澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ゴリ押しはヤバイ。選挙のあとにしよう。ー「辺野古訴訟」和解受諾

あー、面白くない。どうしてこんなことになっちゃったんだ。総理大臣の私に、できないことが多すぎる。やっぱり、憲法がよくない。憲法を眠り込ませたヒトラーはエライ。ナチス政権が羨ましい。

ホントのことを言うと、国と沖縄県との間でどんな裁判をやっているのか、私には詳しいことはよく分からない。何度も説明は受けたけれど、複雑で覚えきれない。分かっているのは、「世界一危険な普天間飛行場」をなくすには、辺野古に新しい基地を作って、米軍に移ってもらうしか方法がない、ということ。辺野古新基地建設の埋立工事を続行するための代執行訴訟だくらいは私も分かっている。この訴訟は、こちらが原告となって仕掛けた訴訟だ。それを、判決はあきらめて、和解に応じなければならないなんて、屈辱じゃないか。

「和解を受諾せざるをえない」と言われたときには、私も驚いた。でも、指定代理人になっている専門家が、「判決をもらえば敗訴の公算が高い」と言うんだから、仕方がない。「補充性」というらしいが、他にとりうる手段がないときに限り、代執行訴訟が可能なんだそうだ。その補充性の立証が難しいということのようだ。この訴訟提起の前に、国交大臣の執行停止命令があって、知事の埋立承認取り消しへの対処はできている。現実に工事は続行できているのだから、補充性の要件に欠けるというややこしいことらしい。専門家なら、初めからそんなことくらい分かっていたはずだと思うんだがしょうがない。敗訴のみっともなさよりは、作り笑いで和解に応じた方が、浅い傷で済む。

でも、和解の内容を説明されると、なるほど一方的な譲歩という話しだけでもなさそうだ。負けそうな判決を避けて、あとで反撃に転じることも可能なのだから、これも悪知恵のうちかも知れない。

和解は次のような骨子だ。
▽国は代執行訴訟を取り下げる。沖縄県知事は、国地方係争処理委員会に申し出た審査請求が却下されたことを不服として起こした訴訟を取り下げる。
▽防衛省沖縄防衛局長は、沖縄県知事による埋め立て承認取り消しに関する国土交通相への審査請求と執行停止申し立てを取り下げ、埋め立て工事を直ちに中止する。
▽国は知事に対し、埋め立て承認取り消しについて地方自治法に基づき是正を指示する。知事は不服があれば、指示があった日から1週間以内に国地方係争処理委員会へ審査を申し出る。
▽委員会が是正指示を違法でないと判断し知事に不服がある場合や、違法と判断し国が勧告に応じた措置をとらない場合、知事は是正指示の取り消し訴訟を提起する。
▽国と知事は、是正指示の取り消し訴訟の判決が確定するまで、普天間飛行場の返還と辺野古の埋め立てについて円満解決に向けた協議を行う。確定した判決に従い、互いに協力して誠実に対応することを確約する。

けっして、協議を先行する内容ではない。協議の進展に関わりなくいつでも「埋め立て承認取り消しの是正指示」ができることがミソなのだ。結局は、現在3本ある裁判を、是正指示取消の裁判に一本化して、これで決着をつけようということなんだ。その裁判での決着がつくまでの間に、「普天間飛行場の返還と辺野古の埋め立てについて円満解決に向けた協議を行う」ことになる。

この問題で、国が方針を変更することはあり得ないのだから、円満解決のためには沖縄県が譲るしかない。明日にでも是正の指示を出すことができるわけだが、ここは駆け引きだ。いつ出すのが得策かよく考えてみよう。指示が遅れれば、裁判での解決も遅れ、それまで埋立工事がストップするのは面白くないが、ここは選挙対策の意味もある。寛大なアベの顔を見せることも無駄ではない。

担当者の起案のとおりに、記者会見ではこう言った。
「本日、国として、裁判所の和解勧告を受けて、沖縄県と和解する決断をしました。20年来の懸案である普天間飛行場の全面返還のためには、辺野古への移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはありません。しかし、現状のように、国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況のままではこう着状態となり、家や学校に囲まれ市街地の真ん中にある普天間飛行場をはじめ、沖縄の現状がこれからも何年も固定化されることになりかねません。これは誰も望んでいない、そうした裁判所の意向に沿って和解を決断すべきと考えました。」

この取り繕った理由、自分でも白々しいと思う。そんなこと、裁判を起こす前から分かりきっていた。これまでは、裁判所の和解案を無視し続けてきた。ここで突然折れた理由にはならない。誰の目にも、「よく考えたら、敗訴の可能性が高い」「それなら、不本意だけど和解の方がマシ」という判断が見え見えだ。

それでも、ゴリ押しの印象は選挙によくない。沖縄県議選が5月27日告示、6月5日投票日に決まっている。直後に、参院選も控えている。それまでは、マイルドにいかなくちゃならない。敗訴のリスクはどうしても避けなくてはならない。辺野古の工事は、機動隊に守られて続行というイメージが定着して甚だよろしくない。だから、一旦停止だ。リセットだ。再度の強行は、選挙のあとにしよう。

もちろん、すんなりと方針が決まったわけじゃない。断乎として埋立工事は続行したいところだ。そのために起こした裁判を取り下げて工事も中止じゃあ、国としての面子が立たない。案外弱いんだなと侮られることも避けたい。工事を阻止しようと現地に集まる人たちに、バンザイなんて言わせたくはない。でも、敗訴判決をもらうことを思い比べれば、我慢ができるし、我慢をしなければならない。

じっと耐えて選挙が終わったら、そのときこそが、本格的なアベ晋三の底力。遠慮のないゴリ押しを始めよう。そして今度は、途中で「敗訴の可能性が高い」などということのない訴訟の準備を指示しなくちゃ。

それにしても、仲井眞さんは名知事だった。常識的な考え方で、分かり易かった。共通の土俵の人だった。「県民世論がなかなかウンとは言いませんぞ」などといいつつ、上手な条件闘争を積み重ね、取るだけのものを取ったうえで折れあった。さすがに、経済人だけのことはある。ところが、翁長知事ときたらどうだ。どうしてあんなに、強情で折れ合おうとしないのか。私には理解しかねる。この人相手では、そして私が総理でいる限り、やはり、裁判でしか問題は解決しそうにない。そうなれば、裁判官はきっと国の立場をよく分かってくれるはずだ。
(2016年3月4日)

えっ? アベが「在任中に改憲」だって?

