澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

内閣総理大臣に、学術会議推薦の会員任命を拒否する裁量はない。説明責任を免れる根拠もない。

(2020年10月28日)
臨時国会は、本日からスガ総理に対する代表質問の始まりである。これを報じる主要各紙の見出しは、首相答弁が学術会議新会員任命拒否の理由を説明していないことに、最大の関心を寄せている。もっとも、何かしら理由を語ったとの印象を与える見出しの記事もある。

 首相、学術会議の任命理由「答え差し控える」 代表質問(朝日)
 学術会議、人選見直し必要=任命拒否の理由明かさず―代表質問で菅首相(時事)
 菅首相、任命拒否「私が判断 変更しない」 学術会議問題で初論戦(東京)
 菅首相、就任後初の代表質問 学術会議「多様性確保で判断」(産経)

代表質問トップバッター、立憲・枝野幸男の質問は気合い十分だった。学術会議問題だけでなく、スガの貧弱な国家観を衝いて、自らの政治の理想を語った。明確に「新自由主義」を非難して、「共生」の理念を語ったことが印象的だった。これに対するスガの答弁の貧しさは、これが我が国の首相の言かと恥ずかしいほどに貧相なものだった。与党の議員は、スガ答弁を何と聞いたろう。

枝野は、任命を拒否された学術会議会員候補6名について、「総理自身の判断ではないのか。誰がどんな資料や基準をもとに判断したのか。任命しなかった理由は何なのか」と切り込み、その上で「一刻も早く6名を任命して、違法状態を解消する以外、この問題の解決はあり得ません」と強調した

これに対するスガ答弁に新しいものはなかった。
 まずは、「憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利と規定している」「だから、必ず推薦通りに任命しなければならないわけではない」。これが「内閣法制局の了解を得た政府としての一貫した考え」。

 その上で、「個々人の任命の理由については人事に関することで答えを差し控える」と改めて説明拒否を正当化した。

 さらに、任命にあたり「総合的・俯瞰的な活動、すなわち、専門分野にとらわれない広い視野にたってバランスのとれた活動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきということ、さらにいえば、たとえば若手が少なく、出身や大学にも偏らないことも踏まえて多様性を念頭に、私が任命権者として判断を行ったものだ」とした。

詰まるところは、任命拒否の理由は以下のA・B・Cである。
(憲法15条1項を論拠とする任命義務否定論)
(人事問題だからとする、説明責任免責論)
(総合的・俯瞰的な諸理由)

この問題が表面化したのは10月1日。以来、官邸官僚は、どう辻褄を合わせるか知恵を絞ってきたはずである。そして、最も注目される場で、この程度のことしか言えなかった。おそらく今後は、このABCをめぐる論争に集約されることになる。注意すべきは、このABCとも、スガ側の防御線だということだ。防御線には後がない、破られれば総崩れだ。

(憲法15条1項を論拠とする任命義務否定論)は、「全ての公務員人事には、内閣総理大臣の任命諾否の自由な裁量にまかされている」という、粗雑で幼稚な議論である。「国民固有の権利」は、決して、そのままに「内閣総理大臣固有の権利」ではないのだ。法が定めるそれぞれの公務員の在り方によって、総理大臣の裁量がある場合もあればない場合もある。当然のことだ。スガは「内閣法制局の了解」があると言い添えたが、片腹痛い。アベ政権下で、トップの人事を入れ替えられて、集団的自衛権を合憲化する解釈変更を容認した、あの醜態を天下にさらした内閣法制局である。今や、何の権威付けにもならない。

(人事問題だからとする、説明責任免責論)は、実は何の根拠もない。床屋談義のレベルの主張と言って差し支えない。曲がりなりにも、Aについては、憲法15条が引用されていたが、Bについては、憲法や法律上の根拠として示されていいるものはない。「個々人の任命拒否の理由」について、「人事に関することだから説明責任は免除」という理屈はあり得ないのだ。公務員人事が、政権の恣意に任されてよいはずはない。しかも、これまでの法解釈を一方的に変更しての任命拒否である。説明責任を負うべきが当然である。仮に、プライバシーに関する理由があるとすれば、少なくも本人には説明しなければならない。民主主義の根幹を揺るがすほどの行政の行為に説明責任の放棄を許してはならない。

(総合的・俯瞰的な諸理由)とは、いずれも、取って付けたごとくの枝葉の議論に過ぎない。
C1 「国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべき」とは、なんたる傲慢、なんたる屁理屈。むしろ、「法にもとづいて国の予算を投じる機関の任命人事には、法の趣旨を正確に生かして恣意を許さず、透明性を確保することを通じて、国民に理解される政権であるべき」と反省するべきなのだ。

C2 「たとえば若手が少なく、出身や大学にも偏らないことも踏まえて多様性を念頭に判断」は、任命拒否に論理的に結びつかない。理由らしい理由となっていないのだ。後付けの理屈だが、この程度のことしか言えないと言うことに意味がある。また、この理由を朗読したスガは明らかに法に目を通していない。日本学術会議法17条は、「日本学術会議は、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考…」と明記する。会員候補の選考基準は、「優れた研究又は業績がある科学者」のみであってほかはない。スガは、敢えて違法な選考基準を持ち出している。何かしゃべれば、違法を積み重ねることになるのだ。

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