反訴原告本人(澤藤)陳述書《その3》 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第153弾
私(澤藤)とDHC・吉田嘉明との間の「DHCスラップ・反撃訴訟」の次回期日が近づいてきた。
次回の法廷は審理の山場で、下記のとおりの証拠調べ期日となっている。常識的には、次々回に最終準備書面を提出して結審となる見通し。場合によっては次回の法廷で結審となることもありうる。ぜひ、法廷傍聴をお願いしたい。
☆日時 4月19日(金)午後1時30分?
法廷 東京地裁415号(4階)
☆証拠調べの順序は、
最初に反訴原告本人(澤藤)の尋問
主尋問30分 反対尋問30分。
次に、証人のUさん(DHC総務部長)。
主尋問20分 反対尋問30分。
その次に、反訴被告本人(吉田嘉明)。
主尋問30分 反対尋問30分の予定。
もっとも、以上は裁判所が証拠決定したスケジュールであって、必ずこのスケジュールのとおりに進行するかは予断を許さない。通常は九分九厘まで裁判所の決定のとおりに証拠調べは進行する。ところが、吉田嘉明は証拠決定後に、出頭したくないと言い出した。裁判所は、「出頭しなさい」と吉田宛に呼出状を発送し、これが本人に送達されていることは確認されている。にもかかわらず、吉田嘉明は重ねて出廷したくないと言ってきた。これに、反訴原告(澤藤)側が怒りの意見書を提出して、吉田嘉明に出廷を求めている。この人、とうてい尋常な社会人ではない。
吉田嘉明の本人尋問申請は、反訴原告(澤藤)側からしたものである。吉田嘉明の私に対する提訴の動機や意図は、客観事情からの推測にとどまらず、吉田本人から直接に語ってもらう必要があるからだ。裁判所はこれを認め、審理に必要だとして吉田嘉明に出頭して尋問に応じるよう命じているのだ。裁判所において、それならやむを得ないと納得できる正当な理由のない限りは、出頭して尋問を受けることが吉田嘉明の日本国民としての義務である。そして今、吉田嘉明は出頭を拒否する正当な理由を示し得ていない。
結局、吉田嘉明とは、著しく遵法精神を欠く人物というほかはない。吉田も、吉田を説得しようとしない代理人弁護士もまったく真摯さに欠ける訴訟追行の姿勢と指摘せざるを得ない。
さて、一連のこの事件。最初に法的手段に訴えたのは、DHC・吉田嘉明の方だ。私のブログでの吉田嘉明批判を快しとせず、2000万円という高額請求訴訟の提起で恫喝して言論萎縮を狙た典型的なスラップ訴訟。ところが、そのスラップ提起が恫喝の効果薄いとみるや、何と6000万円に請求金額を増額したのだ。このバカげた訴訟は、最高裁まで引っ張られたが、私の勝訴で確定した。
第2ラウンドの訴訟も、DHC・吉田嘉明の側から仕掛けられた。DHC・吉田嘉明が、私を被告として債務不存在確認訴訟を提起したのだ。これに、反訴として、私が、スラップ提訴の違法を請求原因とする損害賠償の反訴を提起した。その本訴は取り下げられ、私が反訴原告でDHC・吉田嘉明が反訴被告の反訴事件だけが今なお続いている。
ところで、尋問を受ける者は陳述書を提出する慣行が定着している。限りある尋問時間では述べ切れない言い分も言える。反対尋問者に不意打ちをさせないという配慮もある。私も、4月2日付けの陳述書を作成して、翌3日に裁判所提出した。冒頭が下記のとおりである。
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平成29年(ワ)第38149号損害賠償請求反訴事件
反訴原告 澤藤統一郎
反訴被告 吉田嘉明,株式会社ディーエイチシー
2019年4月2日
反 訴 原 告 本 人 陳 述 書
東京地方裁判所民事第1部合議係御中
反訴原告本人 澤 藤 統一郎
目 次
はじめにー本陳述書作成の目的と概要
1 私の経歴
2 ブログ「憲法日記」について
3 「本件各ブログ記事」執筆の動機
4 言論の自由についての私の基本的な理解と本件各ブログ
5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題問題の視点
7 「本件ブログ記事」の内容その3ースラップ訴訟批判の視点
8 DHC・吉田嘉明の「前訴提起」の目的とその違法
9 前訴における請求拡張の経緯とその異常
10 DHC・吉田の関連スラップ訴訟10件
11 本件スラップ提訴は「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」
12 本件反訴提起の動機と意味
13 損害について
14 反訴被告の応訴態度について
おわりにー本件判決が持つであろう意味
目次を見ていただいてもお分かりのとおり、やや長文であるが、これを分けて、掲載している。読むに値するものと思うし、読み易いとも思う。
「はじめにー本陳述書作成の目的と概要」
「訴訟大詰めの反訴原告本人陳述書 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第151弾」(3月28日)に掲載
https://article9.jp/wordpress/?p=12321
1 私の経歴
2 ブログ「憲法日記」について
3 「本件各ブログ記事」執筆の動機
