澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ビキニの水爆と福島の原発はつながっている

昨日(9月23日)が久保山愛吉忌。第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉がなくなって60年になる。

1954年3月1日に、一連のアメリカ軍の水素爆弾実験(キャッスル作戦)が始まった。ブラボーと名付けられた、その最初の一発によって、第五福竜丸の乗組員23人が死の灰を浴びて、全員に急性放射線障害が生じた。各人が個別に浴びた放被曝線量は「最小で1.6シーベルト、最大で7.1シーベルト」と算定されている。そして、被曝から207日後に久保山が帰らぬ人となった。

病理解剖の結果による久保山の死因について、都築正男医師(元東大教授・当時日本赤十字病院長)は、「久保山さんの遺骸の解剖検査によって、われわれは今日まで習ったことも見たこともない、人類始まって以来の初めての障害、新しい病気について、その一端を知る機会を与えられた」と言っている。

聞間元医師は、「久保山の死因は、放射性降下物の内部被曝による多臓器不全、特に免疫不全状態を基盤にして、肝炎ウィルスの侵襲と免疫異常応答との複合的、重層的な共働成因により、亜急性の劇症肝炎を生じたもの」で、「原爆症被爆者にも見られなかった『歴史始まって以来の新しい病気』『放射能症性肝病変』なのであり、『久保山病(Kuboyama Disease)』と名付け、後世に伝えるべき」と述べている(以上、「第五福竜丸は航海中ー60年の記録」から)。

久保山は1914年の生まれ、死亡時40歳。私の父と同い年で、今生きていれば、100歳になる。23人の第五福竜丸乗組員の最年長者だった。妻と3人の幼子を残しての死であった。長女が私と同年輩であろう。

なお、乗組員のリーダーである漁労長・見崎吉男が28歳。以下、ほとんどが20代であって、その若さに驚く。(余談だが、第五福竜丸展示館に、見崎吉男の筆になる長文の「船内心得」が掲示されている。当時、操舵室に張ってあったもの。その文章の格調に舌を巻かざるを得ない)。久保山だけが、召集されて従軍の経験を持っていたのだろう。従軍経験者の常識として、被曝の事実は無線で打電することなく、寄港まで伏せられた。米軍を警戒してのこととされる。

久保山の死は、核爆発によるものではなく、核爆発後の放射線障害によるものである。原子力発電所事故による放射線障害と変わるところがない。だから、久保山の死は、原水爆の被害として核廃絶を訴える原点であると同時に、核の平和利用への警鐘としても、人類史的な大事件なのだ。福島第一原発事故の後、そのことが誰の目にも明瞭になっている。

被ばく当時20歳だった第五福竜丸の乗組員大石又七が今は80歳である。「俺は死ぬまでたたかいつづける」と宣言し、病を押して証言者として文字通り命がけで活躍している。

昨日(9月23日)江東区亀戸中央公園で開催された「さようなら原発全国大集会」で、車椅子の大石が被ばく体験を話した。以下は、本日付東京新聞朝刊社会面(31面)の記事。

「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ。絶対反対です」「乗組員には頭痛や髪の毛が抜けるなどの急性症状が出た。この日は被ばくの半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんの命日。『核実験の反対運動は当時タブーとされ、内部被ばくの研究も進まなかった。福島第一原発事故の後も、同じことが繰り返されようとしている。忘れられつつあるビキニ事件を今の人たちに伝えたかった』と大石さんは語った」

久保山愛吉が遺した言葉が、多くの人々の胸の奥底にある。
「原水爆の犠牲者は、私で最後にしてほしい」

この言葉は、大石又七の「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ」の名言と一体のものして理解すべきだろう。

「原水爆であれ原発であれ、核による人類の被害は、久保山愛吉の尊い犠牲を最後にしなければならない」と。
(2014年9月24日)

朝日バッシングの異様に対抗言論を

滅多にないことだが、時に寸鉄人を刺すごときコラムにぶつかって膝を打つことがある。9月21日付東京新聞25面の「本音のコラム・日本版マッカーシズム」(山口二郎)ははまさにそれ。そして、その下欄に続く「週刊誌を読む・池上さん『朝日たたき』にクギ」篠田博之)も、池上彰コメントを紹介して、実に的確に朝日バッシングの風潮を批判している。その姿勢に学びたい。

山口コラムの冒頭は、以下の通り。
「このところの朝日新聞攻撃は異様である。為政者とそれを翼賛するメディアのうそは垂れ流され、権力に批判的なメディアのミスは徹底的に叩かれる。」

まったくその通りだ。記事が不正確だからたたかれたのではない。朝日だから、従軍慰安婦批判だから、反原発の論調だったから、「徹底的に叩かれた」のだ。だから、まさしく異様、まさしく常軌を逸した、たたき方になっているのだ。

「為政者とそれを翼賛するメディアのうそは垂れ流され」の例示として、山口は、「安倍首相は『福島第一原発の汚染水はアンダーコントロール』と世界に向かって大うそをついたことについて、撤回、謝罪したのか。読売や産経も、自分の誤りは棚に上げている」という。指摘の通り、為政者のうそは、汚染水同様に垂れ流され、右派のメディアはこれを批判しようとはしない。

篠田が紹介する池上彰コメントは、週刊文春に掲載された「罪なき者、石を投げよ」というもの。今、朝日に石を投げているお調子者にたいして、「汝らにも罪あり」と、その卑劣さをたしなめる内容だという。

