澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「理不尽なことに怒ることを忘れた」 ― 有権者さんとの対話

 ようやく探し当てました。アナタですよ。アナタが加重平均的有権者その人なんです。どうしてって? いろんな指標で国民の意見分布を数値化して、それぞれの中位点を見定める。数ある中位点群のちょうど重心に位置しているのがアナタ。だから、アナタが、典型的有権者。あるいは「ザ・有権者」。有権者全体の意見を代表している。

 そのアナタにお聞きしたい。問い質すつもりも、問い詰めるつもりもありません。ひたすら、ホンネを聞かせていただきたい。どうしてアナタは、右翼につながる安倍政権を支持するんでしょうか?

 なぜって? 理由が必要ですか? ただ、なんとなくですよ。そう、なんとなく。別に熱烈に安倍さんを支持するわけじゃない。と言って、別に安倍内閣で大きな不都合もないようだし…。今あるこの社会の空気にしたがって、自民党でいいんじゃないかって感じ。

 ほかの政権選択肢は考えられませんか? たとえば、今の野党各党の連立政権とか、自民党以外のどこかの党を核にした政権とか。

 現実味ないでしょう。世の中の仕組みは、もう固まってしまってますからね。10年前の民主党ブームが例外現象。結局うまく行かなかったでしょ。自民党政権が、この国の宿命みたいなもんじゃないですか。

 今回の参院選では、アベノミクスの当否が争点のひとつでした。アナタには、アベノミクスの恩恵を受けているという実感がありますか?

 そんな実感は、ありませんね。でもね。アベノミクスをやめたら家計が潤うだろうという期待もないんですよ。だいたい、経済政策で生活が左右されるという実感自体が乏しい。

 うーん、どうしてなんでしょう。与党と野党で、ずいぶん政策が違うように見えますが。税金を、どこからどのように取って、どのように使うか。

 どんな公約を掲げた、どんな政権ができようとも、どうせ同じようなことしかできないでしょう。政権が代わったところで、やれることの幅は小さい。世の中の仕組みを大きく変えることなんてできっこないでしょうから。それなら、冒険せずに無難な選択をということですね。

 でも、アナタの経済的実状で、安倍政権の年金政策や消費増税を支持することができますかね。

 そりゃあ、年金には大いに関心ありますよ。受給額は多ければ多い方が良い。でもね、所詮無理なことはできないでしょ。高齢化に少子化が重なるんだから、我慢するところはしなけりゃね。消費税もおんなじ。税金は安いに越したことはないけど。それでは国がやっていけないというんだから、多少の増税はしょうがない。もっとも、自民党の具体的な政策は良く知りませんがね。

 安倍政権が続けば、経済でも防衛でも、アメリカに揺さぶられ、押し切られて、だんだん苦しくなりませんか。

 なんだか、そうなりそうですね。トランプさんは、アメリカの利益オンリーですからね。でも、相手がアメリカではしょうがない。そんなに極端なことにはならないでしょうしね。

 安倍内閣もしょうがない、アメリカもしょうがないですか。原発再稼働はどうですか。

 これもしょうがない。長年積み上げてきたことですから、将来の課題としてならともかく、すぐにこれをご破算してゼロベースからのスタートは難しいでしょう。

 森友や加計問題で、安倍首相による「政治の私物化、行政の私物化」の疑惑が大きく問題になりましたね。「ウソとごまかしの安倍政権」はごめんだという声は高い。安倍さんには退場してもらった方が良いとは思いませんか。

 そのときどきの報道には、腹を立ててきましたよ。確かに、安倍さんの態度は良くない。麻生さんもヒドイ。丁寧に説明するとよく言いますが、ポーズばかり。不誠実な人だとは思います。けっして信用できる人ではない。それでもね。ガラガラポンと、政権を変えてしまうのは不安なんですね。やっぱり慎重でなくっちゃ。

 安倍さんの憲法改正提案はどうですか。

 正直言って、賛成か反対かに悩みます。どうしたらよいものやら。もちろん、戦前の息苦しい時代に後戻りしたくはありません。戦争を繰り返すのは、ごめんだ。だから、9条を変えてはならないという訴えはよく分かります。でも、「非武装中立で国の安全が保てるか」と切り込まれると不安を感じますし、最低限の武力は必要ではないかとも思います。それなら、自衛隊を憲法に書き込むだけという安倍さんの提案を信じたいという気持にもなります。でもまた、「憲法をいじると副作用が大きいぞ」と言われると、それもそうだな、と揺れ動きます。安倍さんは信用ならぬ人ということもあります。ですから、結論を急ぐことではない。ゆっくれと後回しの議論で良いと思います。

 それで、アナタは結局どう投票したのですか。

 どうせ自分の1票で何も変わるはずもないのですから、棄権しようかと思っていたんです。でも、会社の関係で投票したことを報告しなければならなかった。だから投票には行きました。すぐに改憲ということではないでしょうから、積極的に安倍首相不信任の投票をする必要はない。でも、万が一国会で具体的手続が始まったら困るから、改憲発議に必要な3分の2の議席は、改憲派に与えたくはない。そんな私の気持ちのとおりの開票結果でしたね。

 沖縄の問題、とりわけ辺野古基地建設はどうですか。

 安倍政権のやり方は強引ですね。沖縄の人はお気の毒ですよ。お気の毒ですが、沖縄の地理的条件を考えると、沖縄への基地集中はやむを得ません。沖縄へは、手厚い経済援助で我慢してもらうしかないのではありませんか

 さて、選挙が終わったいま、あらためて政府や国会に一番力を入れてほしい政策として、何を望みますか?

 朝日の選挙後の世論調査のとおりですよ。
 まずは、「年金などの社会保障」(朝日調査38%)で、
 次が、「教育・子育て」(同23%)ですね。
 それから、「景気・雇用」問題、(同17%)
 以上の切実な問題ばかりで、合計78%に達しますね。そんなものでしょう。
? 調査は5択で、4番目が「外交・安全保障」(同14%)となっています。
 「憲法改正」(同3%)は最下位で、国民が憲法改正の議論を優先課題としているとは到底考えられません。

 なんとなく、アナタの考え方は分かりました。あれもこれも、仕方がない、しょうがない。どうせ自分の意見や行動で、政治を変えられっこない。とすると、棄権するか、空気を読んだ現状維持の投票行動になると言うことですね。けれど、身近なテーマでは安倍政権に不満はけっこうあるんですよね。このままで、いいんでしょうか。

 このままで良いのかって、あんまり真剣には考えませんね。だいたい、政治という分野がマイナーなんですよ。政治を熱く論じるなんて、ダサいことじゃないですか。「この社会で生きている以上、主観的に政治には無関心でも、客観的に無関係ではいられない」とか、「無関心派は与党の応援団になっている」とか聞かされるけど、胸に響かない。働くのに忙しいばかりで、政治に積極的関心を持つゆとりもないんです。

 自分たちの力で社会を変えていこうって、ワクワクすることではありませんか。政治にロマンを感じませんか。

 スローガンだけ並べられても、その実現のイメージを描けませんね。不平や不満はあっても、我慢できないほどではない。それより、何かを主張して、トゲトゲしい雰囲気になるのがイヤですね。穏やかに暮らしたい。多少の理不尽なことには、怒ることを忘れてしまいましたよ。

(2019年7月24日)

しなやかで軽やかな、川柳による政権批判

参院選の憂さが晴れない。悔いが残る。本日は、その憂さ晴らしの一編。久々に、毎日新聞「仲畑流万能川柳」から。

この欄に入選して掲載されるのは、毎日18句。うち、1句が「秀逸」(☆印)とされる。時事ネタが少ない「万柳」だが、先週7月18日(木)、選挙直前のこの日には、良くできた政治ネタが多かった。面白いものをいくつか紹介したい。

☆年号が暮らしを楽にするだろか (千葉 中川宗太)

仰るとおりだ。元号が変わっても、天皇が変わっても、時が途切れるわけではない。暮らしも時代も変わらない。むしろ、代替わりということでの税金のむだ遣い。新たに拵えられた上皇(!)職への手当も増える。その分、確実に財政にしわ寄せとなる。国民の誰かを不幸にしての天皇交替なのだ。それを、何か、新しい良い時代の幕開けのように騒いで見せるのは、魂胆あってのこと。詐欺まがいの政権の行為。これに乗せられた国民が、ふと冷静さを取り戻して、「あのバカ騒ぎはいったい何だったろう」という冷めた感想が、このような句となる。権力や権威を、真正面から批判するのではなく、しなやかに軽やかに、いなすところが川柳の川柳たる所以。大いに見習いたいところ。選者が秀逸に推したことに納得。

