澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ひとつの判決の意義と影響

弁護士の仕事は法廷ばかりではない。しかし、法廷は主戦場だ。40年弁護士生活を続けてきても、出廷の度に緊張する。緊張の舞台での勝訴判決は掛け値なしに嬉しい。いつもは批判ばかりしている裁判所だが、勝訴判決の日は別だ。自分が人の役に立ったという充実感が、弁護士人生の醍醐味。そして、判決は同種の問題を抱える人の権利の伸長に影響する。多くの人の役に立ちうるのだ。

体制の根幹に関わる憲法問題では裁判所はその職責を果たしていない。しかし、医療過誤や消費者事件などでは裁判所の果たしている役割は大きい。労働事件についても評価ができるだろう。

本日の判決は、新生児の心疾患診断義務違反を問う医療過誤事件。昨年10月25日に1審の全面勝訴判決を得て、本日東京高裁第20民事部(裁判長坂井満,主任太田武聖各裁判官)で控訴棄却判決を得た。

請求額(5880万円)の満額を認容されたというだけではなく、医師によるカルテ改竄を再度認め、死亡の機序、2点の過失主張も、因果関係も、全て請求原因のとおりに認められた。

生後38日で亡くなった「優華ちゃん」の死因は、「大動脈弁狭窄症」(AS)である。大動脈弁狭窄症は先天性疾患である「二尖大動脈弁」に起因するもので、左心室から大動脈に通じる大動脈弁の狭窄によって体循環の動脈血流出に支障が生じた。それでも、胎児期から出生直後のしばらくは、努力性に左心室を働かせることによって全身への動脈血供給を保持したが、その代償機能が限界に達すると、「低心拍出量症候群」の発症となり、「心不全」となって死亡に至った。

大動脈弁狭窄症は診断が可能であるだけでなく治療も可能である。標準的な能力を持つ医師による優華ちゃんへの誠実な診察さえあれば、正確な診断によって専門医への搬送が可能となり、姑息的カテーテル治療と根治的手術とを組み合わせる確立された治療方法によって、高い確率で救命を期待しうる。他方、担当医の診断の見落としは、現実の優華ちゃんの症状進行が示しているとおり、容易に児の死亡の結果をもたらす。

したがって、優華ちゃんの大動脈弁狭窄症は、典型的な「見落としてはならない」疾患である。にもかかわらず、生後一月余の間、優華ちゃんの新生児診療を担当した被告クリニックの産科医は大動脈弁狭窄に伴う特有の心雑音を聴診することもなく、大動脈弁狭窄症由来の低心拍出量症候群による全身症状の悪化を問診・視診するでもなく漫然とその症状を看過し、自ら正確な診断をすることも専門医への搬送も怠った。その被告の診断義務違反によって、優華ちゃんはかけがえのない生命を失った。

以上が1審における原告の主張であり、1審判決は原告の主張を、ほぼ全面的に認めた。これを不服とする控訴理由の骨格は、「重症型大動脈弁狭窄症(Critical AS)」をキーワードとする以下の各点。
(1) 機序
 優華ちゃんの死因となった原疾患は「大動脈弁狭窄症(AS)」ではなく、「重症型大動脈弁狭窄症(Critical AS)」である。
(2) 過失
 産科医にCritical ASの診断を求めることは不可能を強いるものである。
(3) 損害
 Critical ASである以上、優華ちゃんが適切な治療を受けて延命したとしても、予後は極めて不良であり、労働能力は期待できない。
(4) カルテ改ざん
 カルテの内容はCritical ASとして合理的に説明可能で改ざんはない。

これに対する被控訴人(遺族側)の反論は以下のとおり。
(1)「Critical ASはASではない」とは、「白馬は馬に非ず」と同様の詭弁である。
(2)「Critical」であるか否かにかかわらず、「AS」である以上は、心拍出量が保たれている限り聴診による診断が可能であり、全身状態悪化からも診断が可能である。
 また、新生児診療に携わるすべての医師が心疾患疑診の診断と専門医への搬送の必要についての的確な判断ができなくてはならない。 
(3)明確な否定的統計がない以上、平均的な算定による逸失利益額を減額すべきではない。
(4)カルテの改ざんは形式・内容の両面において明らかである。

以上の各論点について、原審だけでなく、控訴審判決も、患者側の言い分によく耳を傾け、理解してもらったという印象が深い。

判決の次の1節がキーポイントである。
「重症大動脈弁狭窄症は大動脈弁の狭窄が重度な大動脈弁狭窄症の一群であり,大動脈弁狭窄症とは異なって重症大動脈弁狭窄症という特別の疾患があるわけではないから,その診断方法は大動脈弁狭窄症の重症度のいかんにかかわらず同じであると解される。したがって,優華の大動脈弁狭窄症が重症であったとしても,‥低心拍出量症候群が進行して左室からの心拍出量が減少した可能性があると考えられる生後24日以前においては,十分な心拍出量があったものと推認されるので,その間であれば,聴診により収縮期の雑音を聴き取れる状態にあったと推認される」

記者会見の際に、記者から「この判決が臨床にどう影響すると思うか」という質問があった。その問題意識や、すこぶる良し。

「本件では、提訴時から産科クリニックの産科医による新生児診療の態勢や能力の欠如を問題としてきました。一審判決後医療側は、『このような医師に不可能を強いる判決は、医師の業務を立ちゆかなくさせる不当なもの』と反発しました。しかし、そんなことはない。東大輸血梅毒事件を典型として、不可能を強いるものと非難された判決の注意義務も、やがて臨床に当然の医療水準として定着してくる。そのようにして、臨床は進歩してきたのです。
患者が求める医療水準と、医師が受け入れ可能とする医療水準とは、宿命的に隔たりがあることを否めません。双方が主張し合って、裁判所は社会を代表する立ち場で、判断をします。その判断の積み重ねが、臨床の改善・進歩に役立ってきました。
患者が泣き寝入りしていたのでは、臨床の改善につながらない。患者や遺族が声をあげ、訴訟を提起し、一時的には医療側にとって不本意ではあっても、臨床の水準を一歩進める判決を勝ち取ることは、全患者のために、また、医療全体のために意義のあること。本日の判決もそのような内実をもったものとして、新生児医療の改善に影響を及ぼすものと考えます。
具体的には、新生児診療に携わるすべての医師が、心疾患を診断して専門医に搬送すべきとする判断ができるよう、技能を研鑚し態勢を整備しなければならないし、ぜひそうしていただきたい」

そう、この5年間この事件にかけた時間と労力は、意義ある判決となって結実したのだ。苦労して獲得したひとつの判決の意義がもたらす充実感である。

とはいうものの、実はこの勝訴は、ひとえに誠実で力量のある複数の協力医に巡り逢えたことの賜物。とりわけ中心になって訴訟を支えていただいた医師には、足を向けては寝られない。
その医師にも、本日の勝訴判決を我がことの如くに喜んでいただいた。
(2013年4月24日)

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Published in 水曜日, 4月 24th, 2013, at 22:02, and filed under 未分類.

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