そのなかに、「為政者を翼賛するメディアのうそ」の具体例として、次のくだりがある。
私(池上)は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムを持っていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、『外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました』と通告されました。‥後で新聞社内から、『経営トップが池上の原稿を読んで激怒した』という情報が漏れてきました。‥新聞社が、どういう理由であれ、外部筆者の連載を突然止める手法に驚いた私は、新聞業界全体の恥になると考え、この話を私の中に封印してきました。しかし、この歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て、ここで敢えて書くことにしました。その新聞社の記者たちは、『石を投げる』ことはできないと思うのですが。

「ある新聞社」とは朝日のライバル紙。いま、朝日たたきをしながら「自社の新聞を購読するよう勧誘するチラシを大量に配布している」と、苦言が呈されている社。固有名詞こそ出てこないが、誰にでも推測が可能である。

山口は、現在の朝日たたきの現象を「日本版マッカーシズム」と警告する。
この状況は1950年代の米国で猛威を振るったマッカーシズムを思わせる。マッカーシーという政治家が反対者に「非米」「共産党シンパ」というレッテルを貼って社会的生命を奪ったのがマッカーシズムである。今、日本のマッカーシーたちが政府や報道機関を占拠し、権力に対する批判を封殺しようとしている。

ここで黙るわけにはいかない。権力者や体制側メディアのうそについても、追求しなければならない。マッカーシズムを止めたのは、エド・マーローという冷静なジャーナリストだった。彼は自分の番組で、マッカーシーのうそを暴いた」「いまの日本の自由と民主政治を守るために、学者もジャーナリストも、言論に関わるものがみな、エド・マーローの仕事をしなければならない。権力者のうそを黙って見過ごすことは、大きな罪である」
全くそのとおり。深く同感する。

篠田コラムは次のように終わっている。
池上さんは、『売国』という表現が、戦時中に言論封殺に使われた言葉であること指摘し、こう書いている。『言論機関の一員として、こんな用語は使わないようにすることが、せめてもの矜持ではないでしょうか』。池上さんに拍手だ

マッカーシーは、「非米」「共産党シンパ」という言葉を攻撃に用いて「赤狩り」をやった。いま、日本の右派メディアは口をそろえて、「売国」「反日」「国益を損なう」という言葉を用いてリベラル・バッシングに狂奔している。

マッカーシズムが全米を席巻していた頃、多くのメディアは、マッカーシーやその手先を批判しなかった。「共産党シンパ」を擁護したとして、自らが「非米活動委員会」に呼び出され、アカの烙印を押されることを恐れたからである。威嚇され、萎縮した結果が、マッカーシズムの脅威を助長した。ジャーナリストは、肝心なときに黙ってはならない。いや、ジャーナリストだけではない。民主主義を標榜する社会の市民は、主権者として声を上げ続けなくてはならないのだ。

私も、山口や篠田の姿勢に倣って肝に銘じよう。
ここで黙るわけにはいかない。権力者や体制側メディア、あるいは社会的強者の嘘やごまかしを、徹底して追求しよう」「いまの日本の自由と民主政治を守るために、言論に関わる者の一人として、私もエド・マーローになろう。権力者の嘘を黙って見過ごすことは、大きな罪なのだから
(2014年9月23日)

「敬愛する元帥の愛と配慮」と言わせる閉鎖社会の感覚

「仁川・アジア競技大会」が始まっている。やや盛り上がりに乏しいようだが、国境を越えて「45の国や地域から9700人を超える選手、監督・コーチ、取材陣、役員らが参加」し交流する大舞台。大規模な人と人との交流を通じて、相互理解と平和を構築する機会として意義のないはずはない。

各大会にスローガンが設定されるそうだ。今回の仁川大会は、「Diversity Shines Here(多様性がここで輝く)」だという。歴史・文化・伝統・宗教の多様性を認め合おうとの趣旨で、それ自体に文句のあろうはずはない。しかし、参加各国において少数民族抑圧の歴史や、男尊女卑の文化、体制順応の伝統、寛容ならざる宗教等々が横行している現実がある。その負の多様性を「輝く」ものと称えることはできない。多様性の名のもとにこれをも尊重すべしとしてはならない。

そのような文脈で北朝鮮選手団に目を向けざるを得ない。その北朝鮮が大会序盤に、「重量挙げで連日の世界新記録」と話題になっている。
「仁川アジア大会第3日(21日)重量挙げ男子は北朝鮮勢の連日の世界新記録に沸いた。男子56キロ級のオム・ユンチョルに続き、この日は62キロ級のキム・ウングクがスナッチとトータルで世界新をマーク。2人のロンドン五輪金メダリストが絶対的な強さを見せつけた」「北朝鮮勢は女子75キロ級にも、ロンドン五輪69キロ級女王のリム・ジョンシムがエントリーしており、旋風は収まりそうもない」(共同)と報道されている。その成績自体には、私は何の興味も関心もない。

私の関心を惹くものは、たとえば次の毎日の記事である。
「表彰式後に世界記録更新の感想を聞かれると、ユニホームの胸に描かれた国旗を誇らしげに示し『敬愛する最高司令官、金正恩(キム・ジョンウン)元帥(第1書記)の愛と配慮がそれだけ大きいから』」

北の体制を支えている国民と指導者の精神構造は、おそらく旧日本の天皇制によく似ている。しかし、戦前の日本臣民も、さすがに外国に向けては「金メダルは天皇陛下のおかげです」「この栄誉を陛下に捧げます」などとは口にしなかったのではないか。

「元帥を敬愛する」も、「元帥の愛と配慮のおかげ」も、「北」を一歩出れば恥ずかしい限り。これをも 「輝く多様性」として認め合おうと言うべきか。

毎日の記事は、「金正恩体制は、今まで以上に国際大会での活躍を重視している。22日の労働新聞は、キムが表彰式で国旗に敬礼する写真とともに『栄誉の金メダル奪取、連続新記録樹立』と報じた」と続いている。あきらかに、北朝鮮はアジア大会を国威発揚の機会ととらえている。そして、国威発揚と個人崇拝とは、彼の国では一体のものなのだ。

