澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

国葬検証であらためて浮き彫りになる安倍政治の罪

(2022年12月26日)
 年の瀬に、今年亡くなった人物を思い起こせば、まずは安倍晋三の名を上げねばなるまい。その亡くなり方が衝撃的だったからだ。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という。はたして彼は、どのような名を残しただろうか。

 「棺を蓋いて事定まる」ともいう。しかし、安倍晋三については、容易に「事定まる」様子がない。「棺の蓋」を動かして噴き出てきたものが、統一教会との癒着だった。岸・安倍の3代にわたって、カルトと保守政治の接着役を果たしてきたその一端が明らかとなった。「反共」という黒い糸で結ばれた、統一教会と安倍晋三。その実態は、まだ十分には解明されてなく、十分な批判にも至っていない。

 生前の政治家としての所業にも資質にも批判の大きかった安倍晋三である。加えて、その死後に統一教会との癒着が明らかとなったのだ。にもかかわらず、岸田文雄は、安倍国葬を強行した。独断専行したと言ってよい。この頃から、岸田の特技は「国民の声を聞かずに物事を決めること」として知られるようになった。

 果たして、国葬は国論を二分した。世論調査では、およそ6割の国民が安倍国葬反対の意を表明した。独裁国家ではいざ知らず、民主主義を標榜する国家において、国民の過半が反対する国葬の強行はあり得ない。

 9月の国会審議で国葬強行の追及を受けた岸田首相は、「国葬についての検証をしっかり行う」と約束せざるを得なかった。しかし、10月召集の臨時国会で議論するはずだった論点整理は、会期終了まで出てこなかった。「しっかり」は口癖だが、やる気がないのだ。

 本来、安倍国葬の検証とは、だれのどのような思惑から、なにゆえにかくも奇妙な国葬が構想され強行されたかを解明しなければならない。そして、国葬がもつ、権力によるイデオロギー操作としての罪業と効果を徹底して暴くことでなくてはならない。安倍国葬は、安倍政治を美化する役割を果たすためのもので、安倍後継の保守政権をも美化することにつながるものであったのだから。

 政府は12月22日、安倍国葬を検証する有識者ヒアリングに基づく「論点整理」を公表した。A4約200ページにわたる大部なものだが、検証の実はあがっていない。集約の方向も見えてこない。国葬に関する7つの論点について大学教授やメディアの論説担当者ら21人から対面聴取した意見が羅列されただけのものだという。

 『法的根拠の必要性』『国葬実施の意義』『国葬の対象者の決定』などのヒアリングでは、「賛否が分かれた」という。当然であろう。安倍政治が国論を大きく、深く二分するものだった。安倍国葬の評価も、安倍政治への評価の分裂をそのまま反映するものとなったのだ。

 このヒアリングでは、「国葬でどのようなレガシーが残ったか」という設問もあったという。こんな調子で、真っ当な検証ができるはずもない。結果の誘導を試みたが、成功に至らず、「21論」併記の羅列的「論点整理」となったものと思われる。

 また、国葬を巡っては、衆院も議院運営委員の6会派6人による協議会の報告をまとめた。こちらの報告は、わずか3ページ。が、中身はけっしておかしなものにはなっていない。その全文を下記に掲載しておきたい。安倍晋三、どうやら葬儀のあり方までを含めて、民主主義社会の反省材料として「名を残した」ようである。

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◆衆院各会派協議会がまとめた検証結果(全文)

 議院運営委員会は、国葬儀の検証等を行うため、各会派の代表者からなる協議会を設置し、令和4年11月1日から12月2日にかけて、計5回協議会を開会し、政府からの説明聴取・質疑、2回にわたる有識者からの意見聴取・質疑も含め、各会派の代表者間で協議を行った。その議論の概要を以下のとおり報告する。

 1、国葬儀の検証に当たっての基本的な認識
 今般の国葬儀は、戦後において慣例の積み重ねがなく、またその在り方等について一般的な議論がなされていないことから、国民の間で国葬儀についての共通認識が醸成されていない状況にあった。結果、国葬儀の実施に当たって、世論の分断が招かれた。
 
