(2021年9月18日)
私が生まれたころ、日本は長い長い戦争をしていた。いま「15年戦争」と呼ばれるその戦争の始まりが、ちょうど90年前の今日。
1931年9月18日午後10時20分、関東軍南満州鉄道警備隊は、奉天(現審陽)近郊の柳条湖で自ら鉄道線路を爆破し、それを中国軍によるものとして、至近の張学良軍の拠点である北大営を襲撃した。皇軍得意の謀略であり、不意打ちでもある。この事件が、1945年8月15日敗戦までの足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。
関東軍自作自演の「柳条湖事件」は、満州での兵力行使の口実をつくるため、石原莞爾、板垣征四郎ら関東軍幹部が仕組んだもので、関東軍に加えて林銑十郎率いる朝鮮軍の越境進撃もあり、たちまち全満州に軍事行動が拡大した。日本政府は当初不拡大方針を決めたが、のちに関東軍による既成事実を追認した。こうして、事件は、満州事変となり、翌32年3月には傀儡国家「満州国」の建国が強行される。
一方、中華民国政府はこの事件を9月19日国際連盟に報告し、21日には正式に提訴して理事会に事実関係の調査を求めた。連盟理事会は、「国際連盟日支紛争調査委員会」(通称リットン調査団)を設置し、同調査団は32年10月最終報告書を連盟に提出し、世界に公表する。翌33年3月28日、国際連盟総会は同報告書を基本に、日本軍に占領地から南満州鉄道付近までの撤退を勧告した。勧告決議が42対1(日本)で可決されると、日本は国際連盟を脱退し、以後国際的孤立化を深めることになる。こうして、国際世論に耳を貸すことなく、日本は本格的な「満州国」の植民地支配を開始した。
いったん収束した満州事変は、宣戦布告ないままの日中全面戦争に拡大し、さらに戦線の膠着を打破するためとして太平洋戦争に突入して、軍国日本が敗戦によって壊滅する。その長い長い戦争のきっかけとなった日が、今日「9・18」である。
もう、何年前になるだろうか、柳条湖事件の現場を訪れたことがある。事件を記念する歴史博物館の建物の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘れるな)と刻まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
「9・18」を、中国語で発音すると、「チュー・イーパー」となる。何とも悲しげな響き。その博物館で、「チュー・イーパー」という歌を聴いた。もの悲しい曲調に聞こえた。中国の国歌は、抗日戦争のさなかに作られた「義勇軍進行曲」。作詞田漢、作曲聶耳として名高く、「起来!起来!起来!」(チライ・チライ・チライ=立ち上がれ)と繰り返される勇猛な曲。「チュー・イーパー」の曲は、およそ正反対のメロディだった。
柳条湖事件は、石原・板垣ら関東軍幹部の自作自演の周到な謀略であった。国民の目の届かぬところで戦争のシナリオを作り、実行したのだ。が、留意すべきは満州侵略を熱狂的に支持する「民意」があればこその「成功」であった。世論は、幣原喜重郎外相の軟弱外交非難の一色となった。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」という圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
学ばねばならないことは、軍という組織の危険な本質であり、国家機関が国民の目の届かぬところで暴走する危険であり、煽動される民意が必ずしも肯定されるべきではないということであり、国際世論に耳を傾けることのない孤立の危険…等々である。
90年前の教訓は今にどれだけ生かされているだろうか。民主主義は、常に危うい。自由も、平和もである。
(2021年9月17日)
本日、自民党総裁選の告示、4人が立候補した。この総裁選、アベスガ政権を見限った国民の批判をどう受け止め、自民党をどう立て直すかがテーマのはず。本来は、アベスガ政権の政治姿勢、政治理念、各分野の政策の不備を徹底して洗い出し、その反省を今後にどう生かすべきかという議論の場でなければならない。
党外の人間にとって党内の権力闘争などには何の関心もない。来たるべき総選挙に与党として望む自民党が、アベ・スガ路線から変わるのか変わらないのか。変わるとしたら、何がどのようにどの程度変わるのか。その点を国民に示すものでなくてはならない。
9年に及ぶアベ・スガ政権とは何であったか。何よりも、「モリ・カケ・桜・クロカワイ・卵にカジノ」に表れた、ウソとゴマカシ、国政私物化の政権であった。また、アベノミクスで富裕層を富ませる一方、大量の非正規労働者を創出して格差貧困を拡大した「自助・自己責任」政策の政権でもあった。そして、改憲に血道を上げ、人種や民族の差別を煽った政権でもあった。
岸田・河野・高市の3候補は、どれもこれも似たり寄ったり。アベ・スガ政権を批判するのではなく、アベ・スガ政権に擦り寄りおもねってばかり。アべ・アソウ・ニカイなどに睨まれような発言はできない。後世、アベ・スガ・キシダ政権時代とか、アベ・スガ・コーノ路線と評されることになるしかない。まさしく、コップの中の嵐の総裁選の模様、…と思われた。
ところが、ギリギリで野田聖子が4人目の候補者として名乗りを上げ、少し様相が変った。野田の立候補支援は河野追い落とし派の策謀という見方もあるようだが、そんなことはどうでもよい。この4人の中で、他の3人とは一線を画した野田発言の真っ当さに、どれだけ世論の注目が集まるか。そのことを見守りたい。
本日の4候補共同記者会見では、アベ・スガ政権に対する世論の批判を象徴する問題として、森友学園をめぐる公文書改ざん問題について「再調査をするかどうか」が問われた。この質問はこれまでも話題となってきた。どの候補も予想していた質問で、想定問答の回答を練ってきたはず。
