(2021年9月15日)
昨日(9月14日・第2火曜日)の昼休み時間、恒例の「本郷・湯島九条の会」の街宣活動。参加メンバーのボルテージは高かった。菅首相が政権を投げ出した。そして、総選挙が間近である。市民連合と4野党の「共通政策」ができた。長すぎたアベ・スガ政権に終焉の宣告をすべき秋は来たれり。
何よりも目玉は4野党の「共通政策」。4党首の署名の入ったその全文をビラにして配布をすれば、きっとみんな我勝ちに取り合うだろう。世の中、これからどう変わるのか、いや、どう変えていくことができるのか、その道筋が見えているのだから。
手作りプラスターも、意気軒昂。
?もうだまされない自公政権。
?アベスガ自民党政治ウンザリ
?次は野党共闘政権、立民・共産・社民・れいわ。
?自民党、派閥が選んでも国民は選ばない。
?顔が変わっても中身はモリ・カケ・サクラ。
★どこまでふくらむ防衛費5.5兆円、コロナ対策にはケチなのに。
通行人は、横断幕やプラスターは、横目でよく見ては行く。しかし、ビラの受け取りはどうも期待ほどではない。コロナがビラ配布という庶民の表現手段を奪ったのか。それとも、野党共闘成立の意義が市民に浸透していないのだろうか。
いきおい、マイクの声が大きくなる。マイクを握ったのは4人だったが、話題は自ずから総選挙のこととなる。総裁選挙に欺されてはならないということだ。
ご近所の皆様、ご通行中の皆様、私たちが主権者です。私たちの未来は私たち自身が決めなければなりません。私たち自身の未来を決める機会は、今、行われようとしている自民党の総裁選ではありません。来たるべき総選挙です。
自民党の議員と党員だけが参加している総裁選は、コップの中の嵐でしかありません。党外の人は参加できないし、何よりもウソとゴマカシにまみれたアベスガ政権の承継という枠から、抜け出すことができません。
総選挙では、国政私物化を続けた「アベスガ政権路線NO!」の意思表示をはっきり示すことができます。「アベスガ政権NO!」の、国民の命と暮らしを守る新しい政権を実現することが可能です。
去る9月8日、6本の柱、20項目からなる4野党の共通政策の合意ができました。これは、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の提言に、立憲民主党・日本共産党・社会民主党・れいわ新選組の4党党首が署名して成立したものです。
6本の柱は、次のとおりです。
1 憲法に基づく政治の回復
2 科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
3 格差と貧困を是正する
4 地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行
5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
20項目のなかには、具体的な政策が織り込まれています。たとえば、次のように。
・核兵器禁止条約の批准を目指し、締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力
・沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設を中止
・コロナ禍による倒産、失業などの打撃を受けた人や企業を救うため、万全の財政支援を実施
・最低賃金の引き上げや非正規雇用・フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす。
・所得、法人、資産の税制や社会保険料負担を見直し、消費税減税を実施
・石炭火力から脱却し、原発のない脱炭素社会を追求
・政治をはじめとした意思決定の場における女性の過少代表を解消するため、議員間男女同数化(パリテ)を推進する。
・選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立
・森友・加計学園問題、桜を見る会疑惑など安倍・菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について真相究明
・菅政権が任命拒否した日本学術会議の会員候補を任命
・内閣人事局のあり方を見直し、公正な公務員人事を確立
・安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対 等々
一見して、総裁選の候補者との違いが明白ではありませんか。もう、アベ・スガに忖度し、アベスガ路線を承継する候補者では、国民の期待に応えることはできないのです。
「野党共通政策」ができて、政権交代をめざすたたかいが始まろうとしています。この共通政策を土台に、政権協力、選挙協力の協議が始まっています。これを支えるのは、市民・国民のわたしたち、みなさんです。この、壮大な政権交代の運動に関わるとともに、来たるべき投票日には必ず投票に行き、いまこそわたしたち自身の政府と政治をつくろうではありませんか。
(2021年9月14日)
東京「君が代」裁判・5次訴訟(原告15名)が進行している。もちろん目指すところは、教員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の違憲判断である。
悪名高い「10・23通達」、これに基づく「国旗起立・国歌斉唱」の職務命令、そして職務命令違反を理由とするすべての懲戒処分。そのすべてが違憲・違法であって、取り消されなければならない。その違憲主張の訴状を原告側が陳述し、被告(都教委)が答弁書を提出し、いま、原告が総括的な再反論の準備書面を作成中である。
その違憲論争の一部としての憲法20条論(信教の自由の保障違反)の部分をかいつまんで紹介したい。
