澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

松井一郎はん、間違うてんのはあんたや。人の言うこと、よう聞きなはれ。

(2021年8月23日)
 世の中は広い。考えられないほど傲慢で愚かな市長がいるし、わけの分からぬ教育委員会もある。そして、何と硬骨な校長もいるものだ。なるほど、この混沌が大阪なんだ。

 《『混乱極めた』オンライン授業巡り、大阪市長批判の小学校長処分》という報道。教育行政のあり方や、言論の自由の意味、そして言論の自由を抑圧することの深刻な意味などについて考えさせられる。あわせて、ものの言えない鬱屈した教育現場の惨状があぶり出されてもいる。なるほど、これが大阪の教育の実態なんだ。維新の勢力が跋扈しているうちは、大阪はアカンとちゃうか。

「大阪市立小中学校が4?5月の緊急事態宣言下に実施したオンライン学習を巡り、「学校現場が混乱した」などと指摘した提言が地方公務員法が禁じる信用失墜行為に当たるとして、市教育委員会は8月20日、市立木川南小(淀川区)の久保敬校長を文書訓告にした。

 市教委は4月、松井市長による突然の方針表明を受け、原則としてオンライン学習を実施するよう各校に通知した。しかし、多くの学校でネット環境が整っていなかったため、授業動画の視聴にとどまるなど満足に実施できず、学校現場や保護者から不満の声が上がっていた。

 久保校長は5月に松井市長や市教育長に実名で提言書を送付した。「市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈した」と指摘。「学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」とし、教育行政の見直しを訴えた。

 これに対し、松井市長は「言いたいことは言ってもいい」としたうえで「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」と批判していた。」

 以上が、報道されている経過の概要である。文書訓告は地方公務員法上の懲戒処分ではないが、その前段階。もう一度同様のことがあれば懲戒するぞ、という警告の意味をもつ。教委の訓告の理由は、「他校の状況を把握せず、独自の意見に基づいて市全体の学校現場が混乱していると断言したことで市教委の対応に懸念を生じさせた」「さらにSNSで拡散されたことが信用失墜行為に当たる」というもの。

 誰が見てもこの訓告理由はおかしい。言外にこう言っているのだ。

「長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる言うやおまへんか。もの言えばくちびる寒しでっせ。あんさんも校長や、子らには上手な世渡り教えなならん立場や。市長に逆ろうてもどないもならんことはようお分かりのはずやし、子らにも分を弁えるよう、手本をみせなならん。わしらも、教育委員いうたかて名ばかりや。何の権限もおませんのや。ここは、文訓程度でおさめるのがええとこや。腹も立とうが、何とか呑み込んでいただきとうおますのや」

 松井は、この校長に「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」と言っている。多様性を否定し、批判を封じ、教育を「一つの方向性」に引っ張っていこうという危険な発想。「組織を去るべきだ」は、『非国民』思想の復活ではないか。

 松井一郎の間違いは、大きく2点ある。事前に教育現場の教育専門家の意見を聴いていないこと。だから現場は混乱し、だから校長からも批判の声が上がるのだ。さらに、事後にも現場からの批判の声に耳を傾けようという姿勢のないことだ。

 この経過は看過しがたい。民主主義とは、選挙での為政者への白紙委任ではない。誰もが、常に、為政者を批判できる。為政者は批判の声に謙虚に耳を傾け、政策の修正に努めなければならない。久保校長の提言は「通信環境の整備など十分に練られること(が)ないまま場当たり的な計画で進められ」「保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」というもの。この見解は、保護者へのアンケート調査までしての結論。松井はこの提言に聴く耳を持たない。聴く耳を持たないどころか、「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」というのは、言語道断。これが維新の体質と理解するしかない。維新に権力を握らせることは、恐ろしい。

久保校長はこうも述べているという。

「37年間大阪で教員として育ち、本当に思っていることを黙ったままでいいのかなと。お世話になった先生方や保護者、担任をした子どもを裏切ってしまう感じがした」「今まで黙ってきた自分はどうなんやろうっていうのを、自分自身に問いかけた」

ものを言いにくい現場の空気と、意を決しての発言であることが伝わってくる。また、こうも報じられている。

「60代の市立小学校長は『声を上げにくい中でよく言ってくれた』と提言書の内容を支持した。区内の校長の間でも共感する声が多いという。『これまでも教育現場の声を聞かずに色んなことが決められてきた』。今回のオンライン学習の方針も同じだと感じるという。」

 「阿倍野区の市立小学校の50代男性教諭は通信環境が整わない中でオンライン学習を進めざるを得ず、児童の学習に遅れが出ていることに危機感を抱く。「私たちは決まった方針に対して何も言えず、従うしかない。諦めていたが、この提言に心から賛同したい」と話した。

 声を挙げることの困難な教育現場。声を押し潰そうという傲慢な小さな権力と、それに抗って発言しようとする良心の角逐。今、どこにもある光景であるが、実は深刻な光景なのだ。

香港に際限なく拡大し続ける「The Nothing」(無)

(2021年8月22日)
 香港情勢の報道には胸が痛む。民主的な運動に携わっていた人々が、野蛮な権力に次第に追い詰められている。歴史は、必ずしも進歩するものではなく、正義は必ずしも勝利するものでもない。この理不尽が、現実なのだ。
 
 ドイツの作家ミヒャエル・エンデのファンタジー「はてしない物語」(ネバーエンディング・ストーリー)を思い出す。「The Nothing」(無)の膨張によって崩壊の危機に瀕した異世界の物語り。あの異世界は中国のことであったか、「The Nothing」(無)とは中国共産党のメタファーであったか、今にしてそう思う。

 国家安全維持法施行以来、じわじわと香港での「The Nothing」(無)の膨張は続いている。民主派メデイアの「リンゴ日報」が廃刊になり。最大教員組合の「香港教育専業人員協会」(教協)が解散となり、今度は、「民陣」への弾圧。そして、弁護士協会も危ない。

