読売と言えば、正力松太郎以来戦後の保守陣営を支えてきた政権御用達メディアと言って差し支えなかろう。政治的な対決テーマでは、常に政権の側に立って保守与党の側を支持し、野党を批判し続けてきた。いち早く、「読売新聞社・憲法改正試案」を発表して改憲世論をリードしてきた改憲勢力の一角でもある。
その読売の12月2日朝刊社説が話題を呼んでいる。「カジノ法案審議 人の不幸を踏み台にするのか」というタイトル。話題を呼んでいる理由は、政権与党の応援団であるはずの読売が、議員立法とはいえ、明らかに政権と与党が推進する法案に、鋭く反対論を展開したからだ。おざなりの反対論ではない。ボルテージの高い反対論として立派な内容となっている。しかも、本文中では、法案の名称を「IR法案」とも「カジノ法案」ともいわず、「カジノ解禁法案」と明示していることにも注目せざるを得ない。
カジノの合法化は、多くの重大な副作用が指摘されている。十分な審議もせずに採決するのは、国会の責任放棄だ。
自民党や日本維新の会が今国会で法案を成立させるため、2日の委員会採決を求めていることには驚かされる。審議入りからわずか2日であり、公明、民進両党は慎重な審議を主張している。
この社説の掲載は、12月2日朝のこと。総務委員会の「審議入り即審議打切り採決強行」がささやかれる中で、「もし、そんなことをしたら、国会の責任放棄だ」と警告を発したのだ。自・維は、この読売の警告を無視して、その日の内に「国会の責任放棄」をやってのけたのだ。
読売は、審議入りしたばかりでの、問題点に目をつぶった採決強行だけを問題にしたのではない。読売社説は次のように法案の問題点を指摘している。
自民党は、観光や地域経済の振興といったカジノ解禁の効用を強調している。しかし、海外でも、カジノが一時的なブームに終わったり、周辺の商業が衰退したりするなど、地域振興策としては失敗した例が少なくない。
そもそもカジノは、賭博客の負け分が収益の柱となる。ギャンブルにはまった人や外国人観光客らの“散財”に期待し、他人の不幸や不運を踏み台にするような成長戦略は極めて不健全である。
さらに問題なのは、自民党などがカジノの様々な「負の側面」に目をつぶり、その具体的な対策を政府に丸投げしていることだ。
公明党は国会審議で、様々な問題点を列挙した。ギャンブル依存症の増加や、マネーロンダリング(資金洗浄)の恐れ、暴力団の関与、地域の風俗環境・治安の悪化、青少年への悪影響などだ。いずれも深刻な課題であり、多角的な検討が求められよう。
だが、法案は、日本人の入場制限などについて「必要な措置を講ずる」と記述しているだけだ。提案者の自民党議員も、依存症問題について「総合的に対策を講じるべきだ」と答弁するにとどめた。あまりに安易な対応である。
カジノは、競馬など公営ギャンブルより賭け金が高額になりがちとされる。客が借金を負って犯罪に走り、家族が崩壊するといった悲惨な例も生もう。こうした社会的コストは軽視できない。
与野党がカジノの弊害について正面から議論すれば、法案を慎重に審議せざるを得ないだろう。
さらに、本日(12月5日)の読売は、「カジノ解禁に『反対』57%…読売新聞世論調査」(2?4日の全国世論調査)という記事を掲載している。この記事は「自民党は、カジノなどの統合型リゾート(IR)を推進するための法案(カジノ解禁法案)について、6日に衆院を通過させる考えだが、国民の間では依然として慎重論が多い」とまとめられている。読売はカジノ解禁法案反対の姿勢を崩していないのだ。
読売のこの姿勢は、「カジノ解禁強行は、政権に対するレッドカードとなりうる」という保守の側かららの深刻な警告と見るべきではないか。読売にしてなお、政権のこの傲慢なやり口を看過し得ないのだ。このままでは、「驕れるアベも久しからず。ただ春の夜の夢のごとし」に終わるという危機感の反映がこの社説というべきだ。野党にも、市民運動の言い分にも、そして保守メディアの警告にも耳を貸さないこの政権。読売は、このままでは危ういと見ているのだ。
カジノ解禁に関して、各紙の社説の中で舌鋒の鋭さで目を惹くのが本日(12月5日)の琉球新報である。<社説>「カジノ解禁法案 国民不在の成立認めない」という標題。
唐突かつどさくさ紛れに、国民生活に悪影響を与えかねない重要法案を数の力で成立させるのか。
刑法が禁じる賭博にほかならないカジノを地域振興などに活用することを狙う、統合型リゾート施設(IR)整備促進法案(カジノ解禁法案)がわずか2日間の審議で衆院内閣委員会を通過した。
自民党と日本維新の会などの賛成多数で可決された。参考人質疑や公聴会は一切ない。国民不在そのものである。
年金制度改革法案や環太平洋連携協定(TPP)関連法案の成立をにらみ国会会期を延長したはずなのに、安倍政権と自民党が先に強行突破を図ったのはカジノ法案だった。詐欺的行為にさえ映る。
数の力に頼った強引な国会運営は1強のおごりである。自民党は国会を「言論の府」と標榜することをやめた方がいい。慎重姿勢を貫いていた公明党は自主投票にした。腰砕けではないか。法案成立は断じて認められない。(以下略)
この社説の指摘を深刻に受けとめざるを得ない。まさしく、議会制民主主義の形骸化の事態が進行しているのだ。私たちの国の民主主義はどこに行ったのか。いったいどこの国と価値観を同じくしようというのだ。
(2016年12月5日)
東京新聞に、「ドナルド・キーンの東京下町日記」という毎月1回掲載の連載コラムがある。これが毎回なかなかに読ませる。本日(12月4日)は「玉砕の悲劇 風化恐れる」という標題。彼が戦争中通訳として付き合いのあった軍医の思い出を通じて、「戦争がもたらす狂気」の一端を記している。必要なところだけを抜粋して紹介したい。
「太平洋戦争時、米海軍の通訳士官だった私(キーン)がハワイの日本人収容所で知り合った、元日本兵の恩地豊さんが亡くなった。享年百三歳。戦後、敵味方のわだかまりを越えて付き合った元捕虜は何人かいた。一人減り、二人減り、恩地さんが最後の一人。」「戦争末期、恩地さんが陸軍の軍医として派遣されたパラオ諸島ペリリュー島は、最悪の激戦他の一つだった。兵力、装備で米軍は圧倒的。日本軍は押されながらも徹底抗戦して、最後は玉砕した。一万人以上が戦死。恩地さんは奇跡的に生き残り、捕虜になった。」
「収容所は不思議な場所だ。命を懸けて戦った敵国から、戦地よりも快適な生活環境が与えられる。『生きて虜囚の辱めを受けず』と洗脳されていた捕虜のほとんどは『死にたい』『日本には戻れない』と頭を抱えた。だが、恩地さんは堂々としていた。戦前から、海外の医学論文を読んでいたインテリだから、海外事情に通じ、捕虜の扱いを定めたジュネープ条約も知っていたのだろう。尋問にも冷静に応じた。」
