澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

プーチンに読ませたい、小川未明の「野ばら」

(2022年6月6日)
 本日、関東甲信地方に梅雨入りの宣言。陰鬱で肌寒い日である。雨風ともに強い。ウクライナの戦況は膠着して停戦の希望は見えてこない。被害の報がいたましい。国内では戦争便乗派の平和憲法攻撃と、防衛費倍増論に敵基地攻撃能力論まで台頭している。私の体調もよくない。憂鬱この上ない本日。ものを考えるのも億劫だし、煩瑣な文章を書く気力もない。昔読んだ小川未明の童話を引用して、本日の責めを塞ぎたい。

 たしか、小学校の図書室で小川未明の幾つかの作品を読んだ。そのうちの「野ばら」が鮮明に記憶に残っている。読後感は深刻だった。どうして、人と人とは仲良くできるのに、国と国とは戦争をするのだろうか。国なんかなくなければ人と人とは仲良くできるのか、とも考えた。誰が考えても、戦争はおろかなことではないか。もう、こんなことをやってはいけない。

野ばら 小川未明

 大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣となり合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起らず平和でありました。
 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。
 二人は、石碑の建たっている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。
 初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝やいているからでありました。
 ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。
 「どれ、もう起きるか。あんなにみつばちがきている。」と、二人は申し合わせたように起きました。そして外へ出でると、はたして、太陽は木のこずえの上に元気よく輝やいていました。
 二人は、岩間からわき出でる清水で口をすすぎ、顔を洗いにまいりますと、顔を合わせました。
「やあ、おはよう。いい天気でございますな。」
「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持がせいせいします。」
 二人は、そこでこんな立ち話しをしました。たがいに、頭を上あげて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感を見る度に心に与えるものです。
 青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向い合って将棋を差していました。
 初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが、しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。
 この青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつでありました。二人はいっしょうけんめいで、将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。
 やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん。」と、老人はいって、大きな口を開けて笑いました。
 青年は、また勝みがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝やかしながら、相手の王さまを追っていました。
 小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送っていました。
 冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方ほうを恋しがりました。
 その方には、せがれや、孫が住すんでいました。
「早く、暇をもらって帰りたいものだ。」と、老人はいいました。
「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。」と、青年はいいました。
 やがて冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、なにかの利益問題から、戦争を始めました。そうしますと、これまで毎日、仲むつまじく、暮していた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。
 「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても少佐だから、私の首を持ってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と、老人はいいました。
 これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、
 「なにをいわれますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北の方ほうで開かれています。私は、そこへいって戦います。」と、青年はいい残して、去ってしまいました。
 国境には、ただ一人老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、老人は、茫然として日を送りました。野ばらの花が咲さいて、みつばちは、日が上がると、暮れるころまで群っています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られなかったのであります。老人はその日から、青年の身の上を案じていました。日はこうしてたちました。
 ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終ったということを告げました。
 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠をしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊いはきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
 老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野ばらが枯かれてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。

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 小川未明の作品は、既に著作権の保護期間が終了している。転載自由である。青空文庫本を多くの人に読んでいただきたい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51034_47932.html

パロディはいくつもある。下記は、公開されている才能溢れたマンガの一作。
https://rookie.shonenjump.com/series/pGBIkZk5Ffc/pGBIkZk5Ffk 

 今、この国境をはさんだ二人の兵士の話は、ロシアとウクライナ両国兵士の関係として連想せざるを得ない。両国の国民と国民とが、兵と兵とが、殺し合うほど憎しみ合っているはずはない。プーチンに読ませたいと思うが、無理だろうか。

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Published in 月曜日, 6月 6th, 2022, at 19:25, and filed under ナショナリズム, ロシア, 戦争と平和.

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