 以下は、赤旗【北京=小林拓也】の報道である。見出しは、「香港民主派団体「民陣」が解散」「大規模デモ主催 弾圧で運営不能に」「主要幹部相次ぎ逮捕 『市民に感謝』と声明」

 香港で大規模デモを主催してきた民主派団体「民間人権陣線(民陣)」が15日、解散を宣言しました。昨年6月末の国家安全維持法(国安法)施行後、主要メンバーが次々逮捕され、事務局の機能が維持できなくなったのが理由。民陣は解散を宣言した声明で「香港人がんばれ。人がいれば希望はある」と呼び掛けました。

 民陣は2002年、民主派政党や団体によって創設。毎年7月1日の香港返還記念日デモなどの大規模デモを主催。「平和、理性、非暴力」を掲げ、デモによる市民の政治的意見表明を主導してきました。03年7月には50万人デモで「国家安全条例」案を撤回に追い込みました。19年6月には「逃亡犯条例」改定案に反対するデモを呼び掛け、最大で200万人が参加。その後の反政府行動でも重要な役割を果たしました。

 国安法が施行された直後の昨年7月1日にもデモを呼び掛けました。しかし同法による弾圧が強まる中、今年の7月1日は創設以降初めてデモを行いませんでした。昨年来、民陣の元代表4人が逮捕され、実刑判決を受けた人もいます。弾圧により事務局の運営が不可能になったとして、13日の会議で解散を決めました。

 香港警察は、民陣やそのメンバーが国安法などに違反していないか全力で追及すると表明。中国政府で香港政策を所管する国務院香港マカオ事務弁公室と出先機関の中央駐香港連絡弁公室は、民陣について「反中国で、香港を混乱させた」組織だとし、法によって責任追及すべきだと主張しました。

 民陣は15日の声明で、19年間共に歩んできた香港市民に感謝を表明。大規模デモで「世界が香港に注目し、自由や民主の種を人々の心に植え付けた」と強調しました。その上で、「民陣がなくなっても、別の団体が理念を堅持し、市民社会を支援していくと信じている」と訴えました。」

 さらに、弁護士会の自治も危うい。英国流の法制度をもつ香港には、2種類の資格の弁護士があり、《香港大律師公会》(法廷弁護士(バリスター)の弁護士会)と、《香港律師会》(事務弁護士(ソリシター)の弁護士会)の2会がある。その両者とも法の支配や人権、民主主義に親和的だが、《香港大律師公会》の方がより尖鋭だという。香港大律師公会のポール・ハリス会長は、民主派政治家への懲役刑を批判し、中国政府高官から「反中国」政治家と批判されている。

 この弁護士会の姿勢を「政治主義」と攻撃するのが、中国共産党である。党の方針に忠実でなければ、偏向した政治主義なのだ。『人民日報』(中国共産党機関紙)8月14日付は、香港律師会に関する、大要以下の論説を掲載したと報じられている。

 「香港律師会は会員に対して責任を持ち、専業を選び政治を行うべきではない。市民に対して責任を持ち、建設を選び破壊を行うべきでない。香港律師会の重要な役割は香港の法治精神を守ることで、香港法治の盛衰と存亡がその盛衰と存亡に直接の関係がある。」「反中乱港分子と一線を画せば、香港教育専業人員協会(教協)のように特区政府の認可を失うことはない。1国2制度の方針を擁護し、基本法を順守すれば、香港大律師公会のように中国本土との交流・協力を断絶し活路を失うことはない」「8月末(24日)の理事会改選で選出される新たな指導層が建設的役割を発揮するよう求める」

 これは、明らかな権力による恫喝である。民主主義を標榜する国家では到底考えがたい。ここでいう「香港の法治精神を守る」とは、中国共産党の指導に服従するということで、法によって権力の横暴を縛るという立憲主義への理解の片鱗もない。民主制国家では、国民世論がこのような権力の暴言を許さない。敢えてすれば、次の選挙でこのような野蛮な政権は潰えよう。しかし、中国共産党のこのような横暴に歯止めはかからない。

 先には、「香港民主主義の父」といわれた弁護士・李柱銘氏が、民主化集会開催をめぐり有罪判決を受けて、弁護士資格を剥奪されることになった、という報道もあった。「The Nothing」(無)の拡大は止まるところを知らぬように見える。果たして、本当に「人がいれば希望はある」だろうか。
  

学術会議会員任命拒否問題《個人情報開示請求》《行政文書開示請求》は審査請求段階に

(2021年8月21日)
 菅義偉が首相に就任したのは、昨年(2020年)の9月16日。同月28日には、内閣府から日本学術会議の事務局に、新会員任命対象者の名簿が送付されている。学術会議が推薦した105名から6人を除外した99名だけを搭載した名簿。これが、10月1日に天下の大事件として知られるところとなる。「学術会議任命拒否事件」こそは、菅義偉首相の初仕事であり、菅義偉は学問の自由・自治の侵害者として後世にその悪名を残すことになった。

 菅義偉政権が強引に日本学術会議の人事に介入した。端的に言えば、政権に対する批判勢力を切ったのだ。狙いは大きくは二つあったろう。一つは、恫喝である。政権に対する批判を許さないとする居丈高な姿勢の表明である。そして、もう一つは政府機構に埋め込まれた学術専門家集団のチェック機能の放逐である。専制支配復活への一歩にほかならない。民主主義を大切に思う者にとって、けっして傍観も、座視も許されない。

 岡田正則・早稲田大学大学院教授ら任命を拒否された6人は、本年4月26日内閣府と内閣官房に「自己情報開示請求」を求めた。個人情報保護法を根拠に、各々の任命拒否に関わるすべての行政文書の開示を得て、その上で行政の違法の有無を正確に判断しようということである。また、同時に法律家1162名が、行政情報公開法を根拠に、主権者たる国民の立場から、同様の文書開示を求めた。