昨日(3月2日)の「首相の改憲意欲発言」が各紙に大きく報道されている。参院予算委員会での答弁に際してのもの。安倍が何を口にしたかもさることながら、「安倍首相『改憲、在任中に』」と各紙が揃って報じたことが、実は大きなニュースとしてインパクトのあることなのだ。

たとえば朝日。「18年9月までを念頭」として、「安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、憲法改正について『私の在任中に成し遂げたいと考えている』と述べ、強い意欲を示した。夏の参院選で改憲勢力が3分の2を確保し、2018年9月までの自民党総裁任期を念頭に国会発議と国民投票による実現をめざす考えを示したものだ。」

たとえば毎日新聞。「『在任中改憲』首相表明」「参院選争点化確実」「衆院と同日選も視野」と見出しを打った。これだけで、政局へのインパクトは大きい。

もちろん、各紙とも「首相は同時に『我が党だけで(発議に必要な)3分の2を(衆参で)それぞれ獲得することは不可能に近い。与党、さらに他の党の協力もいただかなければ難しい』とも語り、改憲に向けたハードルが高いとの認識も示した。」との報道もしている。が、こちらは飽くまで付け足しでしかない。刺身のつまほどの存在感もない。改憲のスケジュールについて、「在任中」すなわち、「2018年9月まで」と期限を切ったことが、重要なのだ。

毎日は、年頭以来の安倍改憲発言を次のようにまとめている。
1月4日 「憲法改正はこれまで同様、参院選でしっかり訴えていく。訴えを通じて国民的な議論を深めていきたい」(年頭記者会見)

1月10日 「与党だけで(致憲発議に必要な衆参各院の)3分の2は難しい。おおさか維新もそうだが改憲に前向きな党もある。改憲を考えている責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」(NHK番組、収録は9日)

1月21日 「いよいよ、どの条項を改正すべきかという現実的な段階に移ってきた。新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民的な議論、理解が深まるよう努めたい」(参院決算委員会)

3月1日「(自民党の憲法改正)草案には自衛隊を国防軍と位置付ける記述がある。私は自民党総裁だ。草案と私が違うことはあり得ない」(衆院予算委員会)

3月2日「自民党だけではなく、他党の協力もなければ(衆参での3分の2の獲得は)難しい。私も在任中に成し遂げたいと考えているが、そういう状況がなければ不可能だろう」(参院予算委員会)

アベ発言をこう並べてみると、なるほど、彼の改憲への執念の緊迫度を感じざるをえない。やる気満々なのである。

とはいえ、必ずしも成算あってのものとは考えにくい。今、あらゆる世論調査が、「改憲ノー」の回答を示しているではないか。「任期中改憲」の発言は、安倍晋三の焦りの表れと言わざるを得ない。

しかし、焦りであろうと、成算なかろうと、無鉄砲アベは、猪突猛進する可能性が高い。7月参院選は重い闘いとなる。これからは、衆参両院の憲法審査会が議論の舞台となる。ここから目が離せなくない。
  衆議院憲法審査会
   http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/index.htm
  参議院憲法審査会
   http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/

明文改憲阻止の闘いがもう始まっている。その緒戦の参院選では、自民と公明、そしておおさか維新を加えた改憲勢力に議席を与えてはならない。選挙の結果が憲法の命運を決める。憲法の命運は国民の生存と平和に関わる。

なお、アベ政権が狙う最初の改憲項目は、緊急事態条項からと言われている。緊急事態条項を憲法に新設しようという改憲勢力のたくらみを、深く学ぼう。この分野であれば水島朝穂さん。本日(3月3日)の赤旗に水島さんのレクチャーが出ている。読み応え十分だ。そして下記の本格的なブログの記事も。
       http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0125.html
これを学んで自分のものとし、周囲に訴えようではないか。
(2016年3月3日) 

『バナナの逆襲』から見えてくるスラップの萎縮効果 ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第76弾

一昨日(2月29日)の毎日新聞夕刊。特集ワイドが、「『バナナの逆襲』フレドリック・ゲルテン監督に聞く」を掲載した。全面に近いスペースを割いた、文字どおりの「ワイドな特集」。
  http://mainichi.jp/articles/20160229/dde/012/200/005000c

「農民VS米大企業、映画にしたら訴えられた」「衰える『表現の自由』」というストレートな大きな見出しが小気味よい。 記者の力量もあって、表現の自由への圧力とジャーナリズムのあり方についての問題提起として、読み応え十分である。ただ、残念ながら、「スラップ訴訟」という言葉が出て来ない。

この特集での映画の紹介は以下のとおり。
「ニカラグアのバナナ農園で働く労働者12人が、米国では使用禁止の農薬の影響で不妊症になった可能性があるとして、米国の食品大手ドール・フード・カンパニーを相手取り損害賠償を求める裁判を起こす。ゲルテンさん(スウェーデン人)は、その裁判を追ったドキュメンタリー映画を製作。これが第2話(2009年、87分)だ。」

「映画は09年、ロサンゼルス映画祭に出品される予定だったが、ドール社は主催者に上映中止を要求。ゲルテンさんを名誉毀損(きそん)で訴える。監督自身が上映に向け孤軍奮闘する姿を描いたのが第1話(11年、87分)だ。」

私が注目したのは、以下の点だ。
米メディアの多くはゲルテンさんに厳しく、非難の矢面に立たされる。「メディアの大半はドール社やそのPR会社に取材し、『貧しいキューバ人移民の悪徳弁護士がバナナ農民を原告に立て、米企業を脅迫している』『世間知らずのスウェーデン人が弁護士を英雄に仕立て上げた』といった物語として報じました。作品を見てもらえず、うそつき呼ばわりされ、かなりのストレスを感じました」
「米国の報道陣には、大多数とは違う視点で物事を報じるエネルギーや好奇心が薄いという印象を受けました」とも。

ゲルテンは、アフリカや中米で記者活動の経験をもつ。その経験から、ジャーナリストの一般的な習性を「事件でも問題でも一つの現象を描く場合、人と、特に大多数とは違う角度から描くことに熱意と努力を発揮する」と見ているという。それだけに、企業に配慮したかのような米メディアの報道姿勢を意外に感じたというのだ。この指摘は、示唆に富むものではないか。

その理由について、ゲルテンの語るところはこうだ。
「米国は一種の『恐怖社会』じゃないかなという印象を持ちました。例えばスウェーデン人の私は、失職しても子供の教育費も家族の医療費も無料ですから、すぐには困らない。でも民間頼りの米国では、そうはいかないんです」

さらに、こうも言う。
「米国企業の場合、自社の信用を落とすような報道に対しては、イメージ戦略として、とりあえず訴えを起こす傾向がありますが、記者たちはそれを恐れているように思います。大企業に訴えられた新聞社が、末端の記者を解雇して訴訟を免れる例が過去に何例もあるのです。少人数の調査で、ようやく貴重な事実を発掘しても、十分な訴訟費用のないメディアだと記者たちを最後まで守りきろうとしないこともあります」

彼は、「映画は裁判を描いただけなのに、それが上映されないのはおかしいと私は言い続けた。つまり当たり前のことをしたわけです」という。ところが、「私の知る少なからぬ米国人には、一人で抵抗することがよほどすごいことのように思えたようです。それだけ当局や大企業からの圧力が浸透しているということではないでしょうか」

ゲルテンは「ジャーナリストが年々弱くなってきている」と慨嘆し、こう締めくくっている。
「ネットの浸透、紙メディアの衰退で、ジャーナリストは常に失職を恐れています。でも不安や恐れにばかりとらわれていては、良い仕事はできません。独立した、自由に物を書けるジャーナリストのいない社会に本当の意味での民主主義は育ちません。政府にも政党にも企業にも批判されない無難な話だけが流されることになってしまいます。本当の話には必ず批判があります。後に賞を受けたような報道は必ず、その渦中では反論を浴び、圧力や批判を受ける。だからこそ、ひるんではならないのです」