アベ・アソウ忖度派3候補は、再調査の実行を否定した。
河野太郎は「すでに様々な司法まであがっているものですから、再調査の必要はない」と明確に述べた。「安倍さん、よく聞いてね」と言わんばかり。
高市早苗は「現在、ご遺族が国などを相手取って提訴しているので、この点についてはコメントができない、するべきではない」と回答を避けた。
岸田文雄はやや微妙な言い回しだった。「行政、司法において様々な調査、報告が行われている。その上で国民の納得感で足りないことがあれば、政治の立場から丁寧に説明をしていきたい」。これは、誰に、どのような場で、どのような手続で「説明」するというのかよく分からないが、世論がイメージする再調査はしないことの弁明を述べたと解すべきだろう。
野田聖子は違った。「反省し、アプリオリに調査をする必要がある」と答えたのだ。
「公文書の隠蔽、偽造、改ざん、廃棄。これは絶対にあってはならないこと」「多くの国民が納得していない」「起き得ないことが起きたことは、しっかりと知るべきだ」に続けての調査必要発言である。これは、アベやその取り巻きに忖度しない、という宣言ではないか。
アプリオリを「自明に」「先天的に」などと注をつけている報道が多いが、「理屈抜きで」「無条件で」という意味ととらえるべきだろう。
この点の論争はこれからも続くことになる。野田は、もっと具体的に、再調査の構想を打ち出すべきだろう。財務省内の身内の調査では国民が納得していない。偶然のことから存在が明らかとなり、民事訴訟でようやく開示された赤木ファイルには、財務省調査はまったく言及していない。信頼できる外部の第三者による再調査チームを作ることを具体的に発言するべきだろう。
「民事訴訟中だからコメントできない」「言うべきでない」というのは、まったくおかしい。再調査をしない理由にはならない。
AとBとが訴訟をしているとき、第三者であるCが「どちらの言い分が正しいのかよく分からないので、AB間の訴訟の決着がつくまで見守ろう」ということはあり得る。しかし、問われている局面はまったく異なる。
今、A(自死した赤木さんの遺族)がB(国)に提訴をした。候補者4名は、第三者としての意見を聞かれているわけではない。B(国)のトップになったら、どうするのかの意見を聞かれているのだ。
この訴訟は形の上では国家賠償だが、原告が望んでいるのは「徹底した真相の究明」である。被告国の立場としては、これまで通り責任を否定して真相の究明に背を向けるのか、「徹底した真相の究明」に協力するのか、二つに一つである。それについての、国のトップの意思と責任が問われている。
忖度派3候補は、結局今までの通り財務省の内部調査以上の事実はなく、赤木さんの自死に国は責任はないという立場を貫けという意見。野田聖子だけが、再調査して「徹底した真相の究明」に協力しようというのだ。この姿勢は、アベ・スガ政権の腐敗を反省して再出発するための第一歩として貴重なものと言えよう。
(2021年9月16日)
東京「君が代」裁判・5次訴訟(原告15名)の準備書面を作成中である。直接には、教員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の違憲判断を求める訴訟であるが、教育の本質や教育行政のあるべき姿を追及する訴訟でもあり、教育現場に活力を取り戻そうとする訴訟でもある。
その違憲論争の一部としての憲法20条論(信教の自由の保障違反)の、神戸高専剣道実技受講拒否事件最高裁判決(1996年3月8日最高裁第二小法廷判決)をめぐる論争をご紹介しておきたい。
原告は訴状請求原因で、「日の丸・君が代」の宗教性の有無に関して、この判決を引用した。
よく知られているとおり、同判決は,「神戸市立高等専門学校の校長が,信仰上の理由により剣道実技の履修を拒否した学生に対し,必修である体育科目の修得認定を受けられないことを理由として2年連続して原級留置処分をし,さらに,それを前提として退学処分をしたという事案」である。
判決は、「本件各処分は,原告においてそれらによる重大な不利益を避けるためには宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくされるという性質を有するものであったこと」を認め、このことを理由の一つとして認めて、校長の退学処分を違法と認めた。
「エホバの証人」を信仰する神戸高専の生徒が受講を強制されたのは、剣道の授業の受講である。学校の体育で行う剣道が、一般的客観的には,宗教的な意味合いをもった行為とは言いにくい。しかし,これを強制される生徒の側から見ると、原告が剣道実技への参加を拒否する理由は,信仰の核心部分と密接に関連する真摯なものであったことを認め、剣道の受講は生徒の宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせるもので、その強制の違法を最高裁は認めた。
「日の丸・君が代」強制も同様である。仮に「日の丸・君が代」が宗教性希薄なものであるにせよ、これを強制される教員の側から見ると、自らの宗教上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせ、自分の信仰に抵触する行為として,その強制は違法なのである。
しかも、日の丸・君が代への敬意表明は、この歌と旗の出自からも来歴からも、剣道の授業受講とは比較にならない宗教性濃厚な行為というべきである。
結局、本件においては,信仰を持つ原告らにとって,「日の丸・君が代」の宗教性は否定できず,それゆえ「日の丸・君が代」の強制が信仰に背馳する行為の強制として、20条2項及び同1項に違反する。
この最高裁判決は,
