教育現場において、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ!」という「職務命令」が濫発されている。これに従えないとする教職員に戒告・減給・停職などの処分が繰り返されており、司法がこれに対する有効な歯止めになりえていない現実がある。
教職員の思想・良心の自由が抑圧され、公権力が教育を不当に支配する構図ができつつある。こうした教育の実態は、日本国憲法や教育基本法が想定したありかたではなく、国際的なスタンダードからも大きくはずれている。
昨年、ILO(国際労働機関)とユネスコが、日本政府に対して、《「日の丸・君が代」の強制を是正するように》、という画期的な勧告が出された。その内容は、以下の6点で、「日の丸・君が代」強制を是正するよう求めるものとなっている。
(a)愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b)消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c)懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d)現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e)障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f)上記勧告に関する諸努力についてそのつどセアートに通知すること
このILO・ユネスコ勧告が、「日の丸・君が代」強制の入学式・卒業式を「愛国的な式典」と呼んでいることが興味深い。「愛国的な式典」に関する教員の義務については、公権力が一方的に命令するのではなく、教職員組合との合意で規則を制定せよという。そして、その規則は「国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できる内容」でなければならないというのだ。これこそが、世界標準なのである。
日本政府と各地の教育委員会、とりわけ東京都教育委員会・大阪府教育委員会は、このILO・ユネスコ勧告の基本理念をしっかりと理解しなければならない。国旗国歌の強制、しかも懲戒処分までしてする「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、世界標準からみて非常識なものであることを真摯に受け止めなければならない。
教育の場から思想・良心の自由が失われ、国家の統制が横行することとなれば、やがて民主主義は死滅することになるだろう。ちょうど、「日の丸・君が代」と「ご真影」への敬意表明が当然とされた、あの暗黒の時代のごとくに。
市民運動によって、「ILO/ユネスコ勧告」の完全実施を求め、「日の丸・君が代」強制の是正を実現しようという構想の下、《「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告》実施市民会議が発足する。
下記が、間近となった「3・1発足集会」の次第(予定)
日時 2020年3月1日(日曜日)
13時40分?16時40分(開場13時20分)
会場 日比谷図書文化館(B1)
日比谷コンベンションホール
〒100-0012東京都千代田区日比谷公園1-4 03-3502-3340
資料代 500円
主催「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議
あなたも運動サポーターに!
運動への協力金を
個人 1口500円 / 団体 1口1,000円(何口でも結構です)
郵便振替口座 番号00170?0?768037
「安達洋子」又は「アダチヨウコ」(市民会議メンバーの口座を利用)
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集会プログラム
(13時20分 開場、13時40分 開会、16時40分 閉会)
主催者挨拶 金井知明弁護士
国会議員メッセージ 代読
呼びかけ人代表挨拶(岡田正則・早稲田大学教授)
第1部 シンポジウム
「 それでもまだ歌わせますか? ? 教育の中の市民的不服従 」
寺中 誠 ( 東京経済大学・国際人権法 / 司会 )
中原 道子 ( VAWW RAC共同代表 )
志田 陽子 ( 武蔵野美術大学・憲法学 )
中田 康彦 ( 一橋大学・教育学 )
第2部 発言
布施 恵輔 ( 全労連・国際局長 )
前田 朗 ( 東京造形大学・刑事人権論 )
元山 仁士郎(「辺野古」県民投票の会 元代表 )
朴金 優綺 ( 在日本朝鮮人人権協会 事務局 )
大能 清子 ( 君が代5次訴訟原告予定者 )
関 誠 ( アイム’89東京教育労働者組合 )
声明文採択
閉会挨拶 澤藤統一郎(弁護士)
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賛同団体 「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議 2020.2.20.現在 50音順
I LOVE 憲法川越の会、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)、あるこう会、アルバイト・派遣・パート非正規労働組合(神戸)、「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク、一葉社、大田子どもの教育を守る会、学校と地域をむすぶ板橋の会、川越地域ユニオン、川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会、国連に障がい児の権利を訴える会、子どもと教科書全国ネット21、山西省における日本軍性暴力の実態を明らかにし大娘たちと共に歩む会、三多摩合同労働組合、三多摩合同労働組合ケミカルプリント分会、三多摩合同労組三信自動車、三多摩合同労組中大生協、三多摩労組争議団連絡会議、自治体労働者組合・杉並、市民の意見30の会・東京、自由と人権、スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合、精神障害者権利主張センター・絆、西部地区労働者共闘会議、全金本山労働組合/東京分会、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター、戦争への道を許さない北・板橋・豊島の女たちの会、大道測量闘争支援共闘会議、台湾の日本軍性暴力被害者・阿媽たちを記憶し未来につなぐ会、高尾山の自然を守る市民の会、中国人「慰安婦」裁判を支援する会、中大生協闘争・吉田さんを支える会、中部地区労働者交流会、東京・教育の自由裁判をすすめる会、東京中部地域労働者組合、東京・中部地域労働者組合旭ダイヤ、東京・中部地域労働者組合東邦エンタープライズ分会、東京・中部地域労働者組合利久庵、東京都教職員組合八王子支部、東京都障害児学校労働組合、東京都歴史教育者協議会、東京南部労働者組合、東京ふじせ企画労働組合、特別区教職員組合、なくそう戸籍と婚外子差別・交流会、南部地区労働者交流会、日本キリスト協議会(NCC)女性委員会、貫井九条の会、練馬教育問題交流会、練馬全労協、練馬地域ユニオン、年金者組合八王子、NO NUKES PLAZA たんぽぽ舎、八王子退職教職員の会、反天皇制運動連絡会、「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会、「日の丸・君が代」強制反対・再雇用二次訴訟を語りつぐ会、「日の丸・君が代」強制反対 予防訴訟をひきつぐ会、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会、フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩(略称ロラネット)、ふじせ闘争支援共闘会議、部落解放同盟練馬支部、平和といのち・イグナチオ9条の会、平和をつくり出す宗教者ネット、北部労働者共同闘争会議、北部労働者法律センター、武蔵学園闘争勝利!支援共闘会議、明治大学消費生活協同組合労働組合、ユニオン東京合同、ユニオンらくだ、「良心・表現の自由を!」声を上げる市民の会、歴史教育者協議会、連帯労働者組合、連帯労働者組合・板橋区パート、連帯労働者組合・杉並、連帯労働者組合・大道測量連帯労働者組合・東京ビジネスサービス、連帯労働者組合・武蔵学園、連帯労働者組合・ライフエイド
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ILO/ユネスコ勧告を遵守し、
国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の中止を日本政府に求める声明(案・部分)
1985年以降、文部省(当時)は国旗掲揚・国歌斉唱徹底の通知、実施状況の全校調査と結果の公表、学習指導要領の改訂(1989年)、国旗国歌法の制定(1999年)など、様々な方法で国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制を推し進めてきた。2000年代以降になると東京都や大阪府では、国歌の起立斉唱を命ずる職務命令が出され、起立斉唱できない教員に対して過重な懲戒処分が行われているが、これも、こうした施策の延長線上にある。したがって、日本政府には、今回の是正勧告を真摯に受け止めて応答する責任がある。
これまで、日本政府は、国連機関から勧告を出されても、「勧告には法的拘束力がなく、直ちに履行責任を生じるものではない」との見解を示し、ILO/ユネスコ勧告についても同様の対応をしている。
