8月5日、朝日新聞が慰安婦問題での吉田清治証言を誤りと認め過去の16本の掲載記事を取り消すとして以来の朝日批判が喧しい。これに、池上彰への記事掲載拒否問題が油を注いだ。
朝日への口を揃えてのバッシング。総批判、総非難の大合唱である。あたかも、一羽のムクドリが飛び立つと、あとのムクドリの大群が一斉に同じ方向に飛び立つという、あの図を思い起こさせる。もちろん、朝日批判に十分な理由はある。これに加わるのは楽だ。
しかし私は、何であれメディアの付和雷同現象を不愉快に思う。ジャーナリストとは、所詮はへそ曲がりの集団ではないか。他人と同じ発想で、同じように口を揃えることを恥とすべきだろう。
とりわけ、吉田清治証言撤回を、日本軍慰安婦問題全体が虚構であったような悪乗り論調を恥とすべきだ。吉田証言の信憑性の欠如は、20年前には公知の事実となっていた。たとえば、吉見義明の「従軍慰安婦」(岩波新書)は1995年4月の発行。巻末に、9ページにわたって参照文献のリストが掲載されているが、吉田の著作や証言はない。もちろん、本文での引用もない。
吉田証言が歴史家の検証に耐え得るものでなかったことについては、貴重な教訓としなければならない。しかし、他の多くの資料と証言とが積み重ねられて、日本軍慰安婦問題についての共通認識が形成されてきた。いまの時点で、吉田証言に信憑性がなかったことを言い募っても、歴史の真実が揺らぐわけではない。
この機会に、日本軍が一体何をしてきたのか、その歴史を見直そう。日本軍の慰安所は、いつからどのようにして設置され、どのように運営されていったのか、どのようにして慰安婦は徴集されたのか、どこの国の軍隊にもあったものなのか、そのような立場におかれた女性がどのような行為を強いられたか、戦時どのような運命を忍受したか、そして戦後どのような人生を送ったのか。さらに、今、世界はこの問題をどう見ているのか。国際法的にどのようにもんだとされているのか。
以下が、国連自由権規約委員会における対日審査最終所見(本年7月25日)の「慰安婦」関連部分の日本語訳(wamホームページから)。
〔14〕委員会は、締約国(日本政府)が、慰安所のこれらの女性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に連行」されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意思に反して行われたそうした行為はいかなるものであれ、締約国の直接的な法的責任をともなう人権侵害とみなすに十分であると考える。委員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な態度によって助長されたものを含め、元「慰安婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女たちが再度被害を受けることについても懸念する。委員会はさらに、被害者によって日本の裁判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、この状況は被害者の人権が今も引き続き侵害されていることを反映するとともに、過去の人権侵害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果的な救済が欠如していることを反映していると考える。
締約国(日本政府)は、以下を確保するため、即時かつ効果的な立法的及び行政的な措置をとるべきである。
(i) 戦時中、「慰安婦」に対して日本軍が犯した性奴隷あるいはその他の人権侵害に対するすべての訴えは、効果的かつ独立、公正に捜査され、加害者は訴追され、そして有罪判決がでれば処罰すること。
(ii) 被害者とその家族の司法へのアクセスおよび完全な被害回復。
(iii) 入手可能なすべての証拠の開示。
(iv) 教科書への十分な記述を含む、この問題に関する生徒・学生と一般市民の教育。
(v) 公での謝罪を表明することおよび締約国の責任の公的認知。
(vi) 被害者を侮辱あるいは事件を否定するすべての試みへの非難。
以上の文脈で語られる「強制」に関して、ことさらに狭く定義しておいて「強制性を否定する」論法に惑わされてはならない。軍の管理のもとにおかれた女性たちが、戦地で「自由」であったはずはない。吉田証言の類の「慰安婦狩り」の事実があろうとなかろうと「強制」は自明であろう。
とりわけ自ら慰安婦として軍に強制されたと名乗り出た人々の証言は重い。それが法廷でのことであればなおさらのことである。本年3月に高文研から出版された、「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、その集大成として貴重な資料となっている。
同書は、「従軍慰安婦」、強制連行、空襲、原爆、沖縄戦などの日本の戦争責任を巡る50件の訴訟について、各担当弁護士が解説したものである。
第?章 「従軍慰安婦」は、以下の8本の解説記事。
※韓国人従軍「慰安婦」訴訟を振り返って
※関釜朝鮮人「従軍慰安婦」・女子挺身隊公式謝罪訴訟
※フィリピン日本軍「性奴隷」裁判
※オランダ及びイギリス等連合国の捕虜・民間拘留者(「慰安婦」を含む)損害賠償訴訟
※台湾人元「従軍慰安婦」訴訟
※中国人元「慰安婦」訴訟と山西省性暴力被害者訴訟
※中国人「慰安婦」第二次訴訟 最高裁判決と今後の闘い
※中国人「慰安婦」訴訟・海南島事件
多くの外国人女性が、日本軍にどのように人格も人権も蹂躙されたかが具体的に描かれている。
膨大な証言が積み上がっての「日本の戦争責任」なのだ。吉田証言があろうとなかろうと。
(2014年9月4日)
昨日(9月2日)の定例記者会見で舛添要一都知事は、現在支給されていない朝鮮学校への補助金の支給について、「万機公論に決すべし」との考えを披瀝した。この言を「一歩前進」と評価すべきであろう。ときあたかも、国連差別撤廃委員会からの勧告がこの問題に言及している。差別を撤廃して朝鮮学校にも補助金を支給し授業料無償化を実現すべく「公論」を興そう。知事は、聞く耳を持っているようなのだから。
この点は、2014年都知事選における重要な争点ではなかったが、政策対決点の一つではあった。都は、2010・11年度と続けて予算に計上した2千万円の朝鮮学校補助金支給を「凍結」し、2012年度以降は予算の計上自体を取りやめている。この事態においての選挙戦で、舛添候補は、田母神候補と同様に、石原・猪瀬都政が布いたレールに乗って補助金不支給の「現状維持」を「公約」とした。昨日の記者会見発言は、この公約に固執するものではないことを明らかにしたのだ。石原都政の継承に与するものではないことの表明としても注目に値する。石原元知事は、田母神陣営応援団の立場。舛添知事は、石原・猪瀬承継に縛られる必要はない。
朝鮮学校補助金支給の「万機公論」発言は、予定されたものではないようだ。都のホームページでの広報によれば、共同通信記者の質問に答えてのもの。その質問と回答の要点は以下のとおり。
