「新3要件」は、全ての人権を否定する論理となる
有楽町をご通行中の皆様、本日は日弁連の弁護士が、安倍内閣の集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議して銀座パレードを行います。それに先立っての街頭宣伝活動です。ぜひ、すこし足を止めて耳をお貸しください。
7月1日の閣議決定は、大きな問題を抱えるものとなっています。もしかしたら、あの日が新しい戦前の始まりだったかという、ターニングポイントとして歴史に刻まれる日になりかねません。安倍内閣の暴走に歯止めをかけなければ、本当にそうなってしまいます。大きな抗議の輪をつくらなければなりません。
この閣議決定の問題点はいくつも指摘されています。私は、解釈壊憲という手法による憲法の破壊について、固い言葉でいえば安倍政権の「立憲主義の否定」の恐ろしさについて焦点をあてて訴えます。
本来、公権力とは主権者国民からの委託によって形成されたもの。国民がその便宜のためにこしらえたものです。その委託された権限の範囲や内容、あるいは委託の手続を明確にしたものが憲法です。当然のこととして憲法は、権力を預かる者に対する憲法遵守義務を定めています。つまり、権力の行使を担当する者は、国民が制定した憲法を守らなければならないのです。
内閣総理大臣こそが憲法を守らねばならない立ち場の筆頭にあります。憲法が禁止していることをやってはいけない。これが憲法を制定する趣旨であり、立憲主義の「キホンのキ」にほかなりません。
ところが、安倍晋三という人物は、自分の考えと違う憲法には従えないというのです。憲法に命令される立ち場にある者が、憲法は気に食わないから、邪魔だから、変えてしまおうと言いだしたのです。
彼は、「戦後レジームからの脱却」を叫び、「日本を取り戻す」と言っています。恐るべきスローガンではないでしょうか。「戦後レジーム」とは日本国憲法に基づく、平和・民主主義・人権を基本とした政治体制のこと。その日本国憲法から脱却して、「日本国憲法のなかった時代の日本」を取りもどそうというのです。
もちろん、憲法は不磨の大典などではありません。慎重な手続で、国民が自身の手によって改正することは可能です。しかし、彼には国民を説得して憲法改正を実現する自信がない。しかし、憲法を変えたい。
そこで、編み出された手法が解釈改憲です。憲法の条文には一字一句手を付けないで、解釈を変えてしまうことで、事実上憲法改正を実現しようというのです。
憲法9条2項には、「陸海空軍その他の権力はこれを保持しない」と書いてある。では、自衛隊は憲法違反の存在ではないのか。これを歴代の自民党政権は、「憲法は自衛力までを否定していないはず」「自衛隊は専守防衛に徹する自衛組織として、絶対に海外で戦争はしないのだから『戦力』ではない」と言ってきました。だから、専守防衛に徹している限りにおいて、自衛隊の違憲性はギリギリのところで、セーフだと言うわけです。
今回、「集団的自衛権を行使して、海外で戦争することも自衛権の範囲」「だから決して違憲ではない」と言い出して、与党の限りで合意し、閣議決定に踏み切りました。こんなアクロバットな解釈を許していたのでは憲法は死んでしまいます。
私が、恐ろしいと思うのは、いわゆる「新3要件」冒頭の一文です。
「我が国の存立が脅かされ」とあります。「国家の存立が危うくなる」、これがキーワードです。国家の存立が危うくなれば、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があることになると読めます。そのような場合には、「他に適当な手段」がなければ、自国が攻撃されていなくても、海外のどこででも、戦争に参加することができるというのです。
7月1日閣議決定が採用したこんな理屈が通って、解釈改憲が可能というのなら、内閣の限りで憲法の全ての条文を思うように変えてしまうことができます。
たとえば、18条。
「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」「その意に反する苦役に服させられない」とあります。この条文は、徴兵制を禁止したものと理解されています。
しかし、「我が国の存立が脅かされた場合は、別だよ」という声が聞こえます。その場合には、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があるのだから、「これを排除するために他に適当な手段がなければ」、憲法が徴兵を許さないはずはないじゃないか。そうされてしまいます。
たとえば、21条。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」とあります。
しかし、「我が国の存立が脅かされ」る場合には、表現の自由なんて言ってられない。「国民を守るため」なら、検閲だって許される。となってしまうでしょう。
「我が国の存立が脅かされる」は魔法の言葉です。学問の自由も、職業選択の自由も、居住の自由も、信仰の自由も、全て同じように制限されかねません。
かつての大日本帝国憲法には、31条というものがあり、臣民の権利について、「戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」とされていました。つまり、「大日本帝国憲法は曲がりなりにもせよ臣民の権利を認める。しかし、それは平時に限ってのこと。戦時になれば人権などない。国家が万能だよ」と宣言していたのです。
現行憲法は、戦時の例外を認めない徹底した平和・人権・民主主義擁護の憲法であったはずなのです。7月1日閣議決定の論理は、9条と平和の理念を壊すだけのものではなく、旧憲法31条と同様に、人権や民主主義の基礎をも突き崩す危険なものと指摘せざるを得ません。
ぜひとも、7月1日閣議決定撤回の大きな輪に加わっていただくよう訴えます。そして、今後の閣議決定に基づいて具体的に戦争を準備する諸立法に反対する運動にもご参加いただくよう、心から訴えます。
(2014年7月17日)