今年は、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第197弾
(2022年1月4日)
暮に所用あって上野に一度、銀座に一度外出の機会があった。驚いたのは、そのときの人混み。どこもかしこもマスクをした人々の、密・密・密である。怖じ気づいて、正月三が日はこもりっきりであった。これから来るであろう第6波が恐ろしい。
それでも、正月である。人並みに、今年の希望や抱負も語らねばならないところだが、さして元気が出ない。弁護士として受任した仕事を、丁寧に誠実にやり遂げること、という当たり前のこと以上にはさしたるものはない。
強いて抱負らしいものを挙げれば、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい。スラップというものの害悪と、この害悪をもたらした者の責任を明確にし、スラップを警戒する世論を高めるとともに、スラップ防止の方策までを考えたい。これは、私の責務である。
そして、当ブログを書き続ける。来年の3月末で、このブログは連載開始以来満10年となる。2023年3月31日に「自分で祝する、10年間毎日連続更新達成」の表題で記事を掲載するまで多分書き続ける。これは執念である。
DHC・吉田嘉明以外にも、このブログにはこれまで複数のクレームを経験している。当ブログに市井の庶民からの苦情はあり得ないが、私の批判が目障り耳障りという様々な人はいるのだ。そのためにこそ、このブロクを書き続ける意味はある。
もっとも、毎回長文に過ぎるという批判を頂戴し続けてきた。今年こそは、短く読み易く、分かり易く、鋭い記事を書きたいもの。
今年のブログのテーマは、何よりも国会内外における改憲策動と阻止運動の動きが中心とならざるを得ないが、その次には沖縄に注目したい。復帰50年である。そして知事選。辺野古新基地建設継続の可否も正念場となろう。既に、米軍基地からのコロナ感染が話題となっている。その県民の怒りの中での名護市長選が間近である。今年の沖縄には目が離せない。
そして中国である。2月には北京冬季五輪が開催される。ナチス・ドイツ以来の大々的な国威発揚オリンピックとなることだろう。そして、IOCが商業主義の立場からこれに迎合する醜悪な事態となることが予想される。
今秋には、「中国共産党第20回大会」が開催される。党結成100周年で20回目となる。党規約上5年に1度の党大会だが、文革期には13年も開催されなかったこともあるという。今回の党大会が注目されるのは、習近平独裁体制の確立という点である。
「18年の憲法改正で、2期10年までとされていた国家主席の任期制限を撤廃。総書記に任期制限はないため、不文律の「68歳定年」さえ破れば、習氏は来年以降も最高指導者の地位を保つことができる。(時事)」というのが、メディアの解説。習はこの大会で、異例の総書記三選を果たすことになるだろうというのが、報じられているところ。この独裁、ブレーキの利かないものになりはしまいか。
中国共産党政治理論誌「求是」が新年に、昨年11月の習近平演説の内容を明らかにした。習は、1989年の天安門事件について「深刻な政治的動乱に対する断固たる措置で党と国家の生死と存亡がかかる戦いに勝利した」と評価し、天安門事件を朝鮮戦争と同じ国家の危機だったとして事態を収拾できなければ「中華民族の偉大な復興の過程も絶たれていた」とまで述べたという。
この演説は天安門上から、広場の群衆を見下ろす形で行われた。30年前に、民主化を求める多くの人々が犠牲になった場所である。そこで、習は民主主義を求める民衆への弾圧を「戦いに勝利」と言ったのだ。「戦い」の相手は丸腰だ。武器を持たない、市民と学生。これに銃を向け発砲したことを、「やむを得なかった」「忸怩たる思い」「胸が痛む」と言わずに、「戦いの偉大な成果」としてあらためて誇った。
偉大な党の統制に服さない市民には同様に銃を向けるという宣言以外のなにものでもない。恐るべき大国の恐るべき指導者による、恐るべき姿勢。これが、当分続くことになるのだ。