澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「愛知県知事リコール・署名偽造事件」捜査の進展に注目。

(2021年2月24日)
「愛知県知事リコール・署名偽造事件」で、本日県警が初めて動きを見せた。各地の選管に保管されていた署名簿を押収したのだ。大きく動き出した事態を、朝日はこう伝えている。

 《美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らによる愛知県の大村秀章知事へのリコール署名問題で、愛知県警は24日、地方自治法違反(署名偽造)の疑いで、署名簿が提出された県内の複数の自治体の選挙管理委員会に容疑者不詳で強制捜査に入った。署名簿を押収したとみられる。

 署名活動を担ったボランティアからは憤りの声があがる。「筆跡が似ているのがいっぱいあった。おかしいと感じた」という。「僕らは真面目にやった。民主主義を守るために行動したのに、これ(不正)はない」》

 この「署名偽造事件」は、決してローカルな話題にとどめ置くべき些細なものではない。ようやくにして、この国の民主主義のレベルを映し出す深刻な問題として、全国紙報道テーマとなりつつある。軽忽な人物群のドタバタ劇と看過せずに注目しなければならない。こんな輩に、日本の民主主義が掻き回されているのだ。

一昨日(2月22日)、大村知事が記者会見で、この事件を「組織的で隠蔽の意思があり極めて悪質。誰が指示し、誰のお金でやったのか追及されなければならない」と述べたとおり、この「署名偽造」は極めて悪質である。大村知事のコメントを補えば、真意はこんなところであろうか。

「愛知県知事リコールに関わる大量の署名偽造は、多数の人と資金と資料がなければできないことだ。これが明らかにスケジュールされた期間に計画的に実行されていることから、組織的な犯罪行為であることに疑問の余地はない。」「しかも、この組織的な犯行に及んだ複数の犯罪者には、犯行隠蔽の強い意図が窺える。」「民主主義に対する挑戦ともいうべきこの犯罪行為は、その態様、その組織性、その計画性、そして隠蔽を決めこむ諸点において、極めて悪質である。」「捜査機関は、この組織的・計画的犯罪の首謀者、共犯者、実行者、支持者、そして金銭提供者と汚いカネの流れを徹底して捜査して明るみに出し、刑事訴追しなければならない。」

まずは事実の追及、これが第一歩である。その上で、捜査によって明らかになった諸事実をもとに、この犯罪の動機や背景や影響、そして教訓を考えなければならない。なにゆえに、かくまでして、犯罪者グループは、愛知県知事の追い落としにこだわったのか。

極めて大がかりな組織的で計画的な犯罪、しかも民主主義を冒涜する悪質な犯罪が行われたことに疑問の余地がない。この犯罪者グループが、大村知事リコール運動の主導者たちだったことについての確たる証拠は今のところない。従って、疑惑は疑惑でしかないが、リコール運動の主導者たちは、疑惑の対象とされる資格を十分に備えている。だから、自ら疑惑を晴らす努力をつくすべきことが求められている。彼らには、そのことの自覚に乏しいことを率直に指摘しなければならない。

「彼ら」とは、醜悪なトライアングルを指している。署名活動団体「愛知100万人リコールの会」の代表を務めたのが高須克弥というネトウヨ、事務局長を引き受けたのが田中孝博という維新の地方政治家。そしてこの両者をつないだのが、河村たかし名古屋市長である。

高須には、お馴染みの極右の面々が応援団として取り巻いていた。が、この事態にほとんどが逸早く身を引いた。さすがに変わり身が早く、状況をよく見て賢い選択をしている。田中には、吉村洋文という大阪府知事が付いている。あの、イソジンが新型コロナによく利くという、「ホントみたいにイイカゲンな」記者会見で話題をさらった人物。が、吉村も最近はこの件に発言をしていない。そして、歴史修正主義者同士として高須と意気投合した河村である。彼は、高須や田中と違って、この件で失うべきものがあまりに大きい。政治生命の危機を多少は認識しているようだ。

さて、人は、その支配が及ぶ範囲で生じた不祥事には責任を持たなければならない。少なくも説明責任は免れない。誠実に説明責任を果たそうとしない者には、疑惑の目が向けられる。これは当然のことなのだ。

事態を確認しておこう。メディアが次のように整理している。「リコール運動では、県選挙管理委員会が、提出された約43万人の署名のうち83%にあたる約36万人分を無効と判断。同じ人が書いたと疑われる署名が90%、選挙人名簿に登録のない署名が48%などとされ、県選管や名古屋市は地方自治法違反容疑で刑事告発し、県警が捜査を進めている。」(毎日)、「県選管の調査によると、有効でないと判断された約36万2千人分の約24%は、選挙人名簿に登録されていない受任者が集めた署名だった。」(共同)

人を手配し配置してリコール署名を集め、整理し、点検して、県内各選管に提出した責任者は高須である。その事務作業は田中が担当した。こうして、堂々と高須・田中が選管に有効なものとして提出した署名の大部分が、一見して明らかな偽造だったというのだ。署名集め・整理・点検・提出の全過程に関わった高須、田中の両名が「知らなかった」はまことに不自然で信じられず、常識的に通じるものではない。

「私が不正するわけがない、陰謀だと感じる」などという児戯にも等しい強弁は片腹痛い。

一昨日(2月22日)、高須・田中・河村が記者会見をして、それぞれに発言をしている。これが興味深い。

まず高須
「リコール署名は河村たかし市長から成功させたいので手伝ってほしいと頼まれた。田中事務局長は河村市長が紹介してくれた人材。事務局長を信じます」。〈この運動の首謀者は河村で自分ではない。自分は頼まれて手伝っただけ〉〈事務局長も河村の手配によるもので自分はこれを信じるしかない〉と明らかに腰が引けてきた。

それだけではない。「(自分は)なんの関係もありません。佐賀県は一度ヘリコプターで行ったことがあるだけで、それ以来一度も行ったことはありません」という高須の力んでの発言には驚いた。

この人、医師としての判断能力に心配はないのだろうか。患者の症状を正確に把握して疾患を特定し適応のある治療を的確に実施するという、医師に要求される高度な論理判断の能力を持っているのだろうか。「佐賀に行ったことがない」ことが、高須の偽造関与の否定の根拠になりようもないことは分かりそうなものなのだが。