「【記者】先日、国連の人種差別撤廃委員会で対日審査会合の最終見解が公表されたのですけれど、その中で地方自治体による朝鮮学校への補助金の凍結などについて何か懸念が示されていたようなのですけれど、東京都では2010年度から補助金の支出、朝鮮学校に対して凍結してまして、昨年、支給しないことを決めて発表されてるのですが、知事はこの政策、どのようにしていくべきだと思いますか。」
「【知事】こういうのはやはり万機公論に決すべしでですね。要するに国益に沿わないことはやはり良くないということは片一方でありますけれども、しかし、どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも教育を受ける権利はあるわけですから、そういうものを侵害してはいけない。そのバランスをどうとるのかなということが問題だと思います。
だから、私が今問題にしているヘイトスピーチにしても、これが言論弾圧に使われるということであってはいけませんけれども、人種差別を助長するということであれば、国連の理念にも、我が日本国憲法の理念にもそぐわないので、そこのところをバランスをとってやる。そのためにはやはり皆さん方のメディアを含めて、広く議論をしていくということが必要だと思いますので。…検討したいと思います。」
確認をしておこう。知事の言のとおり、「どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも、教育を受ける権利はある」「そういうものを侵害してはいけない」。このあと、「権利は当然に平等を要求する」と続くことになろう。補助金支給に差別があってはならない。石原慎太郎元知事からは、とうてい期待しえない発言。石原後継の猪瀬前知事からも、無理だろう。舛添知事がサラリと言ってのけたことを無視せず無駄にせずに、政策転換の一歩とする世論形成の努力をするべきだろう。
ところで、舛添知事会見の記録を読んでも、知事自身が国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解に目を通していたのか否かが判然としない。8月29日採択のこの見解に既に目を通していたとすればその関心は見識と評価しえようし、この見解を読まずして政策転換を示唆したとすればこれもなかなかのものではないか。
国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解は35項目。ヘイトスピーチ、慰安婦問題、外国人労働者問題、在日外国人の公務就労制限、外国人女性に対する暴力、アイヌ民族差別、沖縄への差別、朝鮮学校の無償化問題、部落差別問題等々にも触れている。グローバルスタンダードからみれば、日本には差別問題満載なのだ。
共同記者が質問で引用した朝鮮学校差別問題の「第19パラグラフ」を文意が通る程度に訳してみた。もちろん私の語学力だから正確ではない。大意以下のとおりである。
「〔19〕当委員会は朝鮮出身の子どもたちの教育の権利を妨げる立法と政府の以下の行為について懸念している。
(a)高等学校授業料補助からの朝鮮学校の除外
(b)朝鮮学校への地方自治体財政からの支給停止や継続的な減額
当委員会は、「市民権を持たない居住者に対する差別についての一般的勧告」(2004年)を再記して、教育の機会についての法規に差別があってはならないこと、その国に永住する子どもたちが学校の入学に当たって妨害を受けてはならないこと、これらを当事国が保障するという先の勧告を繰り返す。
当委員会は、日本に対し、朝鮮学校が高等学校授業料財源からの支出を受給できるように立場を変えること、同時に地方自治体に対して朝鮮学校への補助金支出を回復するように指導することを勧奨する。
当委員会は日本が1960年の「教育における差別撤廃のユネスコ条約」に加入するよう勧告する。」
国連の委員会勧告は、差別問題に意識の低い日本政府を諭すがごとく、なだめるがごとくである。安倍政権には聞く耳なくとも、せめて舛添都政には国連の良識に耳を傾けてもらいたい。そのような声を上げよう。もしかしたら、「東京から日本が変わる」かも知れない。
(2014年9月3日)
私の交友範囲で、最高齢者が吉田博徳さん。1921年6月のお生まれというから、既に93才。矍鑠と背筋が伸びている。好奇心旺盛。新しい話題を絶やさない。私なんぞ、とても老けてはおられない。そのように、いつも励まされる。
私とて、儒教文化の名残の影響を受けて育ってきている。高齢者には、高齢であるだけで敬意を表するに吝かではない。しかし、一緒にいると吉田さんが高齢ということはすぐに忘れてしまう。その気持ちの若さには、いつものことながら驚かされる。過日、韓国旅行をご一緒したときには、日韓の歴史と、行く先々の土地の話しの的確さに舌を巻いた。こんな人生の大先輩が身近にいることを幸運に思う。
吉田さんは、ご自身が歴史である。毛沢東や陳独秀が中国共産党を結成したのが1921年7月だから中国共産党と肩を並べる長寿なのだ。1922年7月結党の日本共産党よりは1才の年嵩。関東大震災のときは満2才だ。そして、もちろんこの齢だから従軍経験がある。中国で皇軍の将校として戦った深刻な体験が、平和を求めるブレない後半生の原点となっているという。
戦後は、裁判所職員の労働組合、全司法労組のかがやける委員長としていくつもの伝説をつくった。退職して、平和運動一筋。70を過ぎて、ハングルを習いこれをものにしている。今、日民協理事のお一人であり、日朝協会東京都連合会会長である。
その吉田さんが、昨日(9月1日)横網町公園での朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員長として、挨拶された。
その挨拶の中で、2003年に当時の盧武鉉大統領が韓国・済州島の4・3虐殺事件(1948年)について、島民と遺族に謝罪したことを引いて、「その勇気に心から敬服している。政府が犯した誤りを認め、謝罪してこそ、国民との信頼は深まります」「日本は、そのようにして朝鮮と心から信頼できる友好関係をつくらなければなりません」と述べている。
関東大震災時の朝鮮人虐殺に頬被りするのではなく、誠実に事実に向かい合って誤りを誤りとして率直に認め、謝罪する勇気を持たなければならない。それは、「自虐」ではなく、歴史的真実に向かいあう真摯な姿勢であり、矜持を持たない者にはなしえない崇高な行為である。それをなしえてはじめて「心から信頼できる友好関係」を築くことが可能となるだろう。こうして平和なアジアが実現する。そんなことを口にするに、吉田さんはまことにふさわしい人だ。
その吉田さんと、先日日民協の会合で顔を合わせた。やおら財布からお札を抜き出して、「おかしな裁判やられているそうじゃないですか。たいへんですが、がんばって下さい」と、現金のカンパをいただいた。いや、ありがたい。やっぱり、吉田さん。何度でも噛みしめなければならない。こんな大先輩が身近にいることが我が身の幸せなのだと。
