「沖縄県民に寄り添う」っていう、私の例のフレーズ。最近とみに評判が悪い。冗談の分からない人々が真に受けちゃって、本気になって批判しているから始末にこまる。「沖縄県民に寄り添う気持があるなら、辺野古の埋立は直ちに中止して、県民投票の結果を待つべきだ」なんてね。私がそのとき任せの口先だけでものを言っているのが、分からないんだろうかね。
「県民の皆様に寄り添う」って、私がこの頃急に言い始めたわけじゃない。一昨年(2016年)6月23日の「沖縄全戦没者追悼式典」あたりが初めてのことだったように思う。このときの式辞で、私は「沖縄県民の皆様方の気持ちに寄り添いながら、成果を上げていきたいと考えています。」と言っている。少しも具体性はないけど、なんとなく上手にその場を取り繕うフレーズとして、よくできていると思うんだ。
なにしろ沖縄は、政権にとっては完全にアウエイの雰囲気。全国どこでもたいてい私が顔を出すところは、物欲しげな物わかりよい常識人ばかりが集まってくる。だから、みんなが私をチヤホヤもし、忖度もしてくれる。それが首相たる私に対するエチケットというものだろう。ところが、広島だの長崎だの沖縄となると話しが別だ。ガチな雰囲気なんだ。誰も物欲しそうにしていないから、始末に悪い。こんなところでは、「県民の皆様に寄り添う」って、リップサービスをせざるを得ない。そのときより前にも「寄り添う」をつかったかも知れないが、もう忘れてしまった。何しろ、口先だけのことなんだから。
今年(2018年)6月23日の、「沖縄全戦没者追悼式」でも、式辞を「今後とも沖縄の皆様の心に寄り添いながら負担軽減を進めていく考えであります。」と締めくくった。
「沖縄の皆様の心に寄り添い」って何のことだか、しゃべっている私にもよく分からない。でも、分からないなりに、なんとなくそれなりの雰囲気は出ているじゃないの。それに、ちゃっかり「今後とも」と入れたから、「これまでも皆様の心に寄り添ってきた」ことになる。うまくやったと思ったんだ。だけどあのとき、翁長雄志さんから、刺すような険しい目でにらまれて、正直恐かったね。鬼気迫るオーラが漂っていた。
今年8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」の挨拶でも、「寄り添う」の使い回しをした。「被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。」とね。ああ、このフレーズ便利だ。いろんなところで使える。
次は、10月9日。翁長雄志さんの県民葬。そこで、官房長官が私の弔辞を代読した。そのときの起案の中に、「県民の気持ちに寄り添いながら沖縄の振興・発展に全力を尽くす」というフレーズを入れたんだ。ところが、これに反応して怒声が飛んだ。県民参列者からの「帰れ!」「嘘つき!」「いつまで沖縄に基地負担を押しつけるんだ」などなど。葬儀の場で怒号が飛び交うのは珍しい光景だろう。県民の相当数が、翁長さんの命を縮めたのは、安倍と菅だと思い込んでいる様子なんだ。それにしても、「嘘つき」と言われるのは応える。思い当たるから、なおさらだ。
続いて10月12日官邸に玉城新知事を迎えての会談の席。変わり映えしないが、プロンプターを覗き込みながら、こう言った。
「戦後70年がたった今なお、米軍基地の多くが沖縄に集中しているという大きな負担を担っている。この現状は到底、是認できるものではない。今後とも、県民の皆さまの気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減に向けて一つひとつ着実に結果を出していきたい」
そして10月24日。臨時国会冒頭の所信表明演説にも、このフレーズを入れ込んだ。「今後も、抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、一つひとつ、結果を出してまいります」とやった。
「今後も」「抑止力を維持しながら」というんだから、これまでとすこしも変わらないつもりだったんだが、「沖縄の皆さんの心に寄り添い」がひとり歩きを始めたようだ。本気で言ってるわけじゃないから、痛し痒しというところ。
こんな風に「沖縄の皆さんの心に寄り添い」と繰りかえしながら、辺野古の海を埋め立てて新基地を作る方針を変えたことはない。こういうことは、ブレてはいけないんだ。
「沖縄の皆さんの心に寄り添い、安倍内閣は、基地負担の軽減に、結果を出してまいります」と国会で演説したのが10月24日。そして、11月1日には辺野古埋立の工事再開に踏み切ったのだから、まあ、少しは早かったかもしれないな。さらに、大浦湾に土砂投入を開始したのが12月14日。「嘘つき」呼ばわりも無理はなかろう。
でも、私も「ご飯論法」のアベだ。まったく言い分がないわけでもない。
まず、私は、確かに「沖縄の皆さんの心に寄り添い」とは言ったよ。だけど、「沖縄の皆さんだけの心に寄り添い」とは言っていない。わざわざ口に出さなくても、本土の皆さんや、私の支持基盤である右翼の皆さん。あるいは、アメリカ政府の皆さんなど、「多くの方々の心にも寄り添」わなくてはならない。だから、心ならずも、沖縄の皆さんを失望させることもあるのは、やむを得ない。
それだけじゃない。「沖縄の皆さん」も一色ではない。当然に、寄り添うべき心も千差万別じゃないか。かならずしも辺野古新基地建設反対だけが、寄り添うべき心だとは思えない。自然を破壊しても、騒音や事故が頻発しても、軍事基地を作っていただきたい、という沖縄の心だって、探せばあるはず。中国や北朝鮮の脅威から我が国を防衛するための基地建設なんだから、アベ政権に協力したいという「声なき声」をよく聞かなければならない。
耳を澄ますと、ほら、そういう右側からのかすかな声が、私だけにははっきりと聞こえてくるんだ。
(2018年12月19日)
当ブログ「憲法日記」は、本日が連続2088回目。そのうちの、141回がDHC・吉田嘉明のスラップ関連記事となっている。これは貴重な記録だ。しかるべき時期に、これを一冊の書物にまとめたいと思っている。まとめてお読みいただけたら、DHC・吉田嘉明の行動がいかに不当・違法なものであるのかよく分かるはずなのだ。
幸いなことに、当ブログは毎日連続して書き続けていることを評価していただき、多くの方に共感してお読みいただいている。ありがたいことと思う。が、中にはまったく共感とは無縁で閲覧される人もある。これも一興。
その典型が、DHC・吉田嘉明関連の人たち。たとえば、「現在は(DHC)総務部の部長を務めております」という人物。法廷に提出予定の、この方の本年12月7日付陳述書には下記のようなくだりがある。思わず、笑ってしまった。私のブログを気にして、よく読んでいるのだ。無視されるのは辛いこと。しっかり読んでいるというメッセージには、礼を言わねばならないだろう。
反訴原告(註・澤藤のこと)は,法廷ばかりか,今日現在も問題のブログで一方的に言いたい放題の掲載を続けており,その主観的な記事の回数は現時点で140回にも及びます。更には,裁判官の見解や準備書面など裁判の経緯をプログで公開し,その都度提訴してみろとでも言わんぱかりに挑発的な主張を繰り返すその行為は,自ら濫訴を誘引するかのような態度です。
よって,反訴原告には,真実を尊重し,弁護士の品位をも損なうような一連の行為は厳に慎まれたいと切に願うばかりです。
