民族の伝統だ。大和魂だ。コロナに打ち勝って東京五輪をやり抜くぞ!
(2021年4月15日)
東京五輪は国策だ。しこたま金もかけている。これからがいよいよ儲けの本番だ。何が何でも東京五輪は断行だ。断じて行えば鬼神もこれを避く。必ずカミカゼが吹く。
政権浮揚と無能都政挽回に千載一遇のチャンスだ。だからオリパラ中止はあり得ない。聖火リレーも始めたんだ。感動の大安売りだ。さあ、一億火の玉となってオリンピックに邁進だ。
汚染水も新型コロナも、全てはアンダーコントロールだ。閣議決定でなんでも決められるんだから、心配することはない。アベの遺産を継承して突っ走るだけなのだ。
日本民族の歴史と文化と伝統だ。いったん走り始めたら方向転換はもう無理だ。精神力が全てだぞ。撃ちてし止まんの精神だ。大和魂でコロナを退散させるのだ。人類がコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪を実現するぞ。掛け声だけでも勇ましく。
東京五輪開幕まで100日を切った。コロナの蔓延は拡大の一途である。新規感染者の伸びは想定を超える厳しさ。五輪開催に「赤信号」がともりかねない深刻な事態。だが、政権も都政も、新型コロナウイルス対策に万全を期すとして、「安全・安心な大会」を実現させる目標を堅持する。「五輪中止」は念頭にないようだ。少なくとも表向きは。
そんなスガ・コイケの醸しだす空気とは、まったく次元を異にする本日の二階俊博発言である。東京五輪開催についての、「無理ならすぱっとやめないといけない」という、この言葉が日本中を駆け巡った。
どんなに、留保や条件を付けたと言ってみても、政権や都政がこれまで言ってきたこととは、まったく異なるのだ。「すぱっとやめないと」は、大きな衝撃である。世人は、「やっぱり、政権与党も本心ではオリンピック中止やむなしと考えているんだ」と受けとめた。
二階発言の正確な内容は、TBS(CS)の番組に出演して「五輪開催でコロナの感染拡大を懸念する声がある」と記者から問われて、「これ以上とても無理だということだったら、スパッとやめないといけない。五輪で感染をまん延させると、何のための五輪か分からない」と述べ、さらに中止の選択肢があるかを問われると「当然だ」と述べたというもの。
もちろん、二階は同じ番組内で「五輪を盛り上げることが日本にとって大事だ。大きなチャンスだ。成功させたい」とも述べている。だから、「すぱっとやめないと」部分の独り歩きは本意ではないと言いたいようだ。番組終了の直後に、「ぜひ成功させたいという思い。何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催するかと問われれば、それは違うという意味で述べた」と釈明したが、意味のある釈明にはなっていない。
自民党や政権に「ぜひ東京五輪を成功させたいという思い」があることは周知の事実で、今さら語るにも聞くにも値しない。国民の多くが、菅政権や小池都政は、「何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催する」意気込みなのだと考えざるを得ない印象を与えるなかで、「それは違う」という二階の発言が新鮮で衝撃だったのだ。延期された東京五輪の中止も現実的な選択肢なのだ。
既に深刻なコロナ蔓延の事態が現実化している。この事態において、「無理ならすぱっとやめないといけない」「何が何でもオリ・パラを開催するかと問われれば、それは違う」と述べられれば、中止を含意する発言と受けとめられて当然なのだ。
加藤勝信官房長官は、二階発言の火消しに躍起となった。が、火の勢いは止められない。何しろ「政府としては東京五輪の開催に向け、必要な対策を具体的に進めている」と言うだけなのだ。国民誰もが、「政府のコロナ対策はまったく有効になっていない」と思っている。加藤弁明はまったく迫力に欠ける。
また、加藤は「国民が東京大会を受け入れられると思っていただけることが重要で、最大の課題は新型コロナウイルス対策である」としたうえ、組織委や東京都などに政府も加わって作成されたコロナ対策調整会議で作成された中間取りまとめをもとに、さらに検討が進められていると強調。「必要な対策をさらに具体的に進めているところだ」とも語ったとほうじられている。なんという具体性に乏しい、なんという説得力のない発言。このくらいのことしか語り得ないのだ。
コロナ対策への専念か、それとも五輪の強行か。それを決めるものは民意である。理性に基づく民意は、東京五輪の実現を既に非現実的なものとしている。東京オリパラは、もはや中止しかない。