澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

アベとトランプ この朝貢外交に無批判であってよいのか

古代、中国の周辺諸国は皇帝に朝貢することで臣属の意を表した。進貢とこれを上回る恩賜があって、朝貢貿易が成立したという。周辺各国の安全保障と経済とは、この時代から超大国との関係に律せられていたのだ。

江戸時代、武家諸法度によって1万石以上の諸大名のすべてが、首都・江戸への参勤交代を義務づけられた。幕府に謀反の意を疑われることは、藩の命運に関わることとして、全ての大名が表面上喜々としてこの義務を果たし、その莫大な経費で藩の財政をすり減らした。

そして今、古代の皇帝の如くに、はたまた江戸時代の将軍の如くに君臨する、超大国の暴君・トランプの前に、アベ・シンゾーがひざまずき、満面の笑みをたたえて臣従の意を表明する。まさしく、その心根は朝貢であり、参勤交代にほかならない。恥ずかしくないのか。こちらは日本国民であることが恥ずかしくてならない。

トランプは、近代市民社会の理想や良識とは無縁の存在。ポピュリズムが生みだした、時代錯誤の醜悪なモンスターだ。格差と貧困にうちひしがれた大衆の支持で誕生した、大金持ちの支配者。その存在自体が説明不能のパラドックスである。

この皇帝は、実はさびしさをかこっていた。焦りもあった。まともな国の首脳たちは、朝貢にも参勤交代にも来ようとしないのだ。唯一、トランプに媚態を見せたイギリスのメイが、国内でブーイングを浴びている。そこへ、タイミングよく平身低頭のアベが来た。阿諛追従、お世辞とへつらいとゴマすり男。これ以上はない、見事な相性のカップル。

朝貢は服属国に経済的利益をもたらし、参勤交代は経済の疲弊をもたらした。アベの服属の結果は、朝貢よりは参勤交代に近いこととなるのだろう。

朝日が、「米メディア、冷ややかな見方も」と報じている。
「ただ、こうした首相の姿勢を、一部の米メディアは冷ややかに報じた。
NBCニュースの政治担当ディレクター、チャック・トッド氏はツイッターで「メイ英首相よりもさらに、日本の安倍首相はトランプ大統領に取り入ろうとしている」と投稿。米タイム誌(電子版)は「日本の首相は大統領の心をつかむ方法を示した。お世辞だ」と題した記事で「首相は記者会見で大げさに大統領をほめた」などと皮肉った。ニュース専門局MSNBCのアナリスト、デビッド・コーン氏もツイッターで「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」と述べている。
CNNなど主要テレビは共同記者会見を生中継したが、終了後は日米関係にはほとんど触れず、大統領令を集中的に報じた。ワシントン・ポストは「安倍首相がホワイトハウス訪問。だが、入国禁止の大統領令がニュースを独占した」と報道。「晴れ渡った安倍首相との会談を、裁判所の判断が曇らせた」と表現した。」

毎日は、パックンことパトリック・ハーランの次の言を紹介している。
「自分と距離を置く首脳もいる中、最初から近付いてきた安倍首相は大統領にとってありがたい存在だったのだろう。日本国内には、大統領と距離を縮める首相に大きな批判はなく、厚遇ぶりをエンターテインメントとして見ているのでは」「対日・外交方針も固まっていない時期の厚遇の首脳会談はアメリカ人から見れば非常識。日米首脳の動向がアメリカでも報道されているのは、日本との外交政策が注目されているのではなく、大統領が非常識だから

皇帝側のメデイアがこれだけ冷めているのだ。属国側のメディアに、その気概ありや? 「こんなに大統領におべっかを使う外国の首脳は見たことがない」とまで言われることは、世界の良識からトランプの同類と見なされること。アベには、そのことをリスクとする認識があるか?
(2017年2月13日)

マイナンバー 知らせて危険。知らせられるともっと危険。

年末から年初にかけて確定申告のための支払い調書(源泉徴収の票)が届いた。
今までにないこととして、事前に「調書作成のためにマイナンバーをご連絡ください」とする問合せが何件かあった。そのいずれの問合せにも、「マイナンバー記載なしで調書の作成をお願いします」「その方がお互い面倒でないでしょう」ということで、なんの問題も起きていない。行政が「どうしても必要」という場合には、それなりの対応をしなければと思ってはいたが、そのようなケースに遭遇することはなかった。

マイナンバー、使って何の得もない。うっかり使えば、漏洩のリスクが大きい。知られた者も知らされた者も、リスクを抱えることになる。こんなもの、ないに越したことはない。こんな制度は眠り込ませるに如くはない。

目についた限りで、関連した幾つかの情報をご紹介する。

不記載の給与支払い報告書 市が受け取り拒否を撤回
小松島市(徳島県)「生活と健康を守る会」は、1月18日小松島市に対し、マイナンバー不記載を理由とする申請書等の受け取り拒否を改めるよう申し入れました。
 1月16日、漁業を営む会員の島田佳代さん(仮名、74歳)がマイナンバー不記載を理由に、市から給与支払報告書の受け取りを拒否されました。
 小松島市生健会は3月の税金集団申告に向け、昨年11月から税金学習会を3回開催。その中でマイナンバーについて学習をし、プライバシー侵害のおそれがあるため、マイナンバーは書かないことを確認してきました。
 1月18日は、毎月第1、第3月曜に開催している「なんでも相談会」の日でした。受け取りを拒否された島田さんは相談に訪れ、「給与支払報告書を仕上げ、市役所に提出しようとして拒否された」ことを話しました。
 早速、市に申し入れることにし、島田さんと井上博善会長ほか役員3人が参加しました。市役所からは税務課長と担当係長が出席。初めに、生健会から「給与支払報告書の受け取り拒否は、国の定めたマイナンバーの取り扱い原則から逸脱している。不記載でも受け取るのが原則だ。なぜ受け取り拒否したのか」と質問し、その経緯の説明を求めました。
 担当係長は「窓口担当職員から事情を聴いた。受け取り拒否でなく、会員の方がどうするか考えるため持ち帰った」との説明。島田さんは「マイナンバー不記載では受け取れないと、担当者が言った」と反論。
 その後担当係長から「行き違いがあり、迷惑をかけました。不記載の意思が確認できる場合は受理します」と謝罪がありました。
 その場で(マイナンバー記載のない)給与支払報告書を提出しました。
 2月14日から始まる確定申告のマイナンバー記載の取り扱いについても、尋ねました。「所得税に関するマイナンバーについては、市税務課(所得税申告を受け付ける市の窓口)では確認しないよう税務署から指示されている」「住民税については、マイナンバー記載の場合、証明するものの提示を求める。不記載の場合は、『来年の申告では記載するよう』指導する」との説明がありました。
 最後に井上会長は、「マイナンバー制度により事業所は事務が増えている。国民はマイナンバー漏えいによるプライバシー侵害を心配している。マイナンバー制度は廃止すべきである」と述べました。
(以上、2017年2月5日号「守る新聞」。同会ホームページから)