次いで田中
16日の記者会見で署名簿の一部が「佐賀で作成されたのは間違いない」と話したが、22日は「佐賀県で作成されたものかはわからない」とした。

高須、田中とも、佐賀が遠方であることなどから「調査はほとんど何も進んでいない」とも話した。

事務局長として具体的な偽造関与否定の根拠を挙げることができないのは、致命的である。手掛かりはいくつもある。潔白を主張するなら、メディアの前に、全てのカネの流れを明らかにすることだ。そして、署名の獲得に携わった関係者全員の名簿を明確にして、メディアの徹底取材に応じることだ。この事態での無為無策は、疑惑を晴らそうという意欲の欠如にほかならない。

そして河村

「署名活動団体の会議に自身がほとんど入っていなかったなど複数の理由を挙げ、署名が偽造された疑いに関与していないことを強調した」という。これも逃げ腰。高須への責任転嫁。

ただ、注目すべきは、「何者かによって全く分からないようにやられていた、それでも『気づいていない河村はたわけ』と言われれば、もう少し真実を明らかにしてから評価は自分でする」という言葉。「何者か」とは、高須・田中を念頭においてのことなのだろうか。

われわれも、愛知県警の捜査の進展を見守りたい。その上で、『気づいていない高須・田中・河村はたわけ』のレベルで済むのか、実はそれ以上であるのかを見極めねばならない。そして、相応の責任の取り方を要求しよう。大切な民主主義を擁護するために。

天皇誕生日とは、天皇制に対する批判の信念を確認すべき日である。

(2021年2月23日)
本日は、まだ国民の意識に定着してはいないが、天皇(徳仁)の誕生日である。祝日法第2条には、「天皇誕生日 二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。」と意味不明の文章がある。分明ではないが、少なくとも「天皇の誕生日を祝え」「祝わねばならない」「祝うものとする」「祝うべき日」などと、国民に祝意を強制する文意ではない。

もちろん私は、天皇(徳仁)との面識はないし、この人の一族郎党とも何の交誼もない。本日が、格別にめでたいとも、祝うべき日であるとも思えない。天皇とその係累には、いささかの怨みこそあれ、その誕生日を祝う振りをする恩義も義理もない。

むしろ、主権者の一人として、「天皇誕生日」の正しい過ごし方は、社会の同調圧力に屈することなく、「天皇」や「天皇制」の過去の罪科をしっかりと見極め、その罪科が現在に通じていることを再確認することであろう。

そのような、本日の「正しい過ごし方」として、コロナ禍のさなかではあるが、「wamセミナー 天皇制を考える(3)」に出席した。「wam」とは、安倍晋三によって番組改竄されたNHK放映「女性国際戦犯法廷」の後継団体、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」のこと。この「戦犯法廷」では、「ヒロヒト有罪」の判決が言い渡されたが、放映はされなかった。当然に天皇制にも安倍晋三にも怨みは大きい。その「wam」のホームページの中に、次の印象的な言葉がある。

日本の近代は侵略と戦争の歴史でした。天皇は、軍の最高責任者・大元帥でしたが、敗戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)では免責されました。天皇の侵略・戦争責任を批判する声は、戦中は「大逆罪」「不敬罪」などで処罰され、戦後も暴力の対象となって不可視化されてきました。この小さな抗う民衆の声を伝えることからその忘却を問います。

「wamセミナー 天皇制を考える」連続セミナーの趣旨は、以下のように語られている。
「女性国際戦犯法廷」(2000年、東京)から20年の節目にあたって、天皇の戦争責任・植民地支配責任を問い続けるwamは、天皇由来の「祝日」のうち4日間を「祝わない」ために開館し、天皇制を維持してきた私たちの責任を見つめなおし、議論する場を作っていくことにしました。

天皇由来の4祝日とは、以下のものである。
 文化の日   11月3日 明治天皇(睦仁)の誕生日 
 建国記念の日 2月11日 初代・神武の即位の日
 天皇誕生日  2月23日 現天皇(徳仁)の誕生日
 昭和の日   4月29日 昭和天皇(裕仁)の誕生日

「wamセミナー 天皇制を考える(1)」は、2020年11月3日。講師は池田浩士さんで、テーマは「叙勲・お言葉・思いやり・・・天皇と「国民」を結ぶもの―『明治節』に考える―」
社会や文化、様々な視点から天皇制を研究してきた池田浩士さんをお招きし、明治憲法と戦後憲法とを貫く「象徴天皇制」に焦点を合わせて、天皇制国家の支配制度と「国民」のありかたを再考します。

同(2)は、石川逸子さん。
桜の国の悲しみ、菊の国への抗い―「紀元節」に伝えておきたいこと
石川逸子さんは2008年、明治天皇の父・孝明天皇に亡霊として語らせる『オサヒト覚え書き―亡霊が語る明治維新の影』という大著を上梓、2019年には台湾・朝鮮・琉球への追跡編も出版されています。日本の近代と天皇制を問い続ける石川逸子さんからお話を聞きます。

そして、本日が、歌人内野光子さんの「『歌会始』が強化する天皇制―序列化される文芸・文化」という講演。

「歌会始(うたかいはじめ)」とは、年始に皇居で開催される歌会(集まった人びとが共通の題で短歌を詠む会)で、あらかじめ天皇が出した題にそって「一般市民」が歌を送り、秀でた作品を詠んだ人びとが皇居に招かれる「儀礼」です。毎年テレビでも中継され、2万ほどの「詠進」(一般からの応募)された短歌から選ばれた10首、短歌を詠むために選ばれた「召人」の歌、短歌の「選者」に選ばれた歌人の歌、天皇皇后をはじめ皇族の歌が詠まれます。

内野さんの天皇制批判の立場は揺るぎがない。天皇制とは本質的に国民の自覚に敵対し、個人の思考を停止させるものという。その天皇と国民をつなぐものとしての短歌として、明治天皇(睦仁)、昭和天皇(裕仁)、平成時の天皇(明仁)・皇后(美智子)、現天皇(徳仁)らの短歌を85首抜き出し、そのいくつかを解説された。

印象に残るのは、明仁・美智子夫妻の11回の沖縄行で詠んだ歌。父親(裕仁)の沖縄に対する負の遺産を清算することに懸命になった夫妻の姿勢が窺える。そして、その試みはある程度の成功を納めたと評することができるだろう。実は、何の解決もないままの県民の慰撫。天皇制の、そして歌の作用の典型例と言えるのではないか。

