澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「日本維新の会」の古くささ

私の故郷岩手の郷土史家のリーダー格に、森嘉兵衛という岩手大学教授がいた。三閉伊大一揆の研究で名高い。

その人の厖大な著作の中に、「維新か復古か」という読み物がある。幕末・維新期における南部藩の内情をほぼ100頁にまとめたもの。紹介したいのは、その冒頭に掲げられた、森氏自身の作と思われる詩(らしきもの)。以下はその抜粋。

「士・農・工・商」
差別の時代は過ぎ去った

「広く会議を興し万機公論に決すべし」
「四民平等」
確かに差別の世界は
過ぎ去ったはずである

「上・下」「官武・庶民」
みなひとつになるというが
新しい差別が
また始まるのではないか

いや われわれは
「旧来の陋習を破り
天地の公道に基づく」のだ

「天地の公道」とはなんだろう
「知識を世界に求め
大に皇基を振起する」ことである

しかし
知識を世界に求めることは維新だが
大に皇基を振起することは
復古ではないか

維新とはすべてこれ改むることであるが
復古とは古に復することである

維新とは差別をなくすることだが
復古とは新しい差別を立てることではないか

森氏は、「維新」の中に「復古」をみている。そして復古の中の新しい差別を見とがめている。「維新」とは進歩だ。人を身分制度の束縛から解き放ち平等にすることだ。ところが、実は「大いに皇基を振起する」という中間項を媒介に、維新は「復古」の毒をもつものとなったのではないか。「復古」とは、新しい差別なのだ。

「日本維新の会」なるものが、この森氏の指摘にピタリである。
「維新」とは「これあらたむる」ことであるから、これまでにない新しいものの如くである。しかし、それはイメージだけで実は古くさいことこの上ない。看板は革新であり進歩であるが、実態は「復古」そのもの。しかも、この復古は毒性が強い。

維新の会の綱領というものが発表された。
第1項が、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」というもの。

ここで語られるのは、なによりも日本・国家・民族であって国民ではない。しかも、平和を「非現実的な共同幻想」とし、日本国憲法を占領憲法と侮蔑する。

さらに見よ。新自由主義政策のオンパレードを。
「自立する個人、自立する地域、自立する国家を実現する。
 政府の過剰な関与を見直し、自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする。
公助がもたらす既得権を排除し、政府は真の弱者支援に徹する。
既得権益と闘う成長戦略により、産業構造の転換と労働市場の流動化を図る」

明治「維新」が「皇基の振起」を中間項として「復古」に傾いて新しい差別を作りだしたごとく、日本「維新」の会は、「極端な新自由主義」を中間項として「復古」に傾き、新しい格差と貧困を作りだそうとしている。

公助の制限、道州制、労働市場の流動化‥いずれも経済的な強者の要求である。そして極めつけが、憲法と平和への剥き出しの敵意。

「橋下・維新の会」と「石原・立ち上がれ」との醜悪な合流は、一見「維新」と「復古」との奇妙な融合に見える。しかし、「維新」それ自体が「復古」の要素強く、新自由主義も国家主義も、反平和主義・反人権の立ち場で共通し、改憲要求で一致できるのだ。

いま、森嘉兵衛ありせば、語るであろう。
「本来の維新とは人と人との差別をなくすることだが
『日本維新の会』はすべての分野に競争を持ち込み
勝者と敗者の新しい差別を立ようとしている
そのような政策は維新というに値しない
『日本復古の会』と改称すべきだろう」

 
もう一つエッセイをサービス
  『何という国だ』
 少子化少子化と騒いでいる。騒いでいるけど政府は本気で対策など立てようとしてはいない。
 給料はどんどん下がって、夫婦共働きしなければ、まともな生活は出来ない。労働基準法無視のブラック企業がふえて、残業はさせるは残業代は踏み倒すわ。文句言いたくても、護ってくれる組合はない。これでは子供などつくれるはずがない。何とか、工夫、やり繰りして玉のような赤ちゃんを授かったとしても、今度は安心して預けられる保育園がない。安倍首相は唐突に、待機児童はなくすと言い出したけれど、「認可保育園」を増やすとは言っていない。保育条件が悪く保育料が高ければ、親は安心して子供を預けて働けない。すくすく育って、やっと学校へ入れば、いじめ問題、体罰問題が待ち受けていて、最悪の場合は子供が自殺しかねない。受験のために学校とは別に、塾や習い事にもやらなければならない。お金がかかる。親は必死に働かなければならない。
 めでたく大学に入学できても、5割ほどの学生は奨学金のお世話にならなければやっていけない。授業料(学部によってばらつきはあるが、初年度だけで、国立で82万円弱、私立で131万円強)がたかいし、くわえて下宿生なら生活費がかかる。授業料の免除はほぼ無いし、奨学金は給付ではない。だから、大学を出たときには700万円もの借金を背負ってしまうことさえある。「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書)のなかに、「アメリカの大学生が借金漬けだ」と書いてあって驚いたが、5年遅れて日本の大学生が同じ苦境に立たされている。そのうえ就職難が待っている。今年は内定者8割などと厚労省の発表(3月15日)があったが(この数字はにわかには信じられないけれど)、内定していない8万人は今どうしているのだろうか。大学3年生の時から就職活動に神経をすり減らし、その費用の捻出にも苦しむ。「就活」自殺者が増えているようだ。たとえ就職できても、全労働者の3分の1は非正規雇用だ。就職してすぐに退職するするものも多い。ブラック企業の罠もある。過労自殺させられてしまう。15歳から34歳の若い世代で死因の第一位が自殺だということは驚くべき事実だ。青春ではなくて黒春だ。
 大人だって、アベノミクスで景気が良くなるなどと楽観している場合ではない。株が上がるといってもあなたの株ではない。土地が上がるといっても、売っちゃえば住む処が無くなる。固定資産税だけが確実に上がる。親が亡くなって相続税が払えない、ここで商売続けられないと泣いたのを忘れたか。
 老人だって、インフレになれば実質的に年金は切り下げだ。物価と消費税は確実に上がる。
 なんだか春なのにお先真っ暗。
(2013年4月22日)

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Published in 月曜日, 4月 22nd, 2013, at 22:46, and filed under 未分類.

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