?少数者の信教の自由を保障することの重要性,
?信教の自由への制約の可否を検討する場合の代替的方法についての検討の必要性,
?信教の自由が内心における信仰の自由の保障にとどまらず,外部からの一定の働きかけに対してその信仰を保護・防衛するために防衛的・受動的に取る拒否の外的行為の保障(最高裁判決の事案では,剣道実技履修の拒否という外的行為の保障)を含むことが明らかにされていること,
などの点でも,大いに参考にされるべきものである。
(2021年9月15日)
昨日(9月14日・第2火曜日)の昼休み時間、恒例の「本郷・湯島九条の会」の街宣活動。参加メンバーのボルテージは高かった。菅首相が政権を投げ出した。そして、総選挙が間近である。市民連合と4野党の「共通政策」ができた。長すぎたアベ・スガ政権に終焉の宣告をすべき秋は来たれり。
何よりも目玉は4野党の「共通政策」。4党首の署名の入ったその全文をビラにして配布をすれば、きっとみんな我勝ちに取り合うだろう。世の中、これからどう変わるのか、いや、どう変えていくことができるのか、その道筋が見えているのだから。
手作りプラスターも、意気軒昂。
?もうだまされない自公政権。
?アベスガ自民党政治ウンザリ
?次は野党共闘政権、立民・共産・社民・れいわ。
?自民党、派閥が選んでも国民は選ばない。
?顔が変わっても中身はモリ・カケ・サクラ。
★どこまでふくらむ防衛費5.5兆円、コロナ対策にはケチなのに。
通行人は、横断幕やプラスターは、横目でよく見ては行く。しかし、ビラの受け取りはどうも期待ほどではない。コロナがビラ配布という庶民の表現手段を奪ったのか。それとも、野党共闘成立の意義が市民に浸透していないのだろうか。
いきおい、マイクの声が大きくなる。マイクを握ったのは4人だったが、話題は自ずから総選挙のこととなる。総裁選挙に欺されてはならないということだ。
ご近所の皆様、ご通行中の皆様、私たちが主権者です。私たちの未来は私たち自身が決めなければなりません。私たち自身の未来を決める機会は、今、行われようとしている自民党の総裁選ではありません。来たるべき総選挙です。
自民党の議員と党員だけが参加している総裁選は、コップの中の嵐でしかありません。党外の人は参加できないし、何よりもウソとゴマカシにまみれたアベスガ政権の承継という枠から、抜け出すことができません。
総選挙では、国政私物化を続けた「アベスガ政権路線NO!」の意思表示をはっきり示すことができます。「アベスガ政権NO!」の、国民の命と暮らしを守る新しい政権を実現することが可能です。
去る9月8日、6本の柱、20項目からなる4野党の共通政策の合意ができました。これは、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の提言に、立憲民主党・日本共産党・社会民主党・れいわ新選組の4党党首が署名して成立したものです。
6本の柱は、次のとおりです。
1 憲法に基づく政治の回復
2 科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
3 格差と貧困を是正する
4 地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行
5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
20項目のなかには、具体的な政策が織り込まれています。たとえば、次のように。
・核兵器禁止条約の批准を目指し、締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力
・沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設を中止
・コロナ禍による倒産、失業などの打撃を受けた人や企業を救うため、万全の財政支援を実施
・最低賃金の引き上げや非正規雇用・フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす。
・所得、法人、資産の税制や社会保険料負担を見直し、消費税減税を実施
・石炭火力から脱却し、原発のない脱炭素社会を追求
・政治をはじめとした意思決定の場における女性の過少代表を解消するため、議員間男女同数化(パリテ)を推進する。
・選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立
・森友・加計学園問題、桜を見る会疑惑など安倍・菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について真相究明
・菅政権が任命拒否した日本学術会議の会員候補を任命
・内閣人事局のあり方を見直し、公正な公務員人事を確立
・安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対 等々
一見して、総裁選の候補者との違いが明白ではありませんか。もう、アベ・スガに忖度し、アベスガ路線を承継する候補者では、国民の期待に応えることはできないのです。
「野党共通政策」ができて、政権交代をめざすたたかいが始まろうとしています。この共通政策を土台に、政権協力、選挙協力の協議が始まっています。これを支えるのは、市民・国民のわたしたち、みなさんです。この、壮大な政権交代の運動に関わるとともに、来たるべき投票日には必ず投票に行き、いまこそわたしたち自身の政府と政治をつくろうではありませんか。
(2021年9月14日)
東京「君が代」裁判・5次訴訟(原告15名)が進行している。もちろん目指すところは、教員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の違憲判断である。