この人、反訴原告が私(澤藤)、反訴被告がDHC・吉田嘉明の「反撃訴訟」における、反訴被告側の証人予定者である。裁判所は、反訴被告側に、人証の申請を促していた。期待されたのは、吉田嘉明の本人尋問申請である。あるいは、顧問弁護士今村憲の証人申請。いったい何を考え、何を目的に、こんな勝ち目のない無謀で不当な、嫌がらせ訴訟を提起したのか。その決断の過程は、吉田嘉明本人でなくては語れない。もし、吉田嘉明が臆して法廷に出渋るとなれば、顧問弁護士が責任を取って代わるしかあるまい。
ところが、反訴被告側が申請した人証は、この「現在は総務部の部長を務めております」という人物一人だけ。吉田嘉明は自分が仕掛けた争訟に、形勢不利と見るや、前線から逃亡しようというのだ。しかも、前線にかわいそうな部下一人を置き去りにして。到底、将としてあるべき振る舞いではない。
事情が変わらないので、もう一度同様のことを言わねばならない。
吉田嘉明よ。逃げ隠れすることなく、法廷で思うところを存分に述べたらどうだ。訴えられた私はリングに上がろうというのだ。吉田嘉明よ、どうしてリングに上がろうとしないのか。この訴訟、もともと吉田嘉明自身が提起したものではないか。吉田嘉明自身の名誉が不当に毀損されたことが、提訴の理由だったはずではないか。また、もとはと言えば、やはり吉田嘉明自身が週刊新潮に書いた手記の内容が批判を招いたものではないか。その手記の内容や意図について、他人が代わって説明できることではなかろう。
しかも、吉田嘉明批判は、すべて新潮手記の範囲ではないか。これを批判されたのは、身から出た錆なのに、他人が批判したら、それはけしからん、許せんと高額訴訟を仕掛けたのは吉田嘉明自身ではないか。
吉田嘉明よ、私は何度も争訟を仕掛けられた身だ。まずは2000万円のスラップの提起だ。ついで、「スラップ批判」に過剰反応した吉田嘉明による請求額6000万円への3倍増だ。さらに、控訴も上告受理申立もあった。そして、私を被告として債務不存在確認請求の本訴を仕掛けたのも、ほかならぬ吉田嘉明自身ではないか。
その争訟の仕掛けに、恫喝や嫌がらせ以外の、正当な動機や目的があると言うのなら、吉田嘉明よ、他人に任せ他人の背に隠れることなく、堂々と自ら法廷で語れ。自身の言葉で、その言い分を述べるがよいではないか。吉田嘉明よ、そのような気概も、自信も持ち合わせてはいないのだろうか。いつも、他人を盾にして、その背の後に身を潜めていようというのか。吉田嘉明よ、それが吉田嘉明流の処世術なのか。
ある人物を批判の対象とすること、あるいは相争う相手とすることは、決してその人物を軽蔑することではない。しかし、争う相手が、逃げ隠れし、卑怯未練・怯懦の振る舞いをすることとなれば、軽蔑せざるを得ない。
吉田嘉明よ。「本物、偽物、似非もの」と並べる記事を書いている吉田嘉明よ。自身が、「偽物」でも「似非もの」でなく、「本物」と言うのであれば、堂々とリングに上がれ。せめてファイティング・ポーズをとれ。そうすれば、私が吉田嘉明を軽蔑の対象として見ることはない。
また、吉田嘉明よ。「本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません。この場合の在日は広義の意味の在日です。」「いわゆる三、四代前までに先祖が日本にやってきた帰化人のことです。そういう意味では、いま日本に驚くほどの数の在日が住んでいます。」「問題なのは…いわゆる、似非日本人、なんちゃって日本人です。政界(特に民主党)、マスコミ(特に朝日新聞、NHK、TBS)、法曹界(裁判官、弁護士、特に東大出身)、官僚(ほとんど東大出身)、芸能界、スポーツ界には特に多いようです。」「問題は政界、官僚、マスコミ、法曹界です。国民の生活に深刻な影響を与えます。私どもの会社も大企業の一員として多岐にわたる活動から法廷闘争になるときが多々ありますが、裁判官が在日、被告側も在日の時は、提訴したこちら側が100%の敗訴になります。裁判を始める前から結果がわかっているのです。似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」などという、吉田嘉明の言いたい放題は裁判所に書証として提出されている。その真意や根拠について、法廷で裁判官に説明をする絶好の機会ではないか。それとも、こんな荒唐無稽な放言について、公の席では語ることができないということだろうか。
吉田嘉明よ、今、自身の本物度が問われている。いまこそ、イザというときではないか。今、このときに逃げ隠れするのは、「本物」ではなく、卑怯未練の「偽物」あるいは「似非もの」と言われても仕方なかろう。自らが「本物」であることを証明するには、法廷で自らの信念を堂々と述べること以外にない。そのためには、次回(1月11日)までに、裁判所に自らの本人尋問を申請することだ。裁判所は文句なく採用することになる。そのときには、私も吉田嘉明を見直すことにしよう。
吉田嘉明よ。裁判官も、われわれも、傍聴者も、あなたの法廷の発言を遮ったり、妨害したりはしない。堂々と、信じるところを述べてしかるべきではないか。
もう一度、籠池泰典という人物について触れたい。彼の思想に共感する者は少ない。教育勅語礼賛の彼の思想を私も嫌悪する。しかし、彼を軽蔑するという者はいないのではないか。彼は、常に臆するところなく、堂々としている。卑怯未練の振る舞いがない。逃げ隠れすることなく自己の所信を、明瞭に述べる彼の姿勢はすがすがしい。
翻って、吉田嘉明よ。「逃げた」「隠れた」「卑怯」などと言われることは、本意ではあるまい。陰に身を潜めていないで、自らの本人尋問を申請せよ。公開の法廷で堂々と語れ。私に6000万円を請求した真の動機を。それが、私を含めた多くの人々の軽蔑から免れる唯一の方途なのだから。
(2018年12月18日)
暴走政権の辺野古土砂投入の強行が12月14日。翌15日付の琉球新報社説が、よく意を尽くして説得的であり印象的でもある。これは、県外の多くの人々に読んでもらうべきだろう。全文を引用したい。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-849072.html
社説の標題は、「辺野古へ土砂投入 第4の『琉球処分』強行だ」。
この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。
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政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。
県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。
辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。
ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。
5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。
今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。