原告は訴状請求原因で、その国家神道のシンボルとしての出自と来歴に鑑みて、「日の丸・君が代」を「国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制は原告らの信教の自由を侵害し、憲法20条に違反する」と主張した。被告(都教委)は、これに反論を試みているが、請求原因に噛みあったものとなっていない。そもそも内容極めて貧弱で説得力に欠け「反論」たり得ていない。被告が原告側の請求原因の主張を真面目に読み込んで、これに真摯に対応する姿勢の片鱗も見ることができない。これは、「10・23通達」発出以来の被告(都教委)の思慮を欠いた、独善的な国旗国歌強制の姿勢と重なるものである。
原告は、訴状請求原因において、大要以下の主張をした。
信仰者である原告らにとっては,「日の丸」も「君が代」も,自らの信仰と厳しく背馳し抵触する宗教的シンボルとしての存在であって,信仰という精神の内面の深奥において,この両者を受容しがたく,ましてや強制に服することができない。
このような信仰を有する者に,「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。そのことこそが,日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意義にほかならない。また,人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち,各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。
信仰をもつ原告らにとっても,また信仰をもたない原告らにとっても,既述のとおり現在なお,「日の丸」も「君が代」も,神なる天皇と天皇の祖先神を讃える宗教的象徴である。その宗教的象徴に対して敬意表明を強制させられることは,信仰をもつ原告らにとっては自己の信仰と直接に背馳し抵触する受け容れがたいものであり,信仰をもたない原告らにとっても信仰をもたない自由に対する侵害にあたるものである。
17世紀、江戸時代初期に,当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この手法は,公権力がキリスト教の信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで,直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない,と言えなくもない。しかし,時の権力者は,信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから,踏み絵という身体的行為の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること,また,強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は,江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に,「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が,教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し,堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
また,信仰をもたない原告らについても,事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して,信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは,特定の信仰から自由な精神そのものである。
これに対する被告の反論は、以下のとおりである。
「日の丸・君が代は、国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。原告らが主張するように、日の丸・君が代は、「国家神道と結びついた神的・宗数的存在として天皇崇拝のシンボル」ではない。」
これに対しては、多岐にわたる再反論が可能であるが、重要なものは、次の3点である。
ア 宗教性の有無は、個人の尊厳と緊密に結びついた、前法律的な、あるいは前憲法的な問題である。法によって「特定の事象に関して宗教性はないものとみなす」などと規定して、あるものをないことにはできない。
イ ましてや、国旗国歌法は、「日の丸・君が代」を国旗国歌とすることを定めただけの定義法に過ぎない。論理的にも、「日の丸・君が代」がもつ宗教性を捨象するものではない。
ウ 最重要の問題は、誰を基準として宗教性の有無を判断すべきかという点である。「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの内容についての判断は,特定の宗教的行為を強制される人権の被侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても,被強制者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは,ことの性質上まったく意味をなさない。また,一般的客観的な基準によるときには,少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
とりわけ留意されるべきは,問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく,個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反の有無の考察においては、宗教的色彩の存否は一般的客観的な判断になじむにせよ,基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては,人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。
