歴史に向かいあう誠実さと、謝罪の勇気を
私の交友範囲で、最高齢者が吉田博徳さん。1921年6月のお生まれというから、既に93才。矍鑠と背筋が伸びている。好奇心旺盛。新しい話題を絶やさない。私なんぞ、とても老けてはおられない。そのように、いつも励まされる。
私とて、儒教文化の名残の影響を受けて育ってきている。高齢者には、高齢であるだけで敬意を表するに吝かではない。しかし、一緒にいると吉田さんが高齢ということはすぐに忘れてしまう。その気持ちの若さには、いつものことながら驚かされる。過日、韓国旅行をご一緒したときには、日韓の歴史と、行く先々の土地の話しの的確さに舌を巻いた。こんな人生の大先輩が身近にいることを幸運に思う。
吉田さんは、ご自身が歴史である。毛沢東や陳独秀が中国共産党を結成したのが1921年7月だから中国共産党と肩を並べる長寿なのだ。1922年7月結党の日本共産党よりは1才の年嵩。関東大震災のときは満2才だ。そして、もちろんこの齢だから従軍経験がある。中国で皇軍の将校として戦った深刻な体験が、平和を求めるブレない後半生の原点となっているという。
戦後は、裁判所職員の労働組合、全司法労組のかがやける委員長としていくつもの伝説をつくった。退職して、平和運動一筋。70を過ぎて、ハングルを習いこれをものにしている。今、日民協理事のお一人であり、日朝協会東京都連合会会長である。
その吉田さんが、昨日(9月1日)横網町公園での朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員長として、挨拶された。
その挨拶の中で、2003年に当時の盧武鉉大統領が韓国・済州島の4・3虐殺事件(1948年)について、島民と遺族に謝罪したことを引いて、「その勇気に心から敬服している。政府が犯した誤りを認め、謝罪してこそ、国民との信頼は深まります」「日本は、そのようにして朝鮮と心から信頼できる友好関係をつくらなければなりません」と述べている。
関東大震災時の朝鮮人虐殺に頬被りするのではなく、誠実に事実に向かい合って誤りを誤りとして率直に認め、謝罪する勇気を持たなければならない。それは、「自虐」ではなく、歴史的真実に向かいあう真摯な姿勢であり、矜持を持たない者にはなしえない崇高な行為である。それをなしえてはじめて「心から信頼できる友好関係」を築くことが可能となるだろう。こうして平和なアジアが実現する。そんなことを口にするに、吉田さんはまことにふさわしい人だ。
その吉田さんと、先日日民協の会合で顔を合わせた。やおら財布からお札を抜き出して、「おかしな裁判やられているそうじゃないですか。たいへんですが、がんばって下さい」と、現金のカンパをいただいた。いや、ありがたい。やっぱり、吉田さん。何度でも噛みしめなければならない。こんな大先輩が身近にいることが我が身の幸せなのだと。
(2014年9月2日)