澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

DHCが提起したスラップ訴訟の数々ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第22弾

「DHCスラップ訴訟」第2回口頭弁論期日が近づいてきた。
9月17日(水)の午前10時半。東京地裁705号法廷。
表現の自由に関わる今日的なテーマの重要訴訟。可能な方には、是非傍聴をお願いしたい。

法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階ややせめぎ合いの内容について、弁護団からの報告がなされるだけでなく、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。前回(8月20日)の法廷も、事後の報告集会も、たいへん有意義で充実したものだった。今回も、是非多くの方のご参加をお願いしたい。そして、言論の自由という憲法原則を擁護し実現する運動にご参加いただきたい。

本件についてはその内容の重要性にかかわらず、マスメディアが関心を示すことなく報道はおよそ皆無と言って過言でない状態。その理由を解しがたいが、それもまた良し。ブログというツールをもってどれだけのことができるか、挑戦を続けたい。

ところで、私は自分の事件を「DHCスラップ訴訟」と勝手に名付けて、「DHCが起こしたスラップ訴訟」といえば私に対するものと僭称しているが、実は同様の事件は数多くある。

思い出されるのは、一昔前、貸金業界トップの地位にあった武富士が、自社への批判の言論を嫌って、メディアやフリージャーナリスト、あるいは消費者問題に携わる弁護士を被告にスラップ訴訟を連発したこと。一部は自ら取り下げ、あとはことごとく敗訴した。

武富士のスラップ濫発は、主観的には貸金業界への世論の指弾を不当として、巻き返しを意図したものであったろう。そして、自社への批判には損害賠償請求提訴をもって対抗すると宣告することによって、批判を予防的に牽制したのであろう。しかし、スラップの提起自体を、その異常な批判拒否体質の表れとして批判されるに至った。さらに、自ら提起した訴訟が連続して敗訴したことによるダメージは、貸金業界と武富士への世論の指弾をいっそう強める惨めな結果をもたらした。民事訴訟係属中に、武富士の代表者が刑事事件で立件されるというハプニングまであった。

「昔、武富士。今、DHC」である。DHCが、武富士と同じ轍を踏もうとしていると指摘せざるを得ない。みんなの党渡辺喜美代表(当時)への8億円政治資金拠出事件発覚後に限っても、DHCが提起したスラップ訴訟は、これまで判明している限りで下記の10件がある。いずれも、名誉毀損や人格権侵害として、本来問題となるような言論ではない。こんな程度の言論が違法とされたのでは、我が国の言論の自由は窒息死してしまう。

(1)提訴日 2014年4月14日 被告 ジャーナリスト
  請求金額 6000万円
  訴えられた記事の媒体はウェブサイト
(2) 提訴日 2014年4月16日 被告 経済評論家
  請求金額 2000万円
  訴えられた記事の媒体はインターネット上のツィッター
(3) 提訴日 2014年4月16日 被告 弁護士(私)
  請求金額 当初2000万円 後に6000万円に増額
  訴えられた記事の媒体はブログ。
(4) 提訴日 2014年4月16日 被告 業界紙新聞社
  請求金額 当初2000万円 後に1億円に増額
  訴えられた記事の媒体はウェブサイトと業界紙
(5) 提訴日 2014年4月16日 被告 個人
  請求金額 2000万円 
  訴えられた記事の媒体はブログ
(6) 提訴日 2014年4月25日  被告 出版社
  請求金額 2億円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(7) 提訴日 2014年5月8日  被告 出版社
  請求金額 6000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(8) 提訴日 2014年6月16日  被告 出版社
  請求金額 2億円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(9) 提訴日 2014年6月16日  被告 ジャーナリスト
  請求金額 2000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)
(10)提訴日 2014年6月16日  被告 ジャーナリスト
  請求金額 4000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)

訴えられた側の問題とされている各記事の内容は大同小異。「見返りへの期待なしに大金を出すことは常識では考えられない」「8億円の政治資金拠出ないし貸付は、厚生労働行政の規制緩和を期待してのことだろう」との指摘を中心としたもの。中には、「渡辺氏の亡父(渡辺美智雄氏)が厚生大臣であった」「DHCはこれまで規制官庁から数々の行政指導を受けてきた」ことに関連しているという具体的な言及もあるが、誰もが考える常識的な推論を述べているに過ぎない。政治的な言論の範疇にない論及も散見されるが、目くじら立てるほどのものではない。

たった一つ、原告が各訴状の請求原因において、名誉毀損記事と主張した中に、もしかしたらこれは問題となるかも知れないという具体的な事実の指摘がある。
「実は、国税当局は吉田氏の派手なカネの使いぶりにかねた(ママ)から目を付けていた。今回、吉田氏が渡辺氏との1件を暴露したのも、国税当局から警告的なサジェッションを受け、『徳田虎雄氏のようになりたくない』と判断したからとも言われている(DHC関係者)」との記事。

これは、上記(7)事件の訴状請求原因の一節。全10件の訴訟の中で、この部分が唯一の具体性をもった事実摘示と言って差し支えない。ところが、この事件は、8月18日にあっさりと訴えの全部が取り下げられている。この記事の掲載が、公共の利害に関する事実に係るもので、かつ、その主たる目的が公益をはかることにあったことには疑問の余地がない。問題は、その記事の内容の真実性や、真実と信じるについての相当性の有無であるところ、このことについての攻撃防御は未決着のまま、DHC側からの幕引きとなった。

この訴訟が提訴後僅か2か月で取り下げに至った理由は分からない。取り下げ書には、「被告代表者が、知人を通じて原告らに謝罪をしたので、頭書事件を取り下げる」とだけの漠然たる記載があるだけ。その3日後の日付で被告側から、取り下げ同意書が提出されている。これでは、なにゆえの提訴で、なにゆえの取り下げなのか、さっぱり分からない。