また、被告は下記のようにも反論する。
「それまで日の丸・君が代が我が国の国旗・国歌であることが慣習法として成立していたという事実的経過があって、議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたものである。」
しかし、歴史をひもとけば、日本民族の歴史とともに日の丸・君が代があったわけではない。近代に至って、維新権力が急拵えの中央集権国家を建設する中での小道具の一つとして、「日の丸・君が代」が慣習法的に国旗国歌として使用されるようになった。いうまでもなく、明治維新から敗戦に至るまでの日本は、神権天皇制が国民(臣民)の精神の深奥までも支配を試み、しかもそのことに半ば成功した、人権尊重や民主主義とはおよそ無縁の国家であった。
戦後、国家の根本が変わった。しかし、国家を象徴する国旗国歌は変わらなかった。ドイツやイタリアでは、当然のこととして新国家にふさわしい国旗国歌に変えられたが、日本だけは神権天皇制のシンボルであった、「日の丸・君が代」をそのまま受継した。これは奇異な現象であり、これに対する異論があって当然なのである。とりわけ、宗教的信念に基づく、「日の丸・君が代」の国旗国歌化反対の意見は尊重されなければならない。
被告のいう、「議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたもの」は、その通りである。しかし、国旗国歌法は、国民誰にも、どんな場面においても、国旗国歌に対する敬意の表明を強制することを許容するものではない。
また、被告は次のようにも言う。
「国旗国歌が国民統合の象徴の役割を持つことから、国旗・国歌を取り巻く政治状況や文化的環境などから、過去において、日の丸・君が代が皇国思想や軍国主義に利用されたことがあったとしても、また、日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用されたことなどを理由として、日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、日本国憲法においては、平和主義、国民主義の理念が掲げられ、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であることが明確に定められているのであるから、日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」
切れ目のない長い一文だが、論理の骨格は、「日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、…日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されている」というものである。率直に言って文意不明である。また、この一文が憲法20条の解釈とどう関わっているのかも、理解し難い。まさかとは思うが、万能な国会は国民の信仰の自由を奪うことができるとの暴論に聞こえる。
見逃すことができないことは、「日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用された」という一節。正確に歴史的事実を踏まえれば、「日の丸・君が代は、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として創られ、その創出の時期から国民にこの上ない惨禍を強いた敗戦に至るまで、徹頭徹尾国民の精神的支配の道具として活用され、さらに、今なお戦前回帰派の運動のシンボルとして利用されている」というべきである。
はからずも、被告都教委の「日の丸・君が代」に問題はあるにせよ、それは、過去の一時期のことに過ぎないという浅薄な認識が明瞭になった。この認識が、軽々に「10・23通達」を発し、本件各職務命令と懲戒処分とを濫発している基礎となっている。
(2021年9月13日)
日本最大のマスメディアであり、世論の形成にこれ以上の影響力を持つ組織はないと思われるのが公共放送・NHK。一面「放送の自由」を掲げるジャーナリズムでありながら、放送法という法律に設立と運営の根拠をもつ特殊法人として、強く行政の規制を受けざるを得ない微妙な存在。市民が育てなければならない
そのNHKに、情報公開の面から切り込む、初めての「NHK情報公開請求訴訟」の第1回口頭弁論期日が迫ってきました。
日時 9月28日(火)午前10時40分から約1時間
法廷 東京地裁103号(1階の「大法廷」)
(傍聴は抽選が予定されています)
弁護士の意見陳述だけでなく、原告団長の醍醐聰(東大名誉教授)さん、副団長の長井暁さん(元NHKチーフ・プロデューサー)、西川幸さん(視聴者の立場から)の3人が、口頭での意見陳述をします。
コロナ禍さなかの口頭弁論ですが、是非傍聴をお願いします。傍聴席の抽選は予定されていますが、当初の予想よりは傍聴者は少なそう。もちろん、どなたも抽選に参加できます。身分証明も不要です。終了後には、小集会も予定しています。
組織の民主化の要諦は、運営の透明化にあります。その透明化の切り札は情報公開に尽きます。民主性を標榜する組織は、積極的に内部情報を関係者に提供するとともに、要求あれば特定された文書の開示請求に応じなければなりません。説明責任遂行に伴う情報公開の全うこそが、すべての組織の民主的運営の土台というべきです。
いま、情報公開請求裁判は数多く起こされています。その訴訟の形式は、行政訴訟です。「行政機関情報公開法」、あるいは「独立行政法人等情報公開法」に基づいて文書開示を請求し、不開示決定を得た場合に、その「不開示という行政処分」の取り消しを求める訴訟なのです。