悪名高い「10・23通達」、これに基づく「国旗起立・国歌斉唱」の職務命令、そして職務命令違反を理由とするすべての懲戒処分。そのすべてが違憲・違法であって、取り消されなければならない。その違憲主張の訴状を原告側が陳述し、被告(都教委)が答弁書を提出し、いま、原告が総括的な再反論の準備書面を作成中である。
その違憲論争の一部としての憲法20条論(信教の自由の保障違反)の部分をかいつまんで紹介したい。
原告は訴状請求原因で、その国家神道のシンボルとしての出自と来歴に鑑みて、「日の丸・君が代」を「国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制は原告らの信教の自由を侵害し、憲法20条に違反する」と主張した。被告(都教委)は、これに反論を試みているが、請求原因に噛みあったものとなっていない。そもそも内容極めて貧弱で説得力に欠け「反論」たり得ていない。被告が原告側の請求原因の主張を真面目に読み込んで、これに真摯に対応する姿勢の片鱗も見ることができない。これは、「10・23通達」発出以来の被告(都教委)の思慮を欠いた、独善的な国旗国歌強制の姿勢と重なるものである。
原告は、訴状請求原因において、大要以下の主張をした。
信仰者である原告らにとっては,「日の丸」も「君が代」も,自らの信仰と厳しく背馳し抵触する宗教的シンボルとしての存在であって,信仰という精神の内面の深奥において,この両者を受容しがたく,ましてや強制に服することができない。
このような信仰を有する者に,「日の丸・君が代」を強制することによる精神の葛藤や苦痛を与えてはならない。そのことこそが,日本国憲法が旧憲法時代の苦い反省のうえに国民に厳格な信仰の自由を保障した積極的な意義にほかならない。また,人類史が信教の自由獲得のための闘いとしての一面をもち,各国の近代憲法の基本権カタログの筆頭に信教の自由が掲げられ続けてきた普遍的意味でもある。
信仰をもつ原告らにとっても,また信仰をもたない原告らにとっても,既述のとおり現在なお,「日の丸」も「君が代」も,神なる天皇と天皇の祖先神を讃える宗教的象徴である。その宗教的象徴に対して敬意表明を強制させられることは,信仰をもつ原告らにとっては自己の信仰と直接に背馳し抵触する受け容れがたいものであり,信仰をもたない原告らにとっても信仰をもたない自由に対する侵害にあたるものである。
17世紀、江戸時代初期に,当時の我が国の公権力が発明した信仰弾圧手法として「踏み絵」があった。この手法は,公権力がキリスト教の信仰者に対して聖像を踏むという身体的な外部行為を命じているだけで,直接に内心の信仰を否定したり攻撃しているわけではない,と言えなくもない。しかし,時の権力者は,信仰者の外部行為と内心の信仰そのものとが密接に結びついていることを知悉していた。だから,踏み絵という身体的行為の強制が信仰者にとって堪えがたい苦痛として信仰告白の強制になること,また,強制された結果心ならずも聖なる像を土足にかけた信仰者の屈辱感や自責の念に苛まれることの効果を冷酷に予測し期待することができたのである。
事情は今日においてもまったく変わらない。都教委は,江戸時代のキリシタン弾圧の幕府役人とまったく同様に,「日の丸・君が代」への敬意表明の強制が,教員らの信仰や思想良心そのものを侵害し,堪えがたい精神的苦痛を与えることを知悉しているのである。
また,信仰をもたない原告らについても,事情は本質において変わらない。信仰をもつ原告においては侵害されるものが自己の信仰であるのに対して,信仰をもたない原告らにおいて侵害されるものは,特定の信仰から自由な精神そのものである。
これに対する被告の反論は、以下のとおりである。
「日の丸・君が代は、国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。原告らが主張するように、日の丸・君が代は、「国家神道と結びついた神的・宗数的存在として天皇崇拝のシンボル」ではない。」
これに対しては、多岐にわたる再反論が可能であるが、重要なものは、次の3点である。
ア 宗教性の有無は、個人の尊厳と緊密に結びついた、前法律的な、あるいは前憲法的な問題である。法によって「特定の事象に関して宗教性はないものとみなす」などと規定して、あるものをないことにはできない。
イ ましてや、国旗国歌法は、「日の丸・君が代」を国旗国歌とすることを定めただけの定義法に過ぎない。論理的にも、「日の丸・君が代」がもつ宗教性を捨象するものではない。
ウ 最重要の問題は、誰を基準として宗教性の有無を判断すべきかという点である。「日の丸・君が代」の宗教的性格の有無や宗教的な意味付けの内容についての判断は,特定の宗教的行為を強制される人権の被侵害者の認識を基準とすべきである。百歩譲っても,被強制者の認識を最大限尊重しなければならない。人権侵害者の側である公権力においてする意味付けは,ことの性質上まったく意味をなさない。また,一般的客観的な基準によるときには,少数者の権利としての人権保障の意味は失われることにならざるを得ない。
とりわけ留意されるべきは,問題の次元が政教分離原則違反の有無ではなく,個人の基本的人権としての信教の自由そのものの侵害の有無であることである。公権力への禁止規定としての政教分離原則違反の有無の考察においては、宗教的色彩の存否は一般的客観的な判断になじむにせよ,基本的人権そのものである信教の自由侵害の有無を判断するに際しては,人権侵害の被害を被っている本人の認識を判断基準としなければならない。
また、被告は下記のようにも反論する。
「それまで日の丸・君が代が我が国の国旗・国歌であることが慣習法として成立していたという事実的経過があって、議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたものである。」