確かなことは、原被告双方が相互に譲歩して和解による解決に至ったのではないこと。飽くまで、一方的な原告側からの訴えの取り下げによる訴訟の終了なのだ。被告からの謝罪の意思は、記録上まったく表れていない。前記のとおり、唐突な取り下げ書に原告が一方的に書き込んだ漠然たる記載があるだけ。なによりも、原告は「名誉の回復には、謝罪広告が不可欠である」との主張をしておきながら、謝罪広告なしの事件終了である。6000万円もの損害賠償請求の本気度を疑わざるを得ない。

問題は、「政治とカネ」にまつわる批判の言論を誰もが堂々と自由に述べることができるのか、それとも萎縮を余儀なくされるのか、という重大事である。あらゆる情報を持ち寄り、意見を交換して、不当な言論萎縮効果を狙ってのスラップ訴訟を許さぬ世論を作り育てあげなければならない。「DHCスラップ訴訟」の被告とその弁護団は、まさしくその核になろうとしている。是非、法廷と集会に足を運んでいただき、議論にもご参加いただきたい。
(2014年9月14日)

戦争を繰り返してはならない。原子力発電も同じだ。

「原発」は「戦争」によく似ている。
国家の基幹産業と結びつき、国益のためだと語られる。国民の支持取り付けのために「不敗神話」とよく似た「安全神話」が垂れ流される。隠蔽体質のもとに大本営発表が連発される。その破綻が明らかとなっても撤退は困難で、責任は拡散して限りなく不明確となる。中央の無能さと現場の独断専行。反省や原因究明は徹底されない。そして、始めるは易く、終わらせるのは難しい。

死者にむち打ちたくないという遠慮はあるが、それにしても「吉田調書」を見ていると、現場の傲慢さや独断専行ぶりは皇軍の現地部隊を思わせる。シビリアンコントロールや、中央からの統制が効かない。中央は、現地部隊の独断専行を最初は咎めながらも、無策無能ゆえに結局は容認する。

満州事変で、中央の不拡大方針に反して独断で朝鮮軍を満州に進め、「越境将軍」と渾名された林銑十郎などを彷彿とさせる。明らかに重大な軍紀違反を犯しながら、失脚するどころか後に首相にまでなっている。国民や兵士に思いは至らず、「愚かな中央」を見下す傲慢さが身上。石原完爾、板垣征四郎、武藤章、牟田口廉也など幾人もの名が浮かぶ。

吉田所長も同様。本社や官邸と連携を密にし、一体として対処しようという意識や冷静さに欠け、自己陶酔が見苦しい。
「問:海水による原子炉への注水開始が(3月12日)午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?

答:正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした。ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです。」

これを美談に仕立て、「愚かな官邸・本社に対する現場の適切な判断」と見る向きがあるが、とんでもない。結果論だけでの評価は危険極まる。現場と官邸・本社との連携の悪さとともに、皇軍の現地部隊同様の独断専行の弊は徹底して反省を要する。

この独断専行の裏には、次のような官邸・中央に対する反感がある。
「時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている」

管首相に対する言葉遣いの乱暴さにも辟易する。
「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」
「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」
「あのおっさん(管首相のこと)がそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」

戦争と同じく、成功体験だけが記憶に刻み込まれている。中越地震時(2007年)の柏崎刈羽原発の経験が次のように、悪い方向で働いている。
「えらい被害だったんですけれど、無事に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった」「やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」

最後に、過酷事故に至った原因について、およそ反省がない。
「貞観津波のお話をされる方に、特に言いたい。・・何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などには関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」

原発事故後の混乱した精神状態によるものと差し引いて聞いても、背筋が凍るような発言ではないか。事故があり、吉田調書が現れなければ、原発の現場がこれほどにも投げやりで乱暴で、責任押し付け合いの状態で運営されているとは誰も夢にも思っていなかっただろう。

こうした東京電力や規制庁の体質が改善されたという保証はない。汚染水も放射性物質の貯蔵も廃炉の道筋も見えないまま、原発の再稼働が進んでいくのは悪夢としか評しようがない。

戦争はこりごりだ。戦争に負けてはいけないではなく、戦争を繰り返してはならない。原発も同様だ。過酷事故を起こしてはいけないではなく、原発再稼動を許してはならない。
(2014年9月13日)

「吉田調書」が教えるものー原発制御不能の恐怖

朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。

朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。

この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。

この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」

これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。

朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。

各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。

二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。

もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。
「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」
一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。

朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
(2014年9月12日)

昭和天皇実録問題?琉球新報社説の迫力に感動

一昨日(9月9日)、昭和天皇実録とジャーナリズムの関係について当ブログで取りあげた。中央各紙の社説を紹介したが、その後気になって、いくつかの地方紙の社説にも目を通した。さすがに、中央各紙よりは地方紙の社説の水準が高く、姿勢もよい。

中でも琉球新報9月10日付社説が出色である。これに比べてのことだが、沖縄タイムスの10日付社説「[昭和天皇実録]戦後史の理不尽を正せ」はやや歯切れが悪く影が薄い。

琉球新報社説のタイトルは、「昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ」というもの。二つの責任とは、「戦争責任」と「戦後責任」のこと。沖縄県民の立場からの視点を明確にして、天皇の戦時中の戦争遂行についての責任と、戦後の戦争処理についての責任を、ともに明確にせよという迫力十分な内容。

同社説は、「昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている」という。内2回が「戦争責任」、1回が「戦後責任」に当たる。

「最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が『国体護持』の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は『今一度戦果を挙げなければ実現は困難』との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の『捨て石』にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。」

戦況を把握している者にとって、1945年2月には日本の敗戦は必至であった。国民の犠牲を少なくするには早期に戦争を終結すべきが明らかであった。しかし、天皇は『今一度戦果を挙げなければ実現は困難』と言い続けたのだ。この天皇の姿勢は、同年8月12日午後の皇族会議での発言(「国体護持ができなければ戦争を継続するのか」と聞かれ、天皇は「勿論だ」と答えている)まで一貫して確認されている。

