澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

主権者として最高裁に合否の審判を

(2021年10月18日)

 最高裁裁判官国民審査に当たって訴えます

 10月31日第49回総選挙投票の際に、「もう一つの総選挙」である最高裁裁判官の国民審査が行われます。主権者である国民が、最高裁のありかたの適不適を判断する大切な機会です。確かな判断材料に基づいて、曇りのない確かな目で、審査対象の各裁判官と最高裁のあり方を判断されるよう、法律家の立場から訴えます。
 
 日本国憲法には、美しい理想が掲げられています。その理想を実現する役割を担うのが裁判所であり裁判官です。その頂点に位置する最高裁の裁判官に限って国民審査の対象になります。主権者である私たち国民は、国民審査の機会に最高裁のあり方を可とするか不可とするかの審判を行うことで、最高裁だけでなく、全国の裁判所をより良い方向に変えていくことができます。

 今回審査対象となるのは、安倍晋三内閣任命の裁判官が6名、菅義偉内閣任命が5名の計11名。この裁判官たちは憲法の理想を実現する役割を果たしたと言えるでしょうか。政府広報だけでは分からないこの問題について、的確な情報を提供する「パンフレット」を作りました。ぜひ、ご参照され活用していただくよう希望いたします。その結論を申し上げれば、以下のとおりです。

 選択的夫婦別姓に反対した裁判官(林道晴、深山拓也、三浦守、岡村知美、長嶺安政の各裁判官)に?を!
 正規・非正規の格差是正に反対した裁判官(林道晴裁判官)に?を!
 冤罪の救済に背を向けた裁判官(深山拓也裁判官)に?を!
 一票の格差を放置した裁判官(林道晴、深山拓也、三浦守、草野耕一岡村知美各裁判官)に?を!

なお、すべての裁判官にとって、その独立こそが生命です。政治権力にも、いかなる社会的な権力や権威にも揺らぐことなく、自らの良心と法にのみに従った裁判をすることによってこそ、法の正義を貫き国民の人権を擁護することが可能となります。
 ところが最高裁で司法行政を司る「司法官僚」はその人事権を梃子に、全国の裁判官を内部的に統制し、この50年にわたって裁判官の独立をないがしろにしてきたと指摘せざるを得ません。判決内容だけでなく、この点についての国民的批判も重大だと考え、その観点から訴えます。

 裁判と裁判官を統制してきた司法官僚(林道晴、安浪亮介各裁判官)に、?を!

 なお、国民投票運動は、公職選挙法の縛りを受けません。このパンフは、どこでも、いつでも、自由に配布することができます。
  

スラップ訴訟の今昔 ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第196弾

(2021年10月17日)
 かつて、武富士こそがスラップ常習企業の雄として君臨していた。知られたくないその業務の実態を報道したメディアやジャーナリストを被告として、名誉毀損訴訟を濫発したのだ。2002年から03年にかけてのこと。
 標的になったのは、日経ビジネス・サンデー毎日・週刊金曜日・週刊プレイボーイ・月刊ベルタ・月刊創など。記事を書いた記者も、被告とされた。

 そのうちの一件に、「同時代社」(代表・川上徹)を被告とした訴訟があった。同社が出版した「武富士の闇を暴く」の記事によって、武富士に対する名誉と信用が毀損されたとするもの。この件で被告にされたのは、同社だけでなく、記事の執筆を担当した消費者問題専門弁護士3名。そのとき、私は被告代理人を買って出て弁護団長となった。

 この訴訟では、消費者問題に取り組む全国の弁護士が総力をあげて、武富士と闘い、その請求を棄却させるだけでなく、提訴を違法とする反訴にも認容判決を得る成果を挙げた。

 しかし、当時、「スラップ訴訟」という言葉がなかった。あったのかも知れないが知られていなかった。この言葉が知られていれば、労せずして武富士側の提訴のねらいを明確にして、裁判所に正確な理解を得ることが容易であったろう。世論の理解と支援を得るためにも便宜であったと思う。

 さて、時は移って2014年。既に武富士は世になく、スラップ常習企業としての地位を継いだのがDHCである。武富士とDHCとスラップ。よくお似合いではないか。スラップ常習弁護士も代わった。

 DHC・吉田は、「8億円裏金授受問題」批判の記事を嫌って、時期を接しての10件の同種事件を提訴している。高額の訴訟費用・弁護士費用の支出をまったく問題にせずに、である。

 私もそのうちの1件の被告とされた。他には、私のようなブロガーや評論家、出版社など。最低請求額は2000万円から最高は2億円の巨額である。

 損害賠償請求の形態をとる典型的なスラップは、市民運動や言論を恫喝して萎縮の効果を狙っての提訴だから、高額請求訴訟となるのが理の当然。「金目」は人を籠絡することもできるが、人を威嚇し萎縮させることもできるのだ。

私は、自分がスラップの被告とされて以来、同じ境遇の何人かの経験を直接に聞いた。皆、高額請求訴訟の被告とされたときの驚愕、胸の動悸と足の震えを異口同音に語っている。そして、その後に続く心理的な負担の大きさ重苦しさを。被告とされた者に、萎縮するなと言うのが無理な話なのだ。自分の体験を通じて、そのことがよく理解できる。このような訴権の濫用には、歯止めが必要なのだ。

 DHC・吉田嘉明から、直接に口封じ狙いの対象とされ、応訴を余儀なくされたのはこの10件の被告である。しかし、恫喝の対象はこの被告らだけではない。広く社会に、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」と警告を発して、批判の言論についての萎縮効果を狙ったのだ。