税申告マイナンバー不要 全生連が省庁交渉で確認

全国生活と健康を守る会連合会(全生連・安形義弘会餐)は8日、国が個人情報を管理するマイナンバー(共通番号)制度をめぐり、担当省庁と国会内で交渉し、税申告の際、マイナンバーの記入がなくても申告が受け付けられることを確認しました。総務省、国税庁、内閣府の3省と交渉しました。
 総務省の担当者は、「マイナンバーの記入がない場合も税申告を拒否することはない。申告を受け付ける。記入がないことによる罰則もない」と話しました。参加者は、新潟県南魚沼市の住民が税申告の際にマイナンバーを記入しないことを伝えたところ、市役所から「記入拒否の理由書を住所・氏名とともに提出せよ」と同市が作成した「マイナンバー未記入理由書」への記入を求められた事例を紹介。「まったく必要がないと周知徹底してほしい」と申し入れました。
 総務省の国税庁の担当者は、「法令上、そういった書類を出してもらう必要はない。自治体にもそういった指導はしていない」と回答しました。
 全生連はこのほか、▽行政から発送される通知などにマイナンバーを記載しない▽国民のプライバシーを侵害するマイナンバー制度そのものを廃止する?ことを求めました。
(しんぶん赤旗 2017年2月10日)

マイナンバー 記載なくても不利益ない 全中連に各省庁が回答
全商連も加盟する全国中小業者団体連絡会(全中連)が(2015年)10月27、28の両日に行った省庁交渉ではマイナンバー(共通番号)制度実施の延期・中止を求めるとともに「共通番号の記載がなくても提出書類を受け取り、不利益を与えないこと」などを要望しました。主だった各省庁の回答を紹介します。

【内閣府】
・「扶養控除等申告書」「源泉徴収票」などの法定資料や雇用保険、健康保険、厚生年金保険など書類に番号が記載されていなくても書類は受け取る。記載されていないことで従業員、事業者にも不利益はない。
・従業員から番号の提出を拒否されたときは、その経過を記録する。しかし、記録がないことによる罰則はない。
・「個人番号カード」の取得は申請によるもので強制ではない。カードを取得しないことで不利益はない。
【国税庁】
・確定申告書などに番号未記載でも受理し、罰則・不利益はない。
・事業者が従業員などの番号を扱わないことに対して国税上の罰則や不利益はない。
・窓口で番号通知・本人確認ができなくても申告書は受理する。
・これらのことは個人でも法人でも同じ。
【厚生労働省】
・労働保険に関して共通番号の提示が拒否され、雇用保険取得の届け出で番号の記載がない場合でも、事務組合の過度な負担が生じないよう、ハローワークは届け出を従来通り受理する。罰則や不利益はない。
・労働保険事務組合が番号を扱わないことによる罰則や不利益な扱いはない。
・番号を記載した書類を提出するとき、提出者本人の番号が確認できない場合でも書類は受理する。

以上のとおり、マイナンバー不記載による納税者等の不利益はない。一応、事業者にはマイナンバー記載の義務は定められており、労働者には協力義務があることにはなっている。だから、行政が、マイナンバー記載の指導を求めることは違法ではない。しかし、国民が自らのマイナンバー不記載の意思を明示すれば、法はこれを強制することを想定して作られてはいない。刑罰のないことはもちろん、強制や誘導のための一切の制度はない。

一方、うっかり番号を預かると、担当者には秘密保持義務が課せられ、「秘密を漏らし、又は盗用した者は、3年以下の懲役若しくは150万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する(番号法第50条)」とされる。これはたいへんなことではないか。
マイナンバー人に知らせて危険。人から知らせられると、もっと危険。
(2017年2月12日)

「瑞穂の國記念小學院」入学予定の生徒と父母の皆さまへ

よい子のみなさん、お集まりなさい。お父さまお母さま方も、ご参列ください。

さあ、まずは天皇陛下のいらっしゃる宮城に向かって、みんなで遙拝しましょうね。それから、いつものとおり教育勅語を唱えて、「君が代」と「海ゆかば」を合唱しましょう。天皇陛下や皇室を敬い、立派な日本人になる気持ちを込めて唱うのですよ。

みなさんは、塚本幼稚園を卒業して、この春から新しくできる「瑞穂の國記念小學院」の一年生になります。その学校では、ほかの学校とは違った正しい日本人になるための教育をうけることになります。その正しい日本人としての心得を、これから安倍昭恵名誉校長先生がビデオメッセージでお話しになります。みなさん、しっかりお聞きしましょうね。

ご存じのとおり、安倍昭恵名誉校長先生は安倍晋三首相の奥様でいらっしゃいます。安倍晋三首相は、常々「今の時代はまちがっている。戦争に負ける以前の強く正しい、立派な日本を取り戻さなければならない」とおっしゃって、これまでの塚本幼稚園の教育をお褒めいただいてまいりました。奥様には、新設の小学校の名誉校長就任までお引き受けいただき、当学校法人森友学園にはいろいろ便宜をはからってただいたことを、心から感謝申し上げます。では、名誉校長先生のお話しのビデオのスイッチを入れます。

私が、「瑞穂の國記念小學院」名誉校長の安倍昭恵です。夫・安倍晋三は、右翼だ、軍国主義者だ、歴史修正主義者だと悪口を言われておりますので、本校のような、真正の右翼で、軍国主義で、歴史修正主義の教育支援をすることはなかなか難しいのです。そこで、妻である私が代わってお引き受けし、右翼の皆さまに安倍の本心を察していただくとともに、リベラルの皆さまから安倍への直接の攻撃を避けているわけでございます。

「瑞穂の國記念小學院」は、清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくることを目的としています。教育勅語を教育の基礎に据えて、教育勅語に書かれた理想のとおりの民草を育てることが校是です。生徒は教育勅語と五箇條のご誓文を暗記して毎日奉唱いたします。けっして、日本国憲法の条文を暗記させるなどいたしません。こうしてこそ、天皇陛下や皇室を敬い尊ぶ立派な日本人が育つのです。

たまたま、今日は紀元節です。日本という國の誕生日というおめでたい日。日本という國は万世一系の天皇がしろしめす國ですから、初代の天皇が即位した日をもって國の誕生日と定めたのです。

古事記には、次のように書かれています。
神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこ)の命、その同母兄(いろせ)五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議(はか)りたまはく、「いづれの地(ところ)にまさば、天の下の政を平けく聞(きこ)しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向(ひむか)より發(た)たして、…… かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向けやはし、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下治(し)らしめしき。

分かりやすく言えば、こういうことです。
昔むかし、「かむやまといはれびこ」という神様がいらっしゃって、日向の高千穗から東に征伐の旅を続け、土地土地の悪い神と闘い、苦労してやっつけて、畝傍の橿原宮まできて天下を治めた、というのです。