すばらしい言ではないか。本当にそのとおりだ。「自由に物を書けるジャーナリストのいない社会に本当の意味での民主主義は育たない」のだ。だが、ジャーナリストといえども、衣食足りてこそ自由に物を書けるのだ。失職の恐れ、社会保障のない社会に放り出されることの恐れが、結局はジャーナリズムを「政府にも政党にも企業にも批判されない無難な話だけが流される」ことにしてしまう。ジャーリスト個人の資質だけの問題ではなく、社会のあり方がジャーナリズムの質を規定しているのだ。

ゲルテンは、スウェーデンと米国を比較して、明らかに米国のジャーナリズムはおかしくなっていることに警告を発している。では、日本はどうだ。「社会のあり方がジャーナリズムの質を規定している」とすれば、米日は大同小異。しかも、伝統浅い日本のジャーナリズムは、米国よりもはるかに権力や企業の圧力に弱い。

権力の意向を忖度し、萎縮して「無難な話だけが流される」状態は既に定着している。それであればこそ、停波処分をチラつかせた権力の威嚇効果はてきめんなのだ。さすれば、DHCや吉田嘉明相手程度でも、恐れることなく私が批判を続けることの意義はあろうというもの。けっして「ひるんではならない」し、「ひるむ必要」もないのだから。

『バナナの逆襲』は、東京・渋谷のユーロスペース(配給・きろくびと)で上映中。3月18日までの予定。問い合わせはユーロスペース(03・3461・0211)へ。

3/05(土)15:00回後に、小林和夫さん(オルター・トレード・ジャパン) 、石井正子さん(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)らのトークを予定。
渋谷・ユーロスペースでの上映時間は下記URLで。
  http://kiroku-bito.com/2bananas/index.html

3月19日(土)からは、横浜シネマリンで公開。
  http://cinemarine.co.jp/counterattack-of-bananas/

さらに、続いて下記劇場でも公開決定とのこと。
名古屋シネマテーク/大阪・第七藝術劇場/神戸アートビレッジセンター/広島・横川シネマ
(2016年3月2日)

逆襲される安倍自民党ー偽りの看板がはげ落ちて

本日の朝日川柳欄に
  己こそ党名変えよ自由民主(西崎敦子)

なくてもがなの選者のコメントが「看板倒れ」。党名という看板と党の実態との大きなギャップが、川柳子の嘲笑の種になるのだ。

もっとも、「自由民主党」の党名は、「自由党」と「民主党」が合党したことによる安直なネーミング。「三菱東京UFJ銀行」だの「三井住友海上あいおい生命保険株式会社」などというノリなのだ。既に事実上は、「自由民主公明おおさか維新党」が結成されているとみて間違いがない。

民主党の党名変更の是非と、変更あった場合の新党名が話題となっている。
個人の命名は、「最短形式の詩」である。生まれいずる者への祝意と期待が、短い詩となって生涯その命を表すことになる。子をなした者が、いつくしみを込めた名を考えればよい。個人の命名に他人が介入する余地はない。命名される本人さえ、何も言わないし言えない。

政党名の命名はなかなかに難しい。党名自体が、政党に結集する多くの人々を統合する役割を担うことになるからだ。また、政党は多くの有権者に政策を発表して支持を得、票を獲得しなければならない。そのとき、党名の果たす役割はけっして小さくない。

最もオーソドックスには、その政党が実現を目指す社会や政治手法の理念を党名にすることだ。名は体を表すという常識に沿ったネーミング。これが王道である。
 社会主義党・共産主義党・資本主義党・社会民主主義党・民主社会主義党・民主主義党・立憲主義党・平和党・自由党・平等党・友愛党・民生増進党・国民福利党・女性の権利党・子どもの福祉党・国家主義党・軍事大国化党・軍事緊張煽動党・経済的強者の自由を目指す党・経済格差拡大党・政党「大阪だけの繁栄を約束しまっせ」・アメリカ従属党・51番目の州を目指す党・大アジア主義党・政策は風向き次第票を頂戴党・株価上昇党・天皇親政党・復古党・祭政一致党・日本民族優越党・王仏冥合党…。

支持者・支持層をそのまま党名にしてもよい。
労働者党・勤労者党・政党「中小企業の権利のために」・貧困者党・農民党・漁業党・消費者党・青年党・女性党・奥羽越列藩同盟後継者党・賊軍末裔党・東北人の党・王党・金持ち党・右翼人脈党…。

政党のイメージをウリにした党名
清新党・親切党・誠実党・真理党・献身党・実行党・言行一致党・断固党・ぶれない党・政党みどり・青空党・元気いっぱい党・ゆるゆる党・新党・新新党・フレッシュ党・チェンジ党…。

特定の事件を想起させる党名
8月15日党・12月8日党・6月15日党・9月19日党・3月11日党・6日9日15日党・2月11日党…。

アメリカでは、共和党が、「移民拒絶党」か「世界のカネをアメリカに!党」に党名を変更しそうな勢い。民主党は、「格差解消党」か「格差容認党」か。

さて、政権与党「自由民主党」の党名問題である。「自由」と「民主」。
「自由」とは多義である。本来の「自由主義」は、国家権力の制約からの自由を意味する。フランス革命の理念とされた自由・平等・友愛の「自由」がまさしく王権からの自由であり、自由民権運動の「自由」も藩閥権力からの自由であった。

当時、「自由」は市民の権利とされた。市民とは新興ブルジョワジーを中心とするもので、彼らが市民革命の推進者となった。いま、新興ブルジョワジーの中の一部が、巨大企業となって様相が大きく変わっている。企業活動の自由は、多くの人の犠牲をもたらすのだ。これには、民主主義を武器にして、企業活動に厳重な規制をかけなければならない。

一握りの大企業とそれ以外の広範な国民との利害が鋭く対立するとき、「自由」の内実が問われる。自民党の看板の「自由」は何を表しているのか。大企業の「自由」擁護とは、労働者の搾取と収奪の自由のことであり、消費者の権利を蹂躙する自由にほかならない。いったい自民党とは誰の味方なのか。

たまたま今日の新幹線車内で開いた週刊朝日のトップの記事が「農協の逆襲」だった。「逆襲」とは、安倍政権に対する逆襲の意である。これまで、自民党に操られ虐げられてきた農協が、ついに自民党に叛旗を翻し、逆襲に転じたというのだ。痛快きわまる事態ではないか。

要因はいろいろあるが、要は自由民主党の「自由」が、大企業の横暴の自由で、農民を犠牲にする自由だということなのだ。農協こそは、長く自民党最大の大票田だった。特に、地方に強い自民党を支える屋台骨だったはず。

ところが、同誌が独自にした全国の農協組合長に対するアンケート調査(但し、悉皆調査ではない)では、「各地の組合長が本誌に激白『選挙で与党は推薦しない』」という。まさしく「安倍政権に対する農協の逆襲」の実態なのだ。