 開示対象とされた文書の主要なものは、《2020年に日本学術会議が推薦した会員候補者のうち一部の者を任命しなかった根拠ないし理由がわかる一切の文書》として、特定されている。

 この請求の主要部分に関しては、内閣官房は情報を保有していないとして不開示を決定。内閣府は支障があるとして情報の有無を含めて応答を拒否した。開示された一部の文書も「公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼす恐れがある」などの理由で黒塗りだった。まったく「任命拒否の理由や根拠」がわかる資料の開示にはなっていない。

 こんな重大なことに説明責任を果たそうとしないムチャクチャな政府の姿勢である。任命拒否の当否は措くとしても、その理由を明らかにしてもらいたい、任命拒否に至る行政文書を開示してもらいたいという要求に対する、首相直轄機関のこの無責任極まる対応。これが、民主国家のやることか。

 これだけの重大事である。決裁に至る過程での関係文書がないことは考えられない。しかも、任命拒否をめぐっては、加藤勝信官房長官が昨年11月、「杉田和博官房副長官(鑑定事務方トップ、元警備公安警察官僚)と内閣府でやりとりした記録を内閣府で管理している」と国会で答弁しているのだ。

 この不開示決定にはとうてい納得できるはずもなく、昨日(8月20日)任命を拒否された6人も開示請求をした法律家481人も行政不服審査法に基づく審査請求を申し立てた。審査請求では、不開示の理由の説明がないことを違法として、不開示決定を取り消す旨の裁決を求めている。これから、首相が情報公開・個人情報保護審査会に諮問し、その答申を待つことになる。

 任命拒否された6人のうち、提出後に都内で会見した岡田教授は、任命拒否は日本学術会議法の規定に反して行われたとしたうえ、「民主主義や法治国家の原則からしてはならないことを(首相は)した。しかもその根拠をまったく説明していない。今からでも是正する機会として今回、審査を請求した」「不開示は説明しない政治・行政の現状を端的に示している。是正しなければ社会に禍根を残す」と語っている。

 また、任命拒否された1人の小澤隆一・東京慈恵会医科大学教授は「任命拒否を決めた際の政府内でのやりとりを記録した文書が、これまでほとんど示されていない。違法な決定がなされたことを示すと言わざるを得ない。このプロセスを明らかにすることは民主主義にとって重大な意味を持つ。審査で解明されることを期待する」と述べている。

 繰り返すが、日本学術会議の推薦会員任命拒否の問題は、看過することのできない重大問題である。民主主義の土台を崩す暴挙と言って過言ではない。こんなあからさまな違法を放置しておいてはならない。

小池百合子こそが「国恥」を象徴する人物である。

(2021年8月20日)
 9月1日が近づいてきた。年来、私はこの日を「国恥の日」と呼んでいる。日本人であることが恥ずかしいと思わざるをえない日、そしてその気持ちを忘れてはならないと心に刻むべき日、である。もっとも、まだ明示の賛同者を得てはいない。

 1923年9月1日が「国恥」というべき事件の発端である。関東大震災の混乱の直後に、日本の軍と警察と民衆が、数千人の朝鮮人を虐殺したのだ。中国人も犠牲になっている。その犠牲者の数は正確には分からない。当局がこの犯罪の大部分を隠蔽し、調査を怠ったからである。

 この朝鮮人虐殺の全貌は、姜徳相『関東大震災』(中公新書)と吉村昭『関東大震災』(文春文庫・菊池寛賞受賞作)との2冊に詳しい。混乱の中で、多くの朝鮮人が文字通り虐殺・惨殺されたのだ。虐殺に直接手を下したのは、軍・警よりは、民間の日本人である。中心に位置したのは退役軍人とも言われるが、決してそればかりではない。ごく普通の人々が自警団を作って、刃物や竹槍などの武器を持ち寄り、「朝鮮人狩」を行い、その虐殺に狂奔したのだ。恐るべき蛮行というほかはない。

 この事件についての先進的研究者である姜徳相(元一橋大学教授・滋賀県立大学教授)は、去る6月21日に亡くなった。氏は、この虐殺の本質を端的にこうまとめている。私には、返す言葉がない。

 「日本の民衆が流言飛語に乗せられて朝鮮人を虐殺したというのは誤りで、軍隊と警察が率先して朝鮮人虐殺を実行し、朝鮮人暴動のデマを流して民衆を興奮させ、虐殺を煽動した」「国家権力を主犯に民衆を従犯にした民族的大犯罪、大虐殺」

 花鳥風月を愛で、もののあわれを詠じるのも日本人だが、後ろ手に縛った朝鮮人を竹槍で惨殺したのも、紛れもない同胞である。この事件は、「国恥」というほかはない。

 だが、「国恥」には、もう一面ある。この冷厳な歴史的事実を認めようとせず、歴史からこれを抹消しようという策動が続いていることだ。そして、今日に至るまでその策動を克服し得ていない。あれから98年経った今なお、この歴史の隠蔽・修正という「国恥」は続いている。その現在の「国恥」を象徴する人物が小池百合子(都知事)である。

 1974年以降、毎年9月1日に東京都墨田区の都立横網町公園で、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」が開かれている。主催者は、日朝協会が主となった実行委員会。その追悼式には、歴代の知事が追悼文を寄せてきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも、追悼文を欠かさなかった。ところが、小池百合子は、度重なる要請を拒否して、追悼文を寄こそうとしない。今年も、である。