前政権けなす二人はウマが合い (鳴門 かわやん)

いうまでもなく、二人とは、ドナルド・トランプと安倍晋三というペア。確かに「ウマが合う間柄」、価値観をまったく同じくするという似た者同士。しかし、ここまでトランプもアベも似ていたのか。なるほど、両名とも恐るべき無内容。だから、一方トランプは何もかもオバマのアンチテーゼでお馬鹿で危険な政治を行い、アベは民主党政権時代を「悪夢」と罵ることで、自らの立場を正当化する。近い将来、「アベ政治の悪夢を繰り返すな」と言われることになろうものを。

仲良いが明日はわからぬトランプ氏 (さいたま 貸話屋
トランプと親密という幸不幸 (和歌山 かものあし)

いずれも、アベ・トランプの「醜悪な親密さ」を醒めた目で見つめる句。その「親密さ」は、打算に裏付けられた明日をも分からぬ脆弱なものでもあるが、また「親密」なるが故に無理難題を断りがたい不条理を秘めている。「幸不幸」とは、アメリカの幸と日本の不幸、あるいは安倍晋三の幸と日本国民にとっての不幸をいう。

生命線二千万分消さなくちゃ (東京 いつも歩)

これは、深刻な句である。与党の宣伝をうっかり真に受けて、老後は年金で暮らせると思いこんできた。だから、せっせと高い保険料を長年支払い続けてきたんだ。ところが、それでは「2000万円たりない」という。今さら、それはなかろう。逆立ちしても2000万円の用意はできっこない。とすると、その2000万円分は命を縮めるほかはない。これを「生命線二千万分消す」と表現した。苛政は虎よりも猛く、命に関わるのだ。

安倍さんも万柳でぜひ反撃を (大阪 吉田昌之)

「アベやめろ」「アベかえれ」「増税反対」…。こう言われたときに、ムキになって、「こんな人たちに負けるわけにはいかない 」と叫んだり、警察頼みで厳重に取り締まるのは野暮の骨頂。余裕綽々、川柳で反論としゃれてみてはどうだろうという親身になっての建設的なご提案。昔、八幡太郎義家が、逃げる安倍貞任に、「衣のたてはほころびにけり」と声を掛けたら、貞任振り返って、「年を経し糸の乱れの苦しさに」とみごとに応じたという。同じ安倍、このマネができないか。和歌ではともかく、川柳で…。無理だろうな、余裕も教養もからっきしだもの。

元女優演技だらけの恥を知れ (出水 ケイユウ )
虎の威を借りて息巻く三原じゅん子 (尼崎 にしやん)

 八紘一宇議員・三原じゅん子の「恥を知れ」演説。聞いている方が、むず痒く、恥ずかしい。このむず痒さの表現を、さすがに川柳子は上手い。「元女優演技だらけの恥」は、言い得て妙。なるほど「演技だらけ」、しかも学芸会レベルの大仰さ。「恥を知れ」と言いたくもなる。「虎の威を借りて息巻く」も、面白い。確かに、「息巻いて」いたものね。で、「虎」とは誰のこと? まさか、安倍晋三のこと?「赤坂自民亭」では確かに赤い顔したトラだったけど。

6年を20日で暮らす参議員 (春日 あのくさ)
選挙戦頑張り議会昼寝の場 (横浜 無職闘迷)

言うまでもなく、この本歌は「1年を20日で暮らす良い男」。これを「6年を20日で暮ら」せるのなら、こんな素晴らしい商売はない。相撲取りなど較べものにならない。もっとも、力士にとっての20日は本業の真剣勝負。ところが、参院の議員には「議会昼寝の場」と見られている。参院の議員ががんばるのは、6年に1度の選挙期間中だけ。もっとも、最初の句の「20日」は、正確には17日。参議院議員通常選挙の選挙運動期間である。この選挙運動の期間だけは、神経をすり減らし、声を枯らして、「皆様のために」とがんばる。この期間が過ぎれば、あと6年の任期は左うちわで安泰なのだ。20日だけの頑張りで、その後の6年は安穏に過ごせる、けっこう良い商売。

おもてなし税金湯水のよに使い (富士見 不美子)

 かつて、東京五輪招致の過程で、「お・も・て・な・し」が流行語となった。同時に、「おもてなし」のイメージが地に落ちた。あれ以来、「おもてなし」は、美しい言葉でも、奥床しい振る舞いでもなくなった。薄汚い魂胆を秘めた愚行というイメージ。とりわけ、税金を使える立場にある者の「おもてなし」は、半分は自分をもてなすことでもある。湯水のように使って、惜しむところはない。誰が、誰を、どんな目的で、誰の費用で、どのようにもてなすか。つねに、その目的の吟味が必要だ。
もう一つ、ゴルフ場での「お・も・て・な・し」には、特にお気をつけ遊ばせ。男たち「わ・る・だ・く・み」一味の加計孝太郎さん、そして安倍晋三さん。

(2019年7月23日)

参院選、自民の後退で、改憲には一応の歯止め。

参院選が終わった。開票結果はけっして得心のいくものではない。祭りの後は大抵淋しいものだが、今回はまた一入。森友問題の追及にあれ程活躍した辰巳孝太郎(大阪選挙区)、弁護士として緻密な質疑を重ねてきた仁比聡平(比例区)両候補の落選に歯がみする思いで一夜を過ごした。

が、今朝になってすこしだけ落ち着きを取り戻している。まあ、最悪の事態は免れた。改憲策動にはブレーキを掛けた選挙結果とは言えるだろう。野党共闘の一定の成果は、今後の展望を開いたと言えなくもない。

選挙の総括は、多様な立場や視点でなされるが、今回は何よりも日本国憲法の命運の視点からなされなければならない。

参議院の定数は法改正あって248人だが、前回までは242人。今回は半数改選の定数が3増して124となった。非改選の121と合わせると、選挙後の議席総数は245となる。

だから、憲法改正発議に必要な3分の2は、164以上ということになる。

改憲勢力を自・公・維の3党と定義すれば、改憲3党の選挙前議席総数は160(自122・公25・維13)だった。これが、選挙後は157(自113・公28・維16)となった。定数3増での3議席減である。改憲発議に必要な議席数164には、7議席足りない。自・公・維以外に、無所属改憲派として3人を数えることができるとされているが、それを加えてもなお4議席足りない。

各党の消長は以下のとおりである。
 自民 選挙前総議席122 ⇒ 選挙後総議席113(9議席減)
     改選66議席 ⇒ 当選57(9議席減) 

 公明 選挙前総議席 25 ⇒ 選挙後総議席 28(3議席増)
     改選11議席 ⇒ 当選14(3議席増) 

 維新 選挙前総議席 13 ⇒ 選挙後総議席 16(3議席減)
     改選 7議席 ⇒ 当選10(3議席増) 

今朝の各紙トップの見出しは、「自公改選過半数」とならんで、「改憲勢力2/3は届かず」である。自民党の当選者数9減が、9条に追い風となっている。

「東京新聞」の論調が注目に値する。その見出しを拾ってみよう。
1面の黒抜き横の大見出しに「改憲勢力3分の2割る」。縦に「自公改選過半数は確保」。「20年改憲困難に」。2面と3面を通した横見出しに、「首相の悲願遠のく」「野党共闘一定成果」。社会面には、「9条守る決意の一票」。立派なものだ。

注目すべきは、共同通信の出口調査。見出しが、「安倍政権下での改憲 反対47% 賛成上回る」という記事。

「安倍政権下での改憲賛否」が、支持政党別にグラフ化されている。
自民党支持層では賛成73.7%だが、公明支持層では46.6%に落ちる。さらに意外なのは、維新支持層でも44.9%に過ぎないのだ。これでは、少なくとも「安倍政権下での改憲」は無理筋と言うほかはない。

安倍晋三よ。今回の選挙結果を「しっかりと(改憲の)議論をして行け、との国民の声をいただけたと思う」などと、ごまかしてはならない。改憲発議可能な議席は与えられなかったではないか。改憲を唱える自民党の議席を減らしたではないか。単独過半数も失った。「安倍政権下での改憲反対」と言うのが民の声なのだ。政権は、現行憲法に従わねばならない。政権の思惑で、改憲に先走ってはならない。民意が熟すのを待たずに、政権も与党も改憲を煽ってはならない。ましてや、民意が反対を明示しているにもかかわらず、改憲を強行しようなどとは、けっして許されざる所業である。
(2019年7月22日)

