75年前に三笠宮(崇仁)が語った女性天皇時期尚早論
(2021年11月11日)
昨日に続いて、裕仁の末弟・三笠宮(崇仁)の「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」(1946年11月3日、新憲法公布の日)からの引用である。「女帝について」と表題した個所。当然に彼は女帝容認論かと思う向きもあろうが、さに非ず。ややねじれている。
下記に【D】とあるのは、憲法14条に記載の「すべて国民は法の下に平等であつて人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係において差別されないこと」である。これでは煩瑣なので、【D】に「両性の平等」を代入して読んでいただけば、意味を損ねない。
「先づ問題になるのは女帝を認めないことと【D】との関係であらう。純粋に【D】を解釈すればどうしても女帝を認めねばならぬ。しかし之については私は現在としては政府案で結構と考へる。その理由として法律論でない実際論から一つだけ述べておく。今の女子皇族は自主独立的でなく男子皇族の後に唯追随する様にしつけられてゐる。之は決して御本人の罪ではなく周囲が悪いのであるが之では仮令象徴でも今急に全国民の矢表に立たれるのは不可能でもあり全くお気の毒でもある。其の上天皇を補佐すべき各大臣が皆男子である。従つて当分女帝は無理と思はれるが何と考へても【D】は全世界に共通の傾向であり今や婦人代議士も出るし将来女の大臣が出るのは必定であつて内閣総理大臣にも女子がたまにはなる様な時代になり、一方今後男女共学の教育を受けた女子皇族が母となつて教育された女子皇族の時代になれば女子皇族の個性も男子皇族とだんだん接近して来るであらうからその時代になれば今一応女帝の問題も再研討せられて然るべきかと考へられる。」
これを素材にいろんな議論が出来そうである。これと真逆なのが、憲法学者・故奥平康弘の「『萬世一系』の研究」(岩波書店)に紹介されている、1882年当時の有力紙・東京横浜毎日新聞が掲載した「女帝を立(たつ)るの可否」の議論。その中に、「立憲主義国では平凡な君主で構わないから女性でも務まろう」という立論があったという。「立憲主義国では平凡な君主で構わない」までは卓見だが、「女性でも務まろう」がいただけない。
三笠宮、今あれば、女性天皇問題にどう発言するだろうか。案外、「仮令象徴でも全国民の矢表に立たれるのは、男でも女でも負担が大きく全くお気の毒でもある。象徴天皇制そのものを廃止してはどうか」と言うのではないだろうか。
この議論を上手にまとめた、ある行政書士さんのブログに、子どもにも分かるようにと、こう記されている。
「天皇に女性がなること」 について…
日本では昔から
あーでもない、こーでもないと
議論が続けられてきた歴史がある。
少なからず、そこには
“男尊女卑”(だんそんじょひ)
という考え方があった。海外では、
英国のエリザベス女王をはじめ
女帝が君臨する例もあったが
日本では、明治憲法で、
天皇を男性に限定していた。
昭和時代に制定された 現在の憲法である
日本国憲法では条文上は、世襲とされ 男性には限定していない。
なぜなら、新憲法では 「法の下の平等」
つまり、「男女平等」を 原則としているから。天皇家・皇族にも
自由や人権があって当然である。では、日本の天皇制は どうあるべきか?
個人の尊重
男女平等
人権、民主主義…
全て踏まえて 考えていく必要がある。
この文章は、《日本国憲法の趣旨を正確に踏まえるなら、女性天皇容認論が結論とならざるを得ない》という論旨。それも一理であろうが、果たしてそうだろうか。本当に正確に憲法の理念を把握するなら、天皇制そのものが、個人の尊重・人間の平等・人権・民主主義…に背馳するものではないか。女性天皇も、天皇である以上、差別構造の上にしか成立し得ない。
天皇制の存在は憲法の容認するところだが、世襲の天皇の血統が絶えれば、天皇制はなくなる。言わば自然死することになる。女性天皇の拒否は、天皇制の自然死への道として歓迎すべきことではないだろうか。