(2014年9月2日)
9月1日「震災記念日」である。姜徳相の「関東大震災」(1975年中公新書)と、吉村昭の「関東大震災」(1973年菊池寛賞受賞・77年文春文庫版発行)とを読み返した。
前者は、「未曾有の天災に生き残った人をよってたかってなぶり殺しにした異民族迫害の悲劇を抜いて、関東大震災の真実は語れない」「朝鮮人の血しぶきは、日本の歴史に慚愧の負の遺産を刻印した」との立場に徹したドキュメント。後者も、125頁から229頁までの紙幅を費やして、震災後の朝鮮人虐殺、社会主義者虐殺(亀戸事件)、大杉栄・伊藤野枝(および6才の甥)惨殺の経過を詳細に描写している。
姜の書の中に、「自警団員の殺し方」という一章がある。「残忍極まる」としか形容しがたい「なぶり殺し」の目撃談の数々が紹介され、「死体に対する名状し難い陵辱も、また忘れてはならない。特に女性に対するぼうとくは筆紙に尽くしがたい。『いかに逆上したとはいえこんなことまでしなくてもよかろうに』『日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない』との感想を残した目撃者がいることだけ紹介しておこう」と結ばれている。
中国では柳条湖事件の9月18日を、韓国では日韓併合の8月29日を、「国恥の日」というようだ。今日9月1日は、日本の国恥の日というべきだろう。現在の日本国民が、3世代前の日本人が朝鮮人に対してした残虐行為を、恥ずべきことと再確認すべき日。
災害を象徴する両国の陸軍被服廠跡地が東京都立横網町公園となっており、ここに東京都慰霊堂が建立されている。その堂内に「自警団」という大きな油絵が掲げられている。いかなる意図でのことだろうか。無慮6000人の朝鮮人を虐殺したこのおぞましい組織は、各地で在郷軍人を中心につくられた。
「在郷軍人というのは何か。軍人教育を受け、甲午農民戦争や日露戦争やシベリア出兵、こういうもので戦争経験をしている。朝鮮人を殺している。こういう排外意識を持った兵士たち」(姜徳相講演録より)なのだ。
なるほど、甲午農民戦争(1894年)や日露戦争(2004年)を経て、日韓併合(2010年)、シベリア出兵(1918年)、そして3・1万歳事件とその弾圧(1919年)を経ての関東大震災(1923年)朝鮮人虐殺なのだ。当時、既に民族的差別意識と、民族的抵抗への憎悪と、そして後ろめたさからの報復を恐れる気持ちとが、広く国民に醸成されていた時代であった。歴史修正主義派は、この点についての責任糊塗にも躍起だが、「新たな戦前」をつくらないためにも、多くの日本人に、加害者としての歴史を確認してもらわねばならない。
過日、高校教師だった鈴木敏夫さんから、「関東大震災をめぐる教育現場の歴史修正主義」という論文(大原社会問題研究会雑誌・2014年6月号)の抜き刷りをいただいた。その中に、高校日本史の教科書(全15冊)がこの問題をどう扱っているかについての分析がある。
「朝鮮人・中国人虐殺に触れているか。人数の表記はどうなっているか」「虐殺(殺害)の主体はどう書かれているか」「労働運動、社会主義運動の指導者の殺害に触れているか」について、「さまざまな努力により、濃淡の差はあるが、…総じて最近の学界の研究成果を反映した内容になっている」との評価がされている。
末尾の資料の中から、いくつかの典型例を紹介したい。
東京書籍『日本史A 現代からの歴史」が最も標準的で充実してる記載といえよう。
○小見出し「流言と朝鮮人虐殺」
「社会的混乱と不安のなかで、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こすという事実無根の流言が広まった。警察・軍隊・行政が流言を適切に処理しなかったこと、さらに新聞が流言報道を書きたてたことが民衆の不安を増大させ、流言を広げることになった。
関東各地では、流言を信じた民衆が自警団を組織した。自警団は、在郷軍人会や青年団などの地域団体を中心にして、警察の働きかけにより組織された。彼らは刀剣や竹槍で武装し通行人を検問して朝鮮人を取り締まろうとした。こうしたなかで、首都圈に働きにきていた数多くの朝鮮人や中国人が軍隊や自警団によって虐殺された。「朝鮮人暴動説」は震災の渦中で打ち消されたが、虐殺事件があいついだのは、民衆の中に根強い朝鮮人・中国人蔑視の意識があったからであった。
また、震災の混乱のなかで、労働運動家や社会主義者らにも暴行が加えられ、無政府主義者大杉栄らが殺害される事件が起きた。」
(注に、死者数として「朝鮮人数千人、中国人700人以上と推定される」
清水書院『高等学校日本史A 最新版』が最も詳細。
○[こらむ関東大震災]
「1923年9月1日午前11時58分、関東地方をマグニチュード7.9という大地震が襲った。ちょうど昼食の準備の時間で火を使っていた家庭も多く、各地で火災が発生した。家屋の大半が木造で、水道も破壊され消火活動がほとんど不可能であったことも被害を拡大させた。東京・横浜両市の6割以上が焼きつくされ、関東地方全体で10万の死者と7万の負傷者を出し、こわれたり焼けたりした家屋は70万戸に及んだ。通信も交通もとだえ、余震が続くなかで、翌日から朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ、放火をしてまわっている、暴動をおこすらしいなどのうわさが流れはじめた。
東京市および府下5郡にまず戒厳令が出され、続けて東京府、神奈川・千葉・埼玉3県にその範囲が拡大された。『戒厳』とは、戦争に準ずる内乱や暴動の場合に、軍事上の必要にこたえて行政権と司法権を軍司令官に移しこれに平時の法をこえた強大な権限をあたえることであるが、この戒厳令下で、軍隊と警察は『保護』と称しで大量の朝鮮人をとらえ、留置場に収容したり、殺したりした。また民衆もうわさを信じ、在郷軍人会や青年団、消防団などを中心に自警団をつくり、刀剣・竹やり・木刀などで武装して、通行人を検問し、朝鮮人を襲った。この朝鮮人に対する殺傷は東京・神奈川・埼玉・千葉などを中心に7日ごろまで続き、約6、000人が殺された(『韓国独立運動史』による。内務省調査では、加害者が判明した分として。朝鮮人231人、中国人3人としている)。そのほか中国人も多数被害にあっており、江東区大島だけでも約400人が虐殺された。
また労働運動家10名が警察にとらえられ、軍隊に殺された亀戸事件、甘粕事件がおこるなど、首都を壊滅状態にした災害の混乱のなか、警察や軍隊そして民衆の手による、罪も無い人びとの虐殺がおこなわれた」
(注に、「亀戸事件」「甘粕事件」の説明がある)
実教出版『高校日本史B』は、簡略ながら必要事項がよく書き込まれている。
○小見出し「関東大震災」