この間に、東京大空襲があり、沖縄戦地上戦があり、各地の空襲が続き、広島・長崎の惨劇があり、そしてソ連参戦による悲劇が続いた。外地でも、多くの兵と非戦闘員が亡くなり、生き残ったものも塗炭の辛酸を味わった。天皇一人の責任ではないにせよ、天皇の責任は限りなく大きい。

「二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された『和平交渉の要綱』は、日本の領土について『沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする』として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から『捨てる』選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。」

国民を赤子として慈しむ、天皇のイメージ作りの演出が行われたが、実は、国体護持のためには「臣民」を「捨てる」ことにためらいはなかったのだ。沖縄県には、天皇の責任を徹底して追求する資格がある。

そして、最後が沖縄の現状に今も影響をもたらしている戦後責任。「天皇メッセージ」としてよく知られた事件だ。

「三つ目が沖縄の軍事占領を希望した『天皇メッセージ』だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り『25年から50年、あるいはそれ以上』沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。『天皇メッセージ』から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して『軍事植民地』状態が続く。『象徴天皇』でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。」

社説は次のように結ばれている。
「私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して『贖罪意識』を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には『戦争責任』と『戦後責任』がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。」

この社説が求めていることは、歴史の要所において、沖縄県民の命を奪い、あるいは不幸をもたらした国家の政策に、昭和天皇(裕仁)個人がどのように関わっていたかを明確にすることだ。未曾有の大戦争に天皇はどう関わり、戦後はどう振る舞ったのか。無数の人々の不幸に、どのような責任をもつべきなのかを明確にせよ、との要求なのだ。

私は、感動をもってこの社説を読んだ。ジャーナリズムは、この国の中央では瀕死の状態にあるものの、沖縄で健全な姿を示している。
(2014年9月11日)

政治献金とは「政策をカネで買う」こと?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第21弾

「DHCスラップ訴訟」進行のご報告である。
次回の口頭弁論が、9月17日(水)の午前10時半。東京地裁705号法廷で開かれる。これが実質的に第2回目の法廷。法廷終了後の11時から東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、弁護団からの報告だけでなく、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。前回の法廷も、事後の集会も充実したものだった。今回も、是非多くの方のご参加をお願いしたい。

さて、現在の進行状況。そんなに難しい裁判をしているわけではない。争点は少ない。裁判所の判断が困難な事件ではなく、判決まで長期を要する裁判でもなさそう。

では、いったい何が問題となっているのか。
原告ら(DHCとその代表者吉田嘉明)は、「被告(澤藤)がブログで自分たちの名誉を毀損した」と主張して提訴した。その精神的損害の金額を最初は2000万円だと言い、突如6000万円となった。当初の2000万円についても、増額した6000万円についても、その算定根拠は示されていない。ことほどさように根拠定かならざる請求。金額で驚かして萎縮効果を狙っていることを自白しているに等しい。

これに対する被告(澤藤)側の主張は、「そもそもこんな請求が成り立つはずのないことは自明ではないか。こんないい加減な裁判は、門前払いでさっさと終わらせてもらいたい」というもの。裁判の土俵に上がっての「請求棄却」ではなく、門前払いの「訴えの却下」を求めている。

なぜ、「原告らの請求が成り立つはずもない」というのか。それは、憲法21条の命じるところだからなのだ。私はブログで、吉田嘉明から渡辺喜美への8億円のカネの授受を「政治を金で買おうとした」と批判した。吉田自身が、週刊新潮に書いた手記を根拠に、あとは常識的な推論を重ねたもの。大金持ちが、政治に巨額のカネを注ぎこんだのだ。批判されて当たり前。しかも、吉田は同じ手記で、自分の商売に触れてこう言っている。

「私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は、厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます」
これを読めば、誰しも吉田の思惑が、「特別煩わしい規制チェックをなくしたい、緩和したい」と読み取るだろう。「私の経営する会社の利益のための規制緩和」、それこそが「官僚機構の打破」の本音だと、常識的に思うだろう。私はその常識を述べたに過ぎない。

ところが、原告側はこう言うのだ。
「被告は原告吉田が、訴外渡辺議員に8億円を貸し付けたのは、自己の金儲けのためであると断定的に記述し、もって当該事実を摘示したものである。その根拠は、『この世のすべてのカネの支出には、見返りの期待かつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの』という、被告独自の価値観にある。日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいることを被告は知らない」
微苦笑を禁じ得ない。およそ、民事訴訟における主張ではない。

私は、「この世のすべてのカネの支出には、見返りの期待かつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの」という考えをもっている。だから、政治献金は民主政治を歪める危険があり、透明性の確保と規正とが必要だと確信している。もちろん、法もそのようにできている。

確かに、私は「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいることを知らない」。しかし、稀なる聖人の存否についての論争はまったく無意味なのだ。訴訟で争われているのは、「私の考えが正しいか、間違っているか」ではない。「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいるか否か」が争われているわけでもない。

週刊誌の「吉田手記」をどう読むかは、私の論評であり意見である。当然のこととして、論評や意見は自由でなくてはならない。もちろん、論評や意見の前提となる事実は主要な点において真実であることが求められる。本件においては、私が述べる意見が前提とする事実は、週刊新潮に掲載された吉田手記に基づくものなのだから、何の問題もありえない。私の論評ないし意見は、その自由が憲法で保障されているのだ。これに異論があれば、対抗言論をもって反論すればよいだけのこと。それだけの力のあるDHCであり、その会長ではないか。違法だと訴訟を起こすような問題ではありえない。