恐るべしレイシスト・トランプ。いや、本当に恐るべきはトランプ支持者なのだ。

上西充子さんが上梓した「呪いの言葉の解きかた」が評判になっている。
「私たちの思考と行動は、無意識のうちに『呪いの言葉』に縛られている。そのことに気づき、意識的に『呪いの言葉』の呪縛の外に出よう。のびやかに呼吸ができる場所に、たどりつこう。」

数ある「呪いの言葉」のうちで、最も普遍的で最も打撃的なものが、イヤなら出ていけ」という物言い。「それを言っちゃお終い」のたっぷり毒が入っている。

どこから出て行けというのかは千差万別である。この家から出ていけ」「このムラから出て行け」「会社から出て行け」「ギョーカイから出ていけ」「仲間はずれだ」「この国から出て行け…。強い者が弱いものに、多数派が少数派に、主流が傍流に投げつける言葉。多くは、出て行こうにも出てはいけない状況であればこそ、呪いの言葉として機能する。

上西さんは、こう解説している。
悪いのは、「嫌だ」と思っている人間の方だ、というニュアンスが込められている。呪いの言葉とは、「会社」や「この国」の方の責任は不問に付して。社会や組織の構造的な問題については不問に付し、それをすべて個人の責任の問題に転嫁することで、その人を呪縛し、あたかも個人に非があるように思い悩ませる言葉。もっと簡単に言えば、人の生き方や働き方を縛り付け、人の自由を奪う言葉。これが呪いの言葉である。

戦前の天皇制国家では、非国民」が最大級の呪いの言葉だった。あるいは、国賊・逆臣・不忠など。天皇への忠誠が国民道徳を超えた社会規範として国民を縛りつけていた。この規範から外れた「非国民」との刻印を押されることは、社会的な死をさえ意味していた。

米大統領のトランプが、極めつけの呪いの言葉を発した。野党・民主党の非白人女性(下院)議員4人を念頭に「イヤならこの国から出て行け」と言ったのだ。文言はすこし違うが、このとおりなのだ。

トランプはこう言ったのだ。「オレが大統領だ。オレが、アメリカの正統だ。そのオレにグズグズ文句を言うのなら、この国から出て行け」

しかも、トランプの最も忌むべき卑劣さは、非白人女性を狙い撃ちにしたことだ。もちろん、このような差別言論が、自分の支持者に熱狂的に歓迎されることを計算してのことである。

トランプは、アメリカの恥ずべきレイシズムをバネに大統領になった。再選のためには、自分のレイシストぶりをアピールしておかねばならないのだ。たとえ、それが理性ある人びとの大きな反感を買うとしても、次期大統領選には自分に有利と計算したのだ。

米下院は7月16日、「人種差別的な発言」と非難する決議案を賛成多数で可決した。「新たな米国民や有色人種への恐怖や憎悪を正当化し、拡散させたトランプ大統領の人種差別的な発言を強く非難する」「暴力や圧政から合法的に避難や亡命を求める人々に対し、米国は開かれ続けるよう約束する」というもの。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、同種の決議可決は過去4回だけと米議会史でも異例で、この100年では初めてという。投票結果は賛成240票、反対187票。民主党以外では、共和党4人と独立系1人が賛成にまわった。これほどのあからさまな差別発言に対する批判決議が、けっして圧倒的な多数で成立してはいない。

決議の翌日(7月17日)、南部ノースカロライナ州グリーンビルで開かれた共和党集会では、ソマリア出身でイスラム教徒のイルハン・オマル下院議員を批判するトランプの演説に聴衆が呼応。会場全体が「彼女を(ソマリアに)送り返せ」の大合唱に包まれたという。

「非国民は、この国から出ていけ」という呪いの言葉は、天皇制社会の専売ではない。理性を捨てた国民と、これを煽る政治家がいる限り、民主主義を標榜する社会でも、呪いとして機能する。民主主義の母国アメリカにその実例を見せつけられて暗澹たる思いである。

第25回参院選の投開票日の今日(7月21日)、あらためて思う。民主主義は、けっして常に正義を約束するものではない。主権者国民と政治家とが有すべき理性が不可欠なのだ。アメリカでも日本でも、である。
(2019年7月21日・連続更新2302日)

警察は、安倍晋三の私兵になり下がってはならない。

マッチは生活に必要な小物だが、芥川の言うとおり「重大に扱わないと危険」である。マッチすら危険なのだ。権力機構の実力組織としての警察の危険はその比ではない。

マッチ同様、警察は国民生活に必要で有益だから存在している。しかし、その内在する危険のゆえに、遙かに慎重に取り扱わねばならない。

警察に内在する危険とは、何よりも時の権力者の私兵に堕することにある。権力を握る特定の人物、特定の勢力のために、警察に与えられた実力が行使される危険である。「安倍一強」と言われる異常事態が長く続き過ぎた今日、その危険顕在化の徴候に敏感でなくてはならない。国民は常に警察を監視し、その逸脱した警察権の行使には、一斉に批判の声を上げなくてはならない。

札幌市中央区で7月15日に行われた安倍晋三の参院選街頭演説の際、演説中にヤジを飛ばした市民(男性と女性)を北海道警の複数の警官が取り押さえ、演説現場から排除した。男性市民は、「ものすごい速度で警察が駆けつけ、あっという間に体の自由が奪われ、強制的に後方に排除されてしまった」と言っている。女性市民に対しては、その後2時間以上も警察が尾行、つきまとったという。18日には、大津でも同様のことが起こった。その動画がネットに掲載されて、何が起こったか警察が何をしたのかが明確になっている。

安倍晋三は、政治と行政を私物化した首相と刻印されているが、本来各都道府県公安委員会の管轄にあるはずの警察権力までも私物化しているのだ。国民的な批判と弾劾が必要である。

警察法第2条《警察の責務》の第2項を確認しておきたい。
「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。」

これに基づいて、第3条《服務の宣誓の内容》はこう定める。
「この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。」

当然のことだが、警察組織にも、警察官個人にも、「不偏不党且つ公平中正」が求められる。「いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる警察権濫用の行為」があってはならないのだ

現実はどうか。北海道警も滋賀県警も、厳格に公共の安全と秩序の維持という責務の範囲に限られるべき警察権の行使を、安倍晋三個人の利益のために行使したのだ。市民の言論の自由を侵害して、「安倍やめろ。安倍かえれ」「増税反対」という言論を封殺し、日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる警察権濫用の行為を敢えてしたというほかない。

東京都在住の男性が、北海道警の警官らによる市民への排除、拘束が特別公務員職権濫用罪(刑法194条)と公務員職権濫用罪(刑法193条)に該当するとして札幌地検に刑事告発したと報道されている。地検の捜査と処分に注目したい。

道警の頭には、安倍晋三の「選挙活動の自由」という価値しかない。これを批判する市民の批判的言論は対抗価値としての位置づけはなく、不逞の輩の狼藉としか考えられていない。これが恐いところだ。

「不偏不党且つ公平中正」を厳正に貫くためには、市民の側よりも権力の側により厳しい姿勢を保持しなければならない一強体制の継続の中では、この本来あるべき姿勢が忘れられ、権力に対する忖度行政が横行する。道警の行為は、その氷山の一角の露呈であって、看過してはならない。

さっそく、自由法曹団の北海道支部と国民救援会とが行動を起こした。昨日(7月19日)下記の抗議の「申入書」を道警本部長宛に提出している。その迅速な対応に、敬意を表したい。
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北海道警察本部長 山岸 直人 殿

申  入  書

2019年7月19日

国民救援会北海道本部 会 長  守 屋 敬 正
自由法曹団北海道支部 支部長  佐 藤 哲 之

1 本年7月15日午後、安倍総理大臣が来札し、JR札幌駅前で、参議院選挙の自民党公認候補応援の街頭演説を行った。その際、「安倍やめろ、帰れ」などと声を発した男性と「増税反対」と叫んだ女性が、事前の声かけもなく、多数の警察官に取り囲まれ、腕をつかまれるなどして、数十メートルも強制的に移動させられ、その場から排除されるという事態が発生した。同様のことが地下道を移動中の安倍総理大臣に対して大声でヤジを飛ばした若い男性に対しても行われたと報道されている。