「1923(大正12)年9月1日、関東大震災がおこった。震災直後の火災が京浜地方を壊滅状態に陥れ、混乱のなかで、『朝鮮人が暴動を起こした』などという民族的偏見に満ちたうわさがひろめられ、軍隊・警察や住民が組織した自警団が、6、000人以上の朝鮮人と約700人の中国人を虐殺した。また、無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝が憲兵大尉甘粕正彦に殺害され(甘粕事件)、労働運動の指導者10人が軍隊と警察によって殺害された(亀戸事件)。」
さらに、次の段落で、「天譴論」にふれている。また「政府は個人主義の風潮、社会主義の台頭を警戒して、国民精神作興詔書を出すなど思想取り締まりを強化した。震災は国家主義的風潮が強まるきっかけともなった。」と書いている。
山川出版社『詳説日本史』は背景事情への目配りがよい。
○小見出し「関東大震災の混乱」(コラム)
「関東大震災後におきた、朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は、自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、他に例を見ないものであった。流言により、多くの朝鮮人が殺傷された背景としては、日本の植民地支配に対する恐怖心と、民族的な差別意識があったとみられる。9月4日夜、亀戸警察署構内で警備に当たっていた軍隊により社会主義者10名が殺害され、16日には憲兵により大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥が殺害された。市民・警察・軍部ともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使したことがわかる。」
一方、採択率は微々たるものだが、「『つくる会』系教科書の先輩格」(鈴木)である明成社『最新日本史』の記載は次のとおり。「これでも検定を通るのかと驚く」(同)のレベル。
○小見出し「戦後恐慌と関東大震災」(縦書き)
「大正十二年(1923)九月一日、大地震が関東一円を襲い、京浜地帯は経済的には大打撃が受けた(関東大震災)。」
・注1「大震災による被害は、全壊一二万戸。全焼四十五万戸、死者・行方不明者十万数千人に及んだ。混乱の中、無政府主義者大杉栄と伊藤野枝が憲兵大尉甘粕正彦に殺害された。また、朝鮮人に不穏な動きがあるとする流言に影響された自警団による朝鮮人殺傷事件が頻発した。その一方、朝鮮人を保護した民間人や警察官もいた。また、政府は戒厳令を布き事態の収拾に当たった。」
心ある高校生には、教科書から一歩踏み出して、せめて吉村昭「関東大震災」に目を通してもらいたいと願う。決して心地よいことではないが、勇気をもって歴史と向かいあうことの必要性が理解できるのではないだろうか。
(2014年9月1日)
本日、『DHCスラップ訴訟』で原告(DHCおよび吉田嘉明)からの「訴えの追加的変更申立書」に接した。私に対する損害賠償請求金額は、これまで2000万円だった。これを6000万円に拡張するという。4000万円の増額。一挙に3倍化達成である。
訴状において原告らの名誉を毀損するとされた私のブログは、次の3本。再度ご覧いただけたらありがたい。いずれも、政治を金で買ってはならないという典型的な政治的批判の言論である。
https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
これに追加して、新たに次の2本のブログもDHCおよび吉田嘉明の名誉を毀損するものだとされた。これまで、「DHCスラップ訴訟」を許さないシリーズは、第1弾?第19弾となっているが、そのうちの第1弾と第15弾の2本が取りあげられたのだ。
https://article9.jp/wordpress/?p=3036 (2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴
?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第1弾
https://article9.jp/wordpress/?p=3267 (2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ
?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾
これまでは3本のブログ(その中の8か所の記載)で2000万円の請求。今度は、2本増やして合計5本のブログで6000万円。単純な差し引き計算では、「DHCスラップ訴訟」を許さない・シリーズの2本のブログが4000万円の請求増額の根拠。1本2000万円ということになる。
馬鹿げた話しだ。請求金額に何の根拠もないことを自ら語っているに等しい。要するに、「DHC・吉田批判を続けている限り、際限なく請求金額をつり上げるぞ」という、訴訟を武器にした恫喝にほかならない。
さて、4000万円増額の根拠となった2本のブログのどこが原告両名の名誉を毀損したものか。6か所あるという。以下のイタリック体の記載部分とされている。
「第1弾」5か所
?いけません 口封じ目的の濫訴
?私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。
?DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。
?DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。
?原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。
「第15弾」1か所
?私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。
読者には是非熟読いただきたい。そして、それぞれの常識でご判断いただきたい。これが果たして「違法」なのか。このような言論が違法と烙印を押されてよいものだろうか。4000万円の損害賠償に値するなどということが、一体考えられることだろうか。
判断はお任せするが、私が先日法廷で陳述したことの一部を再度掲載して、ご参考に供したい。
「私の言論の内容に、根拠のないことは一切含まれていません。原告吉田嘉明が、自ら暴露した、特定政治家に対する売買代金名下の、あるいは金銭貸付金名下の巨額のカネの拠出の事実を前提に、常識的な論理で、原告吉田嘉明の行為を『政治を金で買おうとした』と表現し批判の論評をしたのです。
仮にもし、私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判的言論は成り立たなくなります。原告らを模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌って、濫訴を繰り返すことが横行しかねません。そのとき、ジャーナリズムは萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は後退を余儀なくされることでしょう。それは、権力と経済力がこの社会を恣に支配することを許容することを意味し、言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。」