しかし、「教員の地位に関する勧告」(1966年)は、日本政府も賛成し、ユネスコ特別政府間会議で採択された勧告である。その勧告の適用推進を目的として設置された合同委員会のILO/ユネスコ勧告を軽視する対応は矛盾している。
「教員の地位に関する勧告」(1966年)は、専門職である教員の権利と責務を明示した国際基準であり、条約に準じる性格を有する。自国の教員の権利保障が国際基準に達していないと指摘された以上、日本政府は国際基準に合致するように直ちに具体的な行動を開始しなければならない。
私たちは、日本政府に対し、ILO/ユネスコ勧告を遵守し、「国旗・国歌(日の丸・君が代)」の強制を直ちに中止することを強く求める。
今回のILO/ユネスコ勧告も指摘するように、国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制は、民主主義社会とは相容れないものである。
日本政府にILO/ユネスコ勧告の遵守を求める私たちの運動は、「国旗・国歌(日の丸・君が代)」の強制に苦しむ教職員や「日の丸・君が代」に抵抗感を持つ者だけのものではない。多様性を尊重し、人間の尊厳と権利を大切にするすべての人々と手を携えていけるものと確信している。
力を結集して日本政府に勧告の実施を求めるため、本日、私たちは「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議を発足させた。
多くの皆様がこの市民会議に参加・協力してくださることを、心からお願いする。
呼びかけ人 34人(50音順 2020.2.23 現在)
阿部 浩己(明治学院大学教授)/荒牧 重人(山梨学院大学教授)/池田 香代子(翻訳家)/石山 久男(子どもと教科書全国ネット21代表委員)/岩井 信(弁護士)/内田 雅敏(弁護士)/大森 直樹(東京学芸大学教授)/岡田 正則(早稲田大学教授)/落合 恵子(作家、クレヨンハウス主宰)/小野 雅章(日本大学教授)/児玉 勇二(弁護士)/小森 陽一(東京大学名誉教授)/佐野 通夫(大学教員)/澤藤 統一郎(弁護士)/島薗 進(上智大学教授、東京大学名誉教授)/清水 雅彦(日本体育大学教授)/白井 劍(弁護士)/鈴木 敏夫(子どもと教科書全国ネット21代表委員・事務局長)/醍醐 聡(東京大学名誉教授)/高嶋 伸欣(琉球大学名誉教授)/高橋 哲哉(東京大学大学院教授)/田中 重仁(弁護士)/角田 由紀子(弁護士)/中原 道子(VAWW RAC共同代表)/成嶋 隆(新潟大学名誉教授)/新倉 修(青山学院大学名誉教授、弁護士)/野田 正彰(精神病理学者)/朴 保(ミュージシャン)/花崎 皋平(哲学者)/堀尾 輝久(東京大学名誉教)/前田 朗(東京造形大学教授)/三宅 晶子(千葉大教授)/森川 輝紀(埼玉大学名誉教授、福山市立大学名誉教授)/安川 寿之輔(名古屋大学名誉教授)
賛同人 85人(50音順 2020.2.23 現在)
青井 未帆(学習院大学教授)/浅井 春夫(立教大学名誉教授)/阿部 泰隆(神戸大学名誉教授、弁護士)/荒井 文昭(東京都立大学教授)/有馬 保彦(市民の意見30の会 東京)/飯田 美弥子(弁護士)/石川 晃弘(中央大学名誉教授)/石坂 浩一(立教大学准教授)/石田 勇治(東京大学大学院教授)/市川 須美子(獨協大学教授)/伊藤 セツ(昭和女子大学名誉教授)/植竹 和弘(弁護士)/内海 愛子(恵泉女学園大学名誉教授)/梅田 正己(歴史研究者)/梅津 和時(サックス奏者)/浦部 法穂(神戸大学名誉教授)/大久保 正禎(日本基督教団王子教会牧師)/奥田 圭一(弁護士)/奥田 靖二(浅川金比羅神社 宮司)/加藤 晋介(弁護士)/加藤 文也(弁護士)/川口 彩子(弁護士)/川副 詔三(「地域と労働運動」編集長)/河村 健夫(弁護士)/北村 小夜(障害児を普通学校へ・全国連絡会世話人)/木下 ちがや(政治学者)/木村 真実(弁護士)/金 哲敏(弁護士)/金城 吉春(あしびなー)/窪田 之喜(弁護士)/鎗田 英三(駿河台大学名誉教授)/小寺 隆幸(原爆の図丸木美術館館理事長)/寿kotobuki(ミュージシャン)/児美川 孝一郎(法政大学教授)/小山 弘泉(東京宗教者平和の会)/斎藤 園生(弁護士)/斎藤 貴男(ジャーナリスト)/早乙女 勝元(作家)/澤地 久枝(作家)/志田 陽子(武蔵野美術大学教授)/島袋マカト陽子(東京琉球館)/白石 孝(NPO法人官製ワーキングプア研究会)/新藤 宗幸(千葉大学名誉教授)/鈴木 孝夫(東京都障害児学校労働組合執行委員)/鈴木 亜英(弁護士)/関島 保雄(弁護士、公害弁連代表委員、ストップリニア新幹線訴訟弁護団共同代表)/大道 万里子(編集者)/高田 健(総がかり行動実行委員会)/高橋 哲(埼玉大学准教授)/飛幡 祐規(文筆業、翻訳家)/立松 彰(弁護士)/田中 宏(一橋大学名誉教授)/崔 善愛(ピアニスト)/趙 博(ミュージシャン、芸人)/筑紫 建彦(憲法を生かす会)/勅使河原 彰(考古学者)/友部 正人(ミュージシャン)/豊田 勇造(ミュージシャン)/ながい よう(ミュージシャン)/ 中川 五郎(ミュージシャン)/中田 康彦(一橋大学教授)/中西 新太郎(関東学院大学教授)/中間 陽子(弁護士)/中村 雅子(桜美林大学教員)/中山 ラビ(ミュージシャン)/並木 浩一(国際基督教大学名誉教授)/並木 陽介(弁護士、憲法フェスティバル実行委員会実行委員長代行)/橋本 良仁(高尾山の自然を守る市民の会事務局長)/樋口 陽一(東北大学名誉教授、東京大学名誉教授)/平野 裕二(子どもの人権連代表委員)/藤田 昌士(元立教大学教授)/藤本 晃嗣(敬和学園大学人文学部准教授)/穂積 匡史(弁護士)/三上 昭彦(元明治大学教授)/門奈 直樹(立教大学名誉教授)/安田 浩一(ジャーナリスト)/矢野 敏広(ミュージシャン)/山田 真(小児科医)/山中 眞人(ニューヨーク州弁護士)/山本 由美(和光大学教授)/梁 澄子(一般社団法人希望のたね基金代表理事)/横田 耕一(九州大学名誉教授)/よしだ よしこ(ミュージシャン)/渡邉 寛之(弁護士)/和田 悌二(編集者)
(2020年2月26日)
5年をかけた「浜の一揆」訴訟の控訴審判決が敗訴となった。弁護士にとって敗訴は辛い。勝たねばならない事件の敗訴はなおさらのことである。
判決言い渡し後、仙台弁護士会の会議室を借りて、3時間に近い報告と意見交換の集会が開かれた。
もちろん、まずは無念が語られた。原告の一人は、「今、家族に敗訴の結果を知らせた。電話を受けた息子ががっかりしていた」と発言した。しかし、その人も、これから何をなすべきかの議論に加わった。
この場の発言に敗北感はなかった。道理はこちらにあるとの確信のもと、むしろ怒りが語られた。このままでは終わらない。新たな許可申請も、知事との交渉も、水産庁交渉も、世論への訴えも、訴訟も、できることはやり尽くそう。
敗訴が、あきらめではなく、決起の機会となった。「浜の一揆」にふさわしいというべきだろう。5年前この訴訟を始めた時とくらべて、支援の輪も広がり、団結も強くなっている。当時は知らなかった資料や知見を手に入れもした。岩手県側の言い分も十分に心得た。5年前と同じことを繰り返すのではない。はるかに有利な地点から、闘いを始めることができる。
道理が通らないはずはない。道理の通らない行政を変えられないはずはない。これが、原告漁民の共通の思い。かつての「一揆」もこのようなものだったろう。
われわれの主張の骨格を以下に、記しておきたい。
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平成30年(行コ)第12号 サケ刺網漁不許可取消請求等控訴事件
第1 何がどのように問われているのか
1 漁民がサケを獲ることは基本的権利である
三陸沿岸の海洋を回流するサケは無主物であって、これを捕獲することは、本来誰もが自由になしうることです。控訴人ら漁民が生計を立てるためにサケ漁を行うことは、憲法上の基本権(営業の自由)として保障されなければならず、その制約には、厳格に合理的な必要性が要求されます。この点の認識が、本件を考察する出発点でなくてはなりません。
2 サケ採捕に対する制約は2点の根拠ある場合に限られる
漁業法65条の授権にもとづいて岩手県漁業調整規則は、沿岸の刺し網漁を県知事の許可漁業とした上で、漁民からの刺し網漁許可の申請に対しては、許可すべきことを原則にしつつ、「漁業調整の必要」と「資源の保護培養の必要」がある場合に限り、これを不許可とすることができると定めています(同規則23条)。
従って、本件各許可申請を不許可として、控訴人らのサケ採捕によって生計を維持する権利を制約するには、この2点の具体的な根拠を行政庁において明確にし、挙証し得た場合に限られることになります。
3 本件の争点の骨格
枝葉を払った本件の主要な争点は、本件各不許可処分の根拠とされた、「漁業調整の必要」と「サケ資源の保護培養の必要」があることの根拠について被控訴人(岩手県)が具体的な主張と挙証に成功しているかに尽きるものなのです。以下、この点に絞って陳述します。
第2 「漁業調整の必要がある」とはいえない
1 「漁業調整」の意味するもの
本件許可申請を不許可とする根拠として語られる「漁業調整」とは、「有限なサケを希望者皆に捕らせることはできない。別の漁業者には捕らせるが、その漁業者の不利益にならないように、オマエには一匹も捕らせない」という、行政権力による差別化を意味します。「調整」という名で、敢えて行政が不公平を行う宣言をしているのです。はたして、こんな不公平を行政がなしうるものでしょうか。
2 法が予定する漁業調整の理念とは
この点については、二平章氏の意見書(甲22)において、要領よく分かり易く述べられています。要約すれば、以下のとおりです。