安倍政権の農政改革について
  支持する     3.6%
  支持しない   74.5%
  どちらでもない 21.8%

今夏の参院選で与党候補を推薦するか
  推薦する    37.7%
  推薦しない   13.2%
  決まっていない49.1%

自由記入のアンケート回答もなかなかのもの。
「自民党議員を減らさないといけない。驕ってもらっては困る。」
「組合員の与党への不信感が強い。県単位では自民党候補を推薦すると思うが、地域農協が推薦することはない」
「県としても応援しないと会長が明言している」
「自民党の政治家は官邸のいうとおり。日本国の展望や未来に対する政治家の信条は、地に落ちたように感じる」
「自民党議員には入れたくないが、個人的関係で推さざるをえない」
「農家の思いや情報が伝わっていない」
「他に頼れる政党がない。仕方がない」

これが、農協組合長の意見なのだ。かつては考えられなかったこと。事態急変の最大の理由は、「TPPは平成の売国」という見出しのフレーズが物語っている。さらに、必ずや石原伸晃担当相が「農協の逆襲」の火に油を注ぐ役割を果たしてくれるだろう。

要は、自由民主党の「自由」は、製造・流通・通信・金融の大企業の自由であり、社会的規制を取っ払った、儲けの自由である。その自由の確保のために、農業も漁業も酪農も犠牲にされようとしている。そのことが、「農協の安倍自民党への逆襲」の原因なのだ。おそらく、「逆襲」は農協だけでなく、これからあちこちで起きてくるだろう。安倍自民党が、現今の不幸な日本の総元締めであることが、今分かりつつあるからだ。

では、「党名変えよ自由民主」に応えて、安倍自民党が、正確に党名を変えたらどうなるだろうか。

理念のうえからは、
市場原理主義党・大企業の利益本位党・規制緩和推進党・規制撤廃主義党・平成の売国党・格差貧困容認党・地方切捨党・沖縄蹂躙党・歴史修正主義党・ビリケン(非立憲)党・大日本帝国体制復古党・戦後民主主義否定党・メディアの自由抑制党・原発推進党…。

支持勢力からは
大企業党・アメリカ追随党・極右党・靖國党・神社党・軍需産業党・右翼人脈結集党…。

イメージからは
国防色党・茶色党・オスプレイ党・日の丸君が代党・頑迷固陋党・非知性党・感じ悪いよねー党・停波党・口利きあっせん党・失言妄言党…。

自民党にふさわしい特定の事件を想起させる党名といえば、
4月27日党(自民党改憲草案発表記念日)
7月1日党(集団的自衛権行使容認閣議決定記念日)
9月18日党(戦争法強行成立記念日)
そして、「コントロールとブロック党」であろうか。
(2016年3月1日)

「原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪」してはならないか

毎日新聞に、評論家若松栄輔の連続対談企画がある。「理想のかたち」という標題。
その第11回がゲストとして作家吉村萬壱を招いて「先進国でのテロ事件」を論じている。一昨日(2月27日)の朝刊。

リードは、「きれいごとでは済まない人間の姿を描いてきた吉村さん。昨年11月のパリのテロ事件を受けて、時代に抗する言葉はどう生まれるか、単なる反戦ではない「非戦」の意義などを話し合った」というもの。これなら読みたくなる。

吉村は、「『きれいな言葉』ってありますやんか。「愛」とか「平和」とか「祖国」とか。こういう言葉が流布するときは危ない。僕はきれいな言葉が、どうも好きになれない。小説ではそれを骨抜きにする作業をしています。」という。
これに、特に文句を言う筋合いはない。

若松「大事にしたいのは、反戦と非戦の違いです。目の前の戦争に反対して、その戦争を止めるまでが反戦。非戦は、戦うこと自体を徹底してなくそうと考える。反○○で解決はない。こちらが善で、こちらが悪の……。」
吉村「二項対立では解けない。犯罪者がなぜ犯罪を犯すのか。理由をさかのぼれば無限に遡行できる。刑法はそこに線を引いて直接の個人に罪を負わす。」
若松「限りなく不可能でも、敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれないでしょう。」
ここまでは、結構。若松の『敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれない』には共感する。ところが、次がおかしい。

吉村「インターネットでは、ISや中国や原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪して自分を善だと錯覚したい人ばかり目立ちます。でも、『自分は正しい』と思っている人が、自分は『悪人』だと自覚している人よりも善人だとは必ずしも言えない。」
なんだ。そりゃ。いったい。

吉村萬壱は「原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪して自分を善だと錯覚したい人ばかりが目立つ」ことを嘆いているのだ。これが、「敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれない」の文脈と同義として語られるから混乱せざるを得ない。

これが、「時代に抗する言葉」だというのか。二項対立では解けない問題提起だというのか。これが、時代に切り込む姿勢だというのか。それが文学だともてはやされるなら、私たちの社会の前途は暗い。

もっとも、この手の発言は、昔から掃いて捨てるほどある。リベラルな発言をしておいて、そのあとに「私はけっして反体制ではありません」「危険思想をもってはいませんよ」と毒消しの発言をしておくあの手だ。「だから安心して私を使ってください」というアピールにしか聞こえない。二項対立の一方に立つ姿勢を示すなんぞ、ダサイ。愚か。いや損ではないかという態度。そういう手合いの一群。立派な日和見主義ぶりではないか。保身は、よぼよぼの老人になってからでも遅くない。

原発も安倍晋三も橋下徹をも「悪と決めつけてはならない」とは、この世のすべてを相対化すること。理想を揶揄し、権力に対する批判を嘲笑し、よりよい社会を作ろうと努力する人たちへの、冷ややかな醒めた視線。

毎日新聞も、貴重な紙面を割いてつまらない対談記事を載せたものだ。
もっともっと、熱くなって原発批判をしよう。安倍晋三批判もやろう。橋下徹批判も徹底しよう。そのエネルギーでしか、社会や歴史を変えることができない。
(2016年2月29日)

子曰く、必らず已むを得ずして、アベ政権を去らん。

私は、「論語」をたいしたものとは思わない。所詮は底の浅い処世術としか理解できないと公言して、顰蹙を買うことがしばしばである。しかし、警句として面白いとは思う。どうにでも自分流に解釈して便利に使えばよいのだ。多分、使い手によっては、切れ味が出てくるのだろう。アベ政治への批判についても使える。

よく知られている顔淵編の次の一節。

子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。

子貢、まつりごとを問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。
子貢曰く、必らず已むを得えずして去らば、この三者において何をか先にせん。
曰く、兵を去らん。
子貢曰く、必らず已むを得ずして去らば、この二者において何をか先にせん。
曰く、食を去らん。いにしえより皆死あり、民、信無くんば立たず。

私なりに訳せば、以下のとおり。
子貢が孔子に政治の要諦を尋ねた。
「経済を充実させ、軍備を怠らず、民意の支持を得ることだね」
「その三つとも全部はできないとすれば、まずどれを犠牲にしますか」
「そりゃ、軍備だね」
「残りの二つも両立は無理だとすれば、どちらを犠牲にすべきでしょうか」
「経済だよ。民生の疲弊はやむを得ないが、民衆の信頼がなければそもそも政治というものが成り立たないのだから」