しかし、NHKには、どちらの法律の適用もありません。「独立行政法人等情報公開法」は、192にも上る独立行政法人あるいは特殊法人を対象としていますが、NHKは意識的に適用外とされています。NHKは、内規によって独自の情報公開制度を定めていますが、これは飽くまでも自主規制規則に過ぎず、法的な効果をもつものではない、というのがNHKの姿勢です。「裁判所に持ち込まれることなどあり得ない」というNHKや経営委員会の思い込みが、これまでの開示請求に関する不誠実な対応の原因の一つと考えられます。
NHKが視聴者に対する情報公開制度を作り、この制度の存在を公表し、実際に運用してきた以上は、この制度を遵守すべきことが、NHKと視聴者との間の受信契約の内容となっている、というのが私たちの主張の柱です。
行政訴訟ではなく、民事訴訟として、受信契約にもとづく文書開示請求権の行使としての、これまでに前例のない裁判が、「NHK情報公開請求訴訟」なのです。是非、ご注目ください。
なお、この訴訟は、NHKだけを被告にしているのではありません。あの、悪名高い、NHK経営委員会森下俊三委員長を、二人目の被告として、この人に損害賠償請求をしています。
NHKの最高機関は、「NHK経営委員会」です。経営委員会が、会長を任命もし、罷免もする権限をもっています。その経営委員会委員長が、元総務事務次官からの要請を受けて、明らかに「かんぽ生命不正報道」の番組制作を妨害して、制作現場に土足で踏み込んだのです。明らかな放送法違反です。
この訴訟で開示を求めているメインの文書は経営委員会議事録です。その議事録が出せない、あるいは議事録の公開が遅延したのは、委員長森下俊三の番組制作妨害が議事に関わっているからだというのが、私たちの主張です。
NHKを、真のジャーナリズムに育てようという、壮大な国民運動の一環としてのNHK情報公開請求訴訟にご注目とご支援をお願いいたします。
(2021年9月12日)
権力の私物化に余念のなかったウソとごまかしのアベ政権。そして、そのフロクであったアベ亜流のスガ政権。両政権の余りに長期にわたった腐敗の構造がもたらした日本の政治・行政の行き詰まり。その転換は、自民党総裁選候補者らにできることではない。そもそも彼らには、政治の刷新をいう資格がない。しかも、薄汚いアベの顔色を見ながらの、みっともない右へ右への擦り寄り競争。
停滞した政治を転換する一筋の光明は、野党共闘の成立にある。9月8日、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の4党首が調印した「衆議院総選挙における野党共通政策の提言―命を守るために政治の転換を―」が、アベ・スガ政権とその後継に対する明瞭なアンチテーゼとなっている。
この共通政策の成立によって、政治の世界を、人権・民主主義・平和という理念を指標に2分する構図が出来上がった。立民・共産・社民・れ新4党の「立憲政治志向ブロック」と、自民・公明・維新の「守旧派ブロック」と。両ブロックの間には、越えがたい分水嶺がある。
来たるべき総選挙では、野党共闘ブロックに民意を集中すべきである。それこそが、停滞した、アベ・スガ政権の腐敗と傲慢を断ちきる道である。今年4月の、参院広島選挙区再選挙、参院長野選挙区補欠選挙、衆院北海道2区補選、いずれも野党共闘が勝利しているではないか。都議選も善戦している。横浜市長選も勝っている。野党共闘は今有望なのだ。
4野党の共通政策6項目は体系的によくできている。権力の私物化を承継し、憲法を壊し、明文壊憲までたくらむ自公与党とこれに追随する維新勢力との対決軸をよく表している。もちろん、その6項目のうちには、実現には時間のかるものもあれば、政策実現の成否判断が微妙なものもある。その反対に、すぐにでもできるものがある。政権交代でこれが実現できるとイメージしてもらうに最もふさわしいものは、次の部分だろう。
「3 格差と貧困を是正する
・所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する。」
「6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
・森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について、真相究明を行う。
・日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。」
消費税減税と富裕税の創出を宣言することと、森友・加計問題、桜を見る会疑惑などに関して徹底した真相解明のための強力なチームを編成すること。そして、直ちに日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。これは、政権交代による政治の変化を具体的にイメージ付けることになろう。
これに平仄を合わせて、立憲民主党の枝野幸男は、次期衆院選で政権交代を実現した場合、「枝野内閣」の初閣議で直ちに決定する7項目の政策を発表した。
?30兆円の補正予算編成
?新型コロナ対策の司令塔を官邸に設置
?22年度の予算編成の見直し
?日本学術会議で任命拒否された6人の任命
?入管でのスリランカ人女性の死亡事案でカメラ映像や資料を公開
?森友学園問題の決裁文書改竄の敬意が示された「赤木ファイル」関連文書開示
?森友・加計学園・「桜を見る会」問題の真相解明チームを設置
初閣議でこれだけのことができるのなら、政権交代を期待してよいのではないか。長い長い悪夢であつた、アベスガ政権の停滞を転換する具体的なイメージを語らねばならないと思う。
(2021年9月11日)