日本書紀には、「かんやまといわれひこのすめらみこと」が、即位して、「はつくにしらすすめらみこと」と称したとなっています。この方が、初代・神武天皇で、以来皇統が連綿と続いているのでございます。古事記にも日本書紀にも、これがいつのことかは、書いてありません。しかし、明治時代に、きっとこの日に違いないと、2677年前の2月11日に決めたのです。特に、大した根拠はないのですが、立派な日本人はそんなことは問題にしません。縄文期に国家の形成はあったのかしら、などと不敬なツッコミをしてはなりません。隣国朝鮮の檀君神話などは非科学的だと攻撃してもよいのですが、日本の皇室の尊厳をおとしめてはならないのです。

なぜ、皇室が尊いか。それは、皇室が神様の子孫であるからです。古事記には、こう書かれています。

天照らす大神の邇邇藝の命(ににぎのみこと)へのお言葉として、「豐葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあきの)水穗(みづほ)の國は、汝(いまし)の知(し)らさむ國なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに天降(あもり)ますべし」

アマテラスオオミカミの孫がニニギノミコトで、その子孫が神武天皇なのです。「水穗(みづほ)の國」とは日本のことで、アマテラスオオミカミがおっしゃったとおり、「水穗(みづほ)の國・日本」は、ニニギノミコトの子孫である万世一系の天皇が永遠に治める国とされたのです。神様がそうおっしゃったのだから、絶対に間違いありません。このことを少しでも疑うものは、立派な日本人とは言えないのです。

私が名誉校長となった、「瑞穂の國記念小學院」の名前は、この古事記や日本書紀の「みづほの國」から取ったものです。この学校では、その名前のとおりの、立派な日本人を育てようというのですから、日本の国が便宜を払ってくれてよいはずと思います。

この学校の敷地は、近畿財務局から国有地を払い下げていただいて取得しました。この払い下げの件について、一昨日(2月9日)の朝日新聞が、あたかも裏に重大な疑惑があるような悪意の記事を書いています。今日(2月11日)の赤旗新聞もこれに続いています。

朝日も、赤旗も、敬神尊皇の心をもたない荒ぶる輩ですから、書いてあることを信用してはいけません。たとえ記事が真実と証明されてもです。真実などには、大した価値はありません。大切なのは、皇室と日本を敬い尊ぶ心であり、政権を支えようとする善意なのですから。

朝日の記事の見出しは次のとおりです。
「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」
国が本校の敷地を払い下げるにあたって、汚い裏工作があったのだろうと思わせる、意地悪な見出し。問題は3点ほどとなっています。

第1点。払い下げ価格が隠されていたこと。
国有地の払い下げ価格は公表が原則なのに、本件では公表されなかった。不審に思った、地元の豊中市会議員が情報開示を求めたが、却下された。朝日新聞も情報開示を求めて却下された。近畿財務局管内の類似払い下げ案件は36件あり、他の35件は全て公開されているのに、本件だけが非公開。これは、意図的な隠蔽ではないのかという指摘にほかなりません。常識的には、後ろ暗いところがあるから、値段を非公開に隠蔽したのだろうと思われても仕方がないようですが、けっして朝日や赤旗の尻馬に乗ってはいけません。

第2点。払い下げ価格が安すぎるという点。
報道のとおりだと、相場の10分の1程度の安い価格での払い下げだったようです。そして、財務当局は、朝日新聞の取材に対して、「価格は土地の個別事情を踏まえたもの。その事情が何かは答えられない」と話しているそうです。これだけ聞くと、朝日や赤旗の多くの読者が、何か不正なことが行われているのだろうと思うことになるでしょう。しかし、立派な日本人を育成するための小学校の敷地の払い下げなのですから、安ければ安いほどいいんじゃございません。

朝日の記事では、同じ土地について、「別の学校法人が森友学園より前に校舎用地として取得を希望し、路線価などを参考に『7億円前後』での売却を財務局に求めていた。これに対し、財務局から『価格が低い』との指摘を受け、12年7月に購入を断念したという。それから約4年後、近畿財務局は同学園(学校法人森友学園)に1億3400万円でこの国有地を売却したとみられている。」と意地の悪いことを書いています。どうせこの別の学校では、皇室の尊厳など教えないんだから、結果はよかったんじゃないでしょうか。

なお、その後の報道では、払い下げ土地内の廃棄物の除去費用をいくらに見積もるべきかが問題になっているようです。情報開示を求める裁判で、いずれは明確になることなのでしょうが、財務局や学校法人側の説明がいかにも歯切れが悪く、心配でなりません。

そして、第3点。この土地払い下げを受けた学校法人が、右翼的思想で安倍首相と通じて、特別のはからいを受けたのではないか。それでなくては、こんなに安くし、こんなに秘密にした理由の説明はつかない、という政治的なものです。

朝日も、赤旗も、あからさまにそこまで書いてはいませんが、普通の人が読めばそう読める記事の内容になっています。

朝日の記事は、「森友学園の…籠池理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員で、ホームページによると、同校は『日本初で唯一の神道の小学校』とし、教育理念に『日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる』と掲げている。同校の名誉校長は安倍晋三首相の妻・昭恵氏」としています。

赤旗は、大きな見出しで、「名誉小学校長は安倍首相夫人」とし、「同小学校の名誉校長には、安倍晋三首相夫人の昭恵氏が就いています」と、私の写真まで載せています。政治的意図がありありですね。

なお、朝日は、「昭恵氏には安倍事務所を通じて文書で質問状を送ったが、回答は届いていない」と意地悪を重ねています。確かに、質問状は届いていますよ。でも、何と答えても、次の矢が来ることになるではありませんか。じっとしているのが、一番利口なやり方でしょう。どうせみなさん、理解ある日本人。その内、忘れてくれますよ。

でも思うのです。この学校の教育の表向きは、「清き明き直き心で、すばらしい日本人をつくる」こと。でも、「だんまり、ごまかし、不正直、裏工作」も上手にできなけれは世渡りなんてできませんよね。今回のこと、学校の姿勢や安倍政権の実態、世の中の裏表がよく見えて、生徒たちには、とてもよい勉強になったのではないでしょうか。プツリ。(ここでビデオメッセージは中断)
(2017年2月11日)

「ナンチャッテ大統領」(so-called President)の裁判官攻撃

権力は有用なものだが、同時にこの上なく危険なものでもある。権力の暴走を許さぬために、法の支配の大原則があり、権力の分立がある。

「法の支配」確立の歴史ににおいては、イングランドの法律家エドワード・コーク(コークは、クックとも表記される)の名が語られる。

暴政で名高い国王ジェームズ1世が王権神授説をもって国王主権の絶対を主張したのに対して、コークは「王権も法の下にある。王の判断が法律家の判断に優先することはない」と説いた。これを快しとしない王が「王である余が法の下にあるとの発言は反逆罪にあたる」と詰問したのに対し、コークは、次の法諺を引用して王を諫めたという。

「国王は、何人の下にもあるべきではない。しかし、国王といえども神と法の下にあるべきである。なぜなら、法が王を作るからである」

これが1606年のできこと。国王の権力と言えども法の下にあり、法律家の判断に従わざるを得ないとされたのは、400年も昔からのことなのだ。

なお、コークが引用した法諺は13世紀のローマ法学者ヘンリー・ブラクトンの言とのことである。つまり、国王も法に従うべきとする思想は、800年も前に遡ることになるのだ。