(2014年8月31日)
戦争を語るべき8月も残り僅か。昨日に続いて、話題はヘイトスピーチ。
日本における民族的な差別意識は、侵略戦争と植民地侵脱の準備の過程で人為的につくられ、煽られたものだ。かつての圧倒的な文化大国・中国、文化先進国・朝鮮、そして西洋文明の一端を形成していたロシアやその国民に対して、日本国民は概ね畏敬ないしは敬愛の念を抱いていた。少なくも近世まではそうだった。
しかし、そのような消極的民族意識では対外戦争はできない。とりわけ、国家の総力を挙げての近代戦争は不可能である。戦争には、経済的・軍事的な国家総動員だけではなく、国民精神総動員が必要で、国民精神動員の方向は、仮想敵国への差別意識を植えつけ、これを侮蔑し、さらには憎悪の対象とすることにある。敵として憎む心なければ、闘うことはできないのだから。
植民地政策の遂行にも、根拠のない自国の優越意識と、煽動された他国への侮蔑的感情の醸成が必要であった。
そのような国民精神を、国家主導の教育とメディアが作り出した。当時の国民の多くが煽動された結果とはいえ、これに易々と掬い取られた。
日米友好の象徴として語られる「青い目の人形」がアメリカから日本各地の小学校に送られたのは1927年のことである。私の母の母校も人形をもらっている。ちょうど母が6年生のころのことだ。この人形は大切にされたはず。
その母が成人し結婚するころには、人形を送ってくれた国民を「鬼畜米英」という社会になっていた。人種や民族による差別意識の醸成は、人権の侵害であるだけでなく平和への脅威であり、再びの戦争の準備でもある。ヘイトスピーチは、それ自体が人権侵害であるばかりでなく、平和への脅威としても根絶を要する。
あらためて「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」を読み直してみた。
その前文の一節に、「人種、皮膚の色又は種族的出身を理由とする人間の差別が諸国間の友好的かつ平和的な関係に対する障害となること並びに諸国民の間の平和及び安全並びに同一の国家内に共存している人々の調和をも害するおそれがあることを再確認し…」と明記されている。
いま日本に蔓延しているヘイトスピーチは、「日本と近隣諸国間の友好的かつ平和的な関係に対する障害、諸国民の間の平和及び安全を害して」おり、また「日本という同一の国内に共存している、日本人と日本以外の出自をもつ人々との調和をも害する」ることが明らかではないか。差別は、国家間・国民間の平和と安全そして調和を害することが国際条約において確認されているのだ。
ところで、この国際条約のハイライトは第4条である。読みやすく抜粋して引用しておきたい。
「締約国は、
《人種の優越性若しくは皮膚の色や種族的出身の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体》又は
《人種的憎悪及び人種差別を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体》
を非難し、
《差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとること》
を約束する。
このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、すべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対するいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。
(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。」
「人種(民族)的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布や差別の扇動は、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言」したうえに、「人種差別を助長し及び扇動する宣伝活動を犯罪として禁止する」ことが締約国の義務となっている。これがグローバルスタンダードなのだ。
この国際条約は、1965年12月21日第20回国連総会で全会一致で成立した。しかし、我が国が批准したのはなんと30年後の1995年12月15日。締約順位は146番目であった。人権後進国との批判は避けられない。
しかも、日本は、第4条に関して「日本国憲法の下における『集会、結社及び表現の自由その他の権利』の保障と抵触しない限度において、これらの規定による義務を履行する。」という留保を宣言している。だから、日本にはヘイトスピーチそのものを処罰対象とする刑罰規定はない。
その国際条約の履行を確保するために、条約自身が国連に「人種差別撤廃委員会」を置くことを定めている。その委員会が、日本のヘイトスピーチに大きな関心をもった。7月の「規約人権委員会」の勧告に続いて、昨日(8月29日)日本政府に対して、さらに厳しい勧告がなされたことが報道されている。
勧告の全文は大部で多項目にわたるもののようだ。ヘイトスピーチ問題だけではなく、慰安婦問題にも、「琉球民族問題」にも触れているという。
毎日の報道を抜粋する。
「ヘイトスピーチ 起訴含め刑事捜査を日本に勧告 国連委
ジュネーブにある国連の人種差別撤廃委員会は29日、異なる人種や少数民族に対する差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)を行った個人や団体に対して『捜査を行い、必要な場合には起訴すべきだ』と日本政府に勧告した。インターネットを含むメディアでのヘイトスピーチについても適切な措置をとることを要請。
国連人権委員会も7月、ヘイトスピーチなど人種差別を助長する行為の禁止を勧告。両委員会の勧告に強制力はないが、国連がヘイトスピーチへの厳しい対応を相次いで求めたことで、日本政府や国会は早期の対応を迫られた形だ。
撤廃委員会の最終見解は、前回に比べ、ヘイトスピーチの記述が大幅に増加。日本での問題の深刻化を印象づけた。見解は、日本での暴力的なヘイトスピーチの広がりに懸念を表明。一方で、ヘイトスピーチ対策を、その他の抗議活動などの『表現の自由』を規制する『口実にすべきではない』ともくぎを刺した。
日本は人種差別撤廃条約に加盟するが、ヘイトスピーチの法規制を求める4条は『表現の自由』を理由に留保している。委員会はこの留保の撤回も求めた。
