「バカな国民の支持を取り込み、バカを利用し尽くす」? これがアベ自民の戦略だ。
昨日(6月28日)の毎日朝刊「論点」欄。論点は、「『不都合な真実』の扱い方」である。3人の論者からの聴き書きだが、そのリードが「年金だけでは老後資金が2000万円不足する」と指摘した金融庁ワーキンググループの報告書について、麻生太郎副総理兼金融担当相が受け取りを拒否したことに批判の声が広がった。『不都合な真実』に背を向ける政権与党の姿勢は、公文書の隠匿や改ざんなど枚挙にいとまがない。その振る舞いの背景と危険性を考える。」という、まことに真っ当なもの。
論は自ずと、こんなバカげた政府がなぜできたのか、なぜ続いているのか。どうすれば、もう少しマシな政府に交替させることができるのか、を問うことになる。
白井聰の語りの標題が、「『下流』層を取り込む自民」となっている。「こんなバカげた政府がなぜ続いているのか」に対する回答として、「自民党が、手際よく『下流』層を支持者として取り込んでいるからだ」というもの。
しかし、この標題ではいかにもインパクトに乏しい。毎日のデスクは温和しい。もう少し刺激的に、「バカな国民の支持を取り込む自民党」あるいは、「バカを利用し尽くす自民党戦略」とすべきではなかったか。自民支持の国民をバカ呼ばわりするのだから、紛糾覚悟の必要あることはもちろんだが、こちらの方が真実にも、白井の言わんとするところにも近い。
白井の語りの中心部を引用する。なぜ、アベ自民の愚行への真っ当な批判が、政権に通じないのか、という問題関心についてである。
新聞も野党も政権の論理矛盾や隠蔽体質を批判している。だが、麻生太郎財務相いわく「新聞読まない人は全部自民党支持だ」。批判が効果を発揮しないのは、自民党が論理的整合性に関心を払わない有権者層を主たる「顧客」として取り込んでいるからだ。
小泉純一郎政権時代、広告代理店が政府に提出した広報戦略資料が話題になった。政権の支持基盤である「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する」主婦や若者、高齢者を「B層」と名付け、彼らに「分かりやすい」宣伝を提案していた。
低い所得だけでなく、意欲に欠ける生活習慣や思考様式を共有する階層「下流」。「B層」は「下流」の言い換えともいえよう。小泉政権向けの広報戦略資料が暗示したのは、政権が新たな格差の拡大を防ぐのではなく、利用し尽くそうという意志ではなかっただろうか。
これは、自民党が特定の階級・階層に依拠する党への変質を宣言したに等しい。しかも、その階層の利害を代表せず、単に支持基盤として利用するのだ、と。
(自民党の広告戦略は)消費社会に生まれ育ち、政治の知識に乏しい人々の感情をふんわり肯定し、決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略だ。
自民党はイラストレーターに安倍晋三首相を侍として描かせるなど、政策を直接語らない、特に若者向け広告を次々と仕掛けている。若年層全体を「B層」扱いして、「これからの日本の主役は総じてバカでいい」との前提に立っている。この前提でどんな未来を描くつもりか。
ただ、「B層」扱いされている有権者も市井の人々である。今の年金問題も、人々がふんわりとした政治宣伝の洪水から頭を上げ、眠っていた怒りを沸き立たせるきっかけにはなりうる。いずれにせよ、怒りが復権しないままでは、この国は滅びるほかないだろう。
民主主義とは、一人ひとりの有権者が理性を持ち、どのような政策・政党が自分の利益になるかの判断が可能だという前提で成りたっている。ところが、「B層≒下流」への働きかけ方次第では、「決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略」が功を奏し、少なからぬ国民が操作されて自らの利益に反する政策でも政党でも支持してしまうのだという。いや、現に今、そうなっているというのだ。アベ自民は、「日本の主役は総じてバカでいい」と本気で思い、「総じてバカな主役に支えられ」、その階層を支持基盤として今日あるのだ。
かつては、国民を侵略戦争に引き込み、兵士として使い捨てた天皇を、靖国の母は恨みをもたず批判もせず、戦死した息子を靖国に神と祀ってくれることに、天皇の親拝に感涙した。今なお、世の中の矛盾を糊塗し、「不幸に寄り添う」ことで矛盾を覆い隠す役割を果たす天皇を、「ありがたい存在」とするのが、平均的国民である。主権者の理性の確立は難しい。
白井の、「怒りが復権しないままでは、この国は滅びるほかない」は、突き放した言い方。そもそも、怒らないのがB層のB層たる所以。だからこそ、アベ自民に取り込まれているのだ。「怒りの復権」は、百年河清を待つに等しいことではないか。怒りに火をつける工夫が必要なのだ。
同じテーマを郷原信郎(弁護士)も論じている。彼は、最後をこう締め括っている。
今の政権には自浄作用が全くない。だから、どんなに非常識なことが起きても是正されない。現状を変えるには、選挙で国民が意思表示をするしかないだろう。その際、「どの政党がいいか」や「他の政権と比べて」ではなく、「今の政権そのものが是か非か」という選択をしてほしい。政権基盤が揺らぐことは一時的にはマイナスかもしれない。しかし、非常識で不誠実な政治が続く方が、この国の将来にはるかに深刻な影響を与えることを、若い人たちも危機感を持って考えてほしい。
なるほど。選挙では、「今の政権そのものの是非を問え」という問題提起には説得力がある。しかし、どうしたら、「若い人たちも危機感を持って考えて」もらえるのだろうか。「若い人たち」ばかりではない。「アベ政権の好印象を抱かせる戦略」に取り込まれている少なからぬ人々に、である。
ぬるま湯に慣れ親しんだ蛙は、湯の温度が上がっても飛び出すことができず、熱湯の中で茹で蛙になってしまうと言う。蛙たちよ、起きよ。目を覚ませ。アベのぬるま湯はもう沸騰しているではないか。
(2019年6月29日)