内野さんの講演の主題は、象徴天皇制の「国民」への浸透の場としての「歌会始」の解説と批判である。

1947年に始まった「歌会始」は、当初応募歌数数千から1万程度と低迷していたが、1959年の「ミッチーブーム」を機に応募歌数が激増した。1964年には4万7000首にも達している。その後は、ほぼ2万首で推移しているが、選者の幅を拡げ、毎年10名の入選者に中高生を入れるなどの工夫を重ねてきている。

戦後の現代歌壇が持っていた、天皇制への拒絶の姿勢や雰囲気は、いつの間にか懐柔されて、現代歌壇全体が天皇制を受容している。「歌会始」の選者になることに、歌人の抵抗がなくなったどころか、選者になることを切っ掛けに、褒賞を授与され、芸術院会員となり、文化功労者となり、叙勲を受けている。

かつて、「歌会始」を痛烈に批判していた「前衛歌人」が歌会始の選者になっている。あるいは「歌会始」の選者が「赤旗」歌壇の選者を兼ねている例さえもある。

天皇制の陥穽におちいる「リベラル」派の例は短歌界に限らない。金子兜太、金子勝、内田樹、白井聡、落合惠子、石牟礼道子、長谷部恭男、木村草太、加藤陽子、原武史等々、程度の差こそあれ、「平和を求める天皇」「護憲の天皇」を容認する人々が多数いることに驚かざるをえない。

講演後に質疑応答があり、最後に「ではこれからどうすべきなのか」という問があった。これに、内野さんはこのような趣旨の回答をしている。

天皇制に関して昔とすこしも意見が変わらない私は、歌壇において、「非寛容」だとか「視野狭窄」だとさえ言われるようになっています。でも、自分の頭で考えた、自分の意見を語り続けることが大切なことだと考えています。それ以外の選択肢はありません。

この言葉を聞けたことだけで、本日は「天皇誕生日」にふさわしい有意義な日であったと思う。

「ふね遺産」に認定された第五福竜丸

(2021年2月22日)
3月1日ビキニデーが間近である。
1954年3月1日、アメリカはマーシャル群島ビキニ環礁での水爆実験をして、大気中に大量の放射性物質を撒き散らした。焼津を母港とするマグロ漁船・第五福竜丸は爆心から160キロ離れた海域で被爆し、23人の乗組員全員が急性放射線障害との診断で入院。その年の9月、最高齢だった通信士の久保山愛吉さんが亡くなって、多くの国民の怒りと悲しみを誘った。そして、この事件を契機に、国民的な原水爆禁止運動が高揚し、現在に至っている。

第五福竜丸平和協会にとって、3月1日は最も重要な日。毎年3・1ビキニデー前後に集会を企画する。ことしは、「3.1ビキニ記念のつどい2021『ふね遺産』認定記念 オンラインシンポジウム」というイベント。この集会が、昨日(2月21日)開催されてたいへん充実していた。今年は核兵器禁止条約発効の国際的な核廃絶運動の高揚の中で迎える3・1ビキニデーではあるが、「ふね遺産」シンポは面白かった。

「ふね遺産」は、公益社団法人日本船舶工学会が認定する。「歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類とその関連設備を『ふね遺産(Ship Heritage)』として認定し、文化的遺産として次世代に伝え、船舶海洋技術の幅広い裾野の形成を目的とする」「なお、『ふね』の表記は、「船」や「舟」も含める意味で、平がなにするものである」という。

また、「『ふね遺産』を通じて、国民の「ふね」についての関心・誇り・憧憬を醸成し、歴史的・文化的価値のあるものを大切に保存しようとする国民及び政府・地方自治体の気運を高め、我が国における今後の船舶海洋技術の幅広い裾野を形成することをこの活動の目的とする。」ともいう。

このような趣旨を持つ「ふね遺産」にはこれまで24件が認定され、現存する船体としては11隻。第五福竜丸は、認定第25号で現存船としては第9号である。ちなみに、現存船賭して認定を受けた他の10隻は、以下のとおり。

日本丸・ガリンコ号・氷川丸・海王丸・徳島藩御召鯨船「千山丸」・コンクリート貨物船「武智丸」・雲鷹丸・明治丸・マーメイド・遠賀川五平田舟(かわひらた)

第五福竜丸は、『西洋型肋骨構造による現存する唯一の木造鰹鮪漁船』として貴重なものなのだという。認定された同船は、以下のとおりに紹介されている。

第五福龍丸は和歌山県の古座造船所で鰹漁船として1947年に進水した後、1951年に清水市の金指造船所で鮪延縄漁船に改造された。本船は1954年にビキニ環礁水爆実験で被災したことでも知られる。

木造鰹鮪漁船は戦後の食糧難の時代に数多く建造されたが、本船は良い状態で保存された現存する唯一の実船である。肋骨を有する西洋型木造船の構造を今に伝える貴重な遺産でもある。

保存展示されている同船の搭載エンジンは新潟鉄工所製250PSで、141台製造された中で唯一現存するのものとして貴重である。

シンポジウムは、昨日2月21日(日)の13:00?15:00に行われ、講師は日塔和彦氏(文化財建造物修理技術者,第五福竜丸平和協会評議員,保存検討委座長)、古川洋氏(安芸構造設計事務所主宰,建築構造)、庄司邦昭氏(東京海洋大学名誉教授,造船学)、中山俊介氏(東京文化財研究所特任研究員,近代文化遺産)。いずれも専門性の高い講演で、聞かせた。第五福竜丸保存の意義についてだけでなく、具体的なその方法について示唆に富むものだった。

第五福竜丸は、核による脅威に警鐘を鳴らす船として保存され、多くの人に語り継がれることによって、核なき世界を目指す航海を続けてきた。今回のテーマは、被爆船第五福竜丸ではなく、この船の持つ木造船としての産業歴史的価値に着目するもの。どのような角度からでも、この船の保存の意義を確認していただくことはたいへんにありがたい。

今年の3.1記念シンポジウムは、いつもは地味で表に出ない船体等保存検討委員会の専門的知見を聞くこともできた貴重な機会となった。

上野東照宮の「広島・長崎の火」が、今はない。

(2021年2月21日)
かつて上野の山のほとんどは、徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の境内だった。寺領1万2000石を拝領して権勢を誇った寛永寺だったが、幕末上野戦争で多くの伽藍を焼失し、明治政権に境内を取りあげられた。今その過半が都有地となり、公園や動物園、博物館・美術館の敷地になっている。

