澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

育鵬社版教科書の不採択に思う ー 都教委は変わりつつあるのだろうか?

(2020年7月29日)
学校教育における教科書が子どもに与える影響力は大きい。とりわけ、歴史観や社会観に関わる教科書は将来の国民の主権者意識を決定しかねない。教科書の記載は、歴史の真実を曲げてはならず、その社会の良識をよく反映するものでなくてはならない。

かつては、国定教科書が皇国のイデオロギーを臣民に注入する役割を果たした。その歴史教科書は、荒唐無稽な神話の伝承と区別されるところはなく、國體の賛美に満ち満ちていた。この過ちを繰り返してはならないとして、国定教科書は廃絶された。しかし、これに代わる教科書検定の制度が必ずしもあるべき運営となってはいない。

複数の検定済み教科書からの採択が最も問題となるのは公立中学校の社会科の教科書である。採択の権限は、管轄の各地教委にある。市立中学校なら各市教育委員会に、区立中なら各区教育委員会に…。歴史や公民の教科書採択には、各教育委員のイデオロギーが表れる。侵略戦争を美化するもの、日本国憲法をあからさまに敵視する教科書の採択が現実に問題となっている。

一昨日(7月27日)東京都教育委員会は、都立中高一貫校10校と特別支援学校22校の各中学部の教科書採択を行なった。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2020/release20200727_01.html#link1

その結果、採択されたのは、都立中学では【歴史=山川出版】、【公民=教育出版】(1校のみ日本文教出版)、【道徳=廣済堂あかつき】。特別支援学校では、【歴史=東京書籍】、【公民=日本文教出版】、【道徳=光村図書出版】で、歴史修正主義派とされる育鵬社・自由社・日本教科書の採択はなかった。

本日(7月29日)の赤旗が、「都教委 育鵬社版採択せず」「侵略美化の教科書不使用」と大きく見出しを打って、「19年ぶり」という小見出しを付けている。都教委は2001年以来、歴史修正主義派の教科書を採択してきた。都立校に「新しい歴史教科書をつくる会」系の教科書採択がなくなったのは、実に19年ぶりのことなのだ。

 来年度から使われる中学教科書の採択で、東京都教育委員会が都立の中高一貫校と特別支援学校について、育鵬社の歴史教科書・公民教科書を不採択にしたことが28日、わかりました。都立学校から侵略美化の中学教科書がなくなるのは19年ぶりです。27日の会議で決定しました。
 現在、都立の中高一貫校(10校)と聴覚障害・肢体不自由・病弱の特別支援学校中学部(22校)では全校で育鵬社の歴史・公民教科書が使われていますが、来年度からは育鵬社の教科書は都立学校では使われないことになります。

これはまことに喜ばしい。インパクトが大きい。だが、実は薄氷を踏む思いの成果なのだ。
都教委のメンバーは下記の6名である、問題の歴史や公民の採択についての投票の表決は、いずれも「過半数」とはならなかった。育鵬社を支持した委員は2人、自由社は1人、計3名だった。もし、2回目投票で自由社の1票が育鵬社に流れれば計3票となり、教育長の決裁で育鵬社版採択もあり得たのだ。これが、都教委の実態である。

藤田 裕司(教育長・都職員)
遠藤 勝裕(実業家)
山口  香(元柔道選手)
宮崎  緑(元ニュースキャスター)
秋山千枝子(小児科医)
北村 友人(東大大学院准教授)

このうち、誰が育鵬社や自由社の教科書採択を支持していたかは、公表されていない。

よく知られているとおり、1996年歴史修正主義派は「新しい歴史教科書をつくる会に結集して、「子供たちと日本の名誉を守る」ための教科書を作り、その採択運動に奔走してきた。その立場は、極めて明白である。発足時、「Mission 子供たちと日本の名誉を守る!」として、こう言っている。

 皆さんはご家庭でお子さんが学校で使われている教科書をのぞいてみたことはありますか?
 「南京大虐殺」「従軍慰安婦」…今、全国の学校で使われている歴史教科書の多くは、ありもしない話を多く並べた、過去の日本を貶めるものばかりです。
 そして今年に入り、「従軍慰安婦」問題は、いよいよ世界中に広がりを見せ始めました。これで子供たちは、自分の国に誇りを持ち、健全に育つことができるでしょうか。
 自国の歴史・伝統と文化をないがしろにした国の未来に「繁栄」はありません。子供たちのため、そしてこの国の未来のために、健全な歴史教育・公民教育が行われる環境を、私達と一緒に作っていきましょう。

 ここに謳われていることは、「歴史の真実」ではなく、「国の誇り」であり、「自国の歴史・伝統」である。1999年石原慎太郎が都知事となり、「石原教育行政」が始まった。都教委は、2001年に「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した扶桑社の歴史教科書と公民教科書を、都立養護学校(現特別支援学校)で採択した。公立学校での扶桑社版教科書採択はこれが全国で初めてのこと。都教委はその後、新設された都立の中高一貫校でも扶桑社の教科書を採択した。

そして、2003年石原都政2期目となって、悪名高い「10・23通達」が発出される。こうして、つくる会系教科書採択に引き続いて、「日の丸・君が代」強制が始まった。その後、「つくる会」の運動は離合集散を繰り返し、扶桑社版教科書は、その後継の育鵬社や自由社の教科書となっているが、都教委はその後掲教科書の採択を続けてきた。19年にもわたってのことである。その19年も続いた、「つくる会」系教科書採択が薄氷を踏む思いながらも終焉したのだ。

6人の教育委員の内、「つくる会」系教科書支持の委員が3人というのは、余りにも偏頗な構成。とは言え、去年まではもっと酷かったというわけだ。「日の丸・君が代」強制を続けてきた都教委は、少しは変わってきているのだろうか。希望的な観測も込めて、そう思いたい。

しかし、問題は東京にだけあるのではない。横浜市の教科書採択が8月4日に行われる。横浜市教委は育鵬社教科書を採択しているのだ。東京同様に逆転できるだろうか。育鵬社版を採択している大阪市、東大阪市も注目される。大阪府下で前回採択時に育鵬社教科書を採択した四條畷市、河内長野市で、今回は育鵬社教科書が不採択となったという報告もある。

安倍政権という存在が、「新しい歴史教科書をつくる会」や育鵬社・自由社を鼓舞してきた。あるいは、「つくる会」や育鵬社・自由社教科書が跋扈する世の中の空気が、安倍政権を長く支えてきたというべきだろうか。その育鵬社・自由社の衰退である。最初に「歴史修正主義教科書」に手を差し伸べた都教委の、その手が引っ込められたのだ。続く、都教委の変化に、また全国の動向に注目したい。

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