澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ベルリンの少女像は、国際的・普遍的な人権問題の象徴となりつつある。

(2020年10月14日)

本日の毎日新聞夕刊に「ベルリンに少女像設置、二転三転、区当局『当面認める』」の見出し。共同通信記事を引用の各紙は、「少女像設置『当面認める』 撤去要求の独首都自治体」としている。

これは朗報。真の当事者は、加害者としての日本なのだ。日本の保守層と政権の、ドイツに対する圧力が一時は功を奏しそうになったが、土俵際で形勢が逆転したというところ。理性的な解決への筋道が見えてきたと言ってよいようだ。

舞台は、ベルリン市中心部ミッテ区の公有地。9月下旬、ここに韓国系市民団体「コリア協議会」が従軍慰安婦を象徴する少女像を設置し、9月28日に除幕式を行った。もちろん、同区の許可を得てのことである。これに不快感をあらわにした茂木敏充外相が今月1日にドイツのマース外相とオンライン会談した際に、像の撤去を要請した。この会談が政治的圧力となって、区は10月8日、設置許可を取り消し、10月14日までに像を撤去するよう命じていた。「日韓間の複雑な政治的、歴史的な対立をドイツで扱うのは適切ではない」というのが、その理由だった。

「コリア協議会」側は、直ちに区の取り消し決定の効力停止をベルリンの裁判所に申立て、区にも異議を申し出た。その成り行きが注目されていたが、ミッテ区のフォンダッセル区長は13日の声明で「コリア協議会と日本側双方の利益となる妥協案を望む」とし、今後すべての関係者の意見を慎重に検討する考えを表明した。

私(澤藤)が、この事件を初めて知ったのは、10月9日の21時過ぎ、「産経ニュースメールマガジン」によってのこと。「韓国の手法、もはや国際社会で通じず 独の慰安婦像設置撤去要請」という、勝ち誇った見出しの下記産経記事(一部引用)の紹介だった。これが、日本の右翼勢力のホンネであり、願望である。

 【ソウル=名村隆寛】ドイツの首都ベルリン中心部に設置された慰安婦像の撤去を地元当局が求めたことは、戦時下における女性への性暴力を非難し、女性の人権を訴える名目で、慰安婦像設置を続けてきた韓国側の手法が、国際社会では通じなくなってきたことを示す。

 設置したのは韓国系の市民団体であり、製作費は韓国の慰安婦支援団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」が支援した。米国各地に設置された慰安婦像と同様、実際には韓国が地元自治体や市民を2国間の問題に巻き込む形で設置を強行したに過ぎない。

 韓国では日韓の問題と関係ない第三国で慰安婦像設置を拒絶されたことで「像を守れるか」(聯合)との危機感が出ており、メディアでは設置を続けようとする市民団体の姿勢が強調される一方、反日意識を強引に世界で広めることによる韓国のイメージダウンを懸念する声は聞かれない。」

これを追いかけるように、複数の友人から、下記の「★菅首相及び茂木外相宛の抗議文」への署名依頼のメールが送信されてきた。これは、格調が高い。

「ベルリンの『平和の少女像』撤去問題における『記憶の闘争』。問われているのは、日本政府であり、日本人である私(たち) なのだ。」という表題がついている。

日本軍『慰安婦』問題解決全国行動
http://www.restoringhonor1000.info/2020/10/blog-post_11.html?m=1

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★菅首相及び茂木外相宛の抗議文(抜粋)

「これまでは「日本政府の立場を説明していく」という表現に留め、妨害の事実についても認めようとしなかった政府が、菅政権になって初めての今回の碑に対しては、露骨に「撤去を要請する」と官房長官が言い切り、外相が当該国の外相に電話会談で撤去を要請したと臆面もなく発言することに恐怖すら感じます。

今からでも、このような姿勢を正すべきです。日本軍「慰安婦」を生んだ加害国として、誰よりも事実を正面から直視し、心から反省し、この教訓を人類が生かしていくことができるよう、率先して記憶し教育し継承していく姿を被害者たちに、被害国に、そして世界に示してこそ、日本は尊敬され尊重される国となり、日本軍「慰安婦」問題も解決することができるでしょう。

あったことを無かったことにはできません。日本軍「慰安婦」問題を記憶することで性暴力のない平和な社会をめざそうとする各国市民の動きも止めることはできません。できないことに邁進するのではなく、なすべきことに力を尽くすよう求めます。」

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幾つかの韓国からの報道が、興味深い。

★ドイツの大学教授が「日本の戦争犯罪否定」を批判
https://news.yahoo.co.jp/articles/4719faf6543c8d8243229436510f411e35dcb204

独ボーフム大学社会学科元教授のイルゼ・レンツさん(72)は11日、ハンギョレの電子メールインタビューで、なぜ少女像がドイツになければならないのかという質問に対し、「植民地主義と戦争暴力の歴史を持つドイツは、日本と似た問題に直面している」と説明した。レンツさんは「少女像は戦時性暴力と植民地主義を記憶しようとする記憶運動の象徴」だとし、「この暴力的な植民地時代の過去と、第2次世界大戦当時に東欧とロシアで起きた無数の性暴力を把握することこそ、私たちの課題」と述べた。レンツさんはまた「少女像の設置承認取り消しは、日本政府の外交的圧力に加えて、ベルリン市が慰安婦問題と戦時性暴力問題をきちんと知らないために起きた容認できない事件」と強く批判した。

★ハンギョレ新聞「裁判所に行った少女像」
http://japan.hani.co.kr/arti/international/37981.html

★ 市民が阻止した「ベルリン少女像」撤去…ドイツ、碑文修正など妥協案か
https://news.yahoo.co.jp/articles/483d57894e3e54e55b7f95f47d648beb2eb03826

ミッテ区のシュテファン・フォン・ダッセル区長は「我々は十分に時間をかけて論争の当事者と我々の立場を検討する」とし「コリア協議会と日本側の双方の利益を公正に扱うことができる妥協案を用意したい。みんなが共存できる方式で記念物が設置されることを望む」と明らかにした。続いて「ミッテ区は時間と場所、理由を問わず、女性に対するあらゆる形態の性暴力と武力衝突に反対する」とも強調した。