 自らもスラップの被害者となり、先駆的にスラップの害悪を訴えたジャーナリストである烏賀陽弘道さんがこう語っている。
 「一人のジャーナリストを血祭りにあげれば、残りの99人は沈黙する。訴える側は、『コイツを黙らせれば、あとは全員黙る』という人を選んで提訴している。炭坑が酸素不足になると、まずカナリヤがコロンと落ちる…。カナリヤが落ちれば、炭坑夫全部が仕事を続けられなくなる」

 なるほど、私もカナリアの一羽となったわけだ。美しい声は出ないが、鳴き止むことは許されない。ましてや落ちてはならない。DHC・吉田嘉明からスラップを掛けられて以来、私はことあるごとに、DHC・吉田嘉明の批判を広言し、DHC製品の不買を呼びかけてきた。これに対して、「そんなことを言って大丈夫なんですか」「営業妨害になりませんか」「DHCから訴えられたりしませんか」という反応に接してきた。DHCのブランドイメージは、確実にスラップと結びついている。

 スラップが横行している現在、その用語と概念の浸透のための努力が一層必要なことは言うまでもない。スラップの害悪を社会に浸透することも、である。

 そして、DHCに対しては、デマとヘイトとステマとスラップに反省を求めて、その反省が目に見えるようになるまで、こう言い続けなければならない。
 「DHCの製品、私は買いません」
 「DHCの製品、私の親類縁者には買わせません」
 「DHCの製品を使っているホテルには泊まりません」
 「DHC提供の番組は観ません」
 「DHCのコマーシャルが流れたら、スイッチを切ります」

さあ選挙 共闘候補に声援を とは云ふものの お前ではなし

(2021年10月16日)
江戸の狂歌師・蜀山人の作が、
 『世の中に 人の来るこそ うるさけれ とは云ふものの お前ではなし』

内田百?がそのパロディをつくって、両作とも人口に膾炙するところとなった。
 『世の中に 人の来るこそ うれしけれ とは云ふものの お前ではなし』

ともに人情の機微に触れて、実によくできている。いずれも総論と各論の対比ではあるが、目の前の「お前」にとっては、本歌では婉曲に、パロディでは直接に、否定の評価をされて辛いところ。

総選挙を目前にした巷では、安倍菅路線からの脱却こそが天の声であり、民の声でもある。その実現のためには、野党共闘が必要で、選挙協力が望ましいことは誰にも分かる理屈。しかし、大所高所からの総論だけでは選挙はできない。現場は動かない。

総論は正論で反対しがたいが、現場の活動家も選挙民も将棋の駒ではない。自分の支持政党とは異なる候補者への投票を依頼するのだ。簡単にできることではない。選挙活動の担い手を納得させる手続や具体策が不可欠ではないか。

 ちなみに、私の地元の「有力野党共闘候補者」(現職)のビラが甚だしく無内容。これまでの安倍菅政権への批判の気迫が感じられない。念のためにホームページを覗いてもみた。
 9月8日に合意した「衆議院総選挙における野党共通政策」についての言及はまったくない。むしろ、憲法については、こんな具合だ。

「憲法を尊重し、21世紀の日本にふさわしい憲法について広く議論を進めます。従前の司法手続きで解決できない憲法上の問題(自衛権、解散権、1票の格差等)について、国民とともに積極的に議論します。」

 これは、明らかに改憲派の言い回しである。共通政策は、この点を次のように言っており、懸隔は大きい。

 「安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する」「核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する」「地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する」

 外にも、共通政策にあって、この予定候補者の政策にない主なものは、「原発のない脱炭素社会」「最低賃金の引き上げ」「富裕層の負担強化」「日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する」などなど。

 野党の共通政策は、とてもよくできている。よくできているという意味はいろいろあるが、何よりも安倍菅政権9年の負の実績への対抗軸を設定するものであり、自公政権の継続を断ち切りたいとする選挙民の期待を集約するものである。野党共闘の候補者は、これこそが選挙民からの付託された基本政策と厳粛に受けとめていただきたい。

 その上で、各選挙区ごとに、共闘候補者と各政党や選挙母体が、この共通政策を有権者に訴えることを再確認する手続ないしはセレモニーが欲しい。そうでなければ、野党共闘は現場を盛り上げる力をもちえない。絵に描いた餅におわる恐れさえある。

小三治の思い出

(2021年10月15日)
 小三治が亡くなった。10月7日のことだったという。
 私は、小さん(5代目)を面白いと思ったことはなかったが、小三治の噺は誰よりも面白いと思って聴いてきた。私は、談志は嫌いだったが、小三治は大好きだった。

 盛岡に居たころ小朝が県民会館のホールを満席に埋めて何席かやった。演し物は「たらちね」と「紀州」だけは覚えている。少し際どい皇室ネタで笑いを誘っていた。最後は大きなネタをやったはずだが記憶にない。さすがに巧みな語り口で感心はしたが印象に深くはない。

 そのあと、小三治を聞いた。場所は、街中のそば屋の二階座敷だった。即席の高座を囲んで座布団を並べた客席。オートバイで東京から乗り付けた小三治ともう一人の噺家が熱演した。なんとも贅沢な一晩。

 小三治のマクラの長いのは有名だが、この日もたっぷり。聴衆が聞き上手だった。マクラへの聴衆の反応に、小三治が乗ってくる手応えを感じた。だんだんと、江戸の火事の話から、当時の商家のこと、ゼニとカネとは違うという話。ああ今日のネタは「鼠穴」か。