しかし、歴史をひもとけば、日本民族の歴史とともに日の丸・君が代があったわけではない。近代に至って、維新権力が急拵えの中央集権国家を建設する中での小道具の一つとして、「日の丸・君が代」が慣習法的に国旗国歌として使用されるようになった。いうまでもなく、明治維新から敗戦に至るまでの日本は、神権天皇制が国民(臣民)の精神の深奥までも支配を試み、しかもそのことに半ば成功した、人権尊重や民主主義とはおよそ無縁の国家であった。
戦後、国家の根本が変わった。しかし、国家を象徴する国旗国歌は変わらなかった。ドイツやイタリアでは、当然のこととして新国家にふさわしい国旗国歌に変えられたが、日本だけは神権天皇制のシンボルであった、「日の丸・君が代」をそのまま受継した。これは奇異な現象であり、これに対する異論があって当然なのである。とりわけ、宗教的信念に基づく、「日の丸・君が代」の国旗国歌化反対の意見は尊重されなければならない。
被告のいう、「議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたもの」は、その通りである。しかし、国旗国歌法は、国民誰にも、どんな場面においても、国旗国歌に対する敬意の表明を強制することを許容するものではない。
また、被告は次のようにも言う。
「国旗国歌が国民統合の象徴の役割を持つことから、国旗・国歌を取り巻く政治状況や文化的環境などから、過去において、日の丸・君が代が皇国思想や軍国主義に利用されたことがあったとしても、また、日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用されたことなどを理由として、日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、日本国憲法においては、平和主義、国民主義の理念が掲げられ、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であることが明確に定められているのであるから、日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」
切れ目のない長い一文だが、論理の骨格は、「日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、…日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されている」というものである。率直に言って文意不明である。また、この一文が憲法20条の解釈とどう関わっているのかも、理解し難い。まさかとは思うが、万能な国会は国民の信仰の自由を奪うことができるとの暴論に聞こえる。
見逃すことができないことは、「日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用された」という一節。正確に歴史的事実を踏まえれば、「日の丸・君が代は、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として創られ、その創出の時期から国民にこの上ない惨禍を強いた敗戦に至るまで、徹頭徹尾国民の精神的支配の道具として活用され、さらに、今なお戦前回帰派の運動のシンボルとして利用されている」というべきである。
はからずも、被告都教委の「日の丸・君が代」に問題はあるにせよ、それは、過去の一時期のことに過ぎないという浅薄な認識が明瞭になった。この認識が、軽々に「10・23通達」を発し、本件各職務命令と懲戒処分とを濫発している基礎となっている。
(2021年9月13日)
日本最大のマスメディアであり、世論の形成にこれ以上の影響力を持つ組織はないと思われるのが公共放送・NHK。一面「放送の自由」を掲げるジャーナリズムでありながら、放送法という法律に設立と運営の根拠をもつ特殊法人として、強く行政の規制を受けざるを得ない微妙な存在。市民が育てなければならない
そのNHKに、情報公開の面から切り込む、初めての「NHK情報公開請求訴訟」の第1回口頭弁論期日が迫ってきました。
日時 9月28日(火)午前10時40分から約1時間
法廷 東京地裁103号(1階の「大法廷」)
(傍聴は抽選が予定されています)
弁護士の意見陳述だけでなく、原告団長の醍醐聰(東大名誉教授)さん、副団長の長井暁さん(元NHKチーフ・プロデューサー)、西川幸さん(視聴者の立場から)の3人が、口頭での意見陳述をします。
コロナ禍さなかの口頭弁論ですが、是非傍聴をお願いします。傍聴席の抽選は予定されていますが、当初の予想よりは傍聴者は少なそう。もちろん、どなたも抽選に参加できます。身分証明も不要です。終了後には、小集会も予定しています。
組織の民主化の要諦は、運営の透明化にあります。その透明化の切り札は情報公開に尽きます。民主性を標榜する組織は、積極的に内部情報を関係者に提供するとともに、要求あれば特定された文書の開示請求に応じなければなりません。説明責任遂行に伴う情報公開の全うこそが、すべての組織の民主的運営の土台というべきです。
いま、情報公開請求裁判は数多く起こされています。その訴訟の形式は、行政訴訟です。「行政機関情報公開法」、あるいは「独立行政法人等情報公開法」に基づいて文書開示を請求し、不開示決定を得た場合に、その「不開示という行政処分」の取り消しを求める訴訟なのです。