「(恩地さんは、戦後)『何であんな戦争をしたのか。国力、科学力の差からして勝てるはずがなかった』『少しでも海外事情を知っている人は、戦争を始めた東条英樹を嫌っていた』とつぶやくことが多かった。同島の激戦は狂気の沙汰だった。日本軍には、本土への攻撃拠点にさせまいとの防戦だったが、より本土に近いフィリピンの島が米軍に占領された段階で戦略的に抵抗は無意味になった。それでも日本兵は『バンザイ』と突撃して、散った。」「その矛盾を恩地さんは頭で理解しながらも、自らの戦いは肯定した。『三日で決着する、と言っていた米軍相手に、三カ月粘った』『捕虜になるまでの二カ月は飲まず食わずで頑張った』」
キーンの筆は冷静に最後を次のように締めくくっている。
「目の前で多くの僚友を失った彼の複雑な心境は分からないではない。だが、そう思ってしまうのも狂気の一部なのだろう。私たちは先の戦争から多くを学んだ。恩地さんのような体験者の死で、それが少しでも風化することを私は恐れる。」
「狂気」は、戦略的に無意味で勝ち目のない戦闘での突撃だけをいうのではない。「粘った」「頑張った」「よく闘った」と自らの戦いを肯定するその姿勢をも「狂気の一部」というキーンの見解が重い。東条を嫌い、国際事情にも通じているインテリにおいて、この「狂気」から逃れられないというのだ。
このキーンのいう「狂気」こそが、実は靖國を支える心情なのだ。戦没者の遺族だけでなく、その戦いでの生存者も、戦死者を貶めたくはない。その死を無意味な犬死とはしたくない。できれば、大義のある死であって欲しいとの思いが、戦闘をあるいは戦争をも意味づけせずにはおかれぬことになる。戦死者を英霊と称えるには、戦争を美化するしかない。歴史を歪曲する心情がここから生まれる。
私は、日本兵の捕虜といえば、盛岡の柳館与吉さんを思い浮かべる。
私の父と同世代で、私が盛岡で法律事務所を開設したとき、「あんたが盛祐さんの長男か」と手を握ってくれた。戦後最初の統一地方選挙で、柳館さんも私の父(澤藤盛祐)も、盛岡市議に立候補した間柄。二人とも落選はしたが善戦だったと聞かされてはいる。柳館さんは共産党公認で、私の父は社会党だった。
その後、柳館さんと親しくなって、戦時中のことを聞いて仰天した。
彼は、旧制盛岡中学在学の時代にマルクス主義に触れて、盛岡市職員の時代に治安維持法で検束を受けた経験がある。要注意人物とマークされ、招集されてフィリピンの激戦地ネグロス島に送られた。絶望的な戦況と過酷な隊内規律との中で、犬死にをしてはならないとの思いから、兵営を脱走して敵陣に投降している。
戦友を語らって、味方に見つからないように、ジャングルと崖地とを乗り越える決死行だったという。友人とは離れて彼一人が投降に成功した。将校でも士官でもない彼には、戦陣訓や日本人としての倫理の束縛はなかったようだ。デモクラシーの国である米国が投降した捕虜を虐待するはずはないと信じていたという。なによりも、日本の敗戦のあと、新しい時代が来ることを見通していた。だから、こんな戦争で死んでたまるか、という強い思いが脱走と投降を決断させた。
柳館青年は、国家のために命を捨てるか国家に叛いて自らの生を全うするか、国家と個人と極限的な状況で二者択一を迫られた、という葛藤とは無縁だったようだ。
戦争とは、ルールのない暴力と暴力の衝突のようではあるが、やはり文化的な規範から完全に自由ではあり得ない。ヨーロッパの精神文化においては、捕虜になることは恥ではなく、自尊心を保ちながら投降することが可能であった。19世紀には、俘虜の取扱いに関する国際法上のルールも確立していた。しかし、日本軍はきわめて特殊な「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓のローカルなルールに縛られていた。
しかも、軍の規律は法的な制裁を伴っていた。1952年5月3日、新憲法施行の日に正式に廃止となった陸軍刑法(海軍刑法も同様)は、戦時中猛威を振るった。その第7章「逃亡罪」は以下のとおりである。
第七章 逃亡ノ罪
第七十五条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第七十六条 党与シテ前条ノ罪ヲ犯シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ首魁ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ死刑、無期若ハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ首魁ハ無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ一年以上十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ首魁ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他ノ者ハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第七十七条 敵ニ奔リタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処ス
第七十八条 第七十五条第一号、第七十六条第一号及前条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
(以上はhttp://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm41-46.htm「中野文庫」で読むことができる)
敵前逃亡は「死刑、無期もしくは5年以上の懲役または禁錮」である。党与して(徒党を組んで)の敵前逃亡の首謀者は「死刑または無期の懲役もしくは禁錮」とされ、有期の選択刑はない。最低でも、無期禁錮である。さらに、「敵に奔(はし)りたる者」は、「死刑または無期懲役・禁錮」に処せられた。単なる逃亡ではなく、敵に投降のための戦線離脱は、個人の行為であっても、死刑か無期とされていたのだ。未遂でも処罰される。もちろん、投降現場の発覚は即時射殺であったろう。
