無能にして無為無策の政治家は、悪辣な政治家よりも数段罪が軽い。
台風15号の後遺障害がいまだに癒えていない。この台風到来の際に組閣された新閣僚の面々。ようやくご祝儀の提灯記事の灯は消えて、今は遠慮のない批判が交わされるようになった。
前回組閣が「在庫一掃内閣」であった。今回は、払底した倉庫の隅を探してまだ残っていた商品を拾い出しての陳列。乾いた雑巾を絞るようにしての品揃え。何とも、御苦労なこと。
買い手側、商品の良否を見極めようとする国民の主たる批判の目は、小泉進次郎環境相と、萩生田光一文科相という2商品に集まっている。もちろん、その批判のされ方は異なる。小泉は、口先だけの無能で無為無策の政治家ではないかという品質不良の批判。だが商品の危険性は感じられない。これに対して、萩生田の方は、安倍の意を体して文科行政の理念をぶち壊すのではないかという不安にもとづく批判。こちらの商品は危険だ。2次被害事故が生じるおそれ。
もちろん、無能で不善をなすこと小さな消極姿勢の政治家は、積極的に不善をなす政治家に比較して、被害は小さく罪は軽い。安倍内閣の不善の最たるものは、改憲志向である。小泉進次郎が改憲策動に与しない限りは、人も軽くて、罪も軽い。
小泉進次郎。この人の口は滑らかだ。滑らかに何をしゃべるか聞き耳を立てても、たいした内容のあることはない。その場の聴衆にウケねらいの、耳に心地よい言葉の羅列だけ。
いま、環境行政に本格的に取り組むことは、政治家にとってやりがいこの上なかろう。環境とは人類が生存を維持するための条件にほかならない。経済原理や防衛原理を超えた人類生存の原理を構築して、CO2排出規制、気候温暖化阻止、再生エネルギーへの切り替え、脱原発、海洋汚染防止、ゲノム問題と,大きな課題が無数にある。福島第1原発の処理,廃炉、辺野古の海洋環境破壊問題も喫緊の課題。だが、何もかも安倍政権の基本政策と衝突せざるを得ない。どうやら、何もかも彼の手には余るようだ。
今朝(9月24日)の記事では、「小泉進次郎環境相は23日、気候変動問題に『セクシーに取り組む』とした自身の発言の真意を記者団に問われ『説明すること自体がセクシーじゃない。やぼな説明は要らない』と述べた。記者から『どういった意味で言ったのか』と聞かれた小泉氏は『それをどういう意味かと説明すること自体がセクシーじゃないよね』と返答。詳しい説明は避けた。(共同)
記者から小馬鹿にされているのだ。滑らかな口調から出て来る、注目される言葉が、「セクシー」と「野暮」の2語。人間が軽いから、言葉もかる?いのだ。言葉だけで、内実のともなわない人物という評が定着しつつある。そのことの害悪は、比較的小さい。
一方、萩生田光一である。こちらは徹底した安倍の手の者。そして、自らが加計の関係者。それが、よりによっての文科大臣。安倍内閣の挑戦的な人事である。
毎日新聞(デジタル)の「自分の役所の文書を『迷惑』と非難した萩生田文科相の加計学園問題とは」の記事が、加計問題における萩生田の立場をリマインドする記事を掲載している。要点を摘記すればこうだ。
https://mainichi.jp/articles/20190922/k00/00m/040/106000c
「国会で野党に追及され、文科省は文書の有無の調査に追い込まれる。その結果、萩生田官房副長官の関与を示す文書がさらに見つかり、公表された。
『10/21萩生田副長官ご発言概要』という文書には『官邸は絶対やると言っている』『総理は「平成30年4月開学」とおしりを切っていた』などと記されていた。」
文書の記録が事実なら、萩生田氏は首相の意をくんで加計学園を有利にするよう主導的に動いていた疑いが強まる。文書の内容を全否定した萩生田氏だが、そもそも安倍首相の側近として知られており、加計理事長の獣医学部新設の意向を早い段階で知っていたのではないかと疑われても仕方のない状況はいくつもある。
萩生田氏は2010年から月10万円の報酬で加計学園系列の千葉科学大の客員教授に就き、12年12月以降は無報酬で名誉客員教授を務めていた。13年5月には自身のブログに、安倍首相の別荘でバーベキューをしたとして、安倍首相や加計理事長とみられる人物と野外で談笑する写真を載せている。
ノンフィクション作家の森功さんは言う。
「萩生田氏は加計に限らず、政権の不祥事のたびに『防波堤』の役割を果たしてきました。記録と矛盾していても『知らぬ存ぜぬ』を貫き通す厚顔ぶりが安倍首相から信頼されているのでしょう」
よく覚えておこう。萩生田とは「記録と矛盾していても『知らぬ存ぜぬ』を貫き通す厚顔ぶりが安倍晋三から信頼されているということを。
そして、萩生田の文科大臣としての適格性を根底から批判するのが、9月22日東京新聞の前川喜平「本音のコラム」『萩生田氏と教育勅語』である。短いが、さすがに行き届いた文章。
萩生田光一文科大臣は議員会館の事務所に教育勅語の掛け軸を掛けていた。就任後の記者会見では「教育勅語は日本国憲法及び教育基本法の制定をもって法制上の効力は喪失した」としつつ「その内容について政府としてコメントするのは差し控える」と述べた。
勅語は「天皇の言葉」のことだから、もともと「法制上の効力」はない。1948年に衆参両院はそれぞれ教育勅語の排除と失効確認とを決議したが、これらは教育勅語の法制上の効力ではなく、その教育理念を否定したのだ。衆議院は「主権在君」「神話的国体観」に基づくとして「その指導原理的性格を認めない」と宣言。参議院は「わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭」した教育基本法により失効したと決議した。
萩生田氏は「政府」として教育勅語の教育理念を否定しなかっただけでなく、「個人」としては「親孝行」などが「日々の暮らしの中で参考になる」と肯定的な評価をした。教育勅語には「父母二孝二」や「夫婦相和シ」など一見普遍的な徳目が書かれているが、それらはすべて「皇祖皇宗」即ち「天皇の先祖」が定めた道徳であり、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」即ち「永遠の皇室の運命を支えること」を究極の目的とする。どこがどう「参考になる」というのだ?
萩生田光一と教育勅語。なるほど、よく似合う。さすがに、安倍晋三に気に入られるだけある教育勅語礼賛。こちらは、小泉とは違って、何をなすべきかをよく弁えている。大きな不善をなそうとの心構え。小泉より、格段に罪が深い。この、萩生田の資質に関する、前川の批判は今後いろんな人から繰り返されるだろう。そもそも、日本国憲法の理念とは相容れない人なのだ。だからこそ、今重用されているという現実がある。
(2019年9月24日)