しかし、NHKには、どちらの法律の適用もありません。「独立行政法人等情報公開法」は、192にも上る独立行政法人あるいは特殊法人を対象としていますが、NHKは意識的に適用外とされています。NHKは、内規によって独自の情報公開制度を定めていますが、これは飽くまでも自主規制規則に過ぎず、法的な効果をもつものではない、というのがNHKの姿勢です。「裁判所に持ち込まれることなどあり得ない」というNHKや経営委員会の思い込みが、これまでの開示請求に関する不誠実な対応の原因の一つと考えられます。
NHKが視聴者に対する情報公開制度を作り、この制度の存在を公表し、実際に運用してきた以上は、この制度を遵守すべきことが、NHKと視聴者との間の受信契約の内容となっている、というのが私たちの主張の柱です。
行政訴訟ではなく、民事訴訟として、受信契約にもとづく文書開示請求権の行使としての、これまでに前例のない裁判が、「NHK情報公開請求訴訟」なのです。是非、ご注目ください。
なお、この訴訟は、NHKだけを被告にしているのではありません。あの、悪名高い、NHK経営委員会森下俊三委員長を、二人目の被告として、この人に損害賠償請求をしています。
NHKの最高機関は、「NHK経営委員会」です。経営委員会が、会長を任命もし、罷免もする権限をもっています。その経営委員会委員長が、元総務事務次官からの要請を受けて、明らかに「かんぽ生命不正報道」の番組制作を妨害して、制作現場に土足で踏み込んだのです。明らかな放送法違反です。
この訴訟で開示を求めているメインの文書は経営委員会議事録です。その議事録が出せない、あるいは議事録の公開が遅延したのは、委員長森下俊三の番組制作妨害が議事に関わっているからだというのが、私たちの主張です。
NHKを、真のジャーナリズムに育てようという、壮大な国民運動の一環としてのNHK情報公開請求訴訟にご注目とご支援をお願いいたします。
(2021年9月12日)
権力の私物化に余念のなかったウソとごまかしのアベ政権。そして、そのフロクであったアベ亜流のスガ政権。両政権の余りに長期にわたった腐敗の構造がもたらした日本の政治・行政の行き詰まり。その転換は、自民党総裁選候補者らにできることではない。そもそも彼らには、政治の刷新をいう資格がない。しかも、薄汚いアベの顔色を見ながらの、みっともない右へ右への擦り寄り競争。
停滞した政治を転換する一筋の光明は、野党共闘の成立にある。9月8日、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の4党首が調印した「衆議院総選挙における野党共通政策の提言―命を守るために政治の転換を―」が、アベ・スガ政権とその後継に対する明瞭なアンチテーゼとなっている。
この共通政策の成立によって、政治の世界を、人権・民主主義・平和という理念を指標に2分する構図が出来上がった。立民・共産・社民・れ新4党の「立憲政治志向ブロック」と、自民・公明・維新の「守旧派ブロック」と。両ブロックの間には、越えがたい分水嶺がある。
来たるべき総選挙では、野党共闘ブロックに民意を集中すべきである。それこそが、停滞した、アベ・スガ政権の腐敗と傲慢を断ちきる道である。今年4月の、参院広島選挙区再選挙、参院長野選挙区補欠選挙、衆院北海道2区補選、いずれも野党共闘が勝利しているではないか。都議選も善戦している。横浜市長選も勝っている。野党共闘は今有望なのだ。
4野党の共通政策6項目は体系的によくできている。権力の私物化を承継し、憲法を壊し、明文壊憲までたくらむ自公与党とこれに追随する維新勢力との対決軸をよく表している。もちろん、その6項目のうちには、実現には時間のかるものもあれば、政策実現の成否判断が微妙なものもある。その反対に、すぐにでもできるものがある。政権交代でこれが実現できるとイメージしてもらうに最もふさわしいものは、次の部分だろう。
「3 格差と貧困を是正する
・所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する。」
「6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
・森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について、真相究明を行う。
・日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。」
消費税減税と富裕税の創出を宣言することと、森友・加計問題、桜を見る会疑惑などに関して徹底した真相解明のための強力なチームを編成すること。そして、直ちに日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。これは、政権交代による政治の変化を具体的にイメージ付けることになろう。
これに平仄を合わせて、立憲民主党の枝野幸男は、次期衆院選で政権交代を実現した場合、「枝野内閣」の初閣議で直ちに決定する7項目の政策を発表した。
?30兆円の補正予算編成
?新型コロナ対策の司令塔を官邸に設置
?22年度の予算編成の見直し
?日本学術会議で任命拒否された6人の任命
?入管でのスリランカ人女性の死亡事案でカメラ映像や資料を公開
?森友学園問題の決裁文書改竄の敬意が示された「赤木ファイル」関連文書開示
?森友・加計学園・「桜を見る会」問題の真相解明チームを設置
初閣議でこれだけのことができるのなら、政権交代を期待してよいのではないか。長い長い悪夢であつた、アベスガ政権の停滞を転換する具体的なイメージを語らねばならないと思う。
(2021年9月11日)
9・11の衝撃から、今日でちょうど20年。あの同時多発テロ事件とは何だったのか。そして、「対テロ戦争」とは。単純にまとめ切れないが、「平和新聞」(9月5日号)の特集記事に、9・11に引き続くアフガン戦争に限定してのことではあるが、宮田律(現代イスラム研究センター理事長)と、谷山博史(日本国際ホランティアセンター(JVC)顧問)という著名な二人が解説している。この意見に賛意を表しつつ、以下の示唆に富む解説を引用する。