「漁業調整とは、漁業主体間の利害対立状況の調整ですが、次の理念のもとに行われるべきです。
第一は漁業者の優先です。他人を使用して事業として漁業を行う者よりも、実際に漁業を行う者を優先するということ。
第二に弱小零細漁民の保護です。大きな漁業者の事業的な利益よりは、零細漁民の生存権的な利益を優先させるべきです。
一方的にどちらを勝たせるとか、すべての利益を一方に独占させるという意味ではなく、現実に利害の対立があり摩擦が生じている局面でこれを調整するための指針としてこの二つの理念があるのです。」
これが、戦後の経済民主化立法として、農業の農地改革と軌を一にする、漁業法の理念であり、漁業の「民主化」を目的に掲げた漁業調整のありかたなのです。
3 現実はどうなっているのか
その漁業法の理念に照らして、岩手県沿岸におけるサケ漁をめぐる漁業主体間の利害対立状況の現実は、いったいどのようになっているでしょうか。
「サケは大規模な定置網漁業者だけに捕らせる。刺し網を希望する小型漁船漁業者には一匹も捕らせない」という、不公平の極みではありませんか。漁業者優先の理念も、零細漁民の保護の理念もまったく無視されています。どうしてこんな無理無体,理不尽がまかり通っているのでしょうか。だから、漁民は岩手県の水産行政を、藩政時代と同じだと言っているのです。
もちろん、「営業の自由」も、公共の福祉による制限には服さなければなりません。しかし、公共の福祉とは、経済活動の自由の名の下に市場で横暴な振る舞いをする経済的な強者に対する規制の根拠として意味があるもので、強者を保護するために、弱者の権利を奪い取る、この倒錯した論理に納得できるはずはありません。司法が、この偏頗な行政の不見識に加担するようなことがあってはなりません。
しかも、このような不公平による軋轢、不平・不満は1980年代から顕在化しているのです。その最初の爆発が、1990年の「一斉水揚げ強行事件」です。その後30年も、漁民はサケ刺し網漁の許可を求める要求と運動を続けてきました。それでも事態は変わりません。それが、本件「浜の一揆」訴訟提起の原因となったのです。
4 誰と誰との利害の調整なのか
問題は、こんな露骨な不公平行政を取り繕って「漁業調整の必要があるから申請を不許可とする」という弁明の余地があるのか、ということです。
実は、県政のいう漁業調整の具体的内容は、本件各処分時にはまったく特定を欠き、いまだに明確とは言い難いのです。以下に、必ずしも明確とはいいがたい被控訴人の幾つかの主張を検討します。その検討においては、誰と誰との間の利害の対立を調整したのかを明確に意識することが重要で、そのことが漁業調整の必要があるという被控訴人の判断の不合理をより鮮明にします。
被控訴人提出の資料によれば、岩手県沿岸には82ケ統の定置網があります。そのうち、個人経営が12ケ統、漁業生産組合経営8ケ統、有限会社経営6ケ統、漁協・個人共同経営10ケ統となっています。その余の46ケ統が、海水面漁協の単独経営です。
つまり、漁業調整において、控訴人らと対峙している業者の半数近くが純粋に私人なのです。私的な事業者の利益確保のために、被控訴人らが譲らねばならない理屈はありえません。
5 定置網漁業者に優先権はない
被控訴人は「固定式刺し網漁業によるサケの採捕を解禁すれば、母川回帰前のサケがことごとく先取りされ、定置網漁業者との関係で著しく不公平な結果となり、漁業調整上の深刻な摩擦を生むことになる」といいます。
これは、「ことごとく先取りされる」という前提が虚偽ないし誇張の主張です。少なくも何の立証もありません。仮に、定置の漁獲量に影響があったとしても、定置網漁の許可が取り消されるものではありません。定置網の漁獲が多少でも減る恐れがあるから、刺し網の許可ができないというのは、現状の馬鹿げた不公平をあるべき秩序と容認して始めて成り立つ「理屈」でしかありません。とりわけ、個人・会社・漁業生産組合などの定置網漁の漁獲を保護する理由は成り立ち得ません。
6 孵化放流事業の振興策は刺し網禁止を合理化しない
被控訴人は、固定式刺し網漁は「県の人工ふ化放流事業と相容れず,定置網漁業者との間に漁業調整上の深刻な摩擦が生じる」とも説明しています。しかし、これまでの主張の交換と書証とによって、この主張が成り立ち得ないことは明らかとなっています。
前述のとおり、県内には個人経営の12ケ統、漁業生産組合経営の8ケ統及び、有限会社経営の6ケ統が、いずれもサケ孵化場の経営と無縁でありながら、サケ採捕の権利を得ていることが明白です。また、漁協・個人共同経営の10ケ統における個人経営者も、同様の利益に与っていることになります。また、県内に28のサケ孵化場のすべてが海面漁協の経営というものでもありません。浜の有力者たちは、個人として、生産組合を形成する形で、あるいは、有限会社を作って、「自らは孵化事業に関わることなく、」定置網漁による利益を得ているのです。
さらに、孵化事業のサイクルは、母川に稚魚を放流した時点で完結します。この稚魚は無主物で、岩手の河川と北太平洋との恵みを受けて育った成鮭を孵化放流事業者が優先して採捕する権利などまったくありません。
また、控訴人らはすべて漁協の組合員です。漁協が経営する孵化事業の成果である成鮭の採捕という「直接の利益」を等しく享受すべき立場にあります。
なお、各孵化事業の経費は、いずれも公的資金の投入と漁獲高の7%に当たる分担金の拠出によってまかなわれています。分担金の負担は、孵化事業の主体であるか否かで変わるところはありません。定置も延縄も同一である。漁協も個人もです。刺し網も同一の条件になるものと考えられ、そのような運営で何の支障も生じようがない。
7 形式的な民主主義手続は刺し網禁止を合理化するか
被控訴人は、「固定式刺し網漁業によるサケの採捕の全面的禁止は、県漁連や海区漁業調整委員会での民主的な合意形成によるもの」と主張します。
しかし、県内漁業者の総意でサケの固定式刺し網漁が禁止に至ったという経緯はありません。そもそも県漁連や海区漁業調整委員会は、実質において、一部の県内有力漁業者の利益実現のための機構で、県内漁民の意見の集約機能を持つものではありませんでした。サケの孵化事業は、県内の有力漁業者が、自らの持つ大規模定置網漁業の利益をもたらすものとして発展させたものです。従って、固定式刺し網漁業によるサケの採捕全面的禁止は、県漁連や海区漁業調整委員会の幹部を兼ねた、有力業者が自らの利益のためにしたもので、提出の陳述書や書証のとおりなのです。
控訴人らは、長く漁民個人のサケ漁の解禁を求め、その実現のための手続的変革の努力もしてきました。現在の岩手県海区漁業調整委員会の公選委員に、原告らのうちの2人を当然させて送り込んでもいます。しかし、それでも事態はまったく変わりません。その本来の権利実現のためには、司法手続によって、本来の権利を実現するしかない事態なのです。
8 漁協の自営定置は刺し網禁止の理由になり得ない。
被控訴人は、「人工ふ化放流事業によるサケ漁業による利益は,漁協に内部留保されるばかりでなく,地元自治体への寄付を通じて地域へ還元され,出資配当金等の支給により組合員にも還元されている。」といいます。
しかし、被控訴人のこの点の立論は、定置網漁業者がすべからく漁協だという前提において既に誤っています。控訴人らは、漁協の自営定置を止めよと主張していません。「自営定置の漁獲減少の恐れがあるから、組合員の漁業許可を許さないというのは水協法4条に照らして本末転倒だ」と言っているのです。
漁協が適法に行いうるすべての事業は、「組合員のために直接の奉仕をすることを目的とする」事業に限ります。組合員の漁業経営を圧迫する恐れのある事業をできるはずはありません。
9 隣接道県との協議の必要も刺し網禁止の理由になり得ない。
隣県宮城でも、岩手同様、孵化放流事業もあり、定置網漁も行われている。しかし、刺し網も許可されています。仮に、協議の必要があれば、許可の上で協議をすればよいだけのことで、隣接道県との協議の必要があることが、刺し網禁止の理由とはなり得ないことが明白です。
10 親魚確保のためとする刺し網禁止の理由はなり立たない
井田齊意見書と証言に詳細ですが、採卵のための親魚としては,河川親魚の確保が重要であって、海産親魚に頼るのは邪道なのです。河川親魚の確保のためには、しかるべき時期に複数回河口を開けて、成鮭が母川を遡上する機会を作ることになります。その点において、定置も刺し網も本来的な優劣はありません。恒常的に河口を防ぐ位置に敷設される定置網よりは、常時に網を下ろすことのない刺し網に優位があるともいえます。また、控訴人らは定置網漁を止めよとの主張はしていなません。飽くまで共存しようという態度で一貫しているのですから、仮に何らかの事情で海産親魚の捕獲が必要な場合は、定置網漁が引き受ければよいだけのことで、刺し網を禁止する理由になり得ないことは明白なのです。
第3 サケ資源の保護培養上の必要性があるとはいえない
1 固定式刺し網漁は、サケを取り尽くさない
サケ資源の保護培養の必要の根拠として、被控訴人がまず述べるのは、「刺し網が漁獲効率が高い漁法であり、それゆえにサケ資源を取り尽くす」ということです。
しかし、その主張自体が具体性を欠けるものとして失当であること、そもそも「漁獲効率の高い漁業」は許可できないという発想が間違っていること、なによりも「漁獲効率の高い漁業の解禁は,サケ資源の確保に悪影響が大きい」との主張が、こと孵化事業が進展しているサケに関しては、間違いというよりは虚偽であることは明らかというべきです。
2 固定式刺し網漁は、孵化放流事業に支障をきたさない
次いで、「刺し網では、親魚として利用することができないこと」が挙げられますが、これも苦し紛れの弁明でしかありません。河川親魚としての確保こそが重要であって、そのためには、定置も刺し網も本来的な優劣はありません。井田意見書と、井田証言に明らかなところです。