 日朝協会などの実行委メンバーは7月27日、8月8日と都庁を訪れ、追悼文の送付を求め、8596筆と142団体の署名を渡した。この席で、実行委側は、「内閣府中央防災会議の報告書(08年)も虐殺の事実を踏まえ、背景に『民族的な差別意識』などがあったと指摘したことを紹介。歴代知事が『二度と繰り返すことなく』語り継ぐとしてきたにもかかわらず、小池知事が追悼文送付をやめたことは理解できない」などと述べている。

 また、8月17日には、日本共産党都議団(大山とも子団長、19人)が正式申し入れをしている。申し入れの内容は、下記2点。

1、知事は史実を誠実に直視し、今年9月1日に開催される「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に対して、追悼文の送付を再開すること。

2、「人権条例」審査会が認定したようなヘイトスピーチが二度と行われることのないよう、9月1日の横網町公園の運営に当たり適切な措置を講じるとともに、知事は、ヘイトスピーチが行われることのない東京都を目指し率先して行動すること。

 この申し入れの理由は、説得力のある立派なもの。是非下記URLに目を通していただきたい。
 https://www.jcptogidan.gr.jp/category01/2021/0817_3247

 それでも、小池百合子に、反省の色は見えず、「今年も追悼文を送付しない」というのが東京都の方針である。国恥は、まだまだ払拭できない。

 なお、追悼式典は9月1日午前11時開会予定。新型コロナウイルス対策のため、昨年に続いて今年も一般参加は募集せず、オンライン配信される。

22年間頓挫していた「東京都平和祈念館」建設に光明

(2021年8月19日)
 現代の日本は、先の大戦における敗戦の惨禍の中から生まれた。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」こそが国是である。この「戦争の惨禍」「敗戦の惨禍」を繰り返し記憶し承継することによって平和を守ろうとする勢力と、「戦争の惨禍の強調よりは戦前の栄光をこそ」という大国化を求める守旧勢力との角逐が連綿として続いている。

 その角逐を象徴するものの一つが、「東京都平和記念館」構想である。東京都は、かつて都民の戦争被害の情報センターとして、都立の「平和祈念館」設立を構想し、その準備に着手している。展示予定の相当の戦争遺品を収集し、300本余の貴重な証言ビデオも作成した。だが、その構想は立ち消えとなり、いま貴重な戦争遺品は倉庫に眠ったままなのだ。

 この「東京都平和記念館」構想と受難の経過は、美濃部都政から、鈴木・青島都政を経て、石原都政を成立させた政治状況の変化を反映するものである。だが、本日の毎日新聞の記事によると、この構想が再度日の目を見る希望が出てきているという。先の都議選の結果によってである。

 東京都がこの構想を頓挫させて以来、市民運動がこれを受継している。「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会(柴田桂馬代表)である。会のホームページに経過が略述されている。

 「東京都は、(美濃部都政のもとで)有馬頼義さん、早乙女勝元さんや松浦総三さん、橋本代志子さんなど「東京空襲を記録する会」が調査・編集した「東京大空襲・戦災誌」(1973年3月10日)の発行を支援しました。
 さらに都は、「東京空襲資料館」建設の運動や非核東京都宣言実現を求める運動の広がりの中で、(鈴木都政のもとで)3月10日を「東京都平和の日」とする条例を公布・施行(1990年7月)、その後毎年この「平和の日」には記念式典・行事を開催しています。
 1992年6月には都知事のもとに「東京都平和記念館基本構想懇談会」を発足させ、1993年7月には同懇談会が都知事に報告、…「平和記念館」の基本的な性格としては、次のようなことを挙げています
 1、東京空襲の犠牲者を悼み、都民の戦争体験を継承すること。
 2、平和を学び、考えること。
 3、21世紀にむけた東京の平和のシンボルとすること。
 4、平和に関する情報のセンターとすること。
 そしてこの「平和祈念館(仮称)」建設に賛同し、期待した広範な都民からは、5000点にのぼる資料が寄せられました。
 ところが、かつて日本がすすめた戦争を「アジア解放の戦争だった」などとする一部極右の都議と、それに迎合した石原都政になってから、東京都は都議会各会派代表や有識者が名を連ねる「平和の日」記念行事企画検討委員会をいっさい開催せず、「東京都平和祈念館(仮称)」建設のための努力を一切放棄し、都民から集めた資料はほとんど倉庫にしまい込んだままにするというように、都民の願いに逆行する、まったく無責任な都政をすすめてきたのです。」

 施設の趣旨に賛同する都民らから、多くの関係資料が寄贈されている。 展示品の目玉とされたのが被災した330名のビデオ証言記録であり、先の大戦でこれほどの多数の戦争体験者の証言を集めた資料は国内には他にない。証言者の中には歌手の並木路子もいるという。都は現在も、これらの資料を非公開扱いとし、目黒区の都施設に保管したままである。広島平和記念資料館が、資料のネット公開など、多岐にわたり活用されているのとは対照的であるとされる。石原都政下で、「祈念館建設」が暗礁に乗り上げて、以来22年である。

 その状況の打開に光明が見えるという本日の毎日新聞(東京・地方版)の記事。「祈念館建設、都議会で議論を」「議席を得た会派の3割『前向き』」「市民団体『働きかけ、力入れる』」という内容。以下、林田七恵記者の報告による。

 毎日がまとめた経過は、以下のとおり。

「1945年3月の大空襲では約10万人が亡くなったとされ、90年代に祈念館建設が持ち上がった。都は遺品など資料5040点や空襲体験者330人の証言ビデオを収集。しかし展示内容や歴史認識を巡って都議会各会派や議員の意見が対立した。99年の関連予算案審議で「展示内容は、都議会の合意を得た上で実施する」という付帯決議が可決された後は、22年間、実質的な議論はなく計画は凍結されてきた。」

