反共宣伝に負けずに、日本共産党への「希望の一票」を。
(2022年7月9日)
いよいよ、明日(7月10日)が参院選の投票日。比例代表には、「日本共産党」に投票をお願いしたい。また、東京選挙区では山添拓候補を、ぜひよろしく。
弁護士の山添拓は、「憲法が希望」というキャッチを掲げる。そのとおり、「憲法こそ希望」である。このキャッチがよく似合う「山添拓が希望」だし、「日本共産党が希望」だ。ところが、これがなかなか選挙民の耳にはいらない。その原因の一つが、反共宣伝による反共アレルギーの蔓延である。
以下は、19世紀中葉の『共産党宣言』冒頭の一節である。
「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している、共産主義という妖怪が。およそ古いヨーロッパのすべての権力が、この妖怪を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。権力の座にある対抗派から共産主義だと罵られなかった政府反対派がどこにいるだろうか。」
21世紀の日本においても事情はまったく変わらない。権力の座にある対抗波を中心とする諸勢力が神聖同盟を結んで、日本共産党を妖怪とし、日本共産党を罵り貶めようと躍起になっている。神聖同盟に加わらないとする「良心派」の多くも、日本共産党との距離感については臆病とならざるを得ない。
その結果、多くの人の利益を代表する立場の日本共産党の勢力が伸び悩んでいる。庶民の投票が、自殺行為に等しい与党への投票となったり、反共中間政党に掠めとられたりしている。これは日本の民主主義に潜む、重大な病根と言わねばならない。なぜ、日本共産党は「妖怪」とされているのか。
100年ほど前に、天皇制政府は治安維持法を制定(1925年)した。その第1条1項は、「国体ヲ変革シ又は私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」に、10年以下の懲役または禁錮に処するというもの。周知のとおり、この法定刑は後に死刑を含むものとなる。
天皇制権力が恐れたものは、「国体の変革」と「私有財産制度の否認」であった。これは分かり易い。いうまでもなく「国体の変革」とは天皇制の廃絶であり、「私有財産制度の否認」とは社会主義の実現を意味する。体制の根幹を揺るがすこの二つのテーマにおける体制の敵は、当時できたての日本共産党にほかならず、治安維持法は共産党を標的とするものであった。
天皇制政府と大資本にとっては、日本共産党こそが恐るべき真の敵であった。それはそのとおりであったろう。ということは、民衆にとって共産党こそが真の味方であったはず。にもかかわらず、多くの民衆はそうは思わなかった。
天皇制政府と大資本の手先となった少なからぬ人が、共産党を「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」と敵視した。そして、それ以外の多くの人々が、共産党に近いと思われることを極端に恐れた。身内から「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」と罵られる者を出してはならないと警戒した。
対中戦争が始まって戦時統制色が強くなると、権力と社会の共産党攻撃はさらに強くなり、共産党は牢と地下での逼塞を余儀なくされた。公然たる共産党の活動が社会に注目されるのは敗戦後のことになる。
しかし、戦後も権力と資本は、徹底して共産党を敵視し続けた。1949年夏、天下を震撼させた下山・三鷹・松川事件が起こるや、政府は直ちに全て共産党による犯行との宣伝を徹底し、国民の共産党に対する反感を煽った。
戦後70余年を経て、今に至るも事情は基本的に変わらない。反共アレルギーとは、国民の深層心理の中に叩き込まれた、「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」というイメージは、権力からの弾圧と共同体からの排除を意味する暗さに起因する。アカが恐いのではなく、アカと思われることが恐いのだ。我が子の平穏な将来を望む親が、「就職に不利になるから、共産党には近づかないようにしなさい」と言う、あの非理性的なしかし根深い心根なのだ。この反共宣伝と反共アレルギーは、為政者と企業にとって、共産党こそが天敵なればこそである。実は、日本共産党が、大多数国民の最も確かな味方であればこその権力と資本の攻撃の結果なのだ。
その故に、いまだに一匹の妖怪が日本を徘徊している、日本共産党という妖怪が。およそ自公の与党から、維新・国民、有象無象の右翼諸政党とネトウヨ諸派がこの妖怪を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。この反共神聖同盟の核にある反共アレルギーを払拭することは、日本の民主主義のための重要な課題である。そのためにも、ぜひとも、日本共産党への一票をお願いしたい。