おそらく、オム・ユンチョルやキム・ウングクは、元帥様を中心とする北の体制の「支配の側」に組み入れられることになるのだろう。だから、元帥様礼賛は本心からのものに違いない。しかし、むきつけの国威発揚や個人崇拝が、この上なく格好の悪いことであるという感覚には乏しいようだ。そのような感覚が国外では通用せず、却って冷笑されるものと考え及ばない閉鎖された歴史・伝統・文化の中にあるようだ。

もっとも、スポーツを国威発揚の手段としている国は北朝鮮にとどまらない。また、国威の発揚が時の政権の威光として意識されることも言を俟たない。アジア大会参加の各国と「北」との違いは、五十歩百歩。北や元帥様を笑う資格はどの国にもなさそうだ。もちろん、日本にも。

国際スポーツ競技会とは、一面人々の交流の機会でもあるが他面ナショナリズム高揚の機会でもある。前者の側面を意識的に強調して充実させ、後者を意識的に抑制する方針を採らないと、しらけた偏頗な意味のないものに成り下がってしまうだろう。
(2014年9月22日)

「戦後レジームからの脱却」路線に未来はない

昨日と今日(9月20・21日)は、日民協執行部の夏期合宿。恒例では8月中の行事だが、今年は諸般の事情あってやや遅い日程となった。参加者は23名。

企画のメインは、情勢認識をできるだけ統一するための憲法問題討論会。全体のタイトルは「安倍政権の改憲・壊憲政策の全体像」というもの。分野別に担当者を決めて、30分の報告と、報告をめぐっての40分の討論。時間通りには収まらない満腹感のある議論となった。

全討論の最後を森英樹新理事長がまとめた。私の理解した限りでのことだが、大要以下のとおり。

「安倍政権の改憲路線が、各分野にわたる全面的なものであり、これまでにない質的に本格的なものでもあることは、おそらく共通の認識と言ってよいでしょう。これまでは、一内閣一課題の程度でしか問題にし得なかったことを、あれもこれも俎上に載せている。

今回合宿の討論会で取り上げたのは、下記6分野でした。
 9条関係(平和主義、集団的自衛権をめぐる問題)
 21条関係(表現の自由、あらゆる分野での憲法擁護言論封殺の動き)
 25条関係(生存権、社会福祉・医療保険、介護保険制度)
 27条関係(労働権、雇用の喪失と雇用形態の)
 31条以下の被疑者被告人の権利(刑事司法改悪の現状)
 前文(歴史認識問題・右翼の台頭)

本日取り上げられなかった分野として、下記があります。
 26条(教育を受ける権利)
 28条(労働基本権、とりわけ争議権問題)
 30条(納税者基本権)
 第4章(議会制民主主義・選挙制度)
 第6章(司法)
 第8章(地方自治)
  
できれば、もう一回これらの分野での報告と議論の機会を持ち、パンフレットとして出版することを考えてはどうでしょうか。

安倍政権の、このような全面改憲のイデオロギーを支えているのが、「戦後レジームからの脱却」というキーワードです。
「戦後」とは、1945年敗戦以前の近代日本を否定的にとらえる時代認識の用語として固有名詞化したものです。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断があります。安倍さんは、これを再否定して「美しい日本」を取り戻すという文脈となる。
また「レジーム」とは、単なる体制や枠組みというだけでなく、フランス大革命以前の体制を「アンシャンレジーム」と言ったことから、唾棄すべき、古くさい体制というニュアンスが込められている。
しかし、「戦後」を唾棄すべきレジームとして否定して、取り戻す日本というのは、けっして未来を指向するものではない。悲しいかな、古くさく、世界のどこからも「価値観を共有する」とは言ってもらうことのできない、天皇制の戦前に回帰するしかないことになります。

問題は、安倍首相のパーソナルファクターではありません。安倍さん個人はいずれ任を離れます。しかし、安倍さんに、シンパシーを持つ勢力が発言権を持ち始めているということです。

この点が、ドイツと大いに異なるところです。
今年のドイツは、いくつもの意味で節目の年でした。
 まず、1914年(第1次大戦開戦)から100年。
 ついで、1939年(第2次大戦開戦)から75年。
 そして、1989年(ベルリンの壁崩壊)から25年、です。

第1次大戦の開戦は偶発でしたが、これが最初の世界大戦に発展したのは、ドイツがフランスに対する開戦を決意し、フランスへの進路にあたる中立国ベルギーを攻略したことに端を発します。今年の8月3日、その100年目の記念式典が、ベルギーの最初の激戦地であるリエージュ開催されました。関係国の首脳が参集したその式典で、ドイツの元首であるガウク大統領が、謝罪と反省の辞を述べています。

さらに、史上初めて毒ガスが本格的に使用された戦場として名高いイーペルでも、ガウクは次のように述べています。
「罪のない多くのベルギーの人々を殺傷した当時のドイツの行為には、みじんの正義もなかった。追悼の言葉だけでなく、謝罪と反省を行動で示さなければならない」
歴史を反省するとはこういうものか、と思わせる真摯な内容でした。

第2次大戦開戦のきっかけとなった1939年のポーランド侵攻の責任については、言うまでもありません。

戦後のドイツが生き延び復興するには、ヨーロッパ世界に受け入れてもらわねばならないのですから、過去を深く反省するしか方法がなかったと言えばそれまでですが、ドイツの真摯な反省とその実行とは、周辺諸国からの信頼を勝ち得るものとなっています。