4 言論の自由についての私の基本的な理解と本件各ブログ
「反訴原告本人(澤藤)陳述書《その2》 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第152弾」(2019年4月8日)に掲載
https://article9.jp/wordpress/?p=12389
そして本日、以下のとおり陳述書の下記部分を掲載する。
5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題問題の視点
7 「本件ブログ記事」の内容その3ースラップ訴訟批判の視点
DHC・吉田嘉明によって違法だと言われた私の言論の内容を解説したものである。
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5 「本件ブログ記事」の内容その1ー政治とカネの関わりの視点
私のDHC・吉田嘉明に対する批判は、純粋に政治的な言論です。吉田嘉明が、小なりとはいえ公党の党首に巨額のカネを拠出したことは、「カネで政治を買う行為にほかならない」というものです。
吉田嘉明は週刊新潮に掲載したその手記で、「私(吉田嘉明)の経営する会社…の主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」と不満を述べています。その文脈で、「官僚たちが手を出せば出すほど日本の産業はおかしくなっている」「官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と続けています。
もちろん、吉田嘉明自身、「自社の利益のために8億円を政治家に渡した」などと露骨に表現ができるわけはありません。しかし、吉田嘉明の手記は、事実上そのように述べたに等しいというのが、私の意見であり論評です。これは、吉田嘉明の手記を読んだ者が合理的に到達し得る常識的な見解の表明に過ぎません。そして、このような批判は、政治とカネにまつわる不祥事が絶えない現実を改善するために、必要であり有益な言論なのです。
政治資金規正法は、その第1条(目的)において、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるように」と規定しています。まさしく、私は、「不断の監視と批判」の言論をもって法の期待に応え、「民主政治の健全な発達に寄与」しようとしたのです。
吉田嘉明は、明らかに法の理念に反する巨額の政治資金を公党の党首に拠出したのです。しかも、不透明極まる態様においてです。この瞬間に、DHC・吉田嘉明は、政治家や公務員と同等に、いやそれ以上に拠出したカネにまつわる問題について国民からの徹底した批判を甘受し受忍すべき立場に立ったのです。これだけのことをやっておいて、「批判は許さない」と開き直ることは、それこそ許されません。
6 「本件ブログ記事」の内容その2ー規制緩和と消費者問題の視点
私はブログにおいて、8億円の拠出が政治資金規正法の理念に反するというだけでなく、吉田嘉明の政治家への巨額拠出と行政の規制緩和との関わりを消費者問題としての視点から指摘し批判しました。
薬品・食品の業界は、国民の生命や健康に直接関わる事業として、厚労省と消費者庁にまたがって厳重な規制監督を受ける立場にあります。個々の国民に製品の安全に注意するよう警告しても無意味なことは明らかなのですから、国民に代わって行政が企業の提供する商品の安全性や広告宣伝の適正化についての必要な規制をしなければなりません。国民に提供される商品の安全を重視する立場からは、典型的な社会的規制である消費者行政上の規制を軽々に緩和してはならないはずです。しかし、企業は利潤追求を目的とする組織ですから、消費者の利益を犠牲にしても利潤を追求する衝動をもちます。業界の立場からは、行政規制は高コストであり、行政規制は業務拡大への桎梏と意識されます。規制を緩和すれば、できることなら規制を撤廃してしまえば、コストを押さえての利益の向上と、業務拡大とにつながると考えます。だから、行政規制に服する立場にある企業は、常になんとかして規制緩和を実現したいと画策するのです。これがきわめて常識的な見解です。私は、長年消費者問題に携わって、この常識を我が身の血肉としてきました。
私のブログ記事は、なんのために吉田嘉明が政治家(渡辺喜美)に巨額の裏金を政治資金として提供したのかという動機に関して、行政の規制緩和を狙ったものと指摘しました。釣り人が釣り針に高価な餌を付けるのは、大きな釣果を狙ってのこと。行政規制の厳しさに不満を述べる事業者が、規制緩和政策を標榜する政治家に裏金を提供するのは、行政の規制緩和による利益拡大を狙ってのこと。そう、推論することが健全な常識というほかはありません。
さらに、この時期におけるサプリメント業界の最大関心事は、機能性表示食品制度の導入問題にありました。この制度の導入こそが、吉田嘉明のいう「官僚機構の打破」の内実であると指摘したのです。このようなものの見方は、あまりにも当然の極めて常識的なものであって、このような常識的推論に立証を求められる筋合いのものではありません。
機能性表示食品制度の導入は、アベノミクスの「第3の矢」の目玉の一つでした。つまりは経済の活性化策として導入がはかられたもので、厳格な社会的規制の厳守という消費者利益の保護は二の次とされているのです。