 端折るところのない完璧な「鼠穴」。この噺、こんなに濃厚で、こんなに長編だったか。改めてそう思わせられた、満腹感たっぷりの熱演。人の運命の有為転変、兄弟の愛憎の微妙。そして親子の情愛、さらに人生への絶望の描写…。終了予定時間をはるかに超えた至福のひとときだった。当時小学生の息子も、小朝よりは小三治のファンになった。

 その後、「赤旗祭」で小三治を聞いた。これも贅沢な話。そば屋の二階の感動はなかったが、やはり楽しかった。「私は何党であろうが呼んでいただけたら、そこに落語を聞いてくれる人がいるんだったら喜んで行きますよ。こんなに面白くていいものはないんですから。ええ。」と、妙に力んでしゃべったことが耳に残っている。何かあったのかと思わせた語り口。

 飄々とした独特の語り口は、「名人」とか「人間国宝」などという肩書には不釣り合いだった。ともかく、聴いていると楽しいし、面白い。この人が出るというので何度か鈴本にも足を運んだが、結局は行列に並ぶのがイヤだし、満席だしで、しばらく聞く機会がなく、そのうちにと思っているうちの訃報となった。亡くなる前の最後の公演は10月2日、府中の森芸術劇場での『猫の皿』だったそうだ。マクラもしっかり振り、声も大きく出ていたという。ああ、それを聞けた人がうらやましい。

 手許にある、講談社文庫の「ま・く・ら」「もひとつ ま・く・ら」を読み直してみる。やはり、無性に面白い。その中の一節をご紹介する。長い長い「ま・く・ら」のごく一部の切り取りである。

 あたくしの親父がね、終戦のとき小学校の校長をしてまして、むかしは『教育勅語』なんてのを読まされたんですよ、校長先生は。
 毎朝、朝礼のときにね、紫の袱紗(ふくさ)からうやうやしく『教育勅語』ってのを、紙を取り出してね。「朕思うに、わがコーソコーソー(皇祖皇宗)」なんてね。なんかまじないの文句かしらと思うようなことを言うんですよ。つまり教育ってのはこういうふうでなくちゃいけないってぇんですね。大まかの内容はとてもよいものなんですよ。
 で、あたしの親父はね、朝起きるとね、宮城遙拝なんて懐かしい言葉がありましてね、宮城遥拝。どういうのかっていうと、宮城のほうに向かって手を合わせるんです。
 キュウジョウっつったって後楽園球場じゃありませんよ(笑)。皇居のある宮城へ向ってね、朝、柏手打って、パンパンッ、はーっ、なんて拝んでンですよ、庭へ出て。
 何してンの? っつったら、天皇陛下を拝んでるっていうんです。
 なんで拝むんだってったら、天皇陛下は神様だって言うんですよね。
 正直言って、子供心に納得いきません。天皇陛下が神さん? だって写真で見ると人の形してますからね。神様ってなんか形があるような、ないような、もし人間の形してとしたら、腰から下は幽霊のようにフワァ〜と何だかわかんなくなってる、そうぃうよなもんじやないかというような頭を持ってましたからね。
 神様だったんですよ。毎日毎日やってるから不思議でしたね。
 ある日、親父がこうやって目ぇつぶってこうやって拝んでるとこへ行って、
 「ねえ、おとうちやん、天皇陛下はウンコするの?」
 っつったら、いきなりバッカーンと殴られた(笑)。

衆議院解散の日に後楽園駅頭で野党共闘への支持を訴える。

(2021年10月14日)
 後楽園駅頭のみなさま、文京区内の本郷で弁護士をしている澤藤大河と申します。この場をお借りした演説会の冒頭に、文京革新懇を代表する立場で一言申し上げます。

? 本日、衆議院が解散しました。19日総選挙公示、31日投開票となります。この第49回総選挙は、文字どおり、日本の運命に関わる選挙であり、政権を変え得る選挙になります。

? これまで9年間の安倍・菅政権は、幾つもの顕著な負のレガシーを重ねてきました。
  強引な憲法改正への前向き姿勢と、核兵器禁止や軍縮への後ろ向き姿勢。3・11後における原発再稼働容認政策。権力を私物化し、嘘とゴマカシ、公文書の隠蔽・改竄を恥じない政治姿勢。低所得者に厳しい重税化政策と、大企業・富裕層への減税をセットの不公平な経済政策。その結果としての、所得格差の拡大、貧困の広がり…。そして国力の地盤沈下。さらに、極端に無能で、無為無策のコロナ対策…。
 
? この惨憺たる9年間の民主主義の危機、経済の衰退を立て直す役割を担うという触れ込みで、岸田新内閣が誕生しました。しかし、彼にはその力がありません。
  彼は、早くも「聞くだけ岸田」「口だけ岸田」「ブレブレ岸田」と異名をとっています。安倍や麻生や甘利に抑え込まれた岸田では、民主主義の建て直しも、中間層再構築の経済立て直しもできないのです。

? 打開の道は野党に託すしかありません。立憲野党の連立政権ができるのなら、安倍・菅政権9年間の負のレガシーを清算することができます。大企業や富裕層との癒着やしがらみがないからです。
 
? 幸い、市民連合の提言に応じて、立憲野党4党の「総選挙における野党共通政策の合意」が成立しました。その6本の柱、20項目の政策は、安倍・菅政権の負のレガシーとの対照が際立つ内容となっています。

? たとえば、「金持ち優遇」と批判が高い株式譲渡益や配当益に一律20%の税率を課す金融所得課税。いったんはこれを見直すと明言して、結局はブレて撤回しました。またたとえば、安倍内閣の政治の私物化を象徴する森友事件。いったんはその再調査をすると明言して、これも結局はブレて撤回しました。