宮田律は、現地の混乱の温床を「貧困」とし、人々は貧困ゆえに戦っているととらえて、米英流の「対テロ戦争」では、事態を解決しえないことを説く。
アフガニスタン南部のカンダハルを訪れた時、政府軍兵士の若者とタリバン兵の若者が仲良くしている場面に出くわしました。
その若者たちは、その時の形勢や給料の多寡を見ながら、政府軍に入るかタリバンに入るかを決めているようでした。彼らは生活のために戦っていました。
ペシャワル会の中村哲さんも言っていましたが、普通に仕事をして食べられるようになれば、若者たちは命まで懸けて戦う必要はなくなります。だから中村さんは、用水路を掘って農業ができるようにしようとしたのです。
「テロとの戦い」は、そもそも武力でテロをなくするという発想自体が間違いでした。米国も途中から武力だけでは駄目だと気付いて復興支援にも力を入れるようになりましたが、空爆などで破壊を続けながらの復興支援では成果を上げることはできませんでした。
支援の中身も、一方的にモノやカネをばら撒くだけで、中村さんのように住民の目線に立った支援ではありませんでした。
米国はアフガニスタン政府にも莫大な復興資金を注ぎ込みましたか、その多くは旧政権の高官たちの懐に消え、アフガニスタンの人々の貧困を改善することができませんでした。それが、米国が失敗した最大の要因と思います。
では米軍が撤退したアフガニスタンの混沌たる事態に、これからどう対処すべきか。谷山博史が、具体的なエピソードを挙げつつ、こう語っている。
タリバンを「極悪非道な連中」と決めつけて対話の扉を閉ざすことは、かえってタリバン政権を強硬な路線に追いやることになりかねません。国際社会も、早くタリバンと交渉のチャンネルを作って、対話を始るべきです。
それを仲介できる立場にいるのが、日本です。タリバンは、日本を他の欧米諸国とは違うと見ています。
なぜなら、主要諸国の中で日本だけがアフガニスタン本土に軍隊を派遣せず、一人のタリバン兵もアフガニスタンの市民も殺していないからです。
そういう日本が国際社会とタリバンとの対話をリードしていくことは、軍事一辺倒の安全保障とは違う道があるということを改めて確認する意味があると思います。
まったくその通りだと思う。人々の生活の安定と平和とは緊密に結びついた課題となっている。テロの温床である貧困をなくすことが平和への第一歩であって、対テロ戦争と称して、武力での制圧を図ることは、貧困と貧困ゆえの戦闘員を再生産して、負のスパイラルに陥ることになる。アフガニスタンの20年は、その実証に費やされた。
反射的に、9・11同時多発テロへの報復として米国が始めた戦争は、結局は世界中にテロを拡散し、人々の米国への憎悪を再生産した。米国はアフガニスタンを混乱させただけで、軍を完全撤退させた。「対テロ戦争」の手痛い失敗をさらけ出したのだ。武力でテロを制圧することはできない。テロに走らざるを得ない現地の土壌を改善する以外に方法はない。
国民の経済的安定が平和主義の土台でもあるということ。日本国憲法に則っての表現をすれば、25条の実効化が9条遵守につながることになる。多大の犠牲を払って得たこの貴重な教訓である。国の内・外に活かしたい。
(2021年9月10日)
あゝ河野太郎よ、君を泣く
なにゆえ矜持を捨てたるや
なにゆえ膝を屈せしや
気骨はどこへ失せにしや
かつては言葉の歯切れよく、
末頼もしき君なれば、
君への期待はまさりしも
次第に萎縮を重ねつつ
遂には己を封印し、
総裁選に名乗り上げ
安倍と麻生にへつらいて、
魂売るとは思いきや
あゝ河野太郎よ君を泣く
なにゆえ節を屈せるや
いかでか理由は知らねども、
モリ・カケ・サクラの再調査
必要ないとはなさけなや
あゝ河野太郎よ君を泣く
節を屈せしそのことば
脱原発を信条に
「再稼働は無責任」
昨日まではそう言った
同じ口から本日は
「再稼働が現実的」の無責任
お気は確かか正気かや
平気で人を裏切るか
あゝ河野太郎よ君を泣く
親の情けはまさりしを
たかが安倍やら麻生やら
有象無象に右顧左眄
節を曲が口惜しや
かつては党のあるじにて
正統保守の良心と
令名高き親の名を
嗣いで来たりし君なれば
河野太郎よ 君を泣く
君 などて籠絡されたるや
出処進退過つやアベとスガとの自民党
決して堅固ならざるぞ
塵と吹き飛ぶときならん
世論の支持の急落は
民意と天意のなせるわざ
河野太郎よ君を泣く
総裁選への出陣は
民意と天意に背くもの
君は知らじな民の意を
改憲策謀は猛虎の尾
安倍と一緒に踏むなかれ
ああ河野太郎よ君を泣く
などて節を屈せしや
はや その気骨は挫けたか
沈没間近の船のごと
アベスガお粗末内閣に
まことの保守はすでになく
極右の輩がのさばりぬ
かつては正論吐く人と
この人ありと言われたる
君の人望潰えなば
保守には人の絶え果てて
あゝまた誰をたのむべき
君 などて膝を屈せしや
安倍に尻尾を振りたるや
(2021年9月9日)
日本の命運を決めるものは自民党総裁選挙ではない。その次に控えている総選挙である。自民党総裁選はコップの中の嵐でしかないが、来たるべき総選挙は、われわれの自由や暮らしや生命をも左右する。
与党勢力が誰を「顔」にして総選挙に臨むにせよ、国政を私物化し、著しく政治を劣化させたアベ・スガ政権の後継でしかない。ここでの政治の転換がなければ、危機に瀕している民主主義の再生はない。
一筋の光明は、野党共闘の成立である。昨日、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の4党首が、市民連合提案の「衆議院総選挙における野党共通政策の提言――命を守るために政治の転換を――」に合意し署名して、その実現に全力を尽くすことを誓約した。
