「はだしのゲン」は、なにゆえに行政に疎まれるのか。
(2023年2月27日)
私は、爆心地近くの広島市立幟町小学校に入学している。「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの母校。小学校一年生だった私は、原爆ドームの瓦礫の中で遊んだ。広島が被爆して4年目のこと。そして、同じ広島市内の牛田小学校に転校し、さらに三篠小学校から、宇部の小学校に転校した。どこの小学校だったか、集合写真が1枚だけ残っている。もう、70年以上も昔のこと
私は、戦争のさなかに盛岡に生まれ、盛岡で終戦を迎えたのだから被爆の体験はない。が、原爆の爪痕の残る広島の姿は、おぼろげながらも記憶している。市民の「ピカ」に対する無念と恐怖の感情も。
私の平和志向は、あとで聞かされた戦時中の母の苦労と、この広島での生活体験が原点となっている。原爆こそは絶対悪である。けっして人類と共存することはできない。原爆を無くさなくては、人類が滅亡する。6歳での被爆体験を持つ中沢啓治の思いも同様であったろう。そして、はるかに強烈なものであったろう。
私は「はだしのゲン」には、思い入れが強い。感情を移入せずには読むことができない。広島市教育委員会が、平和教育の小学生向け教材から「はだしのゲン」を外す方針を決めたという報道が無念でならない。広島市よ、おまえもか。
広島市教委は2023年度、市立の全小中高の平和教育プログラム「ひろしま平和ノート」を初めて見直す。その際、小学3年向けの教材として、これまで採用していた漫画「はだしのゲン」を削除。別の被爆者の体験を扱った内容に差し替えるという。
「ゲン」を教材として採用した趣旨は、「被爆前後の広島でたくましく生きる少年の姿を通じて家族の絆と原爆の非人道性を伝える狙いで、家計を助けようと路上で浪曲を歌って小銭を稼いだり、栄養不足で体調を崩した身重の母親に食べさせるために池のコイを盗んだりする場面を引用している」(中国新聞)と報道されている。
これについて、教材の改訂案を検討した大学教授や学校長の会議で「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との指摘が出たという。市教委も同調。その上で、漫画の一部では被爆の実態に迫りにくいとして、もう1カ所あった、家屋の下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫る場面も新教材には載せないという。
戦争は悲惨である。原爆の被害は、その最たるもの。悲惨な場面の描写は避けて通ることができない。被爆者の団体も教材としての使用の維持を求めている。
市教委の今回の措置は実のところ、「悲惨な描写」が理由ではあるまい。「ゲン」がもつ「反戦」の姿勢が不都合なのだ。あるいは『反日』のしせい。戦争とは、加害と被害がないまじったものである。永く続いた日本の保守政権は、過去の戦争の被害の訴えには積極的だが、加害の反省にはまことに消極的である。地方自治体も、戦争の被害者性の訴えには寛容だが、戦争における日本の加害者としての描写には極めて非寛容となる。南京大虐殺にも、シンガポールの大検証にも、三光作戦にも、平頂山事件にも、731部隊にも、従軍慰安婦にも…。
広島・長崎への原爆投下を、それ自体としてだけ見れば、明らかなアメリカの過剰な加害行為で、日本の市民は甚大な被害者である。だから、原爆の被害を訴える展示や集会には、広島市に限らず地方自治体は寛容である。
しかし、「はだしのゲン」は、原爆被害だけを描いていない。原爆被害を素材としながらも、侵略戦争を引き起こした日本の加害者としての戦争責任にも遠慮なく踏み込んでいる。天皇への怨嗟も、軍部の横暴も描いている。戦時下の言論統制にも異議を唱えている。そして、アメリカの戦後責任にも。これが「反戦」の基本姿勢である。そして、ある種の人々から見れば『反日』でもある。これこそが、「ゲン」が単なるマンガを超えて多くの市民から支持された理由であり、同時に右翼や政府や自治体からは疎まれ煙たがられてきた原因なのだ。真実を語ればこその受難というべきであろう。
「はだしのゲン」を読み継ぐということは、日本の加害者としての責任を自覚し続けるということであり、反戦の思想を守り続けることでもある。「はだしのゲン」を大切に読み続けよう。