世の中が「鬼畜米英」と言い、「出て来い。ニミッツ、マッカサー」と叫んでいた時代のことである。刷り込まれた戦陣訓や軍の規律への盲従が、死の恐怖にも優越する選択をさせていた「玉砕」の時代のこと。インテリの軍医ですら、最後まで闘ったその時代。当時20代の若者が、迷いなく国家よりも個人が大切と確信し、適切に状況を判断して生き延びたのだ。見つかれば、確実に死刑となることを覚悟しての、文字通り決死行だった。
「予想のとおり、米軍の捕虜の取扱いは十分に人道的なものでしたよ」「おかげで生きて帰ることができました」と言った柳館さんの温和な微笑が忘れられない。ドナルド・キーンのいう、「戦場の狂気」から逃れることは難しいことだ。しかし、一億一心が狂気となった時代に、柳館さんはこの狂気に染まることはなかった。
私は、「貴重な体験を是非文章にして遺してください」とお願いした。その柳館さんも今は亡い。さて、「ネグロス島・兵営脱走記」は書かれているのだろうか。
(2016年12月4日)
自民の親分。目出度いことでおますな。いよいよ、ワイら極道の時代の幕開けやおまへんか。
おう。維新の代貸しか。まだ、はしゃぐのは早い。世間の目は冷たいぞ。もう少し、目立たぬようにしておかんと、世論という化け物に足をすくわれかねん。用心に越したことはない。
せやけど、嬉しゅうてなりませんのや。このところ、やることなすことうまく行かんで、頭を抱えていたとこでんねん。そこに久々の朗報や。賭場開帳のお墨付きに、地元の極道や博徒の連中は大喜びでっせ。
そんなにはやまってはいかん。はやまってはいかんが、ここまで来たからにはもう一押しで大丈夫だろう。あんたのところには、ずいぶん貸しを作ったことを憶えておいてもらおう。
そら、よう分かってまんがな。せやけど、貸し借りはお互いさまでっせ。ウチの組の力あっての法案通過やおまへんか。親分のところも、これで大儲け間違いなしや。
こんな修羅場には、公明の組がどうもたよりにならん。法案賛成なのか反対なのかふらふらしおって、最後は自主投票だと。結局は敵前逃亡じゃないか。
そやさかい、これからは、ウチの組ともっと仲ようしてもらいまひょ。選挙のときには、持ちつ持たれつということであんじょうたのんまっせ。
とはいうものの、あっちの組を袖にするのも痛し痒しだ。仁義と任侠のこの業界、世話になった分だけ、きっちりと借りは返すということは心がけんとな。
親分、意外にソロバンお上手やな。今回はウチと組んだが、明日以後は公明の組との天秤というわけやな。そない、ホンネを言うてもろうた方が話が早い。
腹を割って話せば、そのとおり天秤さ。政権与党の旨味を分けてやれるのがウチの組の強みだ。すり寄って尻尾を振ってくれる方が可愛いのは当たり前だろう。
親分とこの悲願は憲法改正や。公明は、支持者との関係で、なかなか改憲には踏んぎれへん。そこいくと、ウチの組は憲法改正にたいしたアレルギーはおまへん。儲かりさえすれば取引可能や。防衛予算拡大も、教育基本法再改正も、TPPも、福祉の削減も取引材料や。沖縄基地建設強行も結構でっせ。一緒になって、「土人」の反対を潰しまひょ。
そいつぁ心強い。その言葉は、公明の組で番を張っている幹部連中によく聞かせてやろう。そうすりゃあ、あっちも背に腹は代えられないところだろう。
せやけど、今回は親分よう決断しやはりましたなぁ。アッという間の、委員会採決。腹をくくらにゃ、なかなかできることではおまへんで。
そうよ。反対運動が盛りあがらないうちの手際のよい採決。もうすぐ12月8日だが、あの奇襲作戦を真似たのさ。卑怯と言われようとも勝てば官軍。法案通しての政権与党だ。
審議たったの6時間での委員会採決やから、ホンマにあっという間でんな。見事なもんや。たいした強行採決や。
おや、口は謹んでもらいたい。うちの組は、これまで強行採決など一度もしたことはなく、考えたこともない。
よう言わはるね。その辺のシンゾウがたいしたもんや。
世の中、甘くはない。刑法は賭博を禁じているし、最高裁判例も賭博がなぜ犯罪かの理由を詳しく述べている。そんな時代を終わらせて、俺たち極道が堂々と賭場を開帳できる時代がようやく来ようとしている。
ありがたいのは、マスコミの反対理由や。「景気や雇用回復に役立つのか」「反社会的勢力に利用されないか」「治安が悪化しないか」というレベルの疑問の提示で、賭博そのもの絶対悪だと切り込んでいないことや。
そうよ。そんな程度の懸念ならいくらでもごまかしが可能だ。世間の関心は何よりも景気回復だ。儲かりさえすればなんだってよいというのが、資本主義じゃないか。どうしてこんな当たり前のことが、頭の固い連中には分からないのかね。
アメリカでも、ヨーロッパでも、きれいごとを言ってる連中は、このごろ顔色おまへんな。橋下徹の登場にしても、アベ政権にしても、日本はドゥテルテやトランプの先を行っていたわけや。
「賭博は何も生まない。お互いが、他人の損を自分の利得にしようと争うだけのもの」というのは、見方が浅いな。何よりも、莫大がカネが動くという経済効果が大きい。賭場は儲かる。利権のあるところ、政治家のフトコロにも大金がはいる。結構なことではないか。
賭博は人の本能に根ざしているんや。これを封じ込めてはあかん。無理はアカンのや。
「日本のギャンブル依存症患者は海外と比べても多い」とか、「厚生労働省研究班の調査では、依存症が疑われる成人は全体の5%弱の536万人と推計される」とか言われているが、これは自己責任。どんな政策にも、光だけでなく影もあるさ。
せやせや、そのとおり。うちの組は、何が何でも25年大阪万博誘致で大儲けをしたいんや。万博候補地の人工島にカジノは不可欠や。そのための、親分への貸しや。この思惑で、政治資金もたんまり期待できる。ウチの組と親分のとこが組めば、なんでもできる。数は力や。力はカネや。
維新の、おまえも相当のワルよのう。
いやいや、とうてい自民の親分ほどではおまへんで。
(2016年12月3日)
一昨日(11月30日)の、【ワシントン=時事】配信記事が目を引く。
「トランプ次期米大統領は29日、国旗を燃やす抗議行動に対し、市民権剥奪か禁錮を刑罰として科すべきだという考えを示した。米国では党派を問わず、憲法で保障された言論の自由を軽視していると批判が広がっている。」という内容。
このリード2文の前半。反知性・差別主義のトランプが、「国旗を燃やす抗議行動に対し、市民権剥奪か禁錮を刑罰として科すべきだという考えを示した」では、犬が人に噛みついた程度のニュースで、目を引くほどのものではない。しかし、後半の「米国では党派を問わず、憲法で保障された言論の自由を軽視していると批判が広がっている」というのは、人が犬に噛みついたほどのニュースバリューのある記事ではないか。