それと比較して日本はどうでしょうか。
日本もドイツ同様に、今年は歴史的な節目の年です。
 1874年台湾出兵から140年。
1894年日清戦争から120年。
 1904年日露戦争から110年。
 1914年第一次大戦から100年。

ドイツは歴史を反省する「風景」を作り出しました。しかし、日本は「無風景」のままなのです。

また、中国は三つの「国辱の日」を持っています。いずれも、日本との関係におけるもの。
 5月9日 対華21箇条要求の日
 7月7日 盧溝橋事件勃発の日
 9月18日 柳条湖事件の日
日本のマスコミが、これら各日を意識して特集を組んだり、回顧や報道の記事を書いていないことを残念に思います。

朝鮮との関係では、もうすぐ11月10日。これは、日本が朝鮮の人々に創氏改名を強制したことによって記憶されている日です。この日に、新聞やテレビが関心を持つでしょうか。

ドイツは過去への反省を徹底することによって国際的な信頼を獲得しました。多くの国から「価値観を共有する国」として受容されています。翻って、安倍政権の「改憲・壊憲路線」は、「歴史の反省をしない日本」「とうてい価値観を共有し得ない日本」を浮かび上がらせることに終わる以外にはありません。

その意味では、私たちは自信を持ってよいと思います。安倍改憲・壊憲路線は、日本国民の利益と敵対するだけではなく、近隣諸国や世界各国の良識から孤立するものであることを指摘せねばなりません。

法律家の任務として、改憲の動向に対応するだけでなく、憲法を根底から否定し全分野においてこれをないがしろにする安倍内閣の政策の総体に対抗する運動に寄与しなければと思います。」
(2014年9月21日)

道徳教育の教科化に反対するー教育をマインドコントロールの手段にしてはならない

民主主義とは、民意に基づいて権力が形づくられ、民意によって権力が運営されるという原則である。思想であるだけでなく、制度として定着しているはずのもの。常に、あらゆる局面で、民意が権力をコントロールすべきが当然であって、権力が民意を制御し誘導することを、主客転倒として想定していない。この原則に従って、民主主義を標榜する社会における教育は、権力からのコントロールを厳格に排しなければならない。

ところが、現実の権力は、常に民意をコントロールしようとする。権力に好都合の民意を誘導して形成しようとするだけでなく、そのような誘導を批判せず受容する国民精神までを涵養しようとする。そのような権力の願望は、教育の制度作りと運用に表れる。「道徳教育」はその最たるものである。

公教育において、特定の価値観・道徳観を国民に押し付けてはならない。この自明の原則が、政権には面白くない。何とかこれをやってのけたい。現体制・現政権勢力・時の為政者の支配の維持のためにである。

道徳とは、その内容において普遍的なものはあり得ない。これを、特定の価値観から一元化して、儒教的徳目を並べたうえに天皇への忠誠を最高道徳としたのが教育勅語であり、戦前の教育制度の根幹であった。その反省もあって、公権力が特定のイデオロギーをもってはならないことは、多くの国民の常識として定着している。

にもかかわらず、現行の「学習指導要領第1章総則」には、次のように書かれている。
「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」

結局、道徳教育とは、「未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」というのだ。これ自体旺盛なイデオロギー性に満ちている。

「教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神」とは何であろうか。第一次安倍政権が「改正」した教育基本法第2条は、教育の目的を定めるが、その第5項は次のとおりである。
「五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」

自民党改憲草案流の読みようは「万世一系の天皇を戴く伝統と、『和をもって尊しとなし、お上に逆らうことなきを旨とせよ』という文化を尊重し、なによりも愛国心を教え込むことが教育の目的」ということになろう。

現行制度も大いに批判されなければならないが、現政権はこれでは飽き足らない。「可能な限り国民の抵抗感を少なくして、焦らず着実に、やりたいことをやってしまおう」。そのような姿勢での道徳の教科化が進行し、昨日大きな一歩を踏み出した。警戒を要する事態である。

小中学校での道徳の教科化を議論している中央教育審議会の道徳教育専門部会は昨日(9月19日)、「道徳に係る教育課程の改善等について」の答申案を決定した。報道では、「『特別の教科 道徳』(仮称)と位置付けて格上げし、検定教科書を導入することを盛り込んだ答申案を決めた。評価は他教科のような数値ではなく記述式にする。10月にも答申を受け、同省は今年度中に道徳に関する学習指導要領の改定案を示し、早ければ2018年度からの実施を目指す」「道徳の教科化を巡っては、第1次安倍内閣時代にも検討されたが、中教審で慎重意見が多く、見送られた。今回は政府の教育再生実行会議が昨年2月に教科化を提言。中教審の専門部会では目立った反対意見は出なかった」(毎日)とされている。

なお、「教科化が価値観の押しつけにつながることを懸念する声に対しては『特定の価値観を押しつけたり主体性を持たずに行動するよう指導したりすることは目指す方向と対極にある』と強く否定した」とも報道されている。これでは、問題のないような答申の印象だが、とうていそのようには考えがたい。

答申の内容は、まだ文科省のホームページに掲載されていないが、「8月25日道徳教育専門部会(第9回)配付資料」に、「審議のまとめ(案)」が掲載されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/049/siryo/1351218.htm
このとおりの答申案決定となった模様だ。

この答申(案)には、道徳の教科化がこれまで批判を受け続けてきたことへの言及がない。指摘された批判を謙虚に受けとめようという姿勢が皆無なのだ。この基本姿勢において、答申自体が極めて「不道徳」である。

また答申の中に、次の記述があることが気になる。
「道徳教育の使命」の項においては、「道徳教育においては、人が互いに尊重し協働して社会を形作っていく上で共通に求められるルールやマナー、規範意識などを身に付ける‥ことが求められる」
「道徳の内容項目について」の項では、「社会参画など社会を構成する一員としての主体的な生き方に関わることや規範意識、法などのルールに関する思考力や判断力などについても充実が必要と考えられる」とも言う。
「協働して社会を形作っていく上で求められるルールやマナー、規範意識」の強調が不気味である。