孔子は、政治の要諦として、「食(経済)」・「兵(軍備)」・「民の信」の3者を挙げた。おそらくは、きわめて常識的な考え。しかし、面白いのは、重要性の順序が必ずしも、常識のとおりではないこと。政治の中心的課題を「民のため」の政治というにとどまらず、「民からの信頼」と考えている。もちろん民主主義ではない。しかし、読み方次第では、その思想的萌芽を感じさせる一文ではないか。

アベ政権は、平和主義を放擲して戦争法までつくり、近隣諸国の危険性を鼓吹して国民の不安を煽り、軍事予算を増額するというのだから「兵(軍備)」の充実にだけはご執心だ。

しかし、既に「食(経済)」を足らしむことにおいて失敗している。アベノミクスがアホノミクスであることについては、誰の目にも明らかになりつつある。経済を投機化したことによって、実体経済は停滞し、格差貧困は拡大し、株価の維持まで危うくなっている。

さらに、最大の問題は「民の信」である。アベ政権が、そして政権与党が、国民の信に耐え得るか。安倍自身もこの点は、気にしているようだ。過日不倫騒動で辞任した宮崎議員について問われた際に、「信なくば立たず」と口にしている。宮崎の辞任の弁にも「信なくば立たず」があった。宮崎がやめることで「信が立った」か。とんでもない事態である。閣僚の妄言はあとを絶たない。これは民主主義の問題であり、立憲主義の問題でもある。

要するに、「兵」だけが突出して、「食」も「信」も、アベ政権にはない。孔子の教えに逆行しているのだ。そこに、直接に民意を問う国政選挙が迫ってきている。アベ政権を総体としてとらえ、分析し、迫った参議院選挙の投票行動の意義を見定めなければならない。こんな事態で、明文改憲を許す議席をアベ政権に与えてはならない。

私も編集委員の一人となっている「法と民主主義」は、4月号を、アベ政権の総体を問う特集とする。
特集の編集責任者は、清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)。以下のラインナップで、すべての執筆者のご承諾をえた。発売は、4月20日頃となる予定。是非、ご期待いただき、憲法の命運に関わる大切な選挙にご活用をお願いしたい。

もし孔子が世にあれば、必ずやこれを薦める内容になるはず。そしてこう呟くことになる。

子曰く、必らず已むを得えずして、アベ政権を去らん。

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2016年『法と民主主義』4月号(№507)
特集●アベ政権を問う〈仮題〉
■企画の趣旨
今号は、4月号ながら、憲法記念日近くに発行される予定です。この間の安倍政権による憲法破壊を批判的に検討し、憲法理念の実現に向けた理論提供を行う憲法特集号として位置づけております。ただし、憲法の個別テーマを扱った論文が各号に掲載されていることを受けて、今号では、これまであまり触れていないテーマをとりあげております。安倍政権の総体を問う特集になることを期待し、企画いたしました。
■特集企画の構成執筆予定者(敬称・略)
特集にあたって(特集リード) 清水雅彦(編集委員)
安倍政権下の憲法情勢森英樹(名古屋大学名誉教授・憲法学) 2015年国会で戦争法の制定を強行するなど、この間のconstitutional change を進めてきた安倍政権が、いよいよconstitutionのchangeの必要性を堂々と何度も主張するようになった。このような安倍政権下で進む憲法情勢について検討していただく。
アベ改憲論を問う──緊急事態条項論の検討 植松健一(立命館大学法学部教授・憲法学)
参院選で与党3分の2以上の議席確保を狙い、場合によっては衆参同日選挙もありうる中で、安倍政権が主張している緊急事態条項論や改憲論について、これまでの憲法学における国家緊急権論やドイツなど外国との比較から検討していただく。
アベの政治手法を問う──安倍政治の検討 西川伸一(明治大学政治経済学部教授・政治学)
従来の自民党政治には見られなかった強権的で異論を認めず、極右色の強い安倍政治の内容・特徴や、メディアへの圧力、極端な内閣法制局人事等への介入など、その独特の「お友だち」の活用と批判派の排除といった政治手法について検討していただく。
選挙を問う?衆参同日選挙、小選挙区制度などの検討 小松浩(立命館大学法学部教授・憲法学)
場合によってはありうる衆参同日選挙の問題点や、衆議院の小選挙区制度の問題点について、この間の定数是正違憲訴訟やご専門のイギリス(可能であれば、他国も)との比較に触れつつ、検討していただく。
若者の政治参加を問う? 18 歳選挙権と政治教育などの検討 安達三子男(全国民主主義教育研究会事務局長)
今後の18歳選挙権の実施と文部科学省による高校生の政治活動についての新通知などについて、『18歳からの選挙Q&A』(同時代社)の執筆者の立場から、文部科学省や教育委員会の問題点などについて検討していただく。
◆『一億総活躍社会』を問う?社会福祉・医療政策の検討 伊藤周平(鹿児島大学法科大学院教授・社会保障法)
安倍政権が打ち出した「一億総活躍社会」論によって、国民の生活と権利はどうなるのか、この間、急激に進む医療介護保険「改革」や「子育て支援新制度」などの社会保障、医療制度改革の動向とあわせて検討していただく。
◆市民は問う─その1 菱山南帆子
◆市民は問う─その2 武井由起子(弁護士)

「法と民主主義」の各号のご紹介やご注文は、下記のURLへ。
http://www.jdla.jp/index.html
(2016年2月28日)

ニントク君の回想ーボクって何者? ボクってなんの役に立っている?

畏くも、第16代の天皇となられたオホサザキノミコトに「仁徳」の諡が献じられています。「仁」とは為政者としての最高の徳目ですから、この天皇こそが古代日本の帝王の理想像なのであります。

その仁政を象徴するものが、「民の竈は賑わいにけり」という、あのありがたくもかたじけない逸話でございます。あらためて申しあげるまでもないのですが、あらまし次のような次第でございます。

ある日、ミカドは難波高津宮の高殿から、下々の家々をご覧になられたのです。賢明なミカドは、ハタと気が付きました。ちょうど夕餉間近の頃合いだというのに、家々からは少しも煙が上がっていないのです。慈悲に厚いミカドは、こう仰せられました。

「下々のかまどより煙がたちのぼらないのは貧しさゆえであろう。とても税を取るなどできることではない」

こうして3年もの長きの間、税の免除が続きました。そのため、宮殿は荒れはてて屋根が破れ雨漏りがするようなことにもなりました。それでもミカドはじっと我慢をなさいました。

そして、時を経てミカドが再び高殿から下々の家々をご覧あそばすと、今度は家々の竈から、盛んに煙の立ちのぼるのが見えたのでございます。

ミカドは喜んで、こう詠われました。
高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり

こののちようやく、ミカドは民草が税を納めることをお許しになり、宮殿の造営なども行われるようになったのです。なんと下々にありがたい思し召しをされる慈悲深いミカドでいらっしゃることでしょう。