「トランプ氏は29日朝、ツイッターに『国旗を燃やす行為は、許されるべきではない』と投稿。『燃やした場合は結果が伴わなければならない。市民権剥奪か刑務所行きだ』と書き込んだ。トランプ氏の大統領選勝利に抗議して国旗が燃やされたというニュースに、触発されたとみられている。」
ここまでが、本文での「犬が人に噛みついた」ニュースバリューのない記事。
しかし、ここからが「人が犬に噛みついた」ニュースバリュー満点の記事となっている。
「米メディアによれば、連邦最高裁は過去の判決で市民権を奪う刑罰を禁じている上、国旗を燃やす行為を憲法上の権利と認めている。
アーネスト大統領報道官は、記者会見で『国民の多くが国旗を燃やすのは不快だと感じるが、私たちには権利を守る責任がある』とトランプ氏を批判。共和党のマコネル上院院内総務も『米国には不快な言論を尊重する長い伝統がある』と異論を唱えた。
米メディアの間では『トランプ氏が反対論をどのように弾圧するかを示す恐ろしい証拠』などと非難する声が強まっており、トランプ氏を支えてきたギングリッチ元下院議長は『誰からもチェックを受けず(ツイッターで)つぶやくべきではない』とたしなめた。」
トランプは、刺激的なポピュリズムの言動で大統領選に勝利した。ナショナリズムこそは、古典的にポピュリズムの典型テーマ。調子に乗って「国旗を燃やす奴は刑務所行きだ」と愛国者ぶりを発揮して見せたのだ。ところが、この発言は良識派から強くたしなめられての失点になったという構図だ。アメリカはポピュリズム一辺倒ではない。共和党内からの批判も出ているというのが心強い。
ところで、国旗(星条旗)の焼却は犯罪となるだろうか。トランプ政権は、国旗(星条旗)の焼却者を「刑務所行き」にできるだろうか。
アメリカ合衆国は、さまざまな人種・民族の集合体である。強固なナショナリズムの統合作用なくして国民の一体感形成は困難だという事情がある。当然に、国旗や国歌についての国民の思い入れが強い。が、それだけに、国家に対する抵抗思想の表現として、国旗(星条旗)を焼却する事件が絶えない。合衆国は1968年に国旗を「切断、毀棄、汚損、踏みにじる行為」を処罰対象とする国旗冒涜処罰法を制定した。だからといって、国旗焼却事件がなくなるはずはない。とりわけ、ベトナム戦争への反戦運動において国旗焼却が続発し、合衆国全土の2州を除く各州において国旗焼却を処罰する州法が制定された。その法の適用において、いくつかの連邦最高裁判決が国論を二分する論争を引きおこした。
著名な事件としてあげられるものは、ストリート事件(1969年)、ジョンソン事件(1989年)、そしてアイクマン事件(同年)である。いずれも被告人の名をとった刑事事件であって、どれもが無罪になっている。なお、いずれも国旗焼却が起訴事実であるが、ストリート事件はニューヨーク州法違反、ジョンソン事件はテキサス州法違反、そしてアイクマン事件だけが連邦法(「国旗保護法」)違反である。
連邦法は、68年「国旗冒涜処罰」法では足りないとして、89年「国旗保護」法では、アメリカ国旗を「毀損し、汚損し、冒涜し、焼却し、床や地面におき、踏みつける」行為までを構成要件に取り入れた。しかし、アイクマンはこの立法を知りつつ、敢えて、国会議事堂前の階段で星条旗に火を付けた。そして、無罪の判決を獲得した。
アイクマン事件判決の一節である。
「国旗冒涜が多くの者をひどく不愉快にさせるものであることを、われわれは知っている。しかし、政府は、社会が不愉快だとかまたは賛同できないとか思うだけで、ある考えの表現を禁止することはできない」「国旗冒涜を処罰することは、国旗を尊重させている自由、そして尊重に値するようにさせているまさにその自由それ自体を弱めることになる」
なんと含蓄に富む言葉だろうか。(以上の出典は、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟における土屋英雄筑波大学大学院教授の意見書から)
わが国の刑法には、外国国旗損壊罪(92条)はあっても、自国の国旗(日の丸)損壊罪はない。この点、アメリカよりはわが国の文明度が高いと誇ることができよう。しかし、これも現行憲法が健全なうちのこと。自民党の改憲草案には、国民の国旗国歌尊重義務が明記されている(3条2項)。こんな憲法になれば国旗(日の丸)損壊罪や国旗侮辱罪が成立するだろう。全国民が一糸乱れず国旗を仰ぎ見る、これは全体主義の悪夢ではないか。
トランプを当選させたアメリカだが、けっして全体主義化しているのではないと知って、やや安堵の思いである。
(2016年12月2日)
最近、毎日新聞の連載小説「我らがパラダイス」(林真理子)が朝の楽しみ。ストーリーは、いよいよ佳境。真っ先にここから読み始める。
何年か前の同じ著者の「下流の宴」も面白かった。こちらもテーマは社会の格差。経済格差が学歴格差と重なる実態を描きつつ、「下流」の心意気と「上流」の虚栄とを描いて痛快だった。
実直に働いている沖縄出身の高卒女性が、恋人の母親から結婚に反対される。そのときのセリフが、「ウチは医者の家系なのよ」というものだった。これに、この若い女性が猛反発する。「医者って、そんなにえらいんですか」「私医者になってみせる」。
ここからが、作家の力量だ。日本で一番はいりやすい医学部を特定して、その入試に合格するために、どのように勉強するか。ノウハウの提供者が現れて、彼女の勉強ぶりがリアルに描かれる。本人の努力や恋人の助力もあって目出度く合格する。しかし、その合格によって幸せがつかめるかどうか…、これはまた別のはなし。
ともかく、「医者って、そんなにえらいんですか」の名セリフは、いろいろに置き換えられる。
「大学出って、そんなにえらいんですか」「東大卒って、本当にえらいんですか」「金持ちって、そんなに立派なことですか」「社長ってなんぼのものですか」「上司って、そんなに威張れる身分ですか」「政治家って、どうしてそんなに大きな顔ができるんですか」「皇族って、なぜ税金で暮らせるんですか」…。
「医者」に置き換えられるものは無限にある。「日本人」「尊属」「男性」「公務員」「正社員」「健常者」「都会人」「アスリート」…。もろもろの差別構造の優越者に対する「下流」からの告発。私も気をつけよう。「弁護士さんって、どうして依頼者の気持ちが分からないのですか」と言われぬように。