法には二面ある。権力の強制実行手段としての側面と、主権者意思が権力の恣意的発動を制約する側面とである。権力的契機と民主的契機の両面と言ってよい。規範・ルールも同様である。この二面性を意識的に糊塗したまま、「法やルールに関する規範意識」の涵養をいうことは、デマゴギーというしかない。

道徳教育は、権力による国民に対するマインドコントロールとなりかねない。大いに警戒をしなければならないと思う。
(2014年9月20日)

無数の「吉里吉里国」独立運動よ 起これ

世界が注目したスコットランドの独立は、今回実現しなかった。住民投票の結果は、反対が200万1926票(55・25%)、賛成は161万7989票(44・65%)と意外の大差だったという。

結果はともかく、主権国家の一部の独立の可否が、武力ではなく投票によって、つまりは住民の意思によって決せられることに「文明の成熟」を感じる。イギリス政府の懐の深さに脱帽せざるを得ない。また、16才以上の住民を有権者として、84・6%という高投票率がスコットランド住民の意識の高さと関心をものがたっている。

独立推進派は、独立後の非核化や、北欧型の高福祉社会の実現を掲げて支持を拡大した。「英国の核戦略は、スコットランド・グラスゴー近くの軍港に駐留する原子力潜水艦に依存している。イングランドには停泊可能な港がなく、また造れないので、そこにしか置けない」(琉球新報)のだそうだ。しかし、独立に伴う経済的なリスクの大きさを訴えた反対派に負けたとの解説が一般的だ。理念が現実に、勝ちを譲ったというところか。

独立派は負けはしたが、スコットランドの住民が、「英国にとどまっていたところで収奪されるばかりで何のメリットもない」と判断すれば、英国から離脱して独立できるのだ。「国家は所与のものではなく、人民の意思によって構成されるもの」であることを見せてもらった思いである。

とはいえ、通常はその意思の如何にかかわりなく、国民個人は国家から独立し得ない。一県一市も町内会も、一国から独立できない。恐るべき不自由ではないか。

井上ひさしの小説「吉里吉里人」を思い出す。東北地方の一寒村「吉里吉里村」(人口4200人)が突如独立宣言して、「吉里吉里国」を建国する。日本政府からの数々の悪政に愛想をつかしての壮挙である。「イエン」を独自の通貨とし、地元方言(東北弁)を公用国語とし、破天荒な国旗・国歌を定め、平和立国の宣言をする。これは、究極の地方自治、反権力の究極のロマンである。もちろん中央政府からの過酷な弾圧に遭うことになり、果敢に「独立戦争」を闘うもハッピーエンドとはならない。吉里吉里人には、独立のための住民投票の権利が与えられないのだ。

吉里吉里だけではない。ウイグルも、チベットも、チェチェンにも、ウクライナ東部にも、あるいはバスクにもカタルニアにも住民の意思による独立の権利は認められない。住民投票の機会が与えられれば、確実に独立するだろうに、である。まことに、国家とは厄介なものだ。民族的多数派は、決して少数派の独立を認めようとしない。イヤも応もなく、少数派は国家に縛り付けられ続けることになる。

わが国ではどうだろう。アイヌ民族の独立はともかく、琉球諸島の独立は考えられないだろうか。その現実性はないだろうか。日本にとどまっていることにメリット少なく、基地を押し付けられているデメリットだけだとすれば、琉球人の自律を求めて日本から独立し、明治政府の琉球処分(1874年)あるいは島津服属(1609年)以前の琉球に戻ろうという願いは無理からぬものではないか。スコットランドがイングランドに併合されてから307年だという。琉球の日本への併合の歴史とたいした差はない。

また、さらに思う。国家とは何か。大企業や大資本・財界の利益のための国家に、労働者や低所得者が、なにゆえかくも縛りつけられて離脱できないのだろうか。この国のどこででも、吉里吉里国のごとくに、独立運動が起こって不思議はないのだ。

あらゆる地域で、あらゆる分野で、安倍政権のくびきからの自由を求めて、無数の吉里吉里人の蜂起よ起これ。まず精神の次元で、この日本に囚われることなくそれぞれが自らの吉里吉里国を建国しようではないか。その伸びやかな自律の精神が現実の日本を変えていくことになるだろう。
(2014年9月19日)

不忘『九・一八』 牢記血涙仇

本日は「九・一八」。1931年9月18日深夜、奉天近郊柳条湖で起きた鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。小学館「昭和の歴史」の第4巻『十五年戦争の開幕』が、日本軍の謀略による柳条湖事件から「満州国」の建国、そして日本の国際連盟脱退等の流れを要領よく記している。

その著者江口圭一は、ちょうど半世紀後の1981年9月18日に柳条湖の鉄道爆破地点を訪れた際の見聞を、次のように記してその著の結びとしている。

「鉄道のかたわらの生い茂った林の中に、日本が建てた満州事変の記念碑が引き倒されていた。倒された碑のコンクリートの表面に、かつて文化大革命のとき紅衛兵によって書かれたというスローガンの文字があった。ペンキはすでに薄れていた。しかし、初秋の朝の日射しのもとで、私はその文字を読み取ることができた。それは次の文字だった。
不忘“九・一八” 牢記血涙仇」

印象の深い締めくくりである。ペンキの文字は、「九・一八を忘るな。血涙の仇を牢記せよ」と読み下して良いだろう。牢記とは、しっかりと記憶せよということ。血涙とは、この上なく激しい悲しみや悔しさのために出る涙。仇とは、仇敵という意味だけではなく、相手の仕打ちに対する憎しみや怨みの感情をも意味する。