しかも、テーマは典型的な政治的言論、具体的には政治とカネの関わりの問題なのだ。言論の自由一般ではなく、民主主義政治の基盤をなす「政治的な批判の言論」についての自由が俎上に載せられている。私の言論は、最も尊重されなければならないのだ。さらに、原告らは、単なる私人でも一般人でもない。大企業であり、大金持ちであり、国民の健康に直接関連するサプリメント業界の最大手であり、その代表者である。もともと、国民からの批判の言論を甘受しなければならない「社会的強者」の立ち場にある。それだけではない。吉田が政治的思惑あって巨額のカネを公党の党首に拠出し、しかもそのことを自ら週刊誌に暴露したのである。その時点から、彼は政治家と同等にあるいはそれ以上に、政治的批判の言論を受忍すべき特別の立場にたったのだ。この点の自覚に欠けているが故に、自分に対する批判を嫌ってスラップ訴訟を濫発しているのだ。

以上のとおり、原告らが私の指摘のような批判を受けるべきはあまりに当然なのだ。批判の言論を受忍しなければならないのはあまりに明らかではないか。だから、本件を不適法な訴えとして、却下を求めているのだ。

ときあたかも、経団連が「政策をカネで買おうとしている」ことで世論の批判を受けている。たとえば次のように。

「経団連献金再開 露骨な政権擦り寄りだー経団連の榊原定征会長は、政治献金への関与を5年ぶりに再開し、会員企業に献金を呼びかける方針を表明した。
 …経団連はアベノミクスを全面的に支持しており、結局、献金は自民党に向かうだろう。安倍晋三政権に擦り寄って、法人税減税などの大企業優遇策を実現しようとする意図は明らかだ。『政策をカネで買う』との批判が起きるのは当然だ。時代に逆行する方針の撤回を求める。」
(9月10日 北海道新聞社説)

DHCに言わせれば、「この社説は、独自の価値観によるもの。総じて論説委員などは、日本国をより良くしようとして浄財を投じる企業がこの世にいることを知らない」ということになろうか。あまりに馬鹿げた「反論」であることがお分かりいただけよう。
(2014年9月10日)

昭和天皇実録社説に見るー菊タブーと各社のジャーナリスト魂

昭和天皇(裕仁)の公式伝記となる「昭和天皇実録」が宮内庁から公表された。
よく知られているとおり、中国では王朝の交替があると後継王朝が前王朝の正史を編纂した。その多くは司馬遷の史記に倣って皇帝や王の事蹟を「本紀」として中心に置く紀伝体での叙述だった。正史とは別に、各皇帝の死後にその皇帝の伝記として「実録」がつくられた。古代の日本もこれを模倣し、「帝紀」や「実録」が編まれた。いまだに、こんなことが踏襲されていることに驚く。

明治天皇(睦仁)の没後には、「明治天皇紀」がつくられ、「大正天皇実録」が続いた。「明治天皇紀」は、1933年に完成しているが、もともと公開の予定はなかった。政府の明治百年記念事業の一環として刊行されることになり、1968年から1977年にかけて刊行されたという。この間実に35年余を経過している。大正天皇実録の刊行はいまだになく、情報公開請求によって世に出たが、不都合な部分が墨塗りされたまま。この社会は、いまだに菊タブーに覆われ、情報主権の確立がないのだ。

さて、「昭和天皇実録」。61巻・12000頁に及ぶものとのこと。オリジナルは僅かに10セット。いずれも、天皇や皇族に届けられ(「奉呈」され)ているという。来春から5年かかっての公刊完成まで一般人はその内容に接し得ない。われわれは、事前に公開を受けたメディアが報道した範囲でしか、実録の内容や姿勢を判断し得ない。

今朝の主要各紙(朝日・毎日・東京・日経・読売・産経)が、「実録」に目を通したうえでの社説を書いている。

最初に各社説のタイトルを挙げておこう。
 朝日「昭和天皇実録―歴史と向き合う素材に」
 毎日「昭和天皇実録 国民に開く近現代史に」
 東京「昭和天皇実録 未来を考える歴史書に」
 日経「「実録」公開を機に昭和史研究の進展を」
 読売「昭和天皇実録 史実解明へ一層の情報公開を」
 産経「昭和天皇実録 「激動の時代」に学びたい」
このタイトルに目を通しただけで、当たり障りのない及び腰が推察できる。

昭和天皇の伝記となれば、どんな姿勢で読まねばならないか。自ずから、その視点は日本国憲法の理念に視座を据えねばならないことになる。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した立場から省みて、なにゆえに戦争が起きたのか、なにゆえ防止できなかったのか、なにゆえもっと早く戦争を終わらせることができなかったのか。

開戦と終戦遅延と、そして戦争と戦争準備に伴う諸々の悲惨や人権侵害に関して、誰が、どのように責任を負うべきか。その深刻な課題に真摯に向きあって、戦争の惨禍を繰り返さぬために、どのような教訓を引き出すべきか。その視点がなければならない。でなければ、30名もの職員を24年間もはり付けての作業と国費投入の意味はない。

当然のことながら、戦争責任は天皇一人にあるわけではない。システムとしての天皇と、天皇個人とを分けて考えるべきとの見解もあり得よう。しかし、すべての情報の結節点に位置していた天皇に、政治的・道義的・法的な戦争責任がないはずはない。「君側の奸」としての軍部を悪玉にして、天皇を免罪しようというストーリーが最も警戒すべき駄論。これに与するものでないかを慎重に見極めねばならない。

以上の視点が、各紙の社説にまったく見えないわけではない。
朝日は、「昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ。その反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。」と述べている。「さすが朝日」と言ってよい。日本のジャーナリズムにとっての救いの一言だ。

毎日はやや微妙。「立憲君主制の自制的ルールに立ちつつ、軍部の専横を警戒し、平和を求めて確執もあったという、これまでの昭和天皇像を改めて示したといえるだろう。」という一節がある。これが、実録の立場についての言及なのか、毎日も賛意を表しているのか分かりにくい。意識的にぼかしているということかも知れない。