これに先立ちダッセル区長はミッテ区庁前で開かれた撤去反対集会に予告なく姿を現し、「裁判所に撤去命令中止仮処分申請が出され、時間が生じた。調和が取れた解決策を議論しよう」と述べた。

これに対しコリア協議会側は、少女像設置の趣旨が反日民族主義でなく国際的・普遍的な女性人権問題であることを強調した。

ダッセル区長の立場の変化は、現地同胞と市民の反発に加え、自身が所属する緑の党の内部でも撤去命令を取り消すべきという声が出たからだ。ただ、少女像撤去命令を完全に撤回したというより、今後の裁判所の判断を待って妥協点を見いだそうという意味と解釈される。現地では、少女像の碑文に慰安婦被害者問題の普遍的価値を強調する内容を追加する方向で妥協するという可能性が高いという見方が出ている。

 茂木外相の政治的圧力は、どうやら藪を突いて蛇を出したごとくである。勝ち誇った産経ニュースの思惑も裏目に出たようだ。事情をよく知らなかったドイツの世論が、この事件を切っ掛けに、日韓の植民地処理問題未解決の現状に関心をもつことになった。ドイツと日本のその歴史的な責任の記憶と反省のありかたについて比較して、大いに意見を述べてもらいたいと思う。まさしく、国際的・普遍的な人権問題の立場から

本郷三丁目ご近所の皆様、少しの間、耳をお貸しください。

(2020年10月13日)

今年2020年は、後世どのように振り返られることになるでしょうか。私は3点で、歴史に刻まれる年になると思います。
 第1点は、コロナ蔓延の年として。
 第2点は、「アベ改憲願望政権」崩壊の年として。
 そして第3点が、スガ政権による学術会議人事介入事件の年として。

新型コロナの蔓延とその対策のありかたは、この社会と政治構造の脆弱さと矛盾をあぶり出しました。とりわけ、この社会の経済的な格差や貧困を明るみに出し、危機に弱い政権の実態を明るみに出しました。もしかしたら、コロナ禍が大きな社会的変化への転換点になるかも知れません。

アベ前首相は、保守改憲勢力のエースとしての存在でした。しかし、改憲勢力の与望を担って登場したアベ政権は、結局のところ、政治を私物化し国政を私物化した、みっともない政権として終わりました。日本国民は、アベ改憲とたたかって憲法を守ったことによって、日本国憲法をさらに血肉化する体験を重ねたのです。

そして、今進行中なのが、スガ新政権による学術会議人事介入事件です。日本学術会議とは、自然科学・人文科学・社会科学などの学術の振興を図るだけでなく、これを国策に活かそうという特別の国家機関です。学術会議法は、「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」と定めています。

言うまでもなく、学問や科学は、多数決原理に馴染むものではありません。政権から独立し、政権に耳を痛いことを提言できてこそ存在意義があります。政権の意向を忖度した発言しかしない学術会議などなんの役にも立たないもの。政府は、自分に耳の痛いことを言ってもらうために、このような機関をつくったのです。政府が金を出しているのだから、政府に不都合なことを言う組織の存在は許さない、などという理屈は、ものの道理を弁えないにもほどがあると言わねばなりません。

これは大きな事件です。スガ新政権の日本学術会議に対する強権的な人事介入は、学問の自由の侵害であり、学術会議の独立の破壊です。さらにその先にあるものは、軍事研究に反対し、軍産学複合体制の確立に抵抗してきた学術会議への権力的介入なのです。学問の自由侵害の問題というに留まらず、民主主義や平和主義の仕組みを崩してしまうことにもなりかねません。

1933年には京大・滝川事件が起こり、35年東大・天皇機関説事件で大学の自治は奪われました。こうして、国民精神の総動員体制はほぼ完成し、国家総動員法の成立、大政翼賛体制の確立を経て、太平洋戦争突入となります。

今、右翼が学術会議の独立性を攻撃しています。国家から運営の資金を得ている以上、学術会議の独立はあり得ないという理屈。万が一にも、これを許せば、同じ理屈で国立大学の自治が攻撃されます。私学も、補助金による助成を受けていれば、同様になります。大学だけでなく、中等教育機関の教育にも国家が介入できることになります。これは危険な瀬戸際と言わざるを得ません。

しかし、今はピンチであるだけではなく、チャンスかも知れません。多くの学術団体、市民団体が、スガ政権の学術会議の人事介入に抗議の声を上げています。

3年前の秋を思い出します。当時得意の絶頂にあった、希望の党の代表・小池百合子は、民進党からの議員の受け入れについて、改憲問題や安保で意見の合わない入党希望者は「排除します」と明言しました。希望の党は、小池百合子のこの一言で、完全にポシャってしまいました。

今、その事態とよく似ています。「不都合な6人は排除します」「政権批判者は任命しません」と言った、スガ首相を、国民の側で完全にポシャらせてしまおうではありませんか。

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 「本郷・湯島九条の会」石井 彰

秋風が心地よく流れる本郷三丁目・かねやす前の昼街宣になりました。
きょうは10人の参加者で賑やかな雰囲気で活動し、プラスターを持つひと、マイクで九条改憲反対を訴える人、元気よく昼のひとときを活動しました。

プラスター:「ケイタイ料金ちょっぴり下げて、公費はバッサリ」「たっぷりと歳費もらって叫ぶ自助」「苦労人冷たい人もいるんだな」「杉田副長官ってだあれ。アベ官僚がそのままスガ官僚、6人任命拒否」「敵基地攻撃よりコロナワクチン治療薬」「イージス・アショアの失敗、虫の良すぎる敵基地攻撃準備、憲法9条違反」