 つまりは、「都議会の合意」がキーワードだ。石原都政下では圧倒的な議席を維持した自民党が、軽々に「合意」形成に協力するはずもない。

 今年7月の都議選で会派構成が新しくなった。「建設をすすめる会」の14政党・会派へのアンケートでは、当選した127人のうち、共産党(19人)、立憲民主党(15人)、東京・生活者ネットワーク、(1人)――が建設に向け「尽力する」と答えた。また東京みらい(1人)は「資料の共有や閲覧を可能とするよう取り組むべき」とした。最大会派の自民党(33人)は「付帯決議が前提」とし、都民ファーストの会(31人)と公明党(23人)は答えなかった。ただ公明は17年都議選では同様のアンケートで建設に賛成している。

 「建設尽力」と明言する会派が議席のほぼ3割、過去に賛同した会派も含めれば45%が「前向き」になるという。さらに興味深いのは、積極的に反対という会派のないこと。過半数まではもう一歩。

 もう一歩の達成は、都民の民意次第だ。是非とも、「東京都平和祈念館」建設を実現しようではないか。 

8月22日横浜市長選は、300万有権者による菅政権に対する信任投票となっている。

(2021年8月18日)
 横浜は巨大都市である。夜間人口の比較では大阪市を大きく上回る。多面・多様な相貌をもつ魅力的なこの街にカジノが必要だとはとうてい考え難い。その街に、いまコロナの蔓延が急である。その横浜の市長選挙が、今週末の日曜日・8月22日に迫っている。これまで、争点はカジノとコロナだと言われてきた。

 東京近郊の自治体の選挙は盛り上がりに欠ける。住民の地元意識が希薄で、自治意識に欠けるからだと言われる。投票率も低い。横浜も、東京のベッドタウンという側面をもっている。今は昔のことだが、私も磯子区の杉田に住んで東京の端に位置する蒲田まで通勤していたことがある。朝夕、東京湾に浮かぶ船と対岸の房総半島を眺めて暮らした。そのときは、横浜市の住民として市長選にも神奈川県知事選にも選挙権を持ってはいたが、社会的な活動の舞台は東京で自治体選挙には関心の薄い「横浜都民」の一人だった。

 ところが、今回は事情が違うのだという。「横浜都民」にも、市長選投票のモチベーションができたとして俄然注目された選挙となっている。場合によっては、この市長選の結果が菅内閣の命運を決することになるかも知れないというのだ。

 本日の朝刊を開いて、週刊文春の広告が目に入った。なんと、「菅 9・6『首相解任』 横浜市長選敗北で引導」というのだ。凄い見出しだが、ホントかね。

 私は、週刊文春は広告を見るだけ。あるいは、無料のオンライン記事に目を通す程度。絶対に買わない。なにせ、植村隆バッシングに狂奔した前科のある週刊文春である。一円の支払いもするものかという信念を堅持している。

 その広告には、《菅ハイテンション「パラ直後に解散」に周囲は唖然》《菅“官邸ひとりぼっち”医療ブレーンも切り捨て》《自民党幹部が小誌に「菅・二階では戦えない」》《安倍動き出した「菅さんじゃダメと若手が…」》《安倍 麻生極秘会談で岸田推し河野は出馬準備》などという内容。これだけでほぼ分かる。本文を読む必要はない。

 このあたりのことは、毎日新聞の名物コラム「水説」(古賀攻)が落ちついた解説をしている。「首相血眼の市長選」というタイトル。もちろん、選挙結果を断定などしていない。
https://mainichi.jp/articles/20210818/ddm/002/070/020000c

 そのコラムの書き出しが、「内閣総理大臣の命運が、単一自治体の首長選に左右される―。…22日投票の横浜市長選は実態としてそうなりつつある。しかも、進んで仕向けているのが菅義偉首相というから驚く」というもの。以下、抜粋である。

 「小此木八郎さんが閣僚ポストをなげうって出馬。しかも首相と一緒に旗を振ってきたカジノ誘致を「取りやめる」と公約した。はしごを外された現職の林文子さんは「カジノ継続」で参戦し、自民党系市議は30対6に分裂している。菅軍団(元菅秘書の市議5人を指す)もとうとう小此木支持3人、林支持2人に割れた。焦ったのだろう。首相は7月半ばから公然と介入を始めた。」

 「首相には冷静に考えて選挙と距離を置く選択肢もあった。それを拒み、市長選を政治上の最高ランクに高めたのは自身の行動だ。『カジノよりコロナ』と訴える無名の野党系候補が追い上げているという。どんな結果が出ようと首相は無傷ではいられない。」

 今回の横浜市長選、立候補者は異例の8名。しかも、売名目的の泡沫候補はなく、それなりの候補者ばかりだという。水説も言うとおり、注目は菅を背後霊に背負う小此木八郎の当落のみである。その他の誰が当選するかはまったく注目されていない。言わば、横浜・東京圏の300万有権者による菅政権に対する信任投票となっている。

 とすれば、「安倍後継の菅政権」の信任を拒否する真っ当な感覚をもつ有権者の合理的投票行動は、小此木以外の最有力候補者に投票を集中することにならざるを得ない。水説が「『カジノよりコロナ』と訴える無名の野党系候補が追い上げている」というのが、その事情を物語っている。

 問題は、反小此木票の受け皿と意識されている「無名の野党系候補」である。この人が素晴らしい立派な候補だという話はトンと聞こえてこない。この人の政治信条も、人柄も、情熱も、政策も伝わってこないのだ。しかし、この人ひたすらに消去法での集票で有力候補となって、当選に近いとされている。つまりは、反「安倍・菅」の風が作り出した、選挙情勢なのである。これも、民主主義の一断面なのであろうか。ともあれ、菅政権の命運に関わる選挙として、22日の投開票に注目せざるを得ない。

「お父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」

(2021年8月17日)
 一昨日(8月15日)には、政府主催の式典だけでなく、東京都と都遺族連合会共催の戦没者追悼式が都庁で開かれている。知事や遺族ら90人が参列した。