この6項目の政策提言は体系的によくできていると思う。権力の私物化を承継し、憲法を壊し、明文壊憲までたくらむ自公与党とこれに追随する維新勢力との対決軸をよく表している。
一昨年(2019年)5月29日、やはり市民連合の呼びかけに応じて、参議院選挙での野党共闘政策が成立している。そのとき、「この要望を受け止め、参議院選挙勝利に向けて、ともに全力で闘います。」として、政策協定に調印(署名)した参加者は、立憲民主党・国民民主党・日本共産党・社会民主党・社会保障を立て直す国民会議の、野党4党と1会派だった。今回、国民民主党の名はない。
報じられているところでは、「国民民主党は『原発のない』や『安保法制の違憲部分の撤回』の表現に党内に異論があるため、8日の調印式には玉木雄一郎代表が参加しないことになった。」という。また、『地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する』という政策の文言もネックになっているという。〈原発〉〈集団的自衛権〉〈辺野古建設〉を容認するというのでは、自公維と変わらない。分水嶺の向こう側の世界に住む人々を無理に味方にすることはない。
以下に、野党4党首が署名した共通政策の全文を掲記する。これから、各選挙区らおいて具体的な候補者選定作業が始まることになる。
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衆議院総選挙における野党共通政策の提言
――命を守るために政治の転換を――
新型コロナウイルスの感染の急拡大の中で、自公政権の統治能力の喪失は明らかとなっている。政策の破綻は、安倍、菅政権の9年間で情報を隠蔽(いんぺい)し、理性的な対話を拒絶してきたことの帰結である。この秋に行われる衆議院総選挙で野党協力を広げ、自公政権を倒し、新しい政治を実現することは、日本の世の中に道理と正義を回復するとともに、市民の命を守るために不可欠である。
市民連合は、野党各党に次の諸政策を共有して戦い、下記の政策を実行する政権の実現をめざすことを求める。
1 憲法に基づく政治の回復
・安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。
・平和憲法の精神に基づき、総合的な安全保障の手段を追求し、アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う。
・核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する。
・地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する。
2 科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
・従来の医療費削減政策を転換し、医療・公衆衛生の整備を迅速に進める。
・医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーの待遇改善を急ぐ。
・コロナ禍による倒産、失業などの打撃を受けた人や企業を救うため、万全の財政支援を行う。
3 格差と貧困を是正する
・最低賃金の引き上げや非正規雇用・フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす。
・誰もが人間らしい生活を送れるよう、住宅、教育、医療、保育、介護について公的支援を拡充し、子育て世代や若者への社会的投資の充実を図る。
・所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する。
4 地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行
・再生可能エネルギーの拡充により、石炭火力から脱却し、原発のない脱炭素社会を追求する。
・エネルギー転換を軸としたイノベーションと地域における新たな産業を育成する。
・自然災害から命とくらしを守る政治の実現。
・農林水産業への支援を強め、食料安全保障を確保する。
5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
・ジェンダー、人種、年齢、障がいなどによる差別を許さないために選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立させるとともに、女性に対する性暴力根絶に向けた法整備を進める。
・ジェンダー平等をめざす視点から家族制度、雇用制度などに関する法律を見直すとともに、保育、教育、介護などの対人サービスへの公的支援を拡充する。
・政治をはじめとした意思決定の場における女性の過少代表を解消するため、議員間男女同数化(パリテ)を推進する。
6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
・森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について、真相究明を行う。
・日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。
・内閣人事局のあり方を見直し、公正な公務員人事を確立する。
2021年9月8日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
上記政策を共有し、その実現に全力を尽くします。
立憲民主党代表 枝野 幸男
日本共産党委員長 志位 和夫
社会民主党党首 福島みずほ
れいわ新選組代表 山本 太郎