マイクでは:日本学術会議推薦の105人のうち99人任命し6人を任命拒否したことを告発しました。後に菅義偉首相は「推薦者名簿を見ていなかった」と発言。こんな首相はこれまでいなかった。日本学術会議法施行以来71年の間、推薦者を任命拒否したことはなかったこと、法解釈変更権は内閣にはないこと、戦前の滝川事件、天皇機関説事件によって学者が大学を追放され、学者が戦争に協力させられた、その反省にたって日本学術会議ができたこと、などを訴えました。近く予想される総選挙で、立憲野党連合政権をつくるためには多くの方々が国会議員を後押しし、投票所に足を運ぶことが決定的に大事だ、と訴えました。
さらに「敵基地攻撃能力保有論」に訴えは続きます。米中、北朝鮮をはじめ世界情勢が緊迫してきた今日、核兵器あるいは武力などによってこの情勢は解決できない、とりわけ中国の戦力は格段と上がっており、わたしたちが認識しているようなあまいものではないこと、太平洋戦争で日米開戦の失敗を未だに総括していないこと、日本は多くの国々と国交を結んでおり、王国のサウジアラビアとも国交を結んでいる、国際情勢をしっかり見極めながら、国際関係の中で平和なアジア、世界を創造するうえで憲法9条を持つ日本の果たす役割は大きい、と訴えました。

参加なさっていただいた各位にその奮闘を讃えたいと思います。今度の菅義偉政権はアベ政権を上回るファッショ的な危険性が浮かび上がってきました。長きに渡ってかねやす前で街宣をおこなってきましたが、手を緩めるわけにはいきません。これからいっそう魂を込めて活動を展開したいと思います。わたしたの子や孫、曾孫のためにも。そしてアジア・世界平和のためにも。

河野太郎よ、悪代官スガの腰巾着となって歴史に悪名を残そうというのか。

(2020年10月12日)

今、我々の眼前で進行しているスガ政権の日本学術会議人事への介入事件。もっと正確に言えば、スガ政権の学術会議人事介入を切っ掛けに生じた、民主主義の枠組みを擁護しようという勢力と破壊しようという勢力との壮大なせめぎ合い。これからの状況進展如何にかかわらず、歴史に刻まれることになる。

昨日(10月11日)の報道では、理工系93学会が共同で、「政権の任命拒否を憂慮する」緊急声明を発表したという。

 声明は日本地球惑星科学連合、日本数学会、日本物理学会のほか、生物科学学会連合と自然史学会連合の傘下学会が共同で出した。政府が理由を示さずに会員候補の任命を拒否した事態を憂慮し、対話による早期解決を求めた。
 任命を拒否された6人は人文・社会科学系の学者だが、日本地球惑星科学連合の田近英一会長(東京大教授)は記者会見で、「理系でも起こり得る話。学術に基づいた自由な言動が制限されることは学問の自由の制限につながる」と述べた。
 日本物理学会の永江知文会長(京都大教授)は、拒否の理由が説明されない点を問題視し、「忖度しないとならない世界は、科学者から見れば変な世の中だ」と批判した。

私の所属している日本民主法律家協会も声明を出した。一昨日地元文京区で行われた、「今なぜ敵基地攻撃なのか」緊急学習会(講師・澤藤大河)でも、参加者一同の名で抗議の声明を採択し、官邸に送ることとした。今後、続々と、抗議声明が積み重ねられることになるだろう。問題の大きさにふさわしい、大きな運動が盛り上がりつつある。

https://jdla.jp/shiryou/seimei/201009_seimei.pdf

アベ・スガの両名が、学問の自由破壊のみならず、民主主義の基本枠組みの破壊をたくらんだ頭目として歴史に悪名を残すことになろう。このときに、喜々として政権の走狗の役割を買って出ようというのが、情けなや河野太郎だ。スガは、文字どおり狷介な悪代官、河野太郎よ、その悪代官スガの腰巾着となって歴史に悪名を残そうというのか。キミは、そんな情けない人物だったのか。

河野太郎よ、キミは、「行政改革担当相として、日本学術会議を行革の対象として検証する」と言った。「(自民)党の方から行政改革の観点からも見てほしい、という要請があった」「私のところで年度末に向け予算あるいは機構、定員については聖域なく、例外なく見ることにしているので、その中でしっかり見ていきたい」とも述べたという。これは、メディアの言うとおり、「政府のまさかの逆ギレ検証」「任命拒否問題を学術会議の機構・定員問題にすり替え」ではないか。自民党内からも「このタイミングで検証するのは目くらましだ」と疑問の声が上がっている。その先頭に立たされているのがキミなのだ。

河野太郎よ。行革の対象を「聖域なくしっかり見ていきたい」と語るのなら、真っ当な優先順位というものがあろう。まず何よりも、不要不急な武器の爆買いを強いられている防衛費支出のメカニズムにメスを入れよ。アメリカの言い値のとおりに、一機100億円を超すF-35A、さらに高価なF-35Bを購入せざるを得ないというこの事態を何とかしたらどうだ。思いやり予算の計上も同罪だ。政党助成金も、皇室費も、官房機密費も、大いに見直すがよかろう。

踏み込むべきところには踏み込まず、切り込むべきところに切り込まず、日本学術会議の名を特に上げて行革の対象とし、「年度末に向けて予算、機構、定員について聖域なく見るので、しっかり見ていきたい」と述べている。明らかに、政権に楯突くと予算で締め上げるぞ、という悪辣ぶり。

しかしだ、河野太郎よ。考え時ではないか。スガが沈むとき一緒に沈もうというのは愚かなことだ。姑息にスガの腰巾着になるよりは、民主主義の大道を歩むべきだと思うのだが。

「思想・良心の自由」のためにたたかう人の存在意義

(2020年10月11日)

昨日(10月10日)の毎日新聞夕刊社会面左肩の記事で、「栃木税政連訴訟」が、先月末に有意義な控訴審和解に至ったことを初めて知った。毎日記事はかなりの長文で、訴訟と和解の意義を踏まえたものになっている。その書き出しは下記のとおり。