9・11の衝撃から、今日でちょうど20年。あの同時多発テロ事件とは何だったのか。そして、「対テロ戦争」とは。単純にまとめ切れないが、「平和新聞」(9月5日号)の特集記事に、9・11に引き続くアフガン戦争に限定してのことではあるが、宮田律(現代イスラム研究センター理事長)と、谷山博史(日本国際ホランティアセンター(JVC)顧問)という著名な二人が解説している。この意見に賛意を表しつつ、以下の示唆に富む解説を引用する。
宮田律は、現地の混乱の温床を「貧困」とし、人々は貧困ゆえに戦っているととらえて、米英流の「対テロ戦争」では、事態を解決しえないことを説く。
アフガニスタン南部のカンダハルを訪れた時、政府軍兵士の若者とタリバン兵の若者が仲良くしている場面に出くわしました。
その若者たちは、その時の形勢や給料の多寡を見ながら、政府軍に入るかタリバンに入るかを決めているようでした。彼らは生活のために戦っていました。
ペシャワル会の中村哲さんも言っていましたが、普通に仕事をして食べられるようになれば、若者たちは命まで懸けて戦う必要はなくなります。だから中村さんは、用水路を掘って農業ができるようにしようとしたのです。
「テロとの戦い」は、そもそも武力でテロをなくするという発想自体が間違いでした。米国も途中から武力だけでは駄目だと気付いて復興支援にも力を入れるようになりましたが、空爆などで破壊を続けながらの復興支援では成果を上げることはできませんでした。
支援の中身も、一方的にモノやカネをばら撒くだけで、中村さんのように住民の目線に立った支援ではありませんでした。
米国はアフガニスタン政府にも莫大な復興資金を注ぎ込みましたか、その多くは旧政権の高官たちの懐に消え、アフガニスタンの人々の貧困を改善することができませんでした。それが、米国が失敗した最大の要因と思います。
では米軍が撤退したアフガニスタンの混沌たる事態に、これからどう対処すべきか。谷山博史が、具体的なエピソードを挙げつつ、こう語っている。
タリバンを「極悪非道な連中」と決めつけて対話の扉を閉ざすことは、かえってタリバン政権を強硬な路線に追いやることになりかねません。国際社会も、早くタリバンと交渉のチャンネルを作って、対話を始るべきです。
それを仲介できる立場にいるのが、日本です。タリバンは、日本を他の欧米諸国とは違うと見ています。
なぜなら、主要諸国の中で日本だけがアフガニスタン本土に軍隊を派遣せず、一人のタリバン兵もアフガニスタンの市民も殺していないからです。
そういう日本が国際社会とタリバンとの対話をリードしていくことは、軍事一辺倒の安全保障とは違う道があるということを改めて確認する意味があると思います。
まったくその通りだと思う。人々の生活の安定と平和とは緊密に結びついた課題となっている。テロの温床である貧困をなくすことが平和への第一歩であって、対テロ戦争と称して、武力での制圧を図ることは、貧困と貧困ゆえの戦闘員を再生産して、負のスパイラルに陥ることになる。アフガニスタンの20年は、その実証に費やされた。
反射的に、9・11同時多発テロへの報復として米国が始めた戦争は、結局は世界中にテロを拡散し、人々の米国への憎悪を再生産した。米国はアフガニスタンを混乱させただけで、軍を完全撤退させた。「対テロ戦争」の手痛い失敗をさらけ出したのだ。武力でテロを制圧することはできない。テロに走らざるを得ない現地の土壌を改善する以外に方法はない。
国民の経済的安定が平和主義の土台でもあるということ。日本国憲法に則っての表現をすれば、25条の実効化が9条遵守につながることになる。多大の犠牲を払って得たこの貴重な教訓である。国の内・外に活かしたい。
(2021年9月10日)
あゝ河野太郎よ、君を泣く
なにゆえ矜持を捨てたるや
なにゆえ膝を屈せしや
気骨はどこへ失せにしや
かつては言葉の歯切れよく、
末頼もしき君なれば、
君への期待はまさりしも
次第に萎縮を重ねつつ
遂には己を封印し、
総裁選に名乗り上げ
安倍と麻生にへつらいて、
魂売るとは思いきや
あゝ河野太郎よ君を泣く
なにゆえ節を屈せるや
いかでか理由は知らねども、
モリ・カケ・サクラの再調査
必要ないとはなさけなや
あゝ河野太郎よ君を泣く
節を屈せしそのことば
脱原発を信条に
「再稼働は無責任」
昨日まではそう言った
同じ口から本日は
「再稼働が現実的」の無責任
お気は確かか正気かや
平気で人を裏切るか
あゝ河野太郎よ君を泣く
親の情けはまさりしを
たかが安倍やら麻生やら
有象無象に右顧左眄
節を曲が口惜しや
かつては党のあるじにて
正統保守の良心と
令名高き親の名を
嗣いで来たりし君なれば
河野太郎よ 君を泣く
君 などて籠絡されたるや
出処進退過つやアベとスガとの自民党
決して堅固ならざるぞ
塵と吹き飛ぶときならん
世論の支持の急落は
民意と天意のなせるわざ
河野太郎よ君を泣く
総裁選への出陣は
民意と天意に背くもの
君は知らじな民の意を
改憲策謀は猛虎の尾
安倍と一緒に踏むなかれ
ああ河野太郎よ君を泣く
などて節を屈せしや
はや その気骨は挫けたか
沈没間近の船のごと
アベスガお粗末内閣に
まことの保守はすでになく
極右の輩がのさばりぬ
かつては正論吐く人と
この人ありと言われたる
君の人望潰えなば
保守には人の絶え果てて
あゝまた誰をたのむべき
君 などて膝を屈せしや
安倍に尻尾を振りたるや
(2021年9月9日)
日本の命運を決めるものは自民党総裁選挙ではない。その次に控えている総選挙である。自民党総裁選はコップの中の嵐でしかないが、来たるべき総選挙は、われわれの自由や暮らしや生命をも左右する。
与党勢力が誰を「顔」にして総選挙に臨むにせよ、国政を私物化し、著しく政治を劣化させたアベ・スガ政権の後継でしかない。ここでの政治の転換がなければ、危機に瀕している民主主義の再生はない。