昔の権勢はないが、宗教法人寛永寺(天台宗)は今も健在である。そして、かつては東叡山寛永寺の一角にあった上野東照宮も、神社本庁に属する宗教法人となってこれも健在である。東照大権現徳川家康を神として祀った権現信仰は神仏習合の典型とされるが、明治政府は厳格な神仏分離令を発し、今も両者の法人格は独立している。

その上野東照宮の敷地の一角に、「広島・長崎の火」が灯されていた。《上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会》の発案に、当時の宮司・嵯峨敞全(さがひろなり)氏が賛同して実現したことである。
http://uenomorinohi.com/yurai.html

この「火」には、以下のとおりの感動的な由緒を語る銘板が添えられていた。

「広島・長崎の火」の由来

昭和20年(1945)8月6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。広島の惨禍を生き抜いた福岡県星野村の山本達雄さんは、叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。

核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。
核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急のものとなっています。
第二のヒロシマを
第二のナガサキを
地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。

これは「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」(1885年2月)の一節です。
昭和63年(1988)3,000万人のこのアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦からとった火と合わされて、ニューヨークの第3回国連軍縮特別総会に届けられました。
同年(1988)4月、「下町人間のつどい」の人々は、この火を首都東京上野東照宮境内に灯し続けることを提唱しました。上野東照宮嵯峨敞全(さがひろなり)宮司は、この提案に心から賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協力することを約束されました。  

被爆45周年を迎えた1990年8月6日に星野村の「広島の火」が、8月9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎の火」が、このモニュメントに点火されました。

私たちは、この火を灯す運動が、国境を越えて今緊急にもとめられている核兵器廃絶、平和の世論を強める全世界の人々の運動の発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。

 1990年8月 上野東照宮に「広島・長崎の火」を灯す会

それから30年、いま、上野東照宮に「広島・長崎の火」のモニュメントは、あとかたもない。「火」のモニュメントは撤去され、原発事故の被災地である福島県双葉郡の楢葉町に移ることになっている。先に挙げたURLを開くと、「灯す会」からのメッセージがある。

「上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会は、2021年3月11日をもって解散します。」
「上野東照宮境内の『広島・長崎の火』が移設され、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』として、2021年3月11日午後2時から、福島県楢葉町の宝鏡寺の境内に建設されるモニュメントに点火する式典が開催されます。
【宝鏡寺】
〒979-0605 福島県双葉郡楢葉町大字大谷字西代58?4」

何度も上野東照宮に足を運んで、その都度この「火」に感銘を受けてきた私としては、残念でならない。どういう事情なのだろうか。昨年7月の東京新聞は、こう伝えている。

「原爆の火」上野から福島に移設へ 「核」の惨禍でつながる

 核廃絶を願って30年間灯ともされてきた上野東照宮(東京都台東区)境内のモニュメント「広島・長崎の火」が年内に撤去され、来年春に福島県楢葉町に移設されることが分かった。社殿など国指定の重要文化財(重文)の防火対策のため、上野東照宮が長年移設を求め、楢葉町で原発避難者を支援する宝鏡寺が引き取ることになった。

◆重要文化財の前は「危険」と移設求められて…
…90年にモニュメントが完成。管理団体として、現在の「上野の森に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が発足した。
 灯す会は毎年8月、被爆や戦争体験を語り継ぐ集会などを開いていたが、上野東照宮の宮司が代替わりしたこともあり、2006年から「重文の前で火が燃えているのは危険」と移設を求められてきた。会は台東区役所や区内の寺に移設を打診したが断られ、移設先探しは難航した。

◆原発事故10年の3・11に点火式
 弁護士で灯す会の小野寺利孝理事長(79)が、東京電力福島第1原発の避難者訴訟で原告団長を務める宝鏡寺の早川篤雄住職(80)に相談し、受け入れを快諾された。上野からモニュメントと種火を運んだ上で、原発事故から10年となる来年3月11日に点火式を行う計画という。

 小野寺さんは「移設は残念だが、今回を機に核兵器の惨禍と原発の被害をつなぐモニュメントにしたい。単に火を移すのではなく、核なき世界を目指す運動も引き継ぎたい」と話す。

 上野東照宮嵯峨敞全宮司は1924年生まれ。硬骨の革新派宗教人として知られ、皇国史観を批判する著作もある。この方の生前は、上野東照宮は神社庁に所属してはいなかった。嵯峨敞全宮司逝去の影響の大きさを無念と思わざるをえない。

上野の森から「広島・長崎の火」が消えることはさびしいが、新たな地で「核なき世界を目指す運動」の火として灯し継がれることを期待したい。

桐野夏生が描く「表現の不自由」のデストピア『日没』

(2021年2月20日)
話題の桐野夏生「日没」を先ほど読み終えた。読後感を求められれば、「この本を手にするんじゃなかった」というのが正直なところ。まだお読みでない人に、親切心から警告しておきたい。これは、読み始めたら途中で止められない。普通の神経の持ち主には耐え難いほどの精神的苦痛をもたらす。希望も救いもない。「日没」に、明日の夜明けの気配はまったくないのだ。それでも、恐い物見たさの誘惑に克てない人には、「自己責任でお読みなさい」と言うしかない。

小説の冒頭、主人公の作家が正体不明の施設に収容されるまでの展開は不自然で、出来のよくない平凡な小説風。時代や社会という背景がまったく描かれていないから、ここまではリアリティに欠けるのだ。ところが、このデストピア施設での生活が始まると巻を置けなくなる。読み進むのが苦痛なのだがやめられない。結局、最後まで引っ張られることになる。

「私」が収容されるのは、千葉と茨城の県境近くにある「療養所」。実は、国家が運営する反体制・反道徳の作家を「更生」させる施設。被収容者は、読者からの「告発」によって選定される。被収容者は徹底して他人と切り離され、孤立した状態で、圧倒的な力を持つ弾圧者と対峙する。弾圧者は、「私」について、私も知らない隠された事実をいくつも知っている。監視社会・管理社会・密告社会の極限状態が、この小説の舞台設定となっている。

章立ては以下のとおり、みごとなタイトル付けである。
 第一章 召喚
 第二章 生活
 第三章 混乱
 第四章 転向

己の無力を自覚せざるをえない状況で、プライドを堅持して抵抗するか、あるいは屈するか。「私」は、その両者の間で、揺れ動くことになる。「面従腹背」や「転向のフリ」が、奏功するような状況ではない。初め、反抗すれば「減点」が加算され、減点1ごとに、収容期間が1週間延長されることを宣告される。それでも、「私」は抵抗を試みもするが、また空腹から従順になったりもする。