分量的にはもっとも長い毎日社説の中には、「なぜ私たちが昭和史を絶えず振り返り、そこから学び取ろうとするのだろうか。今の時代が抱える大きな課題の根っこが、昭和にあるからだ。政治、外交、経済のみならず、生活様式や価値観まで多岐にわたる。そして、続けなければならないのは『なぜ、あの破滅的な戦争は回避できなかったのか』という問いかけである。この実録の中でも、開戦前後の事態の推移がとりわけ注目されたポイントの一つだった。しかし解明にはまだ遠い。」「あの戦争で、坂道を転じるように、雪だるま式に危機を膨らませ破綻したプロセスは、決して単線的ではなく、その解明は容易ではない。しかし、それは今極めて重要な教訓になるものである。」と述べている箇所もある。
天皇の責任まで踏み込んでいないことに不満は残るが、問題意識は了解できる。

以上の2紙以外に、頷ける問題意識を見せているものはない。
日経が、「昭和は日本史上まれな激動の時代であり、昭和天皇は第一の証言者である。昭和の研究は皇室をタブー視する意識を超えて進んでいるが、実録には一層の進展を促すヒントが数多くあるだろう。と同時に、実録は完全な言行録ではないことを知り宮内庁の編さんの意図を読み取る必要もある。」と、思わせぶりな記述をしている程度。

読売は、「実録は、国の歴史を後世に伝える上で、極めて重要な資料である。昭和から平成となって、既に四半世紀が過ぎた。軍国主義の時代から終戦、戦後の復興、高度経済成長へ――。実録は、激動の昭和を振り返る縁(よすが)ともなろう。」というのみ。「軍国主義の時代」に言及しながら、大元帥として陸海軍を統帥し軍国主義の頂点に位置していたいた天皇との関連に関心を寄せているところはない。

産経が言いそうなことは読まなくても分かる。
「実録の全体を通して改めて浮き彫りになったのは、平和を希求し国民と苦楽を共にした昭和天皇の姿である。」「注目された終戦の「ご聖断」までの経緯では、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けた直後に木戸幸一内大臣を呼び、鈴木貫太郎首相と話すよう指示を出したことも書かれている。」「昭和21年から29年にかけ、戦禍で傷ついた国民を励ます全国巡幸は約3万3千キロに及んだ。天皇は一人一人に生活状況を聞くなど実情に気を配った様子も分かる。」と、徹底した天皇善玉論。

意外なのは、東京新聞。
「大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。1937年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に『厳に憲法を遵守し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように』と語った?。」「41年に対米戦争に踏み切ったときは『今回の開戦は全く忍び得ず』と詔書に盛り込むように希望した?。45年8月の御前会議では『戦争を継続すれば国家の将来もなくなる』と終戦の聖断を下した?。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。」
原発問題で見せている徹底した批判精神はどこに行ったのか。現政権への批判の健筆の冴えはなにゆえここには見えないのか。不可解というしかない。

ジャーナリズムは、体制・政権・強者への批判を真骨頂とする。自主規制によってタブーの形成に加担してはならない。

各メディアのジャーナリスト魂は、菊タブーへの挑戦の姿勢によってはかられる。今回の「実録」の取り上げ方は、その面から各社の姿勢をよく表していると思う。
(2014年9月9日)

「民衆の怒り」と「市民的不服従」

昨日(9月7日)の赤旗「2014年夏 黙ってはいられない」欄に、守中高明(フランス現代思想)のインタビュー記事が掲載されている。タイトルは、「命がけの怒り表明しよう」というもの。

全体としてはまとまりのよい記事ではないが、下記2か所の彼の語りかけに、大いに頷き、大いに意を強くした。哲学者とか思想家をもって任ずる者は、時代が求めている言葉を、このように適切な表現で市民に届けなければならない。

まずは、
「いま最も大事なことは、ためらわずに怒りを表明することです。怒りとは命がけの感情であり、ありうる虚無主義や懐疑主義を乗り越えていく、唯一の比較すべきもののない深く倫理的な感情です。」

民衆の怒りへの讃歌である。こんなにもストレートに怒りを肯定する文章に接した憶えがない。「いま最も大事なことは、」と切り出しているのは、あまりにも低い民衆の怒りのボルテージへの焦慮の表れなのだろう。「ためらわずに怒りを表明すべき」だという怒りの鼓舞。「考える前に怒れ」、あるいは「考えるまでもなく怒らねばならない状況だろう」ということなのだ。ここまでは、時代の状況が言わしめた言葉。

ここからは、普遍性をもった思索の結論。「怒りとは命がけの感情」だという。私にはよく分かる。しかも、怒りは「ありうる虚無主義や懐疑主義を乗り越えていく感情」だという。「ありうる」は、「そう陥りがちな」くらいの意味であろう。諦めたり、逃げたり、自信を失ったりしがちなときに、これを乗り越えるのは怒りの力なのだ。このエネルギーの源を、彼は美しく「深く倫理的な感情」と讃えている。

「今こそ怒るべきとき」「忘れた怒りを取りもどせ」という呼びかけなのだ。「私憤」も「私怨」も、不当なものに向けられるときは、「唯一の比較すべきもののない深く倫理的な感情」なのだ。大いに怒ろう。巨大な怒りのエネルギーを蓄積しよう。

もう一つ。
「楽観できない状況の中で、私はマハトマ・ガンジーやキング牧師が実践した『市民的不服従』の重要性を強調したいと思います。これは国家が課す法や命令に、良心に反しなければ従うことができないとき、不服従を表明し、その法こそが不正義であることを公共に訴える態度のことで、悪法を間接的に改めさせるクリエーティブな政治的行為です。」