国連の日本に対する苛立ちがよくわかる。また、「ヘイトスピーチ対策を、その他の抗議活動などの『表現の自由』を規制する『口実にすべきではない』ともくぎを刺した。」という言及にはよく耳を傾けなければならない。とりわけ、自民党は。そして、高市早苗政調会長は。
従軍慰安婦問題については、産経の報道が詳しい。
「慰安婦の人権侵害調査を」国連人種差別撤廃委 ヘイトスピーチ捜査も要請
国連の人種差別撤廃委員会は29日、人種差別撤廃条約の履行を調査する対日審査を踏まえ、慰安婦問題について、慰安婦に対する人権侵害を調査し、責任者の責任を追及することなどを勧告する「最終見解」を公表した。
最終見解では、…「真摯な謝罪表明と適切な補償」を含む包括的な解決を目指し、慰安婦への中傷や問題を否定する試みを非難するよう求めた。
20、21日の対日審査では元慰安婦が「売春婦」とも呼ばれていることなどへの懸念が委員から示され、日本側は従来の取り組みを説明するなどした。4回目となる同委の最終見解で慰安婦問題への言及は初めて。
また、沖縄の人々を「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告する内容も含まれているという。
最終見解は、日本政府が沖縄の人々を「先住民族」と認識していないとの立場に「懸念」を表明。また、消滅の危機にある琉球諸語(しまくとぅば)の使用促進や、保護策が十分に行われていないと指摘。教科書に琉球の歴史や文化が十分に反映されていないとして、対策を講じるよう要求した。(琉球新報)
ことほど、差別問題は広範囲にわたる。差別自体に憤りを禁じ得ないことは当然として、歴史認識と結びつき、かつての侵略戦争や植民地主義と一体となった民族差別に、わけても今進行している安倍政権下でのヘイトスピーチの横行に、平和主義の観点からも敏感でなければならないと思う。
(2014年8月30日)
命題? 「言論の自由は民主主義に不可欠な基本権として最大限に尊重されねばならない。公権力はこれを規制してはならない。」
命題? 「ヘイトスピーチは人間の尊厳を否定する唾棄すべき言論として排斥されねばならない。公権力はこれを規制しなければならない。」
おそらく、多くの国民が上記2命題の両者をともに肯定するだろう。「在日韓国・朝鮮人をののしるヘイトスピーチ(憎悪表現)に対し、67%が『不快だ』と答え、『不快ではない』は7%だった(毎日・8月25日)」という世論調査結果はうなずけるところ。
しかし、「言論の自由は尊重せよ」「ヘイトスピーチは取り締まれ」は、いずれも決して政権の真意ではない。できることなら政権批判の言論の自由は規制したい。本音をいうならヘイトスピーチに目くじら立てたくはない。ヘイトスピーチを許容する排外主義の空気が安倍政権を生み、安倍政権の誕生がヘイトスピーチの蔓延を勢いづかせ助長しているのだ。
しかも、「尊重すべき言論」と「取り締まるべきヘイトスピーチ」との境界は、必ずしも明確とは言い難い。あるいはことさらに曖昧にされる危険も避けられない。
そのため、ヘイトスピーチの規制が、言論一般の規制となる可能性を否定し得ない。両刃の剣となりうることを憂慮せざるを得ない。
なにしろ、立法段階でも、法の適用の段階でも、ヘゲモニーを握っているのはこれまでの保守とは明らかに異なる安倍政権の側である。信頼できようはずがない。
まず、どのような法律が作られるか。今の国会の勢力分布では、羊頭狗肉よろしく、「ヘイトスピーチ規制法」の看板で、「言論弾圧立法」が成立する虞なしとしない。
さらに、法の適用が公平に憲法の理念に忠実になされる保証もない。突出した歴史修正主義者を首相に戴いている内閣である。従軍慰安婦問題ではNHKに圧力をかけ、河野談話を見直し、靖国参拝を強行し、過去の戦争を侵略戦争とは認めようとはしない立場を鮮明にし、さらに「自らの魂を賭して祖国の礎となられました昭和殉難者の御霊に謹んで哀悼の誠をささげます」とまで言っている人物が権力を行使するのだ。
国連規約人権委員会はこの7月に、日本政府に対し「ヘイトスピーチ禁止措置」を求める改善勧告を出している。国際的に見て、日本の「ヘイトスピーチ」は看過できない重大問題となっているのだ。何とかしなければならない。
それでもなお、規制立法には不安が残ると逡巡しているところに、案の定というべき「自民党ヘイトスピーチPT」の動きである。まずは、産経のネットニュースが次のように報じた。
「国会周辺の大音量デモ、規制検討 自民ヘイトスピーチPTで」という見出し。
「ヘイトスピーチ規制」ではなく、「国会周辺の大音量デモ規制」が主役にすり替えられているではないか。
「自民党は28日、『ヘイトスピーチ』と呼ばれる人種差別的な街宣活動への対策を検討するプロジェクトチーム(座長・平沢勝栄政調会長代理)の初会合を党本部で開き、憲法が保障する『表現の自由』を考慮しながら対策を検討することを確認した。国会周辺での大音量のデモに対する規制も併せて議論する。」
「一方、拡声器を使った国会周辺での街宣活動は現在も静穏保持法で禁じられている。ただ、同法による摘発事例は少なく、高市早苗政調会長は『国民から負託を受けているわれわれの仕事環境も確保しなければならない』と述べ、同法改正も含め検討する考えを示した。国会周辺では毎週金曜日に反原発のデモが行われている。」(2014.8.28 13:15から抜粋)
さすが産経。自民党の意図をよく読んでいる。本来、「ヘイトスピーチ」と「国会周辺でのデモの規制」とは何の関わりもない。曰くありげに二つを結びつけ、「国会周辺では毎週金曜日に反原発のデモが行われている」とその標的とするところを的確に読者に伝えている。
ヘイトスピーチ規制をダシに、反原発・反格差のデモを規制しようというのだ。国連からの勧告や世論を逆手に、「ヘイトスピーチ規制」という羊頭を掲げて、「言論の自由規制」という狗肉を売ろうというのだ。
東京新聞が的確に解説している。
「自民党は二十八日、人種差別的な街宣活動『ヘイトスピーチ』(憎悪表現)を規制するとともに、国会周辺の大音量のデモ活動の規制強化を検討し始めた。デモは有権者が政治に対して意思表示をするための重要な手段。その規制の検討は、原発や憲法などの問題をめぐる安倍政権批判を封じる狙いがあるとみられる。」
安倍政権を批判するところに、言論の自由尊重の意味がある。ヘイトスピーチ規制を政権批判の言論規制にすり替えられてはたまらない。ヘイトスピーチは社会のマイノリティーの人格を貶める言論。国会デモは、権力に対する市民の批判の言論である。両者の理念には、天と地ほどの差異がある。
冒頭の「命題?」を絶対に譲ってはならないのだ。ましてや、「命題?」を逆手にとっての言論規制をさせてはならない。メディアの扱いの小さいことに、一抹の不安を覚える。言論の自由に関わる問題に、鈍感に過ぎないか。
(2014年8月29日)
本日は、下記ホームページの紹介である。
「多菊和郎のホームページ」http://home.a01.itscom.net/tagiku/
多菊さんは、NHKのOB。