2 警察官によるこれらの行為は、強制的に排除された聴衆の行為が当初の北海道警察本部の説明にあった公職選挙法225条(選挙の自由妨害)に該当しないのは明白であり、法令上の根拠など全くなく、些かも正当化することができないものである。
それどころか、警察官によるこれらの行為は、特別公務員職権濫用罪(刑法194条)ないし特別公務員暴行陵虐罪(刑法195条)に該当する可能性さえあるものだと言わなければならない。

3 更に問題なのは、これらの行為が、複数の場所で、複数の人々に対して、複数の警察官によって行われ、現場にいた警察官が誰もそれを注意したり、制止したりしていないということである。このことから言えるのは、警察官によるこれらの行為が北海道警察による組織的なものだということである。
いうまでもなく、警察法2条は、警察の活動について、「不偏不党且つ公正中立」を旨とし、「いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない」としており、警察は公平・中立・適正にその職務を遂行しなければならない。特に、国政のあり方を決める選挙の期間中はとりわけ慎重でなければならない。
 北海道警察の対応は、時の政権におもねり、公権力が有形力を行使して時の権力者に対する批判を強制的に封じ込めることにもつながりかねないものである。

4 われわれは、民主主義社会の根幹を支える政治的言論の自由を擁護し、警察権力の違法、不当な制約を受けることなく主権者が旺盛に政治活動を行うことができるよう様々な活動を行ってきた。
 われわれは、今回の北海道警察の行為やその後の対応に対し、強く抗議するとともに、今回の事態の責任の所在を明らかにし、二度と同様の事態を引き起こさないことを強く求めるものである。

以上

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なお、公選法225条は、「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」を選挙の自由妨害罪の構成要件とし、4年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に当たるとする。
さて、「演説を妨害し」とは、どんな行為がこれに当たるか。公選法ではなく、衆議院議員選挙法時代のものではあるが、次の最高最判例(1943年12月24日)がリーディングケースとされている。

弁護人上告趣意について。
 論旨は、原判示第一の事実に関して、原判決が被告人の所為を選挙妨害の程度と認定したことを非難している。しかし原判決がその挙示の証拠によつて認定したところによれば、被告人は、市長候補者の政見発表演説会の会場入口に於て、応援弁士B及びCの演説に対し大声に反駁怒号し、弁士の論旨の徹底を妨げ、さらに被告人を制止しようとして出て来た応援弁士Aと口論の末、罵声を浴せ、同人を引倒し、手拳を以てその前額部を殴打し、全聴衆の耳目を一時被告人に集中させたというのであるから、原判決がこれを以て、衆議院議員選挙法第一一五条第二号に規定する選挙に関し演説を妨害したものに該当するものと判断したのは相当であつて、所論のような誤りはない。仮りに所論のように演説自体が継続せられたとしても、挙示の証拠によつて明かなように、聴衆がこれを聴き取ることを不可能又は困難ならしめるような所為があつた以上、これはやはり演説の妨害である。(以下略)

以上のとおり、選挙の「演説妨害」とは、「演説の継続を不能とせしめること」、または「演説自体が継続せられたとしても聴衆がこれを聴き取ることを不可能又は困難ならしめること」である。札幌や大津の例が、これに該当するはずもないことは、明白と言って良い。

さらに、この構成要件に該当する場合でも、権力者の選挙演説に対する市民の対抗意見の表明が、憲法に保障された表現の自由の行使として、違法性が阻却されることも考えられる。警察権の行使は、慎重の上にも慎重でなくてはならない。

明日(7月21日)投票の参院選、安倍一強体制崩壊のきっかけとしたい。そうしなければ、この国のあらゆるところが、際限なく腐ってゆく。

(2019年7月20日・連続更新2301日)

浜の一揆控訴審人証採用はせず。

平成30年(行コ)第12号 サケ刺網漁不許可取消請求等控訴事件

控訴人の進行意見

????????????????????????????????????????????????????? 2019年7月19日

仙台高等裁判所第1民事部 御中

控訴人ら訴訟代理人 弁護士    澤  藤  大  河

 本件の進行について、口頭で意見を申し上げます。
まずは、結論を申し上げますと、控訴人らが本年5月24日付で申請した、証人の二平章さん、控訴人本人のKTさん、このお二人の人証を本日採用決定いただきたい。
その上で、次回をその両名の尋問期日とし、次々回に最終準備書面を陳述しての結審という日程の設定を希望いたします。このようなスケジュールにしていただければ、最終準備書面には、2018年漁業センサスの結果を引用して、控訴人としての主張を完結することが可能です。
なお、もし貴裁判所が主張整理の必要があるとお考えなら、あるいは各当事者に求釈明がおありなら、弁論期日間に進行協議の機会を持つことに異論はありません。

各人証採用の必要については、既に被控訴人の否定意見に反論する形で、7月16日付の書面で詳細に述べているとおりですので、ここでは概括的に意見を申しあげます。

本件の進行を振り返って見ますと、原審においては、長く原審被告岩手県が訴の不適法にこだわり、主として本案前の抗弁としての主張の展開に固執したため、本案における当事者の主張の応酬が必ずしも十分とは言い難く、また噛み合わない憾みを残したままに結審に至った経緯があります。
控訴審においては、これまで貴裁判所が進行協議を積極的に活用されて、両当事者に十分な主張と反論を促してきました。その訴訟指揮のよろしきを得て、ようやくにして、各当事者の主張が明確となり、幾つかの新たな論点も整理されて噛み合った形が整い、その論点に沿った形で、控訴人は最小限に絞った人証の申請をしたのです。ところが、その時点で裁判体が交代して、訴訟進行の継続性が途切れた感を否めません。貴裁判所が被控訴人の側に人証の採否についての意見を書面で求め控訴人がこれに反論したというのが、れまでの経緯です。

本来6月末までにいただけるはずの被控訴人意見書を7月10日に受領いたしました。内容を一読して驚きました。被控訴人の、控訴人らに対する敵意を隠そうともしない姿勢についてです。岩手県知事ともあろう公益的立場にある者が、どうしてこれほどにも、余裕のない非寛容な態度となるのか。どうしてこれほどにも、県民である控訴人ら漁民の主張と立証活動を嫌うのか。人証申請対象の控訴人を威嚇し、証言を萎縮させようとするのか。明らかに、過剰に権力的な被控訴人の姿勢といわざるを得ません。当事者対等の訴訟の場においてなおこの姿勢です。岩手県水産行政の零細漁民に対する姿勢の苛烈さを彷彿とさせるものと指摘せざるを得ません。

控訴審では、本件固定式刺し網漁の不許可処分の理由をめぐって、漁業法および岩手県漁業調整規則にいう「漁業調整」のあり方が争われています。
具体的には、そもそも漁業調整という理念とはどういうものなのか。戦後漁業法が、法の目的として掲げた「民主化」とは何を指すのか。そして、本件漁業調整にどう関わるのか。また、公益性を有する漁協が自営定置網漁を行っているのだから、「定置のサケ漁獲に影響を与える組合員の固定式刺し網漁は、禁止して当然」と本当に言えるのか。これが、水協法4条の漁協の目的に照らしての問題です。
 さらに、サケの人工増殖事業が主として漁協によって、また公費を投入して行われていることが、控訴人ら漁民に、サケ採捕を禁じる理由になり得るのか。また、貴裁判所が提示された、「サケ延縄漁許可は、刺し網漁許可の代替性を持っているのか」という新たな論点もあります。これに加えて、各員年間10トンを上限とするという固定式刺し網漁許可の実効性・合理性の有無。そして、三陸沿岸の漁業衰退の中で、固定式刺し網漁許可はどのようなインパクトを持ちうるか。

このような論点の全般について、社会科学者として、また水産行政の実務担当の経験もある二平章氏の証言は必須です。主張はしたが立証はさせないという訴訟指揮はあり得ません。二平証言は、甲29の意見書を敷衍する内容になるはずです。加えて、近時の国連における重要テーマとして、零細漁民の営業と生活、その基盤としての漁村というコミュニティを護ろうという大きな流れがあること、これが各国が共有すべき国際的な公序となっていることについても、二平氏ならではの証言を聞いていただきたいのです。

また、控訴人本人KTさんには、小型船舶漁業者としての実体験から、これまでの県の漁業行政の実態を語っていただきます。定置網漁業者のサケ漁独占と零細漁民のサケ漁からの排除が、いかに不合理で、サケ漁の許可を求める切実さについて、耳を傾けていただきたいのです。また、漁業行政や漁協の運営について予定されている民主的手続の形骸化の実態は、漁業調整のあり方が強者の欲しいままとなっていることを示唆するものとして、重大事だと思料されるものです。