その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を「南の関門」と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の「琉球処分」と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の「琉球処分」の強行である。
歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、「国益」や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。
土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。
「琉球処分」は、明治政府の強権による沖縄に対する廃藩置県である。1879年3月、政府は軍隊と警察力を動員した威嚇のもと、琉球藩を廃し沖縄県設置を強行した。旧国王尚氏は東京移住を命じられ、琉球王国は約500年にわたる歴史を閉じた。
これに、擬して「第2の琉球処分」と言われるものが、第2次大戦後1952年のサンフランシスコ講和条約発効で、本土とは切り離されて米軍の統治下におかれたことを指す。これがなぜ「琉球処分」なのか。昭和天皇(裕仁)の沖縄切り捨ての意向が、米国に伝えられていたからだ。1947年9月20日付のいわゆる「天皇メッセージ」(宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ)によれば、既に政治的権能を失ったはずの天皇が、「米軍の沖縄駐留について『25年ないし50年あるいはそれ以上の長期』を求めた。訪米する外相に向かって『米軍撤退は不可なり』とわざわざ念を押した」ともいう。
さらに、1972年の沖縄返還は、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰となった。「核と基地」を沖縄に押しつけ続けてきた政府の姿勢を「第3の琉球処分」と表現したのだ。
琉球新報社説は、辺野古土砂投入の蛮行を、「歴史に既視感を覚える」とし、「第4の『琉球処分』強行だ」とした。「この光景は沖縄が経験してきた」という苦境は、自然災害による苦境ではない。戦争による苦境ですらない。本土の政府から民意を蹂躙され続けた歴史を「苦境」と言っているのだ。
県外の我々は、沖縄に「苦境」を押しつけた側として、真摯に襟を糺さなければならないと思う。
もう一つ。沖縄県の公式ホームページが玉城知事の12月14日コメント全文を掲載している。これも意を尽くした内容で、国民みんなが目を通すべきものだと思う。その内容に共感して、これを引用する。
?https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/henoko/documents/301214chijikomento.pdf
知事コメント(土砂投入について)
本日、普天間飛行場代替施設建設事業に係る名護市辺野古の工事現場に職員を派遣したところ、土砂投入作業が行われたことを確認しました。沖縄県が去る8月31日に行った埋立承認撤回に対して沖縄防衛局が、行政不服審査制度を悪用し、自らを「固有の資格」ではなく私人と同様の立場であるとして、審査請求及び執行停止申立てを行ったことは違法であり、これを受けて国土交通大臣が行った執行停止決定もまた、違法で無効であります。
県は、このような違法な執行停止決定の取消しを求めて去る11月29日に国地方係争処理委員会に審査を申し出ておりますが、同委員会での審査は済んでおらず、現時点において何ら、本件執行停止決定に係る法的な判断は示されておりません。
また、県は、去る12月12日に、沖縄防衛局に対して行政指導文書を発出し、違法無効な本件執行停止決定を根拠として埋立工事を行うことは許されないこと等から、エ事を進めることは断固として容認できず、ましてや土砂を投入することは絶対に許されないとして、直ちに工事を中止するよう強く求めたところであります。
私は、昨日、菅官房長官及び岩屋防衛大臣と面談し、行政指導文書の内容を説明するとともに、違法な土砂投入を行うことは決して容認できないことを伝え、改めて土砂投入の中 止を強く要求しました。それにもかかわらず、国が、このような県の要求を一顧だにすることなく土砂投入を強行したことに対し、激しい憤りを禁じ得ません。
国は、一刻も早く工事を進めて既成事実を積み重ね、県民をあきらめさせようと躍起になっていますが、このような行為は、逆に沖縄県民の強い反発を招き、工事を強行すればするほど県民の怒りはますます燃え上がるということを認識するべきであります。
数々の違法な行為を行い、法をねじ曲げ、民意をないがしろにし、県の頭越しに工事を進めることは、法治国家そして国民に主権があるとする民主主義国家において決してあって はならないことであります。
国が、地方の声を無視し、法をねじ曲げてでも国策を強行するやり方は、地方自治を破壊する行為であり、本県のみならず、他の国民にも降りかかってくるものと危惧しております。
沖縄県民、そして全国民の皆様には,このような国の在り方をしっかりと目に焼き付け、心に留めていただき、法治国家そして民主主義国家としてあるまじき行為を繰り返す国に対し、共に声を上げ、共に行勤していただきたいと思います。現時点ではまだ埋立工事全体の一部がなされているにすぎず、また、工事の権限のない者によって違法に投入された土砂は、当然に原状回復されなければなりません。
県としては、国地方係争処理委員会への審査申出など、執行停止の効力を止めることに全力をあげているところであり、今回土砂を投入したとしても、今後、軟弱地盤等への対応が必要であり、辺野古新基地の完成は見通せないものであります。
普天間飛行場の5年以内運用停止を含む危険性の除去は喫緊の課題であり、県としては、今後13年以上にも及ぶ固定化は認められません。今後も引き続き、同飛行場の一日も早い閉鎖・返還・県外・国外移設及び運用停止を含む危険性の除去を政府に対し、強く求めてまいります。
私は、多くの県民の負託を受けた知事として、ぶれることなく、辺野古新基地建設に反対するという民意に添い、その思いに応えたいと思いますので、県民・国民の皆様からも一層の御支援、御協力をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
平成30年12月14日 沖縄県知事 玉城デニー
(2018年12月17日)
今日も、辺野古の海が泣いている。大浦湾に土砂が投入されたことの怒りがおさまらない。何もできなことがもどかしいが、せめて声を上げよう。「アベ・無法政権の暴走を糺弾する」と。
昨日(12月15日)、玉城知事は、就任後初めて辺野古のキャンプ・シュワブゲート前を訪問して、座り込みの人々を激励した。安倍政権による辺野古埋め立て土砂投入強行に対して、知事は「打つ手は必ずある。われわれのたたかいはとまりません」と力説。「国の暴挙に対して、本当の民主主義を求めるという私たちの思いは全国のみなさんも共感しています。そのことも確かめてがんばっていきましょう」「(政府との)対話の気持ちはこれからも継続していく。しかし、対抗すべき時は対抗していく」「われわれは決してあきらめない。勝つことはあきらめないことです」と呼びかけ、拍手に包まれたという。