やがて、この施設から「娑婆」へ戻ることは不可能なことがほのめかされ、多数の自殺者があることも分かってくる。権力側は収容者の自殺をむしろ歓迎しているしいう。「私」は、渾身の抵抗を試みるが、成功はしない。そして…。

小説の巧拙に関わりなく、この小説にリアリティを与える状況のあることが恐怖の源泉なのだろう。体制を礼賛し、反中・嫌韓の表現には寛容でありながら、反体制・反日・反道徳というレッテルを貼られた作家や作品にについての「表現の不自由」という現実をこの社会は現出している。学術会議の任命拒否問題しかり、である。

作中の設定では、「ヘイトスピーチ法」の成立とともに、「有害図書」の作家の更生の必要を定める法律が制定されたという。以来、国家が有害作家の更生に乗り出し、何人もの作家が消されていくことになる。これは絵空事ではない。権力をもつ者には、羨望の事態だろう。

恐怖に震えた「私」が、この施設の精神科医に「先生、転向しますから、許してください」と懇請する場面がある。これに対して、精神科医が笑って言う。「転向って小林多喜二の時代じゃないんだから、人聞きが悪い」。この小説は、多喜二の時代の再来が、夢物語ではないことを語っている。

この「落日」が描いているのは、作家に対する弾圧である。しかし、文学や芸術が権力から攻撃される以前に、政治活動や社会的活動、あるいは労働運動、ジャーナリズムや学術・教育に対する弾圧が先行しているに違いない。「日没」の描く風景が恐ろしいだけに、あらためて自由を擁護しなければならないと思う。

司法の二面性 ー「国民支配の道具としての一面」と、「権力を抑制して人権を擁護する一面」と。

(2021年2月19日)
S君、長くお目にかからないが、久しぶりにご意見のメールをいただくと50年前の修習生時代を思い出す。真っ直ぐな問題提起の仕方に、つくづくと、人は変わらないものと思う。

弁護士生活50年を記念する出版にともなう集会をどう持つか。私は、「戦後75年の司法を俯瞰する」ものとしようと提案した。「われわれが経験したのは、この50年の司法だが、その出発点を見据えるには、戦後からの分析というスパンが必要ではないか」という趣旨だ。

それに対して、貴君から、「澤藤意見では、出発点を見据えるには戦後からの分析というスパンが必要と述べているが、本質的な点を明らかにするためには、天皇制下の司法の分析と『戦前』(特に昭和)からのスパンが必要と思う。」「裁判官の意識・考え方は旧憲法のままだと感じている。」と、ご意見をいただいた。これは、貴君の受任事件を通じての切実な見解ということがよく分かる。

「戦前の裁判官の意識(考え方)がそのまま引き継がれているものとして、公権力の行使による加害に対しては責任を負わないとする『国家無答責論』(判例法理)が問題」「戦後補償訴訟では、裁判所は、反人道的不法行為事実を認定しながら、国家無答責論を無批判に適用して重大な基本的人権の蹂躙行為を免罪した」「私は、担当裁判官の公権力の行使による加害行為を安易に免罪するという考え方が、他の事件を判断する場合でも、権力や強者の責任を免除する方向に繋がっていることを強く感じる」

なるほど。事件を通じての、皮膚感覚の裁判所論は、痛いほどよく分かる。「本質的な点を明らかにするためには、天皇制下の司法の分析と「戦前」(特に昭和)からのスパンが必要と思う。」とのご意見には、私も異論がない。

私たちの修習生時代に長官だった「石田和外」などは、戦前の「天皇の裁判官」の精神構造を、そのまま戦後に引き継いだ裁判官群の代表だった。大日本帝国憲法に馴染んだ戦前の裁判官が、パージのないことを奇貨として、そのまま戦後の日本国憲法下の裁判官になりおおせたことを記憶に留めておかなくてはならない。

とは言え、天皇制下の司法がどう現在に引き継がれているかについての認識には、多少の齟齬があるようだ。あれから50年。70年代以後現在につながる司法のありかたを、「その本質において戦前と同じ」という切り口で評することが有効だろうか、疑問なしとしない。

天皇制下の司法は、イデオロギー的には「天皇の裁判所」であり、「天皇の裁判官」が担った。組織的にも司法省に従属した裁判所であった。違憲立法審査権はなく、国家は悪をなさずの思想のもと、国家賠償は認められず、国家無答責は言わずもがなの大原則であった。

戦後の新憲法は、戦前の司法を清算し、人権の砦として新たな出発をしたはず。私は、ここが出発点と思っている。戦後75年、憲法が想定する司法はできていない。これを、戦前を引き摺っているからと捉えるべきだろうか。

修習生時代から、「所詮司法といえども権力の一部」「司法の独立なんぞは幻想に過ぎない」というシニカルな意見はあり、私は「権力機構の一部としての司法の独自性を理解しない極論」「人権や民主主義擁護の運動に有害」と反発してきた。

言うまでもなく、法には、国民支配の道具としての側面と、権力抑制の側面とがある。司法にも、権力機構としての国民支配の道具として作用する一面と、権力を抑制して人権を擁護する側面とがある。

私たちは、その後者を大切なものとし、国民の人権意識や民主主義の発展とともに、「人権の砦」としての裁判所の実現は可能と考えて、「司法の独立」というスローガンを掲げてきた。

しかし、それは残念ながら、現在のところは見果てぬ夢に過ぎない。権力機構の一部としての司法がまかり通っているのが現実だ。問題は、その憲法との乖離という現実が司法だけのことではないということ。保守政党が支配する立法府にも、粗暴に権力を振るう行政府にも、さらには自治体にも社会全体の法意識にも当てはまることではないか。

「所詮司法といえども権力の一部」という論を、シニカルにではなく、もう一度捉え直す必要もあるのではないか。日本の社会全体に人権や民主主義が根付かぬ限りは、司法だけが憲法の想定する理念を実現することは現実には困難ではないだろうか。

とはいえ、そのことが司法に関する独自の運動を否定することにはならない。権力機構の中で司法部には、独自の役割や機能をもっているはず。
「憲法の砦としての司法」「司法の民主化」「司法の独立」「裁判官の独立」「司法官僚の現場裁判官操作を許すな」というスローガンの有効性は揺るがないと思う。