 控訴人ら漁民は、長く浜の有力者や行政と対峙して絶望感を抱いて、今、裁判所の公正を信じて、その判断に希望を見出そうと期待しています。この期待を裏切ることなく、漁民らの切実で真摯な声を十分に聞いていただくよう、切望いたします。

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この意見陳述の後、裁判所は「合議します」と休廷して、再開後の法廷で、人証不採用とした。抗議はし異議を申し立てたが、覆らない。裁判長に理由を問い質すと、「既に両名の意見書陳述書が提出され、被控訴人側では反対尋問の必要がないと言っておられますから」「もし、補充の陳述内容があれば、次回までに書面での提出を」という。

裁判長交代で、法廷の空気は変わってしまった。残念だが、次回は12月。最終準備書面提出となった。

閉廷後の報告集会は盛り上がった。県側の書面の酷さに怒り心頭のところに、裁判所の態度が火に油だった。みんな喋らないではおられないと、意気盛ん。証人採用しないのなら、それに代わる証拠を積み上げようとやる気十分。なるほど、これは「浜の一揆」のボルテージだ。

そして、話題は漁業法改正や規制改革委員会の姿勢。「こんな事態でまだ、自民党の選挙やってるのが漁協の幹部だ」という言葉が印象的だった。

(2019年7月19日・連続更新2300日)

憲法擁護のお気持ちを、日本共産党と野党共闘候補へ。

ご無沙汰をお詫びし、暑中お見舞い申しあげます。

いつになく梅雨寒の日が長く続きますが、既に季節は小暑。そして、七十二候では「蓮始開(はすはじめてひらく)」の侯となっています。このところ、朝の日課としている散策では、ようやく開きはじめた上野不忍池の蓮の華が目の楽しみ。
早咲きの華あり、晩咲の華あり。競って高く咲く華もあれば、葉裏にひっそりと咲く華も。蕾もあれば、盛りの花も、そして既に散った花弁も。人の様々と変わらない蓮の華の風情。

気候はやや不順ですが、ご家族の皆様には、健勝にお過ごのことと存じます。

 ところで、第25回参議院議員選挙の投票日が目前に迫っています。来たる7月21日(日曜日)の投票日には、日本共産党と野党共闘の候補者に一票を投じていただくよう、お願いを申しあげます。

「安倍一強」と言われる異様な事態が続いていることに不安を禁じえません。この社会はいったいどうなってしまったのだろう。この先さらにどうなって行くのだろう。このままであってはいけない、今のうちに何とかしなければならないという、焦りに似た気持ちを感じ続けています。

とりわけ、このまま安倍一強の政権を存続させておくことによって、日本国憲法が「改正」されてしまうのではないかという強い危機感を持たざるを得ません。仮に、今度の選挙で、自民党や与党勢力、あるいは政権に擦り寄る維新などが、大勝して議席を増やすようなこととなれば、憲法「改正」の手続が具体化することになりかねません。

また、反対に、憲法「改正」に反対する勢力が大きく議席を増やすことができれば、憲法改悪のたくらみを打ち砕くことになります。その意味で、今度の選挙には日本国憲法の命運がかかっているのだと思います。

日本国憲法の命運は、この憲法の理念として国民に受容されてきた、平和や国際協調、そして民主主義や人権の命運でもあります。安倍政治がたくらむ改憲とは、平和や民主主義や自由、そして経済的弱者の生存の権利を危機に追い込むものと警戒せざるを得ません。けっして、改憲を許してはなりません。

本日(7月18日)の赤旗一面のトップに、安倍9条改憲の阻止 共産党が伸びてこそ」という大見出しがあります。私は、そのとおりだと思うのです。

その記事のリードには、こう述べられています。
「安倍晋三首相が各地の遊説などで改憲を前面にすえ、9条の自衛隊明記を公然と訴えるなか、9条改憲に向けた暴走を止めるかどうかが参院選の重大争点として浮上してます。…何としても、この野望を止めなくてはなりません。止める一番確かな力は、日本共産党の躍進です。」

まったく、そのとおりではありませんか。船が大きく右舷の側に傾くとき、平衡を取り戻すには、できるだけ左舷の側に集まらねばなりません。今まさにそのときなのだと思うのです。しかも、船が沈まぬうちの緊急の課題として。

安倍晋三という人物は、極右の勢力に担がれて、改憲を使命に頭角を表してきた政治家です。彼は、支持勢力をつなぎ止めるためにも、改憲を言い続けなければならない立場にあります。とりわけ、右翼勢力が目の仇とする「憲法9条」を変えようと口にし続けねばならないのが、彼の背負った使命でもあり、宿命でもあります。

もちろん、国民世論は、けっして安易に改憲を許すものではなく、首相の思惑とは大きな隔たりがあります。改憲実現のハードルが高いことは自明のことですから、安倍自民党は、できるだけ、耳に甘い言葉で、有権者を欺そうと考えます。今回も、奇策を編み出しました。いや、詐欺の発案といった方が適切なのかも知れません。

それが、「9条1項2項は全文そのままにして、9条の後に、新たに『第9条の2』1か条を追加する」という、自民党の改憲案(自民党は、条文イメージ(たたき台素案)」と言っています)です。その文言は以下のとおりです。

第9条の2
1 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

これが、安倍自民党の「安倍9条改憲」案です。よくお読みください。念のため、現行の9条の全文を引用しておきます。

第9条
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

現行9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めます。つまり、日本国憲法は、「戦力」の保持を禁じているのです。では、「戦力」とは何でしょうか。「陸海空軍その他の戦力」というのですから、「陸軍・海軍・空軍」は当然に戦力に当たります。陸海空軍に当たらなくても、それに準じる実力組織は、「その他の戦力」に当たることになります。

つまりは、戦力とは、対内的な治安のために必要な警察力の範囲を超えて、外敵との交戦をなしうる人的・物的な組織体を指すとするのが常識的な見解でしょう。憲法上、警察力の保持は当然として、それを超える軍事力の保持はなしえないと覚悟を決めて、この憲法を作ったのです。

ところが、1954年に政府は、戦力をこんな風に定義しました。「自衛のため必要な最小限度を超える実力組織」というのです。

自衛のため必要な最小限度」が分かれ目です。これを超えるれば「戦力」に当たりますが、「自衛のため必要な最小限度」の範囲内の実力組織であれば、「戦力」に当たらない。こうして、自衛隊が生まれ、育ってきました。

今や、自衛隊はその実態からは、世界第6位とも5位とも言われる「陸・海・空軍」といわざるを得ませんが、建前は飽くまでも「戦力=軍隊」ではなく、憲法に認められた「自衛のため必要な最小限度の実力組織」なのです。

実は、この「戦力」についての解釈は、自衛隊を創設するために政府がひねり出した解釈ですが、今や、自衛隊の拡大増強を縛るものとなっています。

以下は、防衛省・自衛隊自身のホームページからの引用です。
「わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することでわが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます。
 しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。」

今の自衛隊は、政府自身の憲法解釈上、このような「縛り」(厳密な縛りとは言えない、緩いものではありますが)がかかっていることになります。しかし、安倍自民党は、このような手枷足枷の桎梏を取り払って、自衛隊を堂々の「国防軍」としたいのです。そのホンネを語っているのが、2012年4月28日発表の「自民党憲法改正草案」です。現行の憲法第2章「戦争の放棄」は、安全保障」に置き換えられ、堂々と自衛隊の海外派兵も治安出動も憲法上可能となります。軍法会議も整備されます。

このような、安倍自民党のホンネを視野に入れて「安倍9条改憲」の提案を読まねばなりません。たたき台とされている「9条の2」の案が、「前条の規定(9条1項・2項)は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」となっているのは、9条1項・2項をまずは、ご破算とすることを意味します。

その上で、「そのための実力組織として、法律の定めるところにより、自衛隊を保持する。」「自衛隊の行動は、法律の定めるところによる」とは、結局法律の作り方次第、国会の過半数の勢力が、これまでの憲法9条の縛りを離れて、広範な裁量のもと、新たな自衛隊を設計し運用することが可能となるのです。

この改憲は、何としても阻止しなければなりません。そのためには、これまで安倍9条改憲と最も厳しく切り結んできた日本共産党に活躍してもらわねばなりません。そして、13項目の共通政策を作成した野党共闘は、共通政策の第1項目を「改憲阻止」としています。