さて、問題は21世紀の「so-called President」ドナルド・トランプである。「so-called President」の適訳は、「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」ということになろう。その彼に権力を与えたのはアメリカ合衆国憲法なのだから、これに逆らうのは背理である。その憲法の解釈の権限は裁判所が担っている。コークの言葉を借りれば、「大統領も法の下にある。大統領の判断が裁判官の判断に優先することはない」のだ。

アメリカ合衆国憲法に限らず、近代憲法は法の支配という大原則のもと、立法府と、法の執行機関と、法のチェック機構である司法との三権が分立している。大統領は、連邦議会がつくった法に縛られ、司法のチェックには服さなければならない。当然のことだ。

トランプなる「ナンチャッテ大統領」は、このことがお分かりでないようだ。もしかしたら、分からないふりをしているのかも知れないし、分かりたくないのかも知れない。中東・アフリカ7カ国の国民の入国を一時禁止した米大統領令をめぐる裁判の仮処分事件で、敗訴となるやワシントン連邦地裁の裁判官に毒づいた。

曰く、「法の執行をこの国から根本的に取り上げる、いわゆる裁判官のこの意見はばかげている。覆されるだろう!」。あるいは、「入国禁止令は裁判官によって解除されたので、多くの非常に悪い危険な人々が私たちの国に押し寄せるかもしれない。ひどい決定だ」。

さらに、昨日(2月9日)には、連邦第9控訴裁判所(カリフォルニア州・サンフランシスコ)で敗訴を重ねると、往生際悪く「法廷で会おう。我が国の安全保障が危機にひんしている!」とツィートで発信した。米メディアによると、「政治的な決定だ。我々はこの法廷案件に勝利する」とも語っている。

もとより、裁判所も権力の一部である。その判決を批判することは、国民の権利でもあり責務と言ってもよい。しかし、権力の他の機構、とりわけ行政府がこのようなかたちで、司法に圧力をかけてはならない。飽くまでも、裁判官は他の権力機構から独立して、法と良心に従っての判断が保障されなければならない。「ナンチャッテ大統領」が裁判所に圧力をかけることは許されないのだ。

こんな人物をそのまま大統領職におくことは、米国民の恥ではないか。また、こんな人物に、喜々として参勤交替する日本の首相も情けない。ジェームズ1世は自らの王権の正統性を神から授けられたものと主張した。さすがに、「ナンチャッテ大統領」も400年前の言葉を繰りかえしはしない。代わっての説明が選挙の勝利である。人民の意思にもとづく権力の万能を信じている如くである。

彼は、こう言いたいのだ。「選挙に勝利を収めた以上は、私の言こそ人民の意思」「大統領である私が、法の下にあるとは民主主義に反する」「私に逆らう裁判官は人民の意思に逆らっているのだ」。

これこそ、法の支配の大原則を枉げ、権力を集中し、独裁者として権力の暴走をたくらむ権力者の許されぬたわごとである。こういう、専制君主並みの暴君で、無知蒙昧な人物を「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」というのだ。

一方、大統領令の無効を求める訴えの原告となったワシントン州のファーガソン司法長官は意気軒昂。9日の記者会見で「この国は法律の国で、大統領を含めてみな法律に従わなければならない」と語ったと報じられている。このたびは、彼が立憲主義を代表する栄えある立役者になった。

愚かでお騒がせな「ナンチャッテ大統領」を選んだのもアメリカ。三権分立と司法の独立を貫徹したのもアメリカ。日本の司法もアメリカ並みに政権に毅然としてもらいたいもの。いずれにせよ、アメリカは奥が深い。
(2017年2月10日)

「詭弁のイナダ」の防衛大臣辞任を要求する

「白馬は馬にあらず」とは詭弁である。
詭弁は、何らかの実益をもたらす「論証」のためのものである。
「それゆえ、馬の所有への課税も、私の白馬には非課税だ」
「それゆえ、白馬に乗っているかぎり、『下馬』も『乗馬禁止』も無視してよい」
「馬は徴発の対象となっても、白馬を徴発することは許されない」

「殺傷行為も武力衝突も戦闘ではない」は詭弁である。
 この詭弁はPKO派遣部隊の違憲行動を糊塗する。
「それゆえ、殺傷行為があっても武力衝突があっても戦闘があったとは言えない」
「現地に戦闘がない以上、自衛隊の憲法9条違反が問題となる余地はない」

「法は法的概念のみを取り扱う」は、もう一つの詭弁である。
「殺傷行為も武力衝突も事実的な概念であって、法的概念ではない」
「だから、いかに砲弾が飛び交い人が死んでも、全ては『殺傷行為・武力衝突』に過ぎず、戦争を放棄した憲法9条違反ではない」

この詭弁の行き着くところは、こんなところだろうか。
「事実として何が起ころうとも、憲法に禁止されている言葉以外で表現すれば、違憲の問題は起きない」
「戦争も、武力による威嚇も武力の行使も、『殺傷・破壊・武力衝突』と言い換えた途端に、憲法9条違反とはならない」

昨日(2月8日)と今日(9日)、イナダ防衛大臣の答弁として報じられているところは、こうだ。
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」「戦闘行為ではないということに、なぜ意味があるかと言うと、憲法9条の問題に、関わるかどうかということでございます。その意味において、戦闘行為ではないと言うことでございます」「法的な意味の戦闘行為ではない。国会答弁する場合には、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」「紛らわしい言葉は使わない」

南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)をめぐり、稲田朋美防衛相が8日の衆院予算委員会で「国会答弁する場合には、(戦闘という)憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから『武力衝突』という言葉を使っている」と答弁したことについて、菅義偉官房長官は9日午前の記者会見で「(PKO参加5原則が崩れた状態としないために言い換えているとの)批判は当たらない。全く問題ない」と述べた。(朝日)

だれが聞いても、イナダの答弁は、「PKO参加5原則が崩れた状態としないために言い換えている」以外のなにものでもない。「批判は大当たり」だからこそ、弁明が必要なのだ。

この人は、イデオロギーのいびつさ以前に、事実を事実として認めるという謙虚さに欠けている。こんな詭弁を弄する人物が防衛大臣とは、危険きわまる。野党からの辞任要求は当然のことではないか。

なお、一言。こういう人物が弁護士であることが恥ずかしい。
多くの人が思うことだろう。
「イナダはひどい詭弁を弄する」
「イナダは弁護士だ」
「きっと、弁護士とは詭弁を弄する生業なのだ」

こんなことを思われたくはない。私も、声を大にして要求する。
「一刻も早く、イナダは防衛大臣をヤメロ」「議員を辞めろ」「政治家を辞めろ」
(2017年2月9日)