 遺族を代表して追悼の言葉を述べたのは、遺族会女性部幹事の木村百合子さん。木村さんの父は、1944年の終わりに出征。当時、妻のおなかにいた木村さんの顔を見ることなく、45年4月にフィリピン・ルソン島で戦死したという。

 木村さんは「どんなに待っても、何年待っても、父は帰ってこない。毎日父を思っています。この心境は遺族でなければ分からない。戦争に行った兵隊さんだけでなく、留守を預かった母たちも大変だったことを伝えたい」と報道陣に語っている。誰もが、共感せざるを得ない。

 その木村さんは、式では献花台の前で「安らかにお眠りください」と追悼の言葉を述べ、最後にお父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」と問いかけた。これは悲痛な言葉だ。この問は、次のように続けることができよう。

 お父さん、なぜ母や私を残して戦争に行ったのですか。お父さんが戦争に行くことさえなければ、母にも私にも、もっと幸せな別の人生があったはず。どうして見たこともない遠い外国にまで戦争に行ったのですか。どうして戦争に行くことを拒否しなかったのですか。どうして戦争が起きたのですか。誰が、なぜ、戦争を起こしたのですか。どうして、皆で戦争を止められなかったのですか。

 その問いは、今なお生々しく、新鮮である。

 明治政府は国民の抵抗を排しつつ国民皆兵の制度を確立していった。1873年に陸軍省から発布された徴兵令を嚆矢として累次の法整備を重ね、1927年4月1日に徴兵令全文改正の形式で兵役法の制定に至っている。

 その第1条は、「帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」と、男子の国民皆兵制度を定めていたが、当時は例外の範囲が広かった。しかし、アジア太平洋戦争の進展とともに、徴兵免除の範囲は狭められ、兵役の年齢幅は拡げられていった。徴兵の忌避には次のとおり、同法での罰則が科せられていた。

第74条 兵役ヲ免ルル為逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身体ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作為シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ三年以下ノ懲役ニ処ス

第75条 現役兵トシテ入営スベキ者正当ノ事由ナク入営ノ期日ニ後レ十日ヲ過ギタルトキハ六月以下ノ禁錮ニ処シ戦時ニ在リテ五日ヲ過ギタルトキハ一年以下ノ禁錮ニ処ス

 徴兵逃れの涙ぐましい工夫や、信仰上の信念からの徴兵忌避の事例はけっして少なくはない。しかし、多くの国民にとっては、徴兵は「しかたのないこと」「とうてい抗うことのできない宿命」として受けとめられた。「世間」は、徴兵による出征を「御国のための名誉」として送り出し、戦死さえも「名誉の戦死」と褒め称えた。その同調圧力には抗すべくもなく、徴兵逃れは法的に処罰の対象とされただけでなく、社会的に「非国民」の所業と指弾されたのだ。

 維新政府は、そのような軍事国家体制を作りあげた。天皇を利用し、教育とマスコミを統制することによって。

 「しかたなかったと言うてはいかんのです」は至言である。「しかたなかった」と言わざるを得なくなる前に、国民に不幸を強いる国家を拒否しよう。再び、不幸な子が、亡き父に「お父さん、教えてください。なぜ戦争に行ったのですか」と問いかけることのないように。

兵営の父から一歳半の私に宛てた一枚のハガキ

(2021年8月16日)
 私の父・澤藤盛祐(1914年1月1日生)は2度陸軍に徴兵され、海軍には徴用されている。彼自身が生前に残したメモによるとこんな具合だ。

第1回招集 3年7か月
帰郷     10か月
海軍徴用    9か月
第2回招集 1年3か月

 第1回の招集は1939年5月のこと。弘前の聯隊からからソ満国境の愛琿の守備隊に配属されている。除隊になってから長子である私が生まれたが、その直後に横須賀海軍工廠造兵部に徴用されている。そして、第2回の招集で横須賀から弘前に直行して青森の小さな部落で終戦を迎えたようだ。

 父は、兵営から妻(私の母)に頻繁にハガキを出している。達筆でもあり、得意の絵や版画の出来はなかなかのもの。演習の兵隊や現地の風物、動植物を描いている。我が父ながら、実に器用な人なのだ。満州の様子を書いた兵士のハガキは貴重ではないだろうか。ハガキには自分で番号を付けていたようで、№188というものもあるが、残されているものは30枚にみたない。

 その中に1枚だけ、「澤藤統一郎殿」という宛名のハガキがある。「昭和20年3月7日」付のもの。差出人は、「青森縣弘前市 東部第五十七部隊本部 澤藤盛祐」となっている。「検閲済」の印があり、文面は次のとおり。

 「毎日 お父さんの写眞の前に行って おじぎをしてゐるとは愛い奴ぢゃ 余は満足に思ふぞ」

 これに、後年のメモが付されている。

 「統一郎はこの頃一歳半。その後赤羽の祖父や光子と毎日のように八幡さんや護国神社にお詣りしたとも聞いた。」

 光子は私の母である。旧姓は赤羽。その生家は盛岡の八幡神社や護国神社にほど近い。このあと、盛岡も規模は小さいながらも空襲を受けることになる。2歳に満たない子どもを抱えての銃後。「愛い奴ぢゃ 余は満足に思ふぞ」などと言ってる余裕はなかったろう。「心細かった。必死だった」と、母は繰り返して言っていた。お詣りはその心細さの表れであったろう。

 父の残した戦後のメモの中に、こんな一節がある。

「8月15日敗戦
 兵器を納め、部隊解散までには少々間があり、村人の作った濁酒を飲み、9月末に貨車に乗って盛岡に帰った。」

「軍隊生活とは、私にとってなんであったろうか。
  まったく聖戦だと思っていたし、
  実弾の下をくぐったこともなく、
  白刃をふるったこともなく、
  演習につぐ演習。
  辛くはあったが、軍隊を地獄と思ったことはない。
身体を鍛えてもらっただけでも、
私は恵まれた星の下において頂けたのだと思う。」