一筋の光明は、野党共闘の成立である。昨日、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の4党首が、市民連合提案の「衆議院総選挙における野党共通政策の提言――命を守るために政治の転換を――」に合意し署名して、その実現に全力を尽くすことを誓約した。
この6項目の政策提言は体系的によくできていると思う。権力の私物化を承継し、憲法を壊し、明文壊憲までたくらむ自公与党とこれに追随する維新勢力との対決軸をよく表している。
一昨年(2019年)5月29日、やはり市民連合の呼びかけに応じて、参議院選挙での野党共闘政策が成立している。そのとき、「この要望を受け止め、参議院選挙勝利に向けて、ともに全力で闘います。」として、政策協定に調印(署名)した参加者は、立憲民主党・国民民主党・日本共産党・社会民主党・社会保障を立て直す国民会議の、野党4党と1会派だった。今回、国民民主党の名はない。
報じられているところでは、「国民民主党は『原発のない』や『安保法制の違憲部分の撤回』の表現に党内に異論があるため、8日の調印式には玉木雄一郎代表が参加しないことになった。」という。また、『地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する』という政策の文言もネックになっているという。〈原発〉〈集団的自衛権〉〈辺野古建設〉を容認するというのでは、自公維と変わらない。分水嶺の向こう側の世界に住む人々を無理に味方にすることはない。
以下に、野党4党首が署名した共通政策の全文を掲記する。これから、各選挙区らおいて具体的な候補者選定作業が始まることになる。
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衆議院総選挙における野党共通政策の提言
――命を守るために政治の転換を――
新型コロナウイルスの感染の急拡大の中で、自公政権の統治能力の喪失は明らかとなっている。政策の破綻は、安倍、菅政権の9年間で情報を隠蔽(いんぺい)し、理性的な対話を拒絶してきたことの帰結である。この秋に行われる衆議院総選挙で野党協力を広げ、自公政権を倒し、新しい政治を実現することは、日本の世の中に道理と正義を回復するとともに、市民の命を守るために不可欠である。
市民連合は、野党各党に次の諸政策を共有して戦い、下記の政策を実行する政権の実現をめざすことを求める。
1 憲法に基づく政治の回復
・安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。
・平和憲法の精神に基づき、総合的な安全保障の手段を追求し、アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う。
・核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する。
・地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する。
2 科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
・従来の医療費削減政策を転換し、医療・公衆衛生の整備を迅速に進める。
・医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーの待遇改善を急ぐ。
・コロナ禍による倒産、失業などの打撃を受けた人や企業を救うため、万全の財政支援を行う。
3 格差と貧困を是正する
・最低賃金の引き上げや非正規雇用・フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす。
・誰もが人間らしい生活を送れるよう、住宅、教育、医療、保育、介護について公的支援を拡充し、子育て世代や若者への社会的投資の充実を図る。
・所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する。
4 地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行
・再生可能エネルギーの拡充により、石炭火力から脱却し、原発のない脱炭素社会を追求する。
・エネルギー転換を軸としたイノベーションと地域における新たな産業を育成する。
・自然災害から命とくらしを守る政治の実現。
・農林水産業への支援を強め、食料安全保障を確保する。
5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
・ジェンダー、人種、年齢、障がいなどによる差別を許さないために選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立させるとともに、女性に対する性暴力根絶に向けた法整備を進める。
・ジェンダー平等をめざす視点から家族制度、雇用制度などに関する法律を見直すとともに、保育、教育、介護などの対人サービスへの公的支援を拡充する。
・政治をはじめとした意思決定の場における女性の過少代表を解消するため、議員間男女同数化(パリテ)を推進する。
6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
・森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について、真相究明を行う。
・日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。
・内閣人事局のあり方を見直し、公正な公務員人事を確立する。
2021年9月8日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
上記政策を共有し、その実現に全力を尽くします。
立憲民主党代表 枝野 幸男
日本共産党委員長 志位 和夫