「一般的意味での戦闘」も「法的意味では平和」である。

複数のメディアやジャーナリストから情報開示請求のございました「南スーダン PKO陸自部隊日報」の件。廃棄済みで不存在として、昨年12月いずれも不開示決定をしたところでございます。当該資料は、飽くまでも法的意味において廃棄したもので、一般的な意味においては廃棄によって不存在とはなっていなかったということでございますので、このほど開示請求に応じることにいたしました。

開示請求があったあの時期は、PKO部隊の駆けつけ警護新任務についての国会論議がかまびすしいときでございまして、資料公開がPKO5原則の根幹を揺るがす問題と誤解されかねない事態でした。ですから、あの時点での情報開示は政権にとって極めて不都合でございましたから、一般的な意味では隠蔽したと受けとられてもやむを得ないのでございますが、法的意味においては隠蔽にあたらず、何ら問題のないものであることをご理解ください。ようやく今は公開しても喉元過ぎれば云々で、もう良かろうと判断した次第なのでございます。

もとより、アベ首相が、「南スーダンは永田町と比べればはるかに危険だ」「任務が増えるからといって、その分だけリスクも増えるわけではない」「自衛隊員が実際に負うリスクは1足す1足す1は3といった足し算で考えられるようなものではない」と述べたとおりでございまして、こうした不誠実な姿勢は一般的には大いに問題と批判のご意見もあろうかと存じますが、法的にはなんの問題もないことなのでございます。

で、このたび情報開示に応じた資料は、2016年7月11、12日の南スーダン派遣施設隊の「日々報告」第1639、1640両号と、報告などに基づいて上級部隊の中央即応集団司令部がまとめた「モーニングレポート」同7月12、13日付の計4点の文書でございます。

この中には、確かに「戦闘」の表記が複数ございます。これは一般的には、政権に不都合な表現です。これあればこそ隠蔽したのではないか、飽くまで一般的には、そのように受けとられてもいたしかたないところではございます。しかし、これも法的にはまったく問題がないことなのでございます。

ご存じのとおり、PKO5原則というものがございます。
1 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
2 国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
3 当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
4 上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。
5 武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。(以下略)

戦闘が起こっている事態は、明らかに「停戦合意が崩壊」していることを意味しますし、南スーダンにおける政府軍と元副大統領派軍の戦闘は、PKO部隊の中立的立場厳守を事実上不可能にします。本来自衛隊は撤収すべきだったのでしょう。でもそれでは、なし崩しに自衛隊を国防軍化するというアベ政権の基本路線に矛盾することになってしまいます。そこで、この矛盾追及を切り抜けるために、「戦闘という用語は、一般的な意味で用いた。政府として法的な意味の戦闘が行われたとは認識していない」と説明申しあげた次第です。アベ政権の二枚舌。ごまかしは今に始まったことではありませんが、この「一般的な意味」と「法的な意味」の使い分け。便利なものですから、これからもちょくちょく使わせていただくつもりでございます。

一般的には、「ある」と「ない」、「存在」と「不存在」、戦闘の「有・無」は、対立する概念です。でも、真面目にそんなことを論じていては、政権の維持はできません。アベ政権では、「ある」は「ない」であり、いつでも「ない」も「ある」に変わります。融通無碍、変幻自在なのです。

ジョージ・オーウェルの「1984年」に出て来る、真理省のスローガンを想い起こしてください。このスローガンはまさしく、アベ政権のものなのです。
  戦争は平和なり
  自由は隷従なり
  無知は力なり

南スーダンにおいては戦争こそが平和であります。「戦闘」が起こっているとしても「衝突」に過ぎません。アベ政権を信頼して盲従している人々こそが自由なのです。そして、国民は無知でよろしい。知らないことほど力強いことはないのです。

それにしても生々しい。公開された文書のうち、7月11日の日々報告は、ジュバ市内で政府側と前副大統領派の戦闘が発生したことを受け、自衛隊の宿営地内での流れ弾による巻き込まれや、市内での突発的な戦闘への巻き込まれの注意を喚起。宿営地周辺で射撃音が確認されたこと、国連南スーダン派遣団司令部のあるUN(国連)ハウス周辺でも射撃事例があったと報告しています。

モーニングレポートの7月12日付は、政府側と前副大統領派の戦闘がジュバ市内全域に拡大し、10、11両日も戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘がUNハウスや宿営地周辺で確認され、UNハウスでは中国兵2人が死亡するなど国連部隊の兵士が巻き込まれる事案が発生していることを明らかにしています。また、日々報告には政府側と前副大統領派の関係が悪化した場合の予想シナリオとして、ジュバでの衝突激化に伴う国連の活動停止など、PKO活動が継続不能になる可能性も指摘しています。

こんな文書の公開が、激論が行われている国会審議のさなかに出せるわけがないではございませんか。そのことは、法的にではなく、一般的常識的にご判断いただきたいものと思います。

なお、最後に申しあげておきます。「法的意味の戦闘行為」を最初に言ったのは、あの頼りない泣きべそ稲田朋美防衛相です。昨年秋の臨時国会で、7月の南スーダン状勢に触れて、「国際的な武力紛争の一環として行われる人の殺傷や物の破壊である法的意味の戦闘行為は発生していない」と発言しています。この人、けっして泣きべそかいているだけの人ではありません。泣きながらも、けなげにアベ政権の防衛大臣としての任務を遂行しようというのですから、見上げたものではございませんか。

「一般的意味」と「法的意味」との使い分け。ずいぶん応用が利きそうです。アベ政権への国民の批判の声が小さいことをこれ幸いに、今後大いに活用させていただくことといたします。
(2017年2月8日)

今年は平穏無事だー2017年東京弁護士会役員選挙事情

早春、梅の咲くころは弁護士会選挙の季節。今年も、最大単位会東京弁護士会(会員数約8000名)の選挙公報が届いた。会長立候補者は1名のみ。副会長は、定員6名に立候補者6名。

常議員定数が80のところに、公報では立候補者数85名となっているが、実は5名が立候補を辞退したとのことで、結局は2月10日予定の選挙は全て無投票となった。今年は、日弁連会長選挙もない。例年、私が批判している「理念なき弁護士」群からの立候補もない。立候補してくれてこそ、弁護士や弁護士会のあり方についての議論が沸き起こることになる。だから、選挙がないというのはさびしいものだ。

それでも、選挙公報に目を通して見る。会長候補は渕上玲子氏(法曹親和会)。2月10日に無投票当選となる。私の認識の限りだが、東京弁護士会初の女性会長だろう。結構なことだ。

公報には、会務に取り組む基本姿勢欄に、「私は、市民と弁護士との双方向のアクセスを容易にし、市民の権利擁護に努めるとともに弁護士業務の基盤を拡充していきたいと考えています」とある。弁護士会内での、常識的な感覚と言えよう。

以上の基本姿勢を踏まえて、選挙公約は、「市民や企業のために弁護士会が取り組むべきこと」「弁護士のために弁護士会が取り組むべきこと」を掲げ、その次に、「基本的人権を擁護し社会正義を実現するために弁護士会が取り組むべきこと」を連ねている。以下に、この弁護士の使命に関する項目についてだけ、公約を引用する。