なお、私がブログで引用した「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される」とは、経済学の巨人と評されたガルブレイスの説示によるものです。彼は、一足早く消費社会を迎えていたアメリカの現実の経済が、消費者主権ではなく生産者主権の下にあることを指摘しました。彼の「生産者主権」の議論は、わが国においても消費者問題を論ずる上での大きな影響を及ぼしました。ガルブレイスが指摘するとおり、今日の消費者が自立した存在ではなく、自らの欲望まで大企業に支配され、操作される存在であるとの認識は、わが国の消費者保護論の共通の認識ーつまりは常識となっているものです。
このような基本認識のとおりに、現実に多くの消費者被害が発生しました。だから、政治や行政による消費者保護が必要なことは当然と考えられてきたのです。被害を追いかけるかたちで消費者保護の法制が次第に整備されてくるそのような時代に私は弁護士としての職業生活を送りました。ところが、それに対する事業者からの巻き返しを理論づけたのが「規制緩和論」です。「行政による事前規制は緩和せよ、いや撤廃せよ」「規制緩和なくして強い経済の復活はあり得ない」という経済成長優先が基調となっています。企業あるいは事業者にとって、消費者保護を目的とする規制は利益追求の障害なのです。消費者の安全よりも企業利益優先の規制緩和・規制撤廃の政治があってはじめて日本の経済は再生するというわけです。
アベノミクスの一環としての機能性表示食品制度は、まさしく経済活性化のための規制緩和です。コンセプトは、「消費者の安全よりは、まず企業の利益優先」「企業が情報を提供するのだから、あとは消費者の自己責任でよい」「消費者被害が出たら、事後の救済という対応でよい」という考え方です。消費者サイドからは、けっして受け容れることが出来ません。
結局、機能性表示食品制度は2015年4月から実施されました。報道では「機能性表示食品として消費者庁に届け出した食品の中には、以前、特定保健用食品(トクホ)として国に申請し、「証拠不十分」と却下されたものも交じっている」とされています。「トクホ落ち」という業界用語で語られる食品が、今や機能性表示食品として堂々と宣伝されることになったのです。まさしく、企業のための規制緩和策以外の何ものでもないのです。
吉田嘉明の手記が発表された2014年3月当時、機能性表示食品制度導入の可否が具体的な検討課題となっていました。「経済活性が最優先。国民の安全は犠牲になってもやむを得ない」という基本路線に、業界は大いに喜びました。国民の安全を最優先と考える側からは当然に反発の声があがりました。もちろん、日弁連も反対の立場を明確にしています。そのような時期に、私は機能性表示食品制度導入問題に触れて、「DHC吉田が8億円出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての『規制緩和という政治』を買い取りたいからなのだと合点がいく」とブログに表現をしました。まことに有益で適切な指摘だったと思っています。
この有益な私の言論を違法と言う、DHC・吉田嘉明の側がおかしいのです。ましてや、高額な慰謝料請求の民事訴訟を提起するなどは、言論封殺の目的以外にその動機は考えられないところです。
7 「本件ブログ記事」の内容その3ースラップ訴訟批判の視点
2014年4月16日提訴の前訴は、同年の8月31日に、請求拡張となりました。2000万円の請求が6000万円に跳ね上がったのです。
その根拠とされたのが、私が前訴の提起をスラップ訴訟として糾弾を始めたブログの記事です。
私のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に新シリーズとして、「DHCスラップ訴訟を許さない」を始めました。その第1弾から始まって、第19弾まで進んだところでの請求拡張でした。このブログは、表現の自由保障という視点から、DHC・吉田嘉明による前訴の2000万円訴訟提起を典型的なスラップ訴訟と論評したものです。財力あるものが、カネの力で表現の自由と民事裁判制度を歪める問題として、政治とカネの関係と同様に公共性の極めて高い言論です。徹底して批判する姿勢を貫いてはいますが、その表現に論評としての行き過ぎたものがないことは一読して理解される筈です。
この「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズの連載を続ける限り、請求金額は際限なく拡大するものと覚悟しましたが、請求の拡張自身を不当・違法とするブログでの弾劾の結果、吉田嘉明は請求拡張の威嚇効果は期待できないと判断したものと思われます。幸いにその後の請求拡張はありません。
「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズは、現在第150弾を超えています。リアルタイムで書いていたものとして臨場感に溢れ、読み直してみてスラップ訴訟の本質がよく分かります。いずれ、出版する予定です。(以下、続く)
(2019年4月11日)