「9月18日、この日を忘れるな。血の混じるほどの涙を流したあの怨みを脳裡に刻みつけよ」とでも訳せようか。足を踏まれた側の国民の本音であろう。足を踏んだ側は、踏まれた者の思いを厳粛に受けとめるしかない。

柳条湖事件を仕組み、本国中央の紛争不拡大方針に抗して、満州国建設まで事態を進めたのが関東軍であった。関東軍とは、侵略国日本の満州現地守備軍のこと。「関」とは万里の長城の東端とされた「山海関」を指し、「関東」とは「山海関以東の地」、当時の「満州」全域を意味した。

私の父親も、その関東軍の兵士(最後の階級は曹長)であった。愛琿に近い、ソ満国境の兵営で中秋の名月を2度見たそうだ。「地平線上にでたのは、盆のような月ではなく、盥のような月だった」と言っていた。「幸いにして一度も戦闘の機会ないまま内地に帰還できた」が、それでも侵略軍の兵の一員だった。

世代を超えて、私にも「血涙仇」の責の一部があるのだろうと思う。少なくとも、戦後に清算すべきであった戦争責任を今日に至るまで曖昧なままにしていることにおいて。

何年か前、私も事件の現場を訪れた。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。

柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。この秘密を知った者が、「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。軍機保護法や国防保安法、そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。今、すでに成立した「特定秘密保護法」が、そのような国家秘密保護の役割を担おうとしている。

法制だけではなく、満州侵略を熱狂的に支持し、軟弱外交を非難する世論が大きな役割を果たした。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。

今の世はどうだろうか。自民党の極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法が制定され、集団的自衛権行使容認の閣議決定が成立し、慰安婦問題での過剰な朝日バッシングが時代の空気をよく表している。偏頗なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。

今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にしよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。
(2014年9月18日)

第2回口頭弁論後の報告集会でー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第25弾

「被告本人」の澤藤です。
弁護団の皆様、ご支援の皆様。本日も多数の方にご参集いただき、まことにありがとうございます。遠方からわざわざお越しいただいた方には、とりわけ感謝申しあげます。

先日、スラップ訴訟被害者の方からお話しを聞く機会がありました。
解雇争議中の4人の労働組合員に対して、会社が5000万円の損害賠償請求訴訟を起こしたのです。理由は、組合が運営するサイトに会社に対する名誉毀損の記事を掲載したというもの。まさしく、典型的なスラップ訴訟です。この訴訟は、結果としては会社の全面敗訴になるのですが、訴訟提起自体がもつインパクトの凄まじさのお話しが印象に残りました。

ある日突然、裁判所から各組合員の自宅に、ものものしい特別送達での訴状が届きます。封筒を開けてみて、5000万円支払えという裁判が自分に対して起こされていることを知ることになります。普通の金銭感覚では、びっくり仰天。「足が震え、電話の声が上ずった」と聞きました。当然のことと思います。

普段、訴状や答弁書、準備書面を見なれている弁護士の私でさえ、自分自身に2000万円請求の訴状を受領したときには驚愕しました。そして、こんな馬鹿げたことに時間と労力を注ぎこまなければならないことに、不愉快極まる思いを押さえることができませんでした。

しかし、同時に怒りと闘志も湧いてきました。こんなことに負けてはいられない。私は、このような不正と闘わねばならない立場にあるのだと自分に言いきかせました。はからずも、自分が「表現の自由」というかけがえのない憲法理念を擁護する戦列の最前線に立たされたのだ。一歩も退いてはならない。そう、思い定めたのです。

批判を嫌って、フラップ訴訟を濫発するぞと威嚇する相手には、敬して遠ざけるのが賢明な処し方でしょう。たまたま見かけたあるブログは、「DHC法務部から、記事の削除を求める申入を受けた。不本意だが、実際に裁判をやられかねないので、いったんは削除することにする。その上で、澤藤という弁護士がDHCと争っているとのことなので、そちらの裁判の帰趨を見守りたい。澤藤が勝訴すれば、そのときは再掲載することにしたい」と言っています。

これが、常識的な対応と言って良いでしょう。「表現の自由に対するDHCからの介入は不愉快だが、現実に裁判をやられたのではたまらん。そんな事態は避けるのが賢明」。こういう対応を卑怯だとか、だらしないなどと非難することなどとうていできません。しかし、みんなが、賢く常識的な対応をしていたのでは、萎縮効果を狙ったスラップ訴訟濫発者の思う壺になってしまいます。誰かが、最前線で、歯止めの役割を果たさなければなりません。

私は、弁護士とは、そのような役割の担い手となるにふさわしい存在と思ってきました。弁護士とは、社会正義と人権の守り手としての任務を持った職能です。自らの言論の自由を侵害されたときに、自らの自由のみならず、国民一般の自由の擁護のために最前線で闘わねばならない。そう、思うのです。おそらくは、多くのジャーナリストも同じ思いなのでしょう。

親しい方からは、賢く常識的に振る舞うようアドバイスもいただいています。しかし、ここは、愚かでも非常識でも、意地を張って一念を通さねばなりません。自分の利益のためだけでなく、権利一般を擁護するために、全力を尽くさねばならない。

幸いなことに、そのような思いに共感して一肌脱いでやろうというたくさんの弁護士からご支援をいただいています。まことにありがたく、心強い限りです。ここ一番、がんばらねばなりません。

先ほど「那須南九条の会」の高野さんから、「DHCスラップ訴訟を共に闘う決議をした」とのご報告をいただきました。渡辺喜美代議士の地元から「支援するのではない。共に闘うのだ」という力強い運動の芽生えに励まされます。やはり、闘うことを宣言して、多くの人に支援を呼び掛けたことの正しさに確信を持ちました。