 「税理士会への加入に伴って政治団体『栃木県税理士政治連盟』の会員とされたのは、憲法が保障する思想・信条の自由の侵害にあたるとして、宇都宮市の税理士、秋元照夫氏(66)=関東信越税理士会栃木県連所属=が損害賠償などを求めた訴訟の控訴審は、東京高裁(村田渉裁判長)で和解が成立した。和解条項には栃木税政連が会員に関する規約の改正も含め協議することも盛り込まれており、他の税政連の動向にも影響する可能性がある。」

 税理士資格をもっているだけでは税理士業務はできない。税理士会に加入してその監督を受けなければならない。だから、税理士の秋元さんは、関東信越税理士会(宇都宮支部)に加入した。ところが、その強制加入の税理士会に加入したら、自分の意に反して自動的に政治団体「栃木県税理士政治連盟(栃税政)」に加入させられた。その会費の負担もある。自分の政治信条とは異なる政治活動に加担させられることにもなる。これは到底納得できることではない。

栃税政の規約は、「関東信越税理士会栃木県連(宇都宮支部を含む8支部の連合体)に所属する会員をもって組織する」と定めているという。自ら入会手続をして会員になるのではない。税理士が、自動的に政治団体に加入させられる仕組み。明らかに、税政連は「自動加入」をテコに組織強化を図ってきた。おそらくは、提訴前に交渉が重ねられたのだろうが、この規約が障碍となって結局は訴訟となった。通称、「(栃木)税政連訴訟」。「(栃木)政治団体強制入会訴訟と表示しているメディアもある。原告が秋元さん、被告が政治団体「栃木県税理士政治連盟」、係属裁判所は宇都宮地裁である。

この件に私は関わっていない。報道によるだけだが、「税政連訴訟」の提訴時の請求は、次の3点であった。
(1) 原告が被告の会員でないことの確認請求
(2) 会費の支払い義務がないことの確認請求
(3) 政党支部への寄付を行う栃税政の会員として扱われて、思想・信条の自由を違法に害されたことに対する慰謝料など110万円の損害賠償請求

これに対して、被告は(1)(2)については、一審の審理の過程で認諾(請求を認めてその部分の訴訟を終了させること)したという。この点だけでも、秋元さんの勝利と言ってよい。残る損害賠償請求についての判決が本年(2020年)2月5日、宇都宮地裁で言い渡された。伊良原恵吾裁判長の判決は、秋元さんの請求を棄却した。

棄却判決ではあるが、判示の内容は、「原告は(税政連に)入会の意思を明らかにしたことはなく、法的には会員でない。にもかかわらず被告は事実上会員として扱った。」「税理士登録をした1983年から会費振込用紙の送付が止まった2014年まで事実上、会員として扱われたことについて『思想・良心の自由を害すると言えないわけではない』」としつつも、強制や不利益を伴うとまでは言えない」「強制や不利益の付与を伴うものでない限り、他者の行為を許容すべき」と、よくわからないものだった。

秋元さんは判決後に記者会見を開いて「大筋では勝った。ただ、この判決では政治団体が会員でない人を会員とみなしてもいいとなってしまうのは納得がいかない」とし、東京高裁に控訴。そしてこのほど、高裁の和解提案を受け、9月29日付で双方が和解に合意したという。秋元さんが、栃木税政連会員ではないと確認し、栃木税政連が「県連に所属する会員をもって組織する」との規約について改正を含め協議することも和解条項に盛り込まれ、秋元さんは「規約が改正されるなら第一歩だ」と話しているという。

人が人であるために、自分が自分であるためには、「思想・良心の自由」の保障が絶対に必要である。まことに、人はパンのみにて生くる存在ではないのだ。

しかし、この「思想・良心の自由」は、自然に実現するものではない。常に、「思想・良心の自由」を阻むものとの闘いによって、勝ち取り続けねばならない。それが、歴史の教えるところである。「思想・良心の自由」を阻むものの筆頭は、言うまでもなく、国家である。

戦前の天皇制国家は、「臣民」に対して、操り人形に過ぎない天皇を神聖なものと信じ込ませようとした。壮大なマインドコントロールである。驚くべきことに、この荒唐無稽な企ては、半ば成功した。理性をもった少数の人々は、天皇の神聖性をバカげたものとして苛酷な弾圧を受けたが、多くの人々が神なる天皇のしろしめすこの神国に命を捧げてもよいとまで、思うようになった。つまり、国民の思想・良心の自由は蹂躙されて精神の内奥まで支配された。いまだに、天皇や皇室の存在をありがたいもの、神聖なものとする残滓が拭えない。

「思想・良心の自由」を阻むものは、ひとり国家だけではない。相対的な社会的強者は弱者の思想・良心の自由を侵害する。企業・諸団体・政党・労組・学校・地域・町内会等々の「中間組織」は、往々にして成員の思想・良心の自由を侵害する。栃木税政連事件はその典型ではあるが決して稀有な事例ではない。

誰かが常に問題を提起し、果敢にたたかうことによってのみ、この社会における「個人の尊厳」も「思想・良心の自由」も、社会に確固たるものとして根付き、拡大していくことになる。

そのような問題提起をし果敢にたたかって、立派に志を貫かれた秋元照夫さんに、敬意を表したい。

支離滅裂スガ発言の中での、大きなオウンゴール。

(2020年10月10日)
本日各紙の報道によれば、スガ首相は昨日(10月9日)午後、新聞各社の2度目のインタビューに応じ、日本学術会議の人事介入問題に触れて幾つかの重大な発言をした。

最も注目さるべきは、スガが「官邸が6人を除外する前の、学術会議が推薦した105名の推薦者名簿は『見ていない』」と述べたということ。スガが名簿を確認した段階で、すでに6人は除外されていたとした。「最終的に決裁を行ったのは9月28日。会員候補のリストを拝見したのはその直前」としたうえで、「現在の会員となった(99人の)方が、そのままリストになっていたと思う」と説明した。

