をつけさせたといわれた。
それで御用邸の森の一部も燃えてしまい、泉も涸れてしまい、天皇陛下も大変悲しまれました。そのことが右翼全体の怒りを招き、結局、児玉誉士夫が騒ぎを収めたのですが、野村はそれでは納得できず、河野邸を燃やしたのです。
野村はそれで十二年間、刑務所に入りました。もちろん放火という行為は推奨できないが、命懸けだった。少なくとも昔の言論人は命懸けで、最近、そういう志の高い右翼はまったくいなくなりました。今は、朝日が何をしようと安穏と過ごせる、結局うやむやにして過ごせる時代です」
これは、殺人と放火と業務妨害とを唆し煽る行為である。犯罪を煽動するものとして言論の自由の範疇を超えるものと言わなければならない。自分は安全な場所にいて、他人にテロをけしかけているという意味において卑劣な言動でもある。社会は、このような言論を許してはならない。筆者も筆者だが、新潮の責任も大きい。
今日の東京新聞「本音のコラム」に鎌田慧「軽率な謝罪」が、石原の記事に触れて正論を語っている。
「右派ジャーナリズムあおりに便乗して、石原慎太郎さんは朝日を廃刊にせよ、不買運動を、とアジっている。邪魔な新聞はつぶせ、という政治家の暴論だ」「盥の水と一緒に赤子(報道の自由と民主々義)を流すな」
石原慎太郎が「朝日の不買を」というのなら、私は定期購読を再開しよう。実は、朝日の姿勢に不満あって、ここしばらく定期購読はやめていたのだ。同じように、他紙に乗り換えた人は私の周りに少なくない。しかし、小異にこだわらず朝日を応援しよう。周囲にも朝日回帰を呼びかけよう。朝日が現場の記者を擁護してバッシングと闘い続ける限り、ささやかながら朝日を支え続けよう。
(2014年10月7日)