澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

秘密保全法?改憲と連動した危険な役割

憲法改正とは、国の形を変えてしまうということ。「安倍改憲」によって形を変えられたこの国においては、国家の秘密が跋扈し、秘密の保全が人権に優先する。

現行日本国憲法は、人権の尊重と国民主権、そして恒久平和主義の3本の柱で成り立っている。そのとおりの形で国ができているわけではないが、その方向に国を形づくる約束なのだ。日本国憲法が気に入らない安倍政権とその取り巻きは、今憲法を変えようとしている。それは、とりもなおさず、人権の尊重と国民主権そして恒久平和主義とは異なる方向に国の形を作り変えようということだ。彼らが目指す国の形は、新自由主義が横溢する国、そして軍事大国である。富者に十分なビジネスチャンスが保障され貧者の救済は可能な限り切り捨てる国。当面はアメリカの補完軍事力として世界のどこででもアメリカに追随して戦争のできる国。そしてやがては、挙国一致で富国強兵の軍事大国日本を「取り戻そう」ということなのだ。

憲法を変えることが国の形を変えることである以上は、経済、外交、防衛、教育、財政、税務、福祉、防災、メディア規制、公務員制度…、その他諸々の法律の新設や改正が必要となる。憲法改正後になすべきが本筋の諸法制の整備を改憲策動と並行して一緒にやってしまおう。それが安倍政権の思惑であり、「手口」である。

96条改正を先行させてこれを突破口とし、憲法の明文改正が安倍政権の「悲願」ではあるが、これは容易ではないし時間もかかる。選挙に勝って議席数では優勢な今、できるだけのことをしておかねばならない。その発想からの解釈改憲や立法改憲の策動が目白押しである。これは、実質的な「プチ改憲」にほかならない。

そのスケジュールの全体象が明確になっているわけではないが、今秋の臨時国会での論争点として考えられるものは、次のとおりである。
*内閣法制局長官人事を通じての集団的自衛権行使容認の解釈変更
*秘密保全法の制定
*国家安全保障基本法の制定
*日本版NSC設置法(安全保障会議設置法改正・法案提出済み)
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定

いまは、安保法制懇という「政府言いなりの有識者・御用学者グループ」に意見を諮問している段階。その回答を待って、この秋一連の策動が本格化する。とりわけ、公表されている自民党の国家安全保障基本法案によれば、集団的自衛権を認め、軍事法制を次々と整備し、国民や自治体を軍事に動員し、軍備を増強、軍事費を増大し、交戦権の行使を認め、多国籍軍への参加を容認し、武器輸出三原則を撤廃することになる。明文憲法改正なくして、戦争が可能になる。

そして、本日の各紙は、「秘密保全法」案の内容が本決まりになったと報道している。やはり、この秋は常の秋ではない。憲法にとって、また国の将来にとって、尋常ならざる事態なのだ。

秘密保全法の制定は、国家安全保障基本法が要求する軍事法制整備の一環でもあり、「軍事機密を共有することになる」アメリカからの強い要請にもとづくものでもある。かつての軍機保護法や国防保安法を彷彿とさせる。

1985年に国会に「国家秘密法」が上程された当時のことを思い出す。これも、1978年の旧日米ガイドラインにおいてアメリカから求められた、防衛秘密保護法制強化の具体策としてであった。いわば、アメリカからの「押し付け軍事立法」である。澎湃として、反対の世論が湧き起こり、結局は廃案となった。

このとき、推進派との議論を通じて、行政の透明性確保の必要と、国民の知る権利の大切さについて学んだ。政府を信頼して国家秘密を手厚く保護する愚かさを、国民が共有したときに廃案が決まったと思う。

今回の秘密保全法は、かつての国家秘密法に比較して、次の諸点において遙かに危険なものとなっている。
*その漏洩等を処罰の対象とする秘密の範囲は、かつては「防衛と外交」の情報に限られていた。今回は、「公共の安全及び秩序の維持」に関する情報まで含む。いったい何が具体的に「公共の安全及び秩序の維持」に関する秘密となるか、ことの性質上、「それは秘密」となりかねない。
*処罰対象の行為は、漏洩、不正な取得を最高懲役10年の重刑(現行国家公務員法の守秘義務違反は懲役1年)で処罰するほか、過失犯や未遂犯も罰する。共犯、煽動行為も独立して処罰対象となる。報道や評論の自由に、恐るべき萎縮効果をもたらすことになる。
*情報を取り扱う者についての「適性評価制度」が導入される。公務員本人のみならず、家族のプラバシーにまで踏み込んだ調査・監督が行われ、思想や経歴による差別を公然と認めることになる。