この記事には我が目を疑った。このことだけで事件である。日本学術会議法が、「学術会議の推薦に基づいて」新会員の任命をすべきと義務付けされている首相が、学術会議の推薦名簿を見ていないと明言したのだ。スガ義偉、正気か。これは、明らかに任命行為の違法を認めるオウンゴール発言である。

幾つかの理解が可能である。おそらくは1枚の名簿に記載された、学術会議による105名の新会員推薦行為を不可分一体の1件の行為と見れば、スガ首相がその名簿に目を通すことなく、99名を任命した手続は明らかに違法で法的瑕疵がある。つまり、任命行為に当たって、スガは何者かによってすり替えられたニセの名簿にもとづいての任命手続を行ったに過ぎないもので、学術会議による真正な新会員推薦に基づく任命を行ってはいないということのだ。

学術会議は105名の新会員推薦名簿を作成して、これを内閣府に提出している。内閣府は、学術会議から受領した105名の推薦名簿を、そのまま官邸にまわしたと言っている。すると、名簿は官邸が受領して首相の目に入るまでの間に、何者かがすり替えたことになる。この官邸官僚の責任は重大である。もちろん、スガの監督責任も免れない。

適法な手続が未了なのだから、改めての任命手続が必要となる。但し、両名簿に重複掲載されている99名については、手続き的瑕疵が治癒されるとして取り扱うことは可能であろう。

また、学術会議による105名の新会員推薦行為を、各人毎に各別の105個の行為とみれば、99人については、適法な任命行為がなされたことになる。しかし、残る6人については学術会議の推薦が首相に到達していないのだから、任命行為が不存在というほかはない。首相は、改めてこの6人についての任命をしなければならない。もちろん、憲法と日本学術会議法に則っての任命でなければならず、スガ自身がこのインタビューで、推薦者の思想信条が任命の是非に影響することは「ありません」と否定しているところなのだから、6人の全員任命以外に採るべき途はあり得ない。

以上の発言を含め、スガの言うことは、支離滅裂で牽強付会というほかはない。今後の学術会議のあり方の見直しに向けた政府内での検討についてはこう語っている。「学術会議が良い方向に進むなら歓迎したい。私が指示することは考えていないが、行政改革の中で取り上げるということではないか」

スガの言う「よい方向」とは何か。言うまでもなく「『学問の自由』とか、専門家集団の『独立』などと生意気なことを言わせず」、「政権の意に染まない学者を、政権の意をもって排除することを可能とする」方向のことだ。各メデイアから、自らの違法を棚上げにしての「論点ずらし」と強い批判を受けている。

しかもスガは、6人を除外した理由について問われると、またまた「総合的・俯瞰的な活動、すなわち広い視野に立ってバランスのとれた行動をすること、国民に理解される存在であるべきことを念頭に全員を判断している」「一連の流れの中で判断した」などと、わけのわからぬことを述べてはぐらかし続けている。

さらに、首相の任命を「形式的にすぎない」とした1983年の政府答弁から「解釈変更を行っているものではない」と繰り返してもいる。

改めて思う。日本国民は、アベを脱してスガのトンデモ政権と対峙しているのだ。この支離滅裂な強権体質の政権と、本気になって対決しなければならない。

スガ新政権、どう考えてもおかしくて危険だよ。

(2020年10月9日)
 不思議でならない。スガ新内閣の支持率が70%にもなっている。10月5日発表のJNN調査の結果が、支持70.7%で、不支持はたった24.2%だという。いったいこの国の国民はどうなってしまったんだ。

 別に驚くには当たらないだろう。みんな安倍さんの政治には飽きていたんだよ。新たなキャラクター登場で、その新味への期待感が支持率アップとなったと思う。それに、ケイタイ電話料金値下げ、既得権益を許さない行政改革断行なんて、悪くないんじゃじゃないか。

 でもね。スガは、アベ政権の継承を謳って総裁選に勝っている。これまではアベの皮を被ってきたスガが、アベの皮を脱ぎ捨て正体を現したのがスガ政権だろう。スガ自身にも、閣僚の人選にも、政策にも、新味なんてなにもない。ケイタイ料金値下げなんて、やる気さえあれば、今までだってできたことではないか。

 とは言っても、トップとナンバー2とでは、やっぱり大きく違うんじゃないか。スガさんは2世の坊ちゃんじゃない、雪深い秋田の出で、これまで苦労してきた人だというし、国民の利益になる身近なことをやってくれるというんだから、国民の期待は高いよ。

 JNNの世論調査では、学術会議の6名に対する任命拒否についても、質問している。「あなたは、政府の対応について妥当だと思いますか? 妥当ではないと思いますか?」という問に、「妥当だ」との回答は24%に過ぎない。妥当ではないは51%だ。にもかかわらず、内閣支持率70%とはどういうことだろう。

 簡単なことさ。学問の自由の侵害なんて、学者や大学の問題だろう。多くの人にとっては、自分に関わることではないんだ。学問の自由よりは、ケイタイ料金引き下げの方が、遙かに重大事なんだよ。

 ケイタイ料金値下げ程度のエサに釣られて、スガの強権政治を見過ごしていると、社会全体の自由がなくなってしまう。そんなことでよいはずはないだろう。

 そんなことになるだろうか。確かに、安倍さんには「9条改憲」の危険な匂いがつきまとっていた。それに、モリ・カケ・桜と、政治の私物化というイメージも強かった。しかし、スガさんには、そんな強烈なものは感じられない。ケイタイ料金値下げをやってくれるのなら、ありがたいじゃないか。

 アベ内閣の官房長官だったスガはアベと同罪だろう。それに、スガ官房長官がこれまで記者会見で語ってきたことを思い出してみろよ。「そういう見方は当たらない」、「担当部局は適切に処理していると聞いている」、という一方的な説明拒否、説明打ち切りの連発。こんな人物を信用してはいけない。

