本日退位する天皇夫妻が客観的に果たした役割とは
本日(4月30日)をもって天皇(明仁)が退位する。明治につくられた制度を伝統という保守派からみれば、明らかに伝統に背いての退位である。憲法尊重派からみれば、国政に関する権能を一切有しないはずの天皇が、自らの意思で皇室典範特例法を制定せしめるという越権行為を行っての退位である。
旧皇室典範(1889年2月11日制定)第2章「踐祚即位」は、下記の3ケ条からなる。
10条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク
11条 即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ
12条 踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ
これが、天皇の生前退位を認めず、一世一元の法的根拠だった。なお、「明治元年ノ定制」とは、1868年「行政布告第1条」のことだという。
現行皇室典範(1947年1月16日制定)ではこうなっている。
第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
第24条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。
皇位承継の要件は、旧皇室典範と同様、天皇の死のみである。したがって、天皇生前の、退位も皇位承継も想定されていない。
にもかかわらず、現天皇は生前の退位を希望し、内閣と国会を動かして生前退位を実現した。いわば、ロボットが自らの意思をもってロボット操縦者を逆に操ってしまったのだ。これは、由々しき事態と言わねばならない。
この2代目象徴天皇が高齢を理由とする生前退位の意向を表明したのは、2016年8月8日。NHKテレビに、ビデオメッセージを放映するという異例の手段によってである。「玉音放送」を彷彿とさせる。
天皇はそのビデオで、「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」と語っている。
天皇自らが、「象徴の努め」の内容を定義することは明らかに越権である。しかも、国事行為ではなく「象徴の努め」こそが、天皇の存在意義であるかのごとき発言には、忌憚のない批判が必要だ。憲法学のオーソドックスは、天皇の行為を「憲法が限定列挙する国事行為」と、「純粋に私的な行為」とに2分して、その間にある曖昧な、「公的行為」の範疇を認めないか、認めるにしても可及的に狭小とすべく腐心してきた経緯がある。さらに、法改正を必要とする、天皇の「8・8メッセージ」が、内閣の助言と承認のないまま発せられていることには驚かざるを得ない。
ところが世の反応の大方は、憲法的視点からの天皇発言批判とはならなかった。「陛下おいたわしや」「天皇の意向に沿うべし」の類の言論が跋扈した。リベラルと思しき言論人までが、反安倍の立場も交えて、天皇への親近感や敬愛の念を表白している現実がある。憲法を超越する天皇という存在の危険性を見せつけられた感を禁じえない。
象徴としての行為を積極的に行う天皇」とは、客観的にどのような役割を担うことになるのだろうか。本日(4月30日)の「沖縄タイムス」社説の次の一節が示唆的である。
「陛下は皇太子時代に5回、天皇に即位してから6回、これまでに計11回、沖縄を訪問している。沖縄の文化にも深い関心を示してきた。行動の持続と考え方の一貫性、沖縄に向きあってきた真摯な姿勢は疑う余地がない。
沖縄タイムス社と琉球放送が27、28の両日、実施した県民意識調査によると、天皇の印象について「好感が持てる」と答えたのは87・7%に達した。沖縄の人々のわだかまりが溶けつつあるともいえる。両陛下の「国民に寄り添う姿勢」は、沖縄においても好感を持って受け入れられている。
被災地を訪ね、ひざをついて被災者を励ます姿は、悲しみや憂いを共有する思いがにじみ出ていて、忘れがたい印象を残した。「好感が持てる」と答えた人が9割近くもいたということは、こうした行動の全体が評価されているとみるべきだろう。」
天皇が沖縄を11回訪問して、沖縄の現実は何か改善しただろうか。沖縄タイムス社説の表現を借りれば、「依然として戦後が清算されず、民意に反して辺野古埋め立てが進み、基地被害が絶えない」という現実なのだ。これに続く言葉が意味深である。「だからこそ、沖縄にとって、(天皇夫妻の)寄り添う姿勢が身にしみる?という側面もあるのではないか。」
同社説は、「状況の悪化を肌で感じていることと、天皇評価の好転とは、別の問題である。」と結んでいるが、もっとはっきり言わねばならない。
天皇夫妻の沖縄訪問が果たした客観的役割とは、こういうものだ。
「沖縄の矛盾を覆い隠し、県民の怒りや不満を、なんの解決もせぬまま宥和するだけのものであった。沖縄を捨て石にした本土政府は、戦後も一貫して沖縄に基地負担を押し付け続けてきた。平和を願う県民は、本土政府やその背後のアメリカ政府に、果敢に抗議の闘いを挑み続けてきたが、天皇夫妻の役割は、その闘いを励ますものではなく、反対に県民の抗議の行動を封じ込める安全弁として機能してきたのだ。客観的には、政権の沖縄政策の貫徹を補完するものに過ぎなかった」
沖縄に限らない。天皇夫妻は、取り残された地域や人々を訪問して、言葉をかけ祈るという行為によって、格差や分断という社会の矛盾を覆い隠し、底辺の人々の不満をなんの解決もせぬままに宥和して、政権への要求行動に立ち上がろうとする人々を制し、失政に対する国民の追及や政権に対する抗議の行動を起こさぬように封じ込める安全弁として機能してきたのだ。
明日(5月1日)から、新しい天皇が、現天皇と同じ行動を続けることになるだろう。「祈る天皇」や「寄り添う天皇」を、ありがたがってはならない。むしろ、厳しく警戒しなければならない。けっして褒めそやしてはならない。
(2019年4月30日)