3 控訴人らへの刺し網漁の許可は際限のない参入者を生まない
本件各申請に許可を与えた場合、これに続いて他の漁民からの許可申請があるか否か、申請があるとしてどの程度の人数になるかは、分からないというしかありません。これを予測する合理的な根拠も資料もないからです。
しかし、「分からないから不許可」というのは基本権をないがしろにした不合理極まる結論というほかはありません。判断すべきは、処分時点での当該申請を許可すれば、サケ資源の保護培養に支障が生じるか否かの一点であって、将来の不確実な事情を許可申請者に不利益に考慮することは許されません。
被控訴人申請の山口証人も、サケが豊漁であった時期でさえ、延縄漁が十分に経済的に成り立ちうる漁業であったのに、岩手の漁船がこぞって参加することなどなかったことを認めています。現実には、多くの漁船がこぞって参入することなどあり得ないことは、数字を挙げて反駁したところです。
仮に、「サケ刺し網解禁」によって、漁民の減少に歯止めが掛かることを歓迎する立場判断からは、控訴人らに続く許可申請者を受容すれば良いのです。また、仮に刺し網漁の増加を歓迎しないという判断であれば、合理的な漁獲総量を均分した各刺し網漁業者の漁獲量の上限を年間10tではなく下方に修正して調整すればよいだけのことです。公平ならざることに不満はあっても、公平で資源確保のために合理性ある規制に漁民が納得しないはずはありません。
合理的で必要な最小限の規制はあって然るべきですが、現状の全面禁止を維持する合理性は、いささかもありえません。
4 判断の基準点を動かしてはならない
言うまでもなく、判断基準時は本件不許可の時点です。これを動かし、当時は予測し得なかったその後の事情を、つまみ食いして行政に有利に考慮するようなことがあつてはなりません。
なお、サケ漁獲量の減少や台風の被害は、定置網漁業者だけでなく、控訴人ら零細漁民にも深刻な影響を及ぼしています。だからこそ、控訴人らのサケ刺し網漁の解禁要求は切実なものというべきで、基準時以後の定置網事業者の被害のみを語ることは不公平も甚だしいと言わねばなりません。
以上のとおり、漁業調整の必要も、サケ資源保護培養上の必要も、あるとはいえないにも拘わらず、本件各申請を不許可とした岩手県知事の各処分は違法として取り消されなければなりません。
(2020年2月25日)
A 次の議題です。
新型コロナウィルス肺炎が流行の兆しです。厚労省が不要不急のイベントの自制を呼びかけていますね。天皇誕生日の一般参賀が中止になり、東京マラソンの一般参加枠も取りやめ。自民党大会も延期だとか。近々に予定されている私たちの討論合宿についても再考すべきではないかとの意見が寄せられています。皆様のご意見はいかがでしょうか。
B 合宿が不要不急のイベントとは思いませんが、キャンセルもありじゃないでしょうか。このところの報道に家族が心配しています。新幹線もバスも、宿泊施設も、感染リスクを否定できません。感染拡大がおさまってから再度計画としてはどうでしょうか。
C 何を規準にどう行動すればよいか迷う問題ですが、この間の「市中感染」事例発生の報道を見れば、合宿はキャンセルというのが無難なところだと思います。合宿に代わる都内での小会議を設定することで、合宿が目指している課題を実現することも十分可能でしょう。
D 感染リスクは、実はそれほどではないと思いますよ。1臆2600万の日本の人口に対し、現段階では中国とクルーズ船での感染を除く国内の感染確認者はまだ2桁でしかありません。また、コロナウィルスの致死率は、インフルエンザよりは多少高い程度で、SARSよりは低い。健康な人が感染しても大部分は重症化せず、風邪のような軽い症状ですんでいます。インフルエンザの年間死亡者数は2018年が3000人を超え、2019年はそれ以上のようです。コロナにしてもインフルエンザにしても、合宿での感染リスクより、満員電車での感染リスクの方が高いと思います。
C まだるっこしいほどの検査態勢の不備から、現時点では正確な感染リスクを判断できません。それでも、武漢の実例は十分に恐ろしい実例です。インフルエンザと違って、新型コロナには予防も治療も期待できない。致死率は低くとも、感染した場合の患者の社会生活上のダメージは極めて大きい。しかも、感染経路不明な感染者が出ていることは、社会の至る所に感染リスクがあるということ。判断しかねるときは、安全側を取るべきが常識ではありませんか。
D 合宿強行を主張するつもりはありませんが、感染リスクを避けるために合宿を中止するなら、満員電車に乗るリスクを避けるために当面の都内での会議・企画の中止も求めないと矛盾すると思いますよ。
E コロナ感染リスクの有無もさることながら、この時期に、自粛ムードに乗せられてしまうことに抵抗感がありますね。まるで、天皇死亡後の自粛ムードを彷彿させる事態。世間がこの空気だからキャンセルが無難だというのは、体制順応ウィルスに感染の症状ではありませんか。
F 私は、今合宿を行うことの意義を再確認したいと思います。ご存じのとおり、国会情勢は共闘体制を固めた野党側が徹底して安倍政権を追い詰めています。もう一息で、現政権の「国政私物化」「嘘とごまかし」を完膚なきまでに暴くことができる。私たちが、その情勢を正確に認識し、国会の内外で何ができるか、何をなすべきかの意見交換と検討が、一刻の猶予も許さぬ課題となっています。予定のとおり、ぜひ実行すべきです。
G 賛成です。感染リスクだけではなく、合宿の必要性の認識が重要だとおもいます。親睦会の開催の可否であれば、感染リスクの有無や程度だけの議論でよい。しかし、今われわれが、改憲阻止や具体的な政権追及の課題をテーマに討論合宿をすることには緊急性があると思います。実施すべきでしょう。
H とはいえ、高齢者や基礎疾患のある人にリスクの高いことは報道されているとおりで、ご本人の判断での欠席は、尊重されなければなりません。その点は、十分に配慮が必要だと思います。
A この件だけで、大きく時間を割くことができませんので、お諮りします。
合宿は、予定のとおりに開催する。ただし、状況を踏まえて再度出欠の希望を確認する。そして、それぞれのご事情での判断を尊重して、決してご無理をなさらぬようご通知をする。
これで、いかがでしょうか。
ご異議ないものと判断して、次の議題に移ります。
(2020年2月24日)
2月23日、天皇の誕生日であるという。
明治期には三大節というものがあった。四方拝(1月1日)・紀元節(2月11日)・天長節(11月3日)のこと。昭和期には四大節となった。四方拝(1月1日)・紀元節(2月11日)・天長節(4月29日)・明治節(11月3日)である。天皇の誕生と国の誕生とを祝い、天皇が支配するこの国の永遠の栄えを、国の公式行事として祈ったのだ。
国家に先行して神的な天皇の祖先神の存在があるとされ、この国の存在と支配構造は、天皇神話によって合理化された。天皇を神とも教祖ともするこの信仰体系が「国家神道」と呼ばれるものだが、もっと端的に「天皇教」と呼称すべきだろう。これは、権力による人民への壮大なマインドコントロールである。しかも、稀有なその成功例と言ってよい。
このマインドコントロールは、まことに権力にとって好都合のものであった。臣民の知性を摘み、個人の精神的自由を押さえ込むためのこの上なく重宝な装置であった。これあればこそ、臣民に滅私奉公を強要し、軍国主義を鼓吹することができた。侵略戦争も植民地支配も、これなくしてはできなかった。
このマインドコントロールは、今なお、清算されていない。狂信的な天皇教信者の残党がある。天皇には特別の敬称を用いなければならないという社会の思い込みも強い。天皇には最大級の敬語が必要だという心理的強制が多くの人の胸中にわだかまっている。
そんな時代での新天皇の誕生日である。世が世であれば、「天長節」であっただろうか。いや、世が維新以来の旧天皇制の世の継続であれば旧皇室典範によって前天皇(明仁)の生前退位はなく、現天皇(徳仁)の就任はあり得ない。
本日、春めいた陽気に誘われて、本郷から小石川周辺を散歩し、小石川植物園のみごとな梅の盛りを堪能した。行き帰りの散歩道に一本の日の丸も見なかった。天皇教の教勢のバロメータが日の丸である。世は、まだ健全さを保っている。
ところで、予定されていた一般参賀が中止となった。報道されているところでは、「例年、天皇誕生日には皇居で一般参賀が行われますが、今回は新型コロナウイルスの感染拡大を受け中止となりました。」という。
それ以上のことは分からない。一般参賀者間の感染を防止しようとの配慮であるのか、あるいは、一般参賀者からの玉体に対する感染があってはならなないとする慮りなのであろうか。いずれにしても、新天皇の最初の誕生日における受難である。天皇の呪術的霊力も、新型ウィルスには勝てないのだ。
なお、2月21日、天皇は即位後初めてとなる記者会見に臨んだ。今朝の毎日を見て驚いた。第6面の全面を使う分量。何の突っ込みもない一方的なしゃべりに、これだけの紙面を割く重要性があるというのだろうか。しかも、その見出しが、「国民に寄り添って」「憲法順守、務め誠実に」という阿諛追従。
象徴としての天皇は、意味のあることをしゃべってはならない。意味のないことをしゃべるのは自由だが、そんなことは報道するに値しない。天皇が意味のあることをしゃべれば、これは大きな問題で、報道するに値する。そのケジメが、メディアには欠けているのではないか。
記者会見での意味あるところと言えば、こんなところか。
先に述べましたとおり、常に国民を思い、国民に寄り添い、象徴としてあるべき姿を模索しながら務めを果たし、今後の活動の方向性についても考えていきたいと思っております。憲法についての質問ですが、日本国憲法は、日本国及び日本国民統合の象徴として天皇について定めています。憲法を遵守し、象徴としての務めを誠実に果たしてまいりたいと考えております。