8月21日、NHK退職者有志が、NHK経営委員会に対して「籾井勝人会長に対して辞任勧告をせよ、会長がこれに応じない場合には罷免せよ」という申し入れを行ったことが話題となっている。申入は、賛同者1527名の名をもって行われた。浜田委員長ならずとも、「退職者の1割が署名したというのは、少ない数字ではない」(8月26日時事)と言わざるを得ない。
「NHK全国退職者有志のホームページ」http://obseimei.sakura.ne.jp/ を開くと、呼びかけ人180名の中に、「多菊和郎(報道番組プロデューサー・国際放送局国際企画部長)」を見つけることができる。彼も、1527のドラマのひとこまをプロデュースしていたのだ。
実は多菊さんは私の学生時代の同級生。1964年進学の東大文学部社会学科で席を同じくした仲である。とはいえ、当時親しかった記憶はない。いや、お互いの存在すら知らなかった。わずか30人ほどのクラスでのこと。私の授業への出席率が極端に悪かったからなのだ。当時私は、もっぱら生活費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れていた。
その多菊さんと、偶然この7月に初対面同然で巡り会った。そして、彼がNHKに勤務していたこと、既に退職し、OBとして籾井勝人会長の発言に怒り心頭であること、退職者有志1000人の糾合を目標に会長罷免要求の賛同者を集めて運動していることなどを知った。
なによりも驚いたのは、彼がNHK退職者でありながら、受信料支払い停止を実践していることだった。しかも学ぶべきは、彼の行動が実に堂々としていることである。匿名に隠れたり、遅疑逡巡するところが皆無なのだ。信念の行動であると感じさせずにはおかない。
彼には、「放送受信料制度の始まり? 『特殊の便法』をめぐって?」(江戸川大学紀要『情報と社会』第19号 2009年3月14日発行)というボリューム十分な論文がある。
「NHKを定年退職し大学の教員をしていた2008年に、上記題名の論文を書きました。大正末期のラジオ放送開始に際して聴取料制度がどのように形づくられたかを検証したもので今日の時事的なテーマを扱ったわけではありません。しかし執筆の動機となった出来事は直近のNHK経営問題でした。」というもの。
彼は、受信料制度を支持する立場である。しかし、「2004年7月に明るみに出たNHK職員による巨額の番組制作費不正支出問題に端を発して,多くの視聴者が受信料支払いの拒否や保留に転じたためNHKの経営が危機に瀕した」事件に関して、「少なからぬ受信者が…NHKの側が十分に“視聴者に顔を向けた”放送局でなかったために,視聴者の“権利”のうちの『最後の手段』を行使した。その意味では,受信料制度は破綻したのではなく,設計どおりに機能したと言えよう」と、視聴者の「最後の手段」としての受信料支払い拒否を「制度の設計どおりの機能」と肯定する。
その一方で、「なお一点確認しておくべきことがある。それは,NHKの経営基盤が弱体化すれば,政治権力は間髪を容れずこのメディアヘの支配権拡大に着手することがはっきりと見えたことである」ともいう。
視聴者の賢い対応で、公共放送を育てていくことが必要だということなのだろう。
ほかならぬその彼の受信料支払い停止実践の記録が、紹介するホームページに掲載されている。
掲載文書は以下のもの。とりわけ、「3 受信料支払い停止の経緯」が興味深い記録。
1 籾井勝人NHK会長あて「会長職の辞任を求める書簡」(2014年3月3日付)
2 浜田健一郎NHK経営委員長あて「NHK会長の罷免を求める書簡」(2014年3月3日付)
3 受信料支払い停止の経緯に関する報告資料
4 参考資料 「放送受信料制度の始まり」(論文)
いろんなところで、自分の持ち場となるところを定めて、民主主義や人権を自分自身の生き方の問題としてとらえて、深くものを考え実践している人がいる。そのことに心強さを感じる。この社会、まだ捨てたものではない。
(2014年8月28日)
各紙の本日(8月27日)夕刊の報道によれば、経団連は来月にも会員企業への政治献金呼びかけを再開する予定という。これは、「政治をカネで買おう」「政策をカネで買いつけよう」という卑しい行為の呼びかけではないか。主権者国民にとって黙っていられることではない。
榊原定征経団連会長は、6月の就任時に「安倍晋三政権との二人三脚で日本経済の再生に取り組む考え」を強調している。二人三脚で実現しようとという政策とは、原発再稼動であり、原発輸出であり、武器輸出であり、消費増税であり、企業減税であり、TPPも、労働基準法のなし崩しも、福祉切り捨ても、企業のための教育再生も…。要するに、庶民泣かせの企業優先政策ではないか。こんな安倍自民党に財界がカネを注ぎこむことは、壮大な「政治の売買」「政策の売買」以外のなにものでもない。
経団連の側からみれば、「大きな儲けのための、ほんのささやかな投資」であり、安倍自民の側からは「スポンサーからのありがたいご祝儀」なのだ。持ちつ持たれつの腐れ縁である。
政治献金とは宿命的に見返りの期待と結びついている。企業はその利益のためにカネを出すのだ。たとえ、目先の利益ではない遠い先の利益であっても、利益と結びつかないカネの支出は株主の許すところではない。中小企業家は中小企業家なりの利益のために、労働組合はその組合員の利益のために。そして、力も名もない庶民は、庶民としての自分のささやかな利益を実現する政党・政策のために貧者の一灯をともすのだ。
大企業や大金持ちが、多額のカネを拠出するとき、政治や政策をカネで買ってはならないと批判しなければならない。一方、庶民の零細な資金が集積されて政治に反映されるときには、民主政治の健全な在り方と積極評価されることなる。それが当たり前のことなのだ。民主主義社会においては、数がものをいうのが当然で、カネの多寡にものを言わせてはならないのだ。
政治資金規正法は、ザル法と言われながらも、世論が厳しくものを言う度に、ザルの目は少しずつではあるが密になってきている。また、これまで5年間も経団連が献金あっせんして来なかったのも、世論に遠慮してのこと。すべては世論次第。
確認しておこう。政治資金規正法は、どこまでザルの目を細かくしてきたか。会社・労働組合から、政治家個人・資金管理団体への献金は禁止されている。企業・労働組合から、政党・政治資金団体への献金は許されているが、その規模に応じて年間750万円?1億円の限度が設けられている。また、法の趣旨は、政治献金を奨励するものではない。積極的に献金を公開することで透明性を確保し、国民の監視と批判を期待しているのだ。
ところがいま、経団連には安倍自民と二人三脚で持ちつ持たれつの取引をしても、世論の風当たりは大したことはないと見えているのだろう。これにきついお灸をしておかないと取り返しの付かないことになる。
大企業や大金持ちから献金を受けている政党に、庶民のための政治を期待することがそもそも無理な話。政治資金の流れに目を光らせ、賢い庶民の投票行動を期待するのが民主政治である。