 2、国民、国会への説明
 今般の国葬儀は、7月8日の故安倍晋三元総理大臣の逝去の後、同月14日に岸田総理大臣が国葬儀を行うことを表明し、同月22日に閣議決定が行われた。その後、9月8日に岸田総理大臣と松野官房長官が議院運営委員会に出席し、説明を行った後、同月27日に国葬儀が執り行われたが、この実施に至るまでのプロセスについて様々な意見・批判が示された。
 すなわち、決定に際して国会への事前報告等がなされるべきである、閣議決定後1カ月以上経過してから国会へ説明を行ったのは遅きに失したなど様々な具体的意見が述べられた。

 3、国葬儀の法的根拠及び国葬儀を行う理由についての政府の説明
 政府は、今般の国葬儀を内閣府設置法上の国の儀式として、閣議決定を経て実施したものである。この点について、意見を聴取した有識者からは、国葬儀を行政権の裁量として行うことが直ちに違憲・違法であるとは言えないという見解、政府による法的根拠、理由の説明が国民の理解を十分に得られていないとの見解、内閣府設置法自体が、国葬儀を行うことを内閣限りで決定できることの根拠になるものではないとの見解が示された。さらに、国葬儀の実施に関する制度上の問題は解決していないとの見解もあった。
 各会派の代表者からは、閣議決定自体には問題はなかったとの意見、示された法的根拠、実施理由に対して国民の理解が十分に得られておらず、国権の最高機関である国会の審議を十分に経ず国葬儀を実施したことはいわば行政府の独断であり適切でないとの意見、憲法の保障する国民主権、法の下の平等、思想及び良心の自由や政教分離原則との関係で違憲であるといった意見も示された。

 4、国葬儀の対象者についてのルール化
 国葬儀の対象とすべき者に一定の基準・ルールを設けることについては意見が分かれた。
 各会派の代表者からは、法的根拠や基準を設けることで国民の理解に資するといった積極的な意見がある一方で、在職期間や功績等様々に考慮すべき事項があり、事前に基準を設けることは難しく、時の内閣が責任をもって判断すべきとの消極的な意見も示された。
 意見を聴取した有識者からも、あらかじめ定められた基準があればここまで政治問題化されることはなかったのではないかという意見がある一方で、民主主義国家である以上、特に政治家の場合は国民による功績の評価は様々であることから合意形成は容易ではなく、一定の基準を設けることは非常に困難であるとの意見、国葬儀についての慣例のない中で改めてルールを作ろうとすると、ルールの在り方自体が論争の種になりかねないとの意見など、消極的な意見も多く示された。

 5、国会の関与の在り方
 今般の国葬儀の実施により、結果として世論の分断が招かれたとの共通認識の下、国民の幅広い理解を得られるよう国会による何らかの適切な関与が必要であることについては、大方の意見が一致した。一方、政治家の国葬の実施は認められないとの意見も出された。
 国会の関与の具体的な方法としては、国葬儀の実施に国会の承認を要するものとすべきという意見も示される一方、国会の行政監視活動を通じて政府に説明責任を果たさせることによって対応すべきものであるといった意見、また、国会での承認に際して行われる審議が故人の評価に関する議論を招き、政治問題化が避けられず、故人及び遺族にとっても望ましくない事態になりかねないとの懸念も示された。
 このように国会の承認を得るには合意形成に困難を伴うとの議論を踏まえ、代替案として、例えば、国会内のしかるべき委員会等における政府からの報告のような形にとどめる、両院議長への報告や相談を経るという方法もあり得るとの見解も示された。また、あえて国葬儀という形にこだわらず、他の形式で故人を偲(しの)ぶ方法もあるのではないかとの見解もあった。
 いずれにせよ、国会が国葬儀に関し的確な行政監視を行う機会が確保されることが望ましく、政府は、適時・適切な情報提供を行うべきである。

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