ある報道では、知事は「勝つことは難しいかもしれないが、絶対に諦めない」とも述べたという。これは、示唆に深い。「勝てるから闘う」のではない。理不尽に、怒りを燃やして闘うのだ。相手は強く大きい。だから、「もしかしたら勝つことは難しいかもしれない」。しかし、「絶対に闘い抜く。諦めない」。「あきらめるとは、自ら勝利を放棄することだ」「あきらめることなく、できることはすべてやる」という闘いの決意なのだ。
本日(12月16日)、共同通信の世論調査結果が発表された。
辺野古の土砂投入、支持しないは56%。
共同通信の世論調査によると、政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部への土砂投入を始めたことについて、移設を進める政府の姿勢を支持しないとの回答は56.5%だった。支持は35.3%。
私は、この調査の結果に頗る不満である。支持派の35%の諸君、恥を知れ。キミたちには、県民に寄り添うと言いながらこの暴挙に出た政権に対する怒りはないのか。沖縄が本土のための犠牲になり続けてきた歴史を知らないとでもいうのか。やっかいなものを沖縄に押しつけて安閑としていることを、やましいとも後ろめたいとも思わないのか。取り返しのつかない自然環境の破壊に心が痛まないのか。
ところで、闘争はときに名文句を生む。砂川では、「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」が人々の口にのぼった。今度は、「民意は海に埋められない」だ。期せずして、朝日・毎日・東京の各社説が似たフレーズを記事にした。
この件では、各紙の社説に情も熱もこもっているものが多い。
朝日と毎日とは、はからずもタイトルがそろった。朝日が「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」とし、毎日が「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」とした。両紙とも、ボルテージが高い。
朝日 「『辺野古ノー』の民意がはっきり示された県知事選から2カ月余。沖縄の過重な基地負担を減らす名目の下、新規に基地を建設するという理不尽を、政権は力ずくで推進している。」「政府の振る舞いはこの1年を見るだけでも異様だった。」「その首相をはじめ政権幹部が繰り返し口にするのが『沖縄の皆さんの心に寄り添う』と『辺野古が唯一の解決策』だ。本当にそうなのか。」
そして、本土の人々に「わがこと」として考えようと呼びかけ、最後をこう締め括っている。
「沖縄に対する政権のやり方が通用するのであれば、安全保障に関する施設はもちろん、『国策』や『国の専権事項』の名の下、たとえば原子力発電所や放射性廃棄物処理施設の立地・造営などをめぐっても、同じことができてしまうだろう。そんな国であっていいのか。苦難の歴史を背負う沖縄から、いま日本に住む一人ひとりに突きつけられている問いである。」
毎日 「わずか2カ月半前に示された民意を足蹴にするかのような政府の強権的姿勢に強く抗議する。米軍普天間飛行場の辺野古移設工事で、政府は埋め立て予定海域への土砂投入を開始した。埋め立てが進めば元の自然環境に戻すのは難しくなる。ただちに中止すべきだ。9月末の沖縄県知事選で玉城デニー氏が当選して以降、表向きは県側と対話するポーズをとりつつ、土砂投入の準備を性急に進めてきた政府の対応は不誠実というほかない。
……
沖縄を敵に回しても政権は安泰だと高をくくっているのだとすれば、それを許している本土側の無関心も問われなければならない。仮に将来、移設が実現したとしても、県民の憎悪と反感に囲まれた基地が安定的に運用できるのか。埋め立て工事は強行できても、民意までは埋め立てられない。」
東京新聞は、さらに厳しい。
「辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走
群青の美(ちゅ)ら海とともに沖縄の民意が埋め立てられていく。辺野古で政権が進める米軍新基地建設は法理に反し、合理性も見いだせない。工事自体が目的化している。土砂投入着手はあまりに乱暴だ。
重ねて言う。
新基地建設は、法を守るべき政府が法をねじ曲げて進めている。なぜそこに新基地が必要か。大義も根底から揺らいでいる。直ちに土砂投入を中止し虚心に計画を見直す必要があろう。
これ以上の政権の暴走は、断じて許されない。」
これと対極にあるのが、言わずと知れた産経である。街頭右翼ががなり立てているあの大音量のスピーカーを聞かされている心地である。
「辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない
市街地に囲まれた普天間飛行場の危険を取り除くには、代替施設への移設による返還が欠かせない。日米両政府による普天間飛行場の返還合意から22年たつ。返還へつながる埋め立てを支持する。
翁長雄志前知事や玉城デニー知事らの反対や、「最低でも県外」と言った鳩山由紀夫首相(当時)による迷走が、返還に結びつく移設を妨げてきたのである。玉城知事は「激しい憤りを禁じ得ない。県民の怒りはますます燃え上がる」と土砂の投入に反発して、移設阻止に取り組む考えを示した。だが、知事は、移設が遅れるほど普天間飛行場周辺に暮らす宜野湾市民が危険にさらされ続ける問題を無視してはならない。
沖縄の島である尖閣諸島(石垣市)を日本から奪おうとしている中国は、空母や航空戦力、上陸作戦を担う陸戦隊(海兵隊)などの増強を進めている。北朝鮮は核・ミサイルを放棄していない。沖縄の米海兵隊は、平和を守る抑止力として必要である。安倍晋三首相ら政府は反対派から厳しい批判を浴びても移設を進めている。県民を含む国民を守るため現実的な方策をとることが政府に課せられた重い責務だからだ。沖縄を軽んじているわけではない。
来年2月24日には辺野古移設の是非を問う県民投票が予定されている。普天間返還に逆行し、国と県や県民同士の対立感情を煽(あお)るだけだ。撤回してもらいたい。」
おそらくは、この産経社説の論調がアベ政権のホンネ。アベ政権のホンネをあからさまに語る論説として貴重なのだ。恐るべきかな産経、恐るべきかなアベ政権。
(2018年12月16日)
ご存じのとおり、弁護士会は弁護士法にもとづく公法人であり、全弁護士が会員となる強制加入団体である。どの国家機関からも統制を受けることのない自治組織であることを特徴としている。個別の弁護士は、その業務の遂行に関しては弁護士会からのみ指導監督を受け、最高裁からも官邸からも法務省からも容喙されることはない。全国に、52単位弁護士会があり、これを統括する日弁連がある。
余り知られていないが、単位会と日弁連との間に「中2階」の組織がある。通例「弁連」というようだが、全国8高裁の管轄内単位弁護士会の連合体である。
北から順次、北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州の各「弁護士会連合会」。その8弁連のうち最大の規模をもつのが、関東弁護士「会」連合会、略称「関弁連」である。東京高等裁判所管内13弁護士会によって構成されている。分かりにくいが、東京の三弁護士会(東京・第一東京・第二東京)と、神奈川県・埼玉・千葉県・茨城県・栃木県・群馬・山梨県・・長野県・新潟県・静岡県の各弁護士会の連合組織。