安倍政権には、思い知らさねばならない。財界との蜜月の関係は、政権与党に潤沢な政治資金をもたらすののかも知れないが、民衆からの支持の離反を招くものであることを。
(2014年8月27日)
1941年は、旧体制が日中戦争の泥沼から抜け出せないままに、破滅に向けて米・英・蘭への宣戦を布告した年として記憶される年。
既に前年10月主要諸政党は解散して大政翼賛会に吸収されていた。国家総動員法が国民生活を締めつけている中で、この年は1月8日観兵式における陸相東条英機の戦陣訓示達であけた。未曾有の規模の重慶爆撃の凶事があり、仏領インドシナへの進攻があり、治安維持法の大改悪と国防保安法の制定があり、4度の御前会議で対英米戦開戦が決せられて、東条内閣がその引き金を引いた。
注目すべきは、この年の5月、究極の戦時態勢下に文部省が「国民礼法」を制定していることである。併せて同時期に、実質的に文部省による「国民学校児童用礼法要項」「〈文部省制定〉昭和の国民礼法」「昭和国民礼法要項」「礼法要項〈要義〉」などの解説本が刊行されている。体制の「国民礼法」へのこのこだわりかたはいったい何なのだろうか。
早川タダノリという、戦時国民生活の研究者(ずいぶん若い方のようだ。文章は分かり易く、新鮮な視点から教えられることが多い)が次のように書いている。
昭和16(1941)年に「国民礼法」が制定されたのは、特定の階級のマナーを全国民に「強制的同質化」しようとした試みであるように思われてならない(委員会の座長は徳川義親だったしね)。「国民礼法」に付された文部省の序文では、次のように書かれている。
礼法は実は道徳の現実に履修されるものであり、古今を通じ我が国民生活の規範として、全ての教養の基礎となり、小にしては身を修め、家を齋へ、大にしては国民の団結を強固にし、国家の平和を保つ道である。宜しく礼法を実践して国民生活を厳粛安固たらしめ、上下の秩序を保持し、以て国体の精華を発揮し、無窮の皇運を扶翼し奉るべきである。(『国民学校児童用 礼法要項』昭和十六年)
――結論をはっきり言ってくれているから、付け加えることもないほどである。
「昭和国民礼法要項」(1941年5月発行)の目次は、次のとおりだという(ある方のブログから引用させていただく)。
前編及び注釈
第一章 姿勢
第二章 最敬礼
第三章 拝礼
第四章 敬礼・挨拶
第五章 言葉使い
第六章 起居
第七章 受渡し
第八章 包結び
第九章 服制
後編
皇室に関する礼法
第一章 皇室に対し奉る心得
第二章 拝謁
第三章 御先導
第四章 行幸啓の節の敬礼
第五章 神社参拝
第六章 祝祭日
第七章 軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳
家庭生活に関する礼法
第八章 居常
第九章 屋内
第十章 服装
第十一章 食事
第十二章 訪問
第十三章 応接・接待
第十四章 通信
第十五章 紹介
第十六章 慶弔
第十七章 招待
社会生活に関する礼法
第十八章 近隣
第十九章 公衆の場所
第二十章 公共物
第二十一章 道路・公園
第二十二章 交通・旅行
第二十三章 集会・会議
第二十四章 会食
第一節 席次
第二節 和食の場合
第三節 洋食の場合
第四節 支那食の場合
第五節 茶菓の場合
第二十五章 競技
第二十六章 雜
「第七章 軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳」だけ、内容を紹介しておきたい。
一、 軍旗、軍艦旗に対しては敬礼を行う。
二、 国旗は常に尊重し、その取り扱いを丁重にする。汚損したり、地に落としたりしてはならない。
三、 国旗は祝祭日その他、公の意味ある場合にのみ掲揚し、私事には掲揚しない。特別の場合の外、夜間には掲揚しない。
四、 国旗はその尊厳を保つに足るべき場所に、なるべく高く掲揚する。門口には単旗を本体とし右側(外から向かって左)に掲揚する。二旗を掲げる場合は、左右に並列する。室内では旗竿を用いないで、上座の壁面に掲げてもよい。
五、 外国の国旗と共に掲揚する場合は、我が国旗を右(外から見て左)とする。旗竿を交叉する場合、我が国旗の旗竿を前にし、その本を左方(門外から見て右)とする。二カ国以上の国旗と共に掲揚する場合は我が国旗を中央とする。
六、 旗布の上端は旗竿の頭に達せしめ、竿頭に球などのある場合は、これに密接せしめる。
七、 団体で国旗の掲揚を行う場合は、旗竿に面して整列し、国旗を掲揚し終わるまで、これに注目して敬意を表す。国旗を下ろす場合もこれに準ずる。
八、 弔意を表すために国旗を掲げる場合は、旗竿の上部に、旗布に接して黒色の布片をつける。球はこれを黒布で覆う。また竿頭からおよそ旗竿の半ばに、もしくはおよそ旗布の縦幅だけ下げて弔意を表すこともある。
九、 国歌を歌うときは、姿勢を正し、真心から寶祚の無窮(皇位の永遠)を寿ぎ奉る。国歌を聴くときは、前と同様に謹厳な態度をとる。
十、 外国の国旗および国歌に対しても敬意を表する。
十一、 天皇陛下の万歳を奉唱するには、その場合における適当な人の発声により、左の例に従って三唱する。
天皇陛下万歳 唱和(万歳)万歳 唱和(万歳)万歳 唱和(万歳)
十二、 万歳奉唱にあたっては、姿勢を正して脱帽し両手を高く上げて、力強く発声、唱和する。最も厳粛なる場合は、全然手を上げないこともある。
【注意】
一、 国旗は他の旗と共に同じ旗竿に掲揚しない。
二、 国旗を他の旗と並べて掲揚するときは、常に最上位に置く。
三、 外国の元首またはその名代の奉迎等、もしくは特に外国に敬意を表すべき場合に限り、その国の国旗を右(外から見て左)とする。
四、 行事のために国旗を掲揚した場合は、その行事が終われば下ろすがよい。
五、 皇族・王(公)族の万歳を唱え奉る場合、もしくは大日本帝国万歳を唱えるときは三唱とする。外国の元首もしくは国家に対する場合もこれに準ずる。その他はすべて一唱とする。ただし、幾回か繰り返してもよい。
六、 万歳唱和後は、拍手・談笑など喧騒にわたることにないようにする。
七、 万歳唱和をもって祝われた人は、謹んでこれを受ける。
八、 万国旗を装飾に用いてはならない。
今にして思えば、この「煩瑣でがんじがらめの礼法(ないし儀礼)の強制」こそが国民生活や国民意識のレベルでの戦争の準備であった。
国家自らが、「身を修め、家を齋へ、国民の団結を強固にし、戦勝による強国の平和を保つ道」と「礼法」を位置づけている。「宜しく礼法を実践して国民生活を厳粛安固たらしめ、上下の秩序を保持し、以て国体の精華を発揮し、無窮の皇運を扶翼し奉るべき」と、臣民に対する外形的儀礼行為の強制を通じて、その内心の「体制的秩序維持、天皇制への無条件忠誠」の精神性を教化(刷り込み)しようとしているのだ。
国旗国歌への敬意表明を強制する、今の都教委や大阪府教委の姿勢のルーツがここにある。1941年を繰り返してはならない。この夏に、深くそう思う。
(2014年8月26日)