コロナをめぐっての、権力と経済と人権の三すくみ。
(2020年11月20日)
さすがはIOC会長、バッハは偉大である。プライベートジェットで日本にコロナの第3波を運んできた。これは、常人のできることではない。そう言いたくなるほどのタイミングでのコロナの拡大。あらためて、オリンピックどころではないコロナの蔓延状況を意識することになった。オリンピック準備の無駄なカネや人手があれば、コロナ対策にまわすべきではないか。世界の感染状況を見渡しても、来夏の東京オリンピックは、無理だろう。早めに断念するしかない。
バッハが、コロナ蔓延の危険を押して東京五輪開催にこだわっているのは、ひとえに経済的理由である。東京オリンピックとは経済利権のイベントであり、巨大な儲けのタネなのだ。もちろん、財界はコロナ蔓延抑制よりは、経済優先である。
バッハは、菅や小池の尻を叩いて、東京オリンピックをやらせようと躍起である。これは、経済の立場から、国家を利用しようという魂胆の表れ。経済の立場とは、財界の立場ということ。
しかし、コロナに怯える生活者の立場は、経済活動よりはまずは、生命と生活の安全・安心を求める。これが、国民の立場。その権利性を明確にすれば、人権の立場にほかならない。人権は、国家に安全を求め、さらには国家に生活の補償を求めることになる。
権力(国家)は、経済(財界)と人権(国民)との間で、揺れ動く。国民に自粛を呼びかけながらも、「go to 何とか」を断乎やろうというのだ。
コロナ蔓延の初期、今年(2020年)3月にインフル特措法が改正されてコロナが同法に取り込まれたときのこと。安倍政権は権力を振るいたいに違いない、そう身構えた。コロナを口実に、国民にも財界にも、権力のなし得ることを誇示するだろうと。しかし、その後の事態は必ずしもそうではない。むしろ、政権は強権を誇るよりは、強権発動に臆病であるように見える。これをどう評価すべきだろうか。
A 権力(国家)と、B 経済(財界)と、C 人権(国民)との三角形ABCは、互いに緊張関係をもって対峙しつつも、依存関係にもある。今のところ、この三角形は正常を保っていると言えるのではないか。
この三角形がいびつに崩れると、肥大したAが、Cを圧迫する。そのとき、BはAの側について、(A+B)がCを圧迫し収奪することになろう。望ましくは、(B+C)が正常な関係を保ちつつ、常にAを警戒し牽制する三角形を維持することである。
こしゃくな
小池が
コロナで
小細工
こじつけの
言葉遊びを
こね回し