不当なものへの怒りこそは行動のエネルギーだが、怒りを暴力に転化させてはならない。強者の不当な仕打ちに対しても、暴力的な報復は自制しなければならず、替わっての怒りの表現手段が『市民的不服従』である。「国家が課す法や命令に、良心に反しなければ従うことができないとき、不服従を表明する」とは、法に従わず、形式的には法に抵抗して、法を破るということである。権力が命令の根拠とする法が不正義で、自らの良心の根拠たる法こそが正義であることを公共に訴えるために、敢えて法を破るのだ。

幸い、今の法体系では、良心を守る高次の法として日本国憲法が存在する。理不尽な権力の命令を、違憲なるが故に違法あるいは無効なものとして、憲法を盾に争うことができる。

この「市民的不服従」が、「悪法を間接的に改めさせるクリエーティブな政治的行為」として称揚され、その重要性が強調されている。「日の丸・君が代」不起立は、その典型といってよいだろう。

ところで権力の不当と市民的不服従による抵抗の主たる局面は、巨大な綱引きによって移動する。権力の不当に、敵わぬまでも抵抗が続けられれば、現状を維持できる。抵抗が無くなれば、ずるずると綱は引きずられ、際限なく後退を余儀なくされる。

平和も、人権も、民主主義も、怒りもて闘うことでせめては現状を悪化させずに維持し、さらには民衆の側に、半歩でも一歩でも綱を引き寄せたい。

2014年の夏が終わって、季節はすでに秋。新たなステージが始まる。
(2014年9月8日)

患者の人権、労働者の人権にリアリティを

久しぶりに、医療過誤事件の新件を受任し、今日(9月7日)付けで病院に損害賠償請求の通知書を発送した。請求額は小さい。しかし、当事者にとっては理不尽極まりない大事件である。

私は、癌の宣告を受けて手術をするまでは、身を粉にして働いた。6年前の手術の直前には、医療過誤訴訟だけで12件の受任事件があった。今では、とても考えられない。弁護士は医師と異なり応召義務がない。断る自由を謳歌しているのだが、それでも、紹介者によっては断り切れないこともあり、取りあえず会って話を聞こうということになる。今回の新件もそんな一つ。話しを聞いてしまうと、もう断れない。病院の対応が理不尽極まるといわざるを得ないからだ。

この方は、腹痛を主訴として総合病院の救急センターを受診し、その日検査のための採血で医療事故に遭遇する。鼠径部の動脈血採血の穿刺に失敗して、大腿神経を傷つけ、即日入院。ようやく2か月経って松葉杖で歩けるようになって退院するが、その間に出社できないことから解雇(形は自主退職)されてしまう。無収入で放り出されてしまうのだ。

日本社会の矛盾に翻弄されているようなこの方に、病院も企業も何とも冷たい。人権とか、人格の尊重という言葉のリアリティのなさが骨身に沁みる。

医療過誤事件としてはありふれたもの。大腿動脈からの動脈血採血を二人の研修医が担当した。後輩研修医が2度採血を試みて成功せず、先輩研修医に交代したが、これもできなかった。結局は諦めて上肢からの採血としたという。ところが、その直後から右下肢に疼痛と麻痺が生じた。歩行できなくなって、入院の憂き目となった。それも、2か月間。そして、入院期間1か月が経過したところで、勤務先からの解雇である。ひどい話だ。この患者さん、「採血」「注射」ど、針を連想させるものの名を聞くだけで恐くなり、ふるえが止まらなくなってしまっているという。

この病院のパンフレットは、よくできている。「親切であたたかい病院」との基本理念が掲げられ、患者と医療提供者の信頼関係を醸成するために、受診の患者に対して、
「人間としての尊厳が守られる権利」
「病気や治療について十分な説明を受ける権利」
「セカンドオピニオンを求める権利」
「自分の診療情報を得る権利」
が明記されている。
しかし、実態はこのとおりではない。

退院直前の説明の席で、患者は副院長や事務次長から、こう言われたという。
「こういうことはよくあるミスなんですよ。100回に1回くらいはこんなことになる」「今回の件は起こってはいけないことだが、人間なのだからミスは仕方がない」「医療事故だが医療ミスではない」「病院にはなにひとつ落ち度はない」「研修医2名は、ごく普通の青年ですよ。がんばってやっていますよ」「入院費は病院がもちますから、それ以上の補償はできません」

精いっぱい、「病院の針刺しで入院することになったのだから、誠意を見せて欲しい」と言った患者に対して、高圧的ににらむような態度で、弱い立場の人を押さえつけようとする姿勢だったという。

通知書で私は筆を抑えたが、次のようには書いた。
「病気を癒し健康を回復すべき病院において、通知人は、原疾患についての診察も診断もなされないまま、技倆未熟な研修医二人によって、過失による傷害を加えられたのです。その法的責任(民事・刑事両面において)はまことに重大と考えざるを得ません。このような未熟な研修医に、指導医のフォローないまま危険な診療行為をさせ、患者に重大な医療事故を起こしたことについて、貴院はもっと深くその責任を自覚し、万全の再発防止策を建てなければならないと思います」

「なお、敢えて一言付言いたします。
事故後の通知人に対する貴院の対応は、被害者となっている患者に対して『人間としての尊厳』を認めてのものとは評価し得ません。通知人やその家族の感情をいたずらに刺激して紛争を拡大するような愚を避けていただくよう、賢明なご配慮をお願いいたします」

解雇した企業にも通知書を発信した。

この世は人権課題に満ちている。力ある者の弱い者への理不尽には憤りを禁じ得ない。こうなると、年齢だとか、しんどいとか、病み上がりだとか、自分への言い訳を言っておれない。
(2014年9月7日)