「下流の宴」では、「下流」の側が「上流」に対して、一寸の虫にも五分の魂があることを見事に示して共感を呼んだ。が、下流の闘いは個人レベルのもので終わっている。それに比較して、「我らがパラダイス」は、高齢者介護における格差をテーマに、もっと社会性を意識した作品となっている。
それぞれに自分の親の介護問題に深刻に悩む3人の女性が、超高級老人ホームに勤務する。ここで至れり尽くせりの入居者を見ているうちに、自分の親にも同じようなケアを受けさせたいとの思いが募ってくる。そして、それぞれの親をこっそりとこの施設の空き部屋にいれての「親孝行」を実行する。このくわだては、単独にはできない。仲間の協力を得てのこと。
しかし、このくわだての束の間の成功と幸福は続かない。ことは露見して、「ここは貧乏人の来るところではない」と罵倒される。この3人は追い詰められて一矢報いようと決意する。「上流の走狗」二人を人質に、施設の一角にバリケードを築いての立て籠もりを始めようというのだ。
この3人の「決起」に、他の「下流」が連帯する。「上流」に属する入居者の中からも協力者が出てくる。バリケードの組み方を指導する学生運動の元闘士まで現れる。この連帯が、前作にはないところ。さて、これからどうなることか。
本日(12月1日)のストーリー展開は、籠城のための食糧確保だ。3人のうちのひとりが厨房に駆け込んでチーフに依頼する。ここで、次のように「下流同士の連帯」が描かれる。
「食べ物を分けてくれない。二、三日分」
「そっちは何人いるんだ」
「えーと、みんな合わせて十五人ぐらいかな」
「オッケー、パンと乾麺、冷凍のもん、いろいろ持ってきな。上の階には確か電子レンジとガスコンロあるはずだよ」
あまりにもあっさりと承諾してくれたので、さつきはとまどってしまったほどだ。
「オレが上に運んでやってもいいよ。なんだか面白そうだし」
「いや、いや、チーフに迷惑はかけられない。それにエレベーターも階段も封鎖してる。今裏口のエレベーターだけが使えるけど、そこもすぐに封鎖するって」
「なんだか本格的だねえ」
チーフはうきうきとした口調になった。
「よし、オレが段ボールに入れてここに置いとく。すぐに取りに来な」
さあ、明日からの展開が目を離せない。格差社会の中の「我らがパラダイス」は、束の間のバリケード内にとどまるのだろうか。それとも、バリケードの外まで拡がりをもつことになるのだろうか。
この小説は、確実にこの社会の断面を鋭く抉っている。格差社会の下流には、不満のマグマが渦を巻いている。このマグマは、いつかは噴出することになる。地震と同じでいつとは言いがたく、その規模も予想しがたい。しかし、年金をカットし、介護保険料を上げ、金持減税・庶民増税を繰り返していては、確実にその噴出の時期は早まるばかり。そしてその噴出のマグニチュードは大きくなる。心してあれ、「上流」の諸君。そして自・公・維の走狗たちよ。
(2016年12月1日)
11月26日土曜日の夕刻、石田勇治講演を聴講した。「ナチ時代から現代のドイツへー過去と向き合うことの難しさ」という壮大なタイトル。この集会の主催は、「良心・表現の自由を! 声をあげる市民の会」。君が代処分と闘っている渡辺厚子さんを支援の市民グループ。日の丸・君が代の強制に、時代の不気味な雰囲気を感じている感性鋭い市民が、ドイツの歴史を学び、ドイツの歴史に照らして今の日本を考えたいとこの企画を建てたのだ。だから、今の状況を反映して聴衆の熱気が高かった。聴衆の熱気が講演者にも伝わって、実に熱のこもった講演となった。
予定を大きく超えて、2時間たっぷりの長丁場。小さな活字で、A4・12頁のレジメにしたがって、現代ドイツの「想起の文化」から説き起こし、次の二つの問が設定される。
1 なぜ民主的なヴァイマル憲法をもつ文明国ドイツで、独裁への道が拓かれたのか?
2 戦後のドイツはナチ時代の過去とどのように向き合ってきたか?
この二つとも、私たちが今切実に知りたいことではないか。まずは戦前のドイツについて。「最も民主的な憲法をもつ共和国」から、「最も野蛮な独裁国家」に、どのように変身したのだろうか。今の日本に似てはいないか。最も民主的な平和憲法をもつ国ではあるが、その憲法が政権からの攻撃に曝されている。戦前のドイツの轍を踏むことになるのではないかとの危惧を拭うことができない。
そして、戦後のドイツについても知りたい。真摯に国家の加害と差別の責任を認めて謝罪し賠償するドイツと、歴史を改竄してまで侵略戦争と植民地支配の責任を認めようとしない日本と。この、月とスッポンの落差はどこから来たものなのであろうか。今の日本にとって、戦前のドイツは反面教師であり、現在のドイツは文字通りの学ぶべき教師なのだから。
この問に答えるべく、講演は「第一部(戦前編) 議会制民主主義の崩壊とヒトラー独裁の成立」、「第二部(戦後編) 戦後のドイツー『負の過去』との取り組み」という二部構成になって、ヒンデンブルクの時代からヒトラーの台頭と崩壊、そして戦後アデナウアー時代の「駄目なドイツ」が、真摯に加害の責任を認める国となるまでの通史にわたった。このように連続した形でドイツ史を学ぶ機会を得たことは、好運だったと思う。
幾つか印象に残ったことを書き留めておきたい。
ヴァイマル時代の議会は、完全比例代表制だったという。ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、けっして議席の多数を握って政権についたわけではない。
その得票率は以下のとおりに推移した。
1928年5月【2.6%】→30年9月【18.3%】→32年7月【37.3%】→32年11月【33.1%】
1933年1月30日、ヒトラーが首相に就任した当時、その議席占有率は3分の1にしか過ぎなかった。しかも、党勢伸長の真っ最中というわけでもなく、直前の32年11月選挙はナチ党の低落と共産党続伸を特徴とした。ここで、共産党の台頭に危機感を覚えた財界はヒトラーを首相とするよう大統領(ヒンデンブルク)に働きかけ、結局はこれが実現することとなった。
ヒンデンブルク(伝統的保守派)とヒトラー(新右翼)を結びつけた共通の目標(連立の動機)とは、
a)議会制民主主義を終わらせ、
b)共産党を粉砕し、
c)再軍備を実行する、
ことを通じて「強いドイツを取り戻す」ことだった。
当時ヒトラーは3つの道具をもっていた
a)大統領緊急令
b)突撃隊・親衛隊
c)大衆宣伝組織
憲法48条2項に基づく「大統領緊急令」は主として共産党対策のために濫発された。自由な選挙が封じ込められる局面において、国会議事堂炎上事件が起き、通称「議事堂炎上令」が公布されて、ドイツ全土で国民の基本権が停止、共産党国会議員や左翼運動・労働運動の指導者が拘束された。