 そう言われればそうかも知れない。でも、日本には憲法もある、選挙もある、報道の自由もある。そんなに簡単に、自由のない社会になるという実感が湧かない。

 第2次アベ政権ができて以来、特定秘密保護法の強行採決、武器輸出三原則の廃棄、安保関連法による集団的自衛権容認、共謀罪法の強行、黒川検事長の定年延長等々、実質的に憲法が壊され、自由が蹂躙されてきた。これを実務面で支えてきたのがスガではないか。NHKをはじめとするメディアを統制して、選挙をも支配してきたのだ。

 確かに、安倍政権の末期には支持率が下がって行き詰まったよ。しかし、菅さんだって、バカじゃないだろうから、簡単に支持率が下がるようなことはしないように思うがね。

 日本学術会議が推薦した新会員候補者6名の任命拒否問題。これは、大きな問題だ。政権が、臆面もなく、自分の気に入らない人物や思想を選別して排除すると宣言したのだ。それでも支持率は下がるまいと、国民を侮っての仕業だ。この国の、学問の自由侵害というだけではなく、自由や人権、民主主義という基本的な枠組みを逸脱した行為といってよい。こんな政権をのさばらせてはいけない。

 「ケイタイ料金くらいでダマされるな」「政権に侮られるな」ということくらいはわかったが、菅内閣がそんなに危険なものだということにまだ納得できない。もう少し、新政権のやり方を見たいと思う。

 くれぐれも、手遅れと後悔するようなことのないようにね。

スガ政権による学問の自由侵害の、その先にあるもの

(2020年10月8日)

スガ新政権の日本学術会議への強権的な人事介入。この報に接して以来、首筋に薄ら寒さが消えない。秋風のせいばかりではない。あの、戦前のイヤーな歴史の記憶が、甦るからだ。

思い出されるのは、1933年の京都帝大・「滝川幸辰」事件、35年の東京帝大・美濃部達吉に対する「天皇機関説」事件である。政府の強権と右翼の暴力とが学問の独立や自由を蹂躙した後に、全体主義の国家と社会が完成した。そして、38年の国家総動員法から40年大政翼賛体制確立を経て、41年の太平洋戦争開戦へとつながっていく。

苛酷な戦争の惨禍を体験した戦後日本は、以下の「日本学術会議法」前文のとおりに科学を位置づけて学術会議を設立した。

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。

科学の使命は、「わが国の平和的復興と人類社会の福祉への貢献」だというのである。日本学術会議の主要な役割は、平和憲法と軌を一にして、再び科学が戦争の惨禍をもたらすことのないようにすることであった。今、国の産学官一体となっての防衛産業興隆策に、学術会議は科学者の良心を結集してよく抵抗してきた。

下記の「軍学共同反対連絡会」(共同代表、池内了・香山リカ・野田隆三郎)による「菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に抗議し、撤回を求める」声明の、下記抜粋に全面的に賛意を表する。

http://no-military-research.jp/

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2020年10月5日

菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に抗議し、撤回を求める

軍学共同反対連絡会
共同代表 池内 了 (名古屋大学名誉教授)
同    香山 リカ  (立教大学教授)
同    野田隆三郎(岡山大学名誉教授)

 私たち軍学共同反対連絡会は、戦前の日本の科学者たちが軍国主義政府に追随して侵略戦争に加担した歴史を反省して、科学者が軍事研究に手を染めることに反対する活動を続けてきた。その際に、日本学術会議が発した「軍事研究には絶対に従わない」との二度の決議と、それを継承する2017年の声明が大いなる導きとなってきた。今回の(菅首相による会員候補)任命拒否には、日本学術会議声明が大学における軍事研究を抑制している現状を変えようとする狙いも込められていると報じられており、その点でも私たちは断じて許すことはできない。

 日本学術会議は、単に日本の学術を代表する機関であるにとどまらず、科学者に対して自らの学問的良心と科学者としての倫理を想起させるとともに、広く学問の在り方を点検するための重要な機関である。私たちは、日本学術会議が任命拒否に怯むことなく、また学問の論理を追求することを怠らず、これまで通り学術の独立性を保つ姿勢を毅然として持ち続けることを強く期待している。

スガ新政権の日本学術会議に対する強権的な人事介入は、学術会議の独立の破壊であり、学問の自由の侵害である。さらにその先にあるものは、軍事研究に反対し、軍産学複合体制の確立に抵抗する学術会議への権力的掣肘なのだ。そのことが、首筋の薄ら寒さが消えない理由である。

学術会議会員任命拒否 ー スガ政権の『真の意図』と『表向きの理由』と。

(2020年10月7日)
政権は、思うとおりにならない科学者・研究者が目障りでならないのだ。世論を二分する重大な政治問題で、有力な学者たちが、反政府側の世論の先頭に立つ。理性や良識をもつ国民に影響力をもつこの人たちを何とか統制したい。その思惑での、菅政権による学術会議会員候補者の任命拒否である。反政府的言動を理由とする学術会議からの排斥であることが明らかと言ってよい。

真の意図を隠して、この度の6人の任命拒否を正当化する理由は、二つに絞られている。一つは、《学術会議が内閣の所轄とされている以上、内閣総理大臣の任命権がまったくの形式に過ぎないと解することはできない》という論法。そしてもう一つは、《国家が国費を投じている以上、学術会議の完全な独立はあり得ない》というもの。いずれも、ほとんど説得力をもたない。

権力というものは、なんでも意のままにやりたいという危険な衝動をもっている。この衝動が暴走に至らぬよう幾重もの歯止めの装置が必要なのだ。そもそも法の支配や立憲主義が、そのためのものである。権力の分立による相互の牽制も、人権という法技術も、野党の存在も、教育やメディアに権力の介入を禁じる原則も、権力の暴走への歯止めとなっている。

日本学術会議とは、その政策に学術を活用するために設けられた国家の一機関ではあるが、自ずから「独立性」を第一義とするものである。学術というものが、時の政権の思惑から当然に独立している存在であって、忖度のない立論や提言がなければ、そもそも存在価値はない。また、国家は、学者集団の叡智が発する時の政権への苦言に耳を傾けることによって、暴走の誤りを避けることが可能となる。学術会議とは、宿命的に政権に耳の痛い発言をする組織なのだ。

