澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

本日、「憲法日記」満7歳に。

コロナ風厳しい中での4月1日。当ブログの連載開始記念日である。「建国記念の日」命名の筆法に倣えば、「憲法日記記念の日」にほかならない。「この日記とともに憲法をしのび憲法をこよなく愛する心を養うべき日」なのだ。

「年齢計算に関する法律」を適用すれば、昨日(3月31日)の満了の時刻をもって、つまりは本日の午前0時をもって「憲法日記」は満7歳となった。2013年4月1日を連載第1回ととして今日まで、1回の欠落も一日の途切れもなく、続いてきた。

日齢では、昨日(20年3月31日)が、[365×7+2(閏年加算)]=2557となり、本日が連続2558日目の毎日更新となっている。

当ブログは、第2次アベ政権の発足に刺激されて誕生した。当初は、日民協のホームページの一隅を間借りしての発足。

2012年12月16日の第46回総選挙。この選挙で自民党は第一党に返り咲き、総裁安倍晋三は、12月26日に第2次安倍内閣を組閣した。こうして、今なお続く悪夢の安倍政治が始まった。

安倍晋三こそは、歴史修正主義の権化であり、軍事大国化路線の主犯である。戦後民主主義を否定し戦前日本への復古を目指す勢力の頭目でもあり、日本国憲法の天敵である。アベが政権を去るまでは、憲法擁護のブログを書き続けようと開始したのが、2013年1月1日。その直後に窮屈な間借り生活から飛び出て、同年4月1日から今日の形での連載を始めた。以来、満7年。2558日になったのだ。

もちろん、当時安倍政権がかくも長期政権となるとは思わなかった。何しろ、第1次政権を投げ出したみっともなさが際立っていたからだ。せいぜいが、2?3年の命運と思っていたのが、当てがはずれた。そのお陰で、「憲法日記」も長期連載となった。この間、護憲勢力はアベ政権を倒せなかったが、安倍改憲も実現していない。改憲の実現も許してはいない。一進一退、一喜一憂のせめぎ合いを繰りかえしながら、勝負のつかない7年間。だから、このブログが続いているのは、目出度くもあり、忌まわしくもあるのだ。

「当たり障りのないことなら書く意味がない。当たり障りのあることだけを書く」という方針で始めたブログだから、当ブログの連載が続く中で、相当の波風が立った。幾つか生じた波のうち、大きなものが「宇都宮君立候補をおやめなさい」であり、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズである。天皇制やその支持者に対する批判も、安倍の取り巻きに対する批判にも、波風はあった。これを、私は筆禍とも書き過ぎたともまったく考えていない。当然に言うべきことを言っただけのことではないか。

それでも、言うべきことを言うだけのことに、相当の覚悟が必要だということも、知ることになった。貴重な経験をした7年間である。

3週間ほど前のこと。知らない方からの電話をいただいた。落ちついた男性の声で、フランスのパリから国際電話を掛けているのだという。まったく思いがけないことだが、こんなお話しだった。もちろん日本語でのこと。

「パリで、「憲法日記」を愛読している。マスメディアでは得られない情報や意見を貴重なものと思っている。ところが、この数週間ブロックされて読めなくなっていることをご存知か。何らかの妨害工作があるのではないか」

まさか、政権や、公安調査庁・内閣調査室・公安警察がそんな工作をするはずもない。DHCも右翼も、そこまではやるまい。…あっ、そうか、もしかしたら…。

先日、「海外からのサイバー攻撃が頻繁に見られる」というサーバーからの連絡があって、海外数カ国からのアクセスを切ったかも知れない。その中にフランスも…。この電話を受けて数日後に、元に戻してフランスともつながったはず。

ひょんなことから、フランスにも読者がいることを知った。以前、韓国と中国からの反響は経験しているが、ヨーロッパにも読者。ありがたいとだ。

ありがたいことだが、安倍政権の継続がめでたくない。改憲を断念した状態で安倍政権が失脚すれば、当ブログも目出度く終了となる。

月1日は、その日の来たらんことを祈念する日でもある。

(2020年4月1日)

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