これが、天皇親政の理想の姿なのでございます。何よりも下々を思いやり、下々の身になって、その暮らしが成り立つことを第一にお考えになる、これが我が国の伝統である天皇の御代の本来の姿なのでございます。消費増税によって、民の竈を冷え込ませようというアベ政権には、仁徳天皇の爪の垢でも呑ませてあげようではありませんか。

でも、この話には、いろいろとウラがございます。仁徳ことオホサザキノミコトご自身が、のちに次のような回想をしていらっしゃいます。ここだけの話しとして、お聞きください。

ボクって、天皇職に就職して以来、下々の生活なんかにゼーンゼン関心なかったの。何に関心あったかって。不倫。一にも二にも不倫。二股、三股。もっともっと。ボクって美女に目がないの。古事記にも恐妻の目を逃れての好色ぶりが描かれているけれど、まあ、あれは遠慮して書いてあの程度のこと。ホントはもっと凄かった。で、不倫って結構金がかかるんだ。それでもって、使い込んで…。結局民の竈の煙が立たなくなっちゃったんだ。

ある日、ハタと気が付いたのは、竈からの煙がなくなったってことじゃないの。毎日、上から目線で見慣れた景色だから、竈の煙が薄くなり消えそうになっているのは、前から分かってた。

でも、ある日気が付いたんだ。このままだと、下々から税を取ろうにもとれなくなるんじゃないか、って。竈から煙が立たないって、民草は飢餓状態じゃん。これまで天皇や豪族が民草を「大御宝」なんて言って大切にしてきたのは、ここからしか税の出所がないからさ。文字どおり金の卵を産み続けるニワトリだからなの。その民草が飢えて死にそうじゃ、税も取れなくなっちゃうじゃん。税が取れなきゃ、ボクの不倫経費も捻出できない。

もう一つ気が付いたのは、少し恐ろしいことになっているんじゃないかってこと。これまでは、下々や民草は、絞ればおとなしく言われたとおりに税を払うと思っていた。だけど、竈に煙も立たない状態となると、窮鼠となって反抗しないだろうか。考えてみれば、ボクと下々の格差はすさまじい。民草が怒っても、当然といえば当然。捨て鉢で、宮殿に火を付けたりしないだろうか。テロられることにはならないだろうか。

それで、方針を変えてみたんだ。金の卵を産むニワトリがやせ細ってきたのだから、しばらく卵をとるのは我慢して、ニワトリを太らせなくっちゃ。そして、よい王様を演出して、下々から攻撃されないよう安全を確保しなくっちゃということ。宮殿が荒れ果てたって雨漏りしたって、火を付けられるよりはずっとマシ。

こうして、税を取らないことにしたんだけど、誰でも思うよね。その間、何をしていたのかってね。もちろん、不倫はどうしてもやめられなかった。でも、相当に努力はしたんだ。不倫相手の数も減らして、出費も縮小した。そうして蓄えを少しずつなし崩しに減らしていった。とうとう金庫が底を突いたから、もう一度高殿に登って、「民の竈はにぎはひにけり」ってやったんだ。ニワトリは、もう十分に太った頃だろうからね。この程度で「仁政」だの「聖帝」だのといわれているんだから、ま、楽な商売。

でも、ここからは真面目な話し。この件のあと、いったいボクってなんだろう、天皇ってなんだろう、って真剣に悩むようになった。ボクが税をとっているから、その分民が貧しくなる。3年でなく、ずっと税を取らなけりゃ、民の竈はもっもっと賑やかになるはず。ボクって、実はなんの役にも立っていないことに気が付いたんだ。おとなしい民草から、税を取り立てるだけのボク。自分じゃ働かず、人の働きの成果をむさぼっているだけのボク。いてもいなくてもよいボク。いや、不倫の費用分だけ、いない方がみんなのためになるボク。こんなボクって、いったい何なのだろう。

ちょっぴりだけど反省して、河川の改修や灌漑工事など公共工事なんかやってみた。やってみるったって、「よきにはからえ」って言うだけだけど。それが、記紀に善政として出ている。せめてもの罪滅ぼし。それでも、不倫は生涯やめられそうにない。
(2016年2月27日)

2月26日ー「戒厳令」と「緊急事態条項」とを比較すべき日

本日は、2月26日。80年前の今日、雪の降る東京の中枢部で、クーデターが起こった。翌2月27日、「戒厳」が宣せられている。今年の「2・26」は、「戒厳令」とともに話題にしなければならない。アベ政権の改憲構想が、緊急事態条項の新設から手を付けようとしているからである。

自民党改憲草案の緊急事態条項(「第9章」98条・99条)は、国家緊急権の発動の一態様としてある。戦争・内乱・大災害等の非常時に、憲法を一時停止して政権の専横を可能とするもの。戒厳もその一種類である。

大江志乃夫「戒厳令」(岩波新書・1978年)は、今読み直されるべき書である。戒厳令についての詳細を理解し、アベ改憲のたくらみの危険に警鐘を鳴らすために。

この書では、2・26の顛末を次のとおり、簡明にまとめている。
「いわゆる皇道派に属ずる青年将校が部隊をひきいて反乱を起こした「政治的非常事変勃発」である。反乱軍は、首相官邸に岡田啓介首相を襲撃(岡田首相は官邸内にかくれ、翌日脱出)、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監陸軍大将渡辺錠太郎を殺害し、侍従長鈴本貫太郎に重傷を負わせ、警視庁、陸軍省を含む地区一帯を占領した。反乱将校らは、「国体の擁護開顕」を要求して新内閣樹立などをめぐり、陸軍上層部と折衝をかさねたが、この間、2月27日に行政戒厳が宣告され、出動部隊、占拠部隊、反抗部隊、反乱軍などと呼び名が変化したすえ、反乱鎮圧の奉勅命令が発せられるに及んで、2月29日、下士官兵の大部分が原隊に復帰し、将校ら幹部は逮捕され、反乱は終息した。事件の処理のために、軍法会議法における特設の臨時軍法会議である東京陸軍軍法会議が設置され、事件関係者を管轄することになった。判決の結果、民間人北一輝、西田税を含む死刑19人(ほかに野中、河野寿両大尉が自決)以下、禁銅刑多数という大量の重刑者を出した。「決定的の処断は事件一段落の後」という、走狗の役割を演じさせられたものへの、予定どおりの過酷な処刑であった。

大江の2・26事件理解は、「実際に起こった二・二六事件は、『国家改造法案大綱』の実現をめざすクーデターが「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」にもとづくカウンター・クーデターに敗北し、カウンター・クーデター側の手によって軍部独裁への道が切り開かれるという筋書をたどった。」というものである。このことを書き留めておきたい。

この書の冒頭に、「戒厳」に関しての刺激的な2文書の紹介がある。
まず、「天皇ハ全日本国民ト共二国家改造ノ根基ヲ定メンガ為ニ、天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ヲ解散シ、全国ニ戒厳令ヲ布ク」(北一輝『日本改造法案大綱』)。