そのような機関の新会員任命権を内閣総理大臣が実質的に握っているというのは、憲法や日本学術会議法の解釈として明らかに妥当でない。学術会議の推薦のとおりに、内閣総理大臣が形式的な任命手続をすべきと解するのが正しい解釈というべきである。仮に、内閣総理大臣の任命権をまったくの形式とは解せないとしても、学術会議の推薦が常識を逸したものであった場合に限定されざるを得ない。そのような例外的な任命拒否について、総理側に厳格な説明責任が課せられるべきは当然である。

果たして、《学術会議が内閣の所轄とされている以上、内閣総理大臣の任命権がまったくの形式に過ぎないと解することはできない》と言えるだろうか。法は、明らかに、学術会議の独立性を認めて、時の政府におもねることのない活動や提言を期待しているのである。政府に批判の言動あった者を任命拒否するなど、あってはならないのだ。

また、《国家が国費を投じている以上、学術会議の完全な独立はあり得ない》などと言ってよいものだろうか。その性質上、国家は国費を投じても、これに介入すべきではない部門はいくつもある。教育・研究機関はその典型である。この論理を認めると、国費が投じられている国立大学・国立研究機関(独立行政法人も)は、時の政権からの介入を受けない「大学の自治」「学の独立」が根底から崩れてしまう。理は政権側にはない。

10月2日、学術会議は、菅首相に対し、
?任命されない理由を説明していただきたい、
?任命されていない方について速やかに任命していただきたい、
の2点を要望する「要望書」を提出した。

この学術会議の要望を支持する国民の意思を積み重ねていく運動の展開が必要となっている。スガ強権政治を許してはならない。

「総合的、俯瞰的活動を確保する観点」って、わかるかな? わからないだろうな。言ってる自分もわからないんだ。

(2020年10月6日)

学術会議の新会員任命拒否問題というやつ。思いがけなく大きな問題になって、まずかったかなって頭抱えてるんだが、弱気なところを見せるわけにもいかないだろう。マスコミから会見やれってうるさい。逃げてばかりというのもみっともないから、昨日(10月5日)は、3紙だけ「内閣記者会の共通インタビュー」というのをやってみた。ペーパー読みながらのしゃべりだから楽なものだったが、評判はよくない。確実に支持率は下がることになる。憂鬱でならない。

 ― 日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を拒否した理由は? 政府は1983年、学術会議の推薦を受けて形式的に任命するとの立場を示したが、法解釈を変更したのか。

 えらくストレートな質問だが、私は「ご飯論法」の継承者として、決してまともに答えるようなまぬけたことはしない。そんな答弁では、ほんとのことがバレバレになるじゃないか。「拒否した理由」も、「法解釈を変更したか否か」も、決して答えない。聞かれていることには答えず、聞かれていないことにだけ答える。これが安倍継承の菅流。

 「法に基づいて、内閣法制局にも確認の上、学術会議の推薦者の中から首相として任命している。個別の人事に関するコメントは差し控えたい」

 質問は、「本当に法に基づいての任命拒否行為なのかを知りたい。そのため、まずは拒否理由を明確にしていただきたい」と問い質しているのだが、「法に基づいての任命行為」と、結論だけを強引に言っちゃう。で、「内閣法制局にも確認の上」と権威付けたのだが、アベ政権以来、「首相に忖度の内閣法制局」と権威失墜だからあまり意味はないか。そして、「学術会議の推薦者の中から任命を拒否した者」について聞かれているのだが、「学術会議の推薦者の中から首相として任命している」とはぐらかす。最後は、「個別の人事に関するコメントは差し控えたい」と、断固として答弁を拒否。どうせ食い下がる記者なんかいない。もし、そんな記者がいたら、情報をやらなくすればよい。しかも時間を限ってのものだ。この程度の答弁で十分だろう。

もう少し、聞かれていない余計なことを付け加えておいた。こうしておけば、政権に近い学者や、会食を重ねている報道関係者が、忖度の記事を書いてくれるだろう。

 「学術会議は政府の機関で、年間約10億円の予算を使って活動し、任命される会員は公務員の立場になる。現在の会員が自分の後任を指名することも可能。推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた。会議は、省庁再編の際に必要性を含めて相当議論が行われ、総合的、俯瞰的な活動を求めることになった。総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」

 締めの言葉が、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」と言うんだ。きっと、この原稿起案した官僚もなに言ってるのかわからんだろうな。読んでる私も、さっぱりわからない。聞かされている記者も国民も、わかるはずはないんだが、それでもいいのさ。後になれば、「これまで、丁寧にご説明してまいりましたとおり」という材料になるんだね、これが。

 「過去の国会答弁は承知しているが、それぞれの時代の制度の中で、法律に基づいて任命を行っている」

 「法解釈を変更したのか」という問に対する回答個所だが、これも分からない。上手に分からぬよう書くものだと、起案者を褒めるしかないね。

 ― 学問の自由を侵害するとの指摘をどう考えるか。6人が(安全保障関連法など)政府提出法案に反対の立場だったこととの関係は。

 これも、あまりにストレートな質問。「学問の自由を侵害するとの指摘はごもっとも」なんて答えるわけにはいかないだろう。「政権が学問の自由を侵害しているのでないかとの疑義は払拭しなければならない」とも言えない。結局は、「学問の自由とは全く関係ない。」と言わざるを得ないじゃないか。聞いた人が信じるはずもないにせよだ。

そして、みんな知っているとおり、政権は、自分に対する批判者を排除したいのだよ。当たり前じゃないか。法的にできるかどうかではなく、力関係を量っての排除できるかどうかの判断なんだ。国民の反感を買って支持率が大きく下がり、次の選挙に響くと思えば、無理はできない。しかし、大きく選挙に響かないのなら、強引にやるだけなのさ。