秘密保全法のすべての条項が、改憲策動と繋がる。9条改憲によって戦争のできる国に形を変えるからには、厳格に軍事機密を保全する法制が必要だとの発想からの立法だからである。さらに、人権ではなく国権が重要という発想からの立法だからでもある。個人の自由だの権利だのとうるさいことを言わせておいたのでは国の秩序が保てない。「公益及び公の秩序」の確立のためには、基本的人権が制約されて当然。とする安倍改憲思想の表れなのだ。

現行憲法を改正して、国の形を変えてはならない。そのようなたくらみをする政権を容認してはならない。秘密保全法は、軍国主義と全体主義が大好きな一部の人を除いて、大方の国民の賛意を得ることができないだろう。国民の反対運動が許すはずがない。安倍政権のそのゴリ押しは、自らの墓穴を掘ることになるに違いない。

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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著) 〔5〕 「大正生まれの歌」
70年代に入り、アメリカの対中国政策が見直され米中国交正常化がすすめられる。その動きにおされて日本も動いた。72年田中角栄首相が訪中し日中共同声明に調印して、国交が正常化された。声明には「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という文言が盛られた。

平和への舵が大きく切られたが、これを警戒するかのごとく、このころから戦友会、遺族会、軍恩連などの旧軍人団体の運動が一段と活発化していった。これらの団体は日中友好の動きに警戒感を持ち、「侵略戦争」「戦争責任」などの言葉が使われないよう、ブレーキの役目を担った。靖国国家護持運動を支えて、「靖国神社法案」を1969年から75年まで5回提出させる原動力となった。その試みは達成されず、すべて廃案に終わって、法制化は断念された。しかし、その後も自民党の強力な支持母体となり圧力団体となって、靖国神社を支えた。それに応えるように、78年には靖国神社は秘密裏にA級戦犯14名の合祀を行った。82年には文部省は教科書検定で、「侵略戦争」を「進出」と書き換えさせ、85年8月15日には中曽根康弘首相が靖国神社に「公式」参拝した。これら一連の動きは、アジア諸国、中国、韓国から強い批判を浴びた。それから30年たった今でも、根治できない悪性腫瘍の種となっている。

遺族会の動きは、73年のオイルショックに続く経済低成長にもかかわらず、軍人恩給を大幅に増加させていく実利を獲得した。
「曹長で敗戦を迎えた山本武は1978年に年額30万円の軍人恩給を受給し、年金も加えて、夫婦の旅行、孫たちへのプレゼント、孫のオーストラリア留学の援助などを賄って、恩給のありがたさを痛感している。『なぜあのような悲惨な、日本が滅亡するような無駄な戦争を長く続けたのかと憤りを覚え、自分たちが裏切られた』という思いを抱くようになっていたが、軍恩連の運動に参加するなかで、軍人恩給受給者の待遇改善のためには、『与党である自民党に頼るしかない』と判断し、自民党への集団入党運動を推進していくことになる。」(山本武「我が人生回顧録」安田書店1984年)

80年代になると、少しづつではあるが、侵略戦争の実態に迫る、元兵士自身の証言が出てくる。「ああ戦友、支那事変、台湾歩兵第一連隊第一中隊戦史」(小野茂正編1982年)には、三光作戦、慰安婦、上官への批判が語られている。「南京虐殺と戦争」(曽根一夫著 泰流社 1988年)には、自身の中国人女性強姦の告白がある。「悔恨のルソン」(長井清著 築地書館 1989年)には、米軍捕虜の斬首、飢餓状態での人肉食を告白、懺悔している。

このように一般の将兵が、自身または仲間の行った残虐行為を語りはじめているが、これらはまだまだ希な例であった。大半の兵士の気持ちは、下記の「大正生まれ」の歌に歌われたとおりだったと思われる。
(1)大正生まれの俺達は
  明治と昭和にはさまれて
  いくさに征って 損をして
  敗けて帰れば 職もなく
  軍国主義者と指さされ
  日本男児の男泣き
  腹が立ったぜ なあお前
(2) 略
(3)大正生まれの俺達は
  祖国の復興なしとげて
  やっと平和な鐘の音
  今じゃ世界の日本と
  胸を張ったら 後輩が
  大正生まれは 用済みと
  バカにしてるぜ なあお前

元兵士の相当部分が、自分たちが従軍した戦争に疑問を持ちつつも、社会の否定的評価への反発と、軍人恩給拡充の実利を求めることで、保守陣営に組み入れられた。しかし、その戦争に対する個別の思い入れは、真実を語って懺悔をする人から、「大正生まれの歌」に表れた世を拗ねた感情まで、振幅は大きい。巨大な戦争に従軍した兵士たちの戦後精神史は、それぞれの事情を抱えて複雑である。
(2013年8月23日)

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