澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「思想・良心の自由」のためにたたかう人の存在意義

(2020年10月11日)

昨日(10月10日)の毎日新聞夕刊社会面左肩の記事で、「栃木税政連訴訟」が、先月末に有意義な控訴審和解に至ったことを初めて知った。毎日記事はかなりの長文で、訴訟と和解の意義を踏まえたものになっている。その書き出しは下記のとおり。

 「税理士会への加入に伴って政治団体『栃木県税理士政治連盟』の会員とされたのは、憲法が保障する思想・信条の自由の侵害にあたるとして、宇都宮市の税理士、秋元照夫氏(66)=関東信越税理士会栃木県連所属=が損害賠償などを求めた訴訟の控訴審は、東京高裁(村田渉裁判長)で和解が成立した。和解条項には栃木税政連が会員に関する規約の改正も含め協議することも盛り込まれており、他の税政連の動向にも影響する可能性がある。」

 税理士資格をもっているだけでは税理士業務はできない。税理士会に加入してその監督を受けなければならない。だから、税理士の秋元さんは、関東信越税理士会(宇都宮支部)に加入した。ところが、その強制加入の税理士会に加入したら、自分の意に反して自動的に政治団体「栃木県税理士政治連盟(栃税政)」に加入させられた。その会費の負担もある。自分の政治信条とは異なる政治活動に加担させられることにもなる。これは到底納得できることではない。

栃税政の規約は、「関東信越税理士会栃木県連(宇都宮支部を含む8支部の連合体)に所属する会員をもって組織する」と定めているという。自ら入会手続をして会員になるのではない。税理士が、自動的に政治団体に加入させられる仕組み。明らかに、税政連は「自動加入」をテコに組織強化を図ってきた。おそらくは、提訴前に交渉が重ねられたのだろうが、この規約が障碍となって結局は訴訟となった。通称、「(栃木)税政連訴訟」。「(栃木)政治団体強制入会訴訟と表示しているメディアもある。原告が秋元さん、被告が政治団体「栃木県税理士政治連盟」、係属裁判所は宇都宮地裁である。

この件に私は関わっていない。報道によるだけだが、「税政連訴訟」の提訴時の請求は、次の3点であった。
(1) 原告が被告の会員でないことの確認請求
(2) 会費の支払い義務がないことの確認請求
(3) 政党支部への寄付を行う栃税政の会員として扱われて、思想・信条の自由を違法に害されたことに対する慰謝料など110万円の損害賠償請求

これに対して、被告は(1)(2)については、一審の審理の過程で認諾(請求を認めてその部分の訴訟を終了させること)したという。この点だけでも、秋元さんの勝利と言ってよい。残る損害賠償請求についての判決が本年(2020年)2月5日、宇都宮地裁で言い渡された。伊良原恵吾裁判長の判決は、秋元さんの請求を棄却した。

棄却判決ではあるが、判示の内容は、「原告は(税政連に)入会の意思を明らかにしたことはなく、法的には会員でない。にもかかわらず被告は事実上会員として扱った。」「税理士登録をした1983年から会費振込用紙の送付が止まった2014年まで事実上、会員として扱われたことについて『思想・良心の自由を害すると言えないわけではない』」としつつも、強制や不利益を伴うとまでは言えない」「強制や不利益の付与を伴うものでない限り、他者の行為を許容すべき」と、よくわからないものだった。

秋元さんは判決後に記者会見を開いて「大筋では勝った。ただ、この判決では政治団体が会員でない人を会員とみなしてもいいとなってしまうのは納得がいかない」とし、東京高裁に控訴。そしてこのほど、高裁の和解提案を受け、9月29日付で双方が和解に合意したという。秋元さんが、栃木税政連会員ではないと確認し、栃木税政連が「県連に所属する会員をもって組織する」との規約について改正を含め協議することも和解条項に盛り込まれ、秋元さんは「規約が改正されるなら第一歩だ」と話しているという。

人が人であるために、自分が自分であるためには、「思想・良心の自由」の保障が絶対に必要である。まことに、人はパンのみにて生くる存在ではないのだ。

しかし、この「思想・良心の自由」は、自然に実現するものではない。常に、「思想・良心の自由」を阻むものとの闘いによって、勝ち取り続けねばならない。それが、歴史の教えるところである。「思想・良心の自由」を阻むものの筆頭は、言うまでもなく、国家である。

戦前の天皇制国家は、「臣民」に対して、操り人形に過ぎない天皇を神聖なものと信じ込ませようとした。壮大なマインドコントロールである。驚くべきことに、この荒唐無稽な企ては、半ば成功した。理性をもった少数の人々は、天皇の神聖性をバカげたものとして苛酷な弾圧を受けたが、多くの人々が神なる天皇のしろしめすこの神国に命を捧げてもよいとまで、思うようになった。つまり、国民の思想・良心の自由は蹂躙されて精神の内奥まで支配された。いまだに、天皇や皇室の存在をありがたいもの、神聖なものとする残滓が拭えない。

「思想・良心の自由」を阻むものは、ひとり国家だけではない。相対的な社会的強者は弱者の思想・良心の自由を侵害する。企業・諸団体・政党・労組・学校・地域・町内会等々の「中間組織」は、往々にして成員の思想・良心の自由を侵害する。栃木税政連事件はその典型ではあるが決して稀有な事例ではない。

誰かが常に問題を提起し、果敢にたたかうことによってのみ、この社会における「個人の尊厳」も「思想・良心の自由」も、社会に確固たるものとして根付き、拡大していくことになる。

そのような問題提起をし果敢にたたかって、立派に志を貫かれた秋元照夫さんに、敬意を表したい。

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