時効が完成した受信料の請求?NHKの「方針」は姑息ではないか。

安倍改造内閣で最も気になったのが高市早苗の総務大臣ポスト。安倍晋三の思惑からは「適材を適所に配した」のだろうが、民主主義の目線からは、渦中のNHKに最悪の人事。

案の定である。本日(9月6日)の東京・朝刊によれば、高市早苗総務相は、5日の報道各社とのインタビューで、海外向け放送を行っているNHKに対して「領土などの正しい情報や日本の素晴らしさをアピールするため、必要に応じて放送法に基づく放送要請をすることはあり得る」と表明したという。

下に「政府が右といえば、左ということはできない」というNHKありて、上に「日本の素晴らしさをアピールせよ」という大臣あり。まったくお似合いだ。権力への批判を真骨頂とするジャーナリズムの片鱗もない。もう、うんざり。

政権から見れば、NHKは国営放送であり、政権御用達放送機関なのだ。「こんなNHKには受信料を払いたくない」「正常化までは受信料支払いを凍結したい」と考える多くの人々がいて当然。NHKによると、2013年度末現在、1年以上の受信料未払い者は138万件、計1635億円におよぶという。

その人々にお伝えしておきたい。NHK受信料支払い請求権の時効は5年である。5年以上遡って支払う必要がない。その点の注意が肝要だ。

本日の各紙が、「受信料時効5年確定、NHKの上告棄却…最高裁初判断」という記事を載せている。比較的毎日が詳しい。

「NHK受信料の滞納分を何年前までさかのぼって徴収できるかの時効期間が争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は5日、『時効は5年』とする初判断を示した。その上で『時効は10年で、10年前の滞納分まで請求できる』としたNHK側の上告を棄却した。『5年より前の滞納分は徴収できない』とNHK敗訴とした2審・東京高裁判決が確定した」

「NHKによると、受信料の時効を巡っては263件の訴訟が係争中だが、今後は最高裁判決に基づいて審理されるとみられる。1審が簡裁で争われるなどして高裁で確定した判決は95件あるが、全て時効は5年との判断が示されていた」「最高裁で争っている20件について、NHKは訴訟を取り下げる」

民法の解釈問題に立ち入る必要はない。一般原則の「10年」ではなくて、この場合は「5年」との解釈が確定したのだ。指摘したい問題はここから。

各紙が、「NHK広報局は『判決を真摯に受け止め、今回の判断を踏まえて対応する。引き続き公平負担の徹底に努める』とコメントした」(東京)と報じている。多くは、このコメントの紹介を結びとしている。さて、このコメントをどう読むか。

「判決を真摯に受け止め、今回の判断を踏まえて対応する」とは、「5年を超える過去に遡った受信料滞納分の請求はしない」のだろうと、普通の読者は思うだろう。ところがさに非ず。「引き続き公平負担の徹底に努める」とは、「この判決のあとも以前と変わることなく、遡って全額を請求します」という宣言なのだ。ちょっとひどいよ、NHKさん。

毎日の記事は、次のように続く。「最高裁判決を受けNHKは5日、受信料を滞納している視聴者から時効の主張があった場合、これまで『10年』さかのぼって請求するとしてきたのを、今後は『5年』とすることを明らかにした。」という。注意深く読まねばならない。今後は『5年』の請求とするのは、「視聴者から時効の主張があった場合」に限られるのだ。これまでだって、『10年』に限っていたのは、時効の主張があった場合についてだけのこと。今後も、「5年で時効が完成しているはずだ」という視聴者からの「時効の援用」がない限りは、あくまで「全額をいただこう」ということなのだ。

毎日記事の最後は、「長村中・営業局専任局長は『公平負担の徹底のため、引き続き未払いの全期間について請求する方針に変わりはない』としている」と結ばれている。

朝日はこうだ。「判決を受け、NHKは『引き続き、支払いが滞っているすべての期間について請求するが、契約者側から時効の主張があった場合には「5年で時効」として取り扱う』との方針を明らかにした」

毎日・朝日の報道が合致している。要するに、NHKは視聴者側から「時効援用がない限りは」、15年分でも、20年分でも、遡って滞納の全額を請求する方針ということなのだ。

法律上は、時効期間の経過によって客観的には時効が完成していても、債務者側からの時効の援用がなければ、裁判所は時効によって権利が消滅したという判決を言い渡すことができない。うっかりすると、時効利益の放棄とみなされることだってあり得る。

その意味では、NHKの「方針」が違法でも不当でもない。そのように一応は言いうる。とはいうものの、時効が完成して支払う必要がなくなったことを知った上で、それでも支払いをしようなどということは、普通は考えにくい。

昔お世話になって借りた金、その恩を忘れずに時効が完成していることを承知しながら、きちんと支払いたいということはあるだろう。しかし、NHK受信料債務を時効完成後もお支払いしたいなどという者があろうとは常識的に考えられない。

結局のところ、NHKの「方針」は、視聴者の無知や無理解あるいは迂闊に付け込もうというものではないか。姑息というほかはない。

意識的な受信料不払いの皆様、支払い凍結者の皆様。いざというときには、時効の援用が必要であることをお忘れなきよう、くれぐれもご用心。
(2014年9月6日)

“Silence means consent.”「沈黙は賛成に等しい」

裁判所・裁判官の説得は、どうしたら可能であろうか。とりわけ困難な訴訟ではどうしたらよいのだろう。
そんなことが分かれば苦労はない。分からないから苦労を続けているのだが、分からないながらも考え続けなければならない。

おそらく、それをなしうるのは論理ではなかろうと思う。原告も被告も、双方それなりの論理をもって裁判所を説得しようとする。どちらをも選びとりうる裁判官に、こちらを向いてもらえるにはどうすればよいのか。

キーワードは、「共感」ではないだろうか。裁判官に、論理を超えたシンパシーをもってもらえるかどうか、そこが分岐点ではないか。「なるほど、私もあなた(方)の立場であれば同じようにしたいと思う」「同じようには出来ないかも知れないが、あなた方に共鳴し、共感する」と思ってもらえるか。できることなら、一緒に怒ってもらいたい、泣いてももらいたい。共感を得ることができれば、論理はこちらが用意したものを採用してくれる。あるいは、裁判所が探してくれる。独自に組み立ててもくれるだろう。