? 野党政権が実現すれば、共通政策に従って、「消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、低所得層や中間層への再分配を強化する」ことができます。

? また、野党政権が実現すれば、共通政策に従って、「森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について、真相究明を行う」ことができます。「日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する」ことの実行もできるのです。

? 確実に、政治を変えることができます。低所得層や中間層を経済的に豊かにします。風通しのよい、透明性の高い政治が行われるようになります。

? 選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立させるとともに、ジェンダー平等をめざす視点から家族制度、雇用制度などに関する法律を見直すとともに、保育、教育、介護などを充実することになります。弱い立場にある者が生きやすい社会を作れるのです。

? それには、まず選挙に勝たねばなりません。その第1の関門が、小選挙区制の下での選挙協力です。候補者の調整です。文京革新懇は、早急に4野党を中心とした反与党勢力が候補者調整協議をされた上、統一候補を擁立して、自公勢力に打ち勝つ成果を挙げるよう呼びかけます。

? 選挙協力は決してたやすいことではありません。場合によっては、気の合わないグループ同士でも協力しなければなりません。自公政権を倒して、政権の転換を実現するためには、必要な妥協はせざるを得ません。

? それぞれの野党の皆様は、国民のために、是非とも、小異を捨てて、大同に就くようお願い申し上げます。そして、区民のみなさま、平和や脱原発を実現して命と暮らしを守るために、汚れた政治を一掃して透明性の高い政治を実行するために、野党共闘へのご支援をお願いいたします。

「岸田総理大臣、第三者による再調査で森友事件の真相を明らかにしてください」

(2021年10月13日)
 一昨日(10月11日)の立憲民主党・枝野幸男、辻元清美両議院の衆議院本会議における代表質問は、いずれも立派な聞かせる内容であった。論点を明確にし、よく練られた質問は、心ある国民の胸に響く内容であった。これに対する首相答弁は、逃げとはぐらかしに終始して、確実に政権与党の票を減らしたと思う。なるほど、総選挙の実施を急いだわけだ。予算委員会開催も拒否したわけだ。議論をすればするほど、議論が深まれば深まるほど、ボロが出て来る。化けの皮が剥がれてくるからだ。

 とりわけ、辻本議員の、森友事件再調査を求める質問は胸を打つものだった。総記録から、抜粋して採録し、若干のコメントを付しておきたい。

《辻本議員質問》 さて、先週、私は、森友公文書改ざん問題で自殺に追い込まれた赤木俊夫さんの妻、雅子さんにお目にかかりました。岸田総理にお手紙を出されたと報道され、直接お話をお聞きしたいと人づてに申し出て、お受けいただいたのです。どんな思いでお手紙を出したのですかとお聞きすると、岸田総理は人の話を聞くのが得意とおっしゃっていたので、私の話も聞いてくれるかと思い、お手紙を出しましたとおっしゃっておりました。
 総理、このお手紙、お読みになりましたか。お返事はされるのでしょうか。お答えいただきたいと思います。そのときに手紙の複写をいただきました。ちょっと読ませていただきます。皆さん、お聞きください。

 「内閣総理大臣岸田文雄様。私の話を聞いてください。
 私の夫は、3年半前に、自宅で首をつり、亡くなりました。亡くなる1年前、公文書の改ざんをしたときから、体調を崩し、体も心も崩れ、最後は、自ら命を絶ってしまいました。夫の死は、公務労災が認められたので、職場に原因があることは、間違いありません。財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは、書かれていません。なぜ、書かれていないのですか。赤木ファイルの中で夫は、改ざんや書換えをやるべきではないと本省に訴えています。それに、どのような返事があったのか、まだ分かっておりません。夫が正しいことをし、それに対して、財務省がどのように対応したのか、調査してください。そして、新たな調査報告書には、夫が亡くなったいきさつをきちんと書いてください。
 正しいことが正しいと言えない社会は、おかしいと思います。
 岸田総理大臣なら、分かってくださると思います。第三者による再調査で真相を明らかにしてください。
  赤木雅子。」

 総理は、このお手紙、どのように受け止められたんでしょう。赤木さんの死も、赤木さんが改ざんに異議を唱えたことも、そして、どんなプロセスだったのか、一切、財務省の報告にはありません。これで正当な報告書と言えるんでしょうか。皆さん、いかがですか。皆さんも、御家族がこのような目に遭わされたら、はい、そうですかと納得はできないんじゃないですか。総理、このお手紙で求めていらっしゃる第三者による再調査、実行されますか。
 赤木雅子さんは、この代表質問を見ますと私におっしゃっておりました。先ほどはちょっと冷たい答弁でした。雅子さんに語りかけるおつもりで、御自分の言葉で誠実にお答えください。
 臭い物に蓋をして、その上に新しい家を建てようとしても、すぐに柱が腐ってしまいます。長期政権でたまったうみを岸田政権で出すことができないのであれば、国民の皆さんの手で政権を替えていただいて、私たちが大掃除するしかありません。

