信頼できる首相は私たち自身の手で
5月3日・憲法記念日に何紙かの紙面に目を通した。その中で、神奈川新聞の投書欄の記事が目についた。
■信頼できる首相が欲しい 中村祐一 74 (厚木市)
緊急事態宣言を先月7日発令した安倍首相は会見で「どうか正しい情報に基づいて冷静な行動を心よりお願いする」と国民に呼び掛けた。おやっ!? と思った。
森友・加計に財務省の文書改ざん、「桜を見る会」、東京高検検事長の定年延長問題。選挙演説中に聴衆をののしり、国会審議中に答弁席から下劣なやじを飛ばす。国のトップとして責任感も品位もない首相に呼び掛けられても素直に「はい、分かりました」と受け入れる気持ちにはなれない。
緊急経済対策で国民に「一律10万円給付」との会見では、プロンプターに映る官僚の作文を棒読み。これでは国民の胸には響かない。現金給付を巡る政治的混乱について 「私自身の責任であり、国民に心からおわびを申し上げたい」と陳謝。なぜ「おわび申し上げる」と言わないのか、私には理解できない。
新型コロナウイルス対策で、ドイツのメルケル首相の国民に語りかける誠実で説得力のある言葉に、私は同国民がうらやましい。つくづく心から尊敬し信頼できる首相が欲しい。
なるほど、まったくそのとおりと思いつつも、反面、軽々に同意してはならないとの思いもある。国家の主人公は、飽くまで国民であって、政治的なリーダーではない、と考えるからである。
私も、ドイツ国民を羨ましいと思う。が、それは真っ当な国民の代表者を選任する能力を備えている点において、である。
「安倍晋三 その存在こそが国難だ」という認識が国民の一定部分に定着して久しい。それでもの長期政権である。この人には、その能力にも、資質にも、品性にも、政治姿勢にも、とるべきところはない。文化的素養は乏しく、なによりも政治家としてのビジョンにもパッションにも欠ける。
この人が一番生き生きし、はつらつとしているのは、「ニッキョーソ!」とか、「キョーサントー」と、大臣席に着席して野次を飛ばしているとき。神妙に国民に語りかけるときは、投書子の指摘のとおり、プロンプターに映る官僚の作文を棒読み。学級委員が作文を読んでいる風情で、国民の胸に響くものがない。
安倍晋三を支える右翼勢力の好みは、儒教にいう「徳治」であろう。しかし、安倍晋三に、民を感化する「徳」の一片もあろうはずはない。近年これほど政治の私物化が目に余る政治家はいない。
「修身斉家治国平天下」こそが、天皇制教育が拠って立つイデオロギーであった。この視点から安倍晋三はどうであろうか。「嘘つきは、安倍の始まり」と囁かれているほどなのだから修身失格である。だから、「あきれ夫人」の暴走を押さえての斉家は望むべくもない。その結果、国は治まらず、天下は乱れているのだ。
尊敬される人物とは、真・善・美を語ることができなければならない。敬愛される政治家とは、正義と友愛を体現していなければならない。安倍晋三ほど、この条件に真逆な人物も少ない。安倍晋三ほど尊敬や敬愛とは無縁な政治家もいない。
それゆえ、良識ある国民からは、疎まれ蔑まれているのが安倍晋三である。にもかかわらず、有権者の総体は、この「ミスター国難」「ミスター不徳」を是認し、政権の座に留めている。だから、引きずり降ろすことができない。
もっとも、政権トップの資質という点では、トランプと安倍晋三は、兄たりがたく弟たりがたし。価値観だけでなく、嗜好も品性も政治姿勢もよく似ている。アメリカ国民もお気の毒ではないか。いや、サウジアラビヤも、ハンガリーも、ポーランドも、トルコも、ブラジルも、実はお気の毒な国民は、全世界に目白押しだ。ロシアも、中国も、北朝鮮も大同小異。
他国の国民には「お気の毒」というしかないが、自国のリーダーは、私たちの手で変えることができる。「信頼できる首相が欲しい」ではなく、「安倍晋三には退陣願って、信頼できる真っ当な首相に変更しよう」。多くの人と力を合わせて、そのための算段を工夫しよう。
(2020年5月6日)