そのような事態で、授権法が成立。授権法体制下で続々と新法(「ナチ法」)が制定され、ナチズムのイデオロギーが易々と政策化された。
この経過でとりわけ印象的なことは、当初は「到底何もなしえないだろうと思われていたヒトラー」のまさかの台頭、ということ。これを可能とした要素として、「決められない政治に業を煮やした民衆が、果敢に決めるヒトラーの政治」を支持した面があるという。乱立する少数野党が意見の対立を克服できず、当面の対立する利害にとらわれている状況で、3分の1の勢力しか持たないナチ党の独裁を許したのだ。
また濫発された大統領緊急令が、次第に肥大化して授権法にまで至って、遂に議会政治を葬り、国民の人権を抑圧して独裁を完成させたということ。今の日本の状況に照らして、実に示唆的ではないか。
戦後編の冒頭は、「ドイツも最初は駄目だった」という話から始まった。
ナチ時代の責任のとりかたに関しては、次の5側面(5つの柱)があるという。
a被害補償
b司法訴追
c再発防止(ネオナチ対策)
d啓蒙・教育(歴史教育・歴史学)
e想起の文化
戦後の各時期によって、それぞれに異なる力点か見られるというが、「何より駄目なドイツ」が曲折を経ながら、そして常にせめぎあいを繰りかえしながら、近隣諸国からも信頼されるドイツになっていったという。
この間、「終止符論争」が何度も繰り返された。「いつまで謝罪を続けなければならないのか」「もう、これで謝罪は十分だろう」との意見は常にあった。今日の状況はそれを乗り越えてきた結果である。
ドイツの指導者の被害者に対する謝罪は、極めて具体的で個別的である。そして、現場まで出向いて膝をついてまでしての真摯な謝罪をしている。日本の指導者の、東京での抽象的で包括的な言葉の羅列は、被害者や遺族の胸に届くはずもない。
ドイツでは、「罪」と「責任」の区分が受け容れられている。「罪」は当時のドイツ人が負うべきものであるが、被害者がいる限りその被害を回復すべき「責任」は後の世代にも受け継がれるものと言う考え方。ドイツ人がけっして、この責任からは逃れられないという道義上的な責任。
この罪や責任にどう向かい合うべきかについて、政治指導者も世論も「促す力」と「押しとどめる力」の絶えざるせめぎ合いのなかにある。もちろん今も。
歴史修正主義者が政権を握っている日本に比較して、ドイツの道義性は格段に高い。同じ侵略戦争の加害国にして敗戦国、特定民族に差別的政策を弄した点においても同じ。現在までの、その反省のあり方に、かくも隔たりが生じたのは、いったい何ゆえなのであろうか。
EUの中で指導的立場を勝ち得ているドイツは、経済的優位性だけでなく、今や道義的尊敬をも勝ち得ている。一方、アジアにおける日本の地位は極めて危うい。加害責任への謝罪を抜きにした経済的援助だけでは、冷え切ることのない被害感情の熱いマグマがことあるごとに吹き出てくることを防止し得ない。ドイツに倣って、このことを心しなければならない。
(2016年11月30日)
知り合いから、前田朗さん(東京造形大学)の「救援」(11月号と12月号にまたがるもの)への寄稿を教えていただいた。内容は、去る10月24日、韓国国会議事堂内の会議室で行われたという「靖国神社問題シンポジウム」の件。反靖国の運動がこのような形で展開されていることはまったく知らなかった。前田さんの長い論稿の中から、要点のみをご紹介したい。
シンポジウムのタイトルは、「靖国問題を国連人権機関に提訴するための国際会議―国際人権の視点からヤスクニを見る」だったという。主催はヤスクニ反対共同行動韓国委員会、民族問題研究所、太平洋戦争被害者補償推進協議会である。
開会の辞は姜昌一(韓国国会議員)、木村庸五(安倍首相靖国参拝違憲訴訟弁護団団長)、李海学(ヤスクニ反対共同行動韓国委員会共同代表)。
報告は次の七つであった。
徐勝(立命館大学)「国際人権の視点から靖国を見る」
前田朗「罅割(ひびわ)れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義」
南相九(東北亜歴史財団)「靖国神社問題の国際化のための提言」
浅野史生(靖国訴訟弁護団)「国際人権の視点からみたヤスクニ訴訟」
辻子実(平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動・共同代表)「ヤスクニ反対運動の現況と課題」
矢野秀喜(植民地歴史博物館と日本をつなぐ会事務局長)「日本国憲法『改正』とヤスクニ」
金英丸(ヤスクニ反対運動韓国委員会事務局長)「韓国のヤスクニ反対運動、その成果と課題」
各報告の紹介がそれぞれに興味深いものなのだが、割愛する。が、一つだけ。
南相九報告は、まず「靖国神社問題とは」として、「日本の侵略から国家の独立を守るために戦った韓国の義兵戦争を『暴動』と蔑み、義兵を弾圧・虐殺した加害者を顕彰する施設」であり、「日本の侵略戦争に強制的に動員されて死亡した韓国人を『日本のための死』と歪曲する施設」であり、「侵略戦争と植民地支配を正当化し、国家に対する無条件の忠誠を教育する施設」であると位置づける。
これは苛烈な見解だ。そのとおりで反論はできないが、日本人の立場からはなかなかこうまでは言い切れない。戦没者遺族への配慮が、このようにきっぱりとものを言うことを躊躇させる。侵略戦争と植民地支配の被害者の立場でこその峻厳な正論というべきであろう。
さて、紹介しなければならないのは、メインテーマである「靖国問題を国連人権機関に」である。諸報告と討論を経て、前田は次のようにまとめている。
第一に「普遍的定期審査」である。国連人権理事会においてすべての国連加盟国の人権状況を審査する普遍的定期審査であるが、日本についてはこれまで二回実施された。二〇一七年一〇月?一一月に日本政府についての第三回審査が行われる。
第二に「宗教の自由特別報告者」である。国連人権理事会のテーマ別特別報告者の中に、宗教の自由を取り扱うハイナー・ビーレフェルト特別報告者がいるので、特別報告者への情報提供である。人権理事会の通常の討論の際にNGOとして発言することも可能である。
第三に「補償・真実・再発防止特別報告者」である。パブロ・デ・グリーフ特別報告者に、日本は植民地支配終了後も補償するどころか、被害者に対する人権侵害を継続し、植民地主義を正当化している事実を報告できる。
第四に「国際自由権規約に基づく自由権委員会への情報提供」である。二〇一七年七月、自由権規約委員会は日本政府報告書審査のためにリスト・オブ・イッシューを作成する。日本審査は二〇一八年七月以降になる見込みである。
