司法の独立を貫く香港高裁の裁判官に励まされる。
(2022年12月16日)
中国は師である。多くのことを教えてくれる貴重な存在。民主主義や人権についての恰好の反面教師。けっして、ああなってはならないのだ。
とりわけ、香港から見える中国の姿が教訓に満ちている。おそらくは、ウィグルやチベットから見ればさらに深刻な教訓が得られるのだろうが、残念ながら報道が極端に少ない。
香港からの報道で身に沁みて学ぶべきは、権力集中というグロテスクの危険であり恐さである。中国は具体的な実例をもってそのことを教えてくれている。真剣に学ばねばならない。
一党独裁とは、共産党に敵対する政党の存在を許さないというだけのものではなく、徹底した国家権力の集中を意味するのだ。一国二制度の下、ごく最近まで香港には常識的な三権分立の制度が確立していた。中国が香港の自由を蹂躙したとき、香港の教科書から「三権分立」の文字が消えた。同時に香港の人権と民主主義も失われた。その後学校現場に持ち込まれたものは、愛国教育の徹底であった。
具体例として報道されたのは、「(香港の法制度の特徴は)三権分立の原則に従い、個人の自由と権利、財産の保障を極めて重視する」との教科書の記述が削除され、代わって「デモで違法行為をした場合、関連の刑事責任を負う」との記述が加えられたという。恐るべき中国共産党、恐るべき一党独裁、恐るべき偏向の洗脳教育ではないか。
三権分立の核をなすものは、司法権の独立である。法の支配において、最終的に法の解釈を確定する権限は司法にある。が、この常識は中国では通じない。香港の司法の独立は、中国共産党の支配にまったく歯が立たないのだ。
それを見せつけたのが、以下の共同配信の記事。毎日新聞は、「香港最高裁判断、全人代が変更の可能性 りんご日報創業者の弁護巡り」という見出しで報じた。
「香港政府は(22年)11月29日までに、香港国家安全維持法(国安法)違反罪に問われた民主派香港紙、蘋果(ひんか・りんご)日報(廃刊)創業者、黎智英氏の弁護人を英国の弁護士が務めることを認めた最高裁の判断は不当だとして、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会に法解釈の判断を求めた。
香港メディアは最高裁の判断が覆される可能性が高いと報じており、司法の独立性の後退に懸念が高まっている。」
黎智英が英国の弁護士を弁護人として選任したのは刑事訴訟法がそれを許容する制度になっているからだ。ところが、香港の司法当局(日本での法務省に当たるのだろう)は、これにイチャモンを付けて、弁護人の変更を申し立てた。その理由は、「国安法の外国勢力との結託による国家安全危害共謀罪で起訴された黎氏の弁護人を、海外で働く外国人が担当するのは国安法の立法趣旨に反し不適当」だというのだ。無罪の推定も、弁護権の保障も念頭にない、まったく無茶な主張。
さすがに、香港の高裁と最高裁はいずれも司法当局の訴えを退ける判断を下した。ところが、ここで奥の手が出てくる。香港の最高裁の判断は、全人代常務委員会の胸先三寸で、ひっくり返すことができるのだ。これが、一党独裁のグロテスクさ。
既に、香港最高裁のこの件の判断に対しては、中国政府で香港政策を担当する「香港マカオ事務弁公室」が11月28日に「国安法の立法精神と論理に反している」と非難する声明を出しているという。既に、万事休すなのだ。
意気阻喪しているところに、今度は元気の出るニュース。「天安門追悼計画、民主派逆転無罪 香港・高裁」という、昨日の毎日新聞記事。
「香港の高裁は14日、中国当局が民主化要求運動を武力弾圧した天安門事件(1989年)の犠牲者を追悼する昨年の集会計画を巡り、無許可集会扇動罪に問われた香港の民主派団体元幹部(弁護士)に対し、1審有罪判決を取り消し、無罪を言い渡した。
香港当局は2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行後、民主派への締め付けを強化。デモ開催などを無許可集会に当たるとして、民主派が有罪判決を受ける中、無罪判決は異例。」
一審判決禁錮1年3月(実刑)からの逆転無罪である。公訴事実は、昨年6月4日天安門追悼集会を企画し宣伝した「無許可集会扇動罪」。弾圧された民主派が次々と有罪判決を受ける中、無罪判決は異例だという。
もしかしたら、この判決は最高裁で逆転させられるかも知れない。さらには、またまた北京のご意向で無罪判決は吹き飛ばされるかも知れない。それでも、自分の良心に忠実に無罪判決を書く裁判官の存在に胸が熱くなる。制度よりは、このような人の信念にこそ、民主主義が生きているのだ。
中国共産党はいろんな教訓を教えてくれる。やはり、貴重な「師」以外のなにものでもない。