少し長くなった。その後のことは、次のメールにしよう。

「デジタル改革関連法案」が指向する、監視社会化・管理社会化の危険を警戒しなければならない。

(2021年2月18日)
2月9日、政府は「デジタル庁設置法」を含む、「デジタル改革関連法案」を閣議決定し、同日衆院に提出した。典型的な束ね法案で、新設・改正の法案数は計64本に及ぶ。政府は、今国会で成立を図り、「デジタル化推進の司令塔」としてのデジタル庁を9月創設の予定という。

報じられているところでは、法案は、▽デジタル庁設置▽理念を定めた基本法▽マイナンバーと預金口座のひもづけ▽押印廃止などの社会整備▽自治体のシステム標準化―の5分野からなり、政府はこれを一括して審議することを想定しているという。

新設されるデジタル庁は、首相をトップとして、担当大臣や副大臣も配置。事務方のトップには特別職の「デジタル監」を置く。500人規模の組織とし、民間から局長級を含め100人程度の登用を想定しているという。

他省庁への勧告権を持ちながら、国の情報システムの整備・管理や、自治体のシステム共通化に向けた企画・総合調整などを担う。政府が重要課題に掲げるマイナンバーカードの普及についても司令塔となる。

政府は、「デジタル化」によって、国民生活の利便が向上することを強調する。説明資料には、「国民の幸福な生活の実現」「人に優しいデジタル化」「誰一人取り残さないデジタル社会の実現」「安心して参加できるデジタル社会の実現」などいう、歯の浮くような言葉がならぶ。

首相は成長戦略の柱の一つにデジタルを掲げ、平井卓也デジタル改革相は「スマートフォン一つで60秒以内であらゆる行政手続きができるようにする」とまでいう。あたかも、デジタル化によって、バラ色の社会が開け、国民が豊かに幸福度が増していくかのごとき幻想が振りまかれている。本当に、そうだろうか。

デジタル技術自体に善悪の色はない。良くも悪くも使われる道具でしかないが、使い方を間違えると取り返しのつかない大きな障害をもたらす凶器となる。とりわけ、信頼できない権力が推進するデジタル化とは、極端な監視社会・管理社会を目指すものとなる危険を孕んでいる。

IT技術の発達は、個人の監視と管理の徹底を可能とする。国民は家族歴・生育歴・交友歴を把握される。健康情報も、教育歴も、経済生活歴も丸裸にされる。誰と会って、どんな本を購入し、どんなデモに参加したかさえ、一瞬にして可視化される。

今回の「デジタル改革関連法案」『国民生活の利便促進』を名目に、実は『IT技術による全国民直接監視社会』『監視の徹底による国民管理』を指向する危険を警戒しなければならない。

国家が集積する圧倒的な情報量は、丸裸にされた国民の自由を形骸化する。国家は、全国民のあらゆる情報を握って国民に対する意識や行動の操作を可能として、民主主義を形骸化する。既に、中国にその萌芽を見ることができよう。

デジタル改革関連主要6法案の概要は以下のとおりである。
【デジタル庁設置法案】
・首相をトップとし、担当大臣らも配置
・国の情報システムを統括、監理
・他省庁への勧告権などの権限を持つ
【デジタル社会形成基本法案】
・ゆとりと豊かさを実感できる国民生活の実現
・デジタル化の目標や達成時期を定めた重点計画の作成
【預貯金口座の登録、管理に関する2法案】
・本人の同意でマイナンバーにひもづけた口座で、公的な給付金の受け取り、災害や相続時に照会が可能に
【デジタル社会形成関係整備法案】
・各自治体でばらつきがある個人情報保護のルールを統一化
・行政手続きの押印廃止の推進
・マイナンバーカードの機能をスマホに搭載
・引っ越し先に転出届の情報を事前通知
【地方公共団体情報システム標準化法案】
・自治体ごとにばらばらなシステムを、国が策定した基準に合わせるよう求める

聖火リレーは「五輪ファシズム」の象徴。

(2021年2月17日)
聖火リレーという奇妙な国民精神動員行事がある。参加者の擬似的一体感を醸成するのみならず、その一体感を国家や権威・権力に動員する効果を持つ。東京オリンピックの直前に、この奇妙な行事が行われる予定だが、これに異を唱える自治体が現れた。注目に値する。

本日の毎日新聞夕刊社会面のトップが、「島根、聖火リレー中止検討 知事『五輪開催許容し難い』 コロナ対策、政府に不満」という見出し。他紙も報じているが、『五輪開催許容し難い』とはまことに手厳しい表現。これが、現職知事の言なのだ。積極的に評価したい。

「島根県の丸山達也知事は17日午前、県内で5月に行われる予定だった東京オリンピックの聖火リレーの中止を検討していることを明らかにした。報道陣の取材に『オリンピック開催は現状では許容し難い。聖火リレーにも県としては協力できない』と答えた。」

正午から開かれた臨時の県聖火リレー実行委員会で、知事の「中止検討」が正式に表明された。これは、国に対する不服従宣言にほかならない。もっとも、島根県の「聖火リレー中止」方針が確定したわけではない。毎日新聞も、「新型コロナウイルス感染拡大に対する政府や東京都の対応を改善させる狙いがあり、実施や中止の決定については『(東京都が感染を抑え込んでいるかについて)確認をした上で判断する』とした。」と報じている。

聖火リレーは中止検討の理由は、「東京都などで保健所の業務がひっ迫し、濃厚接触者などの調査が十分行われていない」「そのことが全国的な感染拡大の要因となっていて、島根県とも無縁ではない」「政府や東京都が新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込めていない中、東京オリンピックと聖火リレーを開催すべきではない」「政府や東京都のリスクの高い対応が影響し、感染者が少ない島根の飲食や宿泊業界も大打撃を受けているにもかかわらず、緊急事態宣言地域よりも政府の支援が手薄なことも不公平」などとというもの。端的に言えば、「コロナ対応に専念すべき今、オリンピックどころではあるまい」というアピール。自治体の長として当然の姿勢ではないか。

聖火リレーは、47都道府県全部で行われる。「東京2020オリンピック聖火リレーのルートは、日本全国多くの人が沿道に応援に行けるように考慮して設定された。世界遺産や名所、旧跡など各地域の魅力あふれる場所で聖火リレーが行われる。121日間にわたる聖火リレーのルートと日程を確認しよう」と主催者は呼びかけている。