第五に国連人権機関以外に世界各国のNGOや宗教者への情報提供である。靖国神社問題の基本を理解しやすい文書を作成して広め(それを国連に持ち込むこともできる)、各国の市民・NGO・宗教者と連帯してシンポジウムを開催することも検討するべきであろう。
こうした活動は、反ヤスクニ運動の国際的展開を図るとともに、世界の市民・NGO・宗教者の自由を求める闘いと連帯して行われる必要がある。
こうした発想には、意表を突かれた思いがする。私などは、靖國とは日本固有の問題であり、歴史認識との関わりで日本人自身が解決しなければならない問題との意識が強い。外圧をたのむ姿勢には批判的見解をもっていた。しかし、靖國を戦争や植民地支配の問題ととらえれば、明らかに国外に被害者がいることになる。その靖國神社とこれを支持する勢力が反省なく、今も平和や国際友好を障害して被害感情を傷つけ、近隣諸国民の平和に生きる権利を侵害しているとの観点からは、国際化の方向の追求、つまりは「世界に訴えよう」「国連のしかるべき機関に問題を持ち出そう」ということになるのだ。
ここまで進んだ反ヤスクニでの日韓連携。次は、中国・台湾・シンガポール・マレーシァということだろうか。
なお、ほぼ同旨の詳細を下記の前田朗ブログで読むことができる。
http://maeda-akira.blogspot.jp/2016/11/blog-post_2.html
(2016年11月29日)
本日は、久しぶりのDHCスラップ訴訟弁護団会議。幾つかの議題に議論の花が咲いた。せっかくの弁護団を解散するのはまことに惜しい。それだけの理由ではないが、今度は私が原告となってDHC・吉田嘉明氏(以下敬称略)を被告とする損害賠償請求訴訟を提起することになりそうだ。そのときには、吉田嘉明の被告本人尋問を是非とも実現させたい。スラップを繰り返させぬために。
当然のことながら、DHC・吉田が敗訴し、私の勝訴は確定した。この勝訴の意義を確認し整理して、世にきちんと伝えねばならない。テーマは、言論の自由、政治とカネ、規制緩和と消費者保護、そしてスラップ訴訟。そのために、具体的に何をなすべきか。
☆まずは、勝利を報告し記録する書籍を作ろう。
DHC・吉田のスラップと闘っての堂々の勝利の記録。幸い、弁護団へのカンパに多少の余りがある。これで、立派なものをつくりたい。
掲載すべきものとしては、経過報告と資料はどうしても必要だ。地裁・高裁の判決と、最高裁の不受理決定+αは掲載しよう。報告論集は資料集だけにせず、弁護団の論稿をいれよう。関心ある市民やジャーナリストを読者対象に、次の各テーマの論稿を掲載することとして担当者も決めた。(タイトルは仮題)
1 スラップ訴訟対策のノウハウ
2 名誉毀損訴訟実務の構造
3 政治とカネ 政治資金に対する監視と批判の重要性
4 規制緩和と消費者問題
5 名誉毀損訴訟判例の推移の中にDHCスラップ訴訟を位置づける。
これまで事件を支援していただいた右崎正博・田島泰彦・内藤光博の3教授、そして法廷後の報告集会で貴重なご報告をいただいた、北健一・三宅勝久・烏賀陽弘道のジャーナリストの皆さま、さらには貴重な情報をお寄せただいた「ネットワークユニオン東京」の皆さまにも、短くても寄稿をお願いしよう。これまで、法廷を学習の場にしようと言ってきた。その成果を確認したい。事件に関心を持って支援していただいた方の意見や感想を収録しよう。これはにぎやかで、もしかしたら売れる書物になるのではなかろうか。
☆勝利報告集会
この勝訴の意義と今後の課題を確認するために、下記の要領で、「DHCスラップ訴訟・勝訴報告集会」を開催する。ご支援いただいた皆さま、まずは是非日程の確保を。
日時 2017年1月28日(土)午後(1時30分?4時)
場所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
「スタジオプラス小ホール」にて
プログラムは未定だが、田島泰彦さん(上智大学・メデイア法)には記念講演をお引き受けいただいている。経過報告に終わらせず、表現の自由や、政治とカネ、消費者利益と規制緩和、スラップ対策などについて意見交換を行う有意義な集会にしたい。
☆反撃の第2幕「アンチDHCスラップ・訴訟」提訴の可否
さて、反撃の提訴に及ぶべきか否か。本日の意見交換では、DHCと吉田嘉明に対する損害賠償請求訴訟の提起を支持する意見が大勢を占めた。
「DHC・吉田のスラップを撃退したのだからこれで十分」なのではなく、「DHC・吉田のスラップの不当が明確になったのだから反撃しなくては論理が一貫しない」と言うべきということ。
とりわけ、現在「提訴を違法とする基準についての最高裁判決リーディングケース」は、名誉毀損訴訟についてのものではなく不動産取引事例におけるもので、この判決を引用しての請求棄却には大いに違和感を禁じ得ず納得しかねる。公的立場にある者(吉田嘉明も当然にその立場にある)に対する批判の言論を封殺する目的での名誉毀損スラップ訴訟を違法とする基準は、言論の自由尊重の観点から自ずと別異にあるべきで、チャレンジすべきとの意見が多かった。
この訴訟を通じての論戦の中で、スラップ訴訟がどのように提起されるのかを明確にすることで、今後のスラップ防止策の設定に有用ではないかとも意見が出た。
違法とされた3本の吉田嘉明批判のブログの最後が、2014年4月8日「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」というもの。これを違法とする2000万円の損害賠償請求訴訟の東京地方裁判所への提訴が同年4月16日である。到底、政治的言論の自由に配慮して提訴の可否を検討した形跡はない。しかも、DHC・吉田の提訴のしかたは、事前の交渉も通知もない、いきなり提訴の乱暴極まりないやり方。さらに、一審で敗訴しても、成算のない控訴審、そして最高裁への上告受理申立とフルコースを付き合わされたのだ。
今度は、攻守ところを変えての提訴となれば、これこそ言論の自由を守る正念場としてやりがいがある。最終結論は、時効期間満了の2017年5月16日までだが、本日の議論はゴーサインとなりそう。
議論は、訴額をどうするかにまで及んだ。大方の賛同を得たのが、660万円である。
6000万円請求のスラップに対抗する訴訟として、その10%の金額として主損害を600万円とし、その請求のための弁護士費用10%を付加しての660万円。