関弁連のホームページには、「関弁連に所属する弁護士の数は約2万人で,日本の弁護士の約60%が関弁連に属しています。」とある。
普段は目立たぬ関弁連だが、昨年(2017年)から「こども憲法川柳」の募集と入選作の発表を行っている。先日届いた「関弁連だより・2018年12月号」に、その入賞作品が発表されている。これがなかなかに面白いので、ご紹介したい。
(最優秀賞 1作品)
改憲の前に議員よ開瞼(かいけん)を! (山梨県 高校1年)
作品に込められた思い 「よく国会で、腕組みをしてうつむいて目を閉じている議員の方々をテレビで観ますが、憲法改正という国家の方向性を決める大事な議論をする時は、せめて目を開けていて欲しいという願いを込めました。」
(優秀賞 3作品)
憲法を 知らないこわさに 気が付いて (東京都 小学5年)
作品に込められた思い「知らないうちに憲法が変わっていって戦争にならないようにしなければならないと思って作りました。」
校則に 子どもの人権 ありますか????????? (埼玉県 小学6年)
作品に込められた思い「進学予定の中学校の校則には理不尽
に思える内容が多かったので書きました。」
無関心 私の未来 守れない???????????????? (新潟県 高校3年)
作品に込められた思い「私達が、憲法について関心があると、もし憲法が変わるとなった場合、賛成や反対ができ、私達の求めるすばらしい未来になると思います。無関心で人任せだと、私達一人一人が納得いく日本はこないと思います。」
(佳作 5作品)
分からない その一言で 終わらせない???????? (東京都中学3年)
(日本みんながしっかり憲法を理解して、考えてほしい。)
憲法を みてみぬふりは いけんよ???????????? (東京都中学3年)
(「いけん」はダメという意味と、「違憲」をかけました。)
考えて 歴史と未未 つなぐ道??????????????????? (静岡県小学6年)
(時代の変化で新しいことを取り入れることも大事だけど、過去の経験と思いも忘れてはいけないという思い。)
103の 先人の思い 変わらずに????????????? (新潟県高校2年)
(憲法の改正はしてはいけない事だと思うので変わらずそのままつないでいきたい。)
改正案 日本の未来 快晴か ???????????????????? (山梨県高校1年)
(憲法9条の改正案が出されていてもし9条が改正された場合これからの日本の未来は本当に大丈夫なのが快晴になるのがという不安の思いを込めています。)
昨年(2017年)の第1回受賞作は、最優秀賞1点、優秀賞3点のほか、佳作13点となっている。
考えろ 見るだけ聴くだけ もう終わり (最優秀・群馬県 中3)
軽はずみ 一字変換 戻せない ? ??????? (優秀・群馬県 中3)
(これは、少し変えただけも、大きく変わってしまうことを表しています。)
政治家よ 主権は国民 忘れるな (優秀・東京都 中3)
男女差別 憲法あっても 残ってる?? ?????? (優秀・千葉県 高2)
佳作の中から、いくつかを
改正は すればいいって もんじゃない
憲法は 平和な募らしの 道しるべ
国民の 2分の1が 決める国 (投票率の低さを指摘)
伝えたい 世界に向けた 平和主義
なお、全句が憲法礼賛というわけではない。次の句も入選作。これもまた、結構ではないか。
考えよう 時代に合った 憲法を
我が国は 護憲で動けん 窮状だ
(2018年12月15日)
本日(12月14日)、アベ政権は辺野古新基地建設のための大浦湾埋立工事を強行して、護岸から海中に土砂の投入を開始した。
土砂投入が始まったのは本日午前11時ごろ。名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの南側で、護岸からダンプカーが土砂を下ろし、その土砂をブルドーザーが海へ押し出した。工事は午後も続き、埋め立ての土砂が次々と運び込まれた。(朝日デジタル)
緊急に辺野古で1000人の抗議集会が組まれた。「埋め立てやめろ」だけでなく、「あきらめない」がスローガンになっていたという。
政権は、沖縄県民の、そして全国の平和を願う人々の「あきらめ」を狙っている。それが、人々の共通認識だ。だから、今、「あきらめることなく、抗議の声をあげ続けること」それが最も大切なことではないか。
玉城知事は県庁で緊急記者会見を開き、「法をねじ曲げ、民意をないがしろにして工事を進めるのは、法治国家、民主主義国家としてあるまじき行為だ」と厳しく批判。「国は一刻も早く工事を進めて既成事実を積み重ねて県民を諦めさせようと躍起だが、工事を強行すればするほど県民の怒りは燃え上がる」と指摘し、移設阻止のために「あらゆる手段を講じる」と強調した。?(毎日)
朝日は、稲嶺進・名護前市長の声をこう紹介している。
「沖縄に『もう引き返せない』という空気を作りたいのだろうが、あまりに乱暴だ。移設工事が進んでいると見せるための、国民と米国に向けたパフォーマンスでしかない」。
「沖縄は戦後ずっと民主主義も地方自治もない、憲法の『番外地』だった。その上、さらに「新たな基地」を受け入れることはできない」。
「2010年の初当選後、政府から市への米軍再編交付金が打ち切られ、中学校体育館の建て替え事業など市の13事業が宙に浮いた。むき出しの「アメとムチ」を肌身で感じた。」
「政府が悪いことをした時、止める方法がこの国にはない。無人のダンプカーが暴走するようだ」
「あきらめはない。土砂投入が始まったといっても、私たちは何も変わらないですよ」
私(澤藤)は、今年(2018年)5月、辺野古でグラスボートに乗り、1時間近く、辺野古近海海底の珊瑚礁を目にした。あの美ら海が壊されるのかと思うと、胸が痛む。毎日夕刊は、「大浦湾には、生物5806種の生物が確認され、うち262種が絶滅危惧種」と報じている。世界遺産となった屋久島や小笠原諸島よりも多いのだという。「『やめろ』美ら海に叫び」という見出しが痛々しい。
アベ政権が押し通そうとしている「辺野古の海を壊す」ことは、「平和を壊す」ことでもあり、「沖縄県民の民意を蹂躙する」ことでもあり、そして「民主主義を壊す」ことでもある。まだまだ闘う手段は残されている。決してあきらめることなく、声をあげ続けたい。
下記は、昨日付の自由法曹団の声明である。私の気持ちにピッタリなので、これを転載しておきたい。
(2018年12月14日)
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?日本政府の辺野古海域への土砂投入方針の撤回を求める声明
今年9月に行われた沖縄県知事選挙で、辺野古新基地建設反対を掲げ、「オール沖縄」の支援を受けた玉城デニー現沖縄県知事が、安倍政権の全面支援を受けた佐喜真淳候補に8万票以上の圧倒的大差をつけて勝利した。辺野古新基地建設反対は圧倒的多数の沖縄県民の意思である。
しかし、日本政府は、行政不服審査法を悪用して、埋め立て承認撤回の効力を停止させた上、12月14日にも辺野古新基地建設に伴う埋め立て土砂の投入を強行しようとしている。こうした日本政府の方針は、沖縄県知事選挙で示された沖縄県民の意思を真っ向から踏みにじるものであり、断じて許されない。
しかも、日本政府は、土砂投入のため、12月3日に名護市安和にある民間桟橋から土砂搬出作業を開始したが、同桟橋は沖縄県規則で定められている桟橋設置工事の完了届がなされておらず、桟橋内の堆積場についても沖縄県赤土等流出等防止条例で必要とされている届出がなされてないなど、違法に違法を重ねている。