 「休憩時の話といえば、召集解除とおいしかった食べもののこと」などいうメモもあるが、父は実戦の惨劇に遭遇することはなく、現地の人々に危害を加えることも加えられることもなく、郷土部隊の中で居心地の悪からぬ軍隊生活を送ったようなのだ。兵から軍曹になり、最後は曹長になった父の軍隊内の地位も影響しているのだろう。

 父と母とでは、戦争に対する嫌悪の温度差が大きかった。私も弟たちも、戦争に対する反省の足りない父には大いに不満ではあった。取りわけ加害責任の意識が希薄なことを問題にはした。さりとて、父を責めることはいたしかねた。この微温的な態度が、実は国民的な規模のものであったのかも知れない。今なお、われわれはあの戦争の責任を詰め切れていないのだから。

 どの人も、どの家族も、必ずあの戦争の歴史を引きずっている。しかし、その記憶は薄れつつあり、記録は散逸しつつある。今残っているものを意識的に残しておきたい。父の兵営からのハガキなどもそれなりに何らかの形で、保存しておきたいと思う。

遺骨が眠る沖縄南部の土を辺野古基地建設の埋立に使うことの非人道性

(2021年8月15日)
 戦後76年目の8月15日。日本武道館で恒例の全国戦没者追悼式が行われた。出席した天皇(徳仁)の挨拶の内容は比較的穏やかなものだった。その最後の一節が次のとおり。

 「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

 「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」は、憲法の理念に沿ったものと言ってよい。もっとも、この「反省」と「責任」を最も深く負うべきは、睦仁以来の天皇の家系である。そのことの自覚がどれほどあるだろうか。

 これに対し、首相の式辞では「反省」の言葉は聞かれなかった。むしろ、「積極的平和主義」などという、物騒な「アベ語」を久しぶりに聞かされて白けた。ただ、次の一節にだけは注目した。

 「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。」

 「遺骨をふるさとにお迎えする」とは、遺骨を遺族に返還するということだろう。これを「国の責務として全力を尽くす」と言ったのだ。この言葉は重い。

 同じ今日。靖国神社社前で一人の沖縄県人が昨日来のハンガーストライキを決行して話題になっている。沖縄は、先の戦争で国内唯一の地上戦が行われた地。とりわけ沖縄本島南部が激戦地となって、多くの県民の遺骨がいまだに地中に眠っている。この遺骨を発掘し収集して遺族に返還しようという運動を息長く続けてきた市民団体が「ガマフヤー」。その代表を務めるのが具志堅隆松さん。既に、40年もこの活動に携わってきたというから、頭が下がる。この人が靖国神社でのハンスト決行の人である。

 ハンストの目的は、辺野古の米軍基地建設の埋立に、今も遺骨が眠る沖縄本島南部の土を使わないよう訴えてのこと。辺野古基地の埋立予定地に軟弱地盤があることが発覚し、これまでの計画を上回る大量の土砂が必要になった。そのため、防衛省は埋立用土砂の採掘先として沖縄本島南部を追加した。こうして、遺骨の眠っている南部の土が掘削されて、辺野古の埋め立て工事に使われる可能性が生じているという。

 具志堅さんの南部の土砂使用に反対するハンストは今年3月と6月にも沖縄で実行された。今回が3回目とのこと。昨日(8月14日)から本日の夕刻までのハンストを行っている。生憎の降雨の中だが、訴えのための座り込みが続けられている。

 具志堅さんは、この防衛省の計画について、本島南部の土砂に多くの戦没者遺骨が遺されている点を踏まえて、「国家のために犠牲となった戦没者の遺骨が混じる土砂を基地建設に使うのは、人道上の問題だ」「人道に反するものとして許せない」と厳しく批判している。「基地建設賛成か反対かではなく人道上の問題だ」「靖国神社に参拝に訪れる人たちには戦没者への強い思いがあるはず。関心を向けてほしい」「国が戦没者の尊厳を冒すこの問題を一緒に考えてほしい」と話しているという。

 「人道上の問題」とは、こんな意味ではないだろうか。
 遺骨を野に晒しておくのは、遺族にとっては忍びないこと。不本意な死を強いられた遺骨は、せめては遺族のもとに返して追悼し埋葬すべきが人道に適った当然のあり方。沖縄本島南部で、遺骨を掘り、これを同定して遺族のもとに返してきた実績のある具志堅さんらにしてみれば、本気になって遺骨の採集をすれば、もっとたくさんの遺骨を遺族に返すことができる。しかし、この土を遺骨ごと辺野古の基地建設のための埋立に投棄すれば、「戦没者の遺骨は永遠に海に捨てられてしまうことになる」。それは「遺骨に2度目の死をもたらす」ことになる。

 政府は戦没者の遺骨について今年秋からDNA鑑定の対象を拡大し、身元の特定につながると期待されているという。南部の土砂使用計画はこれに逆行し、「戦没者の遺骨を永遠に遺族から遠ざける」ことになる。

 遺骨を遺族に返還することが人道的な配慮である。遺骨まじりの南部の土砂を辺野古の海に沈めるのは、遺骨と遺族を永遠に引き離す非人道的行為なのだ。

「皆さん、お盆もステイホームで」 ー でも、コロナ担当大臣は別、靖国参拝は例外

(2021年8月14日)
 明日8月15日が敗戦の日である。76年前に国民が敗戦を知らされた日は、文字どおり新国家誕生の日。あるいは、神権天皇制の欺瞞の上に築かれていた旧体制を清算しての新生日本再出発の日。私たちの国の歴史の転換と、新生日本の成り立ちの原理を噛みしめ考えなければならない。