☆安保法制と憲法改正問題に取り組む
 憲法前文および恒久平和主義に反し、憲法改正手続を経ずに実質的に憲法を改変しようとする安全保障関連法に対して、引き続き廃止を求めます。またPKO活動計画に「駆けつけ警護」を付与した閣議決定の撤回を求めるなど平和主義に反する法執行を行わせない取組も必要です。
 2016年参議院選挙の結果、両院ともに憲法改正に賛同する勢力が3分の2となった国会では、現実に憲法改正議論が始まりました。基本的人権の尊重や恒久平和主義という憲法の基本原則を否定するような憲法改正には反対します。

☆新たな刑事手続における冤罪・誤判の防止に取り組む
 2016年5月24日に成立した改正刑事訴訟法は段階的に施行されることになっており、2017年度は対応態勢を整える年になります。2018年5月までに拡大される全件被疑者国選弁護事件に確実に対応できるようにします。2019年6月までに施行される取り調べの可視化は、すでに検察庁が事実上可視化の対象事件を拡大したことで、今も件数は増加しており、研修を強化し、弁護人が十分な弁護活動を行えるように支援します。拡大した通信傍受、新たな司法取引制度などについては、監視を強化し、研修を重ねて有効な冤罪・誤判防止策を講じます。

☆人権諸課題に取り組む
 東弁の各委員会が取り組む人権課題は、消費者、高齢者・障がい者、子ども、女性、外国人、犯罪被害者、LGBTなど多岐にわたります。外国人に対するヘイトスピーチ問題、高齢者を被害者とする消費者被害の深刻化、DV・ストーカー、児童虐待による悲惨な被害など問題は山積しています。これらの人権課題に積極的に取り組むことは弁護士会の責務です。委員会活動に対するなお一層の支援を行います。
 成人年齢を引き下げる少年法改正の動きには、強<反対します。現行少年法の手続と処遇は、可塑性に富む18、19歳の少年が更生し、社会に適応して自立していくために有効であり、再犯防止に繋がるものです。
 東日本大震災の被災者や福島第一原発事故被害者は今も多くの人々が避難生活を余儀なくされています。甚大な被害を受けた地域の復興と、原発事故による賠償が不十分な被害者のために、東弁は引き続き支援していきます。東日本大震災を忘れないこと、そして東京で必ず起こる首都直下型地震に備えていくことが弁護士会の社会に対する責任と考えます。

☆男女共同参画のさらなる伸展を図る
 2016年に策定された東弁の第二次男女共同参画基本計画の推進に全力を傾けます。会員それぞれが個性と能力を発揮できる弁護士会の実現を目指します。
 弁護士会の意思決定過程に女性弁護士が参加することのメリットをもっとアピールし、参加への意欲と理解を高めることが私自身に課せられた使命と考えています。女性弁護士や育児期間中の会員が研修や会務活動に参加しやすいように、テレビ電話会議システムなどの情報通信技術を積極的に活用し、参加のための援助制度をさらに工夫していきます。

☆弁護士の不祥事防止策を強化する(略)

喫緊の課題である「共謀罪」についてコメントないのがやや残念だが、全体としてその意気や良し、というべきだろう。会内に向けてというだけでなく、多くの市民に対する公約ともなっている。

解釈改憲にも明文改憲にも反対。安全保障関連法の廃止を求める。「駆けつけ警護」の撤回を求める、などは弁護士多数派の意見として定着しているのだ。

副会長に無投票当選となるのは、下記の6人。
磯谷文明(期成会)、遠藤常二郎(法曹親和会)、平沢郁子(法友会)、松山憲秀(法友会)、露木琢磨(法曹親和会)、榊原一久(法友会)。

6人全ての公約に、「憲法改正反対」、あるいは「立憲主義・平和主義の堅持」「憲法問題への取り組み」が掲げられている。また、人権課題への積極的な取り組みが唱われてもいる。これが、会員弁護士が執行部に望む声だからである。

なお、選挙公報を一読しての感想。会長・副会長・監事の各候補者合計して、9名が、公報に、経歴を載せ、公約を述べている。その記事の西暦表記派が8名、元号派が一人である。この副会長候補者も、「人権と憲法理念」という一項を起こして、「恒久平和主義等に関する日本国憲法が有する基本的価値観が揺らいでいます。当会としては、現行憲法の有する普遍的価値の維持のため、積極的な活動を行っていく必要があると考えます」として、特定秘密保護法や、集団的自衛権問題に触れている。元号派必ずしも保守反動ではないのだが、不便な元号使用にこだわっているのは、頑固な思想のゆえかと勘ぐられる時代になりつつあるのではないだろうか。

こんなことを心穏やかに書いていることができるのだから、今年は平穏である。国内外の政治が穏やかでなくなったのに比較して、弁護士会は立憲主義と人権・民主主義尊重の姿勢に揺るぎがない。もちろん、弁護士会を理想化するつもりはないが、国政よりはずっとマシだ。国政が弁護士会程度になれば、どんなにか居心地の良い社会になるだろうに、と思う。

しかし、来年のことは分からない。去年と一昨年のことについては、関連ブログのURLを掲載しておこう。

弁護士会選挙に臨む三者の三様ー将来の弁護士は頼むに足りるか(2015年2月2日)
https://article9.jp/wordpress/?p=4313

東京弁護士会役員選挙結果紹介?理念なき弁護士群の跳梁(2015年2月15日)
https://article9.jp/wordpress/?p=4409

野暮じゃありませんか、日弁連の「べからず選挙」。(2016年1月29日)
https://article9.jp/wordpress/?p=6309

東京弁護士会副会長選挙における「理念なき立候補者」へ(2016年2月1日)
https://article9.jp/wordpress/?p=6329
(2017年2月7日)

《嘘を平気で言う。ばれても恥じない》ー「橋下徹対野田正彰」訴訟 判決紹介

本年(2017年)2月1日付の、「橋下徹」対「新潮社・野田正彰」損害賠償請求事件、上告審の決定書を入手した。橋下から、新潮・野田医師に対する上告を棄却するとともに、上告受理申立も不受理とする三行半の決定。

その原判決が、大阪高裁第5民事部(中村哲裁判長)の2016年4月21日言い渡しの判決。このほどその判決書も入手し一読した。その内容は、紹介するに値するものである。

周知のとおり訴訟は公開で行われるが、その法廷外への公表においては、市井の人のプラバシー保護への十分な配慮を必要とする。しかし、本件判決において話題とされた事項は、政治家橋下徹の政治家としての資質に関する情報である。公的人物の公的関心事にかんする情報として、むしろ積極的に世に知らしむべき内容といってよい。

私は、問題となった雑誌記事はまったく読んでいなかったが、訴訟になったおかげで、野田医師の「誌上診断」と橋下の「病状」を知ることになった。訴訟提起の偉大な効果である。せっかくだから、判決を通じて、何が問題となって、裁判所がどのような理由で橋下の請求を棄却したのか、ご紹介したい。