主損害600万円は、6000万円のスラップ訴訟を応訴するためには、本来その10%程度の弁護士費用が必要ということを根拠にしている。
つまり、スラップ応訴のために被告(澤藤)が本来支払うべき弁護士費用(着手金+成功報酬)が600万円、そして、アンチスラップ訴訟の弁護士費用がその10%の60万円と言うわけ。これなら妥当というべきではないか。
私は2年半も「被告業」を務め、ようやくこの10月に被告業の廃業宣言をしたばかり。いまは、「元被告」の身分だが、もうすぐ「原告業」に就業することになりそうだ。
反撃提訴をするとなれば、判例変更を目指す訴訟として最高裁を覚悟してのものとなる。第100弾程度で終わるだろうとの見通しだった、当ブログの「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズ。到底100弾では終わらない。200弾くらいにもなるだろう。第200弾でどのような報告ができることになるか、私自身が興味津々でもある。
私の原告業就業の折には、多くの皆さまにご支援をお願い申しあげます。
(2016年11月28日)
トランプ・橋下、そしてアベ。蔓延するポピュリズムの構造。
昨日(11月26日)の毎日「メディア時評」欄に元朝日新聞記者・稲垣えみ子が「負けたのは誰なのか」と題して寄稿している。明晰で示唆に富む優れた時評となっている。結論から言えば、負けたのは「真っ当なメディア」なのだという。メディアが有権者から浮き上がって、その真っ当な言説が、トランプ・橋下、そしてアベらを支持する「庶民」に届かないことを指摘している。
筆者は、トランプの勝利をかつての大阪での橋下徹登場の際のデジャビュとして、民主主義の現状に警鐘を鳴らしている。アメリカだけの問題ではない。日本も同じだ。しかも、大阪・橋下だけの問題ではなく、アベ政権を支えている「ポピュリズムの構造」そのものが問題だという指摘である。
「メディア時評」であるから、「庶民から浮き上がったマスコミが、(権力監視の)役割が果たせない事態」についての指摘となっているが、問題はメディア論にとどまらない。アメリカとそれに続くヨーロッパの事態を、橋下・アベに引きつけて、他人事でなく、「これは我々の問題」「民主主義の危機」ととらえている。
筆者は、橋下人気が絶頂だったころに朝日新聞大阪社会部で教育担当デスクをしていて、そのときの「ポピュリズムの構造」の「恐ろしさ」を実感したという。これは、貴重な指摘だと思う。このことについての対策や処方にまで言及されているわけではないが、すくなくとも、橋下やアベを支持する「庶民」を愚民呼ばわりするだけでは何の解決にも至らないことが示唆されている。多くの人びとを説得する言論はどうあるべきか。考えなければならない。
あまり目立つ記事ではないので、紹介することだけでも意味があると思う。
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トランプ大統領の誕生には驚いた。だが私は既に同じものを何年も前に見ている。
既得権者への攻撃で支持を集める、ツイッターで刺激的な発言を繰り返し有権者に直接アピールする、過激な政策をマスコミがいくら批判しても支持は陰らない??トランプ現象は、かつて大阪で巻き起こった橋下徹氏のブームとうり二つであった。
橋下人気が絶頂だった時、私は朝日新聞の大阪社会部で教育担当デスクをしていた。君が代強制、教育委員会制度の抜本改革……氏が次々と打ち出す施策は我々から見れば戦争への反省から生まれた教育の否定であった。問題点を指摘する記事を連日出した。だがこれが読者に全く響かない。それどころか「足を引っ張るな」という電話がガンガンかかってくる。
恐ろしかった。何が恐ろしかったって、それは橋下氏ではなく、読者の「感覚」からいつの間にかかけ離れてしまった我々のボンクラぶりであった。マスコミとは権力を監視し、庶民の味方をする存在のはずである。ところがいつの間にか我々は「既得権者」として橋下氏の攻撃を受け、その氏に多くの人々が喝采を送っていた。 一体我々とは何なのか? 何のために存在しているのか?
この事態は今も続いている。安倍政権の政策にマスコミが反対しても世間は動かない。閣僚が問題発言をしても支持率は陰らない。それどころか権力を監視するマスコミの方が権力だと見なされている。アメリカで起きていることも同じだ。マスコミがトランプ氏のうそや破廉恥行為を暴いても有権者に響かない。マスコミはエリートで「我々の味方ではない」と考える人々が多数派となったのだ。
権力は暴走し腐敗する。それを監視する存在なくして民主主義は成立しない。庶民から浮き上がったマスコミにその役割が果たせないなら民主主義の危機である。これは我々の問題なのだ。
そんな中、毎日新聞は10日朝刊の記事「拡散する大衆迎合」で、大衆迎合主義が欧州で広がっていると嘆いた。まるで人ごとだ。大衆迎合でない民主主義などない。自分たちは大衆とは一線を画した存在だとでも言いたいのならそれこそが深刻な危機である。
(2016年11月27日)
1 社員あっての会社である。命より大切な仕事はありえないものとこころえよ。
2 会社はすべての社員に安全配慮義務を負うことを知れ。なすべき安全配慮の具体的な内容については謙虚によく学び考えよ。
3 会社と社員とは対等平等であることを認識せよ。常に、社員の人格を尊ぶべきことを心がけよ。
4 社員は、平等に遇しなければならない。性別、国籍、信条、学歴、または縁故等を理由とする一切の差別的処遇をしてはならない。
5 労働条件の明示と遵守こそが、社員との信頼の基礎であることを再認識せよ。明示された労働条件を超える業務指揮をしてはならない。
6 コンプライアンスの欠如は、会社に致命的な打撃となるものと知れ。戦々恐々として薄氷を踏むが如くコンプライアンスを心がけることが幹部の使命である。
7 信頼される堅固な内部通報のパイプを確保せよ。社員からの法令違反やハラスメント報告に聞き耳を立て、迅速に対処せよ。
8 社長や役員との摩擦を恐れるな。社命に拳々服膺するよりは、部下の意を体して、正論を堂々と述べよ。でないと君が卑屈未練になるばかりでなく、社のためにならない。
9 労働組合には誠実に対応し、その運営に介入してはならない。労働組合の活動歴を社内の待遇に不利にも有利にも考慮してはならない。
10 この十則を守りなば会社は社員の士気とともに興隆し、無視せば社員の士気とともに衰亡に至るべし。この旨を銘記し手帳に刻して毎日三読せよ。
(2016年11月26日)