2・26事件を起こした反乱青年将校たちが自分たちの政治綱領として信ずることが厚かった『日本改造法案大綱』の第一条である。これは、大江によれば、初めてクーデターの手段としての戒厳を公然と主張したものだという。天皇親政を実現するために、憲法を停止する。具体的には、「貴衆の両院を解散し、全国に戒厳令を布く」というのだ。これが、皇道派青年将校が企図したクーデター。

そして、もう一つの文書が、カウンター・クーデター派のもの。
「現下の世相に鑑み政治的非常事変勃発に際しては、軍部は之を契機として国内事態改善の為常固なる決意を以て目的の貫徹を期す。(中略)国内非常に際し、軍の行う警備は皇室の擁護、資源の確保、軍の対立防止及大衆の保安を主とし、且つ、軍の企図する革新遂行を容易ならしむ。(中略)騒動中に軍隊の参加を当然予想せらるる事態にいたらばすみやかに戒厳を令す」(参謀本部第二部片倉衷大尉を座長とする幕僚将校グループが作成した「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」1934年1月成稿)。

「政治的非常事変勃発」「軍の騒動参加」をきっかけに、「断固、軍の企図する革新を遂行」というのだから、穏やかではない。これは、「『日本改造法案大綱』を奉ずる青年将校グループとは対立する陸軍中枢の少壮幕僚グループの研究成果をまとめたもので、かれらは、クーデターにたいするカウンター・クーデター(逆クーデター)として戒厳を宣告し、かれらなりの″国家革新″を実現することを期していた。これら幕僚グループの研究成果は成文化され、参謀本部の課長・部長に提出された。いわば、半公式的な性格のものである。」という。クーデターにたいするカウンター・クーデターにおいて、両者とも戒厳令を構想していたことに注目せざるを得ない。

大江は、「このように、戒厳令は、憲法を停止し、議会を破壊し、軍事独裁政権を樹立し、維持していくのに、もっとも好都合な法令である。」とまとめている。

戒厳令(太政官布告)の第14条だけを抜粋しておきたい。(「戒厳地境内」とは戒厳布告の範囲のこと)
第一四条 戒厳地境内ニ於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
  第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
  第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
  第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
  第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
  第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
  第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
  第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

戒厳令下、司令官は軍部独裁者として振る舞うことができる。人民に対してなんでもできる。

自民党改憲草案も読み較べておきたい。
第99条
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2項 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

緊急事態宣言下、内閣は国会を無視して独裁者として振る舞うことができる。国民は内閣のいうことを聞かねばならなくなる。内閣は、政令を作って「集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト」ができる。もちろん、テレビの放送の停波など簡単なこと。

(2016年2月26日)

「消費者主権」の視点からスラップ訴訟対策を考える ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第74弾

1月28日、DHCスラップ訴訟控訴審判決言い渡しの日の夕方、「バナナの逆襲」を作製したスウェーデン人の映画監督フレデリック・ゲルテンさんとお話しする機会があった。

その中で印象的だったのは、世界的大企業Dole社から仕掛けられた「スラップ訴訟」との闘いにおいて、「最も効果のあった闘い方は、スウェーデンでの不買運動方針の提起だった」ということ。映画の中でも描かれているが、まず消費者が声を上げる。「スーパーはDole社の商品を扱うな」と申し入れをする。理由を聞いたスーパーの経営者が、これに賛同してドール・バナナの入荷を拒否する。初めは小さかったその動きが、広がりそうな勢いとなったところで、ドールフード社が折れるのだ。なるほど、さもありなんと思う。

私は、長く消費者問題に取り組んできた。消費者運動では、単なる「消費者の権利」を超えた「消費者主権」が語られてきた。多義的に用いられる「消費者主権」だが、私は「市場での消費者の自覚的な選択を通じて消費者がよりよい社会を作っていく運動」(あるいはその力量)ととらえている。

具体的な消費者被害を通じて見えてくる現実の消費者像は市場の主権者という理想像とはほど遠い。広告に操られて怪しげなサプリメントを購入する思慮のない消費者であり、少しでも安価なものであれば安全に目をつぶっても飛びつく無自覚な消費者であり、必ず儲かるからという甘言に欺されて涙を流す金融商品購入者である。生産や流通を牛耳る事業者との対等な関係を築けていない。

それでも、消費者運動は着実に前進を見せている。理念としての消費者主権の確立を、運動の目標として高く掲げ続けている。消費者を営利の操作対象の地位から脱却させ、あるべき社会の能動的な形成者とする目標である。企業が社会を圧している現状において、市民が賢明な商品選択を通じて企業をどうコントロールするかという問題意識をもったときに、はじめて主権者としての消費者の力が現実化する。

その正反対の議論が、企業側から出て来る「対企業コントロール拒否論」である。「企業活動にもっと自由を」「労働市場も生産も流通も販売も、すべてを見えざる神の手に任せよ」「限りない規制緩和を」「規制をなくせ」という野放図なDHC・吉田嘉明流の規制緩和論である。その実現のために巨額の裏金の授受さえ行われている。

企業が提供する商品やサービスに関して、消費者が選択する基準が価格や外見だけであってはならない。広告・宣伝に踊らされてはならない。消費者には、「社会的な公正」や、「環境に配慮し自然と社会の健全な持続性」までを視野に入れた自覚的な消費行動が求められる。

ブラック企業や、アンフェアトレード企業の製品は安価かも知れない。しかし、そのような企業の跋扈は、社会的公正を害する。社会的不公正の放置は、消費者自身に手痛いしっぺ返しをもたらす。

市場における消費者の選択においては、よりよい社会を目指すための諸要素が重視されてしかるべきだ。軍需産業と結びついた企業の製品は買わない。差別や規制緩和推進を広言するような企業の商品はボイコットする。フェアトレードや原発反対を表明する企業の商品を積極的に選択する。そのなかに、スラップを提起して表現の自由を攻撃する企業を市場を通じて排除することも含まれて当然だ。

「バナナの逆襲」を観れば、産地に農薬禍をもたらしたDole社の商品はけっして買うまいと思う。アンフェアなトレードで知られるユニクロもそうだ。ブラックとして名高いワタミも同じ。せっかくの電力自由化だ。原発事故を起こした東電をボイコットして、他社に乗り換えよう。そして、スラップ訴訟の常連DHCにも同様の制裁を。

先日、姪の一人が「私、DHCはもうやめた。絶対に買わない」と言ってくれた。これは、正しい価値ある選択と言ってよい。「DHCの製品は買わない」ことの意味は、消費行動を通じての、表現の自由への攻撃を許さないという意思表示であり、規制緩和推進という消費者利益侵害への抗議でもあり、政治とカネの汚い癒着を徹底して糾弾するという宣言でもあるのだから。

この一人の選択は、第一歩として影響は小さいながらも正しい「一票」だ。選挙権の行使は投票日だけのものだが、消費者主権の行使は、日常の消費行動を通して、日々正義を実践することにほかならない。正しい「一票」は、積み上がった力となりうる。そのようにして、スラップ訴訟を仕掛けるようなダーティーな企業には、消費者主権が懲罰を与える。その経済的な打撃によって、表現の自由を擁護し、司法の健全化も実現する。