《総理答弁》森友学園問題の再調査についてお尋ねがありました。
 近畿財務局の職員の方がお亡くなりになったことは、誠に悲しいことであり、残された家族の皆様方のお気持ちを思うと言葉もなく、静かに、そして慎んで御冥福をお祈り申し上げたいと思います。
 御指摘の手紙は拝読いたしました。その内容につきましては、しっかりと受け止めさせていただきたいと思います。
 そして、本件については、現在、民事訴訟において法的プロセスに委ねられております。今現在、原告と被告の立場にありますので、このお返事等については慎重に対応したいと思っています。この裁判の過程において、まずは裁判所の訴訟指揮に従いつつ丁寧に対応するよう、財務省に対して指示を行ったところであります。
 いずれにせよ、森友学園問題に係る決裁文書の改ざんについては、財務省において、捜査当局の協力も得て、事実を徹底的に調査し、そして、自らの非をしっかり認めた調査報告書、これを取りまとめております。
 さらには、第三者である検察の捜査も行われ、結論が出ております。会計検査院においても、2度のこの調査を行っている、こうしたことです。
 その上で、本件については、これまでも国会などにおいて、様々なお尋ねに対し説明を行ってきたところであると承知をしており、今後も必要に応じてしっかり説明をしてまいります。
 大事なことは、今後、行政において、こうした国民の疑惑を招くような事態を2度と起こさないということであり、今後も国民の信頼に応えるために、公文書管理法に基づいて、文書管理を徹底してまいりたいと存じます

《澤藤コメント》岸田さん、そりゃオカシイ。もっと真面目に答弁しなければダメだ。アベ・スガ政治に対する国民の批判が高じた原因の一つが、トップの国会答弁の姿勢にあった。野党を敵とみる。「あんな人たち」とみて、その意見を国民の声とはみない。だから、野党議員の質疑をはぐらかし、真面目な答弁をしない。その姿勢に、野党支持者だけでなく、与党の支持者もこれは危うい、これではやっていけない、こんなトップは取り替えなきゃダメだと考えたのだ。取り替えられた新トップのあなたが、国民の大きな関心事での答弁においてこの姿勢では、岸田政権のお先は真っ暗だ。

 赤木雅子さんからの手紙を、「どのように受け止められたんでしょう」「お返事はされるのでしょうか」と聞かれている。「しっかりと受け止めさせていただきたい」では回答になっていない。「どのように受けとめたか」を真面目に答えなければダメなんだ。「しっかりと受け止め」は、はぐらかしているだけ。そして返事は書くのか書かないのか。はっきりしなければ、聞かされている国民には、イライラが募るばかり。

 「本件については、現在、民事訴訟において法的プロセスに委ねられております。今現在、原告と被告の立場にありますので、このお返事等については慎重に対応したいと思っています。」が、一番ひどい。これは、安倍晋三なら「向こうから裁判をかけられたんですから、徹底して争うしかないじゃないですか」と言うところ。岸田流に言葉を丁寧にしても結局は同じことだ。改めての政権の法廷闘争宣告でしかない。

 「この裁判の過程において、まずは裁判所の訴訟指揮に従いつつ丁寧に対応するよう、財務省に対して指示を行ったところであります」がおかしい。民事訴訟とは、当事者の合意次第で、いつでも和解もできるし、終結もできる。雅子さんと国と、争いが続く限り、裁判所の訴訟指揮に従わざるを得ないのだ。「訴訟指揮に従う」のは当たり前。「丁寧に対応する」とは、「しっかりと争って、原告の請求を排斥する勝訴を目指す」というだけのことだ。

 「森友学園問題に係る決裁文書の改ざんについては、財務省において、捜査当局の協力も得て、事実を徹底的に調査し、そして、自らの非をしっかり認めた調査報告書、これを取りまとめております」だと? 何を言っているんだ。はぐらかしも好い加減にしろ。
 雅子さんはこう言っているじゃないか。「財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは、書かれていません。なぜ、書かれていないのですか」「赤木ファイルの中で夫は、改ざんや書換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのような返事があったのか、まだ分かっておりません」「夫がした正しいことに対して、財務省がどのように対応したのか、調査してください」
 これまでの調査は、このことにまったく答えていない。検察の捜査も会計検査院の調査も、それぞれの目的で行われる。雅子さんの関心に応えるものであるはずはない。

 「大事なことは、今後、行政において、こうした国民の疑惑を招くような事態を2度と起こさないということ」ではない。「最も大事なことは、現実に行政において行われた国民の疑惑を招く重大な不祥事を徹底して明確にすること」「とりわけ不祥事に携わった人物の、意図、動機を把握すること」「そして、トップに責任をとられること」だ。それがなければ、今後とも、同様なことが繰り返されることになるのだから。

亡き弟からの、DHCスラップ訴訟勝訴確定の祝辞

(2021年10月12日)
 私は4人兄弟の長男で、下に妹・弟・弟と続いている。その次弟が、この夏突然に亡くなった。本日が2回目の月命日となる。肺がんを患い、小康を得たとの連絡だったが間質性肺炎が進行して死因となった。今年(2021年)の8月12日夕刻のこと。無念でならず、喪失感が大きい。

 次弟・明は、その名のとおり、子どもの頃から周囲を明るくする快活な性格だった。京都大学経済学部を卒業後、毎日新聞の記者となり、山口や佐賀や小倉などの支局に勤務した。文章は達者で、自分から「軟派の澤藤と虚名が立っているんだよ」などと言っていた。

 労働組合運動にも熱心で、西部本社の委員長も務め、小倉から東京本社までの新幹線往復を重ねた時期もあった。定年を待たずに退職し、その後は福岡県の苅田に住んでいた。

 私が、DHC・吉田嘉明から、6000万円請求のスラップをかけられたときは、心配してくれた。私は、弟妹に配慮すべき立場だったが、この時ばかりは配慮される側になった。弟妹の様子を見て、あのとき父母が存命だったら、その心痛はいかばかりであったろうとも思った。

 そして、DHCスラップ訴訟の勝訴には喜んでくれた。私の勝訴が確定したあと、明からメッセージが届いた。訴訟の経過をまとめた文集をつくるという連絡への返事のメールに添付されていたもの。このメッセッージは嬉しかった。
 