控訴審判決は、事件の概要を次のようにまとめている。
「本件は、元大阪府知事であった被控訴人(橋下徹)が、精神科医である控訴人野田が執筆し、控訴人会社(新潮社)が発売した月刊誌『新潮45』平成23(2011)年11月号(以下「本件雑誌」という。)に掲載された「大阪府知事は『病気』である」と題する原判決添付の別紙記事(以下「本件記事」という。)によって名誉を毀損されたと主張して、控訴人らに対し、不法行為(民法719条・共同不法行為)による損害賠償請求権に基づき、連帯して、1100万円及びこれに対する不法行為日(本件雑誌の発売日)である平成23(2011)年10月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
原審は、被控訴人の請求のうち、控訴人らに対し、連帯して、110万円及びこれに対する平成23(2011)年10月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余は、理由がないとしていずれも棄却したことから、これを不服とする控訴人らが控訴した。」

この控訴審判決の主文は以下のとおり。
1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 上記取消部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、1、2審を通じて披控訴人の負担とする。

つまり、橋下側から見て、一審では一部(請求額の10分の1)勝訴判決だったが、控訴審で逆転し全面敗訴となったのだ。

掲載記事のうち、原告が名誉毀損の言論と主張したのは、A?Dと符号をつけられた4カ所。一審判決は、その内C部分について違法を認めた。

名誉毀損とは、人の社会的評価を低下させることだが、ある言論が人の評価を低下させただけでは損害賠償の責任は生じない。違法な名誉毀損行為だけが責任を生じる。訴訟実務では、被告の側で当該の言論が、真実であるか、真実と信じるについて相当であれば、違法性は阻却される。

本件一審判決は、C部分について、真実であることの立証も、真実と信じるについての相当性の立証も足りないとした。控訴審判決はこれを逆転して、真実であることはともかく、真実と信じるについての相当性は認められる、としたのだ。

「C部分」とは、野田医師が橋下の高校時代のA教諭から得た、橋下の高校時代の行動についてのエピソードである。判決書きの中から拾えば、次のようなもの。
「大掃除の時汚れ仕事から逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。」、「目と目をあわせることができず、視線を動かし続ける。嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」「バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。」、「文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない」、「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる」「感情交流ができず共感がない」「伝達、伝言のようでコミュニケーションにならない」「馬鹿にされていると敏感に感じるのか、見返そうとしているようだった」など。

控訴審判決は、「当裁判所は、被控訴人(橋下)の本件請求には理由がないからこれをいずれも棄却すべきものと判断する。」と結論した。その理由として、野田医師が、橋下の「教科のみならず生活指導や進路指導にも関係したA教諭」から本件記載部分Cのエピソードについて聴き取りをした経過を詳細に認定して、「C部分を真実と信じるについての相当性が認められる」としたのだ。

また、判決は、別人が「その取材活動で、Cと重なり合う、同様の事実、たとえば、『体育のバレーボールの時間などに失敗した子を徹底的に罵倒する』、『掃除の時間になるといつの間にかいなくなる』、『校内大掃除などみんなでやる作業も徹底して拒否する』、『約束も守らず友達も少ない』、『ラグビー部の練習をさぼるときに平気で嘘をつき、嘘がばれても全然気にしない』などの事実を得ていた」を認定し、「それぞれ異なる取材であったのに本件記載部分Cのエピソードと別件記事に係る上記内容とが重なり合っていた」としている。

確かに、裁判所の認定は、野田医師の記事の真実性ではなく、相当性(真実と信じるについての相当性)ではある。しかし、ことの性質上、厳密な意味での記事の真実性立証は不可能に近い。本件での相当性の立証は、実は真実性の立証に近いものと言って間違いでない。

野田医師の、橋下に対する「診断」名は「自己顕示欲型精神病質者」「演技性人格障害」という精神疾患であった。関係者に取材して情報を集めての誌上診断であるのだから、臨床診察による診断ではない。また、収集された情報は厳密に立証された事実とも言えない。しかし、それに代わる高校時代の橋下の教師の証言を得るについての真摯な姿勢は、判決が認定しているところである。

そのような真摯な姿勢で野田医師が収集した、「大掃除の時汚れ仕事から逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。」、「嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」「バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。」、「文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない」、「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる」「感情交流ができず共感がない」などは、政治家の資質に関わる重要なエピソードではないか。

その意味で、野田医師の記事は社会的に極めて有益な情報なのだ。政治家の名誉を毀損するものとして、これを軽々に違法としてはならない。違法とする判決によって貴重な情報をシャットアウトしてはならない。

「嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」などという指摘には、橋下に限らず、思い当たる政治家の顔が、いくつも浮かんでくる。

厚顔な輩に負けてはおられない。野田医師も新潮社も、萎縮することなく有益な情報提供を続けていただきたいと願う。先日まで、被告業を余儀なくされていた者として、連帯の意を表明する。民主主義の前進のために。
(2017年2月6日)

トランプ・アベに見る「歴史の逆流現象」

1980年代半ばのこと。ある公選法違反(戸別訪問)被告事件の最終弁論の冒頭を次のように書いた。

独裁・専制の政治から、民主主義の方向へ。これを進歩というべきであり、人類の政治史は、時に反動のつまずきはあっても、着実に進歩の方向に推移してきた。

この事件で教示を受けた杣正夫九州大学教授(政治学・故人)のほぼ受け売りである。弁論要旨だから、論旨は戸別訪問違反を犯罪とする現行公選法の弾劾に収斂する。

民主主義にも進歩の歴史があり、選挙にも選挙制度にも進歩の歴史がある。制限選挙から普通選挙へ、選挙運動の規制から自由な選挙運動へ。これが、歴史の大道である。現行の選挙運動規制は、進歩を遂げた日本国憲法にふさわしい選挙制度ではない。天皇主権時代のがんじがらめ選挙制度を後生大事に温存することは、もはや許されない…。

「独裁・専制の政治から、共和・民主主義の方向へ」という、楽観的な進歩史観。当時、堂々と胸を張って法廷でしゃべって違和感がなかった。裁判官もよく耳を傾けてくれた。これを疑う余地はなかったのだ。しかし、さて今、違和感なくこう言えるだろうか。

政治の進歩とは、何よりも人権擁護の徹底にある。「独裁から民主へ」とは、「特定の者の利益のための政治から、万人の公平な利益のための政治へ」ということでもある。民主主義先進国アメリカのトランプ現象は明らかに「進歩」史観への逆流である。その原因をどう理解すればよいのだろうか。

「独裁・専制から民主へ」は、政治権力の分散をも意味している。大統領権限を、司法がチェックする。アメリカの司法は、よくその役割を果たしてきた。今回も、トランプの無法に、法の立場からたしなめるべきは当然である。

米トランプ政権による中東・アフリカ7カ国出身者や難民の入国を禁止する大統領令をめぐり、ワシントン州シアトルの連邦地裁は3日、執行の暫定的差し止めを命じた。」というニュースが耳に心地よい。

