PL学園硬式野球部の再生に期待する
「昔軍隊、今体育部」と言われる。相当に当たっているのではないか。
かつて国民皆兵時代の国民教育においては、学校だけではなく軍隊も重要な役割を担った。徹底した上命下服の規律をたたき込むには、軍隊以上に適切な場はない。とりわけ、軍人勅諭・戦陣訓で律せられた旧日本軍の「精神注入性」はすさまじかった。組織の論理だけが横行し、兵の人間性は徹底して排除された。「敵」の人権だけではなく、軍内の人権も否定された。かくして、自分ではものを考えず、ひたすら上級の指示に従う国民精神が涵養された。
この精神構造は、富国強兵に邁進する天皇制国家が臣民に押しつけたものであったが、民間企業の組織運営にも好都合であった。兵と同様に、組織に従順な労働者は資本の望むところでもあった。
その旧軍隊の役割の悪しき伝統を今学校の体育系が承継している。体育・スポーツは人間性の開花を目指してのものではなく、ナショナリズムの高揚に利用され、忠誠心や従順の精神涵養に裨益するものとなった。そのために体育部・体育系の就職希望者は企業が歓迎するところとされている。企業の視点からは、学校スポーツにおいて「思想の善導」がなされていると映るのだ。
そのような学校スポーツの巨大な山塊の頂点に甲子園がある。世人の関心を呼び、もてはやされているだけに、高校硬式野球は学校スポーツの負の部分を色濃く体現している。とりわけ、「甲子園常連の名門校」に問題は大きい。
私の母校は、そのような「名門中の名門校」である。もっとも、私が在校していた当時には、甲子園出場はまだ「届かぬ悲願の夢」で、不祥事もなかった。その後、甲子園の常連校となり多くのプロ選手を輩出するようになって以来、野球部の不祥事が聞こえてくるようになった。野球部だけの寮生活における上級生の下級生に対するイジメや暴力が主たるもので、旧軍隊の初年兵イジメや私的制裁と変わらない。
問題が明るみに出るたびに、「真摯な反省がなされ」「新たな体制で再出発」と聞かされ指導者も交替した。しかし、不祥事は繰り返された。
最近の不祥事の発覚は昨年(2013年)2月のこと。部内暴力事件があって、高野連から6か月の対外試合禁止の処分を受けた。必然的に昨夏の甲子園大会の予選にも出場できなくなり、監督は辞任した。
対外試合禁止の処分が解けて、野球部は秋季近畿地区高等学校野球大会大阪府予選に出場した。興味深いのは、監督不在のままでの出場であったこと。不思議なことだが、高野連のルールではベンチに入る監督が必要とのことで、校長が監督を引き受けてユニホームを着てベンチに入った。この校長は、私の後輩でよく知った人。校長にふさわしい温厚な人格者だが、およそ野球とは無縁な人。技術指導も試合の采配もできない。部員は、指導者なしで練習を重ね、自分たちでレギュラーを選抜し、試合では選手が作戦を決めた。スクイズもヒットエンドランも、サインは選手自身が出しているという。
このチームがウソのように強い。勝ち上がって決勝戦まで進んで、履正社高校に3対4で敗れた。堂々の大阪第2位である。ベンチでにこやかにしている以外何もしない校長先生は、「好調先生」と呼ばれた。
私は、なんと素敵なチームができたものかと喜んだ。優勝はできなくても、すばらしいことになってきた。校長の監督兼任で不祥事はなくなるだろう。しかも、選手たちの自主性の尊重はきわめて優れた教育ではないか。「監督なしの名門校」という新たな神話が築けるのではないか。
今年(2014年)の夏も甲子園まであと一歩。大阪大会での準優勝だった。今度は、大阪桐蔭に決勝戦で敗れた。負けても、すがすがしい自主野球として話題を集めた。そして、今秋の近畿大会予選。履正社には勝ったが、決勝で再び大阪桐蔭に敗れた。それでも、レベルの高い大阪の準優勝である。胸を張って良い。10月18日始まる近畿大会に出場する。来春の選抜大会出場の可能性は高い。
その折も折、昨日ふと目にしたスポーツ紙の一面トップで思いがけないニュースに接した。母校の野球部は、来年(2015年)度の「硬式野球部新規部員の受け入れを停止する」というのである。スポーツ紙だけでなく、朝日も毎日も続報を出した。これは、大ニュースなのだ。
10月9日付で学校法人の理事長と校長が連名で発送した保護者宛ての説明書では、「監督適任者が見つからず」「このまま新たに新規部員を受け入れることは、本校の教育責任を十分に果たすことができず、学園の教育指針に反すると判断いたしました」とある。
メディアは先走って「廃部の危機」と報じている。せっかく、監督なしでの再出発ができたと喜んでいた矢先の「危機」である。OBの一人として、残念でならない。
ところで、私の母校は軟式野球部も強い。たびたび大阪大会で優勝し、全国大会の優勝経験もある。その軟式野球部には一切の特別扱いはないと聞いている。硬式野球部も軟式と同様で良いではないか。
リトルリーグの優秀選手を集める必要はさらさらない。特待生の制度も、野球部員の寮を設けることも、特別のカリキュラムを組む必要もない。入学試験における野球部員特別枠の設定も不要だ。そして、監督だってなくても差し支えないではないか。そのために強豪の名が廃れて、甲子園が遠くなっても、それはそれでもよい。大切なのは教育としての部活動の充実であるはずなのだから。
そういう新たなコンセプトを明確にし、入学したものの中から、新部員をリクルートすれば良いだけのことではないか。部員の一人一人を教育対象の生徒として大切にし、イジメも暴力もない、人権の擁護に徹した自主的な部活動こそが求められている。それこそが、教育としてのスポーツ。これまでスローガンとして来た「球道即人道」であろう。
「昔、軍隊」になぞらえられる不祥事続きの野球部から脱皮して、出直した新生硬式野球部に、OBの一人として惜しみない声援を送りたい。
私の母校は、大阪のPL学園という。
(2014年10月12日)