◎メッセージ(2017年1月16日)澤藤明(福岡県苅田町在住)


「豊かな髪よ 再び
 旦那さん、髪の量が豊かですネ。羨ましい限りですよ」。散髪屋に行くたびに、決まってこう褒められる。
 「子供の頃からよく言われましたネ。他に自慢することとてないけれど、髪の量と男振りはね…。こればっかりは、親から授かったもので感謝しているのですよ」。
 鏡に映った顔を確かめながら、決まってこう答えることにしている。そして決まって、元被告、兄・統一郎のあまり豊かとはいえない頭髪の顔が浮かんでくる。
 兄も若い頃は、フサフサしていた。私の二歳下の弟がよくこんな事を言っていた。
 「親戚にハゲは一人もいない。癌で死んだという話も聞かない。俺はハゲにも癌にもならない。兄貴たちも安心していていい」。そんなものなのかと思っていた。
 ところが兄は、四十歳を超えたころから頂上の方から薄くなり始めた。母が言った。「なんで統一郎だけが…。明も気を付けなさいよ」
 通説では、男性ホルモンの過多が薄毛につながるという。その男性ホルモンは、闘争心が旺盛で、仕事がエネルギッシュなほど豊富に分泌されるらしい。
 兄の仕事ぶりについては「季刊・フラタニティ」(ロゴス刊)に現在連載中の「私が関わった裁判闘争」でその一端を知ることができる。また毎日欠かすことなく発信し続けている「憲法日記」からも知ることができる。
これだけ闘争心をもってエネルギッシュに仕事をしていれば、いくら髪の豊富な家系に連なるといえども、その恩恵にあずかることは困難だと誰もが納得できるのではなかろうか。
 薄毛が進行し始めた事を嘆いた母も泉下で、むしろ「男の勲章」と思ってくれているような気がする。
 その兄が、六十歳代半ばで今度は癌を患った。肺の患部摘出手術が済んだ直後に、いきなり「今千葉の癌センターにいる」と電話してきた時には驚いた。
 「うちの家系は、癌とは無縁」のはずではなかったのか。なぜ、酒も煙草も嗜まない兄が癌の病に襲われたのか、少し理不尽で腑に落ちない。しかし術後の経過は順調で既に完治している。
 思えば幼いころから「長男として、妹・弟を思いやらねば」というような雰囲気を感じさせる兄であった。
 薄毛にも癌にもなってくれて一家の苦難を全て引き受けてくれたのであろう。
 DHCからのスラップ訴訟も、誰かが買って出て受けなければならない苦難を統一郎が引き受けた。そして多くの弁護士の支援で勝った。そんな運命的な巡り合わせのような気がする。
 今まで経験したことの無い「被告の座」にまで立ったのだから、ある意味では「私が関わった裁判闘争」の中でも出色の勝利といえるのでは。
 今後は仕事を出来るだけ減らし、願わくば再びフサフサの髪の毛を取り戻さん事を!」

 8月15日、行橋で行われた告別式で私はこのメッセージを読み上げたが、涙が止まらず、最後までは読めなかった。

戦時中の国民学校は、「死のみちを説きし学舎」だった。

(2021年10月11日)
「南日本新聞」は鹿児島県の地方紙。発行部数は25万部を超えるそうだ。九州の地方紙としては西日本新聞に次ぐ規模だという。そのデジタル版の昨日(10月10 日)11:03の記事を知人から紹介された。おそらくは、本日の朝刊記事になっているのだろう。

https://373news.com/_news/photo.php?storyid=144583&mediaid=1&topicid=299&page=1

タイトルが長文である。「教室で直された兵隊さんへの手紙。『元気にお帰りを』が『立派な死に方を』に。国民を死へ誘導した教育。今思えば『洗脳』としか言いようがない〈証言 語り継ぐ戦争〉」というもの。

内容は、87才女性の戦時の学校生活を回想した貴重な証言。「兵隊さんに、立派な死に方を」といえば靖国問題だ。教育や靖国や戦争に関心を持つ者にとっては見過ごせない記事。このような戦争体験を語り継ぐ努力をしている地方紙に敬意を表したい。

証言者は、霧島市隼人町の小野郁子さん(87)。「戦争中の学校教育を『死ぬための教育だった』と振り返る」と記事にある。

最初に、今年戦後76年目の夏に詠んだという、この人の2句が紹介されている。
 「少年の日の夢何処(いずこ)敗戦忌」
 「死のみちを説きし学舎(まなびや)敗戦忌」

「死のみちを説きし学舎」という言い回しに、ドキリとさせられる。

以下、記事の引用である。
「43年4月、家族で(鹿児島県内)牧園町の安楽に引っ越した。中津川国民学校に転校。4年生だった。
 44年からは町内の全ての国民学校に軍隊が配置され、教室が宿舎になった。中津川には北海道部隊と運搬用の馬、「農兵隊」という小学校を卒業したくらいの少年の一団がやって来た。九州に敵が上陸する時に備えた戦力の位置づけだった、と戦後になって聞いた。
 当時、私たちの一日は次のように始まった。ご真影と教育勅語を安置する奉安殿前に整列。まず皇居の方角に、次に奉安殿に向かって最敬礼。その後、校長先生が「靖国神社に祭られるような死に方をしよう」といった話をした。似たような言葉を、日に3度は聞いた。
 授業らしい授業はほとんど無くなっていたが、教室でみんなと戦地の兵隊さんに手紙を書いた日のことをよく覚えている。
 「国のためにいっしょうけんめい戦って、元気でお帰りください」という文を「天皇陛下のために勇ましく戦って、靖国神社に祭られるようなりっぱな死にかたをしてください。会いに行きます」と書き直すよう指導された。どんな死に方か分からなかったが、言われるがまま書き直した。今思えば「洗脳」としか言いようがない。