この訴訟は、ワシントン州のファーガソン司法長官が「米国憲法に違反する」として起こしていたもの。これまで、各地の連邦地裁で個別のケース(入国拒否)で差し止めの判断が下されていたが、州の提訴にたいして裁判所が判断を下すのは初めて」ということだ。

州の司法長官が、当該州に設置された連邦地裁に、大統領令の差し止めを求める申立というのは、わが国に馴染みがなく理解しにくいが、「差し止めの効果は全米の入管で即日効力を持つ」のだそうだ。

提訴したファーガソン司法長官は、『憲法が勝利した。大統領であっても憲法に違反することはできない』『この決定は、大統領令を直ちにシャットダウンするものだ』と述べて、連邦政府に早期の差し止め実行を求めている、という。

注目されるのが連邦政府側の対応。次のように報じられている。
「決定を受けて米政府は入国を再開させ、取り消したビザも復活させた」「同時に、仮処分の決定の効力がすでに生じていることから直ちに効力の停止を求める申し立てを行った」「カリフォルニアの連邦控訴裁判所は、この政府側の申立を斥けた」という。

このような連邦政府の訴訟は、連邦司法省が管轄する。先日まではサリー・イェーツがその長官代行の任にあった。1月31日トランプに解任されていなければ、彼女の行動が注目されたところだ。

しかし、イェーツなき司法省も、さすがに法が定める制度からの逸脱はなく、裁判所の判断を尊重しているように見える。

ところが、真正ならず者トランプは違う。一瞬怯んだものの、裁判官に悪罵を浴びせはじめた。裁判官や司法制度に批判の矛先を向けているのだ。
「トランプ氏は4日朝、3日の地裁の決定についてツイッターで『法律執行を実質的に我が国から奪う、いわゆる裁判官の決定はばかばかしく、覆される』と発信。決定を出した裁判官に対し、正当性に疑問を投げかけた」
「4日午後には『裁判官が国土安全のための入国禁止を止めることができ、悪意を持った人を含め、誰でも米国に入国できるようになるとは、どうなっているのか』と発信し、今度は司法が行政の決定を止めたことを問題とした」

独裁者とは、権力を集中し議会や裁判所からの批判を無視する者をいう。トランプの独善的言説は、まさしく彼が独裁者気取りであることを示している。謙虚さのかけらもない、ならず者が超大国の大統領職にある。これは恐るべき事態である。

オバマからトランプへ。明らかに、民主主義は退歩した。一歩や二歩ではなく大幅に、である。進歩史観は、常に戸惑い、修正を余儀なくされる。歴史が一途に望ましい方向に進展するなどはあり得ないのだ。

他人事ではない。アベ政権の、辺野古新基地建設強行、共謀罪創設のたくらみ、そして憲法改悪への執念などは、明らかな歴史の逆流現象を示している。「独裁・専制の政治から、民主主義の方向へ。人類の政治史は、時に反動のつまずきはあっても、着実に進歩の方向に推移してきた」は、これまでのことではあっても、今後を保障するものではない。常に、楽観論を排した民主主義運動が必要なのだ。
(2017年2月5日)

「自衛の名による戦争」も、「自衛のための兵器開発研究」も許さない

「2・4 軍学共同反対・大学の危機突破 学術会議まえ大要請行動」にお集まりの皆さま、そして、本日の学術会議主催フォーラム「安全保障と学術の関係」にご参加の研究者の皆さま、少しの時間耳をお貸しください。

本日の要請行動の主催団体の一つである日本民主法律家協会理事の澤藤です。私は、日民協から推薦されて、長く公益財団第五福竜丸平和協会監事の任にあります。

ご存じのとおり、1976年に都立第五福竜丸展示館開館以来、平和協会はこの船の展示を中心に、核兵器のない世界の実現を目指す平和運動を続けてまいりました。1954年のビキニ環礁におけるアメリカの核実験に対する抗議や、被爆船第五福竜丸の保存運動には、多くの科学者・研究者が関わってきました。科学が戦争に利用され、科学が人類を不幸のどん底に突き落としたことへの反省の気持からの運動参加であったと思います。

人間に幸福をもたらすはずの科学が、いびつな発達を遂げて、数多くの残虐な兵器をつくり出し、さらには悪魔の兵器である原爆の完成にまで至りました。45年8月6日の広島で明らかにされたとおり、人類は遂に人類を消滅させるに足りる力を手にしたのです。間違った科学は人類を破滅させるのです。

さらに、1954年3月1日、ビキニ環礁におけるキャッスル計画での最初の一発、「ブラボー」と名付けられた水爆は、広島型原爆の1000倍の威力を持つもので、核兵器が絶対悪であることを人類に知らしめました。この悪魔の兵器をつくり出したのが、科学であり、科学者でありました。第五福竜丸保存運動に関わった科学者や市民は、科学の進歩を戦争に利用させてはならないという強い思いがあったはずです。

日本は、平和憲法を持つ国です。悪夢の戦争体験から、再び戦争を繰り返してはならないことを憲法に書き込んで誓約した国です。侵略戦争だけでなく自衛の名による戦争も放棄しました。自衛の名による戦力の不保持も宣言した国なのです。これまで、一切の戦争のための学術、戦争のための科学研究を拒否してきました。それが今、アベ内閣の思惑によって、大きく方向を転換しようとしています。

その理屈の一つが、「個別的自衛権は認められているのだから、自衛のための兵器開発やその研究は問題ないのではないか」というものです。

しかし、私たちは知っています。いまだかつて、侵略の名で始められた戦争などありません。どこの国にも、「防衛」省があり「防衛」産業があり、「防衛」問題があります。どの戦争も、自国に関しては「防衛」であり、「自衛」なのです。けっして、「侵略」省も「攻撃」省も、「攻撃」産業や「侵略」問題はないのです。国防軍も自衛隊も、あたかももっぱら個別的自衛権行使だけを行う如しではありませんか。現実が違うことは皆さまご承知のとおりです。

どんな道理のない戦争も、自衛の名で行われます。場合によっては、自衛のための先制攻撃まであり得るとされるのです。どんな兵器も、自衛のためのものとされます。絶対悪としての核兵器ですら、抑止力という名で自衛に役立つとされているのです。

悪魔は、こう囁きます。「平和は、戦争の危険の均衡によって保たれる」「お互いに、より危険な武器を、より多く携えることこそが、より確実な平和をもたらすのだ」。

学術会議が自衛のための防衛技術開発を是認することは、この悪魔の声に耳を傾けることにほかなりません。「自衛のための戦争なら是認できる」、としてはなりません。「自衛戦争に有効な科学の開発は是認できる」となり、あらゆる戦争が各当事者の自衛の名による戦争である以上、「全ての戦争への科学の動員を是認してしまう」ことにならざるを得ないのです。

ここにいたって急浮上してきた軍学共同は、アベ政権が平和憲法をないがしろにしている事態の一面が表れたものとして看過し得ません。平和を愛する国民の声をつよくし、核兵器廃絶を願う国民の共同の輪を広くして、軍学共同にストップをかけようではありませんか。

(2017年2月4日)

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