また、今回計画されている土砂投入は、埋め立てに必要な2100?のうち、辺野古側の約129?分にすぎない。地盤の強さを示すN値がゼロという”マヨネーズ並み”の軟弱地盤が大浦湾側の護岸の建設予定地で見つかっているところ、軟弱地盤の改良には公有水面埋立法に基づき沖縄県に届け出ている設計概要の変更と玉城デニー沖縄県知事の承認が必要であり、かかる承認がなければ日本政府は大浦湾側で埋め立て工事を進めていくことはできない。
このように埋め立て工事を進めていく展望が全くないにもかかわらず、日本政府があえて土砂投入にこだわるのは、来年2月24日に予定されている辺野古新基地建設の是非を問う県民投票、3月以降に予定されている衆議院沖縄3区補選の前に、少しでも土砂を投入したことを見せつけて埋め立てを既成事実化し、新基地建設に反対する沖縄県民を諦めさせることを狙っているからである。
自由法曹団は、二重三重に沖縄県民の意思を踏みにじる土砂投入の強行を許さず、日本政府に対して、土砂投入方針の撤回を強く求めるものである。
2018年12月13日 自由法曹団 団長・船尾徹
「あたらしい憲法のはなし」は、青空文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
これに目を通して驚いた。底本が、日本平和委員会発行のものだという。この底本平和委員会版「あたらしい憲法のはなし」は、1972年11月3日初版発行で、2004年1月までに、なんと38版を重ねている。確かに、ロングセラーなのだ。日本平和委員会発行ということは、日本の正統護憲勢力からお墨付きを得ていると言ってよい。何を隠そう、私も日本平和委員会の末端会員である。
護憲勢力から最も評価されたのが、「第6章 戰爭の放棄」であろう。確かに、ここは違和感なく読める。まず、全文を掲出しよう。
六 戰爭の放棄
? みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
? もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
? みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
いくつも、心に留めなければならないフレーズがある。
こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。
(戰力の放棄に関し)みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
立派な文章だと思う。しかし、どうしても手放しでの賛美はできない。この文章の足らざるところに、やはり批判が必要だ。
まず何よりも、ここには被害感情と厭戦の気分は書き込まれているが、加害責任については、まったく触れられていない。
この一文は「こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。」から始まっている。そのとおり、「日本は兵隊を戦地に送り出した」のだ。だから、戦争とは長く、「外地」でのできごとだった。その「外地」に、兵隊として「送りだされたおとうさんやにいさんたち」は何をしたか。もちろん、侵略者として闘ったのだ。明らかな加害者だった。
「こんなおそろしい、かなしい思い」は、実は皇軍に蹂躙された近隣諸国の民衆が真っ先に味わったことなのだ。その加害の責任に、この書が言及するところはない。
もう一つ。戦争の加害責任に触れないだけでなく、日本の植民地支配にも触れていない。台湾・朝鮮・満州などの支配について、「いったい、日本はこれまでどんなことをしてきたのでしょうか」と反省を述べるところが皆無なのだ。
また、「どうして戦争が起きたのでしょうか」「誰に責任があったのでしょうか」と考えさせる視点もない。国民を戦争に駆りたてた、教育や言論統制や国民監視体制や、思想統制についての反省も皆無である。
戦争を命じた天皇の責任、「上官の命令は天皇の命令」として軍を統帥した天皇の責任、戦争を煽る道具としてこの上なく便利な役割を果たした神なる天皇についても一言も書かれていない。
この教科書をつくる過程で、どのような綱引きが行われたのだろうか。次の文章には、筆者が言いたいことが押さえつけられたような印象をもたざるを得ない。
「だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。」
これは、日本としての反省を文章化したものだろうか。
終わりは、「あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように」で文章を終わらせず、「戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」と結んである。
戦争は、自然災害ではない。「二度とおこらないように」祈るだけではなく、「二度とおこさないようにいたしましょう」と、やや主体性ある姿勢を見せているのだ。さらに、「おこさせないようにいたしましょう」だと、天皇や財閥や保守政治家に釘を刺す内容となったはずなのだが。
ところで、「護衛艦『いずも』の空母化」や、「政府 F35戦闘機を105機購入へ」と話題となる時代が到来している。
「ほかの國よりさきに、正しいことを行ったはずの日本」が、今や「正しくないこと」に手を染めている。まこと、「世の中に正しいことぐらい強いものはなく、正しくないことぐらい弱いものはありません」。だから、われわれは、いま、安倍政権のもとで、心ぼそい思いをしなければならないのだ。
たまたま本日(12月13日)、日中戦争での日本軍南京入城の日。
(2018年12月13日)
今、取り組んでいる医療過誤訴訟を紹介したい。
Sちゃんは、生後46日で短い命を落した。そのことに、どうしても納得できないお父さんとお母さんが原告となって、診療を担当した病院に対して、損害賠償請求の訴訟を提起した。提訴の動機は、同じ病の子を救いたい、自分たちのような悲劇を繰り返させたくない、という思いからだ。
Sちゃんの死亡原因は、先天性の心疾患で「総肺静脈還流異常症」という。心臓と連結する血管の正常な構造においては、左右の各肺から各2本計4本の肺静脈が左房に接続しているところ、総肺静脈還流異常症においては先天的にその接続が欠けている。
本来、体内の血液循環過程において肺胞でガス交換を終えて十分な酸素の供給を得た高酸素飽和濃度血は、肺静脈を経て左房に流入し、左房から左室を経て拍動しつつ大動脈に流出して全身の細胞に酸素を供給することになる。つまり、肺静脈は高酸素飽和濃度血(体循環における動脈血)の心臓への流入口である。ところが、総肺静脈還流異常症においては、肺静脈を経ての左房への酸素血の流入がないため、胎児期はともかく、出生後の生存は極めて困難となる重篤な心疾患なのだ。
この先天性心疾患は、Sちゃんの出生当時、その機序も診断方法も臨床に知られており、胎児期にも、出生直後にも、退院時にも、そして1か月健診時にも、その特異的、非特異的な症状が児に表れ、その児に表れた症状を的確に把握することによる診断が可能だった。さらに、同疾患の心臓外科手術による治療方法は確立していて、胎児期、あるいは出生直後に診断さえできれば救命可能であったことは当事者間に争いはない。