 国民を死へと誘導した教育の中心に、靖国神社があったのは事実だ。平和の実現のために選ばれたはずの政治家が靖国神社に参拝する姿を見ると、「もっと歴史を知ってほしい」と憤りを感じる。

 授業の代わりに割り当てられていたのが、食料増産のための開墾や、戦死者や出征の留守宅の奉仕作業だった。真夏のアワ畑の雑草取りのきつさは言葉にできない。

 農作業中に敵のグラマンに襲われたことが記憶するだけで3回ある。44年の夏が最初だった。犬飼滝の上にある和気神社右手の学校実習地で、サツマイモ畑の草取りをしていた。午前10時ごろ、見張り役の児童が「敵機襲来」と叫んだ。顔を上げると、犬飼滝の東の空にグラマン1機が見えた。

 機銃掃射が繰り返され、私は畑の脇の小さな杉の根元に頭を突っ込んで、ただただ震えていた。近くの旧国道を通り掛かった女性が即死し、はらわたが飛び散った。その道は、後に高校の通学路に。血の跡が残るシラス土手の脇を通るたび胸が痛くなった。

 軍歌を歌わなくてよくなり、自由に好きな絵が描けるようになった時、改めて戦争が終わったと実感した。」

 特殊な立場にある人の特殊な体験ではない。おそらくは、当時日本中の国民学校の学校生活がこうだったのだろう。「死のみちを説きし学舎」だったのだ。

 「生きろ」「生きぬけ」「生きて帰れ」という呼びかけは、人間としての真っ当な気持の発露である。が、10才の国民学校4年生に教えられたことは、「国家のために死ね」「天皇のために勇ましく戦って、靖国神社に祭られるようなりっぱな死にかたを」という、「死のみち」であった。

 国民を死へと誘導した教育の中心に、天皇があり靖国神社があった。恐るべきことに、「今思えば「洗脳」としか言いようがない教育」が半ば以上は成功していた。「天皇のために死ぬことが立派なことだ」と本気で思っていた国民が少なからずいたのだ。天皇も靖国も、敗戦とともに本来はなくなって当然の存在だったが、生き延びた。そして、さらに恐るべきことは、あの深刻な洗脳の後遺症が、いまだに完全には払拭されていないことなのだ。 

岸田文雄商法に騙されるな ー 口先ばっかり、総論ばっかり、看板ばっかり、包装ばっかり。羊頭狗肉ではないか。

(2021年10月10日)
 私は弁護士として消費者問題に取り組み、悪徳商法と闘ってきた。そして、長年思い続けてきた。どうして人は、こんなにも簡単に、悪徳商法に騙されて甚大な被害を受けるのだろう。その思いは、どうして人は、こんなにも簡単に、政権の嘘に騙され甚大な被害を受け続けるのだろう、という思いと重なる。

 悪徳商法は、決して大事なお金を強奪することはない。「私を信用してお金を預けてくだされば、きっと倍にもしてお返しいたします。約束は必ず守ります。あなたのために誠心誠意はたらく、私を信頼してください」。こう言われて、納得ずくで大事な金を渡すのだ。この点、政権もまったく同じだ。

 悪徳商法は、手を変え品を変え、目先を変えて、繰り返し消費者を襲ってくる。騙す方も必死だ。なるほどそれなら儲かりそうだというスキームを構築し、いかにも誠実そうな態度を装う。このサプリを飲むと若返ります、必ず利きます。この化粧品を付けると美しくなります。必ず効果ありますという、あのまやかし商法の「必ず儲かります」バージョン。

 政権もよく似ている。決して大事な票を強奪することはない。「私を信用して政治をお任せくだされば、きっと素晴らしい社会を作ります。約束は必ず守ります。あなたのために誠心誠意はたらく、私を信頼してください」。こう言われて、納得ずくで大事な票を奪うのだ。

 アベに騙され、アベ後継のスガに騙され、もう騙されまいぞと利口になった国民の目の前に、今度は目先を変えた岸田政権だ。「人の言うことを聞くことが特技です」とは、目先ならぬ耳先を変えてのセールス。もう、騙されるのはこりごりだ。

 岸田の看板は「新しい資本主義」で、その中身は「成長と分配の好循環」だ。これはあくまで包装で実際何を売ろうとしているのかは分からない。真剣に聞けば聞くほど分からなくなる。それでいて、アベやスガとは違って、「約束は必ず守ります。あなたのために誠心誠意はたらく、私を信頼してください」。こう言われてもねえ。易々と、大事な票をやるわけにはいかない。

 「成長と分配の好循環」というだけでは、「お任せいただければ、うまく経済まわしますよ、と言っているだけ。何をどうしようというのか、具体策が見えないから、悪徳商法と同じなのだ。

 「成長と分配の好循環」の意味が、「まず成長、しかる後に分配」なら、格差と貧困を生み出してきたアベノミクスと変わらない。「まず分配で、しかる後に分配がもたらす成長を」というのなら新味があるし期待もできよう。

 では、分配をどうするのか。その具体策がなければ、口先ばっかり、看板倒れ、包装だけの悪徳商法と変わりがない。

 この点について、一昨日(10月8日)の所信表明演説なんと言ったか。総論は、美しいのだ。
「新自由主義的な政策については、富めるものと、富まざるものとの深刻な分断を生んだ、といった弊害が指摘されています。世界では、健全な民主主義の中核である中間層を守り、気候変動などの地球規模の危機に備え、企業と政府が大胆な投資をしていく。そうした、新しい時代の資本主義経済を模索する動きが始まっています。今こそ、我が国も、新しい資本主義を起動し、実現していこうではありませんか。」