社会民主党党首 福島みずほ
れいわ新選組代表 山本 太郎
(2021年9月8日)
私、岸田文雄です。自民党総裁選に立候補いたします。よろしくお願いしま?す。
安倍晋三さんの政権が7年8か月、そして後継の菅義偉さんがほぼ1年。右寄り政権には国民が飽き飽きしている頃ではありませんか。保守的政権に危機が来れば、リベラル派のバネを利かせるのが自民党の伝統。そろそろ、私の出番なのですよ。菅さん相手の勝負には、アベ・スガの痛いところを衝かなきゃ勝てない。だから、少し思い切ったことを言ってみた。
キーワードは、「国民への丁寧な説明」。安倍政権にも菅政権にも決定的に不足していたもの。そこで、森友問題での財務省の決裁文書改ざん問題について『国民が納得するまで説明を続けることが政府の姿勢として大事』と踏み込んだ発言をしちゃったんだ。こうすれば、国民からの喝采を受けることができる。そうなれば、選挙の顔として申し分がない。
菅退陣表明は9月3日だった。まだ、その前兆もつかめなかった前日の9月2日。菅さんと闘うことだけを想定して、BSーTBSの番組で言っちゃったんだ。いや、自分から言ったわけではない。森友事件の再調査の必要性を問われたからだ。
「調査が十分かどうかは国民が判断する話だ。国民は足りないと言っているわけだから、さらなる説明をしないといけない。国民が納得するまで努力することが大事だ」とね。誰が聞いても、徹底的な再調査を尽くして、政府の説明責任を果たし、国民誰もが納得するまで努力を継続する覚悟、と思うよね。
ところが驚いたことに、これが裏目に出た。翌日、菅さんは退陣を表明。私の相手は、突然に菅さんじゃなくなった。それなら、キーワードもキャッチフレーズも変わってくる。それだけではない。安倍晋三さんがエラくご立腹だとのこと。私ではなく、あの保守も保守、夫婦別姓も絶対に認めようとしない高市早苗さんを応援すると伝えられた。これは、たいへんだ。安倍さんに反省の情を見せなくてはならない。
そこで、7日の前言撤回記者会見となったわけだ。今度はこう言い訳をした。
「行政において調査が行われ、報告がなされた。裁判が続いており、これから判決が出る。必要であれば国民に説明すると申し上げている。従来のスタンスと全く変わっていない」
実のところは、変わっていないどころではない。もちろん、「再調査はやっぱりや?めた」宣言だ。これで安倍さん、少しは気分を直してくれるよね。そして、最後は私を支援してくれるんじゃないのかな。
だけど安倍さん、なぜ怒ったんだろう。わたしは、安倍さんの責任を追及するとも、安倍さんに忖度した官僚の実態を暴くとも言ってないじゃないか。「国民が納得するまで調査する」と言っただけ。安倍さん常々言っていたよね。「自分も妻も、一切関与していない」って。調査の結果、国民誰もが、安倍さんの関与はないって、納得してもらえるはずなんだから、怒るのは筋違いじゃないのかな。
それともなにかな。徹底して調査されると、政治家生命を断たれるような不都合な真実が出てくるのを心配しているのだろうか。
スホーツ紙の見出しに、「岸田文雄氏、森友問題への態度一変『再調査考えてない』安倍晋三前首相に忖度?…自民党総裁選」「安倍晋三前首相に配慮した変節とも取られかねない軌道修正」なんて書かれちゃって、国民世論的には痛手だけど、それだけ、長老政治家には「岸田は安全パイだ」って、考え直してもらえたんじゃないだろうか。
それにしてもだ。あ?あ、ヘマやっちゃったな。優柔不断で芯のない政治家だと国民に思われちゃったな。でも、安倍さん、モリ・カケ・桜に触れられるとあんなに怒るんだ。凄いな。やっぱり、触れられては困るんだ。でも、それでいいのかね。
(2021年9月7日)
ことあるごとに思い起こそう。忘れぬように繰り返そう。
モリ・カケ・桜・クロカワイ・アベノマスクにIR
ウソとゴマカシをもっぱらとし、政治を私物化した安倍晋三という人物と、その政権を忘れてはならない。度しがたい歴史修正主義者で改憲論者の安倍、しかも無能・無責任のこの人物の長期政権をわれわれは許してしまった。さらに1年、その付録であり、事実上の延長政権である菅義偉後継政権がようやく終わった。
次期総裁選などというコップの中の嵐に興味を惹き寄せようという策謀に乗せられてはならない。アベ・スガ政権を清算して、そのアンチテーゼとしての新政権を樹立する議論こそ、今なすべきもの。
本日の秋元司のIR汚職と証人買収での有罪判決。あらためて、安倍政権とは何であったかを思い出させる。この秋元という男、なんとも汚い。政治を金儲けの手段としただけでなく、金で無罪も買えると考えたのだ。本日の判決言い渡しで、裁判長に、「公人としての倫理観はおろか、最低限の順法精神すら欠如している」と言わしめたとおりである。この汚い人物が安倍政権IR担当の内閣府副大臣だった。そのイスと人物とよく似合う。釣り合いまことにピッタリではないか。
しかも、IRは安倍政権の観光振興策の目玉であり、安倍はカジノ議連の最高顧問を務めたこともある。菅とともにカジノの旗振り役だった。成長戦略の目玉として「カジノ解禁法案」採決を強行した当時、「カジノ事業者らによる議連関係者へのロビー活動がすごかった」と報道されている。
業者にとっても政治家にとっても、おいしい事業であり、法案だった。それだけに、危険が見え見えの代物である。案の定、安倍政権の薄汚さを象徴する収賄事件が発覚して秋元は逮捕され、不要な尻尾として切られた。
秋元は無罪を争ったが、本日の判決は懲役4年の実刑で、追徴金約760万円(求刑懲役5年、追徴金約760万円)が言い渡された。
判決言い渡しにおいて、裁判長は「特定の企業と癒着し、職務の公正や社会の信頼を大きく損なった。証人買収は前代未聞の司法妨害だ」と厳しく非難し、刑事責任は重く、長期の実刑は免れないと述べたという。