ぜひとも、今回は、「安倍改憲」阻止のための選挙として、
32ある地方区の一人区では「野党共闘候補」を複数区では「日本共産党の公認候補」を、そしてもう一票の比例区では、「日本共産党」と政党名を記入して投票ください。

以上、日本国憲法と平和と民主主義に成り代わって、お願いを申しあげます。
(2019年7月18日・連続更新2299日))

森友事件は終わってない。首相夫妻の国政私物化を忘れてはならない。

本日は、森友関連事件について要請に最高検へ。下記の要請書を持参した。

森友事件とは、その本質は最高権力者の国政私物化にある。その国政私物化が刑事事件として表面化したものが、近畿財務局の国有地8億円値引き問題である。払い下げの相手は、首相の妻が名誉校長の地位にあった私立小学校経営者。問題の土地はその小学校の敷地で、学校が完成すれば、首相夫妻好みの極端な右翼教育が行われるはずであった。

幸いにことは露見して、この学校建設計画は頓挫し、首相夫妻への批判が巻きおこった。しかし、首相の下僕となった官僚機構は、記録を隠蔽し、改竄して、首相を国会の追及からかばった。

そこで、刑事司法の出番となった。多くの刑事告発が申し立てられた。被告発人を近畿財務局の担当職員とする背任罪や、この追及をかわした高級官僚の公文書毀棄・変造、あるいは証拠隠滅など。

通常であれば、起訴されて当然のところが、大阪地検特捜部はこれを全部不起訴処分とした。こうして、舞台は検察審査会に移り、今年(2019年)3月にその一部が「不起訴不当」の議決となった。

現在、大阪地検特捜部が、再捜査をしているが、首相の忖度で固められた政治や行政の雰囲気の中で、政治的な圧力を排して検察の使命を果たすことができるだろうか。

この事件の処分は特捜限りではできない。大阪地検でも判断はできまい。常識的に、最高検の判断に依らざるを得ないだろうとの印象をもっている。ぜひとも、最高検には、大阪地検特捜部に対する「政治的圧力に負けずに、検察の使命に徹して、厳正な捜査を遂げて、起訴に至るよう」指導を求めたい。無理に、起訴せよというのではない。大阪検察審査会も、起訴あってしかるべきと明言している通り、不当な政治的影響なければ当然に起訴となるべき事案なのだ。

最高検への要請の後、司法記者クラブで記者会見。「森友事件は終わっていない。忘れてはならない」と。

(2019年7月17日・連続更新2298日)

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「森友関連告発事件」についての指導の要請

2019年7月17日

検事総長 稲田伸夫殿

当該事件告発人  醍醐聡外 計19名

同告発人ら代理人弁護士  澤藤統一郎

同            杉浦ひとみ

同            佐藤 真理

同            澤藤 大河

 

(連絡先 〒113-0033 東京都文京区本郷5丁目22番12号

                  弁護士 澤 藤 大 河)

 

指導を求める告発事件(以下「本件告発事件」)の特定と経過

2017年10月16日 東京地検に告発(被疑者・池田靖 罪名・背任)

同 年10月27 日 大阪地検へ移送

2018年 5月31日 大阪地検検察官不起訴処分(平成29年検第17422号)

(なお、関連の告発被疑事実について被疑者38人全員を不起訴)

同 年 6月 4 日 大阪検察審査会に審査申立

同 年 6月 5日 大阪第一検察審査会審査申立受理(平成30年検第13号)

2019年3月15日 大阪第一検察審査会(以下、単に「検察審査会」)

が「不起訴不当」の議決

2019年3月29日 検察審査会上記議決要旨を通知

現在、大阪地検特捜部において再捜査中

要請の趣旨

  本件告発事件について、貴職より、最高検察庁のしかるべき機関を通じて、再捜査担当の大阪地検検察官に対して、一切の政治的思惑を排して、刑事訴訟法の原則と検察官のあるべき使命に従い、十全の捜査を遂げた上、起訴処分に至るべく指導を求める。

要請の理由

1 本件告発被疑事件(背任)の概要

被疑者池田靖は、財務省近畿財務局管財部統括国有財産管理官の任にあって、国に対して、国有財産法、財政法等の規定に基づき、同財務局管内の国有地を売却するに当たっては売却対象の土地の価格について十分な調査をして適正な価格で売却し国が損害を被ることがないようにすべき任務があるのに、その任務に背き、学校法人森友学園理事長らと共謀の上、同学園の利益を図り、かつ、国に損害を加える目的で、大阪府豊中市所在の国有地の売却価格1億3400万円が同土地の更地価格9億5600万円に比して著しく低廉な価格であることを知りながら、2016年6月20日、同土地を同学園に1億3400万円で売却し、もって国に財産上の損害を加えたものである。

2 検察審査会不起訴不当議決の留意点

(1)大阪地検検察官の不起訴処分を不当とした検察審査会の議決要旨は本件背任の嫌疑の核心をなす地下埋設物の撤去費用の見積もりに疑問を呈し、「本件と利害関係のない他の建設業者のみならず、教育あるいは保健機関の意見も参考にし客観性のある試算を行うなど廃棄物の撤去処理費用について、さらに捜査を尽くすべきではないかと考える」と指摘している。

また、8億円余の値引きの根拠とされた森友学園側からの損賠賠償の提訴の虞について、学園側の代理人弁護士でさえ、「国を相手にする訴訟は相当厳しいものになると認識していたことがうかがえる」、「そもそも、・・・・本件で問題とされる生活ゴミは〔地下埋設物撤去等工事〕契約の対象外とされていたことを考慮すれば、その責任の全てを国が負うと考えるのは納得できない」と厳しい疑問を投げかけている。

(2) 大阪地検検察官の不起訴処分を不当と議決した検察審査会議決要旨の理由中に、以下の異例の記載がある。

「背任罪に関しては、検察官において、政治家らによる働きかけの影響の有無につき検討をしていることから付言すると、確かに本件不起訴記録中の被疑者の供述などからは、森友学園側の働きかけによる政治家の秘書等から財務省に対する陳情、問い合わせ等があった事実を受け近財を含む国側がこれに応じて何らかの便宜を図ったことがうかがえる証拠は認めなかった。しかし、本件不起訴記録にある証拠のみでは、政治家らによる働きかけの影響の有無については判断しがたく、この点についても検察官は、さらに捜査を尽くすべきと考える。」

「以上のことを踏まえ、当検察審査会の判断としては、上記趣旨のとおり議決するものであるが、最後に付言するとすれば、背任罪について、本件のような社会的に注目を集めた被疑事件については、公開の法廷という場で事実関係を明らかにすべく公訴を提起する意義は大きいのではないかと考える。

従って、本件の被疑者中、その不起訴処分を不当とした者については、検察官において、更なる捜査を尽くし、その上での再考を要請する。」

(3) 即ち、検察審査会も、審査に顕出された資料の範囲では、「近畿財務局を含む国側が、政治家の秘書等から財務省に対する陳情等に応じて、何らかの便宜を図ったことがうかがうべき証拠は認めなかった。」とは言う。

しかし、明らかに同議決は、疑惑を否定し得ないものとしている。検察官が作成した「本件不起訴記録にある証拠のみでは、政治家らによる働きかけの影響の有無については判断しがた(い)」というのである。

このことを前提に、検察審査会は、背任の罪体についてではなく、背任の動機としての「政治家らによる働きかけの影響」の有無、具体的には「近畿財務局を含む国側が、政治家の秘書等から財務省に対する陳情等に応じて、何らかの便宜を図ったこと」についても、「検察官は、さらに捜査を尽くすべきと考える。」と明言しているのである。このことの意味は大きい。

(4) 検察審査会の本件議決が、わざわざ「本件のような社会的に注目を集めた被疑事件については、公開の法廷という場で事実関係を明らかにすべく公訴を提起する意義は大きいのではないかと考える。」というとおり、本件被疑事実には、国民誰もが大きく注目している。国民誰もが、徹底して事実関係を解明するために起訴あってしかるべきと考えてもいる。

その注目の理由は、特定の公務員ひとりの犯罪の成否にあるのではなく、厳正であるべき国有財産の管理が、内閣総理大臣の任にある政治家と、その妻が介在することによって、「只同然の価格で」払い下げられたのではないかという疑惑にある。公正で平等であるべき行政が、有力政治家によって私物化され、ゆがめられたのではないかという疑惑である。

