澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

三笠宮(崇仁)の《天皇皇族・籠の鳥》論。

(2021年11月10日)
 大正天皇(嘉仁)には4人の男子があった。長男が昭和天皇(裕仁)で、裕仁の末弟が三笠宮(崇仁)である。オリエント史学者として知られた人だが、リベラルで硬骨な発言者でもあった。

 その三笠宮が、1946年11月3日の「新憲法公布記念日」に、「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」という私案を発表している。今読んでも興味深い内容。

 この中で、最もよく知られ、よく引用されるのは、皇族の結婚に関しての下記の一文。
 <種馬か種牛を交配する様に本人同士の情愛には全く無関心で(中略)人を無理に押しつけたものである。之(これ)が為(ため)どんなに若い純情な皇族が人知れず血の涙を流し(中略)たことであらうか>

 しかし、この部分的抜粋では三笠宮も不本意であろう。「皇族の婚姻」と表題された節の全文を引用しておきたい。この口調の激しさには、驚かざるを得ない。

(4)皇族の婚姻
 「私は皇族の婚姻を皇室会議にかける案には抗議を申込む。勅許も削除したい。新民法(案)では婚姻に親の同意さへ必要としなくなつた。当然皇族も同様に取扱はるべきである。皇族だけこの自由を認めないのは皇族の人格に対する侮辱である。抑、物事を会議にかけるといふことは常に可決を期待するのでなく否決あるを予期しての話である。愛といふものは絶対に第三者には理解出来ないし、又理論でも片付けられないものである。婚姻が不成立の場合でもその原因が当事者のどちらか一方の反対による時には仮令片方の愛が強くても「愛する相手の自由意志を尊重することこそ、即ち相手を最も愛することだ」といつたあきらめも出来るが、それが第三者の而も会議といふ甚だ冷い無情な方法で否決されたら決して承知出来るものではなく、寧ろ反抗心を燃え立たすばかりで、下手をすると其の本人の一生をあやまらせる原因となるかもしれない。さういふと「でも其の婚姻の相手が皇族たるにふさはしくない者だつたら困る」といふ人が出てくるであらうが私はそれはその皇族に対する小さい時からの性問題に関する教育なり指導なりが悪かつた最後の結果で、そこ迄に立至つてから結婚して悪いの何のと言ふのは既に手遅れであることを強調したい。従来の皇族に対する性教育はなつて居なかつた。さうしていざとなつてから宛も種馬か種牛を交配する様に本人同志の情愛には全く無関心で家柄とか成績とかが無難で関係者に批難の矢の向かない様な人を無理に押しつけたものである。之が為どんなに若い純情な皇族が人知れず血の涙を流し果は生死の境をさ迷ふたことであらうか?私は言ふ。皇室典範で「皇族の婚姻に判定を必要とする」と書くのはまるで「皇族が物品を取得する時は正当に買つたのか、盗んだのか裁判する」と書くのと同じであると。しかも之からの皇族は小さい時から男女共学となり、指導に依つては立派に自分自身で皇族の配偶者としてふさはしい立派な人を選び得るのであるから何卒若い皇族の純情を最後の関門でふみにじらない様に心からお願ひする。若しどうしても皇族に信用がない場合でも親たる皇族の同意に止めたいものである。」

 これは、新憲法(24条)が「婚姻を両性の合意のみで成立する」とし、戦後の新民法が家制度を解体して新憲法に沿った婚姻制度を作ったことに鑑みて、皇族の婚姻を皇室会議の同意を条件とするのは差別ではないかという、皇族の側からの異議である。

 この差別を解消するには、差別を甘受しなければならない皇族をなくすに越したことはない。天皇制と家制度は、家父長制として密接につながっているのだから、天皇制を残したままの家制度の廃止は、中途半端で画竜点睛を欠くものだった。

 しかし、三笠宮も「天皇制を解体せよ」とまでは言わない。同じ「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」の冒頭、「はしがき」で、こんなことを述べている。

 「終戦以来今迄世間での皇室に関する議論を見聞するのに之を富士山の議論にたとへて言へば皆遠くから富士山を眺め時としては頭だけ見て或は雲のかゝつた所を見ての議論が多く、せいぜい近くても御殿場あたりから見た程度で中腹なり頂上から見た富士山論が殆んどない。唯私の記憶に残つてゐるものでは民衆新聞社長の小野氏の「天皇は籠の鳥で窮屈でお気の毒だから天皇制を止めた方がよい」といふ議論である。之は私には非常にピンと響いた。何故ならば私は約三十年間此の籠について考へ続けて居るのだから。と言つて私が此の議論に賛成といふのでは絶対にない。全国民の為否世界全人類の為にほんとうに役立つならどんな狭い籠の中でも我慢をせねばならぬのだ。」

 興味深いのは、三笠宮は「籠の鳥で窮屈」を否定していないことだ。むしろ、肯定して我慢を要求している。三笠宮は本心から「天皇制の存置が、全国民の為、世界全人類の為にほんとうに役立つことになる」と考えて、享年100までを「狭い籠の中で窮屈を我慢し」て皇族として生きたのだろうか。だとすれば、「お気の毒な」生涯であったというしかない。

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Published in 水曜日, 11月 10th, 2021, at 19:14, and filed under 天皇制.

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