この事件の贈賄側は、日本でのIR事業参入を目指していた中国企業「500ドットコム」。この企業から、議員会館事務所で300万円を受け取るなど、総額約760万円相当の賄賂を受領。保釈中だった昨年6?7月、同社元顧問2人に報酬を示し、公判で自分に有利な証言をするよう持ち掛けたが、これが裏目に出た。
カジノもIRも、こんな汚いものはまっぴらだ。アベ・スガ政権の残滓とともに、日本中から一掃しなければならない。アベ・スガも秋元も、その身を恥じて、もう政界から身を引いてもらいたい。
ところが、秋元は十分に懲りては居ないようだ。判決前のメディアの取材に対して、今秋に予定されている衆院選について「やましいことはないので有罪判決でも出馬する」と答えているという。嗚呼、おそらくは、安倍も菅もなのだ。
(2021年9月6日)
本日、衆議院議員会館の一室を借りての「西暦表記を求める会」世話人会。私も、この会の世話人の一人として、リアルに出席。肩の凝る会議ではない。半分は雑談が楽しい。
「西暦表記を求める会」は小さな市民団体だが、「変えるのは私たち! 全ての公文書に西暦表記を入れさせましょう」と、意気は高い。その会の趣旨とや活動については、下記のURLを開いてご覧いただきたい。
https://seirekiheiyo.blogspot.com/
本日の議題は、生保会社に対するアンケート調査の件。
国内には42社の生保会社があるという。その全社と、幾つかの共済事業体を対象に、西暦と元号との使用状況についてアンケートをしようということなのだ。そのきっかけが、下記のとおり会のホームページに掲載されている。《長期契約になることもある生命保険》というのが、ミソなのだ。将来の長期期間を元号では表記できないじゃないか、との含意がある。
「元号」は原理として「未来の年」を表示できません。
ところが、人生の全期にわたる長期契約になることもある生命保険において、元号のみの表記をいまだ続けている会社もあります。
日本生命保険相互会社の保険契約をお持ちの方から、契約者(相互会社という仕組みでは社員でもあるそうです)として、契約情報は元号表記でなく、西暦にして欲しいと要請したところ、順次西暦化していくとの回答が直ちにきました、という情報をいただきましたので、紹介します。
生命保険会社では年に1回、契約者に対して、契約内容や請求漏れがないか契約者情報の変更がないか、などの確認を行っています。2021年現在、日本生命保険相互会社の場合、契約確認書類の年表記は元号のみでした。(被保険者の生年月日・契約日・確認書類作成日がすべて元号表記)
そして、以下が連絡フォームから送付した要請文だそうです。
契約内容の確認を致しましたが、契約者の生年月日、保険の契約年月日などすべて元号表示のみになっていますが、なぜですか。
何年前の契約か、何年経過したか、何年後終了する契約か、どう考えてみても西暦でなければいちいち換算しなくてはならず、なぜあえてわかりにくい表示を御社がしているのか、理由を教えてください。
どうか、顧客満足の立場に立つのであれば、西暦表記に変更してください。よろしくお願いします。
以下が、それに対する回答文だったそうです。
いつも格別のお引立てをいただき厚くお礼申しあげます。
当社ホームページからお問合せいただきました件につきまして、
以下のとおりご回答申しあげます。
このたびは、契約内容の画面の年号表記につきまして、
ご不便をおかけいたしまして申し訳ございません。
当社といたしましては、将来的には西暦表記でご案内する予定でございます。
※順次変更していく予定でございます。
すぐにご案内できず申し訳ございませんが、何卒ご了承ください。
今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申しあげます。
いずれ、システム改修の時にでも、西暦にするから、それまで待てや、という風に読めなくもない、やる気の無い印象も受けてしまいましたが、それぞれの会社の顧客に対する思想が良く現れる事柄だと思いますので、今後も注視していきます。
この日本生命の件をきっかけにして、本日の会議では、アンケートの文案を検討し確定した。併せて、この生保各社に対するアンケートの意義について意見が交わされた。
・大事なのは、西暦表記が人々の予想を超えて広がっているのを示すことだ。
・生保業界だけでなく、銀行でも鉄道でも食品流通でも、民間には着実に西暦表記が主流となっている。
・そして、民間の潮流を官庁の公文書にまで押し及ぼすこと。
・どう考えてもビジネスには元号表記は不合理で高コストではないか。
・それでも、一部企業では元号表記を継続している理由を知りたい。
・おそらくは、「企業合理性の要請」と、「顧客の意識状況」とのズレの中で揺れているのだろうが、やがては「企業合理性」に収束することになるのだろう。
誰が考えても、元号は不合理だ。まずは連続性に欠ける。将来を表記することができない。元号は煩瑣で面倒。一人の人間の死という偶然で連続性が断たれる。いつ変わるのか予想ができない。元号では国外に通じない。元号では一貫した過去の記述もできない。元号は、紀年の手段としては欠陥品なのだ。この不便な欠陥品が国民に押し付けられている。ひとえに天皇制という不合理とセットになってのこと。
国民に元号使用を事実上強制しているのが、自民党政権である。自民党政権とは、一面民族の歴史を重んじるという保守層に支えられている。元号使用に馴染み、元号を民族の文化として受容する勢力。しかし、もう一面、自民党政権は大資本を中心とする財界に支えられてもいる。企業ともビジネス界とも言い換えることができよう。
合理性を追求する企業は元号使用を望まない。元号使用を妥協せざるを得ないときには、これを高いコストの負担ととらえる。元号を駆逐して、西暦使用を求めるに当たっては、保守政権を支えている半分の勢力が味方なのだ。企業に対する西暦使用のアンケート結果は、そのことを示すに違いない。