この悲劇 繰り返しはせぬ ― 朝鮮人犠牲者追悼式典にご参加を
関東大震災96年 朝鮮人犠牲者追悼式典
日時 2019年9月1日(日) 午前11時?
都立横網町公園(東京都墨田区横網2丁目3番25号)
交通 JR総武線「両国駅」西口 徒歩7分
都営地下鉄・大江戸線「両国駅」A1出口 徒歩2分
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による大混乱・不安の中で「暴動が引き起こされている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」などといった流言飛語が飛び交い、軍・警察・自警団など人の手によって多くの朝鮮人・中国人そして日本の社会運動家が虐殺されました。
しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意をこめて追悼式典を開きます。
主催 9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
(事務局 日朝協会東京都連合会)
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9月1日に東京都内で営まれる関東大震災(1923年)の朝鮮人犠牲者の追悼式典をめぐり、実行委員会が8日、小池百合子東京都知事に宛てて、式典に追悼文を送るよう求める要請文を提出した。小池氏は2年続けて送付を見送っており、取材に対して「昨年と同じ」と話し、今年も送付しない考えを示した。(8月9日 朝日)
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今年も9月1日が近づいている。私が名付けた「国辱の日」。1923年9月の関東大震災後に、日本人が無辜・無抵抗の朝鮮人・中国人を集団で虐殺した、その虐殺事件を国辱と呼んでいる。今なお、「そのような虐殺事件はなかった」「朝鮮人の暴動が先行した」という歴史修正主義者たちが、国辱の上塗りをしているのが情けない。
その国辱上塗りグループに加担しているのが小池百合子・東京都知事。今年も、9月1日の朝鮮人慰霊式典に知事は追悼文を送らないという。このポピュリスト政治家は、追悼文など送らなくても次の知事選には影響がない、そう高をくくっているのだ。
東京・横浜だけでなく、関東全域に無数に組織された「自警団」という「普通の日本人集団」が、無抵抗の人々を撲殺したり刺殺したのだ。この無理無体は、到底文明人のできることではない。その野蛮極まる集団虐殺行為を「国辱」と言わざるを得ないではないか。
先日、この件について詳しいジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かり易く説得力に富む内容だった。その彼が、講演の最後に、なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて、「三つの論理」を述べた。これが印象に深い。
三つの論理とは、「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。
「差別の論理」とは、当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識、謂われのない蔑視の感情が、容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。
次いで、「治安の論理」である。このとき、朝鮮現地での3・1独立運動の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は、蔑視だけでなく、朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情も併せ持っていたであろう。朝鮮人に対する、過剰な警戒心をもっていたであろう。
さらに、「軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには、あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし、軍隊の経験を経ている者は、人を殺すハードルを乗り越えている。自警団の中心にいたのは、実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも、彼らは、シベリア出兵(1918?)、3・1独立運動弾圧(1919?)、間島出兵(1920)など、ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。
あらためて、次の言葉を噛みしめる。
一人一人の兵士を見ると、みんな普通の人間であり、家庭では良きパパであり、良き夫であるのです。戦場の狂気が人間を野獣にかえてしまうのです。このような戦争を再び許してはなりません。(村瀬守保)
いったん戦場の狂気に囚われた多くの人が、戦場から離れて日常生活に戻ったあとに、非常時の「狂気」によって再びの「野獣」に化したということなのだろう。
「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」は、いずれも戦争を準備する「論理」として、平和のために克服しなければならない。とりわけ、日韓関係が軋んでいる今なればこそ。
心ある人びとに、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典ご参加を呼びかけたい。
(2019年8月21日)