この問題をどうとらえるか。弁護団での議論が少しずつ、煮詰まってきていると思います。この訴訟は、政治的言論に対する封殺訴訟です。言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的な強者です。妨害された言論の媒体はブログ。これは、インターネット時代に、国民のだれもが表現の自由の権利主体になれるツールにほかなりません。そして、妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評。さらに具体的には、経済界が3兆円市場として虎視眈々と狙っているサプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判の言論なのです。言論封殺の態様は、名誉毀損名下に行われる高額損害賠償請求訴訟です。まさしく濫訴、まさしく訴権の濫用と言わねばなりません。強者の不当極まる訴権の濫用に対して、これをどう制裁し予防すべきか。憲法21条論の、今日的な具体的テーマです。

この訴訟への応訴は憲法21条という憲法理念を守る闘いであり、政治とカネをめぐる問題でもあり、国民の健康を左右する消費者問題でもあります。まさしく、私一人の問題ではなく、国民みんなの権利に関わること。当事者となると、口をついて出るのはどうしても「お願いします」という言葉になるのですが、ここでは敢えて、「みなさん、ぜひ一緒に闘ってください」と申しあげます。
(2014年9月17日)

第2回口頭弁論までの経過報告ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第24弾

明日(9月17日)が、「DHCスラップ訴訟」の事実上第2回口頭弁論期日。
午前10時半に、東京地裁705号法廷。多くの方の傍聴をお願いしたい。

法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階での争点や今後の展望について、弁護団からの報告や解説がなされる。加えて、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。ご参加のうえ、政治的言論の自由擁護の運動にご参加いただきたい。

下記は、当日の集会で配布予定のレジメの一部である。経過報告をまとめたもの。

          『DHCスラップ訴訟』ご報告
《経過》(問題とされたのは下記ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
 ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
      4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
      4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
    参照 https://article9.jp/wordpress/     澤藤統一郎の憲法日記
       https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連
 4月16日 原告ら提訴(係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長)
       事件番号平成26年(ワ)第9408号
 5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
 6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
   答弁書は、本案前の答弁として訴権の濫用を根拠として却下を求め、
   本案では請求の趣旨に対する答弁と、請求原因に対する認否のみ。
 6月12日 弁護団予備会議(参加者17名・大型弁護団結成の方針を確認)
 7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
       この席で原告訴訟代理人から請求拡張予定の発言
 7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・シリーズ第1弾」
    第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」(7月13日)
    第2弾「万国のブロガー団結せよ」(7月14日)
    第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」(7月15日)
    第4弾「弁護士が被告になって」(7月16日)
     以下、現在第24弾まで
 7月16日 原告準備書面1 第1弾?第3弾に対して「損害拡大」の警告
 7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
 8月13日 被告準備書面(1) ・委任状・意見陳述要旨提出。
 8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
       被告本人・弁護団長意見陳述。
       11時? 東弁508号室で報告集会(北健一氏・田島先生ご報告)
 8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
     新たに下記の2ブログが名誉毀損だとされる。
     7月13日 いけません 口封じ目的の濫訴
           ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第1弾
     8月8日 「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ・第15弾
 9月16日 被告準備書面(2) 提出
 9月17日(本日) 10時30分 705号法廷 第3回(実質第2回)弁論期日。
       11時? 東弁507号室で報告集会(スラップ被害者の報告)
《弁護団体制》現在110名 弁護団長(光前幸一弁護士)
《この問題をどうとらえるか》
 *政治的言論に対する封殺訴訟である。
 *言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
 *妨害された言論の媒体はブログ。
   (国民を表現の自由の権利主体とするツール)
 *妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評
  サプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判
 *言論妨害の態様は、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)
 *強者が訴権を濫用することの問題⇒これをどう制裁し防御するか
《今後の課題》
 ※争点 「訴権の濫用」「公正な論評」「政治とカネ」「規制緩和」
  8億円「貸付」の動機論争。「見返りを期待」か「国民のための浄財」か。
 ※今後さらに請求の拡張? もしかしたら何度でも、くり返し?
 ※反訴の可否・タイミング
 ※他の『DHCスラップ訴訟』被告との連携
   本件を含め東京地裁に10件の同種事件が係属(別紙)
 ※これまでのスラップ訴訟経験者・弁護団からの経験を学ぶ
 ※原告代理人弁護士(山田昭・今村憲・木村祐太)への責任追及の可否
 ※マスコミにどう訴え、どう取材してもらうか
《訴訟上の争点の枠組》
 *「事実を摘示」しての名誉毀損か、「論評」か。その切り分けが重要となる。
  また、記述を全体として考察するか、個別に分断して判断するか。
 *「事実摘示による名誉毀損の免責法理」の各要件該当性
   ?ことがらの公共性
   ?目的における公益性
   ?真実性(または相当性)
 *「公正な論評の法理」要件該当性
   ?公共性   ?公益性
   ?真実性(論評の前提とされる事実の真実性、または相当性)
   ?人身攻撃に及ぶなど論評の域を逸脱していないこと
《応訴の運動を、「劇場」と「教室」に》
  まずは、楽しい劇場に。
  誰もがその観客であり、また誰もがアクターとなる 刺激的な劇場。
  そして有益な教室に。
  この現実を素材に 誰もが教師であり、誰もが生徒である教室。
  ともに新しいことを学ぶ場としての教室に。
(2014年9月16日)

DHC会長の8億円拠出は「浄財」ではないー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第23弾

6月8日の当ブログで、「経団連の政治献金あっせん再開は国民本位の政策決定をゆがめる」ことを書いた。https://article9.jp/wordpress/?p=2784