その診断ができずに看過されれば、総肺静脈還流異常症患児は、出生後ほぼ確実に死に至る。ちょうど、Sちゃんのように。
その疾病の機序と生命に関わる重篤性とがよく知られ、かつその疾病の診断が可能である以上は、人の生命と健康に携わる医師・医療機関には、患者との診療契約において負担する「最善の注意義務」の具体的内容として、これを診察し診断する義務があった。それが、最高裁判例の立場だ。そう、原告側は主張している。
Sちゃんは、胎児期に胎児エコー専門医の胎児心エコー検査を受けている。そのとき、カラードプラに切り替えて心臓を見てもらえば、おそらくは肺静脈が左房に接続していないことが確認できたはずなのだ。ところが、専門医は、モノクロモードだけで心臓を診て、心臓が終わってからカラードプラに切り替えている。お父さんとお母さんにしてみれば残念でならない。
被告側の主張は、「医師の診断マニュアルでは、肺静脈の接続まで確認せよとされていない。だから診断しなかったのはミスとは言えない」という。
総肺静脈還流異常症は、患者の数が少ないから、手間暇かけて診てはおられない、そこまで診断する義務はない、というのが医療現場のホンネのところ。しかし、その手間は、妊娠期間中1回か2回ルーチンの胎児心エコー検査の際に、数十秒ないし2分の検査で済むのだ。もちろん、全例診断を尽くしている病院や医師もある。アメリカのマニュアルでは診断せよとなっている。中国の大病院も悉皆検査をしていると報告している。本件の担当医も、「本件事故以後は全例肺静脈の正常な接続を確認することとしている」と法廷で証言している。
医療過誤訴訟では、医師が依拠すべき医療水準が常に問題となる。判例は、この医療水準を客観的に定まる規範としての規準であると言い、現実の医療慣行を規準としてはならないという。患者の人権を重視し、医療の改善につながる医療水準論でなくてはならないと思う。
先天性心疾患は、新生児100人に約1人の割合で認められるという。そして、総肺静脈還流異常症は、先天性心疾患児100人に約1?2人の確率で発生するとされる。つまり、1万人の新生児出生に対して、約1?2人の割合で総肺静脈還流異常症が発症していることになる。
毎年日本では約100万人の新生児が誕生しているのであるから、毎年約100人?200人の総肺静脈還流異常症罹患の新生児が誕生している。総肺静脈還流異常症は、診断さえできれば、外科手術によってほぼ確実に救命できる。しかし、診断できなければ、死亡に至る可能性が極めて高い。現実に、総肺静脈還流異常症と診断されて、専門病院に搬送されて救命されるのは好運な事例で、多くは診断されることなく死亡に至っている。
産科・新生児科の医師に総肺静脈還流異常症の診断の義務がないとすれば、今後も毎年100人?200人の新生児の疾患が見逃され、せっかく得た尊い生命が失われる悲劇の現状が続くことになる。判決が、総肺静脈還流異常症の診断義務を認めるとすれば、今後、毎年100?200名の新生児の命が救われ、同数の悲劇が歓喜に変わることになる。
確実に一定の割合で生じる将来の患児の生命が、救われるか見捨てられるか。Sちゃんも見守っている。
(2018年12月12日)
11月8日「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』を読む」
https://article9.jp/wordpress/?p=11417
12月10日「『新しい憲法のはなし』のはなし」
https://article9.jp/wordpress/?p=11686
の続編である。
前回も書いたが、第5章『天皇陛下』の内容は余りにひどい。次いで第1章『憲法』である。やや長いが、まず、全文を掲記しておきたい。
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和22年5月3日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。
ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。
みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。
そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
これまであった憲法は、明治22年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和21年4月10日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つひとつ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第1條から第103條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。
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以上の文章を、違和感なく読み進むことができるだろうか。私は冒頭から引っかかり、ほぼ全文に違和感を禁じえない。何よりも、憲法の解説として不可欠な歴史的背景が語られていないのがもどかしい。「あたらしい憲法」がなぜ必要になったのか。旧憲法のどこが批判の対象なのか。旧憲法から新憲法に、どのような原理的転換が遂げられたのか。新憲法において、権力と人権とはどのような対抗関係ととらえられているのか。市民社会の公理である個人主義とは何か、自由主義とは何か。中学生の理解力の問題ではない。書かねばならないことが書かれていないのだ。
「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和22年5月3日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。」
この冒頭の一文から、バカげている。「みなさん、憲法ができました。そうして明治23年11月29日から、私たち日本國民は、この大日本帝国憲法を守ってゆくことになりました。」と置き換えて違和感がない。この一文の筆者は、大日本帝国憲法から日本国憲法への原理的転換の内容を理解していない。あるいは、子供たちに理解させたくないのだ。
ここで言う「この憲法を守ってゆく」は、「根強い保守勢力の大日本帝国復古の動きに抗して、憲法典や解釈を変えさせないように護る」という意味での「守る」ではない。「憲法が命ずるところを遵守してゆく」という意味の「守る」なのだ。あろうことか、国民に「憲法を守る」よう呼びかけ、天皇や公務員に「憲法を守らせよう」という観点はない。立憲主義的な憲法の理解が抜けているのだ。そもそも、その根底にあるべき権力と国民(人権)の対抗観念がない。
以下、ほぼ全文に引っかかるが、顕著なところだけを抜き出してみたい。
國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
? 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。