象徴天皇とは、内閣の助言と承認によって厳格に定められた国事行為を行うだけの存在である。なし得ることは、純粋に形式的な行為のみ。それを超えて、「象徴としてあるべき姿を模索し」たり、「今後の活動の方向性について考えていきたい」とするのは、明らかに越権である。
家族や友人の誕生日には、ひたすらお祝いをすればよい。しかし、天皇教の教組の末裔の誕生日には、お祝いたけでなく、警戒心も必要なのだ。
(2020年2月23日)
「会同」という官庁用語がある。「会同」には、「会議」にはない権威主義的な胡散臭い響きがある。「会同」においては、出席者に発言や議論は期待されない。最高幹部から出席者に組織の意思が重々しく伝達される場というイメージ。「高等裁判所長官・地方裁判所長・家庭裁判所長会同」「行政事件担当裁判官会同」「自衛隊高級幹部会同」など、名を聞くだに息苦しい。
2月19日(水)、法務省で「検察長官会同」が開催された。法務大臣、検事総長以下、全国の高検や地検のトップが一堂に会する場。議題は「検察運営上、考慮すべき事項」とされ、冒頭の稲田伸夫検事総長訓示が「質の高い検察権行使により、国民の期待と信頼に応えられる検察であり続けるよう尽力してほしい」という陳腐な内容だったという。これだけでは何の国民の関心も惹かない。
ところが、出席者からの発言や議論は期待されないはずのこの会同において、異例の発言があったことが報じられて、話題となっている。
冒頭を除いて、この「会同」は非公開である。非公開の席での発言が複数メディアの記事になっているのだから、積極的に取材に応じた出席検察官が複数いたということだ。情報源を「複数の出席者が明らかにしたところによると」とする記事もある。
複数メディアの記事の内容は、以下のとおりにほぼ一致している。
「会議の終盤に中部地方の検事正が挙手をし、法務省の首脳に黒川氏の定年延長について質問。『検察は不偏不党でやってきた。政権との関係性に疑念の目が向けられている』といった内容の発言をした上で、『このままでは検察への信頼が疑われる。国民にもっと丁寧に説明をした方がいい』という趣旨の提案をした。」
一部のメディアの記事では、この検事正の発言には、検察庁法14条の引用があったという。法務大臣の検察業務への介入は原則として禁じられている。その原則を破る例外としての「指揮権発動」を定めたものが検察庁法14条である。今回の黒川検事長定年延長は、指揮権発動にも等しい愚挙との指摘であったろう。
これに対して、主催者側の辻裕教・法務事務次官が質問を引き取ったが、「『延長の必要性があった』と答えるにとどめた」と報じられている。
今注目の検察官といえば、稲田伸夫検事総長と、その後任を争う林真琴名古屋高検検事長、黒川弘務東京高検検事長の3名。当然のことながら、「会同」には、この注目の3名も出席している。その面前での、黒川検事長の名を上げての検察庁幹部人事のありかたへの疑念の表明である。インパクトが小さかろうはずはない
通常、検事総長人事も検事長人事も、さしたる国民の関心事ではない。人事に国民の関心や注目が集まる事態が既に異常なのだ。この3名の検察官に国民の注目が集まる理由は、安倍内閣の検察庁最高幹部人事への介入の異常があればこそのことである。
硬骨な検事正の発言は、報じられる限りでは、さすがに抑制の効いた内容である。しかし、本当はこう言いたかったのではないだろうか。
「検察は時の政権の走狗ではない。準司法機関として不偏不党が要求される立場にあり、公正性・中立性についての国民の信頼なければ成り立ち得ない。これまでは、営々と国民の信頼を勝ち得る努力を積み重ねてきたところだ。いま、国民からの信頼が崩壊しかねない事態に遭遇している。これは、これまで全国の第一線の検察官が積み上げてきた努力を無にするということにほかならない。検察が現政権の思惑次第で操られているのではないかという疑惑に対する、厳しいが疑念の目が検察・検察官に向けられている。このままでは国民の検察への信頼を維持することができない。場合によると、黒川検事長の定年延長は違法で無効なのかも知れない。そうなる前に、黒川検事長の定年延長閣議決定は撤回すべきだ。あるいは、再度の閣議で、定年延長を打ち切ったらよい。いずれ黒川検事長を検事総長にしてはならない」
これに対する、辻次官の「延長の必要性があった」という弁明はいかにも投げやりで力がない。もしかしたら本音、はこうではないだろうか。
「黒川検事長の定年延長は必要性あってのことですよ。もちろん、その必要性は主として安倍政権にとってのものですが、必ずしも官邸サイドだけのものではない。このご時世、『検察の不偏不党』『国民からの信頼』だけではことはうまく運ばないんですよ。『政権との微妙な間合い』『政権からの信頼』も大切なんで、官邸の意向を飲まざるを得なかった。そんなことはみんなお分かりでしょう。官邸からのゴリ押しに屈したと言わば言え。仕方がないじゃないですか。原則論を振り回しても、無駄なものは無駄。ここは面従腹背でいくしかないんです」
こうして、原則は歪められ、理想は地に落ちてゆく。安倍晋三の大罪がまた一つ、積み上げられた。
(2020年2月22日)
今話題の旬の政治家と言えば、まずは安倍晋三。次いで、麻生太郎と小泉進次郎。もちろん良い意味での話題性ではない。政治家の話題がその愚かさやぶざまさに集中せざるを得ない事態なのだ。民主制そのものの危うさをさえ物語っている。
安倍晋三についてはいうまでもないが、使用済みの麻生太郎だけでなく、使用前の小泉進次郎もこの上なくひどい。安倍晋三は、「ご飯論法」を批判された。なるほど、指摘のとおり、安倍の答弁はすりかえのご飯論法だけで成り立っている。小泉進次郎はどうか。さわやかに、滑舌明瞭に、まったく無内容の答弁を恥ずかしげもなく意味ありげに発語する。余人に真似のできない特技をもった演技者なのだ。
ネットの住民が、「小泉進次郎構文」なることばを流行らせている。「#小泉進次郎に言ってもらいたい中身のない台詞」という大喜利で盛り上がってもいる。もちろん、揶揄の形での小泉進次郎批判である。
中身のない空っぽ政治家が、なんとなく清新な雰囲気だけで、汚れた安倍政治を覆い隠す役割を果たしてきた。このことへのいらだちが、今や馬脚を現した進次郎への遠慮のない揶揄と哄笑となってあふれ出ている。明らかに、風向きが変わったのだ。
昨日(2月20日)の衆院予算委での、小泉進次郎答弁を報じる朝日(デジタル)の記事の一部を引用する。タイトルが、「小泉氏『反省伝わらぬことを反省』 複雑釈明も謝罪拒否」というもの。
「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思うが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしている」
小泉進次郎環境相は20日の衆院予算委員会で、16日の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合を欠席して地元で後援会の新年会に出席していた問題をめぐり、複雑な釈明をしながら「国民への謝罪」をかたくなに拒んだ。
19日の衆院予算委に続いて、立憲民主党の本多平直氏が再び追及。「昨日は小泉氏は『反省している』と述べたが、国民に謝罪してもらえないか」と迫った。
これに対し、小泉氏は「私の反省がなかなか伝わらない」などと繰り返したものの、最後まで「謝罪」という言葉を口にしなかった。この問題をめぐる4往復のやり取りで、「反省」という言葉は20回も駆使した。
以上の朝日の記事には、記者の「これは呆れた」というニュアンスが溢れている。
その朝日が紹介する「進次郎珍答弁」は以下の通りである。
本多 昨日、小泉大臣は「反省している」と。納得して私は甘かった。国民に謝罪していただけないか。
小泉 対策本部会議は環境政務官に代理出席を依頼し、危機管理上のルールにのっとった対応だ。だが、私自身がその会議を欠席し、地元の横須賀の会合に出席したことは問題だ、といった指摘を真摯に受け止め、反省しています。先ほど本多先生から、反省をしているとは言っているけど、反省の色が見えない(という趣旨の指摘があった)。それはまさに、私の問題だなと。反省をしているけど、なかなか反省が伝わらないと。そういった自分に対しても、反省をしたいと思います。はい。
本多 反省は昨日していただいた。国民におわびをする気はないか。
小泉 反省をしていると申し上げましたが、反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思いますが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしております。私なりに反省して、本多先生からの質問のときに反省していると答弁しようと思い、私は反省していると申し上げております。それでも反省の色が伝わらないっていう、私自身の問題に対する、ご指摘に対してもしっかりと反省して、今後、そのようなご指摘がないように、気を引き締めて対策に取り組んでまいりたい。
本多 誰かの指摘がどうではなく、国民に対して、ということで申し上げている。反省の色が見えているとか見えていないとかは、気にしないでください。国民におわびをしなくていいんですね。
小泉 本多先生にということではなく、国民のみなさんに、ということだが、国民のみなさまがコロナウイルスの感染が広がり、不安を持っている中、さまざまな声を受けて、その声を真摯に受けとめて反省をしている。危機管理の対応はルール上、しっかりやっている。いずれにしましても、反省していますので、これからもしっかりその気持ちが伝わるように、真摯に職責を務めてまいりたい。