ここでは、いくつかの川柳を引用した。
  役人の子はにぎにぎをよく覚え
  役人の骨っぽいのは猪牙にのせ
  言う事が変わった カネが動いたな
金(にぎにぎ)と接待(猪牙)、これが、富者の官僚・政治家懐柔の常套手段であった。現代の「政治献金」は「にぎにぎ・猪牙」と本質において変わるところはない。今も昔も、「にぎにぎし、猪牙に乗せられた」政治家・官僚は、「にこにこ」し「ぺこぺこ」する。しばらくして、庶民は「言う事が変わった カネが動いたな」と嘆ずることになる。

上記ブログで引用した各社の社説は、経団連の政治献金あっせん再開が「『政策をカネで買うのか』という国民からの批判を招く」ことではほぼ一致を見ている。
「だから、辞めろ」というのが、朝日・毎日・東京の立場。
「だから、批判をかわしてうまくやれ」というのが日経・産経・読売の姿勢。

あれから2か月余。改めて、政治家への金の拠出とは何かを考えて見たい。きっかけは、DHC吉田が自身を指して「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいる」と言っていることだ。吉田が渡辺に交付した8億円は、私利私欲を離れて、官僚制度の打破・規制緩和という、「日本を良くするための浄財」だったというのだ。経団連の言い分とよく似ている。これがはたして世間に通用するものであろうか。

経団連はこう言っている。
「経団連はかねてより、民主政治を適切に維持していくためには相応のコストが不可欠であり、企業の政治寄附は、企業の社会貢献の一環として重要性を有するとの見解を示してきた。」
さすがに、DHCよりは、多少なりとももっともらしい。しかし、これは、明らかにデマでしかない。

「民主政治のコストを企業が負担」してはならない。企業が自らの利益のために政治資金を拠出することは実質において賄賂として許されない。だからといって企業利益と無関係に資金の支出をすれば、株主の利益に反する背任となる。どちらにしても、許されない。

問題は、もっと根源にある。政治とは何か。その本質は利害相反する各グループ間の対立の調整にある。利益配分の調整と言ってもよい。

この世の中は、非和解的な対立で満ち満ちている。企業と労働者、持てる者と持たざる者、大企業と中小企業、事業者と消費者、賃貸人と賃借人、都市と農村、中央と地方、世代間、地域間、男女間、産業間の利益主張が矛盾し衝突している。その衝突はどこかで妥協し折り合いをつけなければならない。それぞれの主張と主張の間の妥協の調整が政治である。

政党・政派とは、特定のグループの立場に立つことを標榜し、誰かの利益のために働く組織のことだ。政治献金とは、そのどこかのグループの活動を、金銭をもってサポートすることにほかならない。

すべての人の幸せのための政治などということは空論である。現実には、それぞれのグループの利益のための綱引きが政治であり、政治献金も「日本国全体」や「国民全員」のためのものではあり得ない。相争うグループのどちらかへの肩入れ以外のなにものでもない。

経団連は、財界を代表して、企業活動の際限のない自由を求める立場に立つ。安倍政権の新自由主義政策を後退させてはならないと露骨に表明している。安倍政権とチームを組んで、労働者や消費者、農村や漁民、あるいは福祉を切り捨て、企業利益をはかろうというのだ。具体的には、原発を再稼動し、武器を輸出し、法人税を減税し、TPPを推進し、労働規制の徹底した緩和をねらう。経団連のいう「政治と経済の二人三脚」とは、大企業が安倍政権のスポンサーたらんとすることだ。となれば、自ずと政権はスポンサーの顔色を窺い、そのご意向を踏まえた政策を採用することにならざるを得ない。こうして、「言う事が変わった カネが動いたな」という、分かり易い事態となる。

民主主義とは、言論の応酬によって民意を形成すべきことを自明の前提とし、最大多数の最大幸福実現を目指す手続である。この民主政治の過程を歪める最大のものは、カネの力である。企業献金も少数金持ちの多額の政治資金拠出も、明らかに民主主義政治過程を歪めるものとして「悪」である。

DHC吉田の言う「官僚的規制撤廃、規制緩和を求めての政治資金拠出」とは、弱者保護のための規制を切り捨て、企業利益擁護に奉仕する役割を担うものでしかない。とりわけ、DHCが関心をもつ厚生・労働行政における規制とは、典型的な社会的規制である。消費者の健康を守るための製品の安全性の確保のための規制であり、労働者の人間らしい生活を守るための必要不可欠な労働基準規制である。その規制撤廃ないしは緩和のための政治資金拠出は、消費者や労働者にとっての「恐るべきカネ」「憎むべきカネ」にほかならない。これを「浄財」などとは噴飯ものである。

「DHCスラップ訴訟」とは、「政治的言論の自由」に対する威嚇と萎縮効果を目的の提訴であり、これに対する応訴は「言論の自由」擁護の闘いである。さらに具体的には、「政治をカネで買おうとする者への批判の自由」をめぐっての攻防がなされている。

この訴訟を通じて、「政治とカネ」の問題の本質を掘り下げ、裁判所に理解を得たいと考えている。同時に、DHC・吉田のような、カネの力で政治に介入しようとする思想や行動を徹底して糾弾しなければならない。

「DHCスラップ訴訟」第2回口頭弁論期日は、明後日(9月17日(水))の午前10時半。東京地裁705号法廷。可能な方には、是非傍聴をお願いしたい。
法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階ややせめぎ合いの内容について、弁護団からの報告がなされる。加えて、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。是非多くの方のご参加をお願いしたい。そして、政治的言論の自由擁護の運動にご参加いただきたい。
(2014年9月15日) 

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