「対テロ戦争20年」はいったい何だったのか。
(2021年9月11日)
9・11の衝撃から、今日でちょうど20年。あの同時多発テロ事件とは何だったのか。そして、「対テロ戦争」とは。単純にまとめ切れないが、「平和新聞」(9月5日号)の特集記事に、9・11に引き続くアフガン戦争に限定してのことではあるが、宮田律(現代イスラム研究センター理事長)と、谷山博史(日本国際ホランティアセンター(JVC)顧問)という著名な二人が解説している。この意見に賛意を表しつつ、以下の示唆に富む解説を引用する。
宮田律は、現地の混乱の温床を「貧困」とし、人々は貧困ゆえに戦っているととらえて、米英流の「対テロ戦争」では、事態を解決しえないことを説く。
アフガニスタン南部のカンダハルを訪れた時、政府軍兵士の若者とタリバン兵の若者が仲良くしている場面に出くわしました。
その若者たちは、その時の形勢や給料の多寡を見ながら、政府軍に入るかタリバンに入るかを決めているようでした。彼らは生活のために戦っていました。ペシャワル会の中村哲さんも言っていましたが、普通に仕事をして食べられるようになれば、若者たちは命まで懸けて戦う必要はなくなります。だから中村さんは、用水路を掘って農業ができるようにしようとしたのです。
「テロとの戦い」は、そもそも武力でテロをなくするという発想自体が間違いでした。米国も途中から武力だけでは駄目だと気付いて復興支援にも力を入れるようになりましたが、空爆などで破壊を続けながらの復興支援では成果を上げることはできませんでした。
支援の中身も、一方的にモノやカネをばら撒くだけで、中村さんのように住民の目線に立った支援ではありませんでした。米国はアフガニスタン政府にも莫大な復興資金を注ぎ込みましたか、その多くは旧政権の高官たちの懐に消え、アフガニスタンの人々の貧困を改善することができませんでした。それが、米国が失敗した最大の要因と思います。
では米軍が撤退したアフガニスタンの混沌たる事態に、これからどう対処すべきか。谷山博史が、具体的なエピソードを挙げつつ、こう語っている。
タリバンを「極悪非道な連中」と決めつけて対話の扉を閉ざすことは、かえってタリバン政権を強硬な路線に追いやることになりかねません。国際社会も、早くタリバンと交渉のチャンネルを作って、対話を始るべきです。
それを仲介できる立場にいるのが、日本です。タリバンは、日本を他の欧米諸国とは違うと見ています。
なぜなら、主要諸国の中で日本だけがアフガニスタン本土に軍隊を派遣せず、一人のタリバン兵もアフガニスタンの市民も殺していないからです。
そういう日本が国際社会とタリバンとの対話をリードしていくことは、軍事一辺倒の安全保障とは違う道があるということを改めて確認する意味があると思います。
まったくその通りだと思う。人々の生活の安定と平和とは緊密に結びついた課題となっている。テロの温床である貧困をなくすことが平和への第一歩であって、対テロ戦争と称して、武力での制圧を図ることは、貧困と貧困ゆえの戦闘員を再生産して、負のスパイラルに陥ることになる。アフガニスタンの20年は、その実証に費やされた。
反射的に、9・11同時多発テロへの報復として米国が始めた戦争は、結局は世界中にテロを拡散し、人々の米国への憎悪を再生産した。米国はアフガニスタンを混乱させただけで、軍を完全撤退させた。「対テロ戦争」の手痛い失敗をさらけ出したのだ。武力でテロを制圧することはできない。テロに走らざるを得ない現地の土壌を改善する以外に方法はない。
国民の経済的安定が平和主義の土台でもあるということ。日本国憲法に則っての表現をすれば、25条の実効化が9条遵守につながることになる。多大の犠牲を払って得たこの貴重な教訓である。国の内・外に活かしたい。