 しかし、例年8月15日は、戦後長く続く保守政権とそれを支える勢力の復古の願望をアピールする日となっている。その象徴が、靖国神社への政府要人の参拝である。

 靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略の神社である。合祀されている祭神は、天皇が唱道する戦争で、天皇の将兵として戦い、天皇のために命を捧げた人物の霊である。これを英霊として尊崇する「靖国の思想」とは、天皇も戦争も侵略も美化するものにほかならない。

 憲法20条が定める政教分離における、「政」とは国家と地方自治体を含むすべての公権力機関を言い、「教」とは形式上は宗教一般のこと。しかし、政治権力と分離を求められている宗教とは、何よりも天皇の祖先を神とし天皇自身を現人神とする荒唐無稽な「天皇教」(国家神道)を意味するもの。政府の要人が、「天皇教」(国家神道)の軍国主義を象徴する靖国との関わりを持ってはならないのだ。

 にもかかわらず、安倍政権も菅政権も、折りあらば隙あらば、靖国に参拝したくて仕方がない。これは、日本国憲法の理念を理解しようという姿勢がないからだけではなく、支持勢力が右派に偏っているからなのだ。

 今年はどうだろうか。報道では菅義偉自身の参拝はないようだ。また、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、今年もコロナ蔓延に配慮して一斉参拝を見送るという。

 ところが、昨日(8月13日)午前、西村康稔経済再生相が靖国神社を参拝した。菅内閣の現職閣僚で初の参拝だという。西村と言えば、《新型コロナウイルス感染症対策担当大臣》ではないか。政府のコロナ対策担当は、込み入って分かりにくいが、ここまでのコロナ対策の失敗に大きな責任をもつべき立場。

 報道によると、西村は8月12日新型コロナの感染拡大の事態に、記者団の取材に対して「お盆の季節になっているが、ぜひとも自宅で家族でステイホームでお願いをしたい」と話していたという。「汝人民、自宅を出るな、ステイホームを実行せよ」と宣いつつ、「オレは別だ」と思ったか、「靖国はこの限りあらず」と思ったか。いずれにせよ、国民に対する説得力はない。

 さらに、同日の午後、岸信夫防衛相が靖国神社を参拝した。岸信夫、安倍晋三の実弟で現職の防衛大臣の参拝。軍国神社に防衛大臣の参拝だから、穏やかでない。

 この人、神社内で記者団の取材に応じ、「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」と語ったという。弁解の決まり文句だが、とうてい納得しがたい。

 この言葉には反省の弁がない。無益で悲惨な戦争を起こしたことについての反省は語られない。国家が国民の命を奪ったことへの悔恨の弁が欠けている。侵略先の民衆の厖大な被害への謝罪の念が見えない。「国民のために戦って命を落とされた方」は、間違いだろう。飽くまでも『君のため国のため』に戦ったとされているのだ。「尊崇の念を表する」が根本の間違い。「尊崇」は「皇軍」と結びついてのことなのだ。「哀悼の誠」は、誤った国策の犠牲となったこととに対してでなくてはごまかしに過ぎない。そして「不戦の誓い」も不自然極まりない。靖国の境内は、不戦の誓いにふさわしいところではない。「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」とは、「軍備を増強して次の戦争では勝つ」と聞こえる。

以下は、「政教分離の侵害を監視する全国会議」の穏やかな、要望である。お読みいただきたい。

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首相は靖国神社玉串料奉納及び参拝をしないでください

内閣総理大臣 菅義偉殿

 私たち「政教分離の侵害を監視する全国会議」は、首相や閣僚らが靖国神社に玉串料等を奉納、参拝する毎に抗議を続けています。特に「内閣総理大臣」および「自民党総裁」等の公職の肩書を提示して、靖国神社に玉串料奉納等を行う首相らの行為は、政府と同神社が特別な関係にあることを印象づけ、援助、助長、促進する効果をもたらす公人としての行為と言わざるを得ず、日本国憲法の定める政教分離原則の違反に当たるものです。私費で奉納料を支払ったとしても、公的肩書、政府関係者随行及び代行、更には公的立場を背景とする報道にて宣伝することは「公的」な行為との疑義は免れ得ません。
 また、政教分離原則は、戦前・戦時下における国家神道体制の弊害の深い反省を基に、政府と宗教の厳格な分離を定めたものです。特に靖国神社の参拝を国民に一律に強いることを通して、日本政府は国民全体に皇軍として戦死することの意義を押し広め、戦没者の死を「英霊」として顕彰することにより軍国主義を徹底する思想統制を行いました。そのような役割を担った神社に、首相や閣僚らが、玉串料等の奉納及び参拝を行うことは、戦前の国家神道体制を再び導入しようとする意図を思わせ、国家神道体制の再来を防止するために定められた政教分離原則の趣旨を顧みないことと言わざるを得ません。靖国神社は、戦後も、戦前と同様の教義を広め、推進することを目的としており、首相らが公的な立場をもって行う参拝や奉納行為が、日本国政府が靖国神社と同じ見解に立つことを印象付けるものとなっています。アジア・太平洋戦争にて日本帝国の侵略によって甚大な被害を受けたアジア諸国が日本国政府に抗議するのも、同様の効果を感じ取っていることによるものです。首相個人の価値観はいずれであっても、公的立場での首相らの行為は日本国政府の見解を代表するものとして受け止められるのが当然です。
 国政の長である首相や閣僚は、憲法尊重擁護義務を負う立場にある者として、政教分離原則を厳格に遵守し、8月15日の敗戦を記念する日に公的立場での靖国神社への参拝や玉串料奉納を決して行わないように強く求めます。

2021年8月12日

政教分離の侵害を監視する全国会議
代表幹事 木村庸五、古賀正義
事務局長 星出卓也

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