本多 大変残念です。最後のチャンスで。おわびはしないということでよろしいですね。
小泉 こうやって本多先生の質問の時間をとらせてしまっていることも含めて、なかなか反省の色が伝わっていないということも私自身の問題だなと、深く受け止め、反省し、職責を務めるために全力を尽くしていきたい。
念のために申し添えておかねばならない。これは、誰かがひねり出したパロディではない。どんなパロディも本家の愚かさ、可笑しさにはかなわない。「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思うが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしている」というのが典型的な進次郎構文。進次郎構文が笑いのタネとされている中での、本人による堂々たるダメ押しの進次郎構文なのだ。本人自身の答弁に出てきた、この無内容のトートロジー。これが、もてはやされてきた若手保守政治家の言葉かと思うと、とうてい笑ってはおられない。
(2020年2月21日)
本日(2月20日)、「自衛隊の中東派遣に反対し、閣議決定の撤回を求める集会」。「改憲問題対策法律家6団体連絡会」と「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の共催。
半田滋さん(東京新聞論説兼編集委員)が、『自衛隊の実態・中東清勢について』報告し、永山茂樹さん(東海大学教授)が『憲法の視点から中東派遣を考える』として違憲論を述べた。次いで、野党議員の連帯挨拶があり、集会アピールを採択した。
「安倍内閣進退きわまれり」との雰囲気の中で、挨拶も報告もボルテージの高いものだった。自由法曹団団長の吉田健一さんが、閉会挨拶で「自衛隊の海外派兵をやめさせ、改憲策動をやめさせ、安倍内閣をやめさせよう」と呼びかけたのが、参加者の気持ちを代弁することばだった。
なお、《改憲問題対策法律家6団体連絡会》とは、「安倍政権の進める改憲に反対するため共同で行動している6つの法律家団体(社会文化法律センター・自由法曹団・青年法律家協会弁護士学者合同部会・日本国際法律家協会・日本反核法律家協会・日本民主法律家協会)で構成されています。これまでに、日弁連とも協力して秘密保護法や安保関連法の制定に反対し、安倍改憲案に対しては、安倍9条改憲NO!全国市民アクション、総がかり行動とも共同して反対の活動を続けています」と、自己紹介している。
本日の集会アピールは、以下のとおり。よくできていると思う。
「自衛隊中東派遣に反対し閣議決定の撤回を求める集会」アピール
1 安倍政権は、昨年12月27日、中東地域への自衛隊派遣を閣議決定し、本年1月10日に自衛隊派遣の防衛大臣命令を強行しました。そして、1月21日から海上自衛隊のP?3C哨戒機が中東海域での情報収集活動を開始し、2月2日には、閣議決定により新たに中東へ派遣されることとなった護衛艦「たかなみ」が海上自衛隊横須賀基地を出港しました。
2 すでに中東海域には、アメリカが空母打撃群を展開しており、軍事的緊張が続いていましたが、本年1月2日には、アメリカが国際法違反の空爆によってイラン革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官を殺害し、これに対して、1月8日、イランがイラク国内にあるアメリカ軍基地を弾道ミサイルで攻撃するなど、一触即発の状態にまで至っています。
安倍政権は、今回の派遣を「我が国独自の取祖」と説明していますが、自衛隊が収集した情報はアメリカ軍に提供されることになっており、その実態は、アメリカのトランプ政権が呼びかける「有志連合」への事実上の参加に他なりません。そして、アメリカ軍との共同の情報収集・警戒監視・偵察活動に用いられているP?3C哨戒機、国外ではデストロイヤー(駆逐艦)と呼ばれている護衛艦、そして260名もの自衛官を中東地域に派遣すれば、それはイランヘの大きな軍事的圧力となり、中東地域における軍事的緊張をいっそう悪化させることになります。集団的自衛権を解禁した安保法(戦争法)のもと、中東地域で自衛隊がアメリカ軍と連携した活動を行えば、自衛隊がアメリカの武力行使や戦争に巻き込まれたり、加担することにもなりかねません。今回の自衛隊の中東派遣は憲法9条のもとでは絶対に許されないことです。
3 また、自衛隊の中東派遣という重大な問題について、国会審議にもかけないまま国会閉会後に安倍政権の一存で決めたことも大問題です。安倍政権は、主要なエネルギーの供給源である中東地域での日本関係船舶の航行の安全を確保するためとしていますが、これでは、政権が必要と判断しさえすれば、「調査・研究」名目で自衛隊の海外派遣が歯止めなく許されることになります。そもそも、組織法にすぎない防衛省設置法の「調査・研究」は、自衛隊の行動や権限について何も定めておらず、およそ自衛隊の海外派遣の根拠となるような規定ではなく、派遣命令の根拠自体が憲法9条に違反します。
4 現在の中東における緊張の高まりは、2018年5月にトランプ政権が「被合意」から一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を再開したことに端を発しています。憲法9条を持ち、唯一の戦争被爆国である日本がなすべきは、アメリカとイランに対話と外交による平和的解決を求め、アメリカに「核合意」への復帰を求めることです。安倍政権も第1に「更なる外交努力」をいうのであれば、自衛隊中東派遣は直ちに中止し、昨年12月27日の閣議決定を撤回すべきです。
2 私たちは、安倍政権による憲法9条の明文改憲も事実上の改憲も許さず、自衛隊の中東派遣に反対し、派遣中止と閣議決定の撤回を強く求めます。
2020年2月20日
「自衛隊中東派遣に反対し閣議決定の撤回を求める集会」参加者一同
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関連する日弁連会長声明は以下のとおり、
中東海域への自衛隊派遣に反対する会長声明
2019年12月27日、日本政府は日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集活動を目的として、護衛艦1隻及び海賊対策のためにソマリア沖に派遣中の固定翼哨戒機P?3Cエ機を、中東アデン湾等へ派遣することを閣議決定した。
2018年5月に米国がイラン核合意を離脱後、ホルムズ海峡を通過するタンカーヘの攻撃等が発生していることから、米国はホルムズ海峡の航行安全のため、日本を含む同盟国に対して有志連合方式による艦隊派遣を求めてきた。
これに対し日本は、イランとの伝統的な友好関係に配慮し、米国の有志連合には参加せずに上記派遣を決定するに至った。
今般の自衛隊の中東海域への派遣は、防衛省設置法第4条第1項第18号の「調査及び研究」を根拠としている。しかし、同条は防衛省のつかさどる事務として定めている。
そもそも、自衛隊の任務、行動及び権限等は「自衛隊法の定めるところによる」とされている(防衛省設置法第5条)。自衛隊の調査研究に関しても、自衛隊法は個別規定により対象となる分野を限定的に定めている(第25条、第26条、第27条及び第27条の2など)。ところが、今般の自衛隊の中東海域への派遣は、自衛隊法に基づかずに実施されるものであり、防衛省設置法第5条に違反する疑いがある。
日本国憲法は、平和的生存権保障(前文)、戦争放棄(第9条第1項)、戦力不保持・交戦権否認(第9条第2項)という徹底した恒久平和主義の下、自衛隊に認められる任務・権限を自衛隊法で定められているものに限定し、自衛隊法に定められていない任務・権限は認めないとすることで、自衛隊の活動を規制している。自衛隊法ではなく、防衛省設置法第4条第1項第18号の「調査及び研究」を自衛隊の活動の法的根拠とすることが許されるならば、自衛隊の活動に対する歯止めがなくなり、憲法で国家機関を縛るという立憲主義の趣旨に反する危険性がある。
しかも、今般の自衛隊の中東海域への派遣に関しては、「諸外国等と必要な意思疎通や連携を行う」としていることから米国等有志連合諸国の軍隊との間で情報共有が行われる可能性は否定できず、武力行使を許容されている有志連合諸国の軍隊に対して自衛隊が情報提供を行った場合には、日本国憲法第9条が禁じている「武力の行使」と一体化するおそれがある。また、今般の閣議決定では、日本関係船舶の安全確保に必要な情報の収集について、中東海域で不測の事態の発生など状況が変化する場合における日本関係船舶防護のための海上警備行動(自衛隊法第82条及び第93条)に関し、その要否に係る判断や発令時の円滑な実施に必要であるとしているが、海上警備行動や武器等防護(自衛隊法第95条及び第95条の2)での武器使用が国又は国に準ずる組織に対して行われた場合には、日本国憲法第9条の「武力の行使」の禁止に抵触し、更に戦闘行為に発展するおそれもある。このようなおそれのある活動を自衛隊法に基づかずに自衛隊員に行わせることには、重大な問題があると言わざるを得ない。
政府は、今回の措置について、活動期間を1年間とし、延長時には再び閣議決定を行い、閣議決定と活動終了時には国会報告を行うこととしている。しかし、今般の自衛隊の中東海域への派遣には憲法上重大な問題が含まれており、国会への事後報告等によりその問題が解消されるわけではない。中東海域における日本関係船舶の安全確保が日本政府として対処すべき課題であると認識するのであれば、政府は国会においてその対処の必要性や法的根拠について説明責任を果たし、十分に審議を行った上で、憲法上許容される対処措置が決められるべきである。