「バナナの逆襲」を観て、対DHC不買運動の提起も有効な選択肢たりうると思っている。現実の有効な手段とするためにどうすべきか。今後、大いに議論したい。
(2016年2月25日)

スラップ逆襲映画『バナナの逆襲』をお薦めする ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第73弾

真正面からスラップ訴訟をテーマにしたドキュメント映画である。是非多くの人にご覧になっていただきたい。吉田嘉明だけでなくDHCの関係者にも広くお薦めしたい。自分のやっていることを見つめ直す機会になるだろうから。

スラップの標的とされた映画監督が、その顛末を自分を主人公として丸々1本の映画にしてしまった。これが、『バナナの逆襲』第1話『ゲルテン監督、訴えられる』。そして、スラップ訴訟で上映禁止を求められたドキュメンタリー映画が、『バナナの逆襲』第2話『敏腕?弁護士ドミンゲス、現る』である。

スラップを仕掛けたのは、世界最大の青果物メジャー・米国Dole社。DHCとはケタが違う大企業。同社が、スラップを仕掛けてまで知られたくなかったのが、中米ニカラグアにおける同社バナナ農園での農薬被害の実態なのだ。

しかし、Dole社のスラップは敗北した。結局のところ、却ってスラップのおかげで、Dole社のバナナ農園での農薬被害の実態が世界に注目されるところとなった。その一連の経過が『バナナの逆襲』なのだが、これは同時に『スラップに対する表現者の逆襲』でもある。そこが、私がお薦めする理由だ。このような映画を作った監督とこれを支えた人々、そして日本での上映に努力された人々に敬意を表するとともに、感謝も申し上げたい。

この映画配給者(「きろくびと」)による案内は次のとおり。
映画人の表現の自由は守られるのか?
弁護士は巨大企業の圧力に屈してしまうのか?

バナナ農園での農薬被害をめぐる世紀の裁判が、映画界も巻き込み大騒動に発展!
2009年、スウェーデン人映画監督フレドリック・ゲルテンがある多国籍企業に提訴された。中米ニカラグアのバナナ農園で農薬被害に苦しむ労働者が起こした裁判を追った、彼の新作ドキュメンタリー映画がロサンゼルス映画祭でプレミア上映されようとしていた時だった……。なぜ監督は訴えられたのか?超巨大企業は何を隠そうとしているのか?果たして映画は上映されるのか?

本作はスウェーデンのジャーナリストでもあるフレドリック・ゲルテンが2009年に制作した”Bananas!*”(第2話)と2011年制作の”Big Boys Gone Bananas!*”(第1話)の2作品で構成されている。日本においても、メディア界の自主規制やTPP問題が話題になっている今、あるバナナ農園の労働者を描いた映画とその上映をめぐるこの2作品は、多国籍企業のビジネス戦略や表現の自由、そして世界のいびつな構造について、さまざまな問題を投げかけている。

■第1話 ゲルテン監督、訴えられる Big Boys Gone Bananas!*
バナナ農園での農薬被害をめぐる裁判を描いた新作ドキュメンタリー映画が、ロサンゼルス国際映画祭でプレミア上映されることが決まり、意気揚々とアメリカに乗り込んだゲルテン監督。しかし上映直前、企業側はなんと映画祭に上映中止を要求し、監督を訴える。われわれの想像を超える過激な妨害工作と、そこから見えてくるアメリカのメディアの暗部。果たして映画は無事に上映されるのか?(2009年/87分)
 2012年 ミラノ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞
 2012年 ワン・ワールド映画祭観客賞
 2012年 サンダンス映画祭正式出品
 2011年 アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭正式出品など

■第2話 敏腕?弁護士ドミンゲス、現る Bananas!*
中米ニカラグアの12人のバナナ労働者が、使用禁止農薬による被害を訴え、米国の超巨大企業に対する訴訟を起こした。あまりにも強大な企業の力を前に、勝ち目はないと思われたが、裁判を請け負ったヒスパニック系弁護士ホアン・ドミンゲスは画期的な闘いを挑む!多国籍化する食料生産システムの闇だけでなく、TPP問題やグローバリズムといった世界のいびつな構造を描き出す、サスペンス・ドキュメンタリー。(2009年/87分)

上映は、2月27日(土)から。渋谷・ユーロスペースで
下記回上映後のトークも用意されている。
2/27 (土) 11:00回 横田増生さん(ジャーナリスト)
2/28 (日) 11:00回 原一男さん(映画監督)
3/05( 土) 15:00回 小林和夫さん(オルター・トレード・ジャパン) 、石井正子さん(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)

渋谷・ユーロスペースでの上映時間は下記URLで。
  http://kiroku-bito.com/2bananas/index.html
3月19日(土)からは、横浜シネマリンで公開です。さらに下記劇場でも公開決定とのこと。
名古屋シネマテーク/大阪・第七藝術劇場/神戸アートビレッジセンター/広島・横川シネマ

1月28日、DHCスラップ訴訟控訴審判決言い渡しの日の夕方、この映画の主人公ともなったフレデリック・ゲルテン監督(スウェーデン人)と鼎談の機会があった。もうひとりの参加者は、『ユニクロ帝国の光と影』(2011年、文芸春秋)で、やはりスラップの標的とされた、フリージャーナリストの横田増生さん。最後を、監督がこう締めくくっている。

「私たち今日ここにそろった3人が発することのできる非常に重要なメッセージは、スウェーデンにしろ日本にしろアメリカにしろ、言論の自由、報道の自由というのは憲法で定められているのだから、訴訟を起こされることを恐れることはない、ということです。実際に裁判で勝つことができるんだと。もうひとつ重要なことは、ジャーナリストなど、他の誰かが攻撃されたときに、私たちは後ろで、援護射撃をしなくではいけない。支えなければならない。連帯ということが、非常に重要だと思います。
また、私の仕事の醍醐味というのは、世界中で同じように闘っている仲間と会えることです。私の作品を見て、本当にたくさんの人が私に会いに来て、自分の仕事や置かれている状況について話をしてくれます。韓国に行ったときには、どの上映会でも、自分の雇用主と闘っている組織ジャーナリストが声をかけてくれました。メキシコでは、たくさんのジャーナリストが殺害されている状況が続いていて、多くの観衆が涙を流していました。世界中のどこでもストーリーがあるのです。そして、今回お二人のお話を聞いて、日本にも兄弟がいると感じています。そういったことがとでもうれしいです。自分は一人じゃないのだと知ることはとても重要だと思います。闘い続けるためのエネルギーと勇気をくれますね。だから今日お二人にお会いできでとてもうれしく思います。またいつかお会いするまでそれぞれがんぱりましょう。そして、シンプルな話を語りつづけましょう。それこそがとても大きな力を持っているのです。」

席上、「Keep Fighting」と繰り返された。自由や権利を、紙の上の文字だけのものにせず、現実の社会に実現するには、闘い続けることが必要なのだ。この映画は、その教訓に満ちている。
(2016年2月24日)

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