これは下記のように読むべきなのだ。
「アベノミクスは典型的な新自由主義経済政策でした。その結果、富めるものと、富まざるものとの深刻な分断を生み、社会の閉塞感を高める弊害が顕著になりました。さすがに世界では、この間健全な民主主義の中核である中間層を守り、気候変動などの地球規模の危機に備え、企業と政府が大胆な投資をしていく。そうした、新しい時代の資本主義経済を模索する動きが始まっています。長く続いたアベ・スガ政権の失政で、日本経済は大きく世界に遅れ、一部の者に富が集中して社会の健全さが失われつつあります。今こそ、我が国も、アベノミクスの呪縛から脱皮して新しい資本主義を起動し、実現していこうではありませんか。」

ところが、「分配戦略」の具体策がない。所信表明演説では、4つの柱が語られた。
「第一の柱は、働く人への分配機能の強化」「第二の柱は、中間層の拡大、そして少子化対策」「第三の柱は、看護、介護、保育などの現場で働いている方々の収入を増やしていくこと」、そして「第四の柱は、公的分配を担う財政の単年度主義の弊害是正」だという。いったいなんだ、そりゃ。

 本気で分厚い中間層の拡大を目指して所得の再分配をしようというのなら、まずは抜本的な税制改革だろう。消費税は撤廃するか、少なくとも半減しなければならない。税収不足は法人税を増税せよ、所得税の累進率を高めよ。そして、富裕税を創設せよ。金融所得に対する分離課税もやめて富める者の不労所得への課税を強化せよ。不公平を是正するのに、何の遠慮も要るものか。そうすれば、「親ガチャ」などという言葉もなくなる。

 ところが、岸田はやるべきことをやらない。小出しに「森友事件の再調査をやります」と言って、引っ込める。「金融所得課税もやるやる」と言って、「当面触れない」と引っ込めた。

 やるやる詐欺、羊頭狗肉商法、誠心誠意を装う悪徳商法ではないか。くれぐれも美しい総論に惑わされまい。具体策を見極めよう。大事な票を掠めとられぬようにくれぐれもご用心。

NHKは文書を西暦表示に切り替えていた。

(2021年10月9日)
 NHKを被告とする情報公開請求訴訟に関連して、「NHK情報公開・個人情報保護センター」との文書のやり取りが頻繁である。私どもの窓口は醍醐聰さんで、同センターから醍醐さん宛の文書が入ってくるが、この日付が元号を使わず、すべて西暦表示であることを興味深く眺めていた。

 迂闊にも気付かなかったが、この西暦表示は、情報公開センターだけではない。NHKの内部文書は、すべて西暦表示に切り替わっているようである。少なくも、経営委員会関係の文書も、理事会の文書も、すべて西暦表示に統一されている。

 情報公開請求で開示された文書の一つに、「監査委員会監査実施要綱」という細則がある。その改正の経過が、「平成28年7月26日」の次が、「2020年1月1日」なのだ。この間のどこかで、元号表示から西暦表示への切り替えが行われている。

 この切り替えはいつだったのだろうか。推理すれば、最もあり得るところは元号の替わり目を避けるタイミングではないかということ。元号の替わり目は2019年における、「平成31年4月⇒令和1年5月」という中途半端な時期。だとすると、同年の3月末日で平成という元号の使用をやめて、新年度の始まる4月から西暦表示にしたのではないか。つまり、「平成30年度の末日である平成31年3月末日」までを元号表示とし、その翌日つまり、「2019年度の最初の日である2019年4月1日」から西暦表示を始めたのだろう。

 こう見当を付けて調べて見たら、ドンピシャリだった。NHKの最高意思決定機関である経営委員会も、これに附随する監査委員会も、NHKの理事会も、すべての文書議事録は、2019年4月1日以降は西暦表示に統一されている。このことは、あまり話題になっていないが、注目すべき出来事だと思う。

 つまり、NHKは少なくとも内部の事務文書では、平成から令和という元号に切り替える煩わしさを避けて、令和は使わないことにしたのだ。

 この切り替えの時期の経営委員会議事録も、理事会議録も、西暦表示への切り替えについて語るところはない。ひっそりと切り替えたという印象。おそらく、この変更は周到に練られ準備されてのことだろう。この決断はNHKのビジネスの効率化に役だったものと思われる。

 もっとも、NHKは放送ではいまだに元号を使っている様子なのだが、追々と西暦表示に変わって行くことになるだろう。

 ところで、情報公開文書の中に、西暦表示に関して次のような興味深い文書がある。

「   確  認  書
 2020年4月1日から2021年3月31日までの、日本放送協会の経営委員会委員としての職務執行について、「経営委員会委員の服務に関する準則」に定められた内容を理解し、それに基づき行動したことを報告します。
 第6粂(機密保持)については、経営委員会委員の職を退いた後もこれに基づき行動します。」

 定型文書の書式が西暦表示であり、これに森下俊三以下の経営委員が年月日を記入して、署名している。経営委員は12名だが、開示されたものは期をまたがって入れ替わった委員を含む14名。森下俊三以下13名が素直に、署名の日を西暦表示にしていることが、印象的。

 中で、「令和3年4月6日」と元号表記にこだわっている人がたった一人、おそらくは、その思想の発露と思われる、長谷川三千子委員である。

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