よって、当連合会は、今般の自衛隊の中東海域への派遣について、防衛省設置法第5条や、恒久平和主義、立憲主義の趣旨に反するおそれがあるにもかかわらず、国会における審議すら十分になされずに閣議決定のみで自衛隊の海外派遣が決められたことに対して反対する。
2019年(令和元年)12月27日
日本弁護士連合会会長 菊地 裕太郎
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憲法学者126名の共同声明は以下のとおり。
ホルムズ海峡周辺へ自衛隊を派遣することについての憲法研究者声明
1、2019年10月18日の国家安全保障会議で、首相は、ホルムズ海峡周辺のオマーン湾などに自衛隊を派遣することを検討するよう指示したと報じられている。わたしたち憲法研究者は、以下の理由から、この自衛隊派遣は認めることができないと考える。
2、2019年春以来、周辺海域では、民間船舶に対する襲撃や、イラン・アメリカ両国軍の衝突が生じている。それは、イランの核兵器開発を制限するために、イラン・アメリカ等との間で結ばれた核合意から、アメリカ政府が一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を強化したことと無関係ではないだろう。
中東の非核化と緊張緩和のために、イラン・アメリカ両国は相互に軍事力の使用を控え、またただちに核合意に立ち戻るべきである。
3、日本政府は、西アジアにおける中立外交の実績によって、周辺地域・周辺国・周辺民衆から強い信頼を得てきた。今回の問題でもその立場を堅持し、イラン・アメリカの仲介役に徹することは十分可能なことである。またそのような立場の外交こそ、日本国憲法の定めた国際協調主義に沿ったものである。
4、今回の自衛隊派遣は、自衛隊の海外派遣を日常化させたい日本政府が、アメリカからの有志連合への参加呼びかけを「渡りに船」で選択したものである。
自衛隊を派遣すれば、有志連合の一員という形式をとらなくとも、実質的には、近隣に展開するアメリカ軍など他国軍と事実上の共同した活動は避けられない。
しかも菅官房長官は記者会見で「米国とは緊密に連携していく」と述べているのである。
ほとんどの国が、この有志連合への参加を見送っており、現在までのところ、イギリスやサウジアラビアなどの5カ国程度にとどまっている。このことはアメリカの呼びかけた有志連合の組織と活動に対する国際的合意はまったく得られていないことを如実に示している。そこに自衛隊が参加する合理性も必要性もない。
5、日本政府は、今回の自衛隊派遣について、防衛省設置法に基づく「調査・研究」であると説明する。
しかし防衛省設置法4条が規定する防衛省所掌事務のうち、第18号「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うこと」とは、どのような状況において、自衛隊が調査・研究を行うのか、一切の定めがない。それどころか調査・研究活動の期間、地理的制約、方法、装備のいずれも白紙である。さらに国会の関与も一切定められていない。このように法的にまったく野放し状態のままで自衛隊の海外派遣をすることは、平和主義にとってもまた民主主義にとってもきわめて危険なことである。
6、わたしたちは安保法制のもとで、日本が紛争に巻き込まれたり、日本が武力を行使するおそれを指摘してきた。今回の自衛隊派遣は、それを現実化させかねない。
第一に、周辺海域に展開するアメリカ軍に対する攻撃があった場合には、集団的自衛権の行使について要件を満たすものとして、日本の集団的自衛権の行使につながるであろう。
第二に、「現に戦闘行為が行われている現場」以外であれば、自衛隊はアメリカ軍の武器等防護をおこなうことができる。このことは、自衛隊がアメリカの戦争と一体化することにつながるであろう。
第三に、日本政府は、ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合について、存立危機事態として集団的自衛権の行使ができるという理解をとっている。 しかし機雷掃海自体、極めて危険な行為である。また戦胴中の機雷掃海は、国際法では戦闘行為とみなされるため、この点でも攻撃を誘発するおそれがある。
このように、この自衛隊派遣によって、自衛隊が紛争にまきこまれたり、武力を行使する危険をまねく点で、憲法9条の平和主義に反する。またそのことは、自衛隊員の生命・身体を徒に危険にさらすことも意味する。したがって日本政府は、自衛隊を派遣するべきではない。
2019年10月28日
憲法研究者有志(126名連名省略)
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自由法曹団の申入書
自衛隊の中東海域への派遣命令の撤回を求める申入書
1 安倍内閣は、2019年12月27日、自衛官260名、護衛艦1隻を新規に中東地域に派遣し、すでに海賊対処行動に従事している哨戒機1機を中東海域へ転用する旨の閣議決定を行った。
自由法曹団は、同日、同閣議決定に抗議するとともに、自衛隊の派遣中止を求める声明を発表したが、自衛隊の中東海域への派遣を中止しないばかりか、河野防衛大臣は、2020年1月10日、自衛隊に派遣命令を発出し、派遣を強行しようとしている。
2 米国は、上記閣議決定後の2020年1月2日、イラン革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官を空爆(以下、「本件空爆」という)によって殺害した。
そして、イランは、本件空爆に対する「報復」として、同月8日、十数発の弾道ミサイルを発射し、米軍が駐留するイラク西部のアサド空軍基地及び同国北部のアルビル基地を爆撃した。
両国の武力行使により、緊張がますます激化しているが、そもそも両国の関係が悪化したきっかけはトランプ政権がイラン核合意から一方的に離脱したことである。また、本件空爆は、国連憲章及び国際法に違反する先制攻撃であり、何らの正当性もない。
米国は、軍事力行使を直ちにやめ、イラン核合意に復帰すべきであり、国際社会は、これ以上の・・暴力の連鎖¨が引き起こされないよう外交努力を尽くさなければならない。
3 自由法曹団は、2019年12月27日の時点で、既に中東情勢は緊迫しており、自衛隊の中東海域への派遣は、「情報収集活動」にとどまらない危険性が高い等の理由から閣議決定に反対したが、現在の中東情勢は、その時点と比べても極度に緊迫した状態にある。
にもかかわらず、河野防衛相は、2020年1月10日、海上自衛隊の護衛艦1隻と哨戒機2機の中東への派遣命令を発出した。現在の中東情勢の下での自衛隊の中東海域への派遣は、中東地域の緊張をいっそう高めるばかりか、日本が米国の誤った中東政策を賛同する国として、米国の戦争に巻き込まれる危険性を高めるものであり、絶対に派遣を許してはならない。
4 日本は、憲法9条の理念に基づき、両国との信頼関係を活かしながら、対話と外交による平和的解決を目指すべきである。
自由法曹団は、米国及びイラン両国に対して自制を求めるとともに、憲法を踏みにじる自衛隊の中東海域の自衛隊の派遣に断固反対し、改めて閣議決定及び防衛相の派遣命令に強く抗議し、防衛大臣において1月10日になした派遣命令を撤回し、自衛隊派遣の中止を求める。
2020年1月14日
自由法曹団長 吉田健一
(2020年2月20日)
あるところにな、
強欲で嘘つきの殿様がござらしゃった。
この殿様がたいへんなお方でな、
オオヤケとワタクシと
公金とご自分のお金との区別がつかなんだ。
人の悪口は繰り返すのじゃが、
悪口言われるのは、極端におきらいでな。
そのうえ、みんなで寄り合って作った決めごとを平気で破るお人でな。
うっとうしい決めごとは、自分で作りかえると頑固でな。
この殿様を尊敬するひとは一人としておらなんだ。
みんなが、ヘンなお人と思っておったんじゃ。
じゃがな、殿様は殿様だ。
逆らうと、なにをされるか恐ろしい
うんといじめられるやも知れんじゃろ。
だから、諫めるお人がそばにはおらんじゃった。
それで、この殿様、自分が一番えらくて、
なんでも自分の思うとおりになると思い上がっていらっしゃってな。
何をしても、領民みんなが、ご自分を忖度してくれるものと
本当に信じ込んでおられたご様子で、
だんだんとみんなが、本当に困ったお人と見られていたな。
その殿様にも参勤交代があってな、
領国の領民たちを江戸に呼び出してな。
盛大に花見だの、酒盛りなどやったんじゃそうな。
そのためにな、江戸のお城の近くに、
2軒の大きな宿屋があっての。
このお殿様は交互につかっておった。
一軒は、昔相撲取りだったお人がはじめた宿で、
もう一軒は、なんでも外つ国のお宿とかいうことじゃった。
殿様は、一年ごとにこのふたつの宿を交互に使っておったが、
ある年の桜の満開の頃よ。
領民たちを800人も呼び集めてな、
安い値段で、飲み食いさせたんじゃ。
ところが、これが将軍家のご法度に引っかかった。
安い値段で、飲み食いさせてはいかんのだ。
そこで、この殿様はこう言った。
「ワシが飲み食いさせたわけではない。
みんなが勝手に宿屋と契約したではないか」
こんな風に口裏を合わせたのじゃな。
宿屋の一軒は、これでおさまった。
なにせ客商売。上得意の殿様に、逆らうわけには行かない
とまあ、そう考えた。
ところが、もう一軒は、口裏を合わせには加わらなかった。
「殿様のいうとおりではございません」と言ったんじゃ。
殿様は青くなった。
「ワシのウソがバレちゃった。」
殿様の取り巻きは怒った振りをして見せた。
「もう2度とあの宿は使わない」
だけど、江戸っ子はヤンヤの喝采だ。
「たいしたもんだよ」
「スッキリしたぜ」
「あの殿様に負けずに筋を通すなんてね」
「一寸の虫にも五分の魂だよね」
「これからは贔屓にするぜ」
忖度した宿屋と、忖度なしの宿屋。
さて、短い目でどっちがどうなる?
