澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

カビの生えた福沢の、カビの生えた帝室論を、後生大事のアナクロニズム

(2022年1月17日)
 山田孝男という記者がいる。毎日新聞を代表する大記者だそうだ。今は、特別編集委員という肩書で、毎週月曜日の朝刊に「風知草」というコラムを書いている。

 大記者だけあって、政権とのつながりは密接のようだ。リテラによれば、安倍晋三との会食の常連だったようだ。たとえば、以下のように田崎史郎と並ぶさすがの存在。もちろん、大記者のこと、これだけではあるまいが。

●秘密保護法成立後の13年12月16日
場所=東京・山王パークタワー内中国料理店「溜池山王聘珍樓」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

●集団的自衛権行使容認の検討を公式に表明した14年5月15日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、島田敏男「NHK」政治解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

●衆議院選が行われた14年12月14日の翌々日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、石川一郎「日本経済新聞」常務、島田敏男「NHK」政治解説委員、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

 毎日新聞にはふさわしからぬ保守色濃厚なこの人が、本日の朝刊コラムに、「皇位・政治・世論」の表題で、皇位継承問題に触れている。いかにももっともらしくて、まったくつまらぬ内容。だから、「いかにももっともらしさ」に惑わされてはならず、実は「まったくつまらぬ論稿なのだ」と指摘しておかねばならない。

要旨は以下のとおりである。

 岸田文雄首相が12日、皇位継承をめぐる政府有識者会議の報告書を衆参両院議長に手渡した―。この報告書は、おおむね「問題先送り」「本質でない」と批判されている。だが、皇統の秋篠宮家への移行―をめぐって世論に亀裂が走り始めた今、継承の行方をしばしあいまいにしておくことがダメな判断だとは思わない。

 報告書は、結びで福沢諭吉「帝室論」の「帝室は政治社外のものなり(皇室は政争の外にあれ)」を引き、皇位継承の政治化にクギを刺している。
 「帝室論」は明治15(1882)年の新聞連載である。当時、日本は帝国議会開設を控え、藩閥官僚政府の御用政党と反政府の民権党の対立がエスカレートしていた。福沢は、「保守守旧の皇学者流」と「自由改進の民権家流」が尊皇を競い、天皇を持ち出して相手を責めるのはよくないと警告。皇室の威信は政治や名利を超越するところにあると説いた。皇室と政治、世論を論じて深い。ちなみに、上皇陛下は皇太子時代、「帝室論」を音読されていたという。

 もしも今回の報告書が女系天皇容認を打ち出していれば、「愛子天皇」の現実味は増していた。だが、それで男系護持派が引き下がるか? 世論調査で7、8割が女系天皇支持だから大丈夫と言えるか? 皇室は「日本人民の精神を収攬(しゅうらん)(=民心を融和)するの中心」(帝室論)である以上、乱暴に押し切るわけにはいくまい。

 今後は国会の各党・会派が皇位継承について協議する。秋篠宮家バッシングが続く中、落ち着いた議論ができるか疑わしい。皇室は政争の外にあるべきものである。民心融和の中心たる皇室の未来を決めるにふさわしい時を待つべきだと思う。

 この論理おかしくはないか。一方で、皇室は「日本人民の精神を収攬(=民心を融和)するの中心」 と言っておきながら、他方で皇位継承をめぐる議論の分裂を嘆いているのである。「皇室は政争の外にあるべきもの」というのは、現実には「皇室は政争のタネとなっている」ということ。天皇制あればこその国論分裂ではないか。
 皇室は「日本人民の精神を収攬するの中心」だと? 人民を侮るのいいかげんにしろ。いまどき、皇室ごときに「収攬」されてたまるか。カビの生えた人物の、カビの生えたイデオロギーを、いまだ後生大事に抱えているアナクロニズムに辟易せざるを得ない。「皇室と政治、世論を論じて深い」だと? とんでもない、浅薄きわまりないと言うべきだろう。この人の頭の中は旧憲法のままで、現行憲法への転換がないようだ。

 あたかも、国会が天皇交替の制度を論じることが畏れ多いというがごとき姿勢。当然のことながら、天皇という地位も公務員職の一つでしかない。そのあり方は廃位も含めて主権者国民が論議し決定することなのだ。

 こういうアナクロニズムにまみれた姿勢こそが、彼を「大記者」として成功せしめたのだ。これが、現在の日本のジャーナリズムの水準である。大記者の論説だからと崇めてはならない、惑わされてもならない。  

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