島根県の聖火リレーは、5月15日・16日の両日、170人が下記の経路を走る予定という。
(萩市)→津和野町→知夫村→益田市→浜田市→江津市→川本町→邑南町→大田市→出雲市→雲南市→奥出雲町→隠岐の島町→安来市→松江市→(三次市)
これがなくなれば、山口県・萩から広島県・三次にショートカットすることになる。

島根の中止は英断である。東北各県はどこもオリンピックどころではなく、次に続く自治体のあることを期待したい。がしかし、それだけに、島根に対する官邸や財界からの風圧には大きいものがあるだろう。

やや驚いたのは、中止になれば浮く予算の額である。「島根県の聖火リレーはことし5月15日(土)と16日(日)の2日間、合わせて14の自治体をめぐる予定」だという。それだけのことに、9000万円の予算が計上されているという。

自治体負担分とは別に、「組織委は2018年、電通と聖火リレーに関する業務委託契約を締結し、約50億円の委託費を計上したが、20年スタート直前での延期となり、業務委託費の多くは支払い済みで戻ってこなかった」という報道を思い出す。聖火リレーの全予算は、少なくとも100億円にはなるのだろう。あらためて、学術会議予算10億円の僅少さを思う。

周知のとおり、オリンピックの聖火リレーは1936年ナチス政権下のベルリン大会から始まった。ヒトラーのほしいままの政治利用を許した、あの「民族の祭典」である。発案者は、ベルリン大会組織委員会事務総長でスポーツ学者のカール・ディームだという。聖火リレーとは、ナチスドイツのプロパガンダの一端として始まった。「五輪ファシズム」の象徴とも称すべきイベントなのだ。

北海道銀行カーリングチームのなんとも爽やかなフェアプレイ。

(2021年2月16日)
私は、スポーツの観戦に興味がない。母校が出場した高校野球だけが例外だった。甲子園は同窓会の場でもあったから顔を出したが、それ以外にはスポーツ観戦の記憶がない。子供が幼いころ、アンドレア・ジャイアントの興行を見に行ったことがある。あれをスポーツと言えば、もう一つの例外であったろうか。

スポーツのルールをよく知らない。とりわけ、「氷上のチェス」といわれるカーリングである。話題となってもついていけないし、何が面白いかさっぱり分からない。

ところが、昨日(2月15日)の朝のこと、寝床で聞いていたラジオのスポーツニュースで目が覚めた。カーリング日本選手権の女子決勝、北海道銀行が平昌五輪銅メダルのロコ・ソラーレに7?6で勝利したという。この報告だけなら面白くもおかしくもないのだが、その解説に驚いた。

こんなことは常識なのだろうか。カーリングの試合には『審判がない』のだそうだ。各自がフェアプレー精神にのっとって試合を行うことが当然とされ、ルール違反は飽くまで自己申告制だという。問題あれば、審判の裁定ではなく競技者間の協議で解決するのだとか。私には初耳のこと。スポーツは野蛮と決めつけてきたは間違いか。なんと成熟したスポーツの世界があるものだろうか。

報じられた試合は、北京オリンピック出場もかかっていた。道銀は、この試合に敗れれば確定的に出場権を失うのだという。当事者にとっては大事な試合。

その大事な試合の競り合いの中での第4エンド、A選手のラストショットがハウスの中心にピタリとみごとに決まって道銀勝利の流れがつかめたという局面。ここで、スイープしていた同じチームのB選手のブラシがストーンにわずかに当たったのだという。これはファウル。せっかくの得点のチャンスが失われただけでなく、反則点として相手チームに2点を献上することになった。この反則が、審判の指摘によるものではなくB選手の自己申告なのだという。

ラジオの解説によれば、ここで後れをとった道銀チームの誰もがBの自己申告を当然として動じることはなかったという。健気に声を掛け合って全員で前向きに試合を進め、1点を追う最終第10エンドで2点を奪って逆転劇を演じた、というハッピーエンド。正直のところ詳細はよく把握しきれないが、できすぎたお話。

自チームの不利を承知でファウルを自己申告した道銀選手のフェアプレーに拍手を送りたい。しかも、ラジオの解説によれば、ビデオをよく見ると、錯綜した状況ではあったが実はファウルではなかったようなのだという。それほど微妙な「ファウル」の自己申告だったのだ。

言うまでもなく、北海道銀行とそのカーリング・チームとは、「別人格」である。銀行業務と選手のプレーとは、もちろん別のことである。しかし、このフェアプレーは銀行のイメージを大いに高めたに違いない。道銀の行員が、顧客を欺したり、告知すべきことを故意に隠したりはしないだろう。きっとフェアな姿勢で接してくれる、こういう企業イメージが形作られた。

かつて、三菱銀行などが融資とセットで変額保険を売った。銀行の堅実なイメージを信頼してリスク商品を売り付けられた顧客は怒った。最近では、日本郵政の職員が、官業時代の郵便局の固いイメージを信頼した多くの顧客に「かんぽ生命の保険商品」を不正販売した。スルガ銀行の例もある。今や、金融機関の信用の劣化はとどまるところを知らず、昔日とは隔世の感がある。しかし、北海道銀行だけは、率直・正直・フェアでクリーンなイメージを獲得した。

企業は消費者に選択をしてもらわねばならない立場だから、その顧客に対するイメージは重要である。通常、企業は消費者の好イメージを求めて行動する。

DHCという企業が、デマやヘイトやスラップやステマで、何重にも自らのイメージを傷つけていることが信じがたい。会長吉田嘉明は、化粧品や健康食品の販売をしながら「ヤケクソくじ」などという不潔なネーミングをしている。フェアもクリーンも皆無である。こんな企業が真っ当な経営をしているとはとても思えない。

そして、NHKである。森下俊三というトンデモ人物を経営委員として再任させたことは、ジャーナリズムとしてのNHKにとって致命的なイメージダウンである。森下再任の人事は、官邸・総務省にしっかりと紐付けられ、これに抵抗できないNHKというイメージを天下に植え付けた。官邸と自公与党の愚行というしかない。

このような汚濁の世の中で、道銀カーリングチームのなんと爽やかなこと。まさしく、泥中に咲いた蓮の華さながらである。

幸田露伴「渋沢栄一伝」異聞

(2021年2月15日)
したたかなはずの資本主義だが、誰の目にもその行き詰まりが見えてきている。環境問題、エネルギー問題、貧困・格差…。とりわけ、新自由主義という資本主義の原初形態の矛盾が明らかとなり、グローバル化が事態の混乱を拡大している。