長い目ではどうなりますやら?
(2020年2月19日)
昨日(2月17日)の衆院予算委員会質疑は苦しかった。ホテルニューオータニの方は、事前に丸め込んでおいたから、まあ、何とかボロを取り繕ってここまできたが、ANAインターコンチネンタルには十分な手当をしてこなかった。手薄のところから手痛い一撃。虚を突かれて嘘がばれちゃった。私が、「書面はないが、内閣総理大臣として責任をもって答弁している」なんて恰好つけて、我ながら、みっともないったらありゃあしない。
立憲民主の黒岩宇洋議員を「嘘つき」呼ばわりし、「人間としてどうなのかな」とまで言ってきたのに、全部自分に返ってきちゃった。どうしよう。どうしたらいいんだろう。
問題は、2019年の「桜を見る会」前日の「前夜祭」だったはず。ホテルニューオータニと久兵衛は話が分かる。ところが、ANAインターコンチネンタルは、堅物の朴念仁だった。これが計算外。
17日の午前中には、辻元清美から、ANAホテルからの回答メールを突きつけられた。2013年以降に同ホテルで開かれたパーティーについて、「明細書を主催者に発行しないケースはない」「政治家だから例外としたことはない」などと、はっきりとしたものだ。だから困った。
午後の関連質疑では、少々不安だったが、強気で行くしかなかった。「安倍事務所がホテル側に問い合わせたところ、辻元氏への回答は一般論で、個別の案件については営業の秘密に関わるため、回答に含まれていないとのことだ」と答弁した。何とかこれで切り抜けたかと思ったら、その日の内に、朝日と毎日が余計なことをした。ANAホテルに問合せをしたというんだ。私を窮地に陥れようという、新聞社も新聞社だが、ホテルもホテルだ。新聞社の取材にまたまたメールで回答したのだという。内閣総理大臣の私に忖度なしだ。
「直接(首相側と)話をした者が『一般論として答えた』という説明をしたが、例外があったとはお答えしていない。私共が『個別の案件については、営業の秘密にかかわるため回答に含まれていない』と申し上げた事実はない」と、これはまたはっきりした言い分。「弊ホテルとしては、主催者に対して明細書を提示しないケースはないため、例外はないと理解している」とまで書いてあったそうではないか。これじゃ、かたなしだ。私が嘘つきだとバレちゃった。
安倍事務所がオータニの広報部長ら二人を議員会館に呼び出したのが、昨年11月15日のことだ。ここで、公職選挙法・政治資金規正法の違反を免れるスキームを作ったはずだ。安倍後援会・安倍事務所は契約の主体じゃない。参加者一人ひとりが契約主体で、会費は5000円と確認した。この報告を受けて、私はその日に安心してぶら下がり会見をやった。
さらに、産経が「銀座久兵衛」を取材して、「桜を見る会」前日の後援会夕食会には、「うちの寿司は出していない。報道は間違いだ」とする記事を書いたのは、その日の深夜のことだ。これで、防戦できるかと思っていた。
ところが昨日以来、明らかに私の方の旗色が悪くなった。ニューオータニも久兵衛も、サービス業の常道として、客の顔を立ててくれている。どうして、ANAは、ああ頑なにホントのことを言っちゃうんだろう。忖度もサービスのうちじゃないか。もう、安倍政権に尻尾を振っても商売にはならないということなのか。それとも、ホテルマンにも矜持があるということなのかね。プライドなんて、商売にならないのにだ。
しょうがない。また、もう一本、尻尾を切ることにするか。
(2020年2月18日)
「自己実現する予言」あるいは「予言の自己成就」という社会学上の概念がある。社会に発信されなければ実現するはずのない「予言」が、多くの人に共有され、多くの人の確信になることによって、その予言が成就する現象を言う。
今年(2020年)は十二支の始まりの子年(ねどし)である。「子年には政権交代が起こる」は、根拠のない単なるジンクスに過ぎない。しかし、このジンクスが、多くの人に語られ共有され、「子年なのだから、今年はきっと政権交代が起こる」とみんなが思うようになれば、安倍政権が崩壊することも起こりうる。
毎日新聞のネット版「デジタル毎日」に、『政治プレミア』というサイトがある。なかなかの充実ぶりで、読み応えがある。
https://mainichi.jp/premier/politics/
昨日(2月16日)、そのサイトに『荒れる子年 起きるか安倍退陣と奪権闘争』という記事がアップされた。筆者は、中川佳昭・編集委員。このタイトルだから、目を通さずにはおられない。
子年は12年に1度やって来るが、必ず「荒れる」年になるという。戦後の子年は今年で7回目となるが、これまで「戦後の子年は例外なく、内閣の交代、奪権闘争が起きている。」のだそうだ。その記事によると次のとおりである。
1948年=芦田均内閣→第2次吉田茂内閣、
1960年=第2次岸信介内閣→第1次池田勇人内閣、
1972年=第3次佐藤栄作内閣→第1次田中角栄内閣、
1984年=第2次中曽根康弘内閣下での二階堂進自民党副総裁擁立未遂、
1996年=村山富市内閣→橋本龍太郎内閣、
2008年=福田康夫内閣→麻生太郎内閣
なるほど、確かに、「子年は荒れる」「子年には政変が起きる確率が限りなく高い」。さて、今年はどうなるのであろうか。
このネット記事の中で、過去の子年政変の典型である「岸→池田の1960年」を振り返るところが興味深い。
1960年、岸首相は国民的反対の強かった安保改定をやり終え、退陣する。…退陣した岸は池田、そして弟の佐藤が自分の亜流として、岸がなし得なかった憲法改正を実現してくれるだろうと期待していた。ところが池田は側近の前尾繁三郎や大平、宮沢喜一らの進言で「寛容と忍耐」をキャッチフレーズに打ち出し、憲法改正など見向きもしなかった。佐藤栄作は池田の後、1964年に首相になり、7年8カ月の長期政権を打ち立てるが、「沖縄返還」一色で、憲法改正を完全にお蔵入りにしてしまった。
「岸信介証言録」(毎日新聞社、2003年)に、次の岸の発言があるという。
「もういっぺん私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです。池田および私の弟(佐藤)が『憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことを言っていたんでね。私が戦後の政界に復帰したのは、日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです」
これを踏まえて、中川編集委員はこう言う。
「60年政権移動によって生み出された岸の欲求不満。60年たった2020年今日、首相返り咲きを果たし、今年8月には佐藤の連続在任記録を抜き、名実ともに首相在任最長となる安倍氏にしっかり受け継がれている。」
この記事の基調に同感である。保守ないし自民党も、一色ではない。一方に、「憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん」という勢力があり、もう一方に「日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要か」を強調する勢力がある。
池田・佐藤・前尾・大平・宮沢らが前者で、岸と安倍とが後者である。2020年子年の政変は、保守から革新への政権移行でなくてもよい。せめては、「積極改憲保守」から「改憲はやらん保守」への政権移行でよいのだ。
「子年だから政変が起こる」「子年の政変を起こそう」と言い続けることによって、これを「自己成就」させたいものである。
(2020年2月16日)