憲法を「たくさんある規則のうちのいちばん大事な規則」という平板なとらえ方を不正確と言ってはならない。これは明らかな、ミスリードなのだ。憲法とは、国家権力を規制することによって国民の権利を守ろうという原則を定めたもの。国家権力の規制という視点を抜いた憲法解説は、大日本帝国憲法時代のものと変わらないこととなる。
この憲法には、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。
憲法が、「人権規範」部分と「統治機構」部分の2部門からなることは、常識的な考え方である。しかし、この二つの関連をを平板に形式的にとらえてはならない。個人の「人権」こそが目的的な価値で、国の「統治機構」は人権を侵すことのないように組み立てられている。その解説こそが重要なのに、「国民の権利は、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事である」という倒錯を語ってはならない。
それだけではない。人権がなぜ大事なのか。その理由をこう言うのだ。
「國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。」
これは謬論である。これを時代の限界などと看過してはならない。人権は「國の力のもと」ではない。「國の力」を強くするために、人権が認められているのではない。日本の民衆には自由民権の時代から、脈々たる人権思想があった。この筆者には、その思想がない。人権を語る情熱もない。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
欽定憲法から民定憲法への原理的転換を、国民の憲法遵守義務の根拠にすりかえ封じ込めようという企み、というしかない。憲法が変わっても、臣民が国民と言い換えられても、飽くまでも政府は、「憲法を拳拳服膺する」従順で自律しない国民を望んでいるのだ。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。みなさんは、この三つのことを知らなければなりません。
こういうスッキリしない話しぶりにモヤモヤ感を払拭できない。あの、躍動するような日本国憲法前文を、「だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。」と無感動にまとめているのは一種の才能というべきなのだろう。
(2018年12月11日)
11月8日当ブログに「あたらしい憲法のはなし 『天皇陛下』を読む」を掲載した。
https://article9.jp/wordpress/?p=11417
私の問題意識は「ときに礼賛の対象とされてきた『あたらしい憲法のはなし』だが、今見直して、その内容は時代の制約を受けたものと言わざるを得ない。とりわけ、天皇に関する解説は、萎縮して何を言っているのかよく分からない。こんなものを戦後民主主義の申し子のごとく、褒めそやしてはならない」というところにある。
『天皇陛下』の章を批判した文章の末尾は次のようにまとめた。
「非論理的で出来の悪い文章。当時の文部省のお役人は、こんな程度だったのでしょうかね。もしかしたら、結論が先に決まっていたのかも知れません。『ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません』とする必要があったのでしょうね。また、もしかしたら…、わざわざヘンな文章をこしらえて、子供たちに天皇の存在に対する疑問を醸成するよう深謀遠慮があったのかも。これも文部官僚による面従腹背の伝統だと思えば、当時の文部省のお役人の優秀さがよく分かります。
この記事について、浪本勝年さん(立正大学名誉教授)から、ありがたいご指摘をいただいた。
「(ブログ記事では)『あたらしい憲法のはなし』の執筆者が文部官僚のように読み取れるのですが、奥付にもある通り、執筆は浅井清のようです(添付ファイル参照)」とのこと。
これまで気付かなかったが奥付をよく見ると、なるほど「この本は浅井清その他の人々の盡力でできました」との記載がある。
そして、メールに添付されていたのは、1994年5月2日「朝日新聞」の切り抜き。憲法記念日の前日に、こんなリードだ。
日本国憲法ができたころ、文部省がつくり、数年間だけ中学で使われた憲法の教科書があった。『あたらしい憲法のはなし』。これから自分たちが国をつくる、二度ど戦争はしない、その中心が憲法だ―。平明で強い語り口と絵で、生徒をとらえ、のちに、いろんな人の手で復刻版が出されたひそかなロングセラーだ。いま再び教科書に引用され、じわり復活している。3日は47回目の憲法記念日。
記事の中心は、「制定時の思い伝え復活」との見出しのとおり、教科書に再登場しているとの内容。
今春から使われ始めた高校の政治・経済の教科書で、新たに2冊が『あたらしい憲法のはなし』の絵や文を引用している。これで、載っているのは小学校の社会1冊、中学校の社会1冊、高校の政治・経済3冊になった。
小中の教科書は、1980年代初めから、憲法の内容の説明に、戦車や大砲などの武器を溶かす「戦争放棄」の挿絵などを入れていた。…
「戦争放棄」と書かれた炉の口から、戦車や戦闘機、砲・弾などの武器が投げ込まれ、下からは、鉄道・客船・ビル・自動車などに変身して現れる。この絵のインパクトが強い。
その執筆者について、朝日記事はこう述べている。
文部省著作だが、実際には慶応大教授だった浅井清氏(79年死去)が一人で書きあげたと、当時教科書局にいた木田宏・元事務次宮(72)は言う。
浅井清とは何ものか。ウィキペディアによると、「1929年慶応大教授」「1946年に貴族院議員に勅撰され交友倶楽部に所属。1948年GHQの登用方針の下、臨時人事委員会委員長(委員会が人事院に改組された際は初代総裁)に就任した。『あたらしい憲法のはなし』編纂に当たっての中心メンバーであった。」とある。
戦争放棄の章では立派な論をなした浅井も、天皇を語るときには、恐懼して支離滅裂の文章しか書けていない。まことに天皇制恐るべし。
浅井清が、憲法研究者として当時どれだけの権威をもっていた人物かは知らない。しかし、彼の象徴天皇制の解説を読む限り、到底敬すべき研究者とは考え難い。
この「新しい憲法のはなし」は、15章からなっている。「憲法」「民主主義とは」「國際平和主義」「主権在民主義」「天皇陛下」「戰爭の放棄」「基本的人権」「國会」「政党」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」の順。
このうち第1章の「憲法」が、「憲法とは何か」「その制定経過」「基本理念」についてのやや長い解説になっている。これが、第5章「天皇陛下」に次いで、できがよくない。この浅井の文章からは、「これから民主的で平和な新生日本をつくっていく」というワクワクした感動が伝わってこない。朝日のリードのような感想を私は持てない。
戦時中は天皇制に弾圧されてものが言えなかった。ようやく、あたまの上の重しが取れて、はっきりと自分の意見が言えるようになったという研究者もジャーナリストも多くいたはず。そのような人々の躍動感に溢れた教科書執筆はできなかった。終戦直後も、この程度の教科書しか作れなかったということを、冷静に見つめなければならない。そして冷戦下、「この程度の教科書」すらも生き残れず姿を消したのだ。
次回「新しい憲法のはなし・第1章『憲法』」に触れたい。
(2018年12月10日)