では、裁判所の共感を得るにはどうするか。そのキーワードはおそらく「真摯さ」ということではないか。裁判官の胸を打つものは、問題に向かいあう真剣さ、人としての悩みや葛藤の深さと、悩みながらもそれを乗り越えようとする真面目さなのではないだろうか。

裁判官という人格が、当事者の真摯な人格と向かいあったとき、共感が生まれる。そうしてはじめて、その当事者の主張する論理の採用に道がひらける。これが、困難な裁判の道筋だろうと思う。

本日、東京「君が代」裁判4次訴訟の口頭弁論で、原告のお一人が、次のような意見陳述をした。私は、大いに共鳴し共感した。政治的意見を異にする人にも、思想良心の自由を大切と思う立場から共感してもらえると思う。合議体の裁判官3人とも、よく耳を傾けておられた。

陳述の紹介は、特定性を避ける必要からやや迫力を欠くものとはなったが、是非多くの人にお読みいただいて「共感」をいただきたいと思う。

「私は、多様な価値を認め合うことや少数派の意見を尊重することの重要性を、いろいろな教材を通して生徒に教えてきました。

10・23通達以前、入学式・卒業式の前に生徒に対して「国旗国歌に対してはいろいろな考えがあるのですから、みなさんは自分の考えに従って行動して下さい」と説明していたのは非常に重要なことでした。ところが10・23通達後はこの説明は許されず、「教員は命令に従わないと職務命令違反で処分する」と脅されて国歌の起立斉唱を強制されました。民主主義の日本でこんな強制が許されるのか、日本はどんな国になろうとしているのか、起立したくない生徒の内心の自由は守られるのか、と私は非常に動揺しました。多くの同僚はしばらくの我慢だと言い、私も、処分は恐ろしいから立つしかないといったんは自分に言い聞かせました。けれど我が子や生徒たちの未来のために、今できることをしなくては後で大きな後悔をすることになると思い、悩んだ末に結局は起立しませんでした。

その後10年が過ぎ、今では入学式・卒業式での国歌斉唱はあたりまえのように淡々と行われます。前任校では式の進行台本には「起立しない生徒がいる場合は司会が起立を促す」と書かれていました。私はできるだけ式場外の仕事を担当させてもらうのですが、昨年3月校長から、「入学式・卒業式で起立すると約束しなければ3年の担任から外す」と迫られた時には本当に苦しい思いをしました。

私の学校では、進路指導を重視して2年から3年へはクラス替えをせず同じ担任が持ち上がります。私が「起立できない」と言えば、私のクラスだけ担任が代わり、生徒は「自分たちだけが不利になった」と思うでしょう。人間関係を築くのが苦手な生徒は「困ったな」と思うでしょう。私自身、「時間をかけて信頼関係を築いてきた生徒を、最後の一番大事な場面で担任として支援できないのは本当に悔しい」「担任を続けたい」「一緒にチームで生徒を見てきた学年団にも申し訳ない」。けれど一方、君が代斉唱を強制されて苦しんでいる生徒は確かにいるのに、国旗国歌強制の卒業式に誰も反対しなくなってもよいのか。自分を含め教員が全員起立斉唱する状況で、生徒に起立しない自由があると言えるのか。私自身の中でこのせめぎあいが続きましたが、“Silence means consent.”「沈黙しているのは賛成の表明に等しい」、つまり私が起立斉唱することは、生徒への強制に加担することにほかならないとの思いが頭を離れず、結局起立できないと決めました。その結果私は3年の担任を外されました。席だけは職員室の3年担任の場所にありながら、他の教師が3年生の生徒に親身な指導をしているのを見るにつけ、非常にさびしい思いをしました。

10・23通達は学校運営のあり方も大きく変えました。職員会議での採決が禁止され、都教委の指示や校長の判断だけで物事が決まる場面が増えた結果、教員集団が議論して教育に当たるという雰囲気がなくなりました。どうせなにを言っても無駄、校長に反論などすれば自分に不利になるという意識が浸透しました。しかも、杜撰な計画や実施の是非に疑問のある指示が次々に降りてきます。

例えばこの3月、今は退職した校長の判断で海外修学旅行が強引に決められました。しかし、実施年度の今年、航空機事故への懸念や費用の負担を理由に不参加者が増えて、大変困ったことになっています。私は職員会議で度々、学年の希望は沖縄であり、海外は経済的理由で参加できない生徒が出る、また教員の準備や事前指導が困難であると反対意見を述べましたが、全く聞き入れられませんでした。校長は、何を学ばせたいかを示すことができません。大切な教育の機会である修学旅行も十分な議論もなく決められてしまう。教育内容を教員自身が決められない。本当に生徒のためになるかどうかが置き去り。これが学校の現状です。

学校は教員が自由に個性を発揮して、生徒に問題提起し、考える場を与え、試行錯誤するチャンスを与える場です。しかし教員は卒業式・入学式で日の丸・君が代について生徒に説明できなくなり、授業や授業外でも社会性のある問題を取り上げにくくなり、生徒に自分で考え成長する機会を与えることが難しくなっています。

私たちは、疑問を持ち自分で考える人間を育てなければなりません。そのため学校は、教員が意見を自由に表明し議論できる場でなければなりません。都教委は、君が代の強制に賛同できないと言っているだけの私たちを徹底的に排除し、私たちを見せしめに教員の反論の口を封じ、学校の教育力を奪って、一体どんな人間を育てようとしているのでしょうか。

裁判官の皆様には、10・23通達が学校の現場を荒廃させている状況をご理解ください。そして、生徒のためにも、多様な意見を持つ教員が安心して教育に取り組める学校を取り戻してくださるようお願いします。」
(2014年9月5日)

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