(5) 検察審査会の本件議決は、敢えて明言を避けてはいるものの、上記の疑惑を払拭し得ないものとしている。婉曲には、「政治家らによる働きかけの影響」によって、本件背任行為がなされたことの疑惑の存在を肯定し、これを前提としての立論をしている。留意すべきは、その点についての捜査の不徹底が、本件の捜査と処分をした検察官のありかたの批判ともなっていることである。

即ち、「近畿財務局を含む国側」だけでなく、「公正であるべき検察」も、「政治家らによる働きかけの影響」をうけているのではないかとする疑惑が示唆されているといってよい。

検察審査会の本件議決は、確かに「本件不起訴記録にある証拠のみでは、政治家らによる働きかけの影響の有無については判断しがた(い)」とはいう。しかし、その点に関する検察の捜査の不徹底を批判して、「検察官は、さらに捜査を尽くすべきと考える」と明言しているのである。

いま、政権中枢は、行政私物化の疑念のみならず、司法の一翼を担う検察の私物化疑惑をも抱えるに至った。

本件議決の指摘はそう読まなければならない。

(6) なお、以上の検察審査会の判断は、罪体自体の捜査については、これを不十分と指摘するところはない。捜査報告書に記載された事実関係の把握によって、被疑者の背任罪の成立は当然に認められるとしているものである。

しかも、背任罪の被害額が8億円余と巨額であるだけでなく、「この上なく社会的な注目を集めた被疑事件」でもある。当然に、公開法廷において事実関係を明らかにすべく公訴提起あって然るべき事件であるにもかかわらず、不起訴とされた。森友関連諸事件での被告発者は計38名にのぼるところ、その全員が全被疑事実について不起訴となった。国民の目からは、政治的背景なくしてはあり得ない処分であり、検察自らが、政権へのおもねりによる処分との疑惑を招いたものと指摘せざるを得ない。

3 貴職に適正な指導を求める理由

検察の使命は、厳正公平・不偏不党を旨とし、迅速適正に、犯罪の真相を解明し、罰すべきものがあれば、これに対して公訴を提起し、公開の法廷で事案を明らかにするとともに、被告人の人権を保障しつつ、適正な刑罰が科されるように公判を維持することにある。そして、検察庁においては、国家意思の統一の保持のため、検事総長を頂点とする一体の組織として活動することが要請される(「検察官同一体の原則」)。この検察官一体の原則は、国家刑罰権の発動を促す個々の検察官の判断における公平を図ることのほか、厳正公平・不偏不党を貫くことが困難な権力との対峙の場面では、検事総長が検察庁を統一することが求められるのである。このことによって、あるべき社会秩序を維持し、公平で安全・安心な社会の実現への貢献が期待されるところである。そのことの徹底によって、国民は検察を信頼しうることになる。

ところで、検察の使命である厳正公平・不偏不党を侵害する最大のものは、政治権力であり行政権力である。検察の使命は、このような巨悪と対峙し、一歩も退かずに、「巨悪を眠らせない」姿勢を貫くところにあり、そのことによって、検察は国民の信頼を勝ちうることが可能となる。

検察は、はたしていま、そのような国民の期待に応え得ているだろうか。国民の付託に応えるよう努力しているとの信頼を勝ち得ているだろうか。

残念ながら、巨悪は枕を高くして眠っているのではないか。少なくとも、そのような疑惑を払拭し得ていない。

本件告発人らは、主権者国民を代表する立場において、貴職に要請を申しあげたい。

本件告発事件の再捜査は、大阪地検特捜部における担当検察官によって進展しているが、その捜査の徹底と、不起訴処分を覆しての起訴処分は、大阪地検限りでの判断ではなしがたいものと考えざるをえない。既述のとおり、本件の政治的背景には厳しいものがあり、処分以前に最高検の指導や指示を仰ぐことになると予想されるところである。

この点について、貴職より、最高検察庁のしかるべき機関を通じて、再捜査担当の大阪地検検察官に対して、一切の政治的忖度も思惑も排して、刑事訴訟法の原則と検察官のあるべき使命に従い、厳正な捜査を遂げた上、起訴処分に至るべく指導を尽くされたい。

とりわけ、検察審査会の本件議決が指摘するところに十分な配慮をして民意に応え、公平・不偏不党を旨とする検察の姿勢を貫き、国民の信頼を勝ち得る努力を通じての成果を上げるよう、衷心からの期待と要請を申しあげる。

以 上

ファクトチェックは重要で、厳しい。

このところの各紙のファクトチェックが好評である。とは言うものの、量的にも質的にも、やや物足りなさを禁じえない。もっともっと、権力者の発言に鋭く遠慮のない切り込みに期待したい。

昨日(7月15日)の朝日は、安倍首相が誇る雇用増の実績は本当?」と切り込んだ。さすがに、よいテーマを選んでいる。これは、参院選の論争に必読。

安倍晋三首相 「この6年間、私たちの経済政策によって、働く人、雇用は380万人も増えた。年金の支え手が400万人近く増えたということ。それだけ保険料収入は増えた」(11日、大分県別府市での街頭演説で)

――△(一部不正確)

 総務省の労働力調査(年平均ベース)によると、企業や団体などに雇われている雇用者のうち役員を除いた働き手は、第2次安倍政権発足後の2013年から18年までの6年間で383万人増えた。「380万人増」という主張は正しい。

 ただ、増えた働き手のうち55%はパートやアルバイトなど非正規で働く人々が占める。非正規で働く人の多くは所得が少なく、不安定な生活を送っている。総務省が5年ごとに公表している就業構造基本調査によると、非正規で働く人の75%が年収200万円未満だった。この中には学生バイトや主婦のパートも含まれているが、いわゆるワーキングプアにあたる人も一定数いるとみられる。

 首相はこれまで「この国から非正規という言葉を一掃する」と何度も訴えてきたが、役員を除いた働き手に占める非正規雇用の割合は18年平均で37・9%となり、過去最高の水準になっている。

 非正規雇用が増え続ける一因には、企業が人件費を抑えようと正社員よりもパートやアルバイトを雇ってきたことがある。特に近年目立つのが、非正規で働く高齢者の増加だ。労働力調査によると、この6年間に増えた働き手383万人のうち40%は、パートやアルバイトを中心に非正規で働く65歳以上が占めている。定年後の再雇用でも、賃金など待遇面は現役時代より下がるのが一般的だ。

 加えて、1990年代後半以降、自民党政権が企業の求めに応じて派遣労働などの規制緩和を進めたことも非正規雇用の増加につながった

 秘書や通訳など26業種に限られていた派遣業は、小渕政権下の99年、建設業や製造業などを除き原則自由になった。さらに、安倍首相が政府・与党の中枢にいた小泉政権では、04年3月に施行された改正労働者派遣法によって、派遣期間の上限は1年から3年に延び、製造業への派遣労働も解禁された。

 一方、年金の支え手である加入者数は、保険料の納付期間が終了して加入者でなくなる人と新規加入者を出し入れすると、12年度末が6736万人、17年度末が6733万人で、ほぼ横ばいだ。「年金の支え手が400万人近く増えた」かどうかははっきりしない。

 保険料収入は確かに増加傾向にある。17年度は37兆2687億円で、12年度より7兆1千億円増えた。厚生労働省は理由の一つに、国民年金に比べて保険料が高い厚生年金の加入者が増えたことを挙げる。

 首相は演説で「4月に年金額が増えた」ともアピールする。19年度は公的年金の支給額が前年度より0・1%引き上げられた。引き上げは、15年度以来4年ぶり。国民年金の場合、満額で受け取る人は月67円増えて6万5008円、厚生年金はモデル世帯(夫婦2人分)で月227円増の22万1504円となった。

 ただ、少子高齢化に合わせて年金水準を自動的に引き下げる「マクロ経済スライド」により、物価上昇率(1・0%)や賃金上昇率(0・6%)よりも支給額の伸び率が抑えられている。だから支給額は増えても、実質的な水準は目減りしている。

こちらも選挙戦に使いやすい。東京新聞の《論戦ファクトチェック》野党、具体策示し年金改革公約 自民の主張「対案ない」は言い過ぎ

 参院選で重要争点の年金制度を巡り、自民党は政見放送で「(野党が)具体策を示さず不安をあおっている」と主張している。実際には、野党各党は公約などで現行制度の見直し案を示しており、自民の主張は「言い過ぎ」といえる。

 政見放送で三原じゅん子女性局長は「一部野党は、具体策を示さないまま不安をあおるだけ」と強調。隣の安倍晋三首相(党総裁)も、負担増なしに給付だけ増やせないと同調し「年金を充実する唯一の道は年金原資を確かなものにすること。すなわち、経済を強くすることだ」と話す。