その反映だろうか、ノスタルジックに「日本資本主義の父」が持ち上げられている。この「父」は、福沢諭吉に代わって間もなく1万円札の図柄になるという。そして、昨日(2月14日)が第1回だったNHK大河ドラマ「青天を衝け」の視聴率も上々の滑り出しだという。

何ともバカバカしい限りではないか。「資本主義の父」とは、搾取と収奪の生みの親であり育ての親であるということなのだ。この「父」は、カネが支配する世の中を作りあげて自らも富を蓄積することに成功した。多くの人を搾取し収奪しての富の蓄積である。搾取され収奪された側が、「資本主義の父」の成功談に喝采を送っているのだ。

資本主義社会は、天皇親政の時代や、封建的身分制社会よりはずっとマシではある。だが、社会の一方に少数の富める者を作り、他方に多数の貧困者を作る宿命をもっている。「資本主義の父」とは本来唾棄すべき存在で、尊敬や敬愛の対象たり得ない。

仮に渋沢栄一に尊敬に値する事蹟があるとすれば、「資本主義の父」としてではなく、「資本抑制主義の父」「資本主義万能論を掣肘した論者」「野放図な資本主義否定論者の嚆矢」「資本主義原則の修正実践者」としてでしかない。彼が、そう言われるにふさわしいかは別として。

この点を意識してか、NHKは、渋沢について「資本主義の父」と呼ぶことを慎重に避けているようだ。番組の公式サイトではこう言っている。

幕末から明治を駆け抜けた実業家・渋沢栄一。豪農に生まれた栄一は、幕末の動乱期に尊王攘夷思想に傾倒する。しかし、最後の将軍・徳川慶喜との出会いで人生が転換。やがて日本の近代化に向けて奔走していく…。

「実業家」「日本の近代化」という用語の選択は無難なところ。

幸田露伴の筆になる「渋沢栄一伝」(岩波文庫)に目を通した。下記のとおり、岩波の帯の文句がこの上なく大仰であることに白ける。

「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の伝記を、文豪が手掛けた。士は士を知る。本書は,類書中,出色独自の評伝。激動の幕末・近代を一心不乱に生きた一人の青年は、「その人即ち時代その者」であった。枯淡洗練された名文は,含蓄味豊かな解釈を織り込んで、人間・渋沢栄一を活写する。露伴史伝文学の名品(解説=山田俊治)

渋沢の死が1931年で、その後に執筆依頼があり露伴の脱稿は1939年となった。渋沢の顕彰会からの依頼で引き受けた伝記である。稿料の額についての記載はないが、文豪・幸田露伴たるもの、こんな伝記を書くべきではなかった。今ころは、泉下で後悔しているに違いない。

執筆の動機からも、対象を客観視しての叙述ではない。ヨイショの資料を集めてもう一段のヨイショを重ねた決定版。執筆の時期が日中戦争のさなか、太平洋戦争開戦も間近のころ。ヨイショの方向は、尊皇の一点。資本主義の権化に徹した渋沢像がまだマシだったのではないか。下記の記述が、資本主義の権化ではないとする渋沢像の描出である。

商人は古より存在した。しかしそれは単に有無を貿遷し、輜銖(ししゅ・物事の微細なこと)を計較して、財を生じ富を成すを念とせるもののみであって、栄一の如くに国家民庶の福利を増進せんことを念として、商業界に立ったものは栄一以前にはほとんど無い。金融業者も古より存在した。しかしそれも単に母を以て子を招び、資を放って利を収むるを主となせるもののみであって、栄一の如く一般社会の栄衛を豊かに健やかならしめんことを願とせるものは栄一以前にはほとんど無い。各種の工業に従事したり事功を立てたりしたものも古より存在した。しかしこれまた多くは自家一個の為に業を為し功を挙ぐるを念として、栄一の以前には其業の普及、その功の広被を念としたものは少い。

栄一以前の世界は封建の世界であった。時代は封建時代であった。従って社会の制度も経済も工業も、社会事象の全般もまた封建的であった。従って人間の精神もまた封建的であった。大処高処より観れば封建的にはおのずから封建的の美が有り利かあって、何も封建的のものが尽く皆宜しくないということは無いが、しかし日月運行、四時遷移の道理で、長い間封建的であった我邦は封建的で有り得ない時勢に到達した。世界諸国は我邦よりも少し早く非封建的になった。我邦における封建の功果は既に毒爛して、その弊は漸くに人をして倦厭を感ぜしむるに至った。この時に当って非封建的の波は外国より封建的の我国の磯にも浜にも打寄せて来た。我国は震憾させられた。そして漸くにして起って来たものは尊皇攘夷の運動であった。尊皇は勿論我が国体の明顕に本づき、攘夷は勿論我が国民の忠勇に発したのであった。あるいは不純なる動機を交えたものも有る疑も無きにあらずといえども、それは些細のことで、大体において尊皇攘夷の運動は誠心実意に出で、その勢は一世に澎湃するに至って、遂に武家政治は滅び、王政維新の世は現わるるに及んだ。

上記は、切れ目のない文章を二段に分けてみたもの。前段は、私利を貪らぬ実業家としての渋沢に対するヨイショ。後段は、尊皇攘夷運動によって王政維新の世が到来したことの積極評価。露伴の頭の中では、この二つが結びついていたのであろう。

露伴は、戦後まで永らえて、47年に没している。もしかしたら、価値観の転換後は下記のように改作したいと思ったのではないだろうか。

世界諸国は我邦よりも少し早く民主主義的になった。我邦における天皇制の功果は既に毒爛して、その弊は漸くに人をして倦厭を感ぜしむるに至った。この時に当って民主主義の波は外国より天皇制の我国の磯にも浜にも打寄せて来た。我国は震憾させられた。そして漸くにして起って来たものは人民の民主主義を実現せんとする一大運動であった。天皇は勿論我が守旧勢力の傀儡にして、国体は勿論我が一億国民に対する思想統制の手段であり、全ては国民欺罔と抑圧の意図に発したのものであった。敗戦を機とした、民主主義を求むる人民の運動の勢は一世に澎湃するに至って、遂に天皇制は瓦解し、人権尊重と民主主義の「日本国憲法」の世は現わるるに及んだ。

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