質問者だけでなく、国民ももうよくわかっている。安倍政権の憲法改正の方針や、反憲法的な強引な政策に、科学者や研究者と言われる人たちの多くが、先頭に立って異議を唱えてきた。その影響力は無視できない。だから、反政府的な発言をする学者に対しては、「黙っておれ」というメッセージを送らなければならない。6人は、そのような影響力を持った学者として、「黙っておれ」というメッセージとして、任命を拒否されたのだ。そんなこと、常識的にわかることさ。この6人が、学術会議の会員になれなかったから、政府批判を遠慮するようにはならないだろう。しかし、その周囲に対する萎縮効果は十分に期待できるはずだ。世の中、「長いものには巻かれろ」と考える人々が多いのさ。

もちろん、そんなホンネを口にできるはずはない。しかし、まったく否定してしまっては、十分な萎縮効果を期待できなくなる。そこで、こんな風に、否定しつつも、匂わすわけだ。「6人についていろんなことがあったが、そういうことは一切関係ない。総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断した。これに尽きる」 

「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断」って、なかなかのものじゃなかろうか。以後、私のことを、「総合おじさん」とか、「俯瞰おじさん」と呼んでくれたまえ。

スガ政権の学術会議人事介入問題、論点をすり替えてはならない。

(2020年10月5日)

スガ政権は、日本学術会議が推薦した新会員候補6名の採用を拒否した。これは、一大事件である。個々の被推薦者にしてみれば、「研究内容による思想差別」であり「政府批判発言による差別」であるが、大局を見れば「学術会議の独立性の侵害」であり、とりもなおさず「学問の自由の侵害」にほかならない。その本質は「権力による科学や研究の統制」なのだ。こういう権力の動きには敏感に反応し反撃しないと、少しずつ「自由の陣地」が狭められて、気が付いたときには取り返しのつかないことになる。いつか来た道のように、である。

こういうときには、必ず親体制派・親政権派のデマゴーグが頭をもたげる。「過剰反応だ」「騒ぐほどのことはない」と言い、さらに必死になって「論点すりかえ」を試みる。

1970年のあのときを思い出す。札幌地裁の平賀健太所長が、憲法9条の解釈に関わる長沼ナイキ基地訴訟を担当していた福島重雄裁判長に、執拗に判決を誘導する「助言」を行った。いわゆる「平賀書簡問題」である。平賀の所為は、明らかに「裁判(官)の独立」への侵害である。札幌地裁の裁判官会議は平賀所長を厳重注意とした。

ところが、その直後に、鹿児島地裁所長の飯守重任が「非は平賀にではなく、反体制的組織である青法協に加入している福島裁判官にある」との発言が大きな転換点となった。これを機に「裁判(官)の独立侵害」問題が、「裁判官の政治的中立性」や「青法協の政治性の有無」へと問題がすり替えられた。

同様に、23期司法修習生7名の裁判官任官志望者に対する任官拒否も、「差別」「統制」「裁判官人事を手段とする「司法の独立の侵害」という本質を、裁判官の資質としての「公正らしさ論」に問題がすり替えられ、世論への一定の影響を与えた。

学術会議に対する人事介入問題については、メディアは問題を「批判を嫌う政権が、批判の発言をした研究者を排除した」「尊重すべき学術会議の独立性を、政権が侵害した」と捉えている。この「学問の自由」侵害という本質の論点をすり替えてはならない。

すり替え論の典型例が、「学術会議こそ新規会員推薦基準を明確化せよ」「そもそも政府内の機関が独立性を保てるのか」「政府から予算をもらって政府批判を繰り返しているのが学術会議ではないか」という類い。このような「論点ずらし」に引っかけられて、本質の論点を見失うようなことがあってはならない。

なお有益な資料一点(抜粋・一部分かり易く表現を変えている)をご紹介する。日本天文学会が発行する月刊誌「天文月報」2019年7月号に、「日本学術会議と日本の天文学」という記事があり、下記アドレスで読める。筆者は、著名な天文学者だった故海部宣男さん。

http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/2019_112_07/112-7_494.pdf

「…よく知られていないこともあるようなので,日本学術会議の変遷を直接経験した世代として,「歴史的解説」をしてみる.」との前書きがあって、その一節に下記の記事がある。

運営費を国から貰う事と意見する事について

 日本学術会議は,法律で「政府から独立して」提言や勧告等をすることができると定められている.これは第二次世界大戦前の大学や学問への政治介入への反省から来ていて,世界的にも先進諸国ではそのように社会的な了解が得られている.実際,かつての原子力発電の日本導入時に米英からの直接輸入を唱えた政権に対して,湯川秀樹氏・朝永振一郎氏たちが日本での基礎・開発研究を重視し,まず日本で実証炉段階くらいまでやるべきと主張した.時の政権はこれを無視し,結果として日本の原子力利用研究が極めて脆弱なものになってしまった.福島原発事故とその対応,数々の原子力政策のお粗末さなどで,それが露呈している.

 国から運営費を貰っているから政府と対峙できないということにはならない.《時の「政府」》と《国民全体が支える「国」》とは異なることをはっきりさせる必要がある.時の政府に対しては,運営費をもらっている大学であろうが研究費をもらっている研究者であろうが,批判することはもちろん,「対峙」することもあり得る.例えばトップダウンの大学改革に対しては,ほとんどの研究者が批判的なのではなかろうか.大学に改善すべき点が多々あることは認めるとして.

 学会とともに様々な課題の克服に向けて働く私自身はこの問題について,科学の自律の大切さを理解しない日本の政治の未成熟さと,科学者自身の自分の分野を守ろうとする狭さとの,両方の克服が必要と考えている.

国家から予算の配分を受けていても、国家におもねって批判すべきを躊躇してはならない。それが、研究者・研究機関としての当然のありかたであり、時の政権ではなく、国民の利益にかなうことである、ということなのだ。海部さんは、このことを「科学の自律の大切さ」と表現し、これが十分に理解されない現状を、「日本の政治の未成熟さ」と嘆いている。

今、スガ政権は「日本の政治の未成熟さ」を露わにしたどころではない。「日本の政治反動の恐怖」を露呈しているというべきであろう。

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