澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

私も納税者だ。私の納税分を、一円たりとも安倍晋三の葬儀に使ってはならない。

(2022年7月29日)
 憂鬱な夏の盛りである。コロナの蔓延に歯止めがかからない。行政の無為無策を嘆くばかり。ウクライナの戦況は膠着して停戦の展望は見えない。ミャンマーで民主派4人の死刑が執行された。アメリカでは、あのトランプが再びのさばりそうな雲行き。そして、参院選の結果にはとうてい納得しがたい…。さらに、あのウソつき晋三の国葬だという。

 臨時国会は8月3日召集の模様である。参院の正副議長選出のほか、参院選の遊説中に殺害された安倍晋三への追悼演説が行われる見通しと報じられている。政府・与党は会期を8月5日までの3日間とする方針だが、野党側はより長い会期を求めて、安倍晋三の国葬問題や物価高を巡る緊急課題の議論も行う必要があるなどとしている。コロナへの対応も必要ではないか。

 この臨時国会での安倍晋三追悼演説は、はからずも《プレ国葬》ないしは《プチ国葬》の性格を帯びるものにならざるを得ない。その意味で、注目されるところとなったが、昨日までは、甘利明(前自民党幹事長・麻生派)が行うことに決まったと思い込んでいた。

 安倍晋三と甘利明、お互い脛に傷持つ間柄でよくお似合いである。私は、どちらも刑事告発し検察審査会への審査申立もした経験がある。起訴に至らなかったのがいまだに不本意であり、残念でならない。
 
 ところが、今朝の新聞で、このせっかくのお似合いの間柄に水を差す不粋な向きがあって、甘利追悼演説は先送り、ないしは頓挫という雲行きだという。
 
 毎日新聞は、「『残した派閥をばかに』 安倍派の猛反発で甘利氏の追悼演説頓挫」という見出しで報じている。この見出しを敷衍すれば、「『甘利明が安倍の残した派閥(安倍派=清和会)を馬鹿にした』という安倍派議員の猛反発で、甘利の追悼演説は頓挫した」ということなのだ。銃撃事件で会長を失った安倍派(清和会、97人)の批判が「頓挫させた」というのだから、その「猛反発」は相当なものなのだろう。

 安倍派の反発は甘利明の20日のメールマガジンがきっかけだという。国会リポート 第439号というもの。その全文が下記で読める。
https://amari-akira.com/01_parliament/index_text.html

安倍派の逆鱗に触れたのは、下記の一文だという。

 「最大派閥の安倍派は「当面」というより「当分」集団指導制をとらざるを得ません。塩谷、下村両会長代行に加え、西村事務総長と世耕参議院幹事長、閣内には要の官房長官たる松野さんと萩生田経産大臣が主要メンバーと言われますが、誰一人現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もなく、今後どう「化けて行く」のかが注視されます。」

 以下、毎日の記事による。

 「これに安倍派最高顧問の衛藤征士郎・元衆院副議長は21日の同派会合で『こんなに侮辱されたことはない』と激しく反発。派内では他にも『甘利氏こそカリスマ性がない』などと批判する声が相次いだ」「党は甘利氏の演説を検討したのは『安倍氏の遺族の意向を踏まえた』ためだとしているが、同派から『なぜ安倍氏が残した派閥をばかにする甘利氏に演説させるのか』『国民の気持ちは甘利氏ではない』などの声が漏れた。反発は安倍派のみならず党内の他派閥にも広がり、党執行部には『いつ甘利氏に決めたのか』など、再考を求める意見が寄せられているという。」

 《プレ国葬》を舞台に、これはまた安倍側近政治家たちのまことに麗しい振る舞いではないか。自民党の、安倍派や安倍に近い政治家たちでさえ、けっして安倍晋三の死を悼んでなどいない。安倍の死をきっかけに起こっている勢力争いに懸命なのだ。ましてや、安倍と距離を保ってきた自民党議員や野党に安倍の死を悼む気持などあろうはずもない。

 にもかかわらず、国葬とは、政府が国民の名を僭称して安倍晋三の死に対する弔意を表明する儀式である。安倍晋三の死を利用して、国民の政治意識を安倍や現政権の望む方向に誘導しようという思惑が透けて見える。ばかばかしい。国葬なんぞで、国民の弔意をもてあそぶのはやめていただきたい。

 そして、私も納税者だ。私の納税分をウソつき晋三の葬儀に一円たりとも、支出してもらいたくない。誰の国葬もやってはならないが、ましてや、ウソつき晋三の国葬など、もってのほかではないか。

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