 首相は十一日の福岡市での街頭演説でも「野党は財源も示さず、具体的な提案もしていない」と訴えた。

 しかし、立憲民主党は参院選の政策集で「低所得者の社会保険料の軽減措置」や「低年金受給者に対する追加給付」を掲げる。国民民主党は、低所得の年金生活者に最低月五千円を追加給付する政策を打ち出している。共産党社民党は、物価や賃金の伸びより年金の伸びを低く抑える「マクロ経済スライド」の廃止などを提言。日本維新の会は、年金の「積み立て方式」への移行案を提唱している。

 財源に関しては、年金制度見直し目的の財源を明示していない野党もあるが、共産は公約で、高額所得者の保険料を見直して年金財政収入を増やすと主張。国民も「金融所得課税の強化で捻出できる」(玉木雄一郎代表)と訴える。

 共産の志位和夫委員長はツイッターで「自民の政見放送は根拠のない野党攻撃。安倍さん、(同席した)党首討論で具体案を話したことが聞こえなかったの?」と投稿した。

もう一つ。こちらは、英BBCのニュース。「トランプは無能」という命題のファクトチェックが必要。どこかが、やってくれないだろうか。

?英国のダロック駐米大使が、トランプ米政権について「無能」「頼りにならない」と英首相官邸に報告していたと、英大衆紙メール・オン・サンデーが7日報じた。「米国との『特別な関係』の真価が試されかねない」(英BBC)と波紋を広げている。

トランプ無能の根拠よりは、むしろ、無能と言われてどう反応するかに興味が集まるところ。その態度が、政治家としての器の見せどころではないか。これを見つめる衆目が、ファクトのチェックとなる。

「無能」と言われて意に介さず、平然としていられるのは、ただ者ではないと思わせる。

無能と言われて、余裕綽々ニヤリと笑ってみせてはどうだろうか。何なら、ツィッターで、「無能と言われたよ。図星だね」くらい、言って見てはどうだ。風格が感じられないかね。

猛然と怒るのは、下の下。政治家として無能の極致。その醜態が、自らの無能を証明することになる。ときどき、我が国の首相にも思い当たる節がある。

結局、トランプは自らを無能と証明してみせた。が、このファクト。実は重い。この無能政治家を選んだ有権者の無能をも暴露することになるからだ。ファクトチェックは、厳しい。
(2019年7月16日)

民主主義が生きるか死ぬか ― それが選挙にかかっている。

寒く、じめじめした、陰鬱な日が続くが、季節はまぎれもなく夏である。暑中見舞いをいただいて、すでに小暑であることに気付く。七十二候では「蓮始開」の侯。

全国の自由法曹団や青年法律家協会系の法律事務所から、暑中見舞いを兼ねた事務所ニュースが届く。いずれも力作で、楽しく目を通す。

カラー印刷のレイアウトに凝ったものが多い中で、珍しく単色の無骨さが却って目立つのが、横浜合同法律事務所の事務所ニュース。

表紙に大きく、「暑中お見舞い申しあげます?憲法を護るための選挙の夏です」と書き込まれている。その下に、所員のメーデー参加時の集合写真(モノクロ)が掲載されている。大きな横断幕には「守るべきは、平和で安全な暮らし?安心して生活するため、憲法9条をいかそう?」というスローガン。「憲法9条を守ろう」ではなく、「憲法9条を活かそう」というのが、いかにも法律事務所らしい。

最初のページに、民主主義を機能不全にしないために」という、小口千恵子弁護士の論稿。「民主主義の死」の危険を警告して刺激的である。

 かつて民主主義は革命やクーデターによって死んだ。しかし、現代の民主主義の死は選挙から始まる。選挙というプロセスを経た強権的なリーダーが、司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える。『合法的独裁化』が世界中で静かに進む。これがハーバード大の2人の教授著の「民主主義の死に方」で指摘されている内容である。

 安倍政権は、これまで国政選挙で5連勝してきた。……その結果、国会の討論が機能しなくなり、内閣に不利な情報は隠蔽・改ざんされ、忖度が横行し、最終的には数を頼んでの強行採決で法案が成立し、一強政権がますますのさばる結果となる。

 前述の文献では、民主主義は、「相互的寛容」(競い合う政党がお互いを正当なライバルとして受け入れる)と「自制心」(節度をわきまえる)ことで成り立っているとされている。しかし、沖縄の辺野古問題でも明らかなとおり、安倍政権の下では民意は顧みられることもなく、国会の多数決原理のみ強調されて民主主義の根幹が無視され続けている。

 独裁者を抑制するためには、独裁者に有利となるような制度に作り替えさせてはいけないし、また、民主主義の砦として人類の英知を結集して作り上げた憲法を独裁者のために献上してはならない。独裁者の暴走を許さず民主主義を守るために、来る国政選挙において、そのための投票行動が求められている。

「民主主義の死に方 ― 2極化する政治が招く独裁への道―」(原題“How Democracies Die”、スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット共著)は、濱野大道訳で、昨年(2018年9月)新潮社から出版されている。新潮社自身が、司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える――。日本にも忍び寄る危機。」とキャッチを書いている。

新潮の惹句は、次のように続けている。
https://www.shinchosha.co.jp/book/507061/

世界中を混乱させるアメリカのトランプ大統領を誕生させ、各国でポピュリスト政党を台頭させるものとは一体何なのか。欧州と南米の民主主義の崩壊を20年以上研究する米ハーバード大の権威が、世界で静かに進む「合法的な独裁化」の実態を暴き、我々が直面する危機を抉り出す。全米ベストセラー待望の邦訳。

この書については、「論座」に、堀由紀子さん(編集者・KADOKAWA)の的確な書評がある。

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018111900005.html

その一部を引用させていただく。

 言わずもがなだが、民主主義は民衆が主権の国家のことで、対義語は独裁主義だ。民主主義は崩壊し、独裁主義となる。その転換が、クーデターなどの劇的なものであれば、両者の入れ替わりはわかりやすい。

 しかし本書によれば、民主主義は、「多くの場合、見えにくいプロセスによってゆっくりと侵食されていく」。クーデターが起きるわけでも、緊急事態宣言が発令されるわけでも、憲法が停止されるわけでもない。選挙によって選ばれた政治家が、民主主義を少しずつ崩壊させて、憲法を骨抜きにし、「合法的に」独裁者となって君臨するというのだ。

 こういった独裁者の登場を防ぎ、民主主義を護るために憲法は存在するのだが、著者たちは、「憲法は常に不完全だ」と言い切る。どれほどしっかりしたと思われる憲法であっても、恣意的な解釈や運用が可能なため、それだけでは民主主義は護れないという。

 ではなにが民主主義を護るのか。それは「相互寛容」と「組織的自制心」の2つだという。

 「相互寛容」とは、対立相手を自分の存在を脅かす脅威とみなさず、正当な存在とみなすこと。つまり、「政治家みんなが一丸となって意見の不一致を認めようとする意欲のこと」だ。

 もうひとつの「組織的自制心」は、厳密には合法であっても、明らかにその精神に反するような行為は行わないようにすること。丁寧な言動やフェアプレーに重きを置き、汚い手段や強硬な戦術を控えなければいけないということだ。

 ちなみに、この本の中では、日本のことは触れられていない(池上彰さんの巻頭解説を除いて)。しかし私は、今の日本との相似性を意識せずに読めなかった。カバーにある言葉、「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える――。『合法的な独裁化』が世界中で静かに進む。全米ベストセラーの邦訳」をどう感じるだろうか。空気のように当たり前の民主主義を次世代に渡していくために。本書はその大きな手がかりをくれる。

 民主主義の土台であり、民主的政治過程の出発点でもあるのが選挙であったはず。だからこそ、民主主義の実現を望む多くの人びとが、普通選挙制度の獲得に文字どおり身を呈し、権力者がこれを妨害してきた。ところが今、「現代の民主主義の死は選挙から始まる」と言われるに至っているのだ。

「司法を抱き込み、メディアを黙らせ、憲法を変える」。これは、まさしく、安倍政権の悪行を指している警鐘ではないか。安倍政権こそが、すでにそこにある「日本の政治的危機」ではないか。

来たる参院選は、憲法の命運がかかっているだけではない。民主主義の生死さえかかっているのではないか。次の選挙を